阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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天狗のお誘い

 最近、何かと忙しいと信綱は思う。

 阿弥の編纂が始まり、彼女が求める資料を探して人里を駆けずり回ることもあるが、あれは別だ。御阿礼の子のために動くことで疲労を感じるなど火継の名折れ。むしろあれが休暇と言っても良い。

 それとは別に火継の当主として、最近は里の運営に安全面を考えた意見を求められたり、活発になりつつある妖怪の対処などに追われる日々を過ごしていた。

 それもこれも英雄として名を上げてしまったことの弊害であり、信綱の築き上げた名声にあやかろうとする連中が増えてきたのが原因だ。

 

 無論、阿弥の側仕えはおろそかにしない。彼女の世話をする用事があれば、他の用は全て断るか他の火継にやらせている。

 他の火継は愛想がないだの、こっちのことをまるで考えていないだのの苦情が来るのが欠点だが、むしろ情も一定以上重んじる信綱が例外なのだと理解して欲しい。

 それにこうして適度に不評も流れれば、いずれ英雄としての名声も落ち着くだろうという思惑もあったため、信綱は止めることなく火継の人間を使っていた。

 それでも信綱には休みが増えることもなくおまけに――

 

「はぁい、おじさま。ご機嫌いかが?」

「最悪だ」

 

 こうして人の事情など全く考えない妖怪どもがやってくるのだ。休める暇などありはしない。

 信綱は人里に入る門の前でレミリアの前に仁王立ちする。

 もはや後ろの門番はレミリアに慣れてしまったのか、あ、来たんだー、ぐらいにしか思っていない。そこ、親しそうに手を振るな。

 腹の奥から零れるため息をこれ見よがしに吐きながら、信綱は最低限の確認を始める。

 

「美鈴はどうした」

「今日は連れて来てないわ。あら、あの子を気に入ってるの?」

「……お前よりはな」

 

 割りと同情していたりもする。こんな主を持ってしまったことと、御阿礼の子のために戦う自分の前に立ちはだかったのが彼女の不運だ。

 自分の行いを謝罪するつもりはないが、彼女に今でも残る苦手意識を植え付けてしまったことには思うところがほんの少しだけあった。

 ちょっと距離は取られるが、話しかければ普通に答えてくれる――実に真っ当な対応をしてくれるのも信綱的に嬉しいことだった。

 自分の周囲には人の話を聞かない輩が多くて困る。類は友を呼ぶという言葉が脳裏をよぎるが無視。

 

「あれはダメよ。美鈴は私のものだから」

「別に奪おうとは思っていない。お前とは違う」

「守るのも奪うのも大差ないわよ。おじさまは守って、私は奪う。大切なモノは手元に置いておきたいでしょう?」

「……ふん、人の大切なものに手を出すのはただの盗人だ」

「手厳しい。でもそういう姿、私は綺麗だと思うわよ?」

 

 楽しそうにこちらを見るレミリアに舌打ちを一つ。彼女の価値観は独善と独尊に基づいているのだが、そこに吸血鬼としての誇りが混ざると読みにくくなる。

 

「私は私で唯一無二だけれど、他の価値を認めないわけじゃない。手が届かないからこそ輝くものがあるってことも理解しているつもりよ」

「……ふん、行くぞ」

 

 信綱はレミリアの言葉に反応を返さず、歩き出す。

 手に入らないから美しいものがある。その言葉に同意してしまったなど、認めたくなかったのだ。

 自分たちが御阿礼の子に全てを捧げても見返りを求めないように。あの方たちはあるがままにあるのが最も美しいと理解しているが故に。

 レミリアもまた、信綱はただ御阿礼の子に狂っている姿こそ最も美しいと思っているのだろう。

 

 そこまでわかっていても、彼女の言葉に同意するのは嫌だったので何も言わずに足を動かす。

 日傘を差した小さな影が後ろをついてくるのを確認して、信綱は人里の門へ足を踏み入れる。

 

