阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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最近の投稿間隔、おかしくね?(自問自答)

そして椛の躍進に対する反響にビビる今日このごろ。お前ら椛大好きだな! 俺もだよ!!


阿礼狂いは阿弥に仕えていたい

「あはははは! こっちこっち!」

「待てよ、このーっ!!」

 

 寺子屋前の広場。そこでは一日の授業を終えた子供たちが春の日差しの下、楽しそうに駆け回って鬼ごっこに興じている。

 その中には勘助と伽耶の子供である弥助の姿があり、成長した阿弥の姿もあった。

 

 信綱は信頼する友人の子と最愛の主が、共に青空の下で走り回る姿を見て双眸を緩める。

 転生前の記憶を引き継いでいるとはいえ、精神は未だ五歳と少しの子供。こうして子どもたちと走り回る時間も重要である。

 何より――阿七の願いでもあっただろう、広い外で存分に身体を動かす姿に信綱は胸が熱くなるのを感じる。

 

 阿七は身体が弱く、満足に外も出歩けなかった。それを嘆いている様子はなかったが、それでも不自由を感じたことはあったはずだ。

 吐く息は熱く、目頭に熱がこもるのを自覚する。御阿礼の子に二代も仕えることができる喜びと、彼女が健やかに育ってくれた喜びが綯い交ぜになって信綱の心を揺り動かす。

 

「子どもたちは元気だな」

「ええ、素晴らしいことです」

 

 横に来ていた慧音と穏やかな気持ちで言葉を交わす。

 数年前に起こった異変ももはや過去のこと。人里はすっかり元の活気を取り戻し、慧音達も今までどおりの生活に戻っていた。

 変わったことと言えば火継の名の意味が良い方向で受け取ってもらえたことと――

 

「お、英雄様じゃねえか! 慧音先生と一緒になって、逢引かい?」

 

 自分の名が英雄として広まってしまったことだろうか。

 しかも三十代に踏み込んだ現在、何かと婚姻話に結び付けられて居づらいことこの上ない。

 今もまた名も知らぬ赤ら顔の老人にそう言われてしまい、信綱は憮然とした顔で口を開く。

 

「違います。慧音先生にはもっと良い人がいつか現れるでしょう」

「ははは! 慧音先生のおっぱいと尻を自由にできるってのに欲がないねえ!」

「おい、吾郎! お前のその助平根性は孫ができても治らんのか!」

「おっと、こりゃイカン。この歳で慧音先生の頭突きなんてもらったら昇天しちまう!」

 

 とても老人とは思えない俊敏な足取りで軽快に逃げていく。

 慧音は追いかけようともせず、呆れきった表情でため息をついて信綱を見る。

 

「昔の教え子でな。小さな時から私の尻を触るわ、女湯を覗こうとするわの問題児だったんだ。どんな手品を使ったか知らんが嫁をもらってからはめっきり大人しくなった……はずなんだがなあ」

「ははは……。まあ、元気なのは良いことですよ」

「子どもの元気は無邪気で可愛らしいが、老人の元気は鬱陶しいだけだぞ。私が断言してやる」

「そ、そうですか……」

 

 人里で長い間暮らしている慧音の言葉だと思うと、妙な重さがあった。

 

「しかし実際、どうなんだ? お前もいい年だろう?」

「慧音先生までそれを聞きますか……もう耳にタコができるくらい聞かれてますよ」

「ハッキリ答えないお前が悪い。皆、お前のことが心配なんだ」

 

 余計なお世話だと声を大にして言いたい。

 とはいえ相手がいるかと聞かれたらそれもまた否である。

 側仕えとして忙しいと言い張ってごまかすのにも限界が来ている。本気で身を固めることも考慮しなければならない時期が迫っていた。

 まあ名も知らぬ女を娶って子を産んでもらい、その後は手厚い保護をするというのが阿礼狂いの通常なのだが、信綱はどうにもそんな気になれなかった。

 

 情も交わさず子を作るのは不誠実だ、などという潔癖な考えを持っているわけではない。

 必要に迫られればそれもやむなしだと思っている。思っているが、時期がまだ早いのではないかと尻込みしてしまうだけで。

 結局のところ逃げているだけだと言われてしまえばぐうの音も出なかった。

 

