阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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阿礼狂いの友人たち

 ジャリ、と砂を踏みしめる音が嫌に大きく響く。

 信綱の手には二刀の木刀が握られ、対する相手――博麗の巫女の傍らには陰陽玉が二つ、ふわふわと付き従うように浮いている。

 

 場所は博麗神社の裏側。代々の巫女が鍛錬に使う場所で、二人は向い合っていた。

 

「……一応、勝敗の確認をしておこう」

「ええ、どうぞ」

「霊力の使用はあり。但し浮遊は跳躍などの常識的な範囲で。主眼がお前の体術だ。できる限り接近戦で」

 

 信綱の口から語られるそれは、巫女の修行内容である。

 霧の異変以来、巫女が動くような異変は起こっていないが、信綱が巻き込まれた異変はある。

 天狗の里の異変に巻き込まれたという話だ。巻き込まれて何もできず逃げ帰ってくるなど、この男に限ってはあり得まい。

 

 それに僅かな所作から見られる隙の無さに磨きがかかっていた。

 ハッキリ言ってしまおう。妖怪退治の手腕ならともかく、純粋な技量という点で巫女が信綱に勝てる絵図が全く描けない。

 

 霊力を扱えるという一点において、巫女は信綱に対して明確な優位を持っている。

 しかしそれはあくまで妖怪退治にのみ力を発揮するもの。人間が相手では効果が落ちてしまう。

 結界の発動や霊力を用いての身体強化など、全くの無意味ではないのだが、信綱相手にそれは焼け石に水である。

 というか身体強化をしなければ、巫女の身体能力は鍛えた女性相応のものでしかない。並大抵の男ならねじ伏せる自信があっても、信綱は無理だ。

 

 そのため、信綱が告げた内容は主に巫女の動きを縛るためのものだ。

 あえて自分を追い込むことにより、苦手な分野も克服しようとしている巫女のお願いで、信綱はこの場に立っているという経緯である。

 

「しかしお前は接近戦が苦手な風には見えなかったが」

「あんたに比べれば劣るわよ」

「俺はお前みたいに札を投げたり摩訶不思議な術は扱えんぞ」

「それでも。できることがあって困ることはないわ」

「……まあ、それには同意しよう」

 

 軽く息を吐き、会話を終わらせる。

 次の瞬間には二刀を下げた構えを取り、巫女の攻撃を待ち受ける姿勢になった。

 

「――来い。そっちの修行だ」

「じゃあ遠慮な……くっ!!」

 

 地面が爆ぜた瞬間、すでに巫女は信綱の懐に潜り込んで顎を狙った拳を放っている。

 

「――っ!」

「まだまだ!!」

 

 首を動かして避けると、そこから手足に陰陽玉まで加えた猛攻が信綱を襲う。

 

「――!」

 

 舌打ちをして武器から手を離す。信綱の戦い方は相手の出を潰すやり方であって、それはこういった修行目的にはそぐわない。

 なにせ相手に何もさせず、自分は一方的に叩くことを目的とした戦法。この模擬戦でそれをやったら、しばらく口を利いてもらえないのは想像に難くなかった。

 

 素手になった信綱は巫女の拳打と蹴撃を同じく四肢を使って受け流し、弾いていく。

 厄介なことに陰陽玉も巫女を援護するようにその硬い身体をぶつけてくるのだが、どうやら自動操縦らしい。それなら上手く誘導すればどうにかなる。

 

(どんな視野の広さしてんのよ!? 手数で勝ってるのに、押してる感覚が全くない!)

 

 自信のある連撃が防がれていることに、巫女は内心で舌を巻く。やはり剣だけで妖怪と渡り合っているのは伊達ではない。

 打ち込もうとする拳を受け流し、次手を放てない軌道に誘導してくるのだ。蹴って仕切り直そうにも、動きの少ない腿を抑えられて封じ込まれる。

 陰陽玉は信綱が一瞬手で触れるだけで軌道を変え、もう一つの方とぶつかり合って火花を散らすだけ。力の方向を変えているのはわかるが、どんな精度で行われているのかはわからない。

 

「あまり焦るな」

「っと!」

 

 巫女の動揺を見抜いたように放たれた信綱の掌底が巫女の腹を打つ。

 それ自体に威力はほとんどなく、ただ距離を離すためのもの。

 足元に落とした木刀に気を向けずに双掌を構える信綱に焦燥はなく、今の一撃が相手に平静を与えるために打たれたのだと、巫女は理解する。

 

