阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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一時の休息

「やっと家に帰ってこれたー! 長かったー!」

 

 阿弥は家の前に立つと、大きく伸びをして身体の疲れをほぐす。

 そして信綱の方を振り返り満面の笑みを向けてくる。

 

「父さんのおかげね! 天魔様や文様から聞いたの! 父さんがすっごい頑張ったって!」

「お褒めに与り光栄です。ですが阿弥様を泣かせてしまい、本当に申し訳ないと……」

 

 椛の家に戻った時、返り血を浴びて服が破けた信綱の姿を見て、阿弥が泣き出してしまったのだ。

 何も知らない人が見れば、それは胸が抉られて重傷のようにしか映らないだろう。

 無傷で戻ってきたにも関わらず泣かれてしまい、信綱はかつてないほどに動揺したものだ。

 横で見ていて、信綱のそれが傷じゃないことに気づいた椛が大笑いしてしまうほどに。

 

 ちなみに信綱は阿弥を心配させたことを詫びようと腹を切ろうとして二人に止められた。

 

「いいよ。あれだって私が勘違いしちゃったのが悪いんだし、父さんは気にしないで」

「……いえ、阿弥様にご心配をおかけしてしまったことは事実です」

「真面目だなあ、父さんは」

 

 口でそう言いながらも、阿弥の顔は穏やかに笑っている。

 信綱に向かって両手を伸ばすと、それを察した信綱が屈んで阿弥と視線を合わせてくる。

 椛から聞いた話では信綱は無愛想でしかめっ面ばかりの人間だそうだが、阿弥には信じられなかった。

 自分といる時の彼はいつも優しく微笑んでいるのだ。何かの冗談とすら思ったほどだ。

 

 そんな父親代わりの人の額をぺちん、と軽く叩く。

 目を丸くしてこちらを見る信綱が少しおかしくて、また笑ってしまう。

 

「じゃあ、今ので罰は終わり」

「え……」

 

 呆けた顔をする信綱に抱きついて、阿弥は静かに語る。

 

「私ね、父さ――信綱さんにはすごく感謝してるの。私が言った無茶苦茶なお願いを守ってくれたこともそうだけど、何より阿夢の悲しみを払ってくれた」

「阿弥様……」

「だからありがとう、信綱さん。あなたが私の側仕えで良かった」

「……恐悦至極にございます」

 

 言葉少なに信綱の腕が阿弥の背に回される。

 阿弥は胸を貫く感情を持て余しながらも、それでも今がこの上なく幸福であることを噛み締める。

 もう危険な場所に行く信綱を心配することはあっても、不安に思うことはないだろう。

 彼はこの上なく、自らの力量を示して見せたのだから――

 

 

 

 

 

 振り抜かれた刀を、天魔は避けなかった。

 

「ちょ、天魔様……!?」

「手ェ出すな、文」

 

 異様に気づいた文が信綱と天魔の間に入ろうとするが、天魔がそれを目で制する。

 刃が通った胸から血が吹き出す。

 切り口は浅いものの、あと半歩信綱が踏み込んでいれば心の臓に届いていた。今さら心臓だけが潰されたところで大差はないが。

 

「……避けないのか」

 

 信綱は僅かに興味を持ったように、目に好奇の光を灯す。

 天魔はそれに内心で安堵する。まだ完全に敵と認識されていないか、あるいは話す価値があると思われているということだ。

 大天狗を無傷で殺した人間が相手。すぐに治る胸の傷程度で対話の姿勢が作れるなら、安いものである。

 

「お前さんの口から聞きたいんだよ。どうしてオレが人間の敵であるか。慮外の事件で迷惑はかけたが、お前さんらと敵対するつもりはないって再三言ってるつもりだ」

「よく言う。敵対するつもりはなくとも、巻き込むつもりはあっただろう」

「……どうしてそう思う?」

「文が話していた俺が動くという予想。そもそもお前が言っていたここまで不満が溜まっているとは見抜けなかった、という言葉。

 ……不満がある程度溜まっていることがわかっていたなら、俺と阿弥様の来訪が起爆剤になることぐらいお前なら読めていただろう」

 

 他にも色々と理由はあるが、信綱としては阿弥を危険に晒した時点で殺しても良いと思っていた。

 信綱の言葉を聞いた天魔は静かに息を吐く。そして顔を上げると信綱に説明をしていく。

 

