阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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すれ違った戦い

「で、なんであんたがここにいるのよ」

 

 里の外、黒幕がいると思われる霧の湖へ向かう道中、信綱親子は合流した博麗の巫女に苦虫を噛み潰したような顔をされて出迎えられた。

 彼女は八雲紫と一緒に立っており、招かれざる存在である彼らに困惑の視線を向ける。

 

「俺たちも動く」

「戻って里の防衛をしてなさい。襲ってこないとは限らないわ」

「上白沢慧音以下、火継の面々が行っている」

「……異変の解決は巫女の役目。お互いに役目があるってこと、わかってるでしょう」

「そうだ。阿弥様を守るという役目に従って、俺は阿弥様を害した者を討ちに行く」

 

 話は平行線をたどる。元より、信綱と巫女の言い分が噛み合うことなどあり得ないのだ。

 

「良いではありませんか、博麗の巫女」

 

 故に変化は第三者より与えられることになる。

 二人の言い分を傍観していた紫が、扇子に口元を隠してそのようなことを言う。

 

「ちょっと、紫?」

「いじらしいことではありませんか。仕える主が危ないから、その危険を排する。実に論理的な帰結ではなくて?」

「だけど今回の異変は本当に危なくて……!」

「そう、危ない」

 

 パチリ、と音を立てて扇子が閉じられ、巫女の方へ突き付けられる。

 

「――だからこそ、弾除けは多いに越したことはない。違う?」

「……っ! 里の人間をそんなことに使えるわけないでしょう!?」

「あら、そこのお二人はそれを理解しているようだけど?」

 

 話を振られたため、首肯して口を開く。

 

「俺も父上も承知の上だ。それに目的は一致している。足並みを揃えて動こうなどと言うつもりはないが、ある程度の協調は認めて欲しい」

 

 認められなくても勝手に動くが。

 そう考えていたのが読み取られたのか、紫はやれやれと首を振る。

 

「言っても聞きませんし、無視しても勝手についてきますわよ、この手の人種は。だったらある程度手綱を握ってしまった方が良いのではなくて?」

「……っ! 私の努力は何なのよ……!」

 

 納得できないように歯噛みする巫女を、信綱は真っ直ぐ見据える。

 

「お前の力を否定するつもりはない。だが、俺たちも力になりたいという思いは認めてくれないだろうか。……無力に震えるのは嫌なんだ」

 

 さも無力を嘆くように言う。そんな使命感に突き動かされたような立派なものではないが、言うだけならタダである。

 

「……わかったわよ。あんたたちも犠牲が出たのに動くな、じゃ不満が溜まるだろうしね」

「では、話もまとまった辺りで移動を始めましょうか」

 

 紫がポンと手を合わせてふわりと微笑む。

 その様子を巫女と信綱、双方が胡散臭そうに見て、同時にため息をつく。

 

「……味方にこいつがいるのが不安だが」

「それは同感。気が合うわね」

「二人ともひどい!?」

 

 心なしか涙目で見られるが、二人とも無視した。

 

「どう向かうつもりだ」

「お互い足並みは揃えなくて良いとのことですし、バラバラに進みましょうか。霧の湖の向こうに悪趣味な紅い館があります。そこが目的地ですわ」

「ふむ……」

 

 頭に地図を思い描く。霧の湖は年中霧が覆い、しかも妖精の住処でもあるため人々が好んで近寄る場所ではない。

 湖としての規模はそこそこ大きく、霧が晴れて妖精もいなければ良い行楽地になるはずのものだ。

 

「わかった。別れて進めば妨害の妖怪も減るか」

「そういうことですわ。無論、空を飛ぶ私たちと地を往くあなたたちでは差が出ますが……」

「構わん。異変解決に向かえるだけマシだ」

 

 そう言って、信綱は父を伴って歩き始める。

 

「――先に行く。父上、遅れないよう」

「わかっている」

 

