阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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人里でのとある一幕

「ふぅ……久しぶりの外は気持ちが良いわね」

「ここ最近は転生への準備なども含めてお疲れのようでしたから。余計なお世話でなければ幸いです」

 

 うららかな陽気の中、信綱と阿七は人里の中を散歩していた。

 露天に店を開いている野菜売りや、金物を敷物に広げて日光の反射で人目を引いている商人など、雑多な人たちが多く集まって思い思いに商売をしているそこは、躍動するような生命の力が感じられる空間だった。

 

「少々人混みが激しいようですが、良いのですか?」

「いいのよ。私、こういうところ大好きだから」

 

 この主は意外と騒がしい物が好きらしい。しかし好きなものであっても、長時間この場所にいると体調をまた崩してしまうことがわかってしまうのが泣ける。

 

「……無理はなさらないでください。倒れられると、心配する人がおります」

「わかってるわ。ノブ君は心配症ね」

 

 いや、日頃の様子を見て心配しない人間などいるのだろうか。風が吹けば倒れそうな有様だというのに、この主人は存外積極的に外に出たがる。

 

 幻想郷縁起の編纂もあるため、彼女を伴って妖怪の領域へ赴くことも今後あるのだろう。

 気合を入れ直さなければ。そう思って決意を強めていると、ふと横合いからほっそりとした手が信綱の手を取った。

 

「え?」

「手、つなぎましょう? はぐれたら大変ですもの」

 

 この人の側仕えをしてそこそこ長くなるが、未だに子供扱いがなくならない。少しではあるが背も伸びてきたというのに。それでも阿七より小さいのは悔しい話である。

 だがまあ、結局のところこの人の子供扱いが消えない理由は――

 

「……そうですね。お手を失礼します」

「ん、失礼されます」

 

 それをまんざら悪く思っていない、信綱に原因があるのだろう。

 側仕えを始めて、三年が経過する春の出来事だった。

 

 

 

 

 

「む、阿七じゃないか。今日は体調がいいのか?」

 

 そんな風に手をつないでゆるゆると歩いていた時だ。視界の向こうに銀髪が映ったのだ。人里にいて違和感がなく、なおかつ銀の髪を持つ者など慧音以外にはほとんどいない。

 知己と会ったことに羞恥心も働いて、信綱は阿七の身体を最大限労って手を離そうとするのだが、阿七はゆるやかに手に力を込めてくる。離す気はないようだ。

 

「ええ。慧音先生もお変わりなく。寺子屋はどうですか?」

「相変わらず子供たちの相手は大変だよ。だが、やりがいがある。毎度毎度問題児が出てくるのも風物詩みたいなものさ、時に信綱?」

「……いや、ぼくは事情説明したと思うんですけど」

「たまにで良いから顔を出せ。勘助や伽耶が暇そうにしていたぞ。それと私からの愛もたくさんある」

 

 愛と書いて課題と読むのだろう。

 確かにここしばらく、寺子屋には顔を出せていなかった。阿七の様子が良ければ、顔を出すのも悪くはない。

 

「ノブ君、寺子屋にはちゃんと行かないとダメよ? めっ」

「ぅあっ、だけど寺子屋でやる範囲の勉強はとっくに終わらせ――」

 

 阿七に額を軽く小突かれる。慧音も阿七に同意するようにうんうんと頷いていた。

 

「勉強だけが寺子屋で学ぶことではない。かけがえのない友達と過ごす時間というのは、一生の思い出になるものだ。そういった付き合いは大人になってからも続くぞ。お前とて、勘助らとの縁を切りたくはないのだろう?」

「まあ、そりゃ切らなくて済むならそれに越したことはありませんけど……」

 

 人との繋がりはあって困ることはない。問題に対して、どのような方向から解決策が出てくるかなど誰にもわからないのだ。

 御阿礼の子のためならいつでも切り捨てられるが、それは重要視していないことと同義ではない。ただ、最終的に優先すべきものが生まれた頃より一切揺るがないだけで。

 