「あら、外周を回るのはおしまい?」

「……気まぐれだ」

「ふぅん。あ、門番もお仕事頑張ってねー」

「おう、お嬢ちゃんも英雄様怒らせないようにな! ほれ、飴ちゃん」

「わーい、ありがとー!」

「…………」

 

 門番二人の呑気さに苛立ちを覚える信綱だった。

 美鈴と言い、門番は気楽な性根でなきゃ務まらないのだろうか。

 もごもごと口の中で飴を転がして顔を綻ばせるレミリアの姿に、先ほどまでの全てを見透かすような感覚はない。

 大物なのか、ただ単に子供なのか、今でも判別ができない姿に目まいすら覚えてしまう。

 

 そうして人里の中を練り歩き、一直線に火継の屋敷に向かっていく。

 

「殿方の家に連れ込まれるなんて、これは期待しちゃって良いのかしら」

「寝言は寝て言え」

「冗談よ。私に傅くあなたとか何の価値もないじゃない」

「それには同意してやる。こっちだ」

 

 自室に向かう。最近は妖怪が来ることも増えてきて、妖怪屋敷と呼ばれる日も遠くないのではないかと不安に思いながらも、襖を開いてレミリアを案内する。

 紅魔館のように外来のものなど何一つない部屋に、レミリアは面白そうにキョロキョロと顔を動かす。

 

「ふむ……こういうのを日本ではワビサビ、と言うのかしら」

「そう大した部屋でもないぞ」

「畳があればワビサビがあるんじゃないの!?」

「その理屈だと家の大半に侘び寂びがあることになるだろう」

 

 外来の妖怪だからか、レミリアの知識は妙な偏りや間違いがある。

 幻想郷に来てからは洋食に触れる機会が激減しているため、食生活が和食となりつつあるとは美鈴の言。

 閑話休題。

 

 ともあれ、信綱はレミリアに座椅子を促して自分も適当な座布団に胡座をかく。

 レミリアは興味深そうに掛け軸や飾られる生け花などを見回していた。

 

「ふぅん……これも一つの雰囲気ってやつかしら。面白いわね」

「あんまりジロジロ見るな。私物もある」

「私物!? どこにどこに!?」

 

 顔をキラキラ輝かせるレミリアに、失言したと信綱は渋面を作る。

 それに隠しているものでもない。顎でレミリアの見ている方向の反対を示す。

 毎日手入れしていることが一目でわかる花の硝子細工と、その横にちょこんと置かれているかんざしと色石がレミリアの目に留まる。

 

「花の硝子細工には触れるな。それ以外は触ってもいいぞ」

「ガラス細工に髪飾りの一種。あと……宝石、じゃないわね。これは?」

「ただの色石だ」

「ああ、なんとなくわかるわ。出かけた先でこういうの見つけると嬉しくて持って帰りたくなるわよね」

「お前と一緒にするな。貰い物だ」

 

 もらいもの? と首を傾げながらレミリアは色石を手に取って眺める。

 部屋に入る日光程度なら問題ないのか、光に透かして見たりと興味津々の様子が伺えた。

 

「こういうキラキラしているだけ、というのも美しさを感じるものね。技巧の粋を凝らしたものよりも、ただ自然が生み出した単純なものに惹かれる時があるのはどうしてかしら」

「……やらんぞ」

 

 阿七より受け取った硝子細工と比べたら扱いに差はあるが、それでも橙からもらったもの。誰かに渡すつもりはなかった。

 レミリアはただの色石に執着を見せる信綱を面白そうに見て、元あった場所に色石を戻す。

 

「美術的価値も資産的価値も何もない、子供が戯れに拾ってそうな石に執着を示す。……結構大切な人からのものかしら?」

「……そんなはずあるか。腐れ縁に押し付けられたものだ」

 

 橙は友人であると認めるが、大切な友人だとまでは未だ思いたくない信綱だった。妙なところで意固地である。

 が、それを聞いたレミリアは我が意を得たりと口元に笑みが広がっていく。

 

