阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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天狗の事情と阿弥の悩み

 信綱が自分に群がってくる天狗を相手に大暴れをしている頃、天魔と文は共存派の指揮を取りながら話し合っていた。

 

「申し訳ありません、あの二人を見失ってしまい……」

「過ぎたことを言っても始まらん。それにあの男は生き残るだけなら容易にこなすだろうさ。今さら並の天狗が束になっても傷一つ付けられん」

「それは過大評価なんじゃ……」

「ん、そうか。お前は気づいてなかったか」

 

 文の前で見せた信綱の武芸は天狗を無力化したことだけ。

 あの手並みには凄まじいものがあるが、それだけだ。霊力の扱いも素人っぽい彼がそこまでやるとは思えなかった。

 しかしそれを天魔は否定する。

 

「あの時、奴は一瞬だけオレに殺意を向けた。まあ向こうからすりゃ信用できないのはオレも支配派も大差ないだろうし、天狗が入ってきた瞬間にどっちを狙うかなんてわからんしな」

 

 本当に一瞬だったため、天魔も最初は襲撃してきた天狗の殺気だと勘違いしてしまったほどだ。

 だが、天魔でさえ体内の妖力を溜めて咄嗟の守りを考えるほどの殺意を放つ存在など、天狗の中にはほとんどいない。長い付き合いだけあって、そんな殺意が出せる相手は全て顔も名前も覚えている。

 つまり、あの殺意が出せる存在に当てはまるのは信綱しかいないわけで。

 その時に確信したのだ。この男こそ歴史が選んだ人間の英雄なのだ、と。それまでは概ね信じていたが、どこか迷うところがあった。

 

「オレが守りを考えたのは久しぶりだ。あんな殺意が出せて実戦で弱いなんて見たことねえ。まあ、死んだら死んだで使い道もあるが……」

 

 生きててもらった方が高い利用価値がある。死人の価値は存外に早く劣化するのだ。

 それに天魔も天狗の端くれ。強い人間には興味があるし、叶うならその武技を味わってみたいとも思う。

 天狗の長が何をと言うかもしれないが、ある種妖怪の性なのだこれは。

 その点で言うと、そういった性を持たない妖怪こそ今後の幻想郷に必要とされるのかもしれない。

 あの人間に対しても普通に付き合い、普通に仲良くなっていける、そんな存在が。

 

「……文、自分の失態だと思っているなら武者働きで返せ。お前さんは昔っから捉えどころがないように振る舞おうとして失敗するんだ。いい加減学べ」

「う、うるさいですよ! 良いじゃないですか格好良いんですから!!」

「失敗してりゃ世話ないっての。良いから行って来い。んで、あの二人を探すのも並行しろ」

「わかりました。見つけたらどうしましょう?」

 

 向こうが気づいている情報次第になる。文から信綱たちだけを狙った天狗がいたことは聞いているので、支配派の大天狗が信綱に私怨を向けているのはすぐにわかった。

 問題はそれを信綱が理解しているかだ。御阿礼の子が眠っている時に話した印象から見れば、決して頭が悪いとは思えないが、自分たちを狙う天狗の存在だけでそこまで読み取れるとは思わない。純粋に持っている情報量が違う。

 

「……向こうの意向に従え。逃げるんなら助力、戦うにしても助力。向こうもオレたちに対する信用はないだろうし、行動で示してこい」

「はいはい! では、最速の天狗の足をお見せしちゃいますよー!!」

 

 そう言ってあっという間に天魔の視界から消えていく。その速度だけは相変わらず目を見張るものがある。

 あの白くて綺麗な足に負けない要領の良さがあればとしみじみ思う天魔。根っこの部分が常識的と言うか、真面目だから妙なところで失敗したり、変に気に病むのだ。

 だからこそ信頼しているのだが。自分に対する忠誠を疑わなくて良い分、彼女は良い部下だ。

 

「さぁて、あの旦那はどう動くか……」

 

 支配派が何か行動を起こしてくるまでは読んでいた。つまり、御阿礼の子と阿礼狂いが巻き込まれることも想定の範囲内だった。

 少々騒ぎの規模が大きくなってしまったのは予想外だが、逆にここを制すれば支配派の力は皆無になるだろう。乾坤一擲の大勝負である以上、勝てば得られるものも大きい。

 趨勢もすでに決しかけている。故に天魔が考えるべきことはこの後に控えるであろう信綱との対話と、その反応だ。

 