「評価してもらえて光栄の至りと言っておこうか。そっちまで危険に晒してしまったことは謝罪する。面目次第もない。……何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうし、繰り言はよそう。お前さんはオレをどうしたい?」

「ああ?」

「そちらの言い分を聞くと言っているんだ。とはいえ、オレの首を所望するならそれなりのものはもらうがね」

「…………」

 

 信綱は剣を天魔に突きつけたまま、無言で思考する。

 阿弥に危険が迫る可能性を予見しながら放置した、という理由で見れば殺しても良い。

 だが、殺した後の天狗がどうなるか読めない。ひょっとしたら何かの間違いか支配派が実権を握り、人里に攻めてくるかもしれない。

 そうなっても天魔がいない天狗なら返り討ちにできるだろう。大天狗を倒した時に確信が持てた。

 ……と言っても、あくまで信綱が阿弥を守り抜く分にはどうにかなるというだけだ。人里は壊滅的な被害をうけるだろう。

 

 人里が機能を果たさなくなれば阿弥を守るどころの話ではない。それに天魔自身は信綱の推測を否定しないが、肯定もしていない。

 今、怒りに任せて彼を殺した場合、文含めた全ての天狗を敵に回すことになる。それは非常に骨の折れる道になるし、命も危うい。

 

「……誓え。二度と御阿礼の子を危険に晒さないことを。破ったら今度こそ、いかなる障害があろうとお前を殺す……!」

 

 腸が煮えくり返る心地とはこのことか。信綱は憤怒を一息で抑え込み、刀を収める。

 

「わかった。オレの目が黒いうちは天狗たちに御阿礼の子は襲わせない。約束しよう」

「なら良い。……俺は阿弥様の元に戻る」

「文に送らせるか?」

「あいにく、痛い腹は探られたくない。話し合いはまた後日」

「そうだな。落ち着いたら今度はお前さんだけ呼ぼう。それなら良いだろ?」

 

 今は早く阿弥の顔が見たかった。信綱は適当にうなずいて天魔の横を通り抜ける。

 その際、耳元で微かな声が聞こえてくる。

 

「――どんな手品使ってここまで辿り着いた?」

「――さてな。これでも顔は広いんだ」

 

 天魔のつぶやきに、そう返して今度こそ椛の家へ戻るのであった。

 

 

 

 そうして戻った信綱だったが、帰って来て早々に阿弥を泣かせてしまう。

 

「ただ今戻りました、阿弥様」

「あ、信綱さん――えっ!? そ、その傷……」

 

 顔面を蒼白にし、震える指先が信綱の胸元の汚れに向けられる。

 見下ろしても傷自体はない。それに首を傾げようとして、阿弥の恐怖に思い当たる。

 

「いえ、こちらは返り血を浴びただけで私は無傷――」

「死んじゃう……信綱さん、私のお願いで死んじゃう……」

 

 阿弥は震える口を手で覆い、ボロボロと涙を零して後ずさる。

 これは不味いと察するが、抱き締めるわけにもいかない。血が付いた胸を押し付けて、余計に錯乱しかねない。

 阿弥の泣き顔を見てしまったことも相まって、信綱はかつてないほどに慌てていた。

 手を所在なさ気に動かして、椛を呼ぶことすら忘れてあー、とかえー、とか言葉にならない声を出すばかり。

 何事かとやってきた椛が信綱の胸元は返り血であることを見抜くまで、この奇妙な行き違いは続くのであった。

 

「あはははは……! 君もこんなうっかりをするんですね!」

「黙れ笑うな殴るぞ」

「う、うぅ……」

 

 お腹を抱えて目尻に涙すら浮かべて笑う椛。いつも隙を見せない信綱があんなに慌てている様を見られたのだ。笑わねば嘘というものである。

 自分でも情けない対応をしたという自覚があるのか、信綱も憮然とした顔のまま椛に手は上げない。

 阿弥は信綱の隣で羞恥に赤くなって縮こまっていた。もう穴があったら入りたいくらいといった様子である。

 

「まさかそんな大事なことを忘れておくなんて……あはははは痛ぁっ!?」

「殴るぞ」

「殴ってから言わないでください!」

 

 とりあえずうるさい椛を黙らせて、信綱は申し訳なさそうに阿弥を見やる。

 