「あら、じゃあ今度私からの贈り物も受け取ってくださる?」

「なぜだ」

「腐れ縁に押し付けられたものを、今まで大切に飾っているんだもの。受け取ったら無下にはしない、違う?」

「…………」

 

 今日は押されっぱなしである。信綱は降参したように両手を上げ、機嫌良く笑うレミリアを見てしかめっ面になることしかできなかった。

 

「……そこに置けるぐらいのものなら考えてやる」

「考えておくわ。大事にしてもらえるものを。瓶詰めの私の血なんてどうかしら?」

「埋めるぞ」

「ああん、手厳しい。――で、わざわざ自室にまで招いた理由をお聞かせ願いたいわね」

「気まぐれだと言っただろう」

「ウソ。おじさまはその辺の手抜きはしない。それぐらいはわかるつもりよ」

 

 舌打ちを一つ。どうにも流れが相手に向いている。あまり話を長引かせずに進めた方が失言も減りそうだ。

 

「……幻想郷縁起に必要な資料はお前だけじゃない」

「道理ね。それで?」

「次は妖怪の山、その中の天狗の領域を考えているんだが……不安がある」

 

 いつだったか椛の言っていた妖怪の畏れを得るために決死隊云々、という話である。

 あれから霧の異変が起こって、妖怪への畏れもある程度は回復した。

 しかしそれでかつての栄光を取り戻せるかと言われれば否。射命丸を通して天狗の情報が得られるようになった今でも、信綱の懸念は消えていなかった。

 

「遠からず向かう。俺と阿弥様で、だ。……その時の人里を狙われたらどうしようもない」

「博麗の巫女じゃダメなの?」

「想像の域を出ないし確たる証拠もない。妄想と一蹴されても文句は言えない内容で幻想郷の調停者は動かせん」

「それで私に。……ふふふ、吸血鬼を顎で使おうとする人間は初めてよ」

「人里に常駐しろとは言わん。が、俺たちがいない時に注意を向けるくらいはして欲しい。できるか」

「それができないなんて言ったら、私は子供のお使いすらできない吸血鬼になるわね。良いわよ、受けましょう。吸血鬼の誇りに懸けて」

 

 念には念を入れる程度の内容のため、そこまで意気込まれても困ってしまう。

 何事もなければそれに越したことはないので、レミリアの出番は来ない方が望ましい。

 

「頼んだ。……あともう一つ。こっちが本命だ」

「人里の話?」

 

 頷くと、レミリアになんだか憐れなものを見るような目で見られる。

 

「私が言えたセリフじゃないけど、幻想郷の人里って大変なのね……吸血鬼に天狗に、まだあるの?」

「だからあるもの使ってどうにかしようとしているんだよ」

 

 本当に全く。こんな仕事をしなければならないのも全部妖怪のせいである。

 平和な幻想郷で御阿礼の子の側にいたいだけだというのに。

 地位や権力、武力があって困ることはない、というのは間違いのないことだが、時に目立ちすぎる力は本人の望まない面倒を呼び込むこともあると、現在進行形で思い知らされている信綱だった。

 

「鬼を知っているか?」

「東洋で有名な妖怪でしょ。聞いたことくらいはあるわ。なに、いるの? この幻想郷に?」

 

 信じられないとでも言わんばかりの顔だった。

 

「……多分な。俺も最近まで実在するとは思ってなかった」

 

 幻想郷縁起には人間に失望し、どこかへ消えていったとしか書いてなかったのだ。

 確かにあの文面なら隠れ住んでいる可能性も否定できなかったが、よもや地底に住んでいるとは夢にも思わなかった。

 

「……へぇ?」

 

 レミリアの声が低くなる。人里の門番と話す少女の無邪気な声音ではなく、吸血鬼としての声だ。

 

「どこにいるのよ?」

「地底。入り口は以前妖怪の山で見つけた」

「それで? 私にそこへ特攻仕掛けろってわけでもないでしょう?」

「誰がそんな危険な真似するか」

 

