阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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いいか、お前ら。この投稿ペースに慣れたらダメだぞ! 今がボーナスタイムぐらいに思っておけ! いや、本当に。
基本的に書き溜めとかもあんましないので、どっかで失速すると思ってください。


地底の妖怪

 地底へと通じる穴から顔を出すと、まず差し込む陽の光に目を細める。

 

「う、眩し……」

 

 地底にも灯りはあるのだが、やはり燦々と降り注ぐ日光には遠く及ばない。

 とはいえもともと日光が好きというわけでもない。それは眩しい以上の感慨を抱くことなく、やがて目が光に慣れるのに合わせて完全に身体を地上に現れさせる。

 

 少女――火焔猫燐は視界に広がる森の緑に圧倒されながら、辺りを見回す。

 

「ここが地上かー……」

 

 燐は地上で生まれた妖怪ではない。地上でも暮らすことが難しいとされた妖怪たちが地底へと潜り、そこで飼われていた猫が妖怪として化生した――元はただの黒猫である。

 とはいえ今は火車。人間の死体を持ち去り、地底の灼熱地獄跡に焚べることが役目でもある。

 我ながら地上にはいられないだろうな、とは思う。死体が大好きで仕方がない妖怪など、近寄って欲しいと思う人間は間違いなく奇特な部類だろう。

 

「ううん、草木の香りがすごいなあ。日向ぼっことかしてみたいなあ」

 

 のんきに呟きながら歩き出す。火車とはいえ猫であるのも事実。こんな良い陽気の日には、暖かい暖炉の側や主の膝で眠れたらどんなに心地よいか。

 

「だけど、勇儀の姐さんらが地上を取り戻せば、いつでもできるってことか。我慢我慢」

 

 さて――彼女が地上に出てきたのは他でもない、百鬼夜行の下見である。

 幻想郷全土に鬼の恐怖を思い出させるのが目的なのだから、最終的に幻想郷全体を回れば良いのだが、それにしたって効率というのはある。

 見当違いの場所に向かって時間を食ってしまい、いざ人里についたら人間が避難済みとか笑い話にしかならない。

 

 それに百鬼夜行の準備自体、あまり進んでいる様子ではなかった。

 鬼たちは基本的に自分勝手なので、わかりやすく腕っ節で言うことを聞かせるにも喧嘩という過程を経る必要があるのだ。

 あとはまあ、単純に百鬼夜行を起こそうとしている者たちの気まぐれだろう。強い妖怪になると考えることがわからなくて困る。

 

 燐はそんな中で百鬼夜行への参加を決めた一人だった。理由は単純――暇だったからだ。特大のお祭り騒ぎがあるのなら乗らない理由はない。

 

 そんなわけで燐は初めてやってきた地上の散策と下見をのんびり行っている途中なのだ。

 

「平和だなあ。地底とは大違いだ」

 

 気性の荒い者ばかりが集っている地底では喧騒が絶えることなく存在する。

 酒を飲んだ末の喧嘩、荒くれ者同士の喧嘩、とにかく目が合ったから喧嘩をするなんてのも日常茶飯事である。

 燐の主はそういった野蛮なことを嫌悪している様子だが、燐はあの空気が嫌いではなかった。

 火車という性質故か、そういった熱気のある場所は好きなのだ。運が良ければ死体が出るのもなお良し。

 

 その点で言えば地上は陽気があって暖かいが、燐の望む熱気というのは欠けていると言わざるを得なかった。この森に火でも点けたら良い感じになるだろうに。

 

 などと物騒なことを考えていると、燐の聴覚が足音を捉える。

 人の踏み均した道など存在しない獣道。しかし足音は規則正しく、淀みなく燐の耳に届く。山歩きに慣れた者の足だろう。

 同時に燐の鼻は地底では滅多に手に入らない大好物――魚の香りを嗅ぎつける。

 

「お魚……お魚ぁ!?」

 

 水の音は付近から聞こえない。要するに足音の主は不思議なことにこんな山の中で魚を持ち歩いているということだ。

 釣りの帰り道なのかは知らないが、燐にはもう追いかける以外の道はなかった。

 俊敏な猫である。喧嘩を売ったら不味そうな相手でない限り上手く魚をちょろまかすくらい朝飯前だ。

 双尾の猫になり、燐は一歩を踏み出した――

 