「本当に申し訳ありません。なんとお侘びをしたら良いか……」

「あ、ううん。父さんが悪いんじゃないよ――」

「そうだ、腹を切りましょう。侘びにもなりませんがお受取りください」

『やめて!?』

 

 信綱が笑いながら刀を抜いた辺りで本気だと気づいたのか、阿弥と椛が信綱の身体に組み付いて来た。

 

「いけませんか?」

「そんな心底から不思議そうな顔しないでください!?」

「父さんが死んじゃったら今より泣いちゃうよ!?」

 

 椛の説得はともかく、阿弥の言葉には素直にうなずく信綱。気を取り直して阿弥と目を合わせる。

 阿弥は自身の胸元に手を当てると、感極まったように涙を堪える。

 

「……無事で良かった」

「阿弥様のお願いですから、必ず叶えますよ」

 

 しばし微笑みを交わし合う二人だった。今は返り血で汚れているため、信綱は阿弥を抱きしめることはしなかったが。

 そうして阿弥と心を通わせた後、信綱は椛の方に向き直る。

 

「終わらせてきた」

「それは見ればわかります。君は一度言ったことを翻すことはあっても、諦めることはありませんから」

 

 こうと決めたら余程のことがない限り成し遂げる。それが火継信綱という人間であると、椛は子供の頃から知っていた。

 その意志の強さが彼をここまで到達させ、椿を殺すことにもつながった。

 

「それと一応落とすのは最小限に留めた。難しいかと思ったが、意外とそうでもなかった」

「烏天狗の囲いを無傷で無力化とか君ぐらいしかできない芸当ですよ……」

「私のお願いもやり遂げるし……父さん、スゴイね」

「過分なお言葉です」

 

 阿弥は純粋に褒めているが、椛は別に褒めていない。

 この人間に関しては驚くだけ損だ。それでも引くことはあるが。

 

「あと、大天狗の邸宅で天魔と話してきた」

「あ、天魔様と合流できたの? 無事だった?」

「ピンピンしていましたよ。こんな騒動になってしまったことを謝っていました」

 

 ちょっと斬りつけたが些細なことである。話している間に傷も治っていたのだ、問題はない。

 後日改めて話し合うことになったので、今日のところは帰ることも伝える信綱。

 

「そっか……じゃあどうやって帰ろうか?」

「でしたら私が案内しますよ。阿弥ちゃんを抱えるぐらいは軽いです」

「良いんですか、椛姉さん!」

 

 どう帰ったものか思案していた阿弥の顔が喜色に染まる。

 それ自体は喜ばしいが、信綱は聞き捨てならない言葉があったので思わず聞き返してしまう。

 

「姉さん?」

「うん。信綱さんが外に出ていた時に、相談に乗ってもらったの」

「む、相談でしたら私がいくらでも――」

「だーめ、こればっかりは同じ女の子じゃないとわからないわ」

「女の子……?」

 

 阿弥はともかく、椛は女の子と言える年齢だろうか。

 首を傾げて椛を見ていると、椛は視線の意味に気づいたのか頬を膨らませて怒り出す。

 

「あ、君! そういうのは女の子の機嫌を悪くするって教えたでしょう! 主に私の!」

「いや事実だろう」

 

 別に椛の機嫌が悪くなることはどうでも良い。この程度で付き合いが揺らぐような浅い関係ではない。

 しかし阿弥が椛にしか相談できないとはどうしたことか。信綱は不安になりながら阿弥に尋ねる。

 

「本当に私では駄目なのですか?」

「……うん。あ、信綱さんが信じられないってわけじゃないの。ただ、信綱さんに知られたくないっていうか、私もまだ良くわかっていないというか……」

「要するに、乙女の事情というやつです。男子禁制の領域です」

「…………」

「心配しなくても悪いことじゃないのは保証しますよ。さすがに聞かせるわけにはいきませんが」

 

 そこまでして自分に聞かせたくない情報など何があるのか。全く思い当たらず、信綱は首を傾げるしかないのであった。

 

「……まあ良い。気にはなるが、お前なら大丈夫だろう。一応、バレない配慮もしておいた。どこまで効果があるかは保証できんが」

「あー……大天狗様を討った君としがない白狼天狗の私が知り合いだなんて天魔様も考えないでしょうね……」

 

