阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

113 / 117
書き溜めはまだある……!


守矢神社の祭神

 まだ日も昇りきらぬ明け方の時間。信綱は妖怪の山を一直線に登っていた。

 足取りに迷いはなく、自重もない。木々から木々へ飛び移りながら登っていく姿はおよそ人間のそれとは思えない動きである。

 

 そんな動きを維持したまま信綱は河童の集落を抜け、天狗の集落に足を踏み入れていく。

 朝方の時間に哨戒する天狗もいるのだが、特に彼らの目をごまかすことなくある家に向かった。

 以前、当人より受け取っていた鍵を使い、扉を開いて中に入ると家主の微かな寝息が聞こえてくる。

 

「…………」

 

 ずかずかと中に入り、寝室に到着する。

 信綱が見下ろす少女はここまで自分が接近したというのに、未だ安らかな寝息を立てて夢の世界に旅立っているようだった。

 はぁ、と小さく息を吐いて信綱は布団を思いっきり捲り上げることにする。

 

「――起きろ、椛」

「むにゃ……ふぁ?」

 

 布団がなくなって肌寒さを覚えた少女――椛の目が薄っすらと開き、信綱と目が合う。

 八割以上眠りの世界に飛び立った様子のまま上体を起こし、椛は首をかくかくと縦に振る。

 

「ぁー……夢ね」

「夢じゃない。いい加減起きろ」

「痛っ!? この耳の引っ張り方は……うえぇぇぇ!?」

 

 彼女の目が自然に覚めるのを待つ理由もなかったので、眠気を表すように垂れていた耳を容赦なく引っ張る。

 それでようやく彼女の目が覚め、理性の光を宿した瞳が改めて信綱を見直し――今の状況を把握した。

 

「な、な、な、なんで君が私の家に!? というかなんでこんな時間に!? え、夜這い!?」

「そんなわけあるか。頼みたいことがあってきた」

「こんな朝っぱらに来るような用事ですか!?」

「まあな。天魔からも許可は取ってある」

「……天魔様からも? え、また何かやるんですか?」

 

 椛の言い分を聞くと自分が常に何かをやっているような気がしてくる。自分はいつも巻き込まれた問題に対処しているだけだというのに。

 最近とみに機会の増えているため息をもう一度ついて、信綱は話をすることにした。

 

「詳しい話は後でしてやる。だから早く着替えたらどうだ」

 

 信綱の言葉を受けて椛が自分の身体を見下ろすと、寝乱れた寝間着が起きて早々に動いたことでかなり際どい部分までめくれ上がっていた。

 自分の現状を把握した椛が顔を真っ赤にして信綱の方を見る。普段と変わらぬ無表情にどこか安心するような腹が立つような。

 怒ったところで信綱は椛の感じている羞恥はわからないだろうし、わからない彼に逐一説明をすることになったらもはや一種の拷問である。

 寝起きからドッと疲れた気持ちになりながら、椛は肩を落としてつぶやいた。

 

「……着替えるんで外で少し待ってください」

「わかった」

 

 意外なほど素直に出ていく彼の背中を目で追って、椛はもう一度ため息をつくのであった。

 

 

 

 

 

「……という次第でな。俺はこの後山に来た神社に行く」

「はぁ。確かに天狗の方でも騒ぎになってましたけど……まさか人里の君が真っ先に行くとは思ってませんでした」

 

 椛の家の居間にて、腕を組んで壁に寄りかかった信綱が椛に事情を説明していた。

 見慣れた天狗の哨戒装束に着替えた椛は、朝のお茶を片手に信綱の話を聞いている。

 

「で、俺が頼みたいことは二つだ」

「拒否権は?」

「天魔からお前を好きに使って良いという許可ももらってある」

「私の自由はどこに……いえ、君が私に頼みたい事情もなんとなくわかるんで良いですけど」

「ふむ、言ってみろ」

「君がいない間の阿求ちゃんと、あと山の神社から誰かが来たら見て欲しいってところでは?」

 

 合ってますか? という視線を向けられたため、信綱は正解だと首肯する。

 

「そんなところだ。何もないとは思うが、念には念を入れたい。俺も神社に行くのと阿求様のお側にいるのを同時にはできない」

「阿求ちゃんを優先するのが君では?」

「……阿求様にも頼まれている。俺だって阿求様のお側に居られるならそっちを選んでいた」

 

 御阿礼の子の意思を最優先するのが阿礼狂いだ。

 無論、本心では彼女の側にいたい。しかしその彼女が山の神社に興味津々である以上、是非もない。

 とはいえそれで彼女の護衛がなくなるのも問題がある。普段なら気にしないところだが、相手がどんな存在なのか殆どわかっていないのだ。用心に用心を重ねたかった。

 

