あーでもないこーでもないと悩んで遅れたり。
「お嬢様ー? お手紙が届いてますよー?」
夏の日差しが暑い日――と言ってもこの館は吸血鬼の屋敷らしく窓がほとんどなく、四六時中薄暗い。
そんな中、美鈴はとある青年から直接届けられた手紙を持って歩いていた。
いかに薄暗くても大気は入る。夏特有のジメッとしたベタつく空気が気持ち悪いが、これが夏なのだから文句は言えない。
美鈴が主であるレミリアの部屋に入ると、ベッド代わりの棺桶――にはおらず、執務机に座っていた。
まるで美鈴の来訪を待ち構えていたように肘をついて組んだ両手で口元を隠し、ものすごく真面目な空気を醸している。
「ご苦労、美鈴。……それで手紙は誰からかしら?」
「私たちに手紙を届ける人なんてほとんどいないってわかってますよね? ……あと、帽子ズレてますよ」
「おっとっと」
「寝癖、直ってませんよ」
「う、うっさい! 後でいいのよ後で!」
大方手紙と聞いて飛び起きたのだろう。よく見たら服も微妙に着崩れている。
異変から少しは時間も流れたというのに、主である少女は相変わらず一人の青年――もう壮年に入った男性にご執心だった。
これが巫女だったら彼女に傾いていたのだろう。妖怪の戯れとして同性同士というのもあるにはあるが、ハマり過ぎるとロクな結果にならないのは万国共通である。
それなりに時間も流れた現在、レミリアは幻想郷に馴染みつつあった。人里に足を運んでも門番に怖がられなくなったし、慣れた自警団員からは飴をもらうこともある。べっこう飴美味しい。
なんだか可愛がられる孫みたいな立場になっていることに、妖怪的に問題があるのではないかと思われることだろう。実際問題がある。
とはいえ件の男性と人里を襲わないことを約束している時点で妖怪的に大問題だ。一つや二つ問題が増えたところで今さらである。
閑話休題。
「で、なんか言ってた?」
「えーっと、近いうちに足を運ぶとかどうとか。幻想郷の妖怪対策本、知ってます?」
「あら、そんなのがあるの? 人間も大変ねえ」
レミリアを打ち倒した男性のようにずば抜けた力量があるならまだしも、大半の人間はそうではない。
妖精に度の過ぎたイタズラをされても死ぬし、動物から化生したばかりの雑魚妖怪に襲われても簡単に死ぬ。
だから幻想郷縁起という形で対策を取るのだ。
……尤も、一番手っ取り早い方法は人里から出ず、危険な領域に赴く場合は身元と技量が信頼できる護衛を雇うこと、という身も蓋もない結論に落ち着くのだが。
「それを作っている人と一緒に来るみたいです。可能な限り詳細な話がしたいとか」
「ふぅん、本人でもないのに熱心な話だこと」
手紙の封を切って中身を見る。流暢な英語で書かれた内容に軽く口笛を吹く。
「あらお見事。私が持っていった本一冊でここまで書いちゃう」
言語の違いがあることに悩んだレミリアは、男性に適当な本を一冊渡していた。
それで練習しろという意味である。自分が日本語の読み書きを覚えるという発想はなかった。
が、一冊で十分なほどに言語を習得している様子。レミリアの認めた男は基本的になんでもできるらしい。
内容自体は美鈴が口にしたものと大して変わらない。が、主を連れて行くので粗相のないようにと客人に言われるのは少々おかしくて笑ってしまう。
そんな風に概ね満足しながらレミリアが手紙をしまおうとすると、重ねられたもう一枚の紙が執務机にハラリと落ちる。
「うん……?」
「あれ、二枚目ありました? 紙の厚さ的に一枚だけだと思ったんですけど」
「隠してあったのかしら。ふむ……」
手に取って眺めてみると、英語以上に書き慣れた文体での文章が綴られていた――但し日本語で。
無論、レミリアも美鈴も読めない。それを良いことに、人に面倒なことやらせやがってという皮肉と嫌味がたっぷり詰め込まれた内容である。
「……なんか読めないけどバカにされてる気がする」
「英語で書かなきゃ読まないなんてお嬢様が言ったからだと思いますよ? まあとにかく、どうされます?」