 地を低く蹴り、飛び跳ねるように動く。およそ人間とは思えない速度を出して、二人は霧の果てに消えていく。

 その姿を巫女は驚いた顔で眺め、ポツリとこぼした。

 

「何あれ、妖怪の血でも混ざってるの?」

「いいえ、正真正銘の人間ですわ」

 

 巫女の疑問に応えるのは紫。再び口元を扇子で隠し、感情の読めない瞳で二人の消えていった方向を睨んでいた。

 

「…………」

「紫?」

「……いえ、私たちも動きましょうか。あなたも修行は怠ってないでしょうね?」

「当然……って言いたいけど、あんまり実戦はやってないのよね……」

「博麗の巫女たるものが情けない……」

「できないものは仕方ないわよ。人間が襲われない以上、私から妖怪を襲う理由なんてないし」

「わかっていますわ」

 

 紫は巫女が経験を積めていない状況に内心で歯噛みする。

 少々平和な時間が長すぎた。妖怪を畏れない状況が妖怪の力を削ぎ、妖怪と戦わなくて良い時間が人間の力を削いでしまった。

 しかしだからといって妖怪が人間を襲い、人間が妖怪を倒す従来通りの形にすることはできない。

 すでに人妖の比率は妖怪の方に傾いている。個として優秀な妖怪が数の面でも上回っている時点で、人間に勝てる道理などない。

 

 抜本的な改革をする必要がある。でなければ先細り、結果として待つのは共倒れの未来のみ。

 この異変が首尾よく終わってもやることが山積みだ、と紫は今後のことに頭を悩ませながら空を飛ぶのであった。

 

 

 

 

 

「邪魔」

 

 狼と人間を掛け合わせたような妖怪を一刀で唐竹割りにし、さらに首へ刃を奔らせる。

 一瞬で四つの肉片となった狼男――西洋ではライカンスロープとも呼ばれる妖怪を瞬殺した信綱は、後ろの信義に視線を向ける。

 

「倒しました。行きましょう」

「わかった。……火継の誰よりも強い、という言葉では足りぬなこれは」

 

 今の妖怪は中級の妖怪並に力強く、速かった。信義なら一対一で互角かやや危ういと言ったもの。勝てたとしても重傷は避けられない。

 それを苦もなく殺しきった。これといった準備もなく、心構えもせずに討ち倒す。もはや人間業ではない。

 

「数の多い」

 

 先頭を走る信綱は湖の岸から這い上がってくる醜悪な半魚人たちに舌打ち。

 信綱にしてみれば雑魚以外の何ものでもないのだが、数が集まればだいたいどんな生物も鬱陶しくなるのは変わらない。

 

「迂回して森を移動しましょう。最短の道は消耗が無視できない」

「私を使って進むというのは?」

「ここを抜けたら目的地、なら考えました」

 

 言いながらも足は止めない。一振りで群がってくる半魚人の首を軒並み落とし、返す刃で胴体を断ち切る。

 再生することなく、腐った魚のような悪臭を放ちながら泡に消えていく半魚人。

 それを一瞥して確認し、再び移動を開始する。

 

 ようやくとすら言える本格的な戦闘を経験することになり、信綱は妖怪にも差があることを実感として理解した。

 差というのは、再生力の違いだ。

 端的に言って、これの強弱が自分にとって倒しやすいか否かに直結する。

 再生力が弱ければ首を落とす程度。強ければ、首を落とす以外にも複数の部位に切断することでやっとといった具合に、殺すために必要な工程が違ってくる。

 が、基本は首だ。妖怪も頭部には何かあるのか、そこを落とすと再生が鈍くなる。

 その瞬間に攻撃を叩き込めば大体の妖怪を殺すことができる。

 

