信綱は若い者たちが持ってくる情報を整理しつつ、ひたすらに来るべき時を待っていた。
椿もいて、なおかつ黒幕もいる。そんな相手に無策に突っ込んだところで自殺にしかならない。
それで確実に相手を倒して異変を解決できるなら迷わず実行するのだが、さすがに犬死には問題がある。阿弥を守れないという意味で。
博麗の巫女が動き出すのに合わせて、動き出す。そして何としても同行し、そこからは多少行き当たりばったりになるが、異変の黒幕を討伐する。
欲を言えばこの手で討伐したい。だが、実際は阿弥を害する霧がなくなれば良いので、多少の妥協もするつもりだった。
彼らが阿弥を害する者を排除するのは、阿弥の苦しみを一秒でも早く取り除くためだ。それさえ果たされ、また次に危害を加えないのであれば放置してもよかった。
うむ、ここまで理由をつけておけば博麗の巫女に断られることはないだろう。
まあ自分たちが黒幕と会ったら殺す予定だが。
そんなことを考えながら、信綱は自室に父親を招いていた。
「来たぞ、信綱」
「ああ、お待ちしておりました。父上」
肘掛けに片肘を置いて、信綱が上座に座って父、信義を見下ろしている。
その貫禄はもはや二十代の若造のそれではなく、阿礼狂いを率いる当主としての貫禄に満ちていた。
「……ふん、ずいぶんと人を使うことにも慣れたようだな」
「ええ、昔は少し戸惑いましたけどね」
だが、この家は比較的マシな方だと思っている。
力を示せば皆が従ってくれるのだ。他家のしがらみの話などを会合で聞かされていると、つくづくこの家で良かったと思わされる。
他家との距離感を保つ方法も慣れたものだ。元より排斥はされにくい家でもある。
平時は無駄飯食いにならない程度の仕事をしておけば無下には扱われない。
「まあ私の苦労話を聞かせに呼んだわけではありません。ええ、仮にも父ですから」
「無駄話はやめろ。本題に入れ」
苛立つ信義に急かされ、信綱も肘掛けから手を放して真剣な顔で父を見る。
「では――私と父上。異変の解決に向かうのは二人です。よろしいですね?」
「ああ。それだけ言いに俺を呼んだわけでもないだろう」
「もちろん。あなたはこの家において私の次に強い。故に私が期待するのは妖怪退治の予備戦力としてです」
「黒幕が出るまで、お前を温存する方向ではないのか?」
首を横に振る。尤もな提案だが、信綱が温存されては黒幕の居城にたどり着くまでに死人が出てもおかしくない。というより、確実に出る。
火継の面々も戦えるのは確かだ。だが、それは信綱のように一人で大勢の妖怪を相手に立ち回れる領域ではない。
弱い妖怪なら戦える。中位の妖怪であれば複数人。上位ならば、その時代の側仕えに可能性が一縷。それが火継の家の人間だ。
もしも信綱を温存させるとしたら火継の人間を大勢連れて行き、彼らの大半を使い潰す勢いで使えば可能性がある、と言った程度だろう。
確かに異変の相手を追い詰めるためならいくらでも命を使うことに迷いはない。
だが、使うにしても最大限有効に扱われるべきであって、使った命に見合わない成果しかもたらさないのなら、使う理由はない。
それとこれが一番重要だが、そんな悠長な方法で進んでいては、博麗の巫女がさっさと終わらせてしまう可能性が高くなる。
大勢の犠牲を出しながら進む安全策を取りましたが、良いところは博麗の巫女に取られました、では無駄死も良いところである。
「最も強い者を周囲が援護する。その形が一番消耗を減らせるでしょう。それに父上をどうでも良いところで使い捨てるつもりはない」
最初から矢面に出して雑兵にやられてしまっては、無駄使いにしかならない。信綱に及ばないとはいえ、信義もまた確かな強者。使うなら相応の場所を選びたい。