「当然、歓迎するに決まってるわ。私から訪ねることはあっても、向こうから来るのは異変以来でしょう」
向こうからすれば本当に行く理由がなかったのだろう。阿弥の側仕えに山歩きで食材集めなども含め、紅魔館の方へ足を向けても途中にある魔法の森で用事が済んでしまう。
「さて……おじさまがあんなにご執心の子はどんな子なのかしらねえ」
「あんまり挑発とかしないでくださいよ? 今度こそ殺されるかもしれませんから」
美鈴はブルリと身震いをする。レミリアが人里に訪れる関係で美鈴もちょくちょく同行しており、顔を合わせる機会はあるのだが、今でも苦手意識が抜けていないようだった。
「しないわよ。私はおじさまが大事にするもの全てを尊重する。古来より妖怪退治を成し遂げた英雄には金銀財宝って相場が決まってるの。それがおじさまにとっては人間だった。それだけの話でしょ」
「……お嬢様って、そういうところこだわりますよね」
「当然よ。私は高貴な吸血鬼ですもの。人間の上位種である自負がある。――だからこそ、それに打ち勝った人間は讃えられて然るべきなのよ」
「そんなものですかねえ」
「生まれつき強い妖怪なんて、多かれ少なかれ私みたいな部分があると思うわよ?」
強いから相手がいない。だから相手を作るために自らに縛りを加える、ないし相手になった者へ惜しみない賞賛を送る。そういった傾向は西洋でも東洋でも差はなかった。
レミリアはそういった感性に則っているだけである。下等な種と見下す人間に負けてそれを認めないのは、彼ら以下の存在に堕することと何ら変わらない。
「私みたいな頑丈さだけが取り柄の妖怪にはわかんないです。でも、そうやって誇りとか矜持を語るお嬢様は格好良いですよ」
「ふふん、もっと褒めなさい」
「そこで調子に乗らなければ八十点です。あ、残り二十点は無条件にひれ伏したくなる感じで」
「百点厳しいわね!?」
どうにも部下に威厳が示せないレミリアだった。
「人里から出るのって初めて! んー、空が広く感じるわ!」
夏の晴れた日、澄み渡る空の広さに感動するように阿弥は両手を広げる。
後ろには人里に通じる門があり、門番の人たちが見守っている。そして隣には自身が最も信頼する人がいる。
心配することなど何一つない、最高の気分だった。
「ここからは妖怪が出ることもあります。私の側から離れないよう」
「こんな場所にも現れるの?」
「滅多にありませんが、最近は目撃報告などもありますね」
実際に襲われるとまでは行かないのだが、そろそろ自警団員も経験を積むべきなのかもしれない。
火継の人間も有限であり、おまけに今は阿弥がいるのだ。火継の人間は妖怪退治よりこちらを優先するだろう。
「阿七の頃は本当に平和だったのよ。でも、今はそうじゃないのね……」
「阿弥様?」
「なんとなくだけど。今は色々な妖怪が息を潜めている。そんな気がするの」
繋がれた手に力が込められる。阿弥が抱いている感情は不安なのか、懐古なのか。
阿弥でない自分にはわからない。わからないが、自分は彼女にこのような顔をさせたくて側にいるわけではない。
「――ご安心ください。私がいる限り何も心配に思うことはありません。ご自分のなさりたいことに集中してください」
「……本当に格好良いね、父さんは」
「あなたの前で無様は晒せませんから」
静かに微笑みかける。阿弥はそんな信綱の姿に照れたように頬を赤らめ、顔を下に向けて本心を吐露していく。
「……実は不安だったの。私が縁起の編纂をするのは初めてで、妖怪と会うのは少し怖かった」
「阿弥様……」
心配するな、と言ってどうにかなるものではないだろう。自分が隣りにいると言っても幻想郷縁起の取材である以上、矢面に立つのは阿弥になる。
「私が後ろにおります。それではダメでしょうか」
「父さんが悪いわけじゃないんだけど、阿七の記憶には父さんが戦ってる姿がないから……」