 

 

「――というわけで、お兄さんの元に来たわけなんだよ」

 

 そして今現在、燐は猫の姿のまま首根っこを険しい顔の青年に掴まれ、地面に押さえつけられていた。

 妖怪、しかも猫の妖怪より素早い人間がいるとか聞いてない。

 見つけた人間はあっという間にこちらに気づくと、一瞬で取り押さえてしまったのだ。つくづく人間業じゃない。

 

 しかも尾の数から妖怪であることもバレており、このままじゃいつ殺されてもおかしくなかった。

 というかこの青年がボソッと殺すか、とつぶやいていたのを覚えている。

 

「そうか、辞世の句はそれでいいか?」

「待って待って待って話をしよう! 暴力反対!」

 

 これから百鬼夜行という特大の暴力をかましに行く側の存在だが、それは棚に上げる。

 

「いきなり仕掛けてきたのはそっちだ。聞く理由がない」

 

 あ、ヤバい。これ本当に不味いやつだ、と燐は鉄火場で育ってきた者特有の直感で理解した。

 お魚どころじゃねえと恥も外聞も投げ捨てた燐はどうにかして命を拾うべく、口を開く。

 

「良いのかい!? あたいが死んだら鬼が黙っちゃいないよ!?」

「……鬼?」

「そうさ! あたいってば地底の鬼が大事に大事にしている姫みたいなもんだからね! あたいが死んだら鬼は怒り心頭、怒髪天を衝いて地上に雪崩れ込んでくるに違いないよ!!」

「……ほう。その割にお前には護衛がいないようだが」

「そ、それはお忍びってやつだよ! ほら、あたいは猫だから自由を愛するのさ!」

 

 我ながらよく回ると思うくらい、燐の舌は動いた。

 しかし青年は全く動じることなく言葉を紡ぐ。驚愕の色すら全く見えなかった。

 

「そうか。つまり――お前が地底に戻って伝える内容次第では、鬼が地上に来ないこともあり得るわけだ」

「う、なんで鬼が地上に来るなんて思ってんのさ。全てはあたいの胸先三寸だよ?」

「抜かせ。さして強くもないお前を鬼が尊ぶ理由などなかろう」

「あたいの完璧な嘘をいつ見抜いたのさ!?」

「最初からに決まっているだろう」

「殺せー! いっそ殺せぇ!!」

 

 やけっぱちになって叫ぶ。もうこの青年と会ったのが運の尽きだったのだ。

 しかし、青年の腕はいつまで経っても剣に伸びることなく、じっと感情のこもらない瞳で燐を見つめ続けるだけ。

 

「……俺の質問に答えるなら、助けてやってもいいぞ」

「嘘だ! 人間は妖怪を騙すって鬼が言ってたよ!」

「別に今すぐ死んでくれても構わないのだが」

「冗談冗談! 何でも話しますぜダンナ!!」

 

 人間が騙してくるかもしれない? そんなことより生き残る可能性が少しでもある方に懸けるのが当然である。燐は妖怪の矜持より動物の本能に従うことにした。

 

「――鬼が来るというのは本当か?」

「うん。なんでも地上に来た新しい鬼に挨拶するとか」

 

 青年の顔がみるみる渋面に変わっていく。これは良い流れだと判断した燐は畳み掛けるように言葉を続ける。

 

「百鬼夜行の用意もして、鬼も本気ってことだよ! あたいはその下見みたいなもんさ。あたいが帰ってこなけりゃ、鬼どもも動き出すだろうねえ……?」

 

 あの大雑把な連中が本当に心配などはしないだろうが、そんなことをこの青年が知る由もない。

 

「……それはいつ行うつもりだ?」

「もう準備ができてるようなもんさ! 下見が来てから数年後に向かうとか、あたいが来る意味がないってもんだよ!」

 

 実際は準備が整うまで暇だったから暇つぶしも兼ねての行動だが、これまた青年が知る由もない。

 真偽の判断がつけられない情報を出しまくって、混乱させてしまえば逃げることだってできるはずだ。

 と、燐が確かな手応えを感じつつある時だった。頭上からブツブツとつぶやき声が聞こえてきたのは。

 