「……本当、どんなデタラメよ」

「これぐらいしか取り柄がないんだ。そう言ってくれるな」

 

 巫女は体術で勝てない相手なら空を飛んで戦えば良いが、信綱はそうも行かない。

 

「さて、休憩はこのくらいで良いだろう。次はこっちが仕掛けるぞ」

「わざわざ宣言どうも。――来なさい!」

 

 その時、巫女の目には信綱の姿が見えなかった。

 足元で弾ける砂で位置を読み取り、信綱が側面から攻撃してくると推測し守りを固め――

 

「ハズレだ」

「ぐっ!?」

 

 弧を描く蹴りがまたもや腹部に当たる。ハズレと言われた瞬間に身体に霊力を回していたため、さほど痛みはない。

 が、身体を硬直させた隙に信綱の攻撃が始まる。

 巫女のように手足を使った連撃というわけではない。だが、とにかくこちらの意識の虚を突いてくる。

 左の拳を握ったと思ったら、右から蹴りが飛んでくる――と見せかけて左の肘が顔面に迫るなどを当たり前のようにやってくる。

 下手に受けに回ったら一方的に狩られる。そんな印象を受ける攻撃だった。

 ならば巫女のやることなど決まっている。

 

「はっ!」

「――っ!」

 

 多少の傷は無視して殴ればいい。霊力を使わなければ身体能力で信綱には勝てないが、逆に言えば使っている間は信綱よりも疾いのだ。

 信綱が一撃入れるより速く、それができなくても一撃の重さで勝っていれば後は気合で勝てるはず。

 そんな脳筋もとい益荒男な答えを出した巫女は信綱の一撃に耐えて必殺を入れようとして――

 

「そら、読みやすい」

「きゃあっ!?」

 

 当たれば昏倒間違いなしの突きが絡み取られ、逆に転がされてしまった。

 転がって距離を取ろうとして、そこで喉元に信綱の拳が突き付けられる。詰みだ。

 

「……参った」

「ん、よし。俺を相手にするなら攻撃させないことだな。一度攻撃に回ったらそのまま相手を潰すようにしている」

 

 ふてくされる巫女に手を貸しながら、信綱は巫女の敗因を説明していく。

 つまるところ、信綱が攻めようとした時に首を横に振れば良かったのだ。あそこで待ち構えてしまった時点で、信綱の術中に嵌っていたと言える。

 バカ正直に相手に合わせてやることなどない。主導権を握ったら、そのまま返さず勝負を決める。それが信綱の戦い方だった。

 

「練習試合でそれはずるいでしょ……」

「敵の言うことは鵜呑みにしない。主導権は譲るな。次からの教訓になっただろう」

「肝に銘じておくわ……」

「じゃあもう一回やるか」

「えっ」

 

 距離を取って木刀を拾う信綱に、巫女は信じられないような顔を向ける。

 今の一戦で結構疲れたのだが、まだやると言っているのかあの男は。

 

「どうかしたか? お前が練習したいと言い出したんだから、時間は有効に使わねば」

「……ちなみにこの組手、何回やる予定?」

「時間が許す限りやるに決まっているだろう。正午までやるとして……二十、三十はできるな」

「それ休憩入れてる!?」

「いや、別に半日ぐらい休まず動けるだろう?」

 

 何を言っているんだお前は、という目で見ないで欲しいと心底思う巫女だった。

 この時巫女は確信を持つ。信綱が一番人間離れしているものは体力だ、と。

 巫女と同程度の運動をしたはずなのに、信綱は汗一つかかず息も切らしていない。

 戦闘というのは精神の消耗も大きいのだが、この男に限ってそれもないだろう。気狂いの精神は常人とは違う場所にある。

 

「ほら、あまり休むな。次は俺も武器を使うぞ」

「さっきのあれは!?」

「俺も徒手空拳はあまり慣れてなかったからな。慣らしも兼ねてお前に合わせた」

 

 やはり武器を持った方が性に合っている。そう言って信綱は二刀を拾って巫女に向き直る。

 ――振り返った時、自身の直感が警鐘を鳴らし始めるのを巫女はどこか遠い感覚として捉えていた。

 