「とはいえ覚悟はしておいてください。私かあなた、どちらかしか生きられない場合に選ばれるべきは――」
「わかっているつもりだ」
信義の目を見て、信綱は自身の求める答えを父がちゃんと持っていることを確信する。
「……そのようですね。あなたも私も同じであるというのに、少々侮っていた」
「ふん、最終的に生かすべきはお前。悔しいが、お前以外の全員が束になっても指一本触れられないだろう」
「人間はそうです。ですが、妖怪はそうではないかもしれない」
そして妖怪は触れるだけで人間の体をやすやすと引き裂ける者もいる。
そういった時、どうすべきか――二人はそれを直接口に出すことなく、再確認した。
「話は以上です。時が来るまでは父上も皆と同じように見回りをお願いします。私も人里の見回りをしますので」
「阿弥様は良いのか?」
「その阿弥様が過ごしやすいよう、我々の立ち位置を少しでも良くしておくのです」
無論、本心では阿弥の側にいたい。だが、現在人里において求められている力を、明確に提供できる自分が引きこもっていては里の人間に余計な不信を持たせてしまう。
打てる手は打った。ならば後は時が来るまで可能な限り自分たちの心証を良くしておく。
異変の解決はもちろんのこと、解決した後も考えておく必要があるのだ。
「……そうか。ではお前に従おう。腹立たしいが、お前が一族で最も御阿礼の子のことを知っている」
六歳の頃から十年。そして例外とも言える短さの転生を経て、次代の御阿礼の子に仕えるという前代未聞のことをしている信綱こそ、歴代の火継において最も特別であると言えた。
「ええ、よろしくお願いします」
「……あの方の特別になれたお前が心底羨ましい」
そう言って、信義は部屋を出て行く。
おそらく彼の思考は息子である信綱への妬みや嫉みで埋まっているだろう。
それを止めるつもりはない。仮に凶行に及ぼうとも傷一つ受けずに無力化する自信があること以上に、彼の阿礼狂いとしての在り方を信頼していた。
それでも彼は忠実に動く。この霧が収まるその時まで、火継の一族は皆信綱の手足になる。
故に無駄使いはしない。自分の手足がなくなって喜ぶ者はいない。切断するのなら、相応の利益が得られる時のみだ。
「早く阿弥様の側仕えだけをしたいものだ」
……あまり複雑なことは考えたくないのだが。
できることなら無心に仕えているだけで終わりたい信綱であった。
博麗の巫女が来るのは、思いの外早かった。
「……また会ったわね」
「……このような形で再会はしたくなかったものだ」
不機嫌そうな顔をして歩く巫女に、信綱もまた苦虫を噛み潰したような顔で答える。
二人はとある場所から出てきたところだった。
後ろから聞こえるのは思わず耳を覆いたくなるような、絶望と悲痛が生み出した苦悶の叫び。
以前に見つけた遺体の家族を、火葬だけ済ませた骨と対面させたのだ。
その時の嘆きは筆舌に尽くしがたいものがあり、信綱も巫女もただ無言で頭を下げることしかできなかった。
「……あれ、実は肉が残ってたでしょ」
「まあ、少し冷静なら見ればわかるか。そうだ」
「どうして焼いたの? 何か判別できるならその方が――」
「縦に裂けて脂肪と血管の覗く息子の顔を、間近で見せられるものか」
脳や目といった柔らかな箇所は食い荒らされ、ポッカリと空洞のある眼窩と家族を対面などさせたらどうなることか。
「……悪かったわ。ちょっと感情的になった」
「別に構わん」
むしろやや驚いてすらいる。
博麗の巫女は幻想郷の調停者。人と妖、天秤が片方に傾きすぎないようにする役目の者だ。
その彼女が人里の人間の死に、明確な怒りを見せるとは思っていなかった。