 その理論を実証するように、信綱は眼前に迫ってきた獣の首を落とし、四本足を全て切断して胴体を断ち割る。

 瞬時に解体された妖怪の肉体は一度だけ弱弱しく震えたと思うと、やがて静かに塵へと消えていく。

 再生力の強弱自体は実際に斬ってみないとわからないため、本当に死んだのか確認の手間があるのが面倒だが、仕方がない。見誤って背中を切られるなどご免である。

 

「妨害も散発的、というより統一性がない。連れてきた配下に好き勝手やらせて、指示は出していないと見るのが妥当か」

 

 部下の勝手を許すのも度量と聞くが、これは単なる放任とか生態系の破壊とか言うのではなかろうか。

 勝手にやってきて、勝手に見下して、勝手に迷惑をかける。正しく妖怪らしい有様だ。

 迷惑千万である。信綱は後ろの父が妖怪を殺すのに合わせて移動を再開しようとして――

 

「――父上、伏せて!」

 

 烈風が襲い掛かってくる。鋭い風が皮膚を切り、肉を食らい、骨まで断ち切らんと唸りを上げて迫る。

 幸運だったのは、今が霧に覆われていることと、信綱がこの手の風の使い手に心当たりがあること。

 どちらか片方が欠けていれば、信綱でも手傷を負うのは避けられなかった。

 

 霧を吹き散らす業風が身を裂く刃となり迫る。

 いつか見たそれよりさらに洗練されたそれを、しかし一刀の元斬って捨てる。

 

「いまのは何だ!?」

「……幻想郷で風を操れる妖怪なんて決まっているでしょう」

 

 力ずくで霧を引きちぎった風の向こう。艶のある黒翼をはためかせるそれに、信綱は視線を向ける。

 

「――天狗も敵ということです」

「……そうか」

 

 その言葉で信義も覚悟を決める。

 元より阿弥の敵は全て斬る。そこに天狗も混ざった。それだけの話である。

 敵の強弱など関係なく、自らの保身も考えず、有益であると考えたら命を捨てることも厭わない。

 

 二人が見上げる中、渦中の天狗――椿はゆっくりと降り立ち、信綱の視線に正面から対峙する。

 いつか見た修験装束。髪は入念に手入れされ、かんざしに付けられた鈴がチリンと涼やかな音を立てる。

 唇に紅を塗り、白粉(おしろい)を頬に当てたその姿は正しく逢瀬を待ちわびた少女の姿。

 しかし手には信綱も見たことのない立派な大太刀が握られ、殺意を隠そうともしない笑みがそれを裏切っていた。

 

「待っていたよ! 君なら来ると信じていた!! でもちょっと遅かったかな? 準備に時間ばかりかかっちゃって、向こうの吸血鬼に変な目で見られちゃったよ」

「…………」

 

 彼女が何を言っているのか。さして興味もないし、応える理由もない。

 

「逢瀬に待たされる側の気持ちってのがわかったよ。ああ、だけどこれはずっと焦らされたのかな?」

 

 彼女は敵だ。黒幕に付き従うことを選んだ、討つべき敵だ。

 

「なにせ私はキミが子供の頃からこの瞬間を待っていたんだ。待たされた分、たっぷり愛し合おうよ」

「…………」

 

 彼女の言葉を信綱の頭は理解しない。しようとも思わない。

 彼にとって視界の先にいる彼女は、もはや自分を鍛えた天狗ではなく、敵としてしか映らない。

 

「妖怪と人間、互いに殺し合う先にこそ私の求めたものが――」

 

 そこで言葉を切り、恍惚とした表情を見せる椿。

 彼女の瞳に映る信綱は、常と変わらず無表情を貼り付けるだけ。

 

 敵の言葉を聞く必要などないし、敵に声をかける必要もない。憎悪も不要。ましてや向こうの感情など、どうでも良い。

 殺し合いを求める彼女の声に応じる結果には落ち着く。だが、そこに信綱は一切の感情を込めることなく、相手への理解も行わない。

 

「さあ、始めよう人間! 私とキミ、どちらかが生き残ってどちらかが死ぬ! 最初で最後の逢瀬だ!」

 

