阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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吸血鬼と阿礼狂い

 屋敷――紅魔館の中に静かな足音が、しかし走っていることもあって騒がしく響く。

 館に飾られる調度品、壁にかけられている絵画。どれも赤で統一されており、配色の調和など全く考えられていない。

 ただ好きな色を並べればもっと素晴らしくなる、そんな子どもじみた考え方だと信綱は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

「まだ着かないか」

「も、もうすぐ着きます! え、えっと、斬られたばっかりで私も疲れたんでちょっと休憩がてらお話とか――あ、冗談です。ペース上げます!?」

 

 よくよく命が惜しくないと見える。そんな目で見たらすぐに察してくれる。

 口うるさいのが少々傷だが、なかなか察しが良いことが救いだ。

 これで察しも悪かったら――まあ、今さら妖怪の一体や二体、どうということはない。

 

「おい」

「へ? な、なんです?」

「なぜこんな異変を起こした?」

 

 足は止めず、信綱と美鈴は屋敷の中を跳ねまわるように移動しながらの疑問。

 見れば見るほど、この妖怪がこのような異変に加担したと思えないほどのんきなため、見定めようとしたのだ。

 

「里で死者が出た。老人や幼い子が霧に苦しめられている。思うところはないのか」

「……すみません。やはり私も主に仕える門番なんです。主の命は絶対です」

「その主の意図は」

「…………」

「ふん、だんまりか」

 

 純粋に知らないか、あるいは信綱に話すのが憚られたか。どちらでも構わなかった。

 どうせ興味本位。この美鈴と呼ばれる少女がどんな性格であろうと、邪魔をするなら殺すだけ。

 せいぜい、この今にも暴れそうな激情を慰めるための時間つぶしだ。

 

 

 

 美鈴は美鈴で信綱に対して距離を測りあぐねていた。

 気を使う程度の能力というのは、何も自分だけが範囲ではない。相手の気というのも読み取ることができるのだ。

 怒っている相手、喜んでいる相手、不機嫌な相手、悲しんでいる相手。一般の人々はそれぞれの空気や雰囲気でなんとなく察するところを、美鈴は非常に高い精度で行うことができる。

 その能力を使って、なお信綱の心境は読み切れなかった。

 

(まず感じるのは怒り。それも世界全部を塗り潰してしまうほどの。理性で抑えているみたいだけど、張り詰めた糸のよう)

 

 感情というのは生物の行動理念になりやすい。理屈や理由など後付でいくらでもつくが、根本の要因は感情であることが多い。

 察するに、この青年は怒りが原動力になってこのような場所まで来たのだと読み取れた。

 しかし、それだけだ。纏っている怒りが強すぎて他の気を読むことができない。

 この紅魔館にある全ての赤を足してもなお足りぬほどの赤い激情。これが解き放たれた時、自分の主は無事でいられるのか。

 

(でも……)

 

 止めたいところだが、青年との実力差はすでに見せつけられてしまった。

 それに戦い方から判断するに、体を張って盾になっても無意味だろう。むしろ利用される光景しか浮かんでこない。

 主の強さは疑っていない。だが、この青年には不安を煽る何かがある。

 そこまで考えて、美鈴は軽く息を吐く。

 

(まあ、妖怪同士が群れているんですから、人間に討たれるのも来るべき未来ってやつですかね)

 

 かつて来たヴァンパイアハンターらのように。妖怪が力を振るえる場所だとやってきたこの場所でも、人間と妖怪の争いが絶えることはないのだろう。

 ……原因が主の行動にあることは知っているが。

 

 なぜこのような行動をしたのか。真意は美鈴には明かされていない。

 ひょっとしたらこの霧を出す実行犯である親友の魔女は知っているかもしれないが、それは関係のない話。

 主である彼女からしてみれば人間など餌と変わらない。その餌を苦しめ、脅かし、恐怖する様を楽しむような低俗な趣味は持っていないはず。

 そこで一つ、美鈴の頭にある予想が浮かぶ。

 

(……いやあ、でも、さすがにこれは……ないですよね?)