「後味が悪いのは嫌なのよ。立場上、人里に住むような真似はできないけど……この状況、一番割りを食うのは人間でしょ」
「そう言ってくれるのは助かるが、一番ありがたいのは異変の解決だぞ」
「わかってるわよ。今、紫が探ってるわ」
「かの境界の賢者でも手こずっているのか」
「みたいね。畏れが減って、力が出しづらいとか」
この巫女、腹芸という言葉を覚えた方が良い。
実のところ信綱は、博麗の巫女と境界の賢者がつながっていたことすら初耳だった。
より多くの情報が引き出せると踏んで知っているフリをしただけである。
面白いぐらいに引っかかったこの巫女に対して、むしろ不安を覚えてしまう。
「この霧、魔力がこもっているみたい。お爺さんや子供が倒れているのもそのせい。これから結界を張るから少しはマシになるけど……」
「元を断たない限り、医者の対処療法に毛が生えた程度だろう」
「そういうこと。でも安心して。人里は私がちゃんと守るから」
「ありがたい話だな。常駐してもらえるとなお助かる」
「ごめんなさい」
「…………」
本当に悪そうな顔をされるとこちらが返答に困ってしまう。
最初に神社で出会った時の泰然自若とした空気はどこに行ったのか。
信綱の推測が多分に混ざるが、彼女は元来真面目な性格なのだろう。
あの青年の死だってそうだ。この霧を軽く見ていた人里側の不注意の産物とも言えるのに、自分のことのように責任を覚えている。
「……俺が言うのもおかしいかもしれないが、肩の力を抜け。あまり気負うな。誰にだってできないことはあるし、事件を起こる前から解決するなんて不可能だ。
少なくともあの青年の死の責任は、有事の際に人里の守護を任されている俺たちのものだ。お前が背負い込むものじゃない」
実際は御阿礼の子以外を背負う気などさらさらないのだが、言わぬが花である。
「……なにそれ、慰めてるの?」
「変に落ち込んだまま異変解決に行かれて、失敗したとあっては目も当てられないのでな」
「わかってるわよ。私が失敗したら後がないってことも」
失言した、と信綱は内心で頭を抱える。
根が真面目な彼女に重荷を確認させるような発言をしては逆効果だ。
「……結界を張るんだろう。ついてこい」
「え、ちょっと?」
巫女の手をとって歩き出す。
これは余計な言葉を重ねるより、とりあえず身体を動かして忘れさせた方が良さそうだ。
今回は信綱たちも参加するつもりだが、他の異変は御阿礼の子に害が及ばない限り、動くつもりはないのだ。
その時にこの博麗の巫女が働いてくれないのは困るどころの話ではない。
「はいっと、四方を囲む形で結界を張ったから、少しは霧の影響も和らぐと思う」
「助かる。そちらの摩訶不思議な術の方は俺たちにはサッパリなんだ」
霊力とか妖力とか。そんなあやふやなものに頼るぐらいなら剣で斬った方が早いと考えてしまう。
「ま、退治屋が全員これを扱えたら私がご飯食べられなくなっちゃうわよ」
「博麗大結界があるだろう」
「あれ、張ったの妖怪側の都合というか、人間はあれあって便利なことあんまりないし……そのくせ紫は食料持ってこないし……」
遠い目をされた。また踏んでは行けない部分を踏んでしまったようだ。
やりづらい、と信綱は顔には出さないよう静かに嘆息する。
もっと妖怪みたいなふてぶてしさがないと、博麗の巫女なんてやっていけないのではないだろうか、と門外漢なりに心配してしまう。
「……まあそちらの事情に深入りはしない。これからどうするつもりだ?」
「不安がって参拝する人もいるし、一旦戻るわ。私が相手した方が向こうも安心するでしょうし」
「……いつ頃動くつもりだ? 長くなるようなら、こちらから援助したい」
ちなみに援助と書いて情報収集と読む。
