阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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異変の終わりと始まり

 信綱は広場で行われる宴会を、やや離れた場所で酒瓶を片手に見守っていた。

 すでに阿弥の様子は見てきた。霧の効果もなくなり、すやすやと眠る幼子の姿を見て、心底からの安堵を漏らした。

 

 問題はそこからで、異変の解決を祝して宴会をしようと人々が言い出したのだ。

 それだけなら火継の人間は参加しないからお好きにどうぞ、で終わりなのだが、今や村人たちにとって火継の人間はちょっとした有名人扱いだった。

 霧の異変が起こって犠牲まで出てしまった時、火継の当主は適切な指示と人情あふれる決断を下した、などというどこで尾ひれが付いたのか聞いてみたいくらいに美化されて信綱の存在が広まっていたのだ。

 

 異変解決の立役者とされている博麗の巫女は不干渉を貫いてさっさと神社に戻っていき、人里に残っている祭り上げられる対象は信綱しかいない、ということになる。

 確かにこれ幸いと心証を良くする努力はしたが、良くなりすぎるのも困りものである。

 

 異変の解決に当たり、志半ばに斃れた父の喪に服すと言って逃げても良かったが、せっかく盛り上がっている人々に水を差すのも憚られた。

 信綱は逃げられなくなってしまった宴会に参加して、挨拶や感謝を告げに来る人々にどうにか笑みを浮かべて対応をしている最中であった。

 

「やあ、人里の英雄どの。調子はどうかな?」

「……慧音先生、からかうのはやめてください」

 

 盃を片手にやってきたのは珍しく心の底からはしゃいでいるように見える慧音だ。

 信綱の隣に座り、美味そうに酒を飲む横顔にはほんのり赤みが差しており、すでにそれなりの量を飲んでいることが読み取れた。

 

「いやいや、お前は間違いなく英雄だ。聞いたぞ。犠牲者の遺体を親御さんに見せぬよう、火葬を自分たちで引き受けたとか」

「……他言無用にしておくべきだったな」

 

 というかそれが広まっているとか、遺族への配慮はどうなっているのか。

 人の口に戸は立てられぬとはいえ、頭痛を覚えてしまう信綱だった。

 それを人間への呆れと受け取ったのか、慧音は陽気にケラケラ笑いながら信綱の酒瓶をひったくる。

 

「あ、先生!?」

「そら、お酌してやる。盃を出せ」

「いや、私はもう……」

「盃を出せ。私の酒が飲めないと言うのか?」

「……わかりましたよ」

 

 この人めんどくせえ。

 それが信綱の内心だったが、それを言っても酔いの回った慧音には届かないだろう。

 なみなみと注がれた酒を一息に飲み干す。酒精が喉を焼き、舌を痺れさせる。

 とはいえ酔わない体質だ。いくら飲んでも問題はなかった。

 

「おお、良い飲みっぷりだ。お前もそんな風に酒を飲めるようになったんだなあ……」

 

 しみじみと過去を思い出すようにしながら、慧音が新たな酒を注いでくる。

 今度は舐めるように酒を口にして、慧音の話に耳を傾ける。

 

「お前が小さい頃は変に悟った顔をしていて、先生も色々心配だったんだぞ」

「は、はぁ……」

 

 今も大差ない気がする、とは言わないでおく。自分があの頃と比べて成長したとは全く思っていない信綱だった。

 それに慧音がここまで自分を出してくるのも珍しい。普段は模範的な教師であり、里の一員たらんと自分を律している部分が多かった。

 今日の宴会は彼女にとって本当に嬉しいものなのだろう。水を差すのも無粋というものである。

 

「だがお前は不思議と要領が良いというか、周囲が放っておかないというか……いつの間にかこんなに立派になって、先生は嬉しいぞお!」

「せ、先生!?」

 

 しなだれかかって抱きついてくる。そのまま信綱の背中に手を回しておいおいと泣き始めるのだ。

 

「私の教え子が成長して、皆をまとめて異変を解決して……こんなに嬉しいことがあるか! うわーん!」

「良いから泣き止んでください!?」

 

