阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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サブタイトルに死ぬほど悩んだ今日このごろ。


巫女と阿礼狂い

 最近、何かときな臭いと哨戒中の白狼天狗――犬走椛はぼんやり思う。

 幼少の頃とは見違えるように心身ともに成長した人間の友人とは、ここしばらく会っていない。

 

 それ自体は別に良い。向こうが来たらこちらも行く。逆にこちらから人里は尋ねない。そんな暗黙の了解があった。

 それに彼はもう自分などよりよっぽど腕も頭も立つ。こちらが心配するまでもなく、たいていの問題は自力でどうにかしてしまうだろう。

 ……最近彼から聞かされた百鬼夜行の話には度肝を抜かれたが。

 

 これにも思うところはない。いや、本音を言えば彼の間の良さというか悪さに拍手したい気分だった。

 ああも面倒事に巻き込まれるのは一種の才能である。

 やはり自分の見立ては間違っていないのだろう。幻想郷にて起こっている変化、大きな流れの中に彼は立っている。

 そして自分も彼の隣りにいる以上、変化とは無縁でいられないということなのだろうか。

 

 天狗の上層部がここしばらく、全く動きを見せない。千里眼で覗いてみても不気味なまでの静けさを保っている。

 反面、天魔と彼が率いる部下は忙しく動いている様子があった。

 これまで延々と終わらない会議をしていたのは何だったのか。嵐の前の静けさを連想させる、不気味な空白期間が現在だった。

 

「はぁ……」

「おや、ため息をつくと幸せが逃げますよ?」

「うわっ!?」

 

 思わず零れたため息を耳聡く聞きつけたのか、後ろからここ最近で聞き慣れた声がした。

 

「あやや、そんなに驚かれると少し傷つきますねえ。椛」

 

 自分とは一生縁がないと思っていた烏天狗、射命丸文その人の姿に、椛は内心で微かに警戒を強める。

 

「射命丸、さま……」

「文で構いませんのに」

「そういうわけには。私はしがない白狼天狗ですから」

 

 友好的に話しかけてくるが、彼女に付きまとわれる理由など思い当たらない椛にとっては不審以外の何ものでもない。

 何やら最近よく人里の方に足を運んでいるようで、いつか決定的な問題でも起こるんじゃないかと気が気じゃなかった。人妖の共存が遠のいたらどうしてくれる。

 

 ……よもや自分の友人である青年に会いに行っているなど夢にも思っていない椛だった。

 

「最近はどうです? 何か変わりはありませんか?」

「いつも通りですよ。誰も入ってこないし、何も変化はありません」

「そうですか。霧の異変も今は昔、終わってしまえばまた退屈な日常……。椛は退屈じゃありません?」

「……いえ、これで暇をつぶすのは得意なんです。することがなければ剣を振るのも悪くありません」

 

 主に青年との修練で受ける怪我を減らすためにも。

 四半世紀前に出会った子供が今や自分など置き去りにするほどの存在になり、自分を鍛えようとしているのだ。暇を持て余すなんて彼の前で言ったら手足が五回は落とされる。

 最近は割りと優しい姿もよく見せてくれるのだが、鍛錬の時には全く手心を加えてこない。何度死ぬかと思ったか。

 

 それに自分はあの青年と知り合ってから退屈とは無縁の生活を送れている。その点は文に対して微かな優越感を抱けることだった。

 

「真面目ですねえ。そんなに頑張ってもすることがなければ退屈でしょう?」

「ちゃんとした目的があればそうでもありませんよ。何かを追いかけるというのは良いことです」

 

 妖怪というのは総じて寿命が長い。白狼天狗の中では比較的若い椛でさえ数百年は生きている。

 そのため時間に緩く、目的意識が低いことが多い。時間は豊富にあるのだから、ゆっくりやっていけば良いと考える者が多いのだ。

 椛も昔はそうだったが、生きている限り全てを御阿礼の子に捧げる青年の熱意に当てられてしまった。

 彼に会うことがなければ、自分は今も怠惰に時間を過ごすことだけを考えて生きていただろう。

 

「ふむ、今は何か目的でもあるのですか?」

「ええ、まあ。今はまだ願望ですけど、いずれは実現させますよ」

 