 故にこれは椿の語る逢瀬などでは断じてない。しかし椿はそれに気づけず――

 

「――道の邪魔だ、妖怪」

 

 

 

 信綱への認識は変わることなく、すれ違った戦いが始まっていくのであった。

 

 

 

 

 

「狭い場所へ。奴に上空に行かれては打つ手がありません」

「わかった。お前は奴と知り合いなのか?」

「敵の知り合いはいません。敵でない頃であれば、少々」

 

 言いたいことがありそうな父を無視して森に駆け込む。なるべく木々の生い茂った鬱蒼とした場所を探し、そこに駆け込む。

 そこで目立つ一際大きな木の根本を指差し、父へ振り返る。

 

「そこにいてください。――使うかもしれません」

「わかった。せいぜい上手くやれ」

 

 信義は何かを覚悟した目で息子であり、自分の上司でもある信綱を見る。

 ある決断をした信綱の目に、しかし一片の迷いもなく。それを行うのが最も効率的であると信じている顔だった。

 

 ――是非もない。

 火継の家で最も御阿礼の子のために動けるのは信綱である。ならば彼の選択に間違いなどあろうものか。

 

「阿弥様には伝えるな」

「伝えるまでもありませんよ。我々が勝手にやって勝手に死ぬ。それだけです」

 

 そう言って信綱は一人、椿の前に姿を現す。

 先ほど口を開いた場所に、椿は変わらず佇んでいた。

 

「話は終わった? キミとの戦いに無粋な第三者はいらないからね。他の妖怪にも邪魔はさせないよう言っておいたよ」

「――死ね」

 

 信綱は道を急いでいる。椿の――敵の真偽もわからない言葉に耳を傾ける道理などなかった。

 踏み込む足に力を込め、蹴られた地が爆ぜる音と共に接敵、刃を振るう。

 

「っと! ハハッ、鍛錬は怠ってないね! 私が見た時より速い!」

 

 椿の声に応えず、上空に逃げる彼女を飛び越すように跳躍し、兜割りを放つ。

 しかしそれは構えた長太刀に防がれ、微かな火花を散らすだけ。

 

「っ!?」

 

 僅かに息を呑む。生半可な防御であれば、幼少の頃と同じように武器ごと切断してしまおうと狙っていた。

 だが、斬れない。信綱が見てきたどの武器よりも硬く、柔軟な金属で作られている刀だ。

 

「お、気づいた? これ、天狗の技術を使った名刀なんだ、よっ!」

 

 下段から上段へ、信綱の振るう刀の倍の長さはある長太刀を振るい返す。

 危なげなく防ぐが、手に走るしびれが上手く受け流せなかったことを信綱に伝える。

 

(腕を上げている)

 

 信綱は椿の言葉に、意志に応えることはない。しかしそれは、彼女を敵として過小評価するという意味ではない。

 認めたくない事実だが、彼女も最後に剣を交えた時とは比べられないほどに腕を上げている。

 父を置いてきて正解だった、と信綱は自身の肉体が地上に戻る数秒の間、目まぐるしく行われる攻防を時に意図した紙一重、時に意図せぬ間一髪で凌ぎきる。

 

 烏天狗の本気の攻撃を無傷で凌ぐ。その事実に椿は気を良くしたのか、口が裂けるように広がり――

 

「おっと、紅が剥がれちゃう。もっとお淑やかに笑わないとね」

 

 何を恥じ入ったのか、口元に手を当てて白粉の塗られた頬を赤らめる。

 常人なら彼女の異様に多少なりとも呑まれる場面。信綱は眉一つ動かさず、心も冷え切ったまま、その動作を好機と捉える。

 

 主導権は譲らない。無駄を省き、全てを討ち倒すための布石とする。その信念の元、信綱は足を止めることなく、上空へ飛び上がるのを阻止しようと激突する。

 