 同年代の若者たちからは羨ましそうな目で見られ、年配の人々からはあの人またやってるよ、というような同情混じりの視線で見られる。

 どうやら慧音が泣き上戸なのはある程度の年齢を重ねた村人は全員知っているようだ。教えて欲しかった。

 

 どうにかこうにかなだめすかし、適当な椅子に座らせて介抱は他人に任せておく。今の彼女の相手はしたくない。面倒くさいという意味で。

 陽気に笑いながら涙を流すという器用なことをしている慧音から離れ、再び宴会を眺められる場所に陣取る。

 あまり騒がしい場所の中は好きではないのだ。適度に距離を取っておく方が色々と楽だ。

 

「よう、ノブ! おつかれさん!」

「……勘助か。伽耶は良いのか?」

「こういう場所だし、雰囲気だけでも楽しんでもらってるよ。おれはおれで義父さん……親方と一緒に挨拶回りだ」

「うん?」

 

 顔通しぐらい、婚姻を結んだ頃にやっているものだと思っていた。

 信綱は不思議そうに盃から顔を上げる。

 

「ん、ああ? 今度暖簾分けしてもらうんだよ。さすがに本店は義弟たちが継ぐって」

「……いや、良いのか? 伽耶が身重で、もうすぐ産まれるんだろう?」

「だからだよ。産まれてくる子供にも伽耶にも、苦労はさせたくない。むしろ今が好機だと思ってるね」

 

 そういう勘助の目には信綱でも見たことがないギラギラとした欲望が宿っており、商売人としての姿をこれでもかというほど強く感じさせるものだった。

 

「異変が終わったけど、色々と里の機能も停止していたからな。今なら需要もあると思う。そういう意味では狙いどきなんだ」

「ふむ……」

 

 確かに火継の家でも入用は増えている。人的被害は少ないが医療品、衣類、武器などが不足しがちになっていた。

 有事の時に動く一族とはいえ、長年の平和は火継の家でも平和ボケを引き起こしかけていた。

 個々人の実力を発揮しようにも武器がいる。無傷ではいられないだろうから医療品もいる。血に汚れた服を着続けるのは衛生的にもよろしくないので服がいる。

 信綱が簡単に思いつくだけでもこんなに存在する。家の資源を把握している女中頭のトメに聞けば、より正確な数字とめまいのしそうな書類仕事を用意してくれるだろう。

 

 異変は終わった。しかし人の営みは明日も続いていく。信綱は明日から待っているであろう不得手な書類仕事を想像して、微かに憂鬱そうなため息をつくのであった。

 

「何を売るつもりだ? 販売の伝手なんかもあるだろう」

「そのことなんだけどな……ノブ、おれと契約しないか?」

「契約? ……なるほど」

 

 おおよそ読めてきた。火継の人間は危険な場所に赴くことが多い。そうして普通の人では調達の難しいものを入手することで日銭を稼ぐこともある。

 が、その際に卸す先などは特に決まっておらず、個人個人で適当にやっているというのが現状だった。

 それを統一して自分のところに欲しいということだろう。

 

「やっぱ頭いいな、お前。おれなんて伽耶と散々頭悩ませたってのに」

「まあ、らしくない考え方だとは思うよ」

 

 というより、まず伽耶の入れ知恵だと信綱は思っていた。

 悪い言い方をすれば信綱と友人であることを利用することだ。勘助には思いもしなかったことのはずだ。

 

「別に良いぞ。後日正式な書面を若い衆に持って行かせる」

「いいのか!?」

「あまり露骨な肩入れはできんがな。多少優先させるぐらいならなんとかなる」

 

 火継の家は里内の力関係には中立を保っている。稗田の家は幻想郷縁起の編纂こそが第一の使命であり、人里の中での権力を振るうという場面はそんなに多くない。

 それに仕える火継の一族も御阿礼の子以外に入れ込むことはしないようにしていた。どこかの家と癒着していざという時動けないなど本末転倒だ。

 

 と、ここまで書いたが、それは言い換えれば癒着しない程度ならば多少の融通は利かせられるということだ。

 火継の家の当主として、また勘助の友人として。どちらへの面目も立つのなら受けない理由はない。

 