 御阿礼の子にも危険が及んだ以上、信綱が何もしないとは思えない。それに逃げ切れないと判断すれば反撃してくる可能性もあるだろう。

 いや、妖怪の山の地理にも疎いはずだ。それならむしろ逃げずに自分たちと一緒にいた方が身を守りやすい――

 

「ああ?」

 

 疑問が浮かぶ。

 そうだ、あの時は自分が襲撃してきた天狗を一喝で吹き飛ばした力量を見せた。

 文に逃走を手伝うようにも指示した。少なくとも敵対するつもりがないことも示せたつもりだ。なのにどうしてためらわずに逃亡を選択した?

 

 信用できないだけなら良い。文に掴まって撃ち落とされる懸念もしていたし、あり得ない線ではない。

 だが、彼が自分で逃げ切れると思っていたとしたら――前提が違ってくる。

 

「そういや文に掴まらないことを選んだ時、逃げやすい道を聞かなかったな……」

 

 高いところから落ちたら人間には為す術がない。尤もな話だ。だったら文を使わない逃げ道を聞いておくべきだろう。

 今のようにはぐれる可能性に思い至らなかったわけでもないはず。

 別々に逃げる場合、それぞれが逃げ道を知っていることが前提になる。なのに向こうは聞いてこなかった。天狗の里の土地勘などあるはずもないのに。

 

「……知っていたとしたら、どこから仕入れた?」

 

 だが、信綱があらかじめ知っていたとすれば不自然ではない。その場合考えるべきは信綱に情報を渡した天狗が誰か、だ。

 そこまで考えて、天魔は背筋に嫌な寒気が走るのを自覚する。

 

 この考えが当たっている場合――信綱が持つ情報量が一気に読めなくなる。さすがに大天狗の存在にまで気づくとは思えないが、天魔が支配派の動きを意図して静観していたところまで読まれると、一気に危うくなる。

 

「椿を殺した時点で別の天狗の存在を考えるべきだったか……」

 

 そもそも椿は信綱にご執心だったと聞く。ならば彼女の周辺にいた天狗も信綱と知り合っている可能性もあったはずだ。

 誰だ? 一体どの烏天狗(・・・)だ?

 

「本当、楽しませてくれる……!!」

 

 ここまで頭を悩ませる状況というのは実に久方ぶりだ。

 天魔は行動が読めない信綱に、苛立ちと感心を等分に混ぜた感想を抱くのであった。

 

 

 

 

 

 天狗の内乱とも言うべきそれが始まった時、実はそちらに向かわなかった者たちがいる。

 大天狗の密命を受けて動く者たちだ。彼らはそれぞれの使命を帯びて、事にあたっていた。

 一つ――天魔と話している男を殺せ。

 一つ――人里を襲い、妖怪の恐ろしさを思い知らせてやれ。

 

 前者はさておき後者は行ったが最後、帰ってこれないことが確実の役目だった。

 なにせ人里の存続は妖怪にとっても至上命題だ。彼らが滅びることになれば、それこそ妖怪は死に絶えてしまう。

 故に博麗の巫女がいる。人の価値を見失った妖怪を討ち、妖怪を忘れる人々を諭す、そんな役目の存在が。

 が、彼女が動くのは事件があってから。妖怪に人間が襲われるのを予防しては、妖怪が人間に忘れ去られてしまうのだから、彼女は何かあるまで動くことができない。

 

 信綱が注目を集めるのもこの辺りが理由だ。近接戦闘に限定すれば大妖怪とすら渡り合える隔絶した力量の持ち主が、博麗の巫女のように後手に回ることなく動くことができる。

 八雲紫ですら予想し得なかった存在。幻想が終焉を迎えつつある現代に生まれ落ちてしまった、天然物の妖怪を滅ぼす人間だ。

 閑話休題。

 

 さすがに人里を襲えば博麗の巫女もすぐに気づいて動き出すだろう。人里を襲う使命を受けた天狗も博麗の巫女には手を出さないよう厳命されていた。

 彼女が死んだら博麗大結界に影響が出て、妖怪たちが甚大な被害を被ることになる。妖怪の勢力復権のための行動で、妖怪たちが致命傷を負うのは笑えない。

 故に博麗の巫女が来た時点で天狗たちの命はない。だが、その行動は決して無為になることなく、人間は無残に引き裂かれた家族を前に妖怪の脅威を思い出すのだ。

 