「始めるか。俺も鍛錬として活用させてもらう」

「……ええい! 矢でもなんでも持って来いっての! やってやろうじゃない!!」

 

 半ばヤケになった巫女が立ち上がり、闘志を燃やす。

 その様子を見ても信綱は相変わらずの仏頂面のまま、二刀を構えるだけ。

 そうして二人の激突は信綱の宣言通り、延々と太陽が中天に昇るまで続けられるのであった。

 

 

 

「う、ぐごごごおおおあぁ……」

「変な声で呻くな気色悪い」

「だ、誰のせいよ……」

 

 案の定というべきか、昼を迎えた巫女は疲労困憊で動けなくなっていた。

 対する信綱はケロッとしており、動けない巫女に代わって昼食も作って今は縁側でお茶を飲んでいるところだ。

 しかも腹の立つことに自分が作ったものより美味しかった。幼少の頃から自炊してきたので密かに料理上手だと自画自賛していたのだが、そんな矜持が粉微塵に砕けそうだった。

 

「あー……疲れた。今日はもう一歩も動きたくないわ」

「ううむ……お前がこんなに疲れるということは、俺がおかしいのか?」

「知らなかったの!?」

「人と一緒に鍛錬とかしなかったからなあ」

 

 妖怪との鍛錬を行い、それが一歩間違えば死者が出ること上等の内容だったのだ。信綱の修行観は常人とは相当のズレがある。

 ちなみに巫女は紫に稽古をつけてもらっていたが、巫女の方はすぐに替えを探すのが面倒という紫の事情があったため、最低限の気遣いはあった。

 

「いや、実は俺も後継者を考え始めてな。見込みがありそうなやつを数人見繕ってみたんだ」

「それと今の状況に何の繋がりが……あ」

 

 どうにかこうにか苦労して体を起こし、信綱の隣に座ってお茶を飲み始めた巫女の顔が青ざめる。

 さっきまでで信綱の色々な意味での人間離れっぷりはよくわかった。まさかこいつ、この鍛錬を他の人にも……。

 

「早朝は道場で組手。朝食後に山で丸太を括りつけてひたすら走らせる。昼食は山で自活。昼食後は何でもありで行う組手。あとは岩を持ち上げる鍛錬なんてのもやらせたな。それらが終わってから――」

「待て。待て待て待て。まだやるの!?」

「当然だろう。阿弥様の側仕えになりたくば、いつか俺以上に強くなってもらわねばなるまい。全員ついて来れなかったが」

「その時点で自分の失敗に気づきなさいよ」

 

 なおも続く信綱の修行内容に巫女は開いた口がふさがらない。

 同時に自分がやったのはまだ軽い方だったということに戦慄してしまう。

 

「……あんた、それ毎日やってるの?」

「俺が普段何をしていると思っているんだ。阿弥様の側仕えに火継の当主として動く案件。対妖怪の人里代表……やることは山積みで、修行をやっている暇なんてない」

「あ、やっぱりあんたでも無理なのはある――」

「だから空いた時間にやるようにしている。初心者用の簡単な内容ではなく、俺がやるためにいくつか手を加えたものが――」

「あ、もう良いわ」

 

 こいつは人間の尺度に当てはめちゃいけない。それを実感した巫女だった。

 天稟を持つ人間が、狂気じみた修行を行い続けていればそりゃあ強くならないのは嘘というものだ。

 そんな風に親しい巫女から引かれた信綱だが、特に気にすることもなくお茶を飲み干すと立ち上がる。

 

「さて、俺は戻るか。本当なら午後もお前の稽古に付き合いたいが、悪いな」

「いや全力で遠慮したいから大歓迎だけど……何かあったの?」

「天魔との話し合い……は概ねまとまりつつあるから良いとして、別件だ」

 

 支配派に属していた天狗は天魔が押さえつけ、それ以外の天狗で人里との交流を設けようという話になっている。ここまでは人里の方にも信綱が伝えた情報だ。

 ……こちらも人間の中で信綱以外にも妖怪と接することのできる存在が必要になるため、そこで色々と面倒が起きている。今回の問題はそれだった。

 

「別件?」

「うむ。人里と天狗の里が交流することはほぼ決定事項になりつつある」

「そりゃスゴイわね。あの天狗と対等とか、幻想郷ができて以来じゃない?」

「向こうもそう言って笑っていた。お前は歴史に名を残す快挙を成し遂げるかもしれんぞ、と」

 