 瞬時に交わされる斬撃の数は牽制含めて十二。

 一つの火花が生まれた時には剣戟の音が三響き、音が耳に届く前に斬撃が五つ風を切る。

 

「せぇやっ!!」

「――」

 

 風をまとった斬撃。刃を防いでも、不可視の風が信綱の頬を浅く斬っていく。

 大した脅威ではない。しかし塵も積もれば山となる。軽傷であっても数が集まれば致命傷につながりかねない。

 

 何か策を練る必要がある。身体能力、技量、制空権、いずれも相手が持っている。

 まあそれ自体は大した問題ではない。長年生きた天狗にこれらで勝てるとは信綱も思っていない。

 いかに天稟の持ち主であろうと、二十年余りの鍛錬と数百年の研鑽では差が出るのは当然である。

 

「やあああぁぁっ!!」

「――っ!」

 

 振るわれる太刀筋を読み切れず、浅い傷がいくつも作られていく。

 信綱は負けじと剣を振るいながらも、徐々に追い詰められるのを感じ取っていた。

 

 椿は信綱との接近戦を求めているのか、羽を使って距離を取ることはせずにひたすらに距離を詰めていく。

 地上で行われる目まぐるしい攻防。僅かな気の緩みが死に直結する状況。

 天狗の膂力と速度、そして年輪を積み重ねた技量が命を刈り取らんと無数に迫る。

 

「キミってこんなものだっけ? 違うでしょ? もっと、もっと力を見せてよ!!」

「――」

 

 椿の声に応えず、信綱は乾坤一擲の念を込めて剣を大上段に構え、振り下ろす。

 業、と風が唸る。細身の刀で、しかし完璧な技巧の元に繰り出されるそれは天地すら割ろうと言う気迫に満ちていた。

 天稟に恵まれ、鍛錬を怠らず、極限まで磨き抜かれた一撃。

 

「――キミ、私の事舐めてる?」

 

 

 

 それを苦もなく止めるのが、妖怪という存在だ。

 

 

 

 喜悦の色が濃かった彼女の顔に、今や浮かぶのは失望と諦観、そして何よりも大きい怒り。

 渾身の一撃を片手で白刃取りしてみせた椿は、苛立ちのままにがら空きの腹へ蹴りを放つ。

 

「――っ!」

 

 自分から後ろに飛ぶことで致命傷は防いだ。が、内臓をかき回されるような痛みを受け、信綱は大きな木の側で片膝をついてしまう。

 

「それでおしまい? そんなはずないよね? 私が知るキミはもっと強くて、もっと容赦がなかった。……最初に会った頃のキミは、もっと強かったよ」

「…………」

「それとも椛や私に勝てるようになって油断した? お生憎様、キミがいくら強くなってても――妖怪相手に油断は命取りだよ?」

 

 無造作に信綱に近づいていく椿を、信綱は苛立ちと共に見上げる。

 敵にこのようなことを言われるのは腹立たしいが、それもまた自身の未熟ときた。

 

 ここまでの屈辱を覚えたのはいつ以来だろうか。

 ああ、初めて彼女に会って、逃げることしかできなかった時に違いない。

 あの時の自分は世界の広さを何も知らないままだった。だが、それゆえに見えていたものもあった。

 例えば――相手の弱い場所を見抜く目は、今の自分が持っていないものだ。

 

 あの頃の自分は弱かった。技量云々ではなく、単純な膂力や速度の話だ。だからこそ、戦うには誰よりも多くを見る必要があった。

 身体ができて、力もついて、忘れていたことかもしれない。

 

(神童も大人になればただの人、とはよく言ったものだ)

 

 期せずして、子供の頃の自分こそ、信綱にとって最適な戦い方を知っていたのだ。

 近づいてくる椿に対し、一瞬だけ瞑目して視界を閉ざし――再び開く。

 

「――」

 