 天魔は気づかない。人里の中心は火継信綱であると考え、彼に対して注力しすぎているが故に、相対的に他の人間を軽視してしまっている。

 この一点において、天魔は明確に失敗していると言えた。確かに信綱は対妖怪の代表みたいな存在になっているが、人里の運営や方針そのものにはあまり口を出していない。

 つまりこの件に天魔の助力はない。何にも邪魔をされることなく烏天狗たちは人里を蹂躙できると――

 

 

 

「はぁい、センパイ方」

 

 

 

 使命感にたぎる烏天狗たちが人里の手前まで来たところで、一人の少女が現れる。

 日傘を手に持ち、飾りの多い服を身にまとうそれは、まるで舞踏会か何かに参加するかのよう。

 烏天狗という幻想郷でも屈指の存在を前に、一切の気負いを持たずに道を塞ぐ。

 

「この先は人里よ? そんな物々しい気配を撒き散らして行く場所じゃないわ」

「……新参者の吸血鬼か」

 

 彼らにも情報はあった。霧の異変を起こした際に、妖怪の山に我が軍門に下れと言ってきたことは未だ記憶に新しい。

 それが博麗の巫女以外の人間にあっさりと負けを認めることになるとは妖怪の面汚しだ、と嘲笑すべき存在だった。

 ……彼ら天狗はその言葉に踊らされ、幾人かはその新参者の吸血鬼に跪いたとしても、自分たちは違うと思っているのだ。

 

「ええ、ええ、そう。私は新参者ですもの。幻想郷の流儀にも疎いのよ」

「ふん、人間に屈した妖怪の風上にも置けぬ存在が囀るな。屋敷に篭ってネズミの生き血でもすすっていろ」

 

 人間に負けた吸血鬼など恐るるに足らず。吸血鬼――レミリアと話している烏天狗を筆頭に、天狗の集団にはレミリアへの軽視と侮蔑が存在した。

 それを知ってか知らずか、レミリアは天狗の言葉におかしそうに笑う。

 

「あはははは! ネズミの生き血ですって! あれって結構面白い味なのよ。あなたたちも試してみる? 意外とハマっちゃうかもしれないわよ」

「天狗を愚弄するか!」

「あら、わかっちゃう? ふふ、頭は烏じゃないみたいね」

「貴様……!」

 

 くすくすと笑うレミリアに膨れ上がった天狗の殺気がぶつけられる。

 それすらも心地良さそうに受け流し――醜悪なものを見る目に変わる。

 

「ヌルい。そんな目的のついでに殺すような意識で私を討つ? ハッ、舐められたものだ」

「事実だろう。人間に負け、人間に媚び、人間を守ろうとする妖怪の面汚しが」

「否定はしないわ。でも私は誰とも知れぬ妖怪の在り方よりは、私自身のプライドに背かない生き方をしていく。今までも、これからも」

 

 レミリアも今の自分を幻想郷に来る前の自分に伝えたら、鼻で笑われるだろうという自覚はあった。

 まさか人間の言うことを聞いて、人間の集落を守ることになるなんて予想すらするまい。

 だが――眼前の醜い烏天狗どもと同類であるよりはよほど清々しい。

 

 

 

「第一――私の敗北がお前たちの強さの証明になどならないだろうがっ!!」

 

 

 

 レミリアの身体から妖力が溢れ出る。

 地にヒビが入り、風が吹き荒れて木々が悲鳴を上げる。

 天敵である太陽光すら侵食してしまうと錯覚するほど、その妖力は禍々しく美しい。

 物理的な重圧すら伴うそれは、天魔や鬼に勝るとも劣らない。

 日傘を投げ捨て、片手に魔力の槍を持ち、夜の女王は薄く微笑む。

 

「約定は守る。悪魔は交わした契約を破らない! さあ、ここから先は死地と心得ろ!! 