「だったら顔を出せ。一度結んだ縁をつなぎ留めておく努力も重要だぞ」

「……肝に銘じておきます」

「相変わらず厳つい言い回しだな」

 

 慧音が微笑すると、釣られたように阿七も笑う。

 護衛として見られていないのはどこに行っても同じようだ、と信綱は憮然とした面持ちになるのであった。

 

「さて、私はここらで失礼しよう。こういった場所では騒ぎも起きやすいからな。見回りと知り合いへの声掛けも兼ねた散歩というわけだ」

「慧音先生も女性なんですから、お気をつけてくださいね」

「…………」

「信綱からはなにかないのか? あるととても嬉しいぞ?」

 

 慧音に逆らえる人など人里にいるのだろうか。もう随分と長い間、寺子屋をやってきているという話を聞いている。父信義も彼女に教わったことがあるとか。

 それはさておき、慧音先生の期待通りの労いをするのも癪だったので、信綱は話題を変えることにした。

 

「……今しがた、あそこの人の懐から財布が盗まれましたよ」

「なに!? 待て、そこの――平助! お前、やっていいことと悪いことがあると昔に教えただろう!!」

 

 ものすごい速度で追いかけてあっという間にスリを捕まえてしまう。大人であっても元教え子ならすぐに名前の出る慧音には敬服の念しか浮かばない。

 

「ひぃぃ、お許しを先生! 出来心だったんです!!」

「子供の頃に先生のスカートを捲るくらいは頭突き十連発で許してやったがな、今回は別だ! さぁ来い! たっぷりお説教してやる!」

 

 頭突き十連発は許してもらった部類に入るのだろうか、と信綱は慧音に引きずられる男を見送りながらぼんやり思う。信綱でも十発受けて意識を保っていられる自信はない。

 その時、鈴を転がすような笑い声が頭上から聞こえてきた。顔を上げると、阿七が慧音を見てクスクスと楽しそうに笑っていた。

 

「ふふっ、先生はああやって悪いことをした人に厳しいけど……お説教が終わったら一番親身になってくれるのも先生なのよ。変わってなくて安心したわ」

「……阿七様も先生に教わったことが?」

「ちっちゃな頃に少しだけね。あとは、歴史書の編纂とかで幻想郷縁起とのすり合わせもしないとだから。先生との付き合いは結構長いのよ」

「幻想郷縁起……」

 

 妖怪との付き合い方や対処法。そして彼らに対抗しうる存在である英雄を載せた本であると聞いたことがあった。事実、過去の幻想郷縁起にはそういった内容が載っていた。今代のものは……まだ阿七が見せてくれていない。

 

「……ふふっ、私の次の代にはノブ君が英雄として載るのかしら。こんなに小さくて可愛いのに」

 

 立ち止まった阿七が信綱に向き直り、髪を梳くように頭を撫でる。

 

「……もう少しすれば大きくなります」

「じゃあ頑張って生きなきゃね。大きくなったノブ君に守ってもらわないと」

 

 今だって守っているつもりだ、と言っても頭を撫でられている状況では信じてもらえないだろう。

 一応周辺には目を光らせているのだ。先ほどのスリを見つけたのだってその副産物に過ぎない。慧音がいなければ阿七に害はないと判断して放置していた。

 

「……絶対に。阿七様に仇なすものからお守りしてみせます」

「ええ、頼りにしているわ。私の可愛い護衛さん?」

 

 いつになったら弟扱いから抜け出せるのだろうか。

 そんなことを考えながら歩いていると、今度は見知った二人に出会う。

 

「あれ」

「ん、どうしたの?」

「……いえ、なんでもありません。行きましょう」

 

 勘助と伽耶である。先ほど慧音の話に出てきた二人だが、すでに慧音は彼らと会っていたのかもしれない。

 二人はこちらに気づいていないようで、かんざしやら何やらの装飾具が広げられている敷物に夢中になっていた。

 周りから見て全くそうとは思われていないが、信綱は阿七の警護中なのだ。仕事中に知己に会ったからといって、職務を放り出すなど言語道断である。

 

 しかし、阿七は信綱の視線に目ざとく気づいたようで――

 