 そんなこと阿弥の安全に比べれば何の価値もない。大体、歴史に残るような騒動を起こす向こうが悪い。

 こっちはどうせ巻き込まれるなら、せめて自分の望む方向に進もうとしているだけである。

 

「それで何か問題あるの?」

「妖怪と人間の交流だ。どちらにもそれなりの頭数が必要になる。向こうは天魔が見繕うが、こちらは俺が見繕わなければならない」

 

 すでに人里の方にも話して有志を募ってもらっているが、どうにも芳しくない。

 誰だってその気になれば一瞬で首をねじ切れる相手と話したいか、と言われると尻込みしてしまう。

 なので信綱はまた使いたくもない知恵を振り絞って、どうにか人材確保に明け暮れているのである。

 

「とにかく何人か来ることを決めれば、後は芋づる式に行けると考えている。これから慧音先生と第一候補に会いに行くが、お前も来るか?」

「ん? 行っていいの?」

「気心の知れた相手だ。別に構わん」

「ふぅん……だったら行こうかしら。ここにいても暇なだけだし」

 

 身体は軋むが、そこは鍛錬を怠っていなかったおかげか動かすことに支障はない。

 信綱もそこは配慮していたようで、後に響くものは筋肉痛ぐらいだ。かなり激しく戦ったのだが、打撲傷は全くと言って良いほどなかった。

 ……要するにそんな配慮をする余裕が信綱には残っていたということだが、考えると落ち込みそうになるので無視する。

 

 そうして二人は人里へ足を向けるのであった。

 

 

 

 人里に入って二人がまず感じたのは、妙な視線だ。

 別に敵意があるとかそういうわけではないのだが、とにかく道行く人々に生暖かく見られている。

 

「……おい、お前何かやったのか?」

「いや、あんたこそ何かやったんじゃない? 私は人里なんて買い出しぐらいしか来ないわよ」

 

 巫女に言われ信綱も記憶を辿っていくが、このような目で見られる覚えはなかった。

 首を横に振り、とにかく歩いてしまうことにした二人。見られる目も移動すれば減ってくれるはずだ。

 

「最初はどこ行くの?」

「慧音先生のところだ。見回り役を兼ねてもらおうと思っている」

「ふぅん、人里じゃやっぱりあの人に教わるんだ」

「人里で生まれてあの人の世話にならない人はいないだろうよ。お前はどうなんだ」

 

 信綱が寺子屋に通っていた頃に巫女の姿を見たことはない。何らかの方法があるのだろう。

 

「紫と藍に最低限のことは教わった。面倒だけど読み書き計算ぐらいはできなきゃね」

「……その教え方は上手かったか?」

「え? 普通だと思うけど……」

「そうか……」

 

 ちょっと羨ましく思ってしまう信綱だった。慧音は昔から寺子屋をやっているのに、なぜ授業が面白くならないのか永遠の謎である。ちなみに今でも直ってないと阿弥が言っていた。

 信綱は濁った目で昔のことを思い出しながら、巫女とともに寺子屋に入る。

 子供たちの授業に使う部屋を通り過ぎ、慧音が私室としても使っている部屋に向かうと慧音が出迎えてくれた。

 

「む? 信綱が来るのはわかっていたが……博麗の巫女も? どういった風の吹き回しだ?」

「朝は彼女の用事に付き合わされたので、今は私が連れ回しているだけです。事の内容が内容ですから、事情は教えるべきかと」

「ふむ……まあ良いだろう。上がってくれ、お茶を出そう」

「ありがとうございます」

 

 茶の用意に下がる慧音に頭を下げ、部屋に上がる。

 ふと横を見ると、目を真ん丸にした巫女がこちらを見ていた。

 

「……なんだ」

「いや、あんたのそういう言葉遣いにびっくりした」

「お前に初めて会った時も多少は意識していたぞ。これでも当主なんだ。相応の場では相応の言葉も使う」

 

 本当にこの巫女は自分をなんだと思っているのかと信綱は憤慨するも、巫女はごめんごめんと気のない謝罪ばかり。

 よもや夜な夜な刀を舌なめずりし、意味もなく笑うような狂人だと思われているのだろうか。

 そうであるなら訴訟も辞さない方向だ。博麗の巫女を誰に訴えれば良いのかは知らないが。

 益体もないことを考えて怒りを紛らわせていると、慧音が戻ってきたため話に戻ることにする。

 