 

 だが、あまりに馬鹿馬鹿しい、というより子供っぽすぎるので却下する。

 よもや、よもやレミリア・スカーレットともあろう者が――

 

 

 

 ――妖怪の多い場所に浮かれてしまっていた、など。

 

 

 

「……ここ、です」

 

 美鈴は一際大きな扉の前で立ち止まると、後ろにいる信綱を見る。

 結構速度を出して走っていたのだが、息を切らした様子もなく並走していた。

 こちらを見る瞳には相変わらず何の感情も宿っておらず、生かすも殺すも彼次第だと言うことを嫌でも認識させられる。

 本当に何の感慨もなく殺すし、生かすだろう。

 極東の島国。その中のさらに幻想郷という隠れ里。そんな狭い場所によもやこのような目をする存在がいるとは。妖怪と生きている人間は一味も二味も違う。

 

 すでに美鈴の中で、信綱のような目をした人間は人里に大勢いるのではないかという認識が生まれていた。

 それは盛大な勘違いなのだが、幻想郷で初めて見た人間が信綱であるため、多少の誤解は仕方ないと言えよう。

 

「開けろ」

 

 信綱は二刀を携え、腰を低くした。もう全身から扉を開けた瞬間飛び込みますという意志がありありと見える姿勢に、美鈴は頬を引きつらせながらも諦めたように扉に手をかける。

 

「ああもう、頼みましたよお嬢様……!」

 

 扉が開き、部屋の内容が徐々に明らかになっていく。

 床敷きは紅。奥には大きく足の長い机と、椅子。その上には異国の茶器と思われるそれが並べられており、これまた真紅の茶が揺れている。

 そしてその果てに座す、月光をそのまま表したような銀糸の髪を持つ少女の姿。

 

 その姿を目にした瞬間、信綱の心臓に大きな鼓動が生まれる。

 それはドクドクと壊れたポンプのように狂った速度で全身に血を巡らせ、体を熱くしていく。

 視界が赤く染まるような錯覚。全身の血液が先の存在を一秒も早く殺せと騒ぎ立てる。

 この時信綱は自身の心の臓、血液、筋肉、神経、細胞。毛一筋に至るまで狂った存在なのだと実感した。

 

 気が触れているだけだと思っていた。でも違う。

 火継信綱という存在は精神と肉体、双方が狂気に落ちて初めて、阿礼狂いと呼ばれる存在なのだ。

 さあ、足を踏み出せ。そして御阿礼の子に仇なす敵を討ち滅ぼせ。

 

 

 

 動け肉体。猛れ心臓。今動かずして、いつ動く――!

 

 

 

「――死ね」

 

 口から出た言葉は、自分でも驚くほど冷たく怜悧なもの。胸に渦巻く激情を一つも出していない。

 だがそれで良い。この怨敵に対してくれてやる感情など一欠片もない。

 刀を振るう。扉の側にいたナニかを斬った感触がしたが些事だ。首と胴体を三等分した程度。死にはしない。殺す手間も惜しい。

 

 踏み出した足は、これまでで最高の踏み込みとなって少女へと跳びかかっていくのであった。

 

 

 

 

 

「ああもう! なんか最近あんたのやることなすこと裏目に出過ぎじゃない!?」

 

 博麗の巫女は悪態をつきながら館内を走る。隣ではスキマで浮かびながら八雲紫が並走していた。

 あの信綱という青年を見極めると言ってこのザマだ。この館に向かう道中も陸と空に分かれて移動したが、どうにも妨害は烏天狗と雑魚妖怪が少しと、向こうの方が少なかったらしい。

 

「良いではありませんの。そのおかげで霧を出している魔女は退治できたのだから」

 

 案内もないため、館の中に入ったら後はもう適当に突っ走るだけだったが、そこは博麗の巫女。不思議と勘の良い彼女の独壇場だった。

 適当に歩いていただけで見事、大図書館にいた魔女を探り当てて殴り倒してきたところなのだ。

 

 そもそもやる気自体あんまりなかったようで、ちょっとどついたらさっさと霧を解除してしまったというのが現実だが、問題が解消できたのだからとやかくは言うまい。

 

 その紫色でもやしみたいにガリガリな少女が言うには、自分は実行者であって考案者ではないとのこと。

 要するに黒幕は別にいますということだ。どちらもぶっ飛ばせば良いだけだが、面倒な話である。

 

 そしてこうして走っている現在に至る。

 館の道中で妖怪の群れに襲われ、館の中で妖怪に襲われ、さらに魔女を倒して。今日一日だけで、自分の人生の中で戦ってきた妖怪の数を超えるのではないかと思うくらい、妖怪を退治した。