 椛が目をかけた少年がここまでの傑物だとは予想もしなかった。大天狗を無傷で殺し切るなど、人間の歴史を紐解いても数人いるかいないかと言った領域である。

 そんな存在に対して、自分は未だ烏天狗とは天と地ほどの差がある白狼天狗。差を感じてしまうのも無理はなかった。

 自分のことながら凹んでしまう、と椛は顔に手を当てて苦笑いをする。

 

「俺も友人は選ぶ。胸を張る必要はないが、卑下することもない。お前がいてくれてよかったと思ったことは何度もある」

 

 椛に対し、信綱は憮然とした顔で告げる。相変わらず彼女は変な方向で落ち込み始めるが、信綱にしてみれば的外れも良いところなのだ。

 大方、信綱と自身の間にある差に劣等感が刺激されたとかそんな感じだろう。実にどうでも良い。

 椛と自分。比べてみれば椛の方が優れていると思っているくらいだ。

 身体の再生含めた身体能力も、千里を見渡す能力も、阿弥に秘密の相談を持ちかけられるその人柄も。どれもうらやましくて仕方がない。主に最後のやつが。

 

「えっと……なんて反応すれば良いんでしょうね。君にそう言ってもらえるとは思いませんでした」

「とにかく!」

 

 落ち込んだ顔から一転して、頬をかいて視線を信綱から逸らしながら照れる椛に、自分も恥ずかしいことを言ってしまったと思った信綱は強引に話題を終わらせようとする。

 そんな二人の姿を阿弥は何か言いたげな顔で見ているが、二人とも気づかない。

 

「――ありがとう。お前のおかげで助かった」

「――どういたしまして。君の方こそ、無事で何よりです」

 

 

 

 

 

「父さんは椛姉さんと長い付き合いなんだよね?」

「ええ、弥助の父母と同じ時期には知り合ってました」

 

 阿弥の私室にて、阿弥は信綱の膝の上に座って話を聞いていた。

 一応、座布団の上に座るようやんわり注意はしているのだが、あまり聞き入れてくれる様子はない。

 

「そっか……。でも、父さんの小さな頃のお話、いっぱい聞いちゃった!」

「私の子供の頃など、あまり面白いものでもないでしょうに」

 

 本当に。阿七の側仕えの時以外はほとんど修行に次ぐ修行だった記憶しかない。

 身体もできておらず技量も未熟。そんな子供に何が守れるものかと躍起になって身体を鍛えていた時代だ。

 今も鍛錬は怠っておらず、むしろ密度が濃くなっているが、それ以外にも時間を取られることが増えてきている。

 そんな信綱に、阿弥は首を横に振る。

 

「ううん、父さんの色々なことが知れて楽しいよ?」

「……そんなものでしょうか」

 

 阿弥の嗜好がよくわからなくなる信綱だった。こんな男のことを知って何が楽しいのか。

 波乱万丈の人生を送っている自覚はあるが、自分自身に対する評価はあくまで阿礼狂いであるというだけだった。英雄として取り繕っているのは仮面であるため、そちらの評価はしたことがなかった。

 

「それにレミリアさんとも仲が良いんだね。紅魔館に取材に行った時に教えてくれれば良かったのに」

「あれは向こうが一方的に来るだけです。私は友人だと思っておりません」

「あ、ひどい。レミリアさんが聞いたら泣いちゃうよ?」

「むしろ喜びますよ」

 

 あれは信綱が阿礼狂いとして在ることを望んでいるフシがある。

 自分の手が届かないと認めたものが、今もまだ遠い場所にあるのか確かめているのだ。

 レミリアの手で掴めるほど信綱が阿礼狂いとしての純度を落としたら――その時は、彼女の手にかかって死ぬのだろう。

 そのようなことを考えながら、信綱は阿弥と共に山を降りたことを思い出す。

 

 

 

 

 

「やっほー、お二人さん」

「あんた、本当に天狗の里に行ってたのね……」

 

 椛に途中まで案内してもらいながら、阿弥と一緒に山を降りて麓のところまで来た時だ。

 これ以上は人里の領域であるとして椛と別れ、人里までもうすぐといったところで、二人を呼び止める声が聞こえてきたのだ。

 抱き抱えられたくないと阿弥が言い出したため、信綱は阿弥の手をつなぎながら最低限の警戒をして声のした方へ顔を向ける。

 

「お帰りー。天狗の里はどうだった? お土産はある?」

 

 折り重なって倒れている天狗の背に腰掛けて日傘を差すレミリアと――

 