「一応、会合の時に話には出ていたな。天狗と人間の交流する場所を設けることだろう? 私は全面的に賛成だぞ」

「それはありがとうございます。慧音先生には普段の見回り以外にも、その場所を見てもらえればと」

「ふむ……さすがに天狗を相手に大立ち回りはできんぞ? それでも良いのか?」

「はい。人々が求めているのは安心感です。先生が来るだけでも違います」

 

 人々の恐怖心もわからないではないのだ。理解は示せるが――ぶっちゃけ対策の立てようがない。

 並の人間が天狗と武力で張り合うなど土台無理な話なのだ。というより、まともに張り合える信綱が例外であり、本来はそれが当然なのだ。

 が、当然ながら天狗の絶滅は不可能であり、何より向こうから対話を申し入れてきている。

 ならば開き直って仲良くする方法を探る方が良いだろう。人間も天狗も、仲の良い隣人を殺そうとする奴はいない。

 

「ふむ……お前がそう言うなら間違いはないが……上手く行きそうか? 私見で構わないから答えて欲しい」

「上手く行くようにするのが私の役目であり、天魔の役目です」

 

 失敗したら今度こそ修復不可能な亀裂が入り、人妖の共存は永遠に手の届かない場所に消えるだろう。

 天魔が舵取りをしているからそうは見えないが、天狗はあれでだいぶ追い詰められている。でなければ支配派と勢力を二分するなんて事態は起こらないはずだ。

 故に向こうは乾坤一擲の大勝負なのだ。信綱もその熱意に応えることこそ、人妖の共存への近道だと判断している。

 

「それにこれは好機です。天狗が人に譲歩するなんてこと、今後いくつあるか」

「……多分、それはお前のおかげだよ、信綱」

 

 信綱がこの事業の重要性を説いていると、慧音がふっと相好を崩す。

 まるで我が子を慈しむような目で見られ、信綱は自分に熱がこもっていたことを自覚する。

 

「あ……いや、申し訳ありません。つい熱が入ってしまいました」

「謝ることじゃない。むしろ嬉しいんだ。事情はどうあれ、お前が人妖の共存に尽力してくれることがな」

 

 ただ単にいがみ合うくらいなら仲良くした方が、妖怪と接する機会の多い阿弥の安全にも繋がるという、割と身も蓋もない考えが信綱の根底にあった。

 ……が、決してそれだけではないことも事実であり、ここで求められている答えはそちらの方であると察するだけの機微は備えていた。

 

「……ある妖怪の願いに、私も可能な限り応えたいと思った。それだけです」

「ほう、妖怪の知り合いが意外と多いんだな。あの吸血鬼だけじゃなかったか」

 

 こうして人里と妖怪との間を取り持つような役目を任されて、妖怪の知り合いがいることを隠さなくても良くなったことが信綱にとっては少し嬉しかった。

 ひょっとしたら遠くない未来、信綱は人里で友人の妖怪と大っぴらに会えるかもしれない。それはとても喜ばしいことだった。

 

「でなければ天狗の里に招かれはしませんよ。それで先生、答えは?」

「もちろん、全力を尽くすことを約束しよう。より詳しい話は場所が作られ始めてからで良いか?」

「ええ、お願いします。さて、では私は次の場所に行ってきます」

「ああ。アテはあるのか?」

「勘助に頼もうかと」

 

 彼ら夫妻ぐらいしか信綱が個人的に頼めるツテはない。人里の他の知り合いは大体が火継の当主としての知り合いだ。

 

「ふむ……商人は悪くないな。それにあいつは人好きのする方だ」

「そうですね。私が推すのであれば彼を推します」

 

 自分のような気狂いを今でも友人だと言ってくれるのだ。つまり自分を好いてくる妖怪とも仲良くなれる可能性がある。

 ……なぜ自分は変な妖怪に好かれるのだろうか。

 

「どうした? いきなり首を傾げて」

「……いえ、思い返してみると私は不思議と妖怪に好かれるな、と」

「強いからだな。妖怪は人間を襲い、人間が妖怪を倒す。その流れを好む妖怪というのは存在する。それが妖怪の本能なのかどうかは議論が分かれるところだが、一つの要素であることは間違いない。そもそも妖怪というのは――」

 