 

「……ねえ、紫」

「なんです?」

「私は力を持つ必要がある。それは幻想郷の調停者としての義務」

「……? ええ、その通りよ」

「――これじゃダメ。今回は良かったかもしれないけど、これがずっとは続かない。言わなくてもわかっていると思うけど」

 

 そもそも、博麗の巫女の仕組みそのものも幻想郷ができた当時に制定されたものだ。

 当時はそれでよかったかもしれないが、博麗大結界もできて名実ともに外界から隔離された空間となった現在、新たな有り様を求められている時が来ていた。

 巫女の言葉に紫も目を細め、思案をしている表情で虚空を睨む。

 

「ええ、わかっておりますわ。……とはいえ、我々だけでそうすぐに浮かぶものかはわかりませんけれど」

「あんたにしては弱気じゃない」

「弱気、強気の問題ではありませんわ。三人寄れば文殊の知恵、といいますけど、考え方が同じ者だけでは文殊の知恵など出るはずもない」

「相変わらずあんたの話は迂遠で長い。要点を簡潔に言いなさい」

「――此度の異変の黒幕と話がしたい」

 

 外から来た妖怪ということはわかっている。それはつまり、紫以外にも外の世界を知る者が来たということだ。

 自分や式の藍では見方も似通ってしまう。新たな視点を提供してくれる存在というのは、それだけでありがたい。

 

「……ま、あんたがそう言うなら悪いようにはしないんでしょうけど。だったら急いだ方が良いわよ」

「あら、どうして?」

「嫌な予感、すっごいする。今までで最悪なくらい」

「……少々急ぎましょう」

 

 巫女の顔は若干引きつっており、彼女の勘というものが悪寒をもたらしているのだと予測することができた。

 紫は無表情に飛翔の速度を上げ、巫女もそれに追従して空を飛び始める。

 魔女が倒されたことで異変そのものは収束したのか、邪魔をしてくる妖怪もいない。

 後は勘で適当に進めば黒幕の場所に勝手に導いてくれるという流れだ。

 

 そうして、邪魔なく二人は黒幕の少女――レミリアのいる場所まで到達することができたのだ。

 

 扉は切り刻まれている。余程の恨みや怒りを持つ存在が、それでも技巧の限りを尽くしたような切り口。

 こんな切り方ができる存在など、両者の頭には一人しか浮かばなかった。

 二人が視界を上げて部屋の中を見ると――

 

 

 

 

 

 血しぶきが舞う。蹂躙の爪牙が踊り、血の雨が四方八方に撒き散らされる。

 おぞましいまでの血臭とむせ返るような内臓の臭い。耐性があっても目を背けたくなるような光景の中、その青年は立っていた。

 

 

 

 

 

「――死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」

 

 

 

 

 

 言葉を失う。淡々とうわ言のように殺意を零しながら、されど振るわれる二刀の技の冴えは門番に見せたものとは比べ物にならず、疲れなど知らぬとばかりに無尽に刃を振るう信綱の後ろ姿。

 

 部屋で血に汚れていない箇所などない。赤で統一された空間であってもなおわかってしまう、赤黒い血色が撒き散らされ、しかし信綱の肉体には一滴の返り血もない。

 

「――お前たちか。その血には触れないほうが良いぞ」

 

 その口調は平時と何も変わらず。信綱は巫女たちに背を向けて何かを切り刻む速度を落とさないままに言葉を紡ぐ。

 それがかえって自身の狂気を強調するものだとわかっているのだろうか。

 

「どういう理屈かは知らないがな、こいつが斬られながら俺に血を当てようとしてきたんだ。浴びて良いことはないと思った方が良い」

 

 吸血鬼の血を飲んだものは、彼女と同じ吸血鬼になる。それも子、孫といった風に上位の存在には逆らえぬ吸血鬼として。

 ある種の生殖にも近いが、使い方次第では相手の力をそのまま自分のものにできる。

 

 当然、外来の妖怪である吸血鬼の情報など信綱は持っていない。

 持っていないが、椿との戦いを経て開花させた観察眼と山歩きで鍛え抜かれた五感が、彼女の五体から感じ取れる危険を全て教えてくれた。

 