 そんな信綱の心境も含めて椛に説明すると、彼女は相変わらずだと言わんばかりの困った笑みを浮かべた。

 

「本当に君は変わりませんね。それで私を引っ張り出したわけですか」

「他の連中には任せられんし、どうせなら千里眼を持つお前が適任だと思っただけだ」

「信頼してもらえている、って受け取ります。じゃあ朝ごはんを食べたら阿求ちゃんのところに向かいますね」

「頼む」

 

 話が終わったと思った信綱が口を閉ざすと椛は椅子に座って湯呑を持ったまま、信綱に何かを期待するような視線を向けてきた。

 

「…………」

「…………その目はなんだ」

「朝ごはん、作ってください」

「…………」

「あ、嫌そうな顔。阿求ちゃんに私がいきなり叩き起こされたこと、言っちゃいますよ?」

「お前にそんな遠慮する必要もないだろう」

「じゃあこれが今回の対価、ということにします。君だって私が無償で動くとは思ってないでしょう?」

「…………」

 

 正直な感想を言えば、このまま無視して戻っても椛は役目を果たしてくれるだろう、とは思っている。

 思っているが、多分その方が後で彼女の機嫌を取るのが面倒になる。あまり怒る方ではないが、怒らせると長引くのだ。なまじ付き合いも長いからご機嫌取りも見透かされてしまう。

 自分の都合に巻き込んだ対価が食事を作る程度で良いのなら安い方だろうと、信綱は自分を納得させることにした。

 

「……わかったよ。ありあわせでいいな?」

「美味しいのを作ってくださいね?」

「やると決めたことで手は抜かん」

 

 袖をまくりながら台所の方へ消えていく信綱の背中を見て、本当にいつ見ても真面目だなあと椛は笑いをこぼす。

 頼み事をする時は大体無茶振りばかりで、しかも前振りも何もなしに急なものばかりだが、それを仕方ないなと思って受け入れられる程度には、彼への信頼もあるのであった。

 ……なお、手は抜かないという彼の言葉は本当だったようで、どこにこんな食材があったのかと家主である椛が聞きたくなるような品目数の食事が出てきて、また笑うことになったのは別の話である。

 

 

 

「では頼んだぞ」

「頼まれた以上、きちんとやらせてもらいます。お任せください」

「俺は神社の方に行く。多分、おそらく、いやきっと、何事もなく戻って来れると信じたい」

「自分の言葉にぐらい自信を持ちましょうよ……」

「お前から見て、俺は何事もなく帰ってこれると思うか?」

「あはははは……」

 

 笑うしかないという椛の顔が何よりの答えだった。

 信綱もあまり期待はしていなかったので怒りもしない。ただ自分の人生のままならなさにため息をつくだけである。

 出来事が何一つ願い通りに進まないなら、自分の力で操るしかないのだ。今までと何も変わらない。

 

「阿求様の方は任せた」

「わかりました。最後に一つ聞いてもいいですか?」

「……なんだ」

 

 椛の質問が予想できたのか、信綱は露骨に嫌そうな顔になる。

 しかしその程度で怯むような付き合いではなかったので、椛は笑ってその言葉を紡ぐ。

 

「どうして私を最初に頼ったのか、聞いてもいいです?」

「……言わなくてもわかるだろう」

「君が私を頼ってきた時くらいしか聞けませんからね」

「……一番信頼できるのがお前だからだ。阿求様を一時でも預けられるのはお前しかいない」

 

 観念した信綱が自身の感情を素直に話すと、椛は照れたように頭をかく。言わせたのは彼女なのに、いざ言われると恥ずかしいようだ。

 

「……やっぱり慣れませんね。こういうのはたまに聞くくらいがちょうど良さそうです」

「言わせたのはお前だろうに」

「君だっていつも言うのを嫌がるじゃないですか。同じですよ」

「三つ子の魂百までと言うだろう」

「君は本当に百まで生きそうですけどね。――阿求ちゃんは任されました、君は君のやるべきことをやってください」

「そうさせてもらおう」

 

 椛の見送りを背に受けて、信綱は再び山の神社への道を歩き始めるのであった。

 

 

 

 

 

 一旦天狗の居住区から山を下り、中腹あたりまで戻っていく。

 河童の住処よりやや高く、天狗の住処よりやや低いその場所は、今や広大な湖と大きな神社が占領していた。

 

 山の上から来た形になるので参道などを無視することもできるのだが、今回は公人として会合に参加する身。多少の遠回りになろうとも、石段から登って参拝するのが筋だろう。

 相手が本物の神であるかどうかの前に、初対面の相手にこちらから礼を失するのは無礼ではなく不誠実である。

 いきなり不躾にやってきたのは向こうであるのだが、そのように考える辺り本当に生真面目だと椛が聞いたら笑ってしまいそうな思考の元、信綱は石段の元まで下りていった。

 