「十分だ、ありがとう!」

「――言っておくが。あくまで優先させるだけだ。沈む船に乗り続ける趣味はない」

 

 そこは明確にしておく。友人といえど、信綱にも一族の長として優先すべきものがあると伝える。

 それを聞いた勘助は神妙な顔つきでうなずいた。

 

「おう。……でも驚いた。お前の顔、親方のそれとそっくりだ」

「どんな顔だ」

「すっげえ冷静に損得勘定してる顔。伽耶も帳簿計算してる時とかに良くしてる」

 

 つまるところ、何かを切り捨てる算段を付けている顔なのだろう。

 信綱も火継の当主となって十年以上が経過している。人を動かすことや、それ以上に人との距離の保ち方、付き合うことによる損得計算なども学んでいた。

 本音を言えば全部放り投げて無心で阿弥に仕えていたいのだが、幻想郷の環境そのものが激変している現在、無縁ではいられないだろう。

 

「ま、おれが成功すればいいだけだ! よろしくな!」

「……ああ、お互い良い結果になることを祈るよ」

 

 差し出された手を握る。刀を振り続けて固くなった信綱の手とは違うが、彼もまた働く男の手になっていた。

 

「じゃ、おれはこれで帰るよ。お前で挨拶は最後だったんだ。お前とは長く話したかったし」

「早めに来てくれ。慧音先生に絡まれて大変だった」

「はははっ、慧音先生も楽しそうだったよな」

「見ていたのか……」

 

 だったら助けろよ、と思って半眼で勘助を見るが、楽しそうに笑うばかり。

 

「……実際さ、お前が異変を解決したんだろ?」

「違うに決まっているだろう。俺は巫女の付き添いをしたようなものだ」

「だったら博麗の巫女様、あんな不本意そうな顔しないって。他人の顔色を見るのはちょっと慣れてきてんだ」

「勘違いだな。巫女も人間だ。虫の居所が悪い時もある」

「隙を見せないなあ……」

「やはりカマをかけただけか」

「どうしてわかったんだ?」

「秘密だ」

 

 椿との戦いで視野の広げ方を思い出した。一挙手一投足に留まらず視線の動きや顔の筋肉の強張り、そういった部分にまで目を向ければ、まだ慣れていない勘助の嘘ぐらいなら容易に見抜ける。

 

「そろそろ伽耶のところに戻ったらどうだ? 俺もまた今度挨拶に行くと伝えておいてくれ」

「おう! 最近お前と話せてないってちょっと寂しそうだったしな!」

 

 仮にも人妻がそれで良いのか、と思わなくもないが、勘助は特に気にした様子もないし良いのだろう。

 簡単な料理を持って勘助が喧騒から離れていく。伽耶のところに行って共に食事をするのか。

 

「仲の良いことだ……」

 

 酒を呷り、信綱はゆっくりと立ち上がる。

 このまま家に帰って、未だ懐に収めたままの椿のかんざしを眺めるのも悪くはないが、それより信綱には気がかりなことがあった。

 彼女は今頃神社で一人無聊を慰めているのだろうか。

 

 結果こそ信綱がいいとこ取りしたみたいな形になったが、信綱とて巫女が動かなければすぐには動かなかった。

 そういった意味ではやはり彼女こそ異変解決の立役者なのだ。

 それに霧を出していた魔女を倒したのも博麗の巫女だ。そちらの方を切りたかった信綱としては、彼女に無力を嘆くような顔をされるのは心外である。

 

 肩を並べて、と言うほど協調したわけでもないが、それでも同じ目的の元に走った間柄だ。自分ぐらいは労っても良いだろう。

 

 そう考え、信綱は適当な料理を二、三持って博麗神社への道を歩くのであった。

 

 

 

 案の定というべきか、博麗の巫女は一人人里の喧騒を見下ろしながら酒を飲んでいた。

 

「羨ましそうに眺めるくらいなら、お前も輪に入れば良い」

「……あんたこそ、愛しの阿弥様はどうしたのよ」

 

 巫女は振り返らず、信綱に悪態をつく。

 それを気にすることもなく、信綱は巫女の隣に腰を下ろして同じ光景を眺める。

 