 レミリアが危ないという意味ではなく、彼女が向こう側に付く危険性である。

 この吸血鬼のしぶとさは自分が身を持って知っている。死地に放り込むのにこれほど適した人材もいないが、性格面が少々読みにくいのが難点だ。

 しかしレミリアはそう受け取らなかったようで、頬に手を当ててきゃあきゃあと身をよじる。

 

「やだ、いつの間にか好感度上がってた……? これは私の時代が来た!」

「気色悪いからやめろ」

「期待が一秒で砕かれた! だけど私になびいてたら価値無しと判断して殺してたわ!」

 

 これだから妖怪は面倒くさい。信綱はこめかみを指で押さえて頭痛に耐えながら、話を元に戻す。

 

「その鬼たちが地上を攻めてくる可能性がある」

「今さら? 一度は逃げて、おめおめと地底に引きこもっていれば良いのに、今になって?」

「…………」

 

 原因として一番有り得そうなのはお前なんだよ、とは言わないでおく。責任の所在がハッキリしたところで一文の得にもならない。

 

「可能性がある程度の話だ。何事もなければそれに越したことはない。……だが、人里の防衛を任されている者として、万が一は考えなければならない」

「大変ねえ、色々と考えることが多くて」

「お前はどうなんだ」

「部下が優秀なものですから」

 

 妬ましさに殺意が湧きそうになるのを堪える。優秀な部下など喉から手が出るほど欲しい。できれば自分と同じくらいに強い人が。

 

「とにかく、天狗の動向の監視と場合によっては人里の防衛。それと……鬼が攻めてきた時の戦力。確約できるか」

「約束しましょう。ええ、東洋の鬼と戦えるなんて心躍るじゃない」

 

 即答された。愛おしいものを見るように信綱へ手を伸ばし、頬を撫でていく。

 

「さすがは私が認めた人。やはり私の目に狂いはなかった」

「どういう意味だ」

「あなたの近くにいれば、暇潰しには事欠かないということよ」

 

 霧の異変。天狗の暴走。百鬼夜行。どれもまともに機能したら人里の機能が壊滅しかねない異変だ。

 博麗の巫女は異変であると認識するまで動かず、未然に防ぐにはツテも力もある信綱が知恵を振り絞るしかない。

 それを娯楽程度にしか思われていないことに苛立ちはあるが、彼女の協力は不可欠。信綱は言いたいことを飲み込んで頷いた。

 

「もちろん、やるからには全力を尽くすわ。認めた人間の頼みごと一つ満足にこなせないようでは、吸血鬼の名折れですもの」

「……なら良いが」

「難しい話はおしまい? だったら私に構ってほしいわ。今日はそんな話を聞きに来たわけじゃないもの」

 

 しかめっ面で考え事をしている信綱の膝の上に、レミリアの小さな身体が座ってくる。

 大人の信綱の膝にすっぽり嵌ってしまう小さな身体だが、この細腕には信綱を容易に引き裂ける膂力があるのだ。微笑ましい気持ちなど微塵も起こらない。

 

「邪魔だ鬱陶しい」

「ちょっとぐらい良いじゃない、減るものでもなし」

「阿弥様が座る場所だ。百年早い」

 

 自室で話し相手になっている時など、阿弥はよく信綱の膝の上に座りたがる。

 まだまだ甘えたい年頃なのだろう。彼女が笑ってくれるならと受け入れていた。

 そのため信綱は取り付く島もなく断っているのだが――

 

「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」

「お前は俺の膝にどんな価値を見出しているんだ……」

 

 しつこい。拒絶を通り越して呆れてしまう。

 ため息をついて信綱は口を開いた。

 

「……少しだけだぞ」

「やった、おじさま大好き」

「その声音をやめろ。吐き気がする」

「可愛く言ったのに!?」

 

 だから気持ち悪いのだ。信綱は自身の膝の上で話をねだってくるレミリアに、どう答えたものか頭を悩ませるのであった。

 

 

 

 

 