 山の獣道の途中から、綺麗に整備された石段が予兆もなく顔をのぞかせることに強烈な違和感を覚える。

 このような形で土地そのものが幻想郷に入ってくると、既存の地形に上書きをする形になるということを初めて理解する信綱だった。

 歓迎するのなら道の整備は必須だな、と信綱は今考えるべきことではないものをつらつらと考えながら、石段を登り始める。

 まだ日は昇りきらず、人々が朝の作業を始めていく頃合い。そんな時間を見計らってか神社の方から人影が一つ、人里の方へ飛んでいく。

 

「む……」

 

 向こうとて天狗と話し合いをするのが今日であるという情報ぐらいあるだろう。なのに今日、人里に人を送るか、と信綱は少々驚いたという風に眉を動かす。

 が、そちらは考えても詮無きこと。すでに椛を人里に向かわせているので、彼女がどうにかしてくれると信じるばかりだ。

 別に問題はないと考えていた。むしろ初対面の人を相手にするには、人懐っこい部分のある彼女の方が向いているのではないかと思うくらいである。自分はどうにも威圧感を与えてしまうらしい。

 

 ともあれ自分は自分の役目を果たそう、と思考を切り替えて再び石段を登り始めると頭上に小さな影が差す。

 

「おや、人間がやってくるとは。私はてっきり話し合いには天狗だけが来ると思っていたよ」

「…………」

 

 視線を上げると、石灯籠の上にしゃがみ込んで信綱を見下ろす少女の姿があった。

 逆光のため顔立ちなどは見えないが瞳は舐るように信綱を捉えており――その姿に言い知れぬ感覚が生まれる。

 これが人と神との明確な違いなのかはわからない。わからないが、信綱が最初に抱いた直感を話すならば、それは――舌なめずりしている獣を連想させるものだった。

 

「……貴殿がこの神社に住まう神か?」

「こんな辺鄙な場所に来る人間だ。さすがに知っているか。ま、自己紹介は後にさせてもらうよ。どうせ集まった時にやるんだし、二度手間は面倒だ」

「そうだな。一応、立場だけ先に言っておくと自分は人里の代表であり、今回の話し合いの見届人だ」

「天狗と神の話し合いで、火の粉が飛んできても困るってわけか。うんうん、実に人間らしく小賢しい手だ」

 

 嘲るように言う少女だが、その口ぶり自体に嫌悪はなかった。ただ当然のように人間が下である、という認識に基づいているだけなのだろう。

 特に気分を害することもなく、信綱は再び石段を登っていく。妖怪など人外の化生は基本的に人間を見下すのだ。いちいち目くじらを立てていたら身が持たない。

 ……人間を見下そうが尊敬しようが、ちゃんと共生して利益をもたらしてくれれば良いのだ。被害をもたらすなら容赦なく叩き潰すが。

 

 少女は信綱の隣に降り立つと、頭の後ろに手を組んで一緒に歩き始める。かぶっている市女笠にある目玉のような飾りがぎょろりとこちらを見つめてきた。

 

「……別に面白い話はできないぞ」

「期待してないって。ただ、どうやって来たのかは気になってる。まだ詳しくないけどさ、ここらへんが人間の生存域じゃないってことぐらいはわかるよ」

「天狗の側から請われてここにいる。道中の護衛ぐらいは付けてもらった」

「なるほど。んで、今は人間一人だけ、と」

 

 少女はふわりと浮かび、信綱の前に来ると小さな手で信綱の顎を持ち上げる。

 

「じゃあ今、私が気まぐれを起こせばお前の命はあっさり消えるわけだ」

「俺が戻ってこなかった場合、人里はお前たちとの取引に一切応じないよう話を付けてある」

「だったら操るって手もあるさ。八百万の神って言うだけあって、神にもそれぞれ性質や司る力に差がある。人間を操る力だって存在するよ?」

 

 禍々しく笑い、長い舌で舌なめずりをする少女を無表情に眺めながら、信綱はこの少女が絶対にロクでもない性質の神であると確信する。

 先日会った厄神など可愛いものだ。これは間違いなく人間に害を成す邪神の類だ。

 信綱はこれみよがしにため息をつくと、少女の手を払って再び歩き出す。とりあえず人間を脅したいだけの相手などこれまでいくつ相手にしてきたと思っているのか。

 

「あぁん、無視しないでってば。こんな風に私を見て話せるやつなんて久しぶりだからつい楽しんじゃったんだよ」

「お前の都合に付き合う義理はない。それに弱みを握っているというならお互い様だ」

「うん?」

「――山の神社から人里に来る者がいたら目を離さないよう指示してある。これ以上の言葉は必要か?」

 