この巫女に頑張ってもらいたいのも本音だが、できれば異変の黒幕は自分の手で仕留めたいのも本心である。
「そう時間はかからないわ。一週間以内には動くつもり。あんたたちは安心して待ってなさい」
「警戒を怠るつもりはないがな。……そうだ、いくらか妖怪退治の札をもらえないか。金なら出す」
「お金はいいわ。普段ならともかく、異変の最中までお金は取らないわよ。いくつ欲しい?」
「見回りに出ている者に渡したい。四、五十枚は頼む」
「ん、今度来た時に渡すわ」
仕事上の話が終わると互いに無言になる。
巫女との接点などないに等しい上、話題が豊富なわけでもない。
と思っていたのだが、向こうから口を開いてきたため、無言の時間は思いの外短く終わる。
「ねえ、あんたは普段何してるの?」
「知ってどうする」
「別に何も。ただ、初めて会った時に興味本位で私に聞いてきたじゃない」
「あんな些細なこと、よく覚えていたな」
「そう言うってことはそっちも覚えてたんだし、お互い様よ。自分で言うのもあれだけど、人と話すのは珍しいしね」
本当に孤独な役目だ。あっけらかんと言っているが、何年あの神社にいたのか。
信綱には隣を歩く巫女が理解し難い存在に思えた。
「いいから質問に答えなさいよ。減るもんじゃないでしょ」
「……そんな面白いものでもない。今は阿弥様もいるから、大体彼女のお側にいる。後は暇さえあれば剣を振っているだけだ」
「ふぅん。楽しい?」
「この上なく」
御阿礼の子に仕えていられるのだ。これ以上の人生などどこにある。
「私にはあんたがよくわからないわ……」
どうやら相手を理解できないと思うのはお互い様だったようだ。
「代わり映えがしないという点ではそちらと大して違わない。俺はそれで満足だが」
「私だっていつも通りの時間が続くに越したことはないわよ。でも……」
肩を落とし、ため息をつく巫女に信綱も空を仰いで嘆息する。
きっと今、考えていることは同じだろう。
『妖怪は人間の都合を考えない』
異変を起こされて良い迷惑だ。その結論にたどり着き、二人は顔を見合わせる。
「……まあ、起こってしまったものは仕方ない。やるだけやりますか」
「それが人間の役目というやつなのだろう」
物事に対し全力で、希望を持って死力を尽くす。
それこそが今日まで人間を生き残らせ、また繁栄させてきた底力なのだ。
そんな風に二人が気合を入れなおしていると、霧の向こうから一人の男性が歩いてくる。
その男性はこちら――特に信綱の方を見て、走って駆け寄ってきた。
「あ、ノブ! ……っと、博麗の巫女様! お元気そうで何よりです」
「……勘助か。今はあまり外に出ない方が良いぞ。万が一があるかもしれん」
「客先にちょっと行ってきただけだよ。ノブは?」
「巫女に里を案内していた。それも終わったからこれからどうするか考えていたところだ」
「そうか。なら二人ともウチの店に来るか? 酒は出せないけど、お茶ぐらいなら出すよ」
「ねえ、この人は?」
信綱と勘助の二人が話していると、巫女が気になったのか信綱に聞いてくる。
「友人の勘助だ。だいぶ前に霧雨商店に婿入りした。あそこはそれなりに大きい店だから顔は合わせているはずだぞ」
「霧雨勘助です。博麗の巫女様も霧雨商店をよろしく!」
「え、ええ……」
ニコニコと、陰鬱な霧に似合わない朗らかな笑みを浮かべた勘助が巫女の手を取る。
巫女も彼の雰囲気に押されたのか、ただ単に賑やかな人に慣れていないのか、やや萎縮気味だった。
「……結界も張り終わったんだ、少しぐらい時間はあるだろう。茶でも飲むか?」
「いや、でもこれから戻って札を作らないと……」
「だ、そうだ。異変が解決したら良い茶葉か酒を奉納した方が良さそうだぞ」