 しまった、心の琴線に触れる疑問を言ってしまったようだ。

 寺子屋の教師として語り始めた慧音を前に、巫女が信綱を咎めるような目で見てくる。

 逃げよう、と信綱と巫女はこの瞬間、確かに心が一つになった。

 

「大変興味深いお話ですが、私たちはこれから勘助のところに行かねばなりませんので失礼します!」

「じゃ、じゃあまた!」

「あ、話はまだ途中だぞ!」

 

 巫女の手を掴んでそそくさと部屋を出て行く。

 外に出ると巫女が信綱に詰め寄ってくる。

 

「ちょっと、なに下手な真似してんのよ」

「悪かったよ。先生は話が始まると長い上に要領を得なくてややこしいからな……」

 

 おかげで授業中も何度居眠りしそうになったか。眠るともれなく愛のムチと書いた慧音の頭突きが待っているので必死で起きようとする。

 ちなみに一度受けた者は皆、永遠の眠りにつきそうになったと口をそろえる。信綱も一度受けた時は冗談抜きに死を覚悟したことがあった。

 

「だから紫の教え方を聞いてきたのね……」

「うむ。人里の人間は誰もが通る道だから、比較対象がいない。それにあの人も頑張ってはいるんだよ……」

 

 慧音は信綱が生まれる遥か昔から人里に奉仕し続けているのだ。寺子屋はその一環であり、趣味でもある。

 趣味の時間ぐらい好きにさせてやりたいと思う気持ちと、それでもせめて教え方をどうにかして欲しいという気持ちがせめぎ合って今に至る。

 いつか誰かがなんとかしてくれるだろう。多分、恐らく、願わくば。

 ……こんな心持ちでいるから、いつまで経っても教え下手が直らないのだ、と言われるとぐうの音も出ないが。

 

「とにかく次だ。霧雨商店に行くぞ」

「ああ、あんたそこの店主と友人なんだっけ? 意外な縁よねえ」

「俺もあいつがあそこまで出世するとは思ってなかった」

 

 伽耶の父親は隠居生活に入り、今は勘助の霧雨商店と伽耶の弟たちの霧雨商店が二分しているような状態だ。

 正直なところ、信綱も独立した勘助がここまで商才を発揮するとは思っていなかった。意外なところに意外な才能が眠っているものである。

 彼の人徳の賜物だろう。商人という人間社会に密接した職業の関係上、人に好かれるというのは得難い資質となる。

 

「……ふふ」

「なに笑ってんのよ、気色悪い」

「酷いな。立派になった友人を誇らしく思っているだけなのに」

「あんたが言うと気持ち悪い」

「本当に酷いな……」

 

 狂人であることは認めるが、情緒も倫理観も人並みに備えているし、人道を大切なものだとも思っているのに。

 ……だからこそ、いざとなったら躊躇なくそれらを踏み越える狂気も浮き彫りになるのだが、本人は気づいていなかった。

 

 

 

「久しぶりだなあ。お前は最近忙しそうだから、あんまり声もかけられなかった」

 

 霧雨商店に到着すると、信綱と巫女は瞬く間に二階の部屋に通されて勘助からの歓待を受けていた。

 すでにお互い四十代。老年に差し掛かる二歩手前ぐらいの年齢だが、相変わらず勘助の笑顔は人懐っこさを感じさせるもの。

 寺子屋で培った友情が今なお続いている。そのことに信綱も頬を緩める。

 

「悪いな。阿弥様の幻想郷縁起の編纂が始まって以来、里の外に行くことが増えたんだ」

「それにお前がココと妖怪の間を取り持ってるようなもんだしな。やっぱお前はスゴイことをする奴だって、前々から思ってたんだよ」

「光栄だと思っておこう」

 

 阿弥を守っていたらいつの間にか、という面もあるが、それでも今の状況は信綱の意志が作り上げたものだ。

 

「それで巫女様はどういったご用件で?」

「あ、いや、私はこいつに引っ張られて来ただけで……ほら、早いところ本題に入りなさいよ」

 

 巫女は信綱が暇そうだからと連れてきただけなので、少々肩身が狭そうだった。

 済まない、と小さく謝罪してから信綱は話に入る。

 