「阿七様や阿弥様の前で戦うとか護衛として問題ありますからね?」
危険は事前に排除しておくのが基本なのだ。そうでなくても主に気付かれぬよう危機を退けるのが鉄則である。
目の前で危険を排除すれば確かに見栄えは良いだろう。主も明確に安心感を抱ける。
だがそれは危険を感じさせた上で与えられるものだ。山と谷、その落差を利用したものに過ぎない。
本当に主の安全を考えるならば仕事をしていないと軽んじられようと、主に危険など感じさせないように振る舞うのが一番である。
阿七の頃は確かに戦う機会に恵まれなかったが、それでも彼女らに振りかかる危険がないならそれに越したことはない。
「あはははは……うん、肩の力も少し抜けた。行きましょっ」
「ええ、お供いたします」
だからこそあらかじめ手紙も渡しておいたのだ。後はちゃんとした歓待をしてくれることを願うばかりだ。
阿弥にとって、そして自分にとって初めてになる縁起の取材。それが上手くいくことを願う信綱であった。
「ようこそ、紅魔館へ。お嬢様が首を長くして待っておりました。そちらが……」
紅魔館の前に信綱と阿弥が並んで到着する。
門番の美鈴が信綱に笑みを向け、また彼が手を引いている少女の方へ目を向ける。あまり驚いた様子がないのは仕える主の影響だろうか。
「八代目阿礼乙女、稗田阿弥と申します。私の側仕えである信綱さんとはお知り合いでしょうか?」
阿弥は信綱に見せる子供らしい姿ではなく、転生を繰り返し幻想郷の歴史を見つめ続けてきた御阿礼の子としての姿で自己紹介をする。
今回の用事は阿弥が主体。そのため信綱は一歩下がり、あくまで主を立てる方針だった。
……実はそこそこ距離がある上に道も整備されていないので、途中は信綱が阿弥を背負って歩いていたことは内緒である。
「ええ、まあ。異変の折には大変色々と……なんていうか……ハッ!?」
「…………」
余計なことを話したら後で屋敷裏、という目で見ているとこちらの視線に気づいた美鈴が頬を強張らせる。相変わらず察しが良くて何よりである。
妖怪の生態を知るための取材だ。信綱の戦いぶりなど二の次三の次で十分なのだ。
「? どうかされましたか?」
「い、いえ……とにかく、よく来てくださいました! お嬢様以下、我々紅魔館はあなたを歓迎いたします」
可愛らしく小首を傾げる阿弥に、美鈴は咳払いをしながらなんとかごまかし、話を切り替えて門を開く。
美鈴が先導して中庭を通り、屋敷に通じる扉へ向かう。その道中の植え込みに咲き乱れている薔薇の花が美しい。
「うわぁ……」
「あはは、綺麗でしょう? 私がお世話しているんですよ、あの花は」
「ええ、とっても綺麗です。信綱さんもそう思わない?」
「確かに美しい。それに薔薇は育てるのが難しいとも伺います。さぞ苦労されたことでしょう。……どうされましたか?」
まるで寒気がするように二の腕を擦る美鈴に、信綱は爽やかな笑みを向ける。
その裏に込められた意味は、変な素振りを見せたらぶった斬るという物騒極まりないものだったが。
「な、なんでもないです。あはは、夏風邪でも引いたかなー?」
「それはいけません。花の手入れは一日も怠ってはいけないものです。この仕事が終わったら休みを頂いてはいかがでしょう?」
「か、考えておきます……」
「妖怪の門番というのも大変なのね……。あまり長居することにならないようにしましょうか、信綱さん」
「阿弥様の御心のままに」
恭しく阿弥の言葉に従う信綱を、美鈴は信じられないものを見るような形相で眺めていた。
傍若無人、誰が相手でも自分を崩さない、敵に対する情けは一片も持たず――そんな冷徹な姿は微塵もない。
あるのは真摯かつ誠実に、主人のために生きることに至上の喜びを見出す、仕える者としての姿。
狂っている、という感想が正直なところだった。
美鈴は彼が阿礼狂いと呼ばれる一族の人間であることを知らないが、奇しくも同じ答えに到達する。
また同時に、信綱に全幅の信頼を寄せているあの童女は彼をどう思っているのか疑問を覚えるのであった。