 紅い悪魔――レミリア・スカーレットがお前たちの相手だ!!」

「な、めるなぁ!!」

 

 天狗と吸血鬼。

 東洋と西洋を代表する妖怪が、片や人間を襲うために。片や人間を守るために。それぞれの持つ妖力をぶつけ合い、局地的な嵐を生み出すのであった。

 

 

 

 

 

「……あの、椛、さん」

 

 信綱が出て行った後、残された椛と阿弥は食卓に戻ってお茶を片手に時間を潰していた。

 椛は別に信綱のことをさほど心配していないが、阿弥は別だ。

 信綱のことを信用も信頼も、それこそ自分の全てを委ねても良いほど大切に思っている存在が、危険な場所に赴いているのだ。心配でないはずがない。

 が、それで心配しすぎて倒れるのもよろしくない。主に椛の生命的に。

 彼も罪作りな人です、と椛は良くも悪くも強すぎる人間を思って苦笑してしまう。

 

「はい、なんですか? 阿弥ちゃん」

「父さん……信綱さん、とは知り合ってどのくらいなんですか?」

 

 はて、どうして父から名前を呼ぶのに変えたのか、と椛は内心で首を傾げながらも阿弥の疑問に答えるべく口を開く。

 

「そうですね……十にも満たない頃だとは思いますけど、正確な年齢は知りませんね。私はとある烏天狗の紹介で彼と知り合いました」

「阿七の頃からって本当だったんだ……。じゃ、じゃあ子供の頃の信綱さんってどんな感じだったんです?」

「変な人でした」

「は、はあ……」

 

 机から身を乗り出した阿弥に椛は一言で幼少期の信綱について話す。

 阿弥は思わず席に座り直してしまうくらい、その言葉には実感がこもっていた。

 

「彼が山に入ってきたのは稽古のためなんですけど、水を吸うように物を覚えていきましたし、どんなに無茶苦茶な内容でも文句一つ言わずにやってました。まだ子供の彼が、ですよ?」

 

 ちなみに今はなんとも思わない。なんかもう人間とか妖怪とかの括りで考えるのがバカバカしくなった。

 

「それに口を開けば阿七様阿七様。ええ、なんでまだ付き合いが続いているのか私が知りたいくらいです」

「そ、そうなんですか……。信綱さん、私や阿七にはそんな姿を見せませんから」

 

 射命丸と話している時の姿や、今みたいに椛と話している姿。いずれも阿弥が初めて見る信綱の姿だった。

 自分の前では優しく頼れる姿しか見せない信綱が、素の自分をさらけ出している。

 そう思うと、胸の辺りが締め付けられたような心地になるのだ。

 

「……あの、あなたが何を思っているのか正確なところはわかりませんけど、そんな良いものじゃありませんよ? 全く優しくないですし、容赦もありませんし、知り合って間もない頃は警戒心の塊みたいな人でしたからね」

「それでも私の知らない信綱さんは新鮮です」

「ううん……」

 

 困ったように椛は耳をかく。今でこそ椛にはそれなりに優しい姿を見せるようになったが、昔は結構酷かったのだ。

 稽古をつけていた椿だって隙さえあれば本気で殺そうとしていたし、稽古の時は椛の手足が何度切り飛ばされても手心を加えてくれない。

 あの姿を阿弥に見せないのは当然だろう。仕える主に綺麗な姿を見ていただきたいと思うのは、誰かに仕える人なら多かれ少なかれ抱くことだ。

 

「……羨ましいんです」

「え?」

「私や阿七の知らない信綱さんを、椛さんが知っているのが羨ましいんです。どうしてそう思ってしまうのかはわからないんですけど……」

 

 自分でも変なことを言っている自覚はあるのだろう。肩を縮こまらせてしゅんとしている阿弥に、椛はなんと声をかければ良いのか悩んでしまう。

 

(この子、どう見てもあれですよね……?)

 

 いやしかし椛から見てそうだと思えても、実際のところは違う可能性がある。阿弥が答えを見つけていない感情を、椛が勝手に名づけて良い道理はない。

 だが、信綱に対して父親とは違う感情を持ちつつあるのは確かだろう。ひょっとしたら過去の御阿礼の子が誰も持ったことのない、特別なものを。

 だとすればなおさら阿弥自身が見つけるべきだ。椛は相手を見ることに長けているが、その心まで見透かすことはできないのだから。

 

 それはさておきこの状況、放置したら信綱が怖い。阿弥に肩身の狭い思いをさせたとか、問答無用で首を刈られかねない。

 椛は阿弥の持つ感情のことは一旦横に置いて、どう答えれば彼女が楽しく時間を過ごせるか頭をひねって口を開く。

 