「お休み中だ。ようやく苦しそうな顔で休まれなくなって、こちらも人心地ついた気分だ」

 

 まだ幼児なのも幸いして、成長しても今回の一件を思い出すことはないだろう。

 苦しい思い出など、少ないに越したことはない。

 

「で、何しに来たのよ。もう用はないんでしょう?」

「お前は俺を必要なことしかやらない絡繰人形か何かと勘違いしてないか? 俺だって共に異変を解決した仲間を労おうという気持ちぐらい持つ」

「……だから怖いんじゃない」

 

 巫女の口からかすれて零れた言葉を、信綱は聞かなかったことにする。

 阿弥を害した存在に対して一切の情けをかけない姿も、こうして博麗の巫女を労おうとする好青年らしい姿も、どちらも偽ることなく信綱の本心だ。

 

「……言っておくが、俺はお前をどうこうしようとは思ってないぞ」

「そんなことわかってるわよ。……理屈じゃわかってるのよ。あんたがやったことはやり過ぎかもしれないけど、異変を起こした黒幕に対する態度としてはこの上なく正しかった。人里の人間として、あんたの姿は間違いなく褒められるべきものだった」

 

 あれほどの暴威を見せて怯えるものは出るかもしれない。だが、それが振るわれるのは自分たちの属する集団と敵対している存在なのだ。

 賞賛こそすれ、非難することはできない。それを非難するということは、今回の異変で命を落とした彼らが無価値になってしまう。

 

 故に巫女も行いそのものに言及はしない。あそこまでやることはなかっただろうが、巫女だってレミリアに会ったらとりあえずぶん殴ろうとしていたのだ。人のことは言えない。

 

「でも、違うのよ……。あんたに感じた恐怖はもっと別のものなのよ……」

「……さすがに、それは俺には理解できない。教授してくれないか」

 

 信綱は狂人である自覚がある。それはつまり、自分のことを客観視できているからだ。

 しかし、できているからといって、普通の人と全く同じ視点を持っているかと言われれば否である。

 狂人なりに一般人の考え方を模倣しているだけであって、彼らの考えそのものを理解できるわけではない。

 

「……私とあんた、結構似た者同士だと思ってた。生まれた時から役目が決まってて、それ以外の自由なんてなくて。でも、私もあんたもそれを受け入れて」

「…………」

 

 黙して先を促す。

 信綱も巫女に対して親近感を覚えたことはある。自分と同じで優先すべきものが定まっている側の人間だと。

 だが、そこに博麗の巫女は違和感を覚えたのだろう。優先順位が決まっていることと、他を切り捨てる際に覚える心の痛みは別問題だ。

 

「……あの瞬間、あんたが別人のように思えた。うわ言みたいに死ねって呟きながら、あのちっこい吸血鬼を刻み続ける姿を見て、心の底から震えた」

「……お前の感性は正しいものだと思う。けど、あれが俺だ。阿弥様を害した敵は全力を尽くして殺す。その果てにお前と決別しようと、八雲紫と敵対しようと、絶対に迷わない」

 

 巫女は自分の肩を抱くように俯き、信綱と視線を合わせない。

 これは下手に自分がいない方が良い、と判断した信綱は料理を置いたまま立ち上がる。

 

「……まあ、離れても何も言わん。お互い生活圏は違うし、意識して会おうとしなければ会わないはずだ。

 本当は明日も何か奉納の酒でも運ぶつもりだったが、別の者にやらせよう」

「…………あー!! もう!!」

 

 立ち去ろうとした信綱の後ろで、巫女がとても人には聞かせられない雄叫びをあげてガシガシと頭をかきむしる音が聞こえた。

 何事かと振り返ると、いつの間にか後ろに来ていた巫女が信綱の着物の襟を掴んで引きずろうとしてくる。

 

「何をする」

「うっさい、こっち来る!」

 

 言われるがままに引きずられ、先ほどまで一緒に飲んでいた場所まで戻ってきた。

 巫女はドカッと乱暴に座って自分の使っていた盃を信綱に押し付ける。

 

「飲め」

「いや、理由がわからない――」

「飲めっつってんのよ」

「……わかったわかった」

 