とはいえ口に出したら彼が怖い。自分の命に何の価値も見出していない者に、生殺与奪権を預けることほど恐ろしいものはない。死ぬのが怖い妖怪だっているのだ。
「薄暗い場所ですみません。我が主は吸血鬼ですので、日光を嫌っておりまして」
「吸血鬼は日光が苦手なのですか?」
阿弥が美鈴に尋ねると同時、信綱に視線を送る。
それを受けて信綱は懐から紙を取り出し、美鈴の言葉を記していく。
求聞持の力を持つ御阿礼の子に筆記は必要ないと思われがちだが、これがそうでもない。
文字通り見聞きしたことを全て覚えてしまうがゆえに、記憶の中から特定の何かを探り出すには時間がかかる。
そうならないためにも、要点をまとめておくのは記憶を掘り起こす際に役立つのだ。
後世の人々のために少しでも詳細に、少しでも対策と成り得る情報を残す。それが幻想郷縁起の役割であるが故に。
「ああ、幻想郷では吸血鬼は珍しいんでしたか。西洋では結構有名なんですけどね……っと、ここから先はお嬢様に直接お聞きください」
美鈴と阿弥が楽しそうに会話していると、ある部屋の前で立ち止まる。
異変解決の折に信綱が訪れた部屋ではない。応接間のようなものがあるのだろう。
恭しく扉が開かれ、中では茶の用意をして待ち構えるレミリアの姿と、その脇で本に目を落とす少女の姿があった。
一人は信綱にとっても初見だが、すぐに直感した。
――彼女が霧を起こした張本人である。
「はぁい、お二方。紅魔館の主、レミリア・スカーレットが二人を歓迎するわ。まずはお座りになって」
阿弥に殺意が届かないよう苦心して押し殺していると、レミリアが親しげに口を開いて椅子を促す。
「お嬢様、私はどうしましょうか?」
「残りなさい。主の私に護衛がつかないのはなんか負けた気がする」
チラ、とレミリアの視線が一瞬だけ信綱に向く。側仕えとしての本分を果たしている姿を羨ましいとでも思ったのだろうか。
レミリアの正面に阿弥が座り、その後ろに信綱が侍る。対するレミリアの後ろにも美鈴が立ち、話し合いの形は完成した。
「さて、まずは自己紹介と行きましょうか。永遠に紅い幼き月、ツェペシュの幼き末裔――レミリア・スカーレットよ。こっちは門番兼食事係兼雑用係兼肉体労働係の紅美鈴」
「役職多くないですか!?」
「八代目阿礼乙女。稗田阿弥と申します。こちらは側仕えの火継信綱。本日はよろしくお願いいたします」
「む、側仕え一言で済ませるのも格好良いわね……。美鈴もなんか一言で済ませられる役職ある?」
「門番って言ってるじゃないですか!?」
相変わらず威厳を演出しているようで素の人格がそれを否定している。この気の置けなさが彼女の持ち味なのかもしれないが、初見の人は置いてけぼりにされてしまうので勘弁して欲しい。
「……えっと」
「阿弥様、お気になさらず。彼女らは大体こんな感じです」
「父さ――信綱さんは異変の時以外にも?」
「……ええ、彼女らとはそれなりに懇意にしております。里には入れられませんが」
向こうから寄ってくるというのが正確なところだが、阿弥に上手く説明する自信がなかった。
「あら、あなたおじさまから異変解決したお話聞いてないの? そりゃもう格好良かったのよ?」
「その辺りも含めて、本日はお話いただこうかと。そちらの方は……」
「おっと、紹介が遅れたわね。私の親友の魔女、パチュリー・ノーレッジよ。普段は図書館に引きこもってるんだけど、良い機会だから紹介しておくわ」
阿弥と信綱の視線が本を読む少女――パチュリーに向けられるが、気にした様子も見せずに本に集中している。
レミリアは友人である少女の対応に肩をすくめ、阿弥たちに笑いかける。
「……と、まあ本の虫ってやつなのよ。特に異変の解決にはいい思い出がないらしくてね。おじさまのことも嫌いってわけ」
「…………」
黙して語らず。彼女が霧を出した張本人であることは確実であり、阿弥に直接被害を出した憎き敵なのだ。