「あんたの周りは異変並の騒動だらけね……。ある程度の話はレミリアから聞いたわ」

 

 呼んだ覚えのない博麗の巫女が、倒れる天狗たちを結界で封じ込めていた。

 信綱は倒れる天狗の姿を見て、納得したように首肯する。

 

「やはり人里にも向けていたか。転ばぬ先の杖が功を奏するとは」

「なかなか楽しかったわよ。雑兵ばっかだけど、久しぶりのストレッチぐらいにはなったわ」

「で、私は妖怪同士がドンパチしてると聞いて駆けつけたわけ」

 

 ここは人里からもそう遠くない場所だ。確かに誰かが見つけて博麗の巫女に教えることは起こり得た。

 信綱は得心してうなずき、力を使い果たして倒れる天狗に視線を向ける。

 

「一応殺さないでおいたわ。どうする?」

「……解放してやれ。天魔に後で恩を着せる」

「良いの? 人里を襲おうとしたのに?」

「また人里を襲うならその時は俺が討つだけだ。今さら烏天狗の雑兵ごとき、相手にもならん」

 

 大言でないことは、大天狗を殺したことを知らないレミリアと巫女にもわかった。

 そうして解放……というより、結界ごと一纏めになったそれをレミリアが妖怪の山の方角へ思いっきりぶん投げ、人里を襲おうとした天狗は姿を消すことになる。

 それを見送った後、今度は巫女が信綱に詰め寄ってくる。

 

「で、説明してもらおうかしら。どうして私に頼まなかったのよ」

「妄想一歩手前の推測だった。そんなあやふやなものでお前は動かせないだろう」

「うぐ……」

 

 幻想郷の調停者であり、異変の解決者が博麗の巫女だ。言い換えれば、異変が起こるまでは動かないということだ。

 事件が起こってから動くのではなく、事件が起こる前に動けるのは信綱やレミリアといった、幻想郷での役割を課せられていない者の特権である。

 

「実際、無駄足になる可能性の方が高かった。そうであったらどんなに良かったか……」

「んふふー。おじさま、褒めて褒めてー」

 

 童女のようにちょろちょろ信綱の周りを動くレミリアに、感謝の気持ちを込めた鉄拳をくれてやる。

 ドゴン、と重いものがぶつかる良い音がした。きっと気持ちも伝わったことだろう。

 

「助かったよアリガトウ」

「うぐぐ、愛が痛い……」

「相変わらずレミリアにキツイわね……」

 

 起こした異変を考えればまだ優しくしている方だと思う信綱だったが阿弥の手前、口には出さなかった。

 頭を抱えてうずくまるレミリアを他所に信綱は巫女の方に向き直り、事情を説明していく。

 主目的は阿弥の幻想郷縁起の取材であり、そのついでに信綱と天魔が人里と天狗の里との付き合い方を考える会合がある……予定が、天狗の里で起きた騒動によってウヤムヤになってしまい今に至る、と。

 

 騒動の内容や信綱がそれに首を突っ込んで大天狗を殺し、騒動を終わらせたなどの部分は省略する。もう終わったことであり、巫女が知る必要性は感じなかった。

 説明を終えると、ものすごく同情的な視線を巫女から向けられてしまう。

 

「……霧の異変の時と言い、あんたって色んな妖怪に目をつけられてるわよね」

「いい迷惑だ。俺は阿弥様の側にいたいだけなのに」

「ふぇっ!?」

 

 三人の話の聞き役に徹していた阿弥が素っ頓狂な声を上げ、その顔がみるみるうちに赤く染まっていく。

 

「阿弥様、どうかされましたか?」

「の、のの信綱さん、それってどういう……」

「どういうも何も、言葉通りの意味ですよ?」

 

 彼女のために生き、彼女のために死ぬ。ただそれができれば他に望むことなど何もない。

 それが愛なのかと問われればうなずくが、彼ら阿礼狂いの感情は俗人の言うそれとはズレている。

 ぶっちゃけてしまうと真に受けるだけ損である。

 

「あー……阿弥ちゃん、だったっけ。こいつ、意識してかどうかは知らないけど、こういうの真顔で言ってくるわよ。あまり真面目に受け取らない方が良いわ」

 

 顔を真赤にして慌てる阿弥を見かねたのか、巫女がそんなことを言ってくる。

 