「あ、そこの二人、ノブ君の知り合い?」

「……まあ、そうです。ですが、阿七様の方が重要です」

「私はノブ君のお友達に挨拶したいなあ、名前は?」

「……勘助と伽耶です」

 

 そう言われてしまうと弱い。個人的事情のために阿七の頼みを無下にするという選択肢は、阿礼狂いには存在しない。

 

「……二人とも、久しぶり」

 

 観念したように声をかけると勘助と伽耶は振り返り、その顔に驚愕と喜色を表に出す。

 

「ん、あ、ノブ! 久しぶりだなあ!」

「ノブくん、久しぶり。そっちの人は……?」

 

 伽耶の視線は信綱が手をつないでいる女性の方に目が行く。

 阿七は年下の少年少女らに微笑み、軽く頭を下げる。

 

「稗田阿七って言います。ノブ君のお姉さんみたいなものかな? よろしくね、勘助くんに伽耶ちゃん」

「あの、護衛……」

 

 護衛らしい仕事を何一つしていないと言われれば返す言葉もないが、そもそも護衛が必要な場所に阿七が赴くこと自体が稀なのだ。

 これでも火継の家で最も強い人間だというのに、発揮される機会がないのが嬉しくも悲しい。

 

「……この人の側仕えをしていてね。隠していたわけじゃないけど、あんまり寺子屋に来れなくなったのもそれが理由」

「……で、なんで手をつないでんだ?」

「阿七様の要望だよ! ぼくも嬉しいけどね!」

「お、おう……」

 

 こいつちょっと変なやつなんだな、という目で見られてしまった。間違っていないから何も言えない。

 

「ところで、二人は何見ていたの? 結構熱心に見ていたみたいだけど」

「無理やり話題を逸らした……」

 

 信綱の主がぼそっとつぶやくが黙殺する。彼とて延々といじられるのは勘弁なのだ。

 伽耶はなぜだか信綱と阿七を羨ましそうに見ていたが、勘助は信綱の振った話題に乗ってきてくれた。

 

「あ、そうそう! これ、綺麗だと思わねえか?」

 

 勘助が指差すそれは、精巧な意匠の凝らしてあるかんざしだった。残念ながら本物の宝石やべっ甲が用いられているのではなく、安物の色石や馬の爪などを磨いたものを利用しているようだが、細工そのものは非常に細かく書かれている。

 

「良い腕をしてますね。材料は高いものではありませんけれど、一般の人達でも精一杯のお洒落を楽しんで欲しいという気遣いが感じられます」

「へぇ、ありがとうございます。こんな場所に敷物を広げているのも、少しでも多くの人に見てもらおうと思ってまして」

 

 阿七が穏やかに微笑んで商人を労う。信綱は一目見てそこまで見抜いた主への敬意を深めると同時、二人の友人がなぜここにいたのかを理解する。

 

「二人は何か欲しいものでもあるの?」

「伽耶がな。これが欲しいって」

「あぅ……」

「……可愛い」

 

 恥ずかしそうにうつむく伽耶に阿七が何かをつぶやくが、聞かなかったことにする。この主が可愛いものに目がないのはいい加減わかっていた。

 

「買いたいって言ってくれるのはありがてえけど、さすがに坊ちゃんらの小遣いじゃあ、ちっと高いぞ?」

「ぅー……」

「ってわけだ。おれと伽耶の分、合わせても届かない」

 

 伽耶は半ば涙目になりながら商品を見つめている。内向的で弟の多い伽耶が、こんな風に真っ直ぐ自分の感情を優先する姿を見るのは珍しい。余程欲しいのだろう。

 

「……ぼくで良ければ出そうか? 一応、お金ならあるよ」

 

 使いみちのない自分の金銭で彼らが喜んでくれるならば安いと思い、信綱は勘助に申し出る。

 護衛になっているかはともかく、そういった仕事であることは事実なので給金はもらえているのだ。そのため、信綱の懐具合は成年男性と変わらないものになっていた。

 

「んー……」

 

 飛びついてくるかと思いきや、勘助は難色を示す。後頭部をバリバリとかき、仕方がないと小声で話し始める。

 