 慧音といい、彼女といい、幻想郷では差し出される酒を断っていけない掟でもあるのだろうか。

 なみなみと注がれる酒を一息に飲み干すと持っていた盃がひったくられ、代わりに酒瓶を押し付けられた。

 注いだんだから注げ。そういう意味だろうと判断して信綱も酒を注ぐ。

 豪快に飲み干した巫女の姿に、信綱はどこか困ったような笑みを浮かべる。

 

「……ぷはぁ! 意外とイケる口じゃないのよあんた」

「飲めないなんて言った覚えはない。それより飯も食え。酒ばかりでは体を壊すぞ」

「あんたは私のお母さんか! 細かいことは良いから飲みなさい! 美味い酒が飲める奴に悪いやつはいない!」

「なんともまあ……」

 

 呆れてものも言えない。この巫女は生まれてくる性別を間違えたのではないだろうか。

 などということを考えながら信綱は持ってきた食事を巫女の側に持っていく。口ではああ言っているが、つまみがない酒よりはあった酒の方が良いはずだ。

 

「俺はお前の召使いじゃないぞ」

「いいじゃない、阿弥に仕えるのも私に仕えるのも一緒よ」

「全く違うわ阿呆」

 

 月とすっぽん、天と地、いや、比べることすらおこがましい次元の差がある。

 憮然とした顔で、しかし巫女の口に食事を義理で運んでやっていると、巫女はふっと優しい笑顔になる。

 

「なんか安心したわ。あんた、頭はおかしいけど悪いやつじゃないみたいだし」

「どんな評価だ」

「言葉通りよ。――私はあんたが狂ってると思った。それは正しいことだって確信してる。

 ……でも、あんたは理由はどうあれ人里のために戦った。犠牲者の死を悼んでいた。どんな心境なのか、とかはわからないけど、まるっきり嘘でもないんでしょう?」

「……いたずらに弄ばれて良い命などあるはずないだろう。狂人とか常人以前の問題だ」

 

 そこでそう言えるからこそ、悪人ではないのだという確信を巫女は深める。

 あの時レミリアに向けた殺意も、犠牲者に向けた哀悼も、どちらも本心なのだ。

 悪人ではない。その確信が得られただけでも今は十分だった。

 

「ごちゃごちゃ考えるのはやめよやめ! 仲良くできるなら仲良くする! 仲違いしたら解消するようにする! 当たり前のことよ!」

「……まあ、お前がそう言うならそれで良いんじゃないか?」

 

 多分、信綱と仲違いする時が来るとしたら、もはや避け得ぬ決別の時ぐらいしかないだろう。

 とはいえそんな時など来ないに越したことはないし、信綱とて博麗の巫女たちと無闇に敵対するつもりなどない。

 時が来れば躊躇わないが、その時が来るまでは今の関係を大事にしたい。そう思う程度の人間性は信綱にも存在する。

 

「……もう少しだけ酒に付き合ってやる。このまま一人で飲ませたら明日には飲み過ぎで死んでいそうだ」

「死なないわよ、今まで大丈夫だったんだから明日も大丈夫だって!」

「その根拠のない自信はどこから来るんだ……」

 

 そうして、信綱は巫女としばしの間、人里の明かりを肴に杯を交わすのであった。

 

 

 

 巫女とも別れ、信綱はようやく戻ってきた自室で机に向かっていた。

 机に飾られているのは阿七から贈られて以来、日々大切に磨いている花の硝子細工と、気が向いた時ぐらいしか扱わないが、それでも一応大事に扱っている橙から贈られた色石。

 この他にも趣味の釣り竿などがあるのだが、さすがに客の応対もするかもしれない部屋に置くことはできず、物置においてある。

 ――全部、阿七に言われたように自分の嗜好というものを探し始めた結果だった。

 

 その中に信綱は女物のかんざしを置く。チリ、と(かす)かな音を立てて置かれたそれに深々とため息をつく。

 

「……本当、愚かな女だ」

 