「……まあ、考えてはおきます」

「そうやって適当に流そうとするものを私は百人は見てきた。さあ答えろ。場合によっては私がお前に相手を紹介してやっても良いぞ」

 

 なんだこの世話を焼くおばさんは、と考えた瞬間慧音の顔に暗い影が差し込んだため、世話を焼くお姉さんと頭の中で言い換える。顔に出ていただろうか。

 しかし困った。今の慧音はごまかせそうにない。さて、どう答えたものか――

 

 

 

「とーさーん!!」

 

 

 

「っ!」

 

 弾かれたように振り向き、自身を父と呼んで手を振る少女――阿弥に信綱もまた笑顔で手を振る。

 

「阿弥様が呼んでおりますのでこれで」

「ええい、悪運の強いやつめ。次は聞かせてもらうからな!」

 

 阿弥が呼んでいる以上、信綱にこれ以上話を続ける意思もない。

 それを読み取った慧音も素直に引いて、子どもたちの方へ歩いて行く。彼女も遊びに入れてもらうのだろう。

 信綱もまた阿弥の元に歩み寄り、膝を折って幼い彼女と視線を合わせる。

 

「どうかしましたか、阿弥様」

「肩車して、父さん!」

「わかりました。しかし、私はあなたの父ではなくてですね――」

「物心ついた時から一緒にいる家族なんだから父さんよ!」

 

 阿弥の言葉に信綱は困ったように笑う。

 転生前の記憶を持っているはずだが、どうにも阿七の認識であった家族を年齢差に当てはめて、見栄えのする形に落とし込んだようだ。

 幼い信綱と阿七だったら姉弟。立場が逆転した今は歳の差も考えて、父と娘。それが妥当なのだろう。

 それにこそばゆい感覚を覚えながら、信綱は阿弥が肩に乗ってくるのを持ち上げる。

 

「はい、どうですか阿弥様」

「高い高い! 父さんの視線はこんな感じなのね!」

 

 きゃっきゃとはしゃぐ阿弥の声を聞きながら、信綱は自身が嫁を取ろうとしない理由に思い当たる。

 

 子がすでにいるのだ。心のどこかで嫁を必要としていないのかもしれない。

 

「どこに向かわれます?」

「んー……このまま帰ろ?」

「では行きましょうか」

 

 阿弥が落ちないよう細心の注意を払って帰ろうとすると、道の向こうから見慣れた顔が映る。

 

「伽耶」

「久しぶり、ノブくん。ふふっ、阿弥ちゃんもこんにちは」

「こんにちは、弥助のお母さん!」

 

 元気よく挨拶をする阿弥に二人とも笑顔を交わす。

 そして勘助と伽耶の子供である弥助とともに、信綱らは帰りの道を歩く。

 

「ノブくんも大変ね。どこへ行っても英雄様呼ばわり」

「仕方ないと割り切ってるよ。好意的に受け入れてもらえるのはありがたいことだ」

「この前なんて、弥助がノブくんのことえいゆうって名前なんだと勘違いしていたのよ。ねえ、弥助?」

「か、母ちゃん!?」

 

 名前で呼ばれず英雄という単語で敬われることも良し悪しだな、と信綱は内心で思う。

 少なくとも友人の息子に名前を覚えられていなかったのは悲しいことだ。

 

「んふふー」

 

 と、そんな信綱の頭を阿弥が嬉しそうに抱きしめる。

 その所作は子が親に向ける純粋な愛情であり、同時に成長した弟を褒め称えるような動きでもあった。

 

「――立派になったね、父さん」

「阿弥様?」

「なんでもなーい。ねえねえ、帰りにお団子食べても良い?」

 

 一瞬だけ別人のように感じられたが、今の阿弥は無邪気な子供そのものだった。

 気のせいだったとは思わない。阿弥のことに関して、信綱は常に注意を払っているのだ。些細な挙動も見逃さない。

 が、追求はしなかった。主から頂戴したお褒めの言葉だ。大切に胸に刻み込もう。

 