「伽耶の誕生祝いに贈ろうと思ってんだ。だから今はいいや」

「……だけど、これだっていつまでもあるわけじゃないだろ? そうだ、ここはぼくがお金出すから、勘助は後で――」

 

 取りに来ればいい。そう言おうとしたのだが、阿七が握っている手を急に持ち上げたことによって遮られる。

 

「こーら、ノブ君。めっ」

「いたっ。阿七様?」

「そういうのはダーメ。勘助くん、私たちはそろそろ行くね。お誕生祝い、喜んでもらえるといいね」

「え、あ、ちょ……」

 

 歩き始める阿七に引きずられる形で勘助らと距離が離れていく。

 後ろを振り返ると二人が手を振っていたので、それに軽く手を振ってから、阿七の方へ向き直る。

 

「……ノブ君」

 

 いつもよりやや早足で歩く阿七は、信綱の方を見ないで口を開く。

 

「はい」

「私がどうして怒ったのか、わかる?」

「…………いえ」

 

 血の気が引くとはこのことだ。どんな行動が原因なのかは知らないが、自分の浅慮が阿七の気分を害してしまった。許されるなら腹を斬って詫びたいところである。

 

「勘助くんが自分で買おうとしているのを、君が簡単に解決しようとしたことだよ」

「……何がいけなかったのでしょうか」

 

 あの装飾品を買う金が自分にはあって、勘助にはなかった。だから自分が払う。

 贈り物として渡したいのは勘助なのだから、彼はそれを受け取って渡せば何も問題ないではないか。

 そのことを伝えると、阿七は悲しそうな顔でゆるゆると首を横に振る。

 

「それじゃただ物を贈るだけ。そこには何の気持ちも込められていないわ」

「気持ち……」

「ノブ君は私の側にいる役目を譲りたくないでしょ? それと同じで、勘助くんは伽耶ちゃんにあれを贈る役目を譲りたくなかったんだよ」

「…………」

 

 阿七の例え話を聞いて初めて腑に落ちる。信綱もこの役目を誰かに譲ろうとすることはあり得ないだろう。自分以上に強い存在がいたとしても、御阿礼の子のためなら喜んで死ぬ精神を持っていなければ。

 

「……なんとなく、わかりました。ぼくは勘助の気持ちを無意味にするところだった」

「わかればよろしい」

 

 阿七は輝くような笑顔を見せ、信綱の頭を撫でる。また弟扱いされているのだが、その笑顔が見られただけで信綱の心は幸福感で満たされていた。

 

「……私が怒ったのは、ノブ君にそんな人間になってほしくないから。簡単に解決できる方法があるからって、いつだってそれが正しいとは限らないの」

 

 真摯な瞳で語られる言葉に、信綱は神妙に頷く。

 どうやら自分はまだまだ未熟らしい。いくら腕が立とうとも、阿七の側仕えとして相応しい精神を持つようにしなければ。

 

「……わかりました。肝に銘じておきます」

「よく出来ました。じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

「はい。お伴します」

 

 そう言って、再び来た道を歩き出す。今日の教えは一生忘れないほど深く、信綱の心に刻まれたのであった。

 阿七が信綱を叱った背景にあったものを知るのは、それからしばらく経ってのことだった。




更新不定期(長くなるとは言ってない)。書ける時に書いていくスタイル!

ちょっと短め。切り良く終わらせるにはここが丁度よかった。
人里での話は大体このメンバーが中心になります。今の年代は。
もうちょいすると妖怪関連でなんやかんやあるので、多少広がっていきます。

なんだかんだおねショタ状態がまんざらでもない信綱少年。

天狗とのお話は多分次話。

阿礼狂いの所以とか出したいのに、そもそも波乱が起きにくい人里で、しかもその奥にいる稗田が危険にさらされる状況がまずない……! というジレンマ。
阿弥辺りの代で吸血鬼異変をぶっ込む予定ですし、なんだかんだまだ結界が張られたばかりの過渡期でもあります。どこかで出てくるかもしれません。出てこないかもしれません。

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