 椿と信綱のように、互いにすれ違った末に殺し合わなくて済む幻想郷を。

 例え喧嘩になっても仲直りができるような世界を、椛は強く願うようになっていた。

 

「……あなた、やっぱり他の天狗とは違いますね」

「何がでしょうか?」

 

 しかし少々話しすぎた。文は椛のことを興味深そうな顔で見つめており、完全に関心を持たれてしまったことが伺えた。

 

「昨今の天狗社会ときたらどいつもこいつも目の前のことばっかり! 大天狗は自分たちの保身と他人を蹴落とすことで頭が一杯だし、烏天狗も権威とか血筋とかばかり前に出して! 白狼天狗は自分たちが下っ端だからって何にも考えないで日々お気楽に過ごしているだけ!」

「はぁ……」

 

 ずいぶんと溜め込んでいるんだな、と椛は他人事のように思う。

 確かこの射命丸文という烏天狗、天魔の部下みたいな立場だと聞いていた。

 事実ここ最近、天魔の居室から忙しなく出て行く彼女を千里眼で見た覚えがある。

 

「退屈こそ妖怪を殺す最悪の毒だっていうのに。あなたと椿は違った」

「……椿さんを知っているんですか?」

「この狭い天狗社会、変わり者なんてあっという間に噂のタネよ」

 

 いつの間にか文から慇懃な態度が消えて、ざっくばらんとした話し言葉になっていた。

 先ほどまでの話し方はある種の仕事言葉だったのだろう。椛も親しい友人と話す時は口調が砕ける。

 

 ……不思議と信綱に対してはなかなか崩す気になれないのが素直に疑問だった。はて、何か彼に対して素の口調を恥ずかしがる理由などあっただろうか。

 しかしその疑問を深く追及する前に文が話しかけてきたため、椛の思考はそちらに向かってしまった。

 

「あなたとも友人だったって聞いて話しかけてみたわけ。そうしたら案の定あなたも面白い。そこらの烏天狗なんかよりよっぽどね」

 

 文の言葉を喜ぶべきか嘆くべきか全く判断がつかなかった。

 曖昧に微笑んで無難な言葉を口にし、お茶を濁しておく。

 

「……ありがとうございます?」

「なんで不思議そうなのよ。まあいいわ、これからも良い付き合いができると嬉しいわね。――では! 私はこれにて失礼します!」

 

 言いたいことだけを言って、文は砲弾に見えるほどの凄まじい速度で人里へ向かっていってしまった。

 

「嵐みたいな人だなあ……」

 

 嫌な感じは受けなかった。きっと彼女にも悩みや抱えているものはあって、それが今解消されようとしているのだろう。

 椿は人間に関わって破滅した。文は人間に関わって変化しようとしている。そして椛は人間に関わって願いを持った。

 

 どの起点にも人間が関わっている。しかも椿と椛は同一の人間が。

 ……さて、今の人里において彼女と対等に話せる立場の人間など数えるくらいしかいないはずだ。

 

「……まさか、ね」

 

 文が執着している人物は、自分の親友である青年のことではないか。そんな想像が浮かんできてしまい、思わず吹き出してしまう。

 千里眼で確かめる必要は感じない。椛の想像が当たっていたとしても、どうせ後々わかることである。

 

 それにどこか誇らしい気持ちがあった。自分たちが育てたと言っても過言ではない人間が、今や天狗社会において大きな存在感を示し始めている。人間を見下す傾向のある天狗社会において、だ。

 我が子の成長を眺めるような、愛弟子の開花を褒め称えるような――あるいは、無二の相棒の躍進に胸を張るような、名前はつけられないけれど大きな気持ち。

 

「本当、退屈とは無縁になりますよ」

 

 誰にでもなくそうつぶやき、椛はいつも通り哨戒に戻っていくのであった。

 但しその耳と尻尾は機嫌良さそうに揺れていたが。

 

 

 

 

 

 逃げたいと、そう強く思ったことはないだろうか。

 信綱の記憶にはなかった。実際に逃げたことはあるが、その時だってできるなら逃げない方法を選びたかった。

 

 だが今は違う。直面している問題に対して、信綱は強烈に逃げ出したい気持ちが抑えられなかった。

 