「夕食もあります。一本だけですよ」

「やった!」

 

 まるで本当の親子のような会話で、伽耶も手を繋いで歩く弥助に微笑みかける。

 

「私たちも帰ったらおやつにしましょ? おはぎを作ったの」

「母ちゃんの? やった! おじさん、母ちゃんって時々怖いけど、おはぎがめっちゃ美味しいんだぜ!」

 

 自慢するように、勘助の面影を感じさせる力強い笑みを浮かべる弥助に信綱も笑う。

 

「良いことだな。だけど余計な一言には気をつけた方がいいぞ」

「へ? あっ!」

 

 弥助が横の母を仰ぎ見ると、伽耶の顔はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべながら、どこか威圧感を覚えるものに変化していた。

 ヤバい、怒らせた……!? と弥助は顔面蒼白になる。普段は優しくて笑顔の絶えない母なのだが、怒ると頼れる父親でも手も足も出なくなるのだ。

 すわこの世の終わり――具体的にはおはぎが食べられなくなるのかと思っていた弥助だが、助け舟は母の親友から出てきた。

 

「大目に見てやったらどうだ? 弥助も悪気があって言ったんじゃないだろう」

「はぁ……弥助、ノブくんに感謝するのよ? 助けてもらったらありがとうって言うようにね」

「わかった、おじさんありがとうな!」

「どういたしまして。あとできれば名前を覚えてくれ」

「もう覚えたって!? あの時のことは忘れてくれよ母ちゃん……」

 

 子供に尊敬される目で見られ、何やらむず痒い。

 無償の好意という子供特有のそれに、信綱は座りが悪そうな心地を覚える。

 彼らの尊敬を壊すような真似は、できれば避けたいものだ。

 

「じゃあノブくん、私はここで」

「ああ。また今度な」

 

 新たに作られた霧雨商店への道に伽耶と弥助は手を繋いで歩いて行く。

 信綱と彼に肩車されたままの阿弥はそれを見送り、どこかで阿弥の望む団子が食べられる茶屋を探し始めるのであった。

 

「ねえ、信綱さん」

「なんでしょう、阿弥様」

 

 不意に阿弥の声音が変わる。天真爛漫な子供のそれから、落ち着いて大人びた御阿礼の子としてのそれに。

 信綱は秒と待たせることなく返答する。やはり自分が仕えるのは彼女しかいないと確信を深めながら。

 

「――私の帰る場所を守ってくれてありがとう。今、とても幸せです」

「……恐悦至極」

 

 感極まってしまい、短い言葉しか返せなかった。あまり長々と話してしまうと、泣いてしまいそうだった。大の大人の泣き顔など見苦しいだけだろう。

 くす、と小さな笑い声が肩車している阿弥から聞こえる。

 

「可愛い。そういうところは阿七の時から直ってないんだ」

「……気をつけます」

「ああ、悪いと言っているわけじゃないから良いのよ? なんだか変わってなくて安心した」

 

 信綱の頭を抱き締める力が強まる。

 

「……これからも側にいてくれる?」

「もちろんです。あなたが嫌と言うまで、側に居続けます」

 

 ちなみに嫌と言ったら潔く死ぬか、徹底して影に潜るだけである。

 

「ふふふ……」

 

 信綱の言葉に安堵したのか、それとも期待通りの答えが返ってきたことを喜んだのか阿弥は小さく、それでいて感慨無量な思いがこもっている笑いを零した。

 その笑いが聞けただけで無上の喜びだ。信綱もまた、誰にも見せたことのないような優しい笑みを浮かべた。

 

 

 

 ――阿礼狂いとして生まれ、至上の幸福がそこにあった。

 

 

 

 

 

「――で、俺は今阿弥様のお側にいることで忙しいんだ。わかっているのか、処女」

 

 信綱は阿弥の側で光に影に仕えていたいだけだというのに、周囲はそれを許さない。

 今もまた、霧の異変に際して知り合った射命丸文と名乗る烏天狗に呼び出されたところだ。

 ちなみに呼び出した方法は火継の屋敷に手紙を置くというもの。文ほどの天狗ならば信綱以外の火継の目をかいくぐることなど、朝飯前なのだろう。

 無視しても良かったのだが、後々の不利益を考えると無視は下策だった。

 