 腹部の痛みも引いてきた。この場所であればほぼ確実に不意を突ける手段が使える。

 立ち上がり刀を握る手に、踏み込む足に、敵の隙を見抜く目に、全ての神経を注ぐ。

 

「だんまりか。まあキミのそういうところも好きだけど……? あれ、キミの目――」

 

 言葉は最後まで続かない。

 パンッ、と風船の弾けるような軽い音とともに、椿の身体の一部分から感覚が消失したのだ。

 

「あ、れ」

 

 視線を下に向けると、右足が膝から消えていた。

 

「――!」

 

 視界から切れたのを見計らったように腕への斬撃が飛ぶ。再び聞こえる乾いた音と、左腕が斬られる感触。

 体勢を大きく崩し、しかし椿は慌てない。

 彼女は妖怪、それも幻想郷に名を轟かせる烏天狗だ。この程度の傷、苦もなく治る程度のものでしかなく、そのための時間は飛翔して稼げば良い――

 

「っと!?」

 

 飛行に意識を傾けた瞬間、首を狙った斬撃が信綱の手から放たれる。

 思考が冴えていた。椿の肩、腿、首、翼。体を動かす時、確実に生まれる肉体の動きが信綱の手に取るように理解できる。

 どのように動くのか、予めわかるのなら。全てにおいて先手を取り続けることなど造作もない。

 

「は、はははっ! どうして私の動きがわか――ッ!?」

 

 歓喜のままに声を上げようとする彼女が鬱陶しい。喉に剣を奔らせ、強制的に口を閉ざす。

 それでも彼女は満面の笑みを浮かべて、信綱の顔を見て剣を振りかぶる。

 対する信綱は剣を振った直後で動けない。避けるのなら後ろに下がり、椿の肉体が回復する時間を与えることになる。

 ようやくしっくり来る戦い方を見つけた。だがそれは発見したばかりであって、十全に扱えるものではなかったのだ。

 

 振り下ろされる剣を見据え、信綱は微かに息を吐く。

 

 

 

 ――残念だ。

 

 

 

 左腕で掴んだものを強引に振り下ろされる刃の前に突き出す。

 そうして突き出された父、信義の肉体に刃が食い込み、胴体の半ばまで斬り裂く。

 

「――ッ!?」

 

 心底からの驚愕。喉が潰されているため声は出せないが、椿の驚きようは見てわかる。

 ここに人を隠したことは知っている。しかし彼は信綱と比べたら圧倒的に弱く、今の椿なら一刀で終わらせられるもの。

 故に不意打ちの警戒を最低限行い、後は無視していた。

 それに父とも言っていた。親子らしい感情で親を守ろうとしたと考えれば隠した筋も通る。

 

 違った。全然違った。全くもって見当はずれだった。

 

 

 

 

 

 最初から肉の盾として親を使い捨てる気だったなど、誰が予想できたか。

 

 

 

 

 

(硬っ!?)

 

 肉の盾として使うだけなら強引に斬って捨てることができる。しかし今現在、信義の身体の半ばまで進んでいる刃は、しかし彼に食い止められていた。

 椿には知り得ぬことだが、彼の懐には博麗の巫女が用意した対妖怪用の札が複数入っていた。

 それが簡易結界の役割を果たし、刃を食い止めるのに一役買っていたのだ。

 

 すなわち、信綱は人里で博麗の巫女と話していた段階から、この絵面を描いていたことになる。

 椿相手の対策だったのか、はたまた強力な妖怪を切り抜けるための方策だったのかは知らないが、信綱は最初から連れと共に生き残る算段など持っていなかったのだ。

 そして今、何より恐ろしいのは――盾となっているこの男に恐怖の色がないことだ。

 

「ぐ、おおおおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 信義はすでに秒読み段階の命を更に削り、奇跡的に動く双手で刃を握りしめる。