「ん、今は二人とも忙しいか。じゃあこれ終わったら良い酒を奉納させて頂きます! ノブも後でなー!」
来た時と同じく、忙しなく霧の向こうに消えていく勘助を信綱は手を振って見送る。
霧の影響で外に出る人間が減っており、沈んだ空気の人里において彼の明るさは眩しく感じられた。
「……元気な人ね」
「それが取り柄だと言っていた。さて、札を作るならあまり引き止めるのも悪いか」
「そうね。ああ、見送りはいらないわよ。私、飛べるから」
そういった巫女はふわりと空中に浮かび上がる。
妖怪が空を飛ぶ光景など見飽きていたので驚きはないが、やはり彼女が人間とは決定的に違う存在なのであると理解してしまうには十分なものがあった。
「じゃ、また」
「ああ、また会おう」
再会を約束する言葉で別れる。
霧に消える巫女の姿を見て、信綱は遠からず戦いの時が来ることを実感するのであった。
「で、巫女様は来ないけどお前は来るのかよ!?」
「巫女の案内で疲れたから休憩だ。茶を飲んだら見回りに出る」
巫女と別れてから信綱は霧雨商店に足を運んでいた。理由はもちろん、勘助に茶をたかるためである。
……というのは建前として、実際はある種の確認を兼ねていた。
店の奥で出された熱い茶をすすりながら、信綱は口を開く。
「伽耶の調子はどうだ?」
「まだ臨月には時間があるし、大丈夫だって。意外と心配症だな」
もう一人の友人である伽耶のことだ。
彼女は阿弥の生まれたすぐ後に身ごもっていたことがわかっていた。
「……こんな霧が出てもお前は心配じゃないのか?」
「心配だよ。でもこういう時だからこそそんな顔は見せない。俺が伽耶を支えるんだから、支える側がグラグラじゃダメだろ」
そう答える勘助の姿に、信綱は一人の大人から親になろうとしている男の姿を見た。
御阿礼の子に狂った自分にはなれない姿だ。それが尊いことであることはわかるので、素直に尊敬の念を深めた。
「それにお前や巫女様も動いてる。だから大丈夫だって信じてるよ」
「……そうか」
上手く勘助の顔が見られない。ごまかすように茶を飲み干す。
「店主、済まないが店はやっているか? 日用品をつい切らしてしまってな」
どうにかして話題を変えようと思っていた矢先、店の表から耳慣れた女性の声が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ、慧音先生! 何をお探しで?」
「これとこれを……お前は相変わらず元気そうで何よりだ。今はどこも暗いからな。お前ぐらいは明るくないと」
「ははは、これが取り柄ですから」
先に出た勘助の姿は顔見知り相手とはいえ、商人として堂に入っていた。
婚儀を結んだのが五年前でありそこから修行を続けていたのだから、そろそろ半人前を抜ける頃だろう。
「慧音先生」
「む、信綱もいたのか。なんだ、何かあったのか?」
信綱も顔を出すと、慧音は勘助に見せていた笑顔から一転して深刻な顔になる。
有事に動くため、信綱が動く場所は大体異変に関係がある場所になるが、だからといって行動全てがそれに直結するわけではない。
「ちょっとした休憩ですよ。すぐ見回りに合流します」
「そ、そうか。すまない、私も少し落ち着けていないのかもしれないな」
「……勘助、俺はそろそろ行く。悪いが湯呑みは片付けておいてくれ。慧音先生、少し歩きません?」
「わかった。気をつけてな!」
勘助に別れを告げて、信綱は立ち上がる。慧音が買い物を終えるのを待って、一緒に店を出る。
外に出ても青空は見えず、相変わらずうんざりするような霧が空を覆っている。
普段は日を浴びて輝く慧音の銀髪も、霧のせいか灰色にくすんで見えた。
「何か話でもあるのか? ないなら勘助たちとの時間を優先した方が……」