「こいつの首を地底に投げて牽制……拷問して連絡役……このまま人質……面倒だ、殺すか?」

「待った待った待った!? あたいをどうしようってんだい!?」

「安心しろ。ちゃんと解放してやる」

「解放した後で不意打ちする気だろ!?」

「…………」

「そこで黙るなあ!?」

 

 ヤバい。何がヤバいってこの青年、恐らく脅威をきちんと認識している。

 燐の言っていることの真偽はわかっていないだろうが、鬼が来るなら来るで燐を生かす理由などこれっぽっちもないことを理解している。

 

「……最後の質問だ。その百鬼夜行は人間にも向かうか?」

「…………」

 

 今度は燐が黙る番だった。嘘を言うべきか、本当のことを話すか、どちらが良い方向に転がるかわからなかった。

 本当のことを言えば義憤に任せて殺されるかもしれない。しかし嘘をついたらこの青年が燐を生かす理由はいよいよなくなってしまう。

 現時点で燐が命をつないでいるのは、彼女の存在が人里の脅威になるかならないか、ハッキリしないという一点のみなのだ。

 

「……あたいら妖怪を地底に追いやった人間に、もう一度恐怖を思い知らせてやるんだ!! かつて地上を覆った暴威は誰のものか! 今さらサル山の大将気取ってる天狗でも、のんきに暮らしてる人間でもない!!」

 

 考えた結果、燐は自分の感情に従うことにした。どっちが最善の選択なのかわからないなら、せめて後悔しない道を選ぶまでだ。

 青年は無表情に燐の叫びを聞き、静かに押さえつけていた手を離す。

 

「え、お、あ?」

「……これから言うことを百鬼夜行の主に伝えろ」

 

 身体を押していた重圧がなくなり、燐はいきなり軽くなった自らの身体に戸惑いながら青年から距離を取る。

 片膝をついて黒猫と目線を合わせ、感情の伺えない瞳で燐を見つめる。どんな打算が渦巻いているのか、燐にはわからなかった。

 

「人里は異変の影響で疲弊している、とだけ伝えてくれれば良い」

「……それを伝えてどうしろっていうんだい」

「別にどうとも。今の言葉を伝えさえすれば、襲撃を早めようと進言しても構わん。そら、行っていいぞ」

 

 まるで拍子抜けだ。あんなに警戒して燐の利用価値を値踏みしていたにしては、あまりにもあっさりとした解放に燐はきょとんと青年を見返してしまう。

 

「……なんだ」

「あ、ううん、あたいになにもしないんだなって」

「下手に何かしても面倒にしか繋がらない。ああ、それと」

 

 青年は懐から魚の干物を一尾取り出し、燐の前に置く。

 

「次来る時はちゃんと声をかけろ。いきなり襲うような真似をしなければ、俺だって妖怪を無闇に倒したりはしない」

「へ、あ、うん? ごめんなさい?」

 

 なぜか謝ってしまう。妖怪が人間を襲うのは当然だと言うのに、目の前の青年に訥々と言われると悪いことをしている気分になってくる。

 

「じゃあさっさと行け。この辺りは天狗の領域にほど近い。今はまだ物事をこじらせる時期じゃないのだろう」

「……お兄さん、何もの?」

「人間以外の何に見える」

「バケモノ?」

「手足の一本ぐらい、妖怪はすぐ治るか」

「じゃ、もう会わないことを願うよ!!」

 

 ちゃっかり干物をくわえて青年の前から逃げ出す。追いかけてくる気配はなかった。

 あまり下見の役目をできたとは言えないが、燐はなんとなく百鬼夜行を企てる本当の理由がわかるような気がした。

 

 地上に権威を取り戻す? 馬鹿馬鹿しい、あの万事適当な鬼がそんなものに執着するものか。

 権威など不要と言ったからこそ地底に降りたのを忘れたか。

 外来の鬼への手荒な挨拶など建前だ。本心は――

 

(あの人間――)

 