「だからここに来たってわけ?」

「うむ」

「帰れ」

「賽銭を入れてやっただろう。かくまってくれ」

 

 場所は博麗神社。その居住区である縁側――参拝客の目にも止まりにくい場所で、信綱は博麗の巫女が出す茶を片手に空を眺めていた。

 

「いや、お賽銭もらったからお茶ぐらい出すけど……。あんた良いのそれで?」

「時にお前の服装、それで寒くないのか?」

「人の話聞きなさいよ!!」

 

 握り拳が振るわれるが、首を傾けるだけで避けてしまう。

 婚姻絡みの話をするなという思念が信綱の背中から漂っており、巫女も諦めたように隣りに座って自分の分のお茶を飲むしかなかった。

 

「……実のところ、なんとかなりそうな目処はつけているんだ」

「へえ?」

「ウチはそれなりに規模が大きい。俺が子を作らなくても分家筋やら本家筋の連中が作ればどうにかなる。それに――」

 

 火継の歴史において信綱が最高傑作であることは疑いようもないことであった。

 おまけに異変を解決に導いた人里の英雄であり、知名度も群を抜いて高い。

 強い血を後世に残したいという火継の事情と、これを機に火継の家に取り入ろうという人里の名家の思惑。

 様々なものが絡み合って、信綱はおいそれと嫁を娶るのが難しい立場になりつつあった。

 

「ウチはお前ほどじゃないが、里の運営からは距離を取っている。あまり深入りするのは望ましくない」

「ふぅん、でもそう言って何とかなるの?」

「ならないからこうして逃げているんだ」

 

 頭目は異変を解決する力を持ち、他の者たちも妖怪と正面から戦える武力を持つ集団。是が非でも我が一族に取り入れたい、と思うのは自然のことだ。

 以前は阿礼狂いという肩書がそれを遠ざけていたが、信綱は少々人里からの好意を得すぎた。自分たちにも力を貸してくれる存在ではないかと思われてしまっているのだ。

 

 そんな人間らが用意する女と結婚したら、今は信綱が抑えても次の時代以降で確実に不利益が生まれる。

 御阿礼の子を守るために生きる一族だ。他の一族と癒着するのは本意ではなかった。

 

 が、さりとて普通の人と結ばれるのも火継の人間は良い顔をしない。上述の通り信綱は一族の歴史を紐解いても二人と見ないほどの才覚を持っている。

 ならば次代にも相応の血を残したいと思うのは至極当然の話であり、あてがわれる相手にも相応の力が求められる。

 

「――と、話がこじれ出してな。俺の一存で決めても良いんだが、あいにくとそんな相手もいない」

「阿弥はどうなのよ?」

「まだ十にもならない阿弥様を相手にとか、変態かお前? 常識的に考えろ」

「なんであんたに常識語られなきゃならないのよ!」

 

 振るわれる両拳を、手首をつかむことで抑えこむ。鍛えられているのだろうが、それでも女の細腕。片手で握り込める。

 

「離しなさいよ!」

「火継は御阿礼の子にそういった思いは抱かない。ただ力になれればそれで良い」

 

 両手を抑えて蹴られてはたまらないので、巫女の身体を縁側の床に押さえつける。

 ジタバタ暴れられるが、こと体術においては博麗の巫女より自信があった。

 

「だったら妖怪相手にでも盛ってればいいじゃない! レミリアなんてあんたにご執心でしょ!」

「…………」

 

 そっと手を離し、静かに距離を取る。子供相手とかあり得ないと言った直後にこれとは、博麗の巫女の今後が危ぶまれる。

 よもや幼子にしかそういった目を向けられないのだろうか。次代の危うさは火継以上だと言わざるを得ない。

 

「そんな憐れなものを見る目で見るなーっ!!」

「いや……あれだぞ? 同性同士で子は無理だぞ?」

「なんでいつの間に私の性癖扱いになってんのよ!?」

「近づかんでくれ、童女趣味が感染(うつ)る」

「ぶっ飛ばす!!」

 

 本気で怒った博麗の巫女が手足を振り回すが、信綱は苦もなく受け流す。

 巫女が疲れるまでそれに付き合い、肩で息をし始めたところで信綱は再び縁側に腰を下ろして茶を飲み始めた。

 