「しかし呆れた生命力だ。これだけ斬ってもまだ治る」

「が、く、そっ! こ、の――」

 

 信綱の刃を受け続けて、しかし黒幕であるレミリアは闘志を失うことなく睨みつけ――その首を斬り落とされる。

 

「黙れ囀るな誰が喋って良いと言った」

 

 無論、吸血鬼は首を落とされたぐらいでは死なない。再生を終えた腕に妖力を集めようとして――腕が斬り落とされる。足で距離を離そうとして、足を斬り落とされる。妖力で飛ぼうとして、胴体が串刺しにされる。

 すでにレミリアは信綱の空間に入ってしまっており、あらゆる行動が許可されていなかった。

 腕を動かすこと。足を動かすこと。呼吸をすることすら許さず、ただただ振るわれる二刀を身体に受け続ける時間。

 通常ならば天狗であっても致死の攻撃量。再生が追いつかなくなり、その身を灰に変えるだけの斬撃を浴びて、それでもなおレミリアは存命だった。

 

 だが、徐々に目から光が消え始めている。

 それもそのはず。何かをしようとしてもできない。させてもらえない。そういった状況というのは思いの外精神を蝕む。

 これである程度の反撃ができていれば、その効果がなくてもここまで追い込まれはしない。

 レミリアは吸血鬼。特定の弱点以外ではほぼ不滅と言っても良いほどの再生力が武器でもあるのだ。丸一日殺されても精神を保つことはできる。

 

 そして逆に、完全に自由が奪われている場合でも精神というのは意外と頑丈になる。肉体の自由がないゆえに、精神だけは守ろうと心が鎧を作るのだ。

 しかし信綱は肉体の自由は奪っていない。彼女には行動の自由があった。ただ、その出を誰よりも早く察知し、完璧に潰しているだけで。

 

 何をしても構わない。但し何もさせない。つまり――何もできないのはお前の未熟であると突きつける戦い方。

 意識しての行動かどうかはわからない。しかし信綱は妖怪を殺すもう一つの方法――心を折る戦い方を確かに行っていたのだ。

 

「ああ、面倒だなお前は斬っても斬っても死なない。早く死ね。一秒でも早く死んでこの霧を終わらせろ」

 

 身体が治るのを待ち、動こうとしたところを斬り続ける。それが今なお続く血しぶきの答え。

 そこまで見て、ようやく博麗の巫女と八雲紫の二人は正気に戻る。

 

 呑まれていた。火継信綱という青年から発せられる狂った理性の気配に。

 

「――待ちなさいよっ! 異変はもう終わったわ! 霧は晴れたのよ!」

「実行犯が別にいたということか?」

 

 常と変わらぬ口調が余計に恐怖を煽る。例大祭の時に話しかけた口調と全く同じ。

 そのまま世間話をすれば応えてくれる。そんな様子だった。

 

「そう、そうよ! だからあんたも手を止めなさい!」

「断る。異変の黒幕自体はこいつだ。異変を起こしたものは退治される。違うか?」

「――それは博麗の巫女の仕事であって、あなたの役目ではない。違います?」

「…………」

 

 紫の言葉に信綱は押し黙り、剣を振るう腕を止める。

 即座に再生を開始したレミリアの肉体だが、もはや興味がないと言わんばかりに見向きもしない。

 そして視界の端でやや早めに再生を終えたと思われる美鈴にその肉体を長刀で刺して放り投げる。

 

 彼女もまた、主の一方的な殺戮が始まったのを止めようとしていたのだが、片手間に振るわれる斬撃でバラバラにされては元に戻るを繰り返していた。

 レミリアに注力している癖に、振るわれる刃の冴えは門で振るった技の比ではないのだ。受けることも避けることも敵わない。

 さりとて遠距離からの攻撃もままならない。元々肉弾戦の方が得意なのだ。苦手な分野で一矢報いるなど夢のまた夢だった。

 

「え、あ、あのっ? ――お二方! その人を止めてください! 主に代わって私からお願いします! 事が済んだら命でもなんでもご自由にして結構ですから!」

 

 再生の終わった直後、状況がイマイチ飲み込めなかった美鈴だが、それでも腕の中にいる主を青年が殺し続けていて、背後にいる巫女服と道士服の少女二人がそれを止めている。その構図は理解できた。

 