口を開いて憎悪が漏れないと言い切る自信はなかった。
「えっと……」
「ああ、あなたが気にすることじゃないわ。パチェのは逆恨みみたいなものだし、むしろあれだけで済んで良かったって何回も言ってるのに聞かないんですから」
戸惑ったように信綱とパチュリーの間で視線を行き来させる阿弥に、レミリアが補足を加える。
実際はレミリアの頼みで霧を出したら巫女に殴られただけなので、実行犯であることを差し引いてもとばっちりは受けているのだ。
パチュリーは本から顔を上げると恨めしそうな目でレミリアを見据える。
「……お腹を殴られて、本当に痛かったのよ。内臓がグシャグシャになった気分だったわ」
「死んでないんだから良いじゃない」
「私はレミィと違って打たれ弱いの」
またも信綱らをそっちのけで話し始めた紅魔館の面々に、信綱は内心でため息をつきながら阿弥に進言する。
「阿弥様、彼女らの話を真面目に聞いていると日が暮れます」
「そ、そうね父さん。こっちもこっちで頑張らないと……」
「お二方、ご歓談はよろしいのですが、こちらの用件を通してもよろしいでしょうか?」
阿弥が気合を入れ直したのを見て、信綱は彼女らの話を遮るように口を挟む。
「おっとと、少し脱線しすぎたわね。客人を放置してってのは美しくないわ」
「では始めましょうか。まずはあなたの人里に対する考え方を」
「――非友好。そう書いておいて頂戴」
信綱は怪訝そうに目を細めるが、前に座っている阿弥は驚いた様子もなくそれを紙に書き込んでいく。
「はい、ではそのように」
「私は私を打ち倒したおじさまには敬意を払うわ。異変の折に課した約束は決して違えないし、おじさまが仕えるあなたにも真摯に応えるつもり。
――でもそれは人間に傅くことではない。私が優先しているのは約束の履行であって、人間を守ることではない」
その割に人里に来る時は結構友好的な体を装っているが、あれは少女と人間というある意味対等な立場での会話だから見逃されているのだろう。
人里を守るが傅くことはなく。彼女が人間の下にひれ伏すことは決してない。それが確信できる姿だった。
レミリアが人間という種族全体に向ける威圧を阿弥は受け止め、しかし涼しい顔で笑ってのける。
「ええ、理解しております。人間に打倒され、それでも生き延びた妖怪は皆似たようなことを言います」
「……どうやらあなたも普通じゃないみたいね。まるで同族と話している気分よ」
「うふふ、褒め言葉と受け取っておきます」
レミリアと正面から対峙している阿弥の姿に、感動を覚えてしまう。
これが御阿礼の子。代々転生して記憶を引き継ぎ、縁起の編纂という形で幻想郷に奉仕することが定められた人間――阿礼狂いの主。
吸血鬼という外来の鬼に対して全く怯むことなく対話を続ける姿は、信綱に一層の忠誠と精進を誓わせるのに十分な気迫があった。
「では人里からは無闇に関わらぬよう書いておきます。よろしいですか?」
「構わん。うちは観光名所じゃない。誰彼構わず来られるのは迷惑だ。――おじさまとお前は例外として、な」
「ありがとうございます。それでは妖怪に対してはどう思われてますか?」
「――嫌いだね。人間どもを飼って悦に浸って、そのくせ問題が起きた時の解決は人間任せ。
妖怪の楽園? 戯れ言を抜かすなよ化外ども。
異変の解決に当たったのが博麗の巫女と信綱、そしてスキマ妖怪の援護というのが余程腹に据えかねていたようだ。
しかしこの吸血鬼、存外に過激な思想を持っている。
「私たちは妖怪だぞ? 人間どもより遥かに優れた肉体と知能があるんだぞ? せめて気高く振る舞えよ。自分たちの縄張りを侵した奴に歯向かえよ。全くもって腑抜けている。それが私から先輩への言葉だ」
「……ええ、はい。ちゃんと記しておきますとも」
「誤解しないで欲しいけど、私は強い者、美しい者を愛するわ。まだこの世界の大半にそれを見ていないだけ。あなたとおじさま、二人は認めてあげる」