 彼以外の人間を見たわけではないが、不思議と確信が持てた。

 あれは妖怪を惹きつける男だ。妖怪が求めてやまない、彼女らの望みを叶えうる傑物だ。

 

 ……自分はもう会いたくないが、彼女らにこの報告をすれば喜ばれることだろう。

 燐は地底への道のりを急いで戻っていくのであった。

 

 

 

 

 

「――ふむ、あそこが地底への入り口か」

 

 そしてその姿を青年――火継信綱は木の上から観察する。

 逃がしたのは地底とやらへの入り口の確認も兼ねていたのだ。わざわざ追いかけるまでもなく、猫の足跡でも注意深く観察すれば見つけるのは容易だ。

 

「……はぁ、またぞろ面倒な話が来たものだ」

 

 今日は橙に干物を渡しに来ただけだというのに、鬼の襲来が近い将来に訪れるかもしれないという、一人で抱え込むには大きすぎるネタを拾ってしまった。

 これでは椛の語る時流の中心に立っている、という評価を笑えなかった。まるで物事が自分を中心に起こっているみたいではないか。

 

「どうしたものか……」

 

 人里に伝えるのは下策だろう。四六時中地底への穴を見張るわけにも行かないし、妖怪の山に教えてしまうのが妥当か。

 できることなら人里に被害が来ないよう、天狗と鬼が全面対決して共倒れになってくれるのが一番ありがたい。

 

「……後で考えるか」

 

 と、そこまで考えて信綱は思考を横に置くことにした。ここ最近は考えることが多くて困る。早く帰って阿弥との時間を過ごしたいものだ。

 

 信綱は橙とよく会う場所に向かう。案の定と言うべきか、それとも他にすることがないのか心配すべきかはわからないが、ともあれ彼女はそこにいた。

 

「あ、お魚!」

「まず魚に目が行くのかお前は……」

 

 今にも飛びかからんばかりの橙をなだめながら、懐から魚の干物と油揚げを取り出して手渡す。

 

「ほら、一応多めに用意したから大切に食え」

「ありがとう! 私の加護を授けてもいいくらいよ!」

「どんな加護だ」

「猫に好かれる!」

「却下で」

 

 今しがた地底からやってきた妖猫を見たばかりなのだ。不吉な予感しかしない。

 それに加護と言っても、どうせ簡単な妖術で自分を猫と誤認させる程度のものだろう。

 

「いらないの? 猫の手も借りたいくらいって言うじゃない」

 

 余程機嫌が良いのだろう。橙は信綱のつれない言葉にも気分を害することなく信綱の後ろを歩き始める。

 

「本物の猫の手を借りてもどうにもならんだろう。……時に、聞きたいことがあるんだが」

「なに?」

「この近辺にお前以外の猫又っているのか?」

「んー? いないと思うけど。いたら私と縄張り争いになるはずだし。なに、見かけたの?」

 

 しゅしゅっ、と橙が握り拳で空を切る仕草をする。

 意外と縄張り意識が強いことに信綱は感心したように首肯し、再び歩き出す。

 

「別に。ただなんとなく気になっただけだ。それにお前以外の妖猫を見た覚えもなかった」

「猫の妖怪って一口に言っても色々いるのよ。猫又、火車は有名ドコロだけど、探せばいくらでも出てくる」

「火車……」

 

 あの黒猫の妖怪はそれに当たるのだろうか。幻想郷縁起には姿を消したと書いてあった鬼も地底に潜ったという話らしい。

 ――実のところ、燐の語っていた地底の話など、信綱にとってはほとんどが未知の情報だったのだ。

 幻想郷に地底なんてあったの? というぐらいである。

 人里で生まれ、幻想郷縁起が妖怪に対する情報源であるため、編集されて隠された部分は全く知らないも同然だった。

 

「……確か、阿未様の代の幻想郷縁起に書かれていたな。死体を持ち去る妖怪だとか」

「……あんた、歴代の幻想郷縁起を全部読んでるの?」

「一言一句頭に入れてるわ。当たり前だろう」

「バカじゃないの?」

 