 もはや心の臓などとうに斬り裂かれ、酸素は肉体に巡らず、血を吐くだけの器官に成り下がった口は、驚くべきことに喜悦に満ちていた。

 これは無駄死などでは断じてない。御阿礼の子を守ることに最も長けた息子が選んだことなのだ。

 ならばこれが正しいのだ。ここで死ぬことが最も阿弥のためになるのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 信義は数秒先の死を前に、人生最大の多幸感を味わっていた。

 

「カッ、フ、こ、の……!!」

 

 声を出そうとする口から血を吐きながら、椿は怒りに震える。

 自分と信綱、二人だけの時間が無粋な輩に邪魔をされた。しかもそれは信綱の作戦であり、彼がこの時間を望んでいなかったことが怒りに拍車をかける。

 

 両手で刀を握りしめ、強引にその身体を両断しようとする。

 だが、とうに死んでいなければおかしい信義の肉体は、しかしあり得ないほどの意志で駆動し続け、彼女の腕を阻む。

 

 動きが止まる。烏天狗と人間。対策を取り、人間の命を使い捨て、さらにその人間の奮闘に期待しなければ成立しない一瞬の拮抗。

 その停滞こそ信綱が求めたもので、それさえあれば勝負を決められるものだった。

 

「あ――」

 

 椿は微かに首を後ろに向けると、そこには刀を構えた信綱がいて――

 膝、肘、肩、腿、胴体、そして心臓。

 

 

 

 四肢を落とし、腹を斬り、心を穿つ。神速の斬撃が椿の身体に奔っていった。

 

 

 

 

 

 手足をなくし、心の臓に剣の突き刺さった椿。

 だが彼女の意識はハッキリと残っており、未だに死が確定した状態ではなかった。

 仰向けになって地面に胴体が落下し、その上に事切れた信義の五体が被さる。

 

 焦がれる相手の親とはいえ、見知らぬ男。愛する男のものならいざ知らず、好きでもない男の血と肉は不快だった。

 

「あ、ははははは……負けちゃった、か」

 

 ザクザクと地を踏みしめ、こちらに近づいてくる足音が聞こえる。

 足音の主がこちらに来た時こそ完全に命の終わる瞬間であると確信しながら、微かな口惜しさと多大な満足感を浮かべ、一人苦笑いをする。

 できることなら一騎打ちの末であって欲しかったが、信綱は昔からそういった精神論的な戦いには興味を示さなかった。

 この結末にも納得は行っている。信綱はこの時、この瞬間だけは椿のことを見てくれて――

 

 

 

「え――」

 

 

 

 そこで初めて、椿は信綱の目を見た。

 瞳に浮かぶものは憎しみでもなく、親を失った悲しみでもなく、ましてや腐れ縁を断ち切った喜びでもなく――何もなかった。

 目的の途上に阻むものがあって、排除した。ただそれだけ。

 

「あ、ああ、あぁ……!」

 

 理解した。理解してしまった。理解できてしまった。

 この青年は最初からずっと椿という烏天狗を見てなどおらず、先程まで倒していた半魚人ら同様、鬱陶しい敵としてしか認識していなかったのだと。

 

「あ、だめ、だめ、そんな……」

 

 それはいけない。それだけは認められない。自分の方を見て欲しくて戦ったのに、相手は最初から自分を認識すらしていなかったなんて、道化の空回りにも程がある。

 

 信綱は父親の懐を探り、新たな刀を探っていた。今の刀は心臓を突き刺すのに使っており、これで首を落とせば確実に殺し切ることができる。

 

 早くしなければ。早くしなければ自分は椿という存在でなく、有象無象の敵の一人として終わってしまう。

 椿はさっきまでの満足感から一転。恐怖に支配されて上手く動かない口を動かす。

 

「ね、ねえ。私が悪かったよ、椛も言ってたと思うけど、私も焦ってたんだ」

「…………」

 

 応えない。少々面倒な位置にあったのか、引き抜くのにやや苦労しながら信綱は形見となった父の刀を手に取る。

 