「勘助、妖怪と人間が交流する区画を設けようという話、お前の耳には入っているはずだ」

「ああ、そうだな。まだお前みたいに人里そのものの方針を決める会合には出られないけど、耳にはしてる」

「時間の問題だろう。さておき、お前――そちらに出店するつもりはないか?」

「……おれはそういう話を耳にしたってだけで、詳しいことはまだ知らない。その辺も話してくれなきゃ判断はできねえ」

 

 旧交を温めていた勘助の顔が商売人としてのそれに変わる。

 その変貌に信綱は僅かに驚愕し、同時に安堵もする。二つ返事で受けられていたら、こちらが逆に不安になってしまう。

 信綱は会合でまとまりつつある話の内容と、それらに関しての問題点を包み隠さず話した。それをすることがせめてもの礼儀であり、誠意であると信じて。

 

「――というわけだ。これが最初の一歩になる以上、俺にもどんな問題が起こるか予測しきれていない」

「……おれらの対応次第じゃ、危ないかもしれないってことか」

「そうなる。最善は尽くすが、どうにもならない場面があるかもしれない」

「……どうしておれに頼もうと思ったんだ? 友達としてなら嬉しいけど、お前が頼めば動く人脈はいくらでもあるだろ?」

 

 勘助の言葉に首を振る。

 皆が求めているのは人里の英雄の頼みであって、火継信綱の頼みではない。

 自分の影響を自覚せざるを得ない立場にいる関係上、下手に頭を下げることがどんな結果になるかわからない。

 なにせ天狗と対等にやり合える武力の持ち主。それらしいことを少し匂わせるだけでも効果は絶大だ。

 だが――

 

「お前なら、俺の名を悪用しないと信じられる。俺の目で見て、頼れそうなのはお前しかいなかった」

 

 静かに告げて、信綱は頭を下げる。

 ハッキリ言って――信綱は自分の人を見る目を信じていなかった。初見の人や公式の場で会い続ける人々が善人か悪人かを見抜く目なんて持ち合わせていない。

 だからこそ彼は長期的に付き合って信頼に値するかを見る。信用も信頼も、時間が醸成してくれるものであると信じていた。

 そうして付き合って、最も信頼できる人間が勘助と伽耶の二人になる。ちなみに妖怪では椛がそれに当たる。

 

「……頭、上げてくれ。友達が頭下げてるのを見るのは、気分が悪い」

「返事を聞かせて欲しい。俺が頭を上げるかどうかはその後だ」

「受けるよ。これは美味しい話だ」

 

 信綱は若干信じられない思いを抱いて顔を上げる。

 勘助の顔には友人に頼られたから引き受けるのが少し。残りが商売人としての顔で信綱を見ていた。

 

「ノブがそんな顔をしたの、あの日以来だな」

 

 あの日とは自警団に入って間もない頃、二人が――いや、信綱が行った別れの宣告のようなものだ。今でもたまに引き合いに出されてしまう。

 そんな顔をしていたかと思い、しかめっ面に戻そうとする信綱を勘助は笑って説明のために口を開く。

 

「だってこの交流が上手く行けば、妖怪も商売相手になるんだろ? お客さんのことはいち早く知っておかないと商人失格だぜ」

「いや、失敗した場合の危険が大きいことは説明した――」

「――成功した時の利益は計り知れない。人里にとっても、おれにとっても。違うか?」

「それは、そうだが……」

 

 いや、何を言っているのだ自分は、と信綱は自分の言動を頭に片隅で疑問に思う。

 勘助は受けると言っているのだ。ならば自分はその好意を受け取り、尽力するだけだろう。なぜ彼の決意を鈍らせるような言動をしているのだ。

 

「……らしくないわよ、あんた」

 

 何を言うべきか迷っている信綱に、これまで聞き役に徹していた巫女が口を開いた。

 

「店主さんはやると言っていて、あんたはそうしてくれるようお願いした。だったら言うべきことなんて決まってるんじゃない?」

「……言われずともわかっている。勘助、ありがとう。お前が参加すると表明すれば、恐らく芋づる式に色々と参加してくれると睨んでいるんだ」

「そっか。おれはお前みたいに広い視野は持てねえ。だからそういうのはお前に任せるよ。おれはおれで上手く行くよう頑張るからさ」

 

 勘助の言葉に力強くうなずき、信綱の返答とした。

 勘助は自己と任された店の利益に関して鋭く、信綱はそれらの動きを含めて幻想郷の各勢力や人里内での動きなどを見ることができる。

 どちらも見る場所が違い、どちらも失ってはならないものだ。

 