 それに椛の言葉もある。信綱は認めたがらないかもしれないが、彼女の言葉が信綱に妖怪との共存の可能性を考えさせたのは事実だった。

 

「人のことを処女というのやめなさい!?」

 

 呼び出した張本人である文は、今でも信綱の認識が処女であることにツッコミを入れる。甚だ心外だった。

 というかなぜ初対面の時から処女という印象が拭えていないのか。格好か、格好が芋臭い天狗装束なのが悪いのか。

 

「違うのか」

「違わな――んんっ!! 乙女の秘密です」

「そうか、じゃあな」

「そこ、帰らない! ウヤムヤにして帰る心胆でしょうけど、そうはいきません!」

 

 露骨に舌打ちを隠さない信綱に僅かに怯む。異変の時に会った彼はもう少し合理的だったはずだ。

 今みたいに阿弥の側にいたいという感情だけで行動はしない、と文は睨んでいたのだが当てが外れた。

 御阿礼の子が大切なのは天魔から聞いていたが――狂気の領域まで達しているとは文も思っていなかったらしい。

 

「まあ待ってくださいよぉ。決して損はさせませんから」

「今この時間そのものが俺にとっての損だ。ああもう阿弥様の元に帰りたいよし帰ろう」

「もうちょっと悩みなさい!?」

 

 文は信綱に対して抱いていた印象を全部放り投げることにした。多分、今の態度が素だろう。

 物事全てを理で考えていた、異変時の姿の方が特異なのかもしれない。

 

「まあ本気の冗談はさておき、用件を言え」

「冗談に本気だったのか、本気だったのを冗談で隠したのかわからない……あ、いえいえ。烏天狗を打ち倒したあなたのことを知りたいなーっと」

「……ふん、上司からの命令か」

「はい、ご明察です。まあそれがなくても私から挨拶には伺っていたと思いますけど」

 

 故に今の時間、文にとっては仕事であり趣味でもあるのだ。

 これまで見向きもしていなかった人里から、彼のような猛者が現れた。

 常に退屈を持て余していると言っても良い閉鎖的な天狗社会ではこの上ない娯楽だ。

 

「さて、天狗の内部事情とか興味ありません?」

「……ないとは言わん」

 

 椛からの情報で事足りている、とは言えなかったし、これは信綱が持っている天狗に対しての強みだ。

 迂闊に話すのは愚者のやることである。

 

「まあハッキリ言いますと、私は天魔様からの指令で動いてます。これから騒ぎが起きるだろうと仰っておりましたので」

「…………」

「そちらが天狗の情報が欲しいように、私は人里の情報――特に天狗殺しであるあなたの情報が欲しい。そういうわけです」

 

 黙して語らない信綱。彼の頭の中には長命の妖怪に対する脅威があった。

 

 椛だけでなく、天魔も。そして言葉にこそ出さないがレミリアも。誰も彼も時代の流れだとか、そういった大きなものの流れを読み取っている。

 人間であり、妖怪である彼女らほど生きられない自分にはわからない感覚だった。

 いつの時代も人間は目の前の出来事に全力を尽くし、より良い方向へ行くことを願うことしかできない。

 

 あるいは――幻想郷の歴史を眺め続けてきた御阿礼の子ならば、妖怪たちの言う歴史の潮流というのを見ることができるのかもしれない。

 

「……良いだろう。里の方でも掛け合ってみる」

 

 様々な思考の末、信綱は文の言い分を飲むことにした。

 異変が終わって時間も経った。それに幻想郷に住まう人間は外に出ることが叶わない身。

 嫌でも妖怪とは顔を突き合わせる必要がある。

 天狗の側から個人単位とはいえ交流を望んでいるのなら、可能な限り人里にとって良い方向に持っていくのが信綱の役目だ。

 

「あやや、そこまでやっていただけるので? こうしてたまに交流が持てるだけでも十分ですけど」

「これが露見した場合、立場が悪くなるのは俺だけだろう。俺の背負う危険が大きすぎる」

 