 なぜあんな結末になったのか。振り返ってみても、結局彼女の求めるところは自分との真剣勝負以外になかったのだろう。

 だが、自分は敵と真っ当に戦うつもりなどなかった。敵を愛する椿と、敵を排する信綱では最初から相容れなかった。

 殺したことに後悔はない。阿弥の敵になった時点で、信綱にはそれ以外を選ぶつもりなどなかったし、その首に剣を奔らせても何も悲しくはなかった。

 

「敵にかける情けはない。……だけど、死んだお前になら少しだけ……砂粒ほどで良ければ、憐れんでやる」

 

 椛や椿、彼女らと山を駆け回った時間が信綱を成長させ、いつの間にか異変を解決するぐらいの存在に育て上げた。

 あの日々が楽しくなかったと言えば嘘になる。例え二人を越えた後も、ああやって過ごしたいと思わなかったと言えば嘘になる。

 

 ――そんな私情を、御阿礼の子のために一片の迷いもなく捨てた。

 

「…………」

 

 これ以上思うことは何もない。もう彼女と会えないことに思うところはある。ああいう生き方しかできなかった彼女を憐れみもする。

 ――しかし阿弥の敵に回った。ならば彼女に生きる資格などなかったということだ。

 

 結論は出た。このかんざしを見る限り信綱は彼女のことを思い出し続けるだろう。

 けれどそれは懐かしい思い出に触れるためではなく、自らの感情と阿礼狂いとしての使命を再確認するためでしかなかった。

 

 

 

 

 

「――と、まあ、以上が報告になります」

「……射命丸。オレぁ、お前に嘘を報告してこいって命じた覚えはないんだがな」

「いやいや、本当ですって! こう見えて仕事は真面目にこなすんですよ私!?」

「それは知ってっから、お前を偵察に命じたんだが……にわかには信じ難いな。結界も張られて外との繋がりもなくなった今の幻想郷に、烏天狗を打ち倒す猛者ねえ……」

「遠目で見る限りは一人協力者がいたみたいですけど、実質一騎打ちでしたね。しかもその戦いで何かを思い出したのか、異変の黒幕とは正真正銘一人で戦ってました」

「どうなった」

「勝ちました」

「はははははっ!」

 

 男性の笑い声が響く。若く快活な青年の声だ。

 落ち着いたあの人の声とは対照的だわ、と文は内心でつぶやく。

 優劣を付けるつもりはないが、きっと目の前の男性の声の方が、人を惹き付けやすい爽やかさがあるのだろう。

 

「吸血鬼。オレも舶来の妖怪は詳しくねえが……鬼の一種と見ていいんだろ? 鬼とくりゃあ、一昔前は地上を席巻してたつっても良いくらいの大妖怪だ。それを倒したって?」

「殺し切ってはいないみたいですけど、吸血鬼が負けを唯一その人間に対してのみ認めたとか。そこからはスキマ妖怪やら何やらがいたんで、私も全容の把握はできませんでしたけど」

「そこは仕方ねえ。オレだってお前にスキマを出し抜けなんて無茶は言わん。しかし、しかし、ふぅむ……」

 

 実に楽しげな様子で思案に浸る男性の声。

 

「……んあ、そいつ、火継って呼ばれてなかったか?」

「あやや、申し訳ありません。異変の最中は誰も名前を呼んでませんでしたので、確認できませんでした」

「稗田の……今は確か八代目か。彼女に関しては?」

「いえ、ですからその名前が私にはわかりませんって」

「んー……まあそんだけ強い人里の人間と来れば、ほぼ確定なんだが……」

「様子、見てきましょうか?」

 

 悩ましい声を上げる男性に、文は我が意を得たりと申し出る。

 そんな彼女の様子に呆れたような顔をしながらも、青年は両手を上げた。

 

「やれやれ、じゃじゃ馬な部下を持ってオレは大変だよ。――オレの想像通りの相手なら、御阿礼の子を害するような言動だけはするな。これだけは絶対に守れ」

「? はぁ……」

 

 今ひとつ飲み込めていない文の双肩に青年の手がずっしりと置かれる。

 睨みつける寸前の眼光で正面から見据えられ、文も僅かにたじろぐ。

 