「……阿弥ちゃんはあの人の何が知りたいんですか?」

「え……?」

「妖怪に限らず、人間というのは色々な面があるものです。阿弥ちゃんがあの人を父と呼ぶ姿と、名前で呼ぶ姿があるように。彼にもあなたの前でしか見せない姿というのがあります。私からすれば、あなたに甲斐甲斐しく仕えている彼の姿が新鮮でした」

 

 変な夢でも見ているんじゃないかと思ってしまうほどには。

 滅多に見ない本心からの笑みを浮かべ、信綱の持つ全てで奉仕しようとする姿は、ずっと友人として付き合ってきた椛が知らない光景だった。

 それを阿弥は生まれた頃より受け続けている。ただ、椛に対する姿を見て少し戸惑っているだけだ。

 

「ふふ、こうして考えてみると私の知らない彼をあなたは知っていて、あなたの知らない彼を私は知っている。それだけの話ですよ。ですから私にも教えて下さい。あなたから見た彼の良い所を」

「は、はい! えっと、信綱さんはまず……」

 

 一生懸命に側仕えであり、父親代わりである信綱の良いところを探そうとする阿弥を、椛は微笑ましく見つめる。

 御阿礼の子と言うから身構えていたのだが、何の事はない。ただの可愛らしい少女ではないか。

 

「まず阿七の時にどう見ていたかから話した方が良いですよね!」

「え? ちょっと待って、それって三十年ぐらい前からじゃ――」

「あの頃の信綱さんは阿七に仕えられることが本当に幸せだったみたいで、もう話し相手になっているだけでずっと笑っていたくらいなんです! それに阿七が抱きつくと嬉しそうにするんですけど、ちょっと悔しいみたいな顔になってそれがまた可愛くて阿七はさらに信綱さんを可愛がって最終的には照れながらも嬉しそうな信綱さんも応えてくれるんです! でも私がやっても慣れちゃったのか全然動じないんですよどうしたら良いです!?」

「え、えっと……」

 

 踏んじゃいけないものを踏んでしまったようだ。

 阿弥が瀑布のように語る信綱の良さに、椛はすっかり圧倒されてしまうのであった。

 

 

 

 一頻り話が終わると、阿弥はやりきった顔でお茶をすする。

 その様子を聞き役に徹し続けて憔悴した椛が眺めていると、不意に阿弥の顔に影が差す。

 

「……初めてなんです」

「……何がですか?」

「子供の時からずっと、御阿礼の子と一緒にいてくれる人は。それも阿七の頃からなんて」

「…………」

 

 椛も信綱から多少なりとも聞きかじった覚えがあった。火継の家では月に一回の総会があり、そこで最も強いと証明した者が側仕えに襲名できると。

 ……実際、一月やそこらで頂点がコロコロと変動するような力関係が団子の一族ならとうに滅んでいるので、側仕えになる者は相応以上に強いのだろう。

 その中で信綱は最強を得続けている。椛が会うより前、僅か六歳の時から。

 

「阿七の時は可愛い弟でした。小さくて、一生懸命に背伸びをしていて、でも甘えてきて。あんな子供が側仕えになるなんて初めてだった」

「それはまあ……そうですよね」

 

 普通の子供は並み居る大人を薙ぎ倒したりはしない。椛は初めて会った時に構えた盾を小太刀の一突きで割断されたことを思い出し、身震いする。

 しかしあの可愛げのない少年にも誰かに甘えるなんて真っ当な心を持っていたのか、と椛は阿弥の意図している箇所とは違うところで驚いていた。

 

「阿七が終わる頃には逆に私が甘えてしまうくらい大きくなって。あの時は弟の成長を喜びながら死ぬことができた。じゃあ――私はどうすればいいんだろう」

「……阿弥ちゃん?」

 

 湯呑みに揺らめく波を眺めながら、阿弥はポツポツと心情を語っていく。

 決して信綱に明かすことのできないそれに、椛はどこか戸惑いを覚える。

 

「阿七の時は姉と弟だった。今は私が子供に、あの人は大人になった。阿七の記憶とは全く別の素敵な人。椛さん――私があの人に抱いている感情は娘が父に抱くものなんでしょうか?」

 

 決定的なそれを聞いて、言葉に詰まる椛。

 対する阿弥は胸に手を当てて、自分の感情を確かめるように瞑目している。

 