 傑出した武力を持つ集団が妖怪と繋がっていた、などということが知られれば人々は英雄ともてはやしていた手のひらを簡単に返すだろう。誰だって自分の身は守りたい。

 下手に独断で里の情報を漏らし、里に不利益をもたらしたとあっては追放どころか縛り首でも文句は言えない。

 

 だったら始めから公開してしまえば良いという寸法である。人里と天狗、双方の将来がかかっている問題の責任など自分一人で背負いたくない。

 というより御阿礼の子以外の何かを背負いたくない。なので最初から教えて責任の所在を分散させてしまおうという魂胆だった。

 

 予想外の待遇に文は少々驚いた顔をするが、信綱からしてみればこれでようやく対話の土台ができたというところだ。

 

 椛や橙と言った個人での友人同士ならこのような手間を掛ける必要はない。

 しかし、文との会話は彼女の上――天魔にも報告される。

 文に自覚があるかは知らないが、信綱の言葉が人里の総意と見られる可能性もあるのだ。

 下手なことは言えないし、万一争う事態になっても次善の策は用意しておく必要がある。

 

「ふぅむ、そういう見方もありますか。これはこちらの配慮が足りていませんでしたかね?」

「……いや、人間と妖怪が交流を持つなんて久しぶりの話だ。お互い手探りなのは仕方あるまい」

 

 正直、相手が文で助かったとすら思った。権謀術数に長ける大天狗や天魔が相手なら、相手の良いようにされていた可能性もある。

 信綱は人間にしては頭の回転も早く物事を広く見る方だが、彼の本領は戦闘だ。政治面ではない。狂人に政治を求められても困る。

 なので今は慣れない腹芸を必死になってやっているのだ。これでも内心は冷や汗ものである。

 

「とはいえ交流を持つのはあくまで俺だ。場所も俺の家に限定する。里内に妖怪、それも烏天狗が入り込んだとあっては大騒ぎになるし、俺も見逃せない」

「構いませんとも。いざとなれば変化の術も使えますが、それはあなたが見ている前でのみに限定しましょう。私の個人的な考えですけど、これでも人間は評価しているんですよ?」

「……どうだか」

 

 自分は評価されているのだろう、と信綱は文の目を見て確信する。

 しかしそれは人里の民の評価と同じではない。半ば直感になるが、彼女自身は天狗殺しを成し遂げた信綱を評価はしても、人間そのものは見下しているように感じられた。

 

 それ自体は別に構わない。妖怪とはとかく人間を見下すものだし、事実彼女より強く頭も良い人間は人里にいないだろう。

 あまり彼女を自由にさせすぎても人間との軋轢を招きかねない。やはり目の届く範囲で監視させた方が良いはずだ。

 

「……それで、そちらが俺に提供してくれる情報はどんなものがある?」

「天狗の情勢、天魔様の意向と言ったところですね」

「ふむ……」

 

 個人単位での情報のやり取りだ。妥当なところなのだろう。

 信綱が公表したら天狗と密かに関わりを持とうとする家も出てくる可能性がある。

 未知の技術を持っているであろう天狗の集団だ。手を組んだ場合の利益は計り知れない。

 彼らを抑えつつ、なおかつ文との交流を持ち続ける方法は――さて、どうしたものか。

 

「……良いだろう。俺からはお前に何を渡せば良い」

「先ほど言った通り、あなた自身の情報と……そうですね、後はそちらに差し支えのない範囲で人里の妖怪に対する意見などを」

「わかった」

 

 また面倒な要求が来たものだ。適当にお茶を濁すだけでは済まなそうである。

 信綱が億劫な顔を隠すことなく眉間を揉みほぐしていると、文は無警戒に信綱の方へ近寄ってくる。

 

「……まあ、私は仕事はこなしますけど、それ以外のことも楽しむ主義なんで! 今日のところはとりあえず普通のお話と行きましょうか!」

「…………」

「あやや、信用されてないお顔。個人的に興味もあるって言ったじゃないですか」

「……はぁ」

 

 ため息をつく。文は傷ついた様子もなくニコニコとこちらを見ている。何が楽しいのか。

 人間と妖怪が関わってもロクなことがないんじゃないか、そう思い始めた春の一幕だった。

 