「あ、そうだ! 私の剣、キミが使っていいよ。元々負けたらキミに上げる予定だったんだ。ちょっと長いけど、キミの力なら問題なく使えると思う」

「…………」

 

 応えない。信綱は目を見開いたまま事切れている父親のまぶたに手を添え、その瞳を閉じてやる。

 その動作には肉親への情や、同じ阿礼狂いとしての役目を果たした一人の人間への敬意に溢れており、それが椿に向けられる無感情を一層引き立てる。

 

「あと、あと……私の格好、どうだった? これでも気合入れて化粧したんだよ?」

「…………」

 

 応えない。父への別れも済ませた信綱は無言で刀を引き抜き、必死に口を回す椿の喉元に突きつける。

 その瞳の奥には吹雪すら見えない。砂を噛むように、賽の河原で石を積むように、ただただこの行動が無為であると、無駄であると、無意味であると、何も映さない瞳が雄弁に語っていた。

 

「お願い、だからぁ……!」

 

 椿の瞳から涙が零れる。死の恐怖ではない。そんなものよりも、このまま彼の心に何ら残さず消えることが何より怖い。

 これまでの自分をかなぐり捨てて、すがりつくように口を開いて――

 

 

 

 

 

「わたしを、見て――」

 

 

 

 

 

 最期まで言葉は続かなかった。

 

 

 

 

 

 信綱は切り離された首が再生を始めることなく、煙に溶け始めるのを眺めて息を吐く。

 四肢を落として胴体を斬って、さらに心の臓まで刺しても生きているとは驚嘆の一言しか浮かばない。

 だが、これに首を落とせば天狗であろうと殺すことができる。それは有益な情報だ。

 

 余計な時間を食ってしまったし、父の命という手痛い損害も出てしまった。――そんなことより先を急がなければ。

 

 すっかり消えた天狗の死体から自分の刀を。そして迷うことなく天狗の遺した刀を取る。

 長刀のため取り回しは少々不便だが、頑丈さは先ほどの攻防で嫌というほど味わった。

 それに今の自分の戦い方なら、手数こそ何よりも重要視すべきもの。一刀よりも二刀の方が都合が良い。

 

 なかなか便利な敵だった(・・・・・・・・・・・)。そう思って信綱は二刀を携え、走り出すのであった。

 

 残されたのは物言わぬ屍が一つと、奇跡的にも血の汚れを浴びなかった、彼女のかんざしだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、全く――無駄な時間を過ごした。




 椿さん死す。何が間違っていたかを語るなら、惚れた相手が悪すぎた。

 彼女は最初から一貫して妖怪と人間が争い合っていた時代への回帰を求めていました。しかしそれには妖怪である自分に勝てる人間が必要。そこで目をつけたのが信綱です。
 スポンジが水を吸うように物を覚え、十年もした頃には遊びとはいえ自分に打ち勝つ技量すら備えた少年に心奪われ――恋は盲目になりました。

 椿は戦いによる感情のやり取りを通して人間と妖怪の有るべき姿を実感したく、信綱にとって戦いは目的遂行のための手段でしかなく、相手が二十年来の付き合いであっても機械的に処理する考えでした。
 この二人が激突すれば、そりゃ相容れるはずがない。椿の結末は必然とも言えるものです。
 身も蓋もないことを言うなら、最初から男を見る目がなかった。

 ですが彼女が遺したものは大きいです。ここがブレイクスルーとなり、主人公の戦い方は完成されます。刀に関してもこの長刀は生涯使えるものになるはずです。
 そして異変の最中で今は気づかれずとも、巫女以外で烏天狗を討ち倒して生き残った人間がいる、というのは大きな意味を持つことでしょう。

Q.つまり?
A.彼女の意図しないところで色々と信綱に遺している。でも本人が気づくことはなかった。





 今更だけどこの主人公、キチガイだわ(敵と言葉を交わさないという縛りが思ってた以上に面倒だった)

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