 橙の耳を引っ張りながら先ほどの黒猫について考える。

 なぜ地底に行ったのか、なぜ今になって地上に来るなどと言い出したのか。わからないことは山のようにある。

 確かなことは遠くない将来において、かつて地上を襲った暴威の権化である鬼がやってくるということだけだ。

 

「離せー! 離してよぉ!」

「全く……まあ良い。聞きたいことはそれだけだ。八雲藍によろしく伝えてくれ」

「へ? 遊ばないの?」

「これから行くところができた」

 

 椛に伝えておく必要がある。天狗なら誰でもというわけではない。信綱が信頼できる彼女に教えておきたかった。

 幸か不幸か、信綱は地底から鬼が来るという文字通りの鬼札を手に入れた。文を通した天魔を相手に駆け引きを仕掛けるなら情報面での優位は絶対に失えない。

 だがこの情報をいつまでも死蔵しておくわけにもいかなかった。人里で対処できそうにない問題は他所に投げるのが一番である。

 

「じゃあ私も行く!」

「…………まあ良いか。来るなら好きにしろ」

 

 橙の同行も目くじらは立てない。いてもいなくても問題ないなら、彼女の好きにさせても良いだろう。

 

 

 

 かつて信綱と椿、そして椛の三人で鍛錬をしていた場所に訪れると、椛はすぐにやってくる。千里眼でいつも見ているのではないかと思ってしまうほどだ。

 

「よく来ましたね。あれ、そちらの妖怪は……」

「…………」

「娘ですか?」

「違う」

 

 人見知り――いや、妖見知りでもするのか、橙は信綱の影に隠れて椛を伺っている。

 その様子を見て椛はからかい混じりの言葉を信綱に投げかけてきた。

 憮然とした顔で否定していると、服の袖を引かれる。

 

「ちょっとあんた、あいつ天狗じゃないのよ!」

「それがどうした」

「天狗って言ったら人間をさらうって有名なのよ! あんたさらわれちゃうわよ!?」

「さらいませんよ。私じゃ返り討ちが関の山です」

 

 今の信綱をさらえる天狗など数えるほどしかいないだろう。

 

「マヨヒガの猫と言えばわかるか?」

「ああ、もしかして山の一角にある何故か(・・・)見えない場所ですか? なるほど、マヨヒガなら納得です。私は犬走椛。しがない白狼天狗です」

「……橙」

「かのスキマ妖怪、八雲紫の式の式らしいぞ。本人はこの通りちんちくりんだが」

「誰がちんちくりんよ! 頭を押さえるなーっ!!」

 

 腕を振り回すが、童女の体格でしかない橙では成人男性の腕を振り解けなかった。妖怪としての力を尽くしても巧みに力の強弱を操られ、良いようにされてしまう。

 

「それは凄い。将来を約束されているようなものじゃありませんか」

「俺の生きている時には来ないんだ。チビ猫で十分だ」

「私が成長したらコケにした人間って悪評を語り継いでやる……!」

「あはは、本当に仲が良いですね」

「誰が!? 腐れ縁よ!」

 

 突っかかる橙とそれをあしらう信綱。そしてそんな二人を笑いながら眺める椛。すぐに打ち解けてくれて何よりである。

 

「それで用事ってこの子の紹介ですか? 確かに可愛いですけど、私と彼女はほとんど接点がありませんよ」

「今のがついでだ。……これから話すことは他言無用で頼む」

「そんな重い内容ですか? 橙ちゃんは危ないんじゃ……」

「いや、構わない」

 

 彼女の口から八雲紫の耳に届くなら御の字だ。信綱が紫に頭を下げることなく、彼女が問題に対処してくれるかもしれない。

 そうなってくれるのが一番ありがたい。労せず問題が解決するに越したことはない。

 

「……ねえ、あんた」

「なんだ」

「もしかして、あんた私をヤバいことに巻き込もうとしてない?」

「…………ついさっき、こいつ以外の猫又に会った」

「無視すんな!?」

 

 橙の悲鳴のような言葉を聞かなかったことにして、信綱は椛に先ほどあったことを教えていく。

 猫の妖怪に会った程度、幻想郷ではさして珍しくもない。まして妖怪の山付近には動物から化生した妖怪などいくらでもいる。

 なので椛は不思議そうな顔をしながら聞いていただけなのだが――地底から来たと聞いて血相を変える。

 