 

 

 

 

 里への説明そのものは簡単だった。

 烏天狗が興味を持っているのは信綱であって、人里の人間が下手に手を出したらどうなるかわからない、ということをそれとなく匂わせるだけで話は終わった。

 長らく交流のなかった妖怪と人間が話し合う。どう考えても火中の栗である。

 会合に出るような大きな家の長であれば危険を避けようとするのは当然だった。

 

 そのためか火継の家は一種の治外法権――信綱が認めた妖怪に限定して出入りができる状況が生まれつつあった。

 そしてそんな状況を見咎めこそしないものの、黙認もできない勢力がいて――

 

「…………」

「あら、どうしたのそんなお腹を押さえて」

「紫様、彼はきっと私たちが来ることを予見していたのでしょう。以前会った時も私の変化を見抜いていました」

「…………大丈夫?」

 

 こうして八雲紫の勢力が勢揃いして信綱の前にやってきたのだ。胃が痛い。

 普段はこれ幸いと調子に乗るであろう橙も心配そうな顔で信綱を見ており、彼女に癒やしを覚えてしまう自分がなおさら嫌になる。

 

「……なんの用だ」

「いえ、風のうわさであなたが天狗と交流を持つと聞きまして」

「問題があるのか」

 

 情報源に関しては気にしないことにした。彼女の得体の知れなさを考えれば、信綱の予想の埒外にあることは想像に難くない。

 

「まさか。あなたたち人間の動きも、天狗の動きも私からすれば歓迎すべきものですわ」

「力のない人里の後ろ盾にでもなってくれるのか?」

「あら、それが私への貸しの内容?」

 

 意味ありげに微笑む紫に舌打ちを一つ。

 彼女が人里の後ろ盾になったら――人里と天狗の関係ではなく、八雲紫と天狗の関係になってしまう。人里は双方にとって美味しい餅ぐらいにしか思われないだろう。

 それでは意味がない。結局人里は妖怪に飼われたままだ。

 

 確かに自分たちは妖怪の力がなければ生きられないのかもしれない。だが、それでも意思を表し対話の席につく権利はあるはずだ。

 

「笑えない冗談だな。だが、進退窮まった時は頼むかもしれん」

 

 と言っても、何を差し置いても信綱には守るべき者が存在する。御阿礼の子に害が及ぶ場合は八雲紫に頭を下げることも辞さない方向だ。

 

「その言葉、覚えておきますわ。しかし、どういった風の吹き回しかしら? あなたは妖怪を嫌っているように思えたけど」

「嫌いだとも。自分勝手に振る舞い、それに抗う力のない者を見下し、何より人を襲う。人間が妖怪を好む理由の方が少ない」

 

 紫のように見目は麗しいとか、その人間にはない力に憧れるといったことはあるだろうが、それにしたって大多数を占めることはない。妖怪に対する人里の印象は概ね信綱が代弁していた。

 

「え、私のことも嫌いなの……?」

「……が、俺たちはここから出られない身で、妖怪とも付き合わなければ生きることすらままならない。ならばより良い関係を築こうとするのは当然ではないか。……別にお前のことを言ったわけじゃないから泣くな」

 

 橙に泣きそうな顔で見られてしまい、ついつい擁護するような言葉が出てしまった。

 御阿礼の子が関わらない場面ではあまり冷徹になりきれない男であった。

 

「あ……! ふ、ふんっ! この橙さまを敬うのは人間として当然よね! あんたもわかってるじゃない」

「…………」

「あらあら、仲が良いわね」

「正直な話、途中で人間の方から離れていくものだとばかり思ってました。彼も意外と懐が広いですね」

「そこ、聞こえてるぞ」

 

 急に調子を取り戻す橙に閉口していると、紫と藍がヒソヒソと楽しそうに話しているのが聞こえたため突っ込んでおく。

 

 見た目が全く変わらない妖怪と十五年近く付き合えるのは稀有な例である。しかも自分は成長を続ける若い頃であればなおさらだ。

 とはいえ藍が知らないだけで信綱はすでに二十年以上妖怪と顔を合わせているため、その辺りに頓着はしていなかった。

 