 天狗との対話をするにあたって、人里から提示された条件が一つあった。

 場所を人里の外にすること、である。

 烏天狗などという幻想郷において極めて強力な妖怪を、人里に入れたくはないというとてもわかりやすい理由からだ。

 

 他にも火継の家に入っていく妖怪の姿を見られた場合、英雄への信頼は容易く不信へと変わる。それを避けるためのものでもある。

 とにもかくにも、こういった理由で信綱は文との会合場所には、すでに使われなくなった人里外の廃屋を使っていた。

 

 人里が今のような人間の集落としての機能を持つ前、他の場所にも住もうとしていた時代がある。

 恐らく、そうして人間の生息圏を広げることで妖怪に対抗しようとしたのだろう。

 実態は失敗に終わってしまい、その名残が廃屋という形で幻想郷の各地に残っているだけなのだが、手付かずになっていることが功を奏して今でも普通に使用可能な家がある。

 

 具体例として有名なのは魔法の森にある家だろうか。店でも営めそうな大きいものから、一人暮らしするには丁度良い小さなものまで、魔法の森でキノコを採取する人間は休憩所として使用することもある。

 

 さて、信綱が使用しているのもそうして見つけた廃屋に手を入れて使えるようにしたものであり、個人的にも結構気に入っている場所なのだ。

 ――妖怪と会うために作られた場所でさえなければ。

 

「さてさて! 本日はどのようなお話をしましょうか!」

「……はぁ」

「人の顔を見るなりため息は傷つきますよー?」

 

 口ではそう言うものの、文の顔にはへらへらとした笑みが浮かぶばかり。全く堪えていないのは明らかだ。

 

「今日はなんの用だ。お前の話はもう聞かんぞ」

「あやや、警戒してらっしゃる。今日は天魔様からのお話もありますから大丈夫ですよぉ」

 

 この射命丸文という烏天狗、仕事にかこつけて私的な興味を満たすことにも貪欲らしく、天魔からの言伝はそこそこにしてさっさと自分のために動くことも多い。

 それで仕事はきっちりこなし、なおかつ信綱が入れる探りにも反応しないのだから、憎らしいほどに優秀な烏天狗である。

 多少奔放な部分があるとはいえ、優秀な部下が持てて羨ましい限りである。レミリアと言い天魔と言い、組織の頭は良い部下に恵まれるのか。こっちにも一人寄越せ。

 

「で、話とは」

「まあまずはそちらからどうぞ。最近ですと、八代目の子が縁起の取材を開始したとか」

「どこで知った?」

「風のうわさってやつですよ」

「風を操る天狗が風のうわさを語るか」

 

 皮肉を言うが、全く悪びれた様子もない。別に隠していることでもないので知られることに問題はないが、天狗の情報源がわからないことに一抹の不安を覚える信綱だった。

 しかしそれを顔に出すことなく、信綱はまずここに来た用件を果たすことにした。

 

「その縁起の取材が目的だ。近いうちにそちらに向かう」

「ふむふむ、先代の頃は天狗の領域でもごく浅い場所でした。どういった感じにするおつもりで?」

「……深入りせず、互いを刺激しない程度に済ませられるならそうしたい」

 

 妖怪の山は深く、広い。半ば庭のようなものである信綱でも、歩き慣れた領域はごくわずか。

 そこに阿弥を連れて行くのだ。無理などできるはずもない。

 最悪、椛や河童辺りに頼んで終わらせる可能性も考えていた。妖怪対策の本としてそれで良いのかとは思うが、それでも阿弥の安全が最優先である。

 第一、真っ当に生きていれば山の頂点にいるような烏天狗と話す機会など一生来ない。それならまだ麓付近を根城にしている妖怪を調べた方が、実用性があると言うものだ。

 

「ほうほう。つまり私たち烏天狗にはあまり関わりたくない、と?」

「……そうさせてくれない事情でもあるのか」

「あやや、さすがに鋭い! もうお気づきですか」

 

 本当に良く回る口だ、と信綱は内心で辟易する。

 これ見よがしに取材のことを深く聞いてくるのだ。何かしらあります聞いて下さいと言っているようなものである。

 文は大げさに驚いた格好をして、気のない褒め言葉で信綱を称える。

 

「ええ、まあ。天魔様から受けた言葉もそれに関わることでして。曰く、そろそろ幻想郷縁起を書き始める頃合いだろうと」

「それがどうした」

 

 

 

 ――私たちの里、来ませんか?