「まあお前の性癖はさておき、俺には相手もいなければその気もないということだ。もうしばらくすればほとぼりも冷めるだろう」

「それまで私の神社は駆け込み寺扱いなのね……」

「賽銭は入れるから許せ」

 

 なんだかんだ信綱にとっても居心地が良いのだ。賽銭を多めに入れれば茶菓子も出てくるし、巫女の距離感も不快に感じる手前ぐらいを実によく理解している。

 と、そんな風に二人で静かに茶を飲んでいると、巫女がふと口を開いた。

 

「……あんたさあ、結婚とかする気ないの? 他所の事情は置いといてあんた自身の意思で」

「今のところはな。幸か不幸か、あの異変で必要が遠のいた」

 

 より正確に言えば、信綱自身が子を成す利益と、それによって生まれる不利益が釣り合わなくなりつつある、といったところか。

 強い女などそこらにいるはずもなく、さりとて権力者の娘をもらったら後々面倒になる。そういった事情を鑑みて、信綱は執拗に自分の娘を勧めてくる人から逃げていれば良かった。

 

「じゃあ一生独身?」

「何もなければな。妖怪と結ばれても構わないなんて言うほど熱意あふれる性根でもない」

 

 半妖が阿礼狂いの血を引くかもわからない。阿礼狂いは人間にのみ許された特権であり、妖怪の血が混ざったら発現しなくなる可能性だってある。

 

「…………」

「……何が聞きたいんだ?」

 

 押し黙ってしまった巫女に不思議そうな顔をする。まだ彼女には言いたいことがあるのだと、信綱はなんとなく理解していた。

 

「……博麗の巫女って、どうやって決まると思う?」

「うん? そりゃあ、代々そういう一族がいるんじゃないのか?」

「ハズレ。それじゃどうして神社に家族がいないのよ」

「む……人里に家があるとか……ではないんだな?」

 

 首を横に振られる。信綱はこれまで一度も考えたことのなかった博麗の巫女という存在について思考を巡らせていく。

 

(人里の人間から選ばれる……は、あるのか? しかし先代以前を俺は見たことがない。……いや、そもそも――こいつの先代は誰だ?)

 

 隣で茶を飲んでいる彼女は自分とほぼ同年代のはず。

 ならば信綱が幼い頃の博麗の巫女は誰が務めていた? 引退したはずの巫女はどこにいる?

 

「……外の世界から持ってくる、か? 少なくとも幻想郷にいないのなら、そこしか思い浮かばん」

「正解。私も先代も、物心つかないくらいの小さな頃にここに連れてこられた。

 先代がどうなったかはわからない。紫に連れられて、次はあなたが巫女だと言われてそれっきり神社での生活ってわけ」

「…………」

 

 先代以前の、それこそ初代の博麗の巫女はこの事態をどう考えているのだろう。そんなことを思った信綱だった。

 そんな信綱の隣で博麗の巫女は縁側に体育座りしながら、ブツブツと隣りに座る者以外に聞こえない声音で話を続ける。

 

「それで何が言いたい」

「もしも、私が死ぬことなく巫女の役目を終えて、引退することができたら……」

「できたら?」

「余生は誰かの家で過ごしたいなあって……」

 

 チラチラと信綱の方を見ながらの言葉。それを受けて信綱は得心したようにうなずき――

 

「そうか、頑張ってくれ」

 

 大真面目な顔で巫女の願いを応援すると言い出した。

 自分のことを指しているとは夢にも思ってない顔である。

 

「話の流れから察しなさいよ!?」

「……ああ、なるほど。――いや、正気か?」

 

 正気を尋ねるのも無理はない。なにせ巫女に好かれるような行動をした覚えは一切ないし、事実してないはずだ。

 人の好意とは相応の行動と時間を以って醸成されるものである。

 人が持つべき普遍的な好意について、そんな認識を持っている狂人にとっては、巫女の言葉は青天の霹靂に等しい。

 

「正気じゃないに決まってる。私だってあんたに声かけてる自分に驚いてるし、仮に一緒になったってあんたは私を愛さないでしょ」

「そうだな。俺が心を全て捧げる相手は阿七様であり、阿弥様であり、御阿礼の子だ」

 