 故に彼自身から離れようとすることはない。突き放した物言いはするが、相手が近づいてくるのを止めはせず、また近づいてくる者に対する面倒見も良い。

 要するに口で色々言っても結局、厄介事を背負い込んでしまう損な気質だと言えた。無論、御阿礼の子が絡まない範疇で、だが。

 

「……とにかく、人里は概ねこのような方針だ。嫌いなのは変わらんが――今後の動き次第では変わることもありえるだろう」

「そうね。我々としてもそれを確認しておきたかったのよ。あなたを旗頭に妖怪の殲滅、なんて考えられたら目も当てられないし」

「そんな発想が出ないようにするのがそちらの仕事だろう」

 

 皮肉を言っておく。人間と妖怪の共存を最初に唱えたのは彼女なのだから、信綱が背負っているものは彼女が背負うべきものでもあるのだ。

 立場の問題か、あるいは嗜好の問題か。理由はわからないが、嫌味の一つぐらいは許されるはずだ。

 

「それは済まないと思っているが、私たちがあまり下手に動くと……」

「あらあら、相変わらず嫌われてるわね。あなたに何かした覚えはないのだけれど」

 

 申し訳なさそうにする藍と、全く悪びれる様子のない紫が対照的に映る。個人的には藍の方が好感を持てる対応だった。

 橙は話を理解している様子がない。信綱もこんな話が理解できるようになりたくなかったので、彼女が少し羨ましく思えた。

 

「……まあ良い。俺から言うべきことは終わりだ。そちらも用件は済んだのだろう。帰ったらどうだ?」

「お客様をもてなすのも主の度量ではなくて?」

「ウチで作った魚の干物と油揚げをやるからそいつを連れて帰れ」

「くっ、逆らえない! なんて卑怯な!」

「紫さま、ごめんなさい!」

「あなたたち変わり身早すぎない!?」

 

 信綱も驚いていた。主の好き勝手に頭を悩ませていそうな藍をけしかける適当な口実を言ってみただけなのだが、あそこまで動きが早いのは予想外だ。

 藍が動けば必然的に橙も動く。ちなみに橙への干物は純粋にお土産として渡そうとしていた善意の産物である。

 

 ともあれ、一瞬で紫を押さえつけた藍はペコペコとこちらに頭を下げながらスキマを開いて去っていく。

 物欲しそうな顔で帰っていく橙に手を振りながら信綱は考える。はて、あの式神もスキマを開くことができたのだろうか。

 ――否、紫が開いたに違いない、と信綱は確信を持つ。

 

「……面倒なやつだ」

 

 帰る口実ができたから帰る。あのまま信綱が何も言わなければ本当に夕飯ぐらいまでは集っていくつもりだったはずだ。

 どちらに転んでも良いように動く。彼女自身が何かを選ぶことはなく、いつも相手に選ばせる。そして選んだことに従う。なるほど、あの妖怪が好みそうな手口である。

 

「……はぁ、面倒事が多くて困る」

 

 あの妖怪の考えていることなどいくら推測したところで無駄だ。ならば別のことを考えた方が建設的というもの。

 

 差し当たって、次に橙と会った時のために干物と油揚げを用意しておこう。

 

 

 

 しかし、ああ、本当に――自分はただ御阿礼の子に狂っていたいだけだというのに。




ガンガン面倒くさい立場に置かれつつあるノッブ。人里の将来がかかっている=下手にすると阿弥に悪影響が出るため、真面目にやってますが。

ノッブの本心は最初にある阿弥と過ごした穏やかな時間に集約されてます。あれさえあれば何もいらない。

さて、次の動乱は阿弥が幻想郷縁起の編纂を始める頃――要するに寺子屋を卒業した辺りからになります。
その時まではちまちまと妖怪相手に胃壁をすり減らしたり、とうとう家にまでやってくるようになった妖怪に頭を悩ませたりしながら、阿弥との時間を過ごしていく姿を書いていくつもりです。この時代本当に長くなるな!(自業自得)

あ、ちなみにこの時代での動乱は三つある予定です。多分予想は付いていると思いますが。

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