 ここでの美鈴の判断は実に英断と言えた。討伐ではなく対話を望む紫からすればまさに渡りに船だっただろう。

 

「霧は消えているのか」

「ええ。私が確認いたしましたわ」

「…………」

「あら、嘘を付いていると思われるのは心外ですわね。私とて、嘘を言わない方が良い時というのは心得ておりますのに」

 

 だから信用できない、とは口に出さない。

 彼女が自分をどのように見られているか、客観視できていないと考えるのは軽率に過ぎる。

 

「……まあ良い。霧を出していた実行犯をこの手で斬れなかったのは残念だ」

「こっちはあんたが黒幕の方に行ってよかったと心底思ってるわよ」

 

 あの魔女は吸血鬼ほど再生力が高くなさそうだった。顔色も生白く見るからに不健康そうであり、信綱が首を落とすだけで死にそうだった。

 いや、妖怪でもよほど強くないかぎり首を落とされると致命的なのだが。

 

「俺とて実行犯相手なら手加減はする。死んで永遠に解除されないとかだと目も当てられないだろう」

「手加減じゃなくて拷問の間違いじゃない?」

「そうとも言うな。寸刻みに刻んでやりたいくらいだ」

 

 その上で霧を解除したら殺す。信綱の目からはそういった意思がありありと伺え、博麗の巫女は先ほど倒した敵に僅かに同情すらしてしまうのであった。

 

「で、なぜ俺に剣を止めさせた。異変が終わったことはありがたいが、黒幕は退治すべきだろう」

 

 彼女が次に何かをやらかさない保証などどこにもない。

 それに今回の異変で御阿礼の子が苦しい思いをした。その時点で信綱のレミリアへの評価は底辺を貫いており、よほどの理由がなければ殺すつもりだった。

 

「ええ。ですが彼女には価値がある」

「お前から見た、だろう。早い者勝ちと言ったのはそちらだ。俺に主張を曲げさせたいんなら、それなりのものは支払ってもらうぞ」

「…………」

 

 身の程を知らないとすら言える信綱の要求に紫は微かに怒気を浮かべるが、全く気にした様子もない。

 博麗の巫女に一瞬だけ視線を向け、信綱は紫の視線に真っ向から対峙する。

 

「突っぱねるならそれで構わないし、俺を殺そうとするのも自由だ。だが、相応の被害は覚悟しておけ」

「あなた……」

 

 戦ったら勝てない。だが、自分が死ぬまでに博麗の巫女を道連れにするぐらいならできる。

 その確信を持った瞳だった。紫にとって何が最も嫌な手なのか、理解して話していた。

 

 次代の博麗の巫女もいない上、今は幻想郷そのものの過渡期にある。彼女を失うことは少々痛すぎる出費になる。

 信綱は天狗との会話でそれを理解していた。故にここで生半可な妥協をするつもりはなかった。

 

「俺は黒幕を討伐したい。後顧の憂いは断つべきであり、何より阿弥様を害したものを生かすつもりはない……が、お前はどうやら違う考えを持っていて、彼女を生かしたい。

 ……お互いにとってより良い選択ができる。そんな賢明さを今は期待しようか」

 

 信綱は無表情のまま言葉を紡ぐ。

 実のところレミリアを殺そうという情熱は、もうそこまで燃え盛っているものではなかった。

 何もなければ殺すが、殺す以上の利益を提示してもらえるなら殺さないことも視野に入れるつもりだった。

 

 彼にとって最優先すべきは阿弥の苦しみを取り除くこと。その原因である霧が払われた時点で、信綱の戦う理由は半分終わっていたのだ。

 残りの半分である敵の排除だが、時に敵は殺さない方がより利用価値を生む場合もある。

 紫や博麗の巫女とて、彼女を生かしてもう一度人里を苦しめようなどという考えを持っているわけでもないだろう。彼女らに任せることが幻想郷にとって最善であると、信綱は理解していた。

 

 まあだからといってハイそうですかと自分の意思を曲げる理由もないので、もらえるものだけもらってしまおうという魂胆である。

 

「……何がお望みかしら?」

「お前への貸し。境界の賢者、幻想郷の管理者、スキマ妖怪――八雲紫が、人里に対して借りを作る。そしてそれを妖怪連中にも伝えろ。迂闊な手出しができないように」

 