「博麗の巫女と少し話したのですが、遠からず動くそうです」
「そうか! ではこれで異変は解決するか……」
信綱の口から語られる朗報に、慧音は顔を輝かせて喜色を露わにする。
これは少々手こずっていることは伝えない方が良さそうだ。
「結界を張って霧の影響も抑えているみたいです。こちらは先生の方から伝えておいてください」
「わかった、任せておけ。他には何かあるのか?」
「ええ、まあ――我々も動きます」
「っ!!」
喜色から一変。慧音の顔がこわばる。
現在の火継が恐れられているのは、最近の出来事として結界大騒動の折に動いたことが原因と言われている。
御阿礼の子が帰ってくる場所を守るべく、悪鬼羅刹のように暴れ回り、里を襲う妖怪たちを殺したとか。
……これだけなら敬われてもおかしくないのだが、同胞の死すら気にせず血に塗れて戦い続ける人間――修羅の群れに敬意を持てるかと言われたら怪しいところだ。
数十年前。信綱が生まれるより前の話だが、慧音なら知っているだろう。その時のことを思い出したのかもしれない。
「そう、か……」
「我々も阿弥様を害する者に対して黙ってはいられませんから」
「いや、わかっている。お前たちがどういう一族なのかも理解しているつもりだ。だが……ああ、上手く言えないな。なんと言えば……」
「飾らず言ってくださって結構ですよ。どんな戦い方をしたのか、おおよそ想像はできます」
今、信綱が異変解決に際して消費するものとして考えているもののように。
自分たちは御阿礼の子のためなら何だって行い、どのような傷も厭わない。
手足がもげて、内臓が露出しようと死ぬ時まで戦い続ける。痛みも恐怖もなく、ただただ御阿礼の子の力になれる歓喜だけを瞳に宿して。
「まあ、そういう人間なんだと割り切ってください。誰彼構わずってわけでもないんですよ?」
狂人であるが、狂犬ではない。本能だけで動く畜生とは違うのだ。
理性で狂気を振るうため、余計にタチが悪いとも言えるが。
「……すまない。お前みたいな顔をした火継の人間を何度も見てきたが、その度に言葉に詰まってしまう」
「正しいと思いますよ。というより、罵倒しないだけ先生はすごいと思います。……では、自分はこの辺りで」
あまり話し過ぎると慧音が参ってしまう。負担をかけるために話していたわけではないので、信綱は適当なところで慧音から距離を取る。
「――信綱!」
「……なんでしょう」
霧に見えなくなりつつある慧音へ振り返ると、彼女は迷いながらも慎重に口を開いた。
「あー……異変が解決したら、私はお前に感謝するぞ。お前がどんなことをしても、だ」
「……ありがとうございます」
慧音の言葉に、信綱は言葉少なに感謝を告げて背中を向ける。
彼女が追ってこないのを確かめてから、静かに深く息を吐く。
賞賛を受けたくて戦うわけじゃないのだ。彼女の感謝などあってもなくてもどっちでも良い。
だが彼女の本心から出た言葉なのはわかる。無碍に扱って良いことはない。
この異変でようやく、信綱は自分が阿礼狂いと呼ばれるだけの役目を果たせるとすら思っていた。
だというのに、皆は自分が真っ当な人間であると思い、言葉をかけてくる。
「受け入れるべきか……」
この思考を煩わしいと思ってしまうのは、もう目の前に来ているその瞬間を待ち望んでいるからか。
しがらみも何もなく、ただただ狂気に身を任せれば良いだけの時間が、すぐそこまで来ている。
明確な敵がいて、それを排除すれば良い。なんと単純なことか。
何より熱に苦しむ阿弥のためにも。ついでに自分のためにも。早く時よ来いと思う信綱であった。
――動き出すのは、それから数日が経ってからだった。
戦いに出る人と出ない人をちょろっと。
次回から異変解決に赴きます。