要するに自分が認めない者には冷たいということだ。信綱は内心でレミリアの言葉をまとめる。
その点では自分が彼女を打倒して正解だったのかもしれない。博麗の巫女が解決したのでは、レミリアは人里に価値は見出さなかっただろう。
と、そんなことは信綱にとってどうでも良い。今重要なのはレミリア相手に一歩も引かず立派に対話している阿弥の勇姿だ。
小さな子供の背中に何人もの御阿礼の子が幻視される。なんと気高く美しいことか。
ここが公の場でなければ平伏して生涯の忠誠を誓っているところだ。
実は三十年以上生きてきて、妖怪と相対する御阿礼の子を見るのは初めてな信綱だった。
「ありがとうございます。うふふ、新しく来た方に認めてもらえて光栄です」
「……なんだかね。どうにもやりづらい。子供なんだか大人なんだかサッパリだ」
「お嬢様がそれ言います?」
「美鈴、十秒以内に紅茶を用意しないと夕飯抜き」
「無茶言わないでください!?」
「……仲が良いよね、みんな」
気を抜いたらあっという間に彼女らの空間ができあがる辺り、本当に深い付き合いであるということが伺えた。
それを読み取った阿弥がこっそりと信綱の方を振り返って囁いてくる。
「……あれを見習った方が良いのかはわかりませんがね」
「あはは、父さんには難しいかな」
「むぅ……」
唸るしかない。阿弥が望むなら鋭意努力する所存だが、上手くできるかは別問題である。
阿弥と信綱が話していると、お茶を用意した美鈴が薄い陶器の小さな茶碗を二人の前に並べていく。
透き通った琥珀色の液体が湯気を立てて注がれ、優しい花の芳香が漂ってくる。
「わ、綺麗な色……」
「紅茶は初めてかしら。東洋の緑茶とやらも美味しいけど、これはこれで美味しいものよ。ああ、毒を入れるなんて無様なことはしないから安心して」
レミリアは同じ茶器で入れられた紅茶を飲んで、毒が入っていないことを証明する。
「……ふむ」
阿弥が口を付ける前に、信綱は自分の前に置かれた紅茶を口に含む。
熱くて甘く、そして僅かな渋みを含んだ液体がより強く香りを引き立てる。
渋みは茶そのもののそれ。緑茶などよりは柔らかい味で、より万人向けの味と言えた。
――懸念していた血の臭いも、舌を刺すような毒も感じない。
「阿弥様、冷めないうちに飲んだ方が美味しいようです」
「熱いのはちょっと苦手だけど……頂きます」
取っ手を持ち、もう片方の手でカップを支えるように持った阿弥が紅茶を口に含む。
恐る恐るという風体だったが、口にして味を確かめた瞬間、その顔に花が開いたような笑みが生まれる。
「美味しいです! 甘くて、香りが良くって……」
「喜んでもらえて嬉しいわ。おじさまはいかがかしら?」
「……美味かと。あまり嗜好品に詳しくはないので、細かいところはわかりませんが」
「そうかしら。その割には真剣な顔で吟味していたみたいだけど」
「馴染みのない味でしたので」
レミリアの追求を適当にはぐらかす。向こうも自分が毒味をしたとわかっていてからかっているはずだ。
バカ正直に相手に付き合う必要はない。そう結論付けて紅茶を飲み干す。
「レミリアさん? 信綱さんがどうかされましたか?」
「良い従者を持てて羨ましいってことよ。さて、取材の続きはあるのかしら?」
「では――人間があなたに遭遇してしまった場合の対処法などをお聞かせ願えないでしょうか?」
「私は基本的にここから動かんし、自発的に動く時は無闇に被害は与えん。それ以外で遭ったら諦めなさい」
信綱も内心で同意する。彼女の弱点はあるだろうが、恐らく特効と言えるほどの効果はない。
以前に日光を浴びても火傷ぐらいだったのだ。無意味にはならないが、決定打にもならない。そんな印象を覚えた。
ましてそれで命が助かるか、と問われると否である。
「い、一応弱点とかは……」
「銀、流水、日光。私の国では一般的にこういったものが弱点とされた。存外、東洋の鬼と同じものが効くかもしれないけど、そちらは試したことはないわね」