 元々人里は紫の庇護下にあるようなものだが、それでも人里としての機能が停止しかねない規模のものでしか動かなかった。

 だが、この貸しがある限りそれはなくなる。それは人里にとって多大な利益であり、何より阿弥への悪影響を減らせる可能性にもつながる。

 

「他はどうでも良い。そこのガキを煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わんし、異変を解決した名誉も巫女が独り占めして良い。俺が願うのは人里の安寧と平穏だ」

「よく言うわ。本当はそこに属する阿弥の安全だけが重要なんでしょう」

 

 何を当然のことを言っているのだ。自分が真っ当に人里の安寧を祈っている善人だとでも思っていたのか。

 そんな目で見ていると、紫も巫女も呆れたようにため息をつき、信綱を無視してレミリアの方に向き直る。

 

 美鈴の腕に抱えられ、消耗の色が濃く映っているが、それでもレミリアの顔に負け犬のそれは存在しなかった。最後まで気高くあろうとする王者の気概に溢れている。

 

「ハッ、話はまとまったみたいね。ああいえ、私から言うことは何もないわ。――参ったよ人間。完膚なきまでに打ちのめされた。対策もなく、知識もなく、ただの人間にああも斬り刻まれて何もできなかった、私の負け」

 

 あのまま戦い続けていて――勝つのはレミリアだ。

 いかに精神が傷つけられようとも、いかに消滅寸前まで追い込まれても、最終的には体力勝負に落ち着く。

 レミリアの精神が勝つか、信綱の体力が勝つか。軍配としてはレミリアの方に上がる。

 だがそうして得られる勝利というのは体力の尽きた信綱に牙を突き立てるものであり――誇り高い吸血鬼からすれば、極めて泥臭い勝利になる。

 

 第一、今回は信綱に一方的に斬られ続け、他の二人に止めてもらった形で拾った命だ。

 ここでまだ負けていないと言い張るなど、無様にも程がある。

 

「……いいわ。あなたが然るべき謝罪をするのなら、私たちはあなたを受け入れましょう」

「ん、そう」

 

 レミリアは目眩を感じているような覚束ない足取りで立ち上がる。

 精神の疲弊は妖怪にとって肉体的損傷以上に効果がある。美鈴に支えてもらいながらフラフラと歩き――

 

「あら?」

「ん?」

 

 巫女と紫は無視して、信綱の方へ向かう。

 

「――済まなかった。あなたの里に犠牲が出たのも、私の責任よ。私の首で気が済むなら持って行って頂戴」

「ちょ、お嬢様!?」

「戦って、勝者と敗者ができた。敗者は勝者に逆らえない。この場で私に命令して良いのはあなただけよ。おじさま」

 

 紫でも、博麗の巫女でもない。直接戦い、刃を交えた信綱にこそレミリアは頭を下げた。

 彼女らの取り成しで助かった。それは事実だが、レミリアが信綱に負けた事実もまた存在する。

 少女二人には助けてもらった義理がある。信綱には勝者と敗者という義務がある。

 義理と義務。どちらを優先すべきかなど、決まりきっていることだった。

 

 そうして頭を下げるレミリアを信綱は一瞥し、僅かに思案して口を開く。

 

「……お前、人は食うか」

「ええ、血を吸うから吸血鬼って呼ばれるのよ」

「――ならばお前は金輪際人里の人間から血を吸うな。そして人里に、幻想郷に害を成す妖怪と戦え」

「ちょっと、あなたそれは……!」

 

 信綱の命令に紫が苦言を呈する。

 人を襲い、人に討たれるのが妖怪の正しい姿。

 つまり信綱の言葉は、レミリアに妖怪としての摂理を捨てろと言っているようなものだった。

 

「わかったわ。レミリア・スカーレットは人里に住まう人間の血を一切吸わず、害する者に立ち向かう。これでいいかしら」

 

 それにレミリアは迷う素振りも驚く様子も見せず、二つ返事で頷いた。

 

「……少々ふっかけたつもりだったんだがな」

「わかっているわ。その上で私は断らない。私の食事やプライドよりも、この場で最も尊いのは勝者であるあなたの言葉よ」

「私たちもお嬢様に殉じます。……あなたのことは正直苦手ですけど」

「……だ、そうだ。後はお前たちに任せる。細かいところは好きにしてくれ」

 