 無論、それとは別に伴侶となるなら大事にはする。が、間違っても愛は生まれないだろうし、御阿礼の子との二者択一になったら迷わず切り捨てる。

 寸暇の迷いもなく言い切った信綱に、巫女は赤らんだ頬を隠すように体育座りの膝に顔を埋める。

 

「わかってるのよ。吸血鬼異変の時に散々見せられて、あんたは頭おかしいやつなんだって」

「うむ、それは正しい見方だ。だからさっきの言葉が自分に当てられたものとは思わなかった」

 

 彼女には相応以上に――いや、ひょっとしたら幻想郷において誰よりも狂った信綱を知っている。

 椛ですら片鱗を見ただけ。何も映さない狂気の瞳を覗いて生きている人間は、正しく博麗の巫女だけだ。

 

 何をトチ狂ったのか妖怪の中には好意を持つ存在もいるが、あれは彼女らが異常なだけだ。頭おかしいんじゃないだろうかと思っている信綱だった。

 

 ともあれあの姿を見た人間が好意を持つことなど、万に一つもあり得ない。そう思っていたのだ。

 自分が常人とは逸脱した姿を見せた自覚はある。そして異質な同族に対して人がどんな目を向けるのか、信綱は知識として理解しているつもりだ。

 

「だけど、私をただの女として見てくれるのあんただけなんだもの……」

「俺は別にお前を女だと思ったことはないぞ?」

 

 飄々としているようで真面目。むしろ真面目過ぎて肩の力が抜けてないんじゃないかと思ってしまう。

 そんな少しお節介を焼きたくなる知り合い程度の認識だった。

 

「そういう意味じゃないわ。一人の人間として扱ってくれたってこと」

「……ただの知り合い程度ですら、お前には重いのか」

 

 驚愕の感情より先に憐憫の感情が浮かんでしまう。自分と似通っている存在だと思っていたが、その内実は恐らく火継より重い。

 そもそも、火継は最初から御阿礼の子に狂っている。狂っていれば何の迷いも持つことはない。

 

 しかし博麗の巫女は人間だ。気が触れることなく、自らの意志で幻想郷に全てを捧げる立場に居続けるというのは、そこにどれほどの重荷があるのだろう。

 おまけに人も来ない、孤独なまま。

 

 故にこれは同情が多分に含まれた選択になる。

 火継信綱という人間は、御阿礼の子が絡まない限り人道を重んじ、努力が報われることを是とする人間であるよう心がけていた。

 

「……わかったよ」

「まあ急な話だとは思うわ。私も自分で何言ってんだろうって思うし……は?」

「お前が巫女の役目を退いて、一緒になる相手がいない時はもらってやる。そう言ったんだ」

 

 婚儀の相手など信綱は誰でも良く、するもしないもどうでも良い。ただ、今は立場と周囲がそれを阻んでいるだけで。

 彼女が役目を終える時には、信綱もそれなりの歳になっているだろう。

 無論、生涯現役を目指すので巫女を愛することはないが――彼女が孤独になるのを防ぐくらいならできる。

 

「え、ちょ、嘘……? 正気?」

「狂った決断だと思うなら、引退する前に相手を見つけろ。俺と一緒になってもロクなことにならんだろうよ」

 

 ため息をついて、巫女の側に置いてある茶菓子のせんべいをまとめてもらって齧る。

 呆けた巫女は気づいていないが、このぐらいは必要経費だと思ってもらおう。

 

「……本気で言ってるの?」

「別に今すぐでなく、引退なんて十年二十年は先の話だ。それに証文も何もないただの口約束。お前が破るのは自由だ」

「あんたは破らないの?」

「どっちでも良い。どっちでも良いからお前の好きにすれば良い」

 

 信綱の言いたいことはここに集約される。巫女の努力の結果が幻想郷の平和だけでは、彼女への報酬が少なすぎる。

 その報酬を自分にとってどうでも良いもので補えるなら、これほど楽なことはないというだけだ。

 巫女も驚愕から冷め、信綱の言いたいことが徐々に飲み込めてきたのか呆れた顔を隠さない。

 

「……要するに、私が頑張らないとあんたと一緒にさせられるってことか」

「そうなるな」

 