「つまり遭わないに越したことはない、と。一応、弱点の類も乗せておかないと人々が不安になってしまうので。ご協力に感謝します」
「他に聞くことなんかはあるかしら?」
「いえ、おかげさまで縁起に載せるのに十分なお言葉が集まりました」
阿弥が書き込んでいた紙をしまい、笑って感謝の言葉を述べる。
それを見たレミリアが最後に、愉しむような笑みを浮かべて退出の言葉を放つ。
「そう。――お互い、仲良くやっていけると良いわね、阿弥?」
手土産にと渡された紅茶の包を持って、阿弥と信綱の二人は紅魔館を後にする。
見送りに来た美鈴が阿弥に朗らかに笑い、ひらひらと手を振る。
「お嬢様も久しぶりの来客に楽しそうでした。あと、そちらの方の普段は見ない姿も見られたので」
「恐縮です。……笑ったらわかってるな?」
阿弥の側仕えとしている間は、私人としての個はほとんど封印している。
とはいえこれをネタに後々からかわれても鬱陶しいので、こっそりと釘は刺しておく。
「は、はいぃ!! 相変わらずこの人怖いぃ……」
あっという間に青ざめる美鈴に、ここまで嫌われることだったかと少し首を傾げてしまう信綱。
最初に会った時に本気で殺そうとしたのが余程トラウマになっているらしい。悪いことをしたとは思っていないので反省はしていない。
「信綱さん?」
「申し訳ありません。では、失礼いたします」
阿弥の呼びかけに応え、彼女の後ろについて歩き出す。
そうして美鈴の姿も見えなくなった辺りで、阿弥が立ち止まる。
「…………」
「阿弥様? どうかされましたか?」
立ち止まった阿弥に声をかけると、腰の辺りに小さな衝撃が走った。
視線を下げると、阿弥が信綱の腰に抱きついているのがわかる。何があったのかと思い、信綱も腰を下げて阿弥と視線を合わせる。
「…………」
「阿弥様?」
「……もうちょっとこのまま」
胸に回される腕は微かに震えており、胸に埋められた表情は窺い知れない。
先ほどは立派に妖怪相手との対話をしていると思っていたが、訂正しよう。彼女は彼女なりに必死に頑張っていたのだ。
自分のものではない記憶と信綱以外に頼れるものがない。そんな中で十歳にも満たない少女が何百年も生きた妖怪と話すなど、どれほどの緊張があったか。
信綱は彼女の内心を見抜けなかった己に恥じ入りながら、阿弥の背中に手を回して優しくその背を叩く。
「よく頑張りました。ご立派でしたよ、阿弥様」
「……抱っこ」
「わかりました」
ひょいと阿弥の軽い身体を抱えて立ち上がる。
彼女は怖いなどの弱音は吐かないだろう。歴代の御阿礼の子は成し遂げたのだから、大丈夫だと言い張るはずだ。
ならば自分が支えてやらねば。この小さな身体に課せられた役目が少しでも楽になるよう、力を尽くさねばと信綱は気を引き締める。
そして人里への帰り道、阿弥は信綱の頬に自分の頬を寄せて――
「父さんがいてくれて良かった……」
そんな、心からの言葉を告げるのであった。
「……望外の喜びです。阿弥様」
この人のために生きよう。阿弥を抱く力を微かに強めて、信綱は静かに笑いながら歩くのであった。
意外とギザギザハートの持ち主なれみりゃ。
認めた相手には懐が深いですけど、そうでなければ全方位棍棒外交なお人です。
実はれみりゃの計らいでパチェさんとノッブ戦わせようかなと思ったりしてたんですけど、話の流れ的に没になりました。
ノッブ、基本御阿礼の子の前で戦う事自体を嫌っています。主を危険にさらすとは何事かという意味で。
他にも霧の異変の時に吸血鬼は死体を操ることができるという伝承を元に、骸骨を操って襲わせる。その中には阿七の遺体もあって――という草案がありました。
が、やったが最後紅魔館の終焉待ったなしになるというか、もう何がどうなっても阿礼狂い入ったノッブに殺さない理由なくなるなという考えでお蔵入りに。
ともあれこんな感じで幻想郷縁起の取材が始まります。楽しみにしてくださると幸いです。