 そう言って信綱はレミリアにも紫たちにも背を向ける。

 

「どうするつもり? まさか今から魔女を殺しに行くとかじゃないでしょうね?」

「帰るんだ。霧が払われたなら一刻も早く阿弥様の様子を見に行く」

 

 ただでさえ子供で、霧がなくても体調が安定しない時期なのだ。つきっきりで見てやらねば。

 

 という建前はさておいて、十年も待たされてようやく会えた御阿礼の子なのだ。一秒でも側にいなければ嘘というものだ。

 

「ああ、待っておじさま。お名前を聞かせてもらっても良いかしら?」

「名乗る理由がない。じゃあな」

 

 レミリアの言葉を完全に無視し、信綱は一人血に塗れた部屋を後にしていくのであった。

 

 

 

 

 

「……あそこまで無視されるといっそ清々しいわ」

 

 残された面々はぽかんと信綱を見送り、レミリアになんとも居た堪れない視線を向ける。

 

「えっと……どうする? 紫」

「あの男がいると良くも悪くも場が狂いますわ……」

 

 今回の場合は彼がレミリアに勝ったのだから当然とも言える。

 それにこちらに対してある程度の配慮もしてくれたのだ。生身の人間が吸血鬼すら打ち倒した事実を賞賛こそすれ、非難はできない。

 が、あくまで配慮はある程度でしかなかった。一時は八雲紫すら手こずった霧を出す魔女に、その魔女を従える吸血鬼。それらが丸々人里の味方についたとあっては、人里の地位は幻想郷でも無視できないものになる。

 おまけに吸血鬼を単独で倒せる……かどうかはわからずとも、釘付けにできる力を持つ人間が現れた。

 

 色々と出来事の多い異変だった。天狗の里への対応と言い、この吸血鬼たちの対処と言い、やることが山積みである。

 紫はシクシクと感じる頭痛を表情に出さないようにしつつ、レミリアたちに口を開く。

 

「私たちはあなたをどうこうするつもりはないわ。異変を起こして、退治された。それでおしまい」

「……そう。私たちも受け入れてもらえるのかしら」

「ええ、もちろん。幻想郷は全てを受け入れますわ」

 

 レミリアは僅かに安堵したような吐息を漏らすが、すぐにかき消して紫たちに向き直る。

 

「勘違いしてもらっては困るから言っておくが。私はあいつに頭は下げるけど、あんたたちに頭は下げないからね」

「はぁ……」

 

 頭痛の種が増えた。あの男、好き勝手かき回してるだけだというのに、不思議と妖怪に好かれる。

 それだけの強さがあるとも言えるが、それにしたって幻想郷の妖怪どもは男の趣味が悪過ぎると言わざるを得ない。紫に男ができたことがあるかはさておき。

 

「今日のところは退散しますわ。あなたたちも疲れているでしょうから」

「別に疲れてないし! ちょっと足がふらついて腕に力が入らなくて目眩がして……ああぅ」

「お嬢様、ムリしないでください!? メッタ斬りにされてたんですから!」

「そうよ、メッタ斬りよ! あなたもどうにかして助けなさいよ美鈴!」

「私が返り討ちにあいまくってたの見てなかった!?」

「……はぁ」

 

 また騒々しい連中が来たものだ。

 童女なのか群れの長なのか。イマイチ判断の付かない吸血鬼にその仲間たち。

 もう幻想郷に害を及ぼすことはないだろうけど、騒動を引き起こすことは今後数え切れないくらいあるだろう。

 

 それらを思うと頭が痛くなると同時、静かだった幻想郷が活気を取り戻すかもしれないという淡い期待が生まれるのであった。

 

 

 

 かくして、吸血鬼異変は終わりを迎える。

 表向きは巫女が動いて巫女が解決したことになっているが、事態の収拾に当たったものたち。事態の傍観に当たったものたちは知っている。

 巫女でもなんでもない一人の青年が動き、烏天狗を討伐し、吸血鬼をも打倒する戦果を上げたことを。

 

 幻想郷に点在する多くの妖怪たち。それらから目をつけられたことを渦中の人である信綱は、まだ知らない。

 

 

 

 

 

「……でさあ、美鈴」

「はい、なんでしょう」

 

 人の気配がなくなった紅魔館の一室。

 レミリアは美鈴の膝の上に頭を乗せてゴロゴロしながら気怠そうに口を動かす。

 