 

 

 

 文の口から出た言葉を予測していなかったとは言わない。あれだけ仄めかされたのだ。想定しない方がおかしい。

 しかし、想定していたからと言って驚かないかと言われればそれもまた別であり――信綱は目を見開いて楽しげな文を見つめる。

 

「私と天魔様はあなたを非常に高く評価しています。ですので、これを機に一度顔を合わせたいと天魔様が仰っておりまして」

「…………」

 

 裏がある。それは確信が持てた。

 おまけに天狗の里と来たら土地勘のない上、山の頂上にある以上何か揉め事が起こった場合に逃げる場所すら確保できない。

 万一何かあったら危険に過ぎる。それが信綱の率直な感想だった。

 

「断る。阿弥様をそのような場所に向かわせられない」

「送り迎えは私が行います。さすがに子供を連れて山を登って来いなんて言いませんよ」

「それ以前の問題だ。阿弥様に万に一つが起こってみろ。お前たちを一人残らず鏖殺するぞ」

「おお、怖い怖い。……いえ、本当に怖いですからその顔やめてください!? 護衛を付けますから! 本当にお話したいだけなんですって!」

 

 そこまで譲歩されると無視もできない。

 椛も言っていたように、いつ暴走されるのかわからない状態だ。ならばあえて懐に潜り込んで融和の方向を探ってみるのも一つの手であることは確か。

 

「……俺一人では無理か?」

「我々のことを知るのであれば、書籍の形にまとめるのが一番手っ取り早いのでは? あなた方は私たちのことが知りたい。私たちはあなた方のことを知りたい。悪い話ではないと思いますよ?」

 

 だから面倒なのだと信綱は眉根を寄せる。一見すると確かに悪い話ではない。

 しかしどうにもきな臭い。裏があるのは確実と言っても良いし、何よりどんな面倒があるのか予想ができない。

 予想ができないということは対策も立てづらいということであり、何かあった時頼れるのは自分の腕だけになってしまう。

 腕に自信がないとは言わない。だが過信もしていない。まだ(・・)天狗の里などという一大勢力を相手取れるほどの技量はない。

 

「……阿弥様に確認を取る。その上で日時はこちらが指定。護衛にはお前が付く。この条件を飲めるなら」

「ええ、了解しました。では詳しい日取りは後ほど」

 

 多少吹っかけた条件にしたつもりなのだが、あっさり飲まれてしまう。

 これを向こうの本気具合と受け取るべきか、それともただ単に彼女らの掌で踊らされているのか、判断がつかない信綱。

 だがもう賽は投げられた。引っ込めることはできず、天狗の里で何が起ころうと今ある手札でどうにかするしかないのだ。

 

「……わかった。ではまた後で」

「ええ、ええ。色よい返事を期待していますよ?」

 

 そう言ってニンマリと笑ったまま文は飛び去ってしまう。

 その背中を目で追いかけ、信綱はため息を吐く。

 

「……何事もなければそれでいいが」

 

 やることは山積みだ。できる備えをして、人里の安全と阿弥の安全は確保しなければ。

 信綱は自分の背中に乗っているものの重さを実感し、もう一度大きなため息をつくのであった。




次の修羅場……もといイベントだ頑張れノッブ。
ここからはイベントが連続していくので、時間の経過も緩やかになります。

なぁに、死んだら英雄の死で人里の気勢が落ち込みまくって、レミリアが人里を守る理由がなくなって、天狗の歯止めも効かなくなって、そんなこと知らねえと鬼がやってくるだけだ。

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