「地底から来た……!? それ、本当ですか!」

「そいつから聞くまで俺は地底の存在すら知らなかった。人里に地底のことは伝わってない」

「そうか、そうですよね。あんな事実、人里が知るはずもないか……」

「え? え? 何の話よ?」

「お前は後で藍に聞け。で、その猫が言うには地底の鬼どもが百鬼夜行の準備をしているらしい」

「…………嘘ですよね?」

「そう思うんならそれで良いんじゃないか。実際に出てきた時に泣くのは俺もお前も一緒だ」

 

 信綱とてあの黒猫の言葉を全て信じているわけではない。だが無視した結果、何の対策も取れずに鬼を迎えるなど悪夢でしかない。

 故に信綱は対策を怠らない。鬼と人間が正面から戦った場合の結果など見えているのだ。そうならないためにできる手は打たなければ。

 

「うう……わかりましたよ。これからは地底の方に注意を向けてみます。ですがこんな情報、私たちだけで処理できる限界を超えてますよ」

「わかっている。……だが、一番信じられるのはお前だ。だからお前に最初に伝えた」

 

 レミリアという手も考えたが、彼女らは武力という面でこの上なく頼りになっても、情報面ではあまりあてにできない。

 その点、椛ならば千里眼でほぼ確実に兆候を見つけられる。おまけに信頼もできる。

 信綱から見てこの情報を真っ先に共有する相手は、椛以外に思い浮かばなかった。

 

「……そう言われて悪い気はしませんけど」

「俺は俺でお前以外の天狗にツテがある。……まあ、上手くやるさ」

 

 胃の痛い作業になるだろうが、そこはもう必要経費と飲み込むしかない。

 

「で、チビ猫」

「あ、私は何も聞かなかったことにして――」

「藍に伝えろ。但し俺からの話だとは言うな。自分でたまたま猫の妖怪を見つけて聞き出したとでも言え」

「ヤバ過ぎることに首突っ込ませるんじゃないわようわーん!!」

 

 藍から紫に話が行けば、どうせ自分のことはバレるだろうが、その時は適当に突っぱねれば良い。

 肝心なのは証拠を握られないことだ。状況証拠だけならいくらでもごまかせる。

 

「そんなに泣くな。話が上手くいったらまた魚でも釣ってやる」

「うー……お魚一年分はもらうからね!」

「あ、私もなにか欲しいです。そちらが引きずり込んだんですし、対価はもらっていいですよね?」

 

 橙の要求を呑もうとしたら、椛までちゃっかりそんなことを言ってくる。

 眉をひそめて目を細くするが、全く悪びれた様子がない。どうやら本気で言っているようだ。

 

「妖怪め」

「妖怪ですから」

「……わかったよ。できる範囲で力になってやる」

 

 ため息をつき、両手を上げる。自分もこの二人を使い倒そうとしているのだから、これでおあいこなのだろう。

 妖怪相手に空手形を切るなど愚行なのだが、それをしても大丈夫だと判断できる程度には、この白狼天狗との付き合いに価値を見出していた。

 

「その言葉、違えないでくださいね?」

「……できる範囲だからな」

「じゃあ私はお魚一年分以外にあんたに何してもらおうかしら。そうね……とりあえず橙さま今までごめんなさいと土下座して――」

「調子に乗るな」

「いだだだだ!?」

 

 式の式と千里眼が使えるだけの白狼天狗。そして人間。

 百鬼夜行に立ち向かうにはあまりに乏しい戦力で――しかし三人の顔に諦観はなかった。

 

 

 

 

 

「――だ、そうだよ」

 

 一方その頃、火焔猫燐は地底にて鬼の首魁らの酒盛りに邪魔して報告をしているところだった。

 もとより自分勝手に行った行動。百鬼夜行の主二人は、力量こそ鬼の頂点を名乗るにふさわしいものがあるが、鬼たちを束ねているかと言われると微妙なところがある。

 要するに、この二人がお祭り騒ぎを起こすから皆便乗しているだけなのだ。巻き込まれる方はたまったものではないが。

 