「寺子屋に通っていた時はそれに疑問なんて覚えなかった。こんな気持ちになり始めたのは縁起の資料集めを開始して、信綱さんを伴って妖怪の領域に行き始めてから」

「…………」

「普段は父さんと呼べるのに、たまにそう呼びたくない時がある。子供みたいな反抗期、なんでしょうか」

「――阿弥ちゃん、私はあなたの質問に答えてあげることはできません。それを答えてしまったら、あなたにも彼にも不誠実です」

 

 自分の気持ちを再確認するようにつぶやく阿弥の言葉を遮り、椛は真っ直ぐに阿弥を見る。

 ただの可愛い子供というのは訂正だ。彼女は確かに幻想郷の長い歴史をその目で見届けてきた御阿礼の子で――だからこそ普通の人が当たり前のようにすることに疎すぎるのだ。

 罪作りな人だ、と椛は阿弥のために戦っているであろう信綱に嫌味を言う。

 彼自身もそうだが、彼が持ち込む人も物も面倒なものばかりだ。自分は彼みたいに面倒な人に好かれることはないと思っているのに。

 

 それでも阿弥が本心からの悩みであると理解し、ちゃんと誠実に向き合おうとしてしまう辺り、椛も信綱に負けず劣らず厄介事を背負い込んでしまう性質なのだが、自分のことは存外にわからないものだ。

 

「あなたの悩みはあなたにしか答えが出せません。私は色々なものが見えますが、人の心は覗けません。

 ――でも、相談に乗ってあげることはできます。誰かに話すことで見えてくるものもありますから」

 

 一度言葉を切って、お茶を口につける。呆けたように自分を見上げる阿弥の視線がこそばゆい。

 なんだか急に恥ずかしくなってきてしまい、椛は赤くなった頬をごまかすようにかきながら、言葉を続ける。

 

「まあ、ですから、その……私みたいなしがない天狗で良ければ、今後もお話しましょうか? 今のあなたに足りないものは彼以外の人と、幻想郷縁起の編纂とかでなく話すことだと思います」

「……そう、なんでしょうか? よくわかりません」

「わからない、というのが証拠ですよ」

 

 首を傾げる阿弥に少しおかしくなり、小さく笑う。

 彼女には当たり前の時間が足りていないのだ。幼年の頃は信綱が遊ばせていたかもしれないが、今のように情緒が発達してくる頃の感情には思い至らなかったらしい。

 きっとこれまでの御阿礼の子なら不要だったのだろう。肉体が弱い、縁起の取材に危険が伴い続けた、などの要素が彼女を当たり前の感情から遠ざけた。

 

 それに御阿礼の子の転生周期はもっと長いはず。一度転生してしまえば人間関係も全て最初からになる。先代の御阿礼の子の大切な人と、もう一度付き合うことになるなど異例の事態のはずだ。

 つまるところ、何もかもが例外まみれ。それは信綱を取り巻く妖怪たちの情勢だけでなく、このちっぽけな少女にも適用されていたのだ。

 

「今はお話しましょう。私からは……そうですね、あなたが生まれる前の彼を話しましょうか」

「……! 是非お願いします!」

 

 机を乗り出すほどの食いつきを見せる阿弥に微笑みを深め、椛は彼女が好みそうな面白い話を思い出していくのであった。

 

「そうですね、ではあの時の話などを……」

 

 

 

 

 

「……うわぁ」

「……お前か」

 

 そして一方、文は幸か不幸か信綱の発見に成功していた。

 

「……死んでません?」

「妖怪は死んだら死体が残らないだろう」

 

 

 

 ――但し、ずたずたに斬り裂かれた同胞の血で地面を赤く染め上げている中心で、だが。

 

 

 




皆いろいろ考えて動いています。なおノッブは細かい思考を全部ぶん投げて大天狗目指して無双していたためカット。

何気に椛の存在がノッブにとってかなりの鬼札であったり。御阿礼の子を預ける決断ができるほど信用していて、なおかつ千里眼があるから情報にも困らないという、サポートやらせると鬼のような性能を発揮する子です。
天魔もノッブの友人天狗の存在に思い至り、阿弥は椛を頼れるお姉さんとして見始めている。本人の知らぬ間にド級の面倒事を呼び込みつつある椛の明日はどっちだ。

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