 ふっと相好を崩す。純粋な好意なのか、それともたまたまできることがあったから言っただけなのか。巫女に理由はわからない。

 しかし、失敗しても受け止めてくれる存在がいる、というのは思いの外肩を軽くするものであった。

 

「……私もあんたみたいな奴と一緒になるなんてゴメンだわ! これは気合入れて良い人探さないとね!」

「その意気だ。せいぜい良縁は逃がさないようにしろ」

 

 これはある種の発破に近いのだ。自分などと一緒になりたくなければ頑張れという。

 もう少しマシな方法はなかったのかと思うが、自分の与える影響というものを軽視している狂人にはこれが精一杯なのだろう。

 

 

 

 ――自分が相手にどう思われているのか、全く頓着しない彼らしい失敗と言えた。

 

 

 

 無論、この時点で互いに特別な感情など持ってはいない。博麗の巫女も口ではああ言っているが、信綱のことなど狂っているけど悪いやつじゃない、程度の知識しかなく。

 また信綱も巫女のことなど何も知らない。こちらは単純に興味がないだけなおタチが悪い。

 

 今、この二人が共に生きる道理はない。

 だが、これが十年二十年先どうなっているかは――誰も知る由などないのだ。

 

 

 

 

 

 春の日差しが人々に眠気を誘う暖かさを提供している昼下がり、信綱と阿弥は並んで帰り道を歩いていた。

 阿七に手を引かれて歩いていた時とは違い、今は信綱が阿弥の手を引く側になったことを感慨深く思いながら、柔らかな笑顔を浮かべる。

 

「改めてご卒業、おめでとうございます。何か祝いの料理でも作りましょう」

 

 今日は阿弥の寺子屋を卒業する日だった。

 といっても他の者のように学業を修めたという意味での卒業ではなく、彼女の子供でいられる時間の終わりを意味していた。そのため未だ阿弥は十にもならない少女である。

 それを承知の上で信綱は阿弥を祝ぐ。寺子屋での友人との縁は意外と切れないことは自身も身を持って理解しており、何より避け得ぬことだ。

 ならば少しでも良い気持ちになっていただこうと思うことの何が間違いなのか。

 

「父さんが料理するの?」

「これでも阿七様の料理を作っていたのは私ですよ」

「嘘!?」

「本当です」

 

 薬草や薬膳の知識だけ持ってても宝の持ち腐れである。信綱一人で阿七や阿弥の面倒を見られることが理想なのだから、生きるために必要な衣食住は最低限できるようにしてあった。

 突出した武力の逸話ばかりが増えているため武張った人間だと思われがちだが、これでも自発的にやろうと思ったことは大体そつなくこなしてしまうのだ。

 

「知らなかった……。なんで黙ってたの?」

「褒めていただきたくてやったわけではないので。あの時は阿七様のお身体が良くなることだけを願っていました」

「じゃあ今は?」

「無論、阿弥様が健やかに育たれることを願ってますよ」

「えへへ……」

 

 はにかんだ笑みを浮かべて阿弥が手を握る力を強くする。それにもう一度微笑みを返す。

 こうして歩いていると本当の親子のようにしか見えないだろう。阿弥もそれを望み、信綱はそれに応えている。

 だが――ここから先はそうも言っていられない。

 

 彼女に残された時間は少なく、そして果たすべき使命があるのだから。

 

「縁起の編纂はいつから?」

 

 信綱がそのことについて問うと、阿弥の雰囲気が天真爛漫な子供のそれから、人里の歴史をその目で見続けた老獪なもの――御阿礼の子のそれに変わる。

 

「ん、慧音先生から借りた私がいない間の歴史書の確認と、外から来た妖怪の確認が最初かな。私が生まれてすぐの異変もあったんでしょ?」

 

 吸血鬼異変のことである。慧音も歴史にまとめてはいるが、実際にレミリアのことなどを記すのは阿弥の役目だ。

 編纂が始まったら真っ先に向かうことになるだろう。阿弥は求聞持の力で見聞きしたことを忘れないが、レミリアの記憶は有限であり、遠くの時間から削れていくものである。

 

「ええ、里で死者が出ました」

「一人だけなら昔より良いのよ。幻想郷ができた始めの頃は何回里が滅ぶと思ったか……」

「阿弥様」

 