「あの人間、強かったわね」

「ですね。ちょっと頭おかしいくらい」

「頭おかしいって……いや、合ってるけどさあ」

「私は正直苦手です。でもお嬢様は違うんですよね」

「あー……」

 

 コロリと顔を美鈴の腹の方に向ける。鍛えられて引き締まった太ももの感触が顔に優しい。

 

「……私さ、すごく強いと思うのよ。そんじょそこらの妖怪じゃ相手にならないくらい。極東で有名な天狗にだって負けないわ」

「ええ、お嬢様はお強いです」

「んでさ、人間は弱いと思うのよ」

「その通り。人間が脆い生き物だって、お嬢様は何度も見てきたじゃありませんか」

 

 襲い来るヴァンパイアハンターらは、レミリアが一撫でするだけで物言わぬ肉塊へと姿を変えた。

 レミリアを怒らせないために捧げられた生け贄の生娘らは、少し血を吸うだけで動かなくなった。

 陰鬱で代わり映えのない時間。それに嫌気が差してここまで来て――

 

「あの人間、名前はなんて言うのかしら?」

「さあ? そういえば誰も名前で呼んでませんでしたね」

「ひどい話だこと。殿方の名前くらい聞き出せないでレディは名乗れないわ」

「それだと無視されたお嬢様はレディじゃないんじゃ……」

「美鈴、後で屋敷裏」

「ひどい!?」

 

 都合の悪い指摘は華麗に無視する。

 ともかく、レミリアは知ってしまった。この場所の面白さを。

 あの人間の巫女も大した力量だろうし、胡散臭い妖怪も底が知れない。何より自分に打ち勝てる人間すら存在することがレミリアを大いに喜ばせる。

 

「私は綺麗なものが好きなのよ。美鈴も知ってるだろうけど」

「ええ、まあ。私の髪が好きなことも知ってますよ」

「そうよ。紅色で綺麗な髪。――弱い人間が強い妖怪に打ち勝つ、というのも綺麗な光景じゃないかしら?」

「……あれが綺麗だったんですか?」

 

 獣を処理するように淡々と殺し続けていて、傍から見て狂気の産物にしか見えなかったのだが。

 あばたもえくぼとはよく言ったもので、レミリアにはあれすら美点に見えるらしい。我が主ながら、目医者にかかった方が良いのではなかろうか。

 

「私は負けたのよ。敗者が勝者を讃えなくてどうするの? ああ……まさか私を最初に倒すのが人間だなんて思わなかったわ」

「……これから、どうするおつもりですか?」

「どうもしないわ。ここで適当に楽しく暮らして、たまにあの人間にちょっかいを出す。

 ――断言してあげるわ。あの男の騒動はこれで終わりじゃない」

 

 自分を打ち倒すだけに限らず、自分に娯楽まで提供してくれるとは。なんて素晴らしい男だ。

 

「根拠は?」

「私を打ち倒した男がこの程度で終わるはずがない」

「ああ、そういう……」

 

 なんだか美鈴に可哀想なものを見る目で見られているのが心外だが、レミリアには確信があった。

 今後、あの青年の側にいればとても楽しい時間が過ごせるのだと。

 

 これから来るであろう騒々しい日々に思いを馳せ、レミリアはそっと笑いを零すのであった。




 これにて吸血鬼異変は終了です。そして終了と同時に様々な方面から目をつけられた模様。

 ここ、というより椿との戦闘が本当にターニングポイントになっており、今現在の信綱ならネームドキャラでも上位陣を相手に戦えます。相性次第では勝つこともできたり。
 レミリアは天狗より遅く鬼より力も弱く、しかしそれらの二位に次ぐほどの身体能力と魔力、再生力がありますが――悲しきかな。
 天狗より遅く、肉体の頑健さも刃を通さない程ではなかったため、信綱の出足をくじく戦い方と相性が悪かった。

 そして割りとバランス感覚を持っている信綱青年。手札は増やせる時に増やす主義であり、売れる恩は積極的に売っていきます。
 なおあの時点で霧が晴れてなかったら殺していた模様。

 各勢力の信綱への印象
ゆかりん:要注意
巫女:変人
あややや:興味の対象
れみりゃ:愛すべき勝者

 モテモテですね!(良いことかは別問題)

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