「お前の安全のためでもあり、天狗全体のためでもある。良いな? お前はオレの個人的な部下でもあり、同時に天狗の代表でもあると心得ろ」

「は、はい……」

 

 訳がわからない。だが、青年が本気で言っているのは痛いほど伝わってきた。

 文がわからないなりにうなずくと、青年は安心したような息を吐く。

 

「ならば良し。……オレたち妖怪ってのはとかく人間を見下す。それは一種の生態みたいなもんだし、実際人間の大半は弱い連中ばかりだ。

 だが、中には違う奴らもいる。そいつらはオレたちの喉笛にすら喰らいつく牙を持つ。藪蛇を出したくなかったら言うことを聞いておけ」

「……わかり、ました。――天魔様」

 

 青年――天狗を束ねる首魁である天魔の言葉に文はうなずき、気持ちを切り替える。

 楽しいだけの時間だと思っていたが、天魔の言う通り吸血鬼に打ち勝てる相手を侮るのは互いにとって良くない結果になりかねない。

 気をつけつつ、楽しめるところは楽しもう。そう心に決めるのであった。

 

 

 

 

 

 そして場所は変わり――

 

「――って騒ぎがあったみたいだね」

「へぇ、外来の鬼。この国以外に鬼なんてのはいたのかい」

「そりゃ、鬼ってのは万国共通で恐怖の象徴だからね。私も霧に紛れて見てきたけど、ありゃなかなか面白いよ」

「ふぅん」

 

 小柄な少女と大柄な少女。対照的な二人が揃って酒を飲んでいた。

 側には樽がいくつも転がっており、それが少女らのとんでもない飲酒量を表している。

 もっぱら話題を振っているのは小柄な少女の方であり、大柄な少女は土産話程度、酒の肴ぐらいにしか聞いていなかった。

 

「何より面白かったのは――異変を解決したのが巫女じゃないってことさ」

「だったらスキマだろ? 異変の解決なんてそいつらぐらいしかやらん」

「人間だよ。博麗の巫女だとか、妖怪の血が混ざってるとかなんにもない、ただの人間」

「……おいおい、本当かい?」

「鬼は嘘つかないよ」

 

 大柄な少女は穴が開くほどに小柄な少女を見つめる。

 小柄な少女は楽しそうにその視線を受け止め、両手を広げた。

 

「ねえ、地上に行かないかい? 外来の鬼が騒いでんだ。私らももう一回外に出よう! それで人間どもに恐怖を思い出させるんだ! あいつらが忘れた私たちの力を見せてやろうじゃないか!」

「嘘、じゃあないけど本心でもないな。私らの仲だ。本音を言いな――萃香」

「ああん、勇儀ったら相変わらず勘が鋭いねえ。ま、私らの目当てなんてわかってるでしょ?」

 

 二人の少女――かつて地上を恐怖に陥れた鬼の少女は、ここ数十年味わったことのない高揚感を胸に獰猛な笑みを交わす。

 

 

 

 ――人間の猛者を一目見たい。

 

 

 

「それに外来の鬼にも教えてやんなきゃ。私らの強さってやつを」

「……まあ、面子の問題もあるわな。地底に来たとはいえ、私らは鬼だ。外来の鬼がいるってんなら挨拶に行かねえとなあ……?」

「それでこそだ! さぁ――」

 

 

 

 

 

 ――百鬼夜行の準備と行こうじゃないか!!




盛 り 上 が っ て ま い り ま し た

動乱の時代がこれだけで終わると思ったら大間違いだよ!
導火線に火の着いた爆弾だらけな幻想郷。原因をたどると主人公の人間らしからぬ強さにあったり。
なまじ強かったから妖怪に目をつけられてしまう。大変ですね(他人事)

まあさすがに一年以内にこれらが続いたんじゃ後の話を考えるのが大変、もとい面倒、げふんげふんノッブの身体が持ちませんので、多少の年月は間を開けます。
妖怪の時間感覚の緩さは半端じゃない。

ということで次回はほのぼの。次回以降? 知らない子ですね。

ノッブの評価は大体巫女の言う通り「頭おかしいけど悪いやつじゃない」に収束します。
他人からの評価もだいたいこれ。変人だけど悪いやつじゃない。

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