「話は終わりか? じゃあ久しぶりに話そうぜ!」

 

 そうして話がまとまれば、後は友人同士の付き合いである。態度が砕けたものに変わり、信綱もまた頬を緩める。

 巫女が話に入りづらそうだが、意外とコロコロ変化する信綱の表情を見ているだけでも面白く、二人とも話題は提供してくれるため居心地が悪いとは感じていなかった。

 

「ふむ……弥助はどうした? 見ていないが」

「んー……なんか修行する! とか言って里の中駆けずり回ってるよ。英雄様がいる時代に生まれたからなあ。強い男ってのはいつだって憧れの対象なんだろう」

「なんだ、今度俺が稽古でも付けて――」

「やめなさい。やめなさい本当に」

「っ!? 何をする!」

 

 横にいる巫女に耳を引っ張られて言葉が途切れる。

 信綱は耳の痛みや、巫女がいきなりそんな行動に出てきたことに目を白黒させてしまう。

 

「いい加減学びなさいよ。あんたの稽古はいつか人が死ぬ」

「やってみなければわからな――わかった! やめるから耳を離せ! ちぎれる!」

 

 誰だって蓋を開けてみるまで才能というのはわからない。もしかしたら弥助が自分を凌ぐ多大な資質を示す可能性もあるのだ。

 という信綱の持論を巫女は耳を引っ張る指に力を込めて無視する。

 そんな二人の様子を勘助は朗らかに笑いながら眺めており、信綱の助けろよという視線も全く気にしない。

 

「ははは! 二人ともずいぶん仲が良いな! いつの間にそうなったんだ?」

「こいつが隠れ家に私の神社を使ってくるのよ。腐れ縁みたいなもの」

「そんなところだ。……なんだ、勘助。その目は」

「いやいや別にー?」

 

 うわ腹立つ。それが信綱の率直な感想だった。

 自分にはわかっているんだぜ、みたいな顔をされて生暖かい目を向けられるとものすごく苛立つ。

 

「うん、あれだよノブくん。相手からの好意にはちゃんと応えないと駄目だぞ?」

「伽耶の側から婚姻申し込みされたキサマにだけは言われたくないわ」

「あ、おまっ、それは卑怯だろ!?」

 

 寺子屋時代からの好意に成人し、結婚を申し込まれるまで全く気づかなかった男に言われたくない。

 身も蓋もないことを言うと勘助が痛いところを突かれたとうめき、また笑い始める。

 信綱と巫女もそれに釣られて笑い始めてしまう。

 

「あら、二人と巫女様、まだ話してたの?」

「邪魔してるぞ、伽耶」

「伽耶もこっち来いよ! 巫女様も加えて話そうぜ!」

「……二人とも、邪魔にならないかしら?」

「俺は歓迎するよ。お前は?」

「一人や二人増えても変わらないわ。それに――あんたたち三人を見ているのも楽しいもんよ」

 

 狂人だけど悪い男ではない。そんな認識だった信綱だが、彼にも人並みに笑うことがあり、友人に冗談を言うこともある。

 そんな当たり前の姿を見られたことが巫女には不思議と嬉しかった。同じ人間であることが実感できた気がしたのだ。

 こうして話している分には、仲の良い友人同士で戯れているようにしか見えない。

 お互いに歳を取り立場も全く違うものになれど、友情は不変。その姿が巫女には眩しい。

 まるで――自分もこの中に入っているように感じられたのだ。

 

 そうして、四人は日が暮れて夜になっても楽しそうに話を続けていくのであった。




もはや自分に匹敵する後継者を探すより、そんな後継者の必要ない幻想郷を作った方が楽なんじゃね? と思いつつあるノッブ。手段と目的が逆転してる? その通りです。

なんだかんだ巫女とは仲が良いです。ちなみにこの二人、人里で噂が立ってますがどっちも気づいてません。

そしてノッブの友好度は付き合いの長さに比例します。付き合いが長く、ノッブに対して不利益なことをしなければ徐々に上がっていく仕様。途中でやらかしたら? 好感度ゼロになるどころか命がゼロになります(具体例:椿)
この法則に従い、幼年からの付き合いである勘助と伽耶の二人は信用も信頼もしています。あと椛と意外ですが橙も。

なお妖怪相手だと表には出さない模様。

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