 過去のことを忘れられない阿弥が嫌なことでも思い浮かべたのか、暗い顔になったのを目敏く見抜いた信綱は立ち止まって阿弥の頭に手を置く。

 

「過去は過去、今は今です。……あなたを悲しませるものは私が全て退けます。ご安心ください」

「……うん、信じてる。父さんのこと」

「ええ、信じてください。それだけで私は誰にも負けなくなる」

 

 信綱の言葉に阿弥は小さく笑みを浮かべ、頭に乗せられた手に自分の小さな手を重ねる。

 

「私を守ろうとしてくれた人は多く知っている。でも、こうしてくれた人はいなかった」

 

 落ち着いて、暖かな声音は信綱に阿七を幻視させる。

 阿七にされたことをつい自分もやってしまったと思った信綱は、戸惑ったように口を開く。

 

「む……気分を害されたのならもういたしませんが」

「あ、ううん、私も阿七の気持ちがわかっただけ。こうやって触れ合えることは、とっても素敵なことなんだなって」

 

 阿七もそう思っていてくれたことに対し、信綱は嬉しく思いつつも表には出さない。

 今の自分は阿七の側仕えではなく、阿弥の側仕えなのだ。彼女を前に阿七の話をすることは、阿弥より阿七を重んじていると宣言することに他ならない。

 

「……そうですね。阿弥様と共にいられて私も幸福です」

「えへへ、ありがとう父さん。それじゃあ帰りましょ!」

 

 阿弥は信綱の手を大きく振りながら元気良く家への道を歩く。

 その隣に立って、穏やかな顔で弾んだ笑顔の阿弥を見守る。

 

 阿七の側仕えになった時、すでに幻想郷縁起の編纂はほぼ終わっていた。それ故、信綱は阿七を伴って妖怪の領域に向かうことはなかった。

 だが、阿弥は違う。幻想郷の過渡期である現在、彼女は恐らく歴代において最も妖怪の領域に踏み込む御阿礼の子となるだろう。

 当然、信綱もそれに付き従うことになる。

 

 ならば彼女の笑顔が曇らないようにしよう。

 不安があるなら払えば良い。恐怖など持たせないほど自分が強くなれば良い。痛みがあるなら代わりに受けよう。

 御阿礼の子が持つ妖刀であるこの肉体。彼女のためなら喜んで万物を斬り裂く利剣となろう。

 それで彼女に幸福な時間の一助になれるなら望外である。

 

 信綱は自身により一層の精進を課して、御阿礼の子と共に生きることを改めて誓う。

 

「……阿弥様さえよろしければ、少し寄り道をして帰りませんか?」

「ふぇ? どこかに寄るの?」

「ええ。ご卒業のお祝いに何か髪飾りでも見ましょう。食事以外にも贈らせてください」

「え、そんな……良いの?」

「もちろん。父が娘の成長を祝うのは当然です」

 

 本物の父親のような言葉遣いは難しいが、このぐらいはしてやりたかった。

 それに家に戻ったら否応なしに御阿礼の子としての時間が待っている。

 ならば今だけはゆっくりと子供の時間を過ごして欲しい。

 

「あ……うん!」

 

 満面の笑みを浮かべる阿弥の子供らしい姿に、自身の行いが良いことであることを願いながら、市場への道を阿弥の足に合わせてゆっくりと歩いていくのであった。




次回以降でようやく縁起の編纂が始まります。要するに天狗の里に赴く用事もあるということだ(ゲス顔)

ノッブは婚姻関係はそんなに気にしていません。これに関して自主性はあんまりないので、周囲が揉めれば揉めるほどに婚期が遠のいていく。
ちなみに神社に向かう姿は目撃されているため噂は立ちつつあるという。人里と接点が少ない巫女とうわさ話に興味を持たない狂人のコンビなので、気づくのは相当遅くなります。

なお現段階での好感度はお互い20ぐらい。知り合いから友人にシフトチェンジする手前ぐらいをイメージしていただければ。
そんな適当な口約束ですが、果たして履行されるのかどうか。それはまだ誰にもわかりません。

椛がかっさらったら? うん(目をそらす)

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