 勝手にやっているので報告の義務などない。だが、燐には青年の目が焼き付いて離れなかった。

 

「ふぅん、わかった」

「で、どうするんで?」

 

 酒臭い空間。周囲には酒樽と盃が散乱し、酔い潰れた鬼が何人も寝込んでいる。

 だが、燐の前にいる鬼の二人は全く潰れる様子もなく、さらに酒を飲んでいた。

 燐の話に相槌を打った大柄な鬼の少女は、その巨大な盃の酒を飲み干すと隣の小さな少女に話しかける。

 

「――ハン、鬼を試すたぁ良い度胸だ。そう思わないか、萃香?」

「今、人里は弱っている。つまり今襲っても私らは吸血鬼のおこぼれを拾うだけってことかい」

 

 燐は二人の鬼の話を聞いて、あの青年の意図をようやく理解する。

 彼はあえて人里の弱みをさらけ出すことにより、却って彼女らの譲歩を引き出そうとしているのだ。

 

 ちなみに異変から数年経っている今、人里はすでに立ち直っているので真っ赤な嘘なのだが、これで時間を引き延ばせれば確かめる方法もなくなるという寸法だった。

 

「まあ実際のところはわからんけどね、人間だし」

「そいつは狭量ってもんだぜ、萃香。まだあの時のこと引きずってんのかい」

「忘れるもんか。あんだけこっぴどく騙されて、忘れろって方が無理だよ」

「そんな過去の話がしたいんじゃないよ、萃香。私らは弱った人間どもを襲いたいのかい? 違うだろう。

 ――時間が欲しいってんならくれてやればいいのさ。そんで万全の準備をした奴らを叩き潰す」

 

 鬼に横道はない。あるのは常に叩き潰し、轢き潰し、薙ぎ払って作られる血塗られた道のみ。

 そして鬼は他者の都合など考えない。――しかし、目的がある場合は別である。

 

「我慢してやろうじゃないか。久方ぶりの祭りなんだ。たまには焦らされる側ってのも悪くない」

「……ま、勇儀に付き合ってみようかね。私が見た人間はまだ若かったし、もう少しぐらい熟すのを待つか」

 

 話はまとまった。二人はどうやら祭りの時を引き延ばすようだ。

 燐は内心で密かに戦慄が隠せなかった。僅かな言葉だけで見事に時間稼ぎに成功してみせた人間への戦慄である。

 力もある。知恵もある。度胸もある。地底生まれの燐が生きている人間というものを見たのは彼が初めてだが――あれは妖怪を討ち滅ぼす人間だと直感できた。

 

「ありゃあおっかない人間だよ。あたいはもう一度は会いたくない」

「そりゃあつまらんよ、お燐。私ら妖怪が人間を恐れてどうするってんだ。どんなに強くても人間一人、薙ぎ払えば簡単に動かなくなる」

 

 勇儀が腕に力こぶを作って笑う。しかしその笑いは人間に対する嘲笑ではなく、その腕を乗り越えることを期待している笑みだった。

 

「楽しみに待とうじゃないか。なに、こういうのは流れってもんがあるのさ」

「私も見に行くのは我慢するかね。お燐が出くわしたことと言い、何か持ってる側の人間だろうし」

 

 星熊勇儀と伊吹萃香。地底が――否、鬼が誇る首魁の二人は、一人の人間を肴に酒を楽しむ。

 どうかその人間に七難八苦が襲いかかりますよう。

 そして全てを跳ね除け、自分たちの前に立ちはだかるよう。

 

 誰に祈ることもなく、彼女らは陽気な笑い声とともに期待を募らせていくのであった。




本人の知らぬ所で厄介な妖怪の好感度が上がる毎日。ノッブの明日はどっちだ。

ということでこの時代、最大の動乱は百鬼夜行です。どうにかしなきゃ幻想郷世紀末待ったなし。頑張れノッブ、御阿礼の子のためだ。

あと、そろそろ主人公が全く出ない話が出てくるかもしれません。登場人物が増えまくっているので、妖怪同士で動かしていかないとそれぞれの動きが出しづらい。幻想郷って広い。

まあそろそろというのがいつになるかはわかりませんがね!

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