「失敬な。俺はいつも大真面目だぞ」

「だからタチが悪いのよ……」

「おじさま、私にもちょっとくらいそういうの……」

「まだいたのか、もう帰っていいぞ」

「本当にひどいわねおじさま!?」

 

 レミリアを適当にあしらいつつ、信綱は阿弥の手を取る。このままここにいては面倒なことになる未来しか見えない。

 話が終わることがわかったのか、レミリアは日傘を片手に紅魔館への道に身体を向け、博麗の巫女も自身の神社に戻ろうとする。

 

「それじゃおじさま。あなたの運命に安寧は似合わないわ。次はもっと楽しい遊びに私を呼んで頂戴。あともう少し女心を学んで」

「私も戻るわ。あんたといると退屈はしなさそうだし、これからも頑張んなさいよ。あと少し女心を学べ」

 

 信綱が何か言い返す前に二人は自分たちの家に帰ってしまう。

 若い頃から椛にもそう言われ、中年となった今でもそう言われることには不可解の一言である。他人の機微には敏いつもりなのだが。

 手をつなぐ阿弥を見て、信綱は首を傾げる。

 

「……阿弥様、私は女心というやつがわからないのでしょうか」

「あ、あはははは……信綱さんは男の人なんだし、わからなくてもいいんじゃない?」

 

 乾いた笑いを上げながらの言葉だったが、信綱は素直に首肯する。基本的に御阿礼の子の言うことは全肯定である。

 だったら戻りましょう、と信綱は山道を歩いていた時と同じように、阿弥の手を引いて歩き出すのであった。

 阿弥が嬉しそうにこちらの手を握り返してきたことが、山道を歩いていた時とは違うことだった。

 

 

 

 

 

「……信綱さんって女の人の知り合いが多いよね」

 

 天狗の里から戻った時のことを思い返して、なぜか頬を少し膨らませた阿弥がこちらをじっとりとした目で見つめてくる。

 そんな目で見られる理由に心当たりなどこれっぽっちもない信綱は、特に気にした様子もなく阿弥の言葉に答える。

 

「妖怪に女が多いだけかと。人里の中では普通に男の友人もいますよ」

 

 有事の際の戦力として、自警団の人間とはそれなりに付き合いが深い。

 成人したばかりの少年少女たちの顔見せみたいな面は相変わらずなので、その部分を壊さずに妖怪たちと接するにはどうしたものかと頭を悩ませてもいる。

 

「そういえば昔っから妖怪って女の人が多かったような気が……。昔の記憶を辿ってみても、あんまり男らしい妖怪って覚えがないかも」

「でしょう。阿弥様こそどうされたのですか? 椛に変なことでも吹き込まれましたか?」

「ち、違うよ! ただちょっと、私って信綱さんのことを何も知らないなって思っただけ」

「私のこと、ですか? 大して面白いものでもありませんよ」

 

 阿弥の少ない時間を消費するに値するものだとは思えなかった。

 

「うん。椛姉さんからも聞いたけど、やっぱり信綱さんの口から聞いてみたい。阿七がいなくなった後に何をしていたのか。どんなものが好きで、何を思って生きているのか。私に教えて?」

「ふむ……」

 

 あなたのことしか考えていません、と言ったら多分怒られるだろう。

 さて、割りと面白い話には事欠かない人生だが、どれを阿弥が好むのかまではわからない。

 ……が、それを互いに知っていくことを阿弥は楽しんでいるはずだ。

 

「そうですね、では妖怪の山であった話などを……」

「……信綱さん、そんなに妖怪の山に通っていたの? 一人で? 阿七の時から?」

「…………」

 

 話を始める前に、妖怪の山という危ない場所を小さな頃から修行場にしていることはともかく、遊び場にまでしていたなんてとんでもない、とお説教をもらう羽目になったのはここだけの話である。




ということで天狗の里での騒動は終結です。細かい部分は後の話で適当に端折ったり端折らなかったり。
ちなみに阿弥のノッブへの呼び方が安定していないのは理由があります。もうちょい引っ張る予定なので、あまり詳しくは言えませんが一応。

ここからしばらくはのんびりタイムが続きます。そろそろ人里の面子とかも出したいし、妖怪の絡まないお話も書いていきたい。
のんびりタイムが終わったら? ノッブがまた修羅場に放り込まれるだけです。是非もないネ!

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