 椛に見ておくよう頼んだだけで、実際に来たらどうするかとかは彼女に一任しているが、とりあえず下に見られるのも面倒なので釘を差しておく。

 少女の不敵な笑みが一瞬だけ消え、すぐに取り繕われるが信綱は見逃さなかった。

 

「さすが。長生きしているみたいだし、年の功ってやつかい?」

「お前たちみたいな輩の相手をすることが多かっただけだ」

「ふむん? まぁこれ以上話しすぎても後の楽しみがなくなるか。じゃぁ、人間――今度は天狗も交えて話そう」

 

 そう言って少女は今までの態度に似合わない、無邪気な笑みを浮かべて神社の方へ戻っていく。

 その姿を見て信綱は少女への評価を多少変えることにする。

 あれはほぼ確実に真っ当とは言い難い性質のはた迷惑な神だが――邪神ではない。

 今の笑顔を見て確信した。あれはおそらく人間に推し量ることが不可能な自然や何かの具現化と見た方が良い。そも、神を正邪善悪で図ること自体が無為である。

 

 しかし、と信綱は肩を落として大きく息を吐く。

 

「この歳になってまた面倒なやつと知り合うことになるとは……」

 

 しかもなんか懐かれそうな気配があって怖い。意図して嫌われるつもりはないが、好かれる態度だとも思っていないのだが。

 気を取り直し、今度こそ石段を登り終えて神社に向かう彼の背中はどこか哀愁が漂っているのであった。

 

 

 

 

 

 神社に到着すると、玉砂利の敷き詰められた参道と丁寧に磨かれた石畳の向こうに佇む本殿が信綱の視界に入る。

 石段を登っていたときから思っていたが、博麗神社とは普段の手入れに雲泥の差があると言わざるを得ない。霊夢にも自分の住まいなのだから綺麗にしろと日々言っているのだが、相変わらず彼女は自分の居住区以外は適当である。

 

「…………」

 

 どこに行ったものかと顎に手を当てて考える。

 霊夢のように居住区は別にあると考えるべきだろうが、話し合いはどこで行われるのか。神が相手である以上、本殿でやる可能性もある。

 と、信綱が思考していると本殿の方から人影が出てくる。紙垂のついた大きな注連縄を背負い、幻想郷全てを睥睨するような不敵な笑みを浮かべる少女だ。

 

「む、来たか。諏訪子から人間が来たとだけは聞かされていた」

「……貴殿もこの神社の?」

「本命として祀られている祭神って意味なら我がそれに当たる。諏訪子とも色々と事情があってな」

「その辺りは今回の事情とは関係がなさそうだ。――此度の天狗と貴殿の会合、人里の代表として立会人を請け負った、火継信綱と申します」

「八坂神奈子だ。我が守矢神社初めての人間の来訪者だ。歓迎しよう」

 

 ついてこい、と八坂神奈子と名乗った神は大仰な仕草で背を向けると居住区の方へ足を向けていく。

 その後ろに続いて綺麗に掃除された廊下を歩いていると、神奈子が背中越しに声をかけてくる。

 

「天狗の方はすでに到着済みだ。後は人間、ということでお前を待っていた」

「…………」

「はは、そう警戒するな。諏訪子から脅されでもしたんだろう? 全然怖がってくれないと不貞腐れていたぞ」

「怖がる理由がない」

「見た目か? それとも経験か?」

「慣れた。人間を脅かして楽しみたい妖怪ばかりでな」

「ははははは! さぞかし山あり谷ありの人生だっただろう。我が守矢神社を信仰すればそのような輩からも守ってやろうではないか」

「間に合っているので気持ちだけありがたく」

「むぅ」

 

 不服そうな声を漏らしながらも神奈子の歩みは止まらず、ある部屋の前で止まる。

 

「すでに諏訪子も天狗も待っている。お前が入ってきたら会合を始めようと思っていた。用意は良いか?」

「悪いと言ったら待ってくれるのか?」

「それはお前の用意が足りないと言うだけだ」

 

 そう言って小さく笑い、神奈子はふすまを開く。

 先ほど会話した少女がやってきた信綱を見て手をひらひらと振ってくる。

 そして天魔も信綱を一瞥だけしてきた。表情は固く、普段から見ていた飄々とした雰囲気は鳴りを潜めている。

 神奈子に示された場所に座ると、神奈子が手を叩いて視線を自身に集めた。

 

「さて、役者は揃ったことだし始めようじゃないか。まずは自己紹介と行こう。我は八坂神奈子。そっちは洩矢諏訪子。共にこの守矢神社の祭神だ」

「ま、私は隠居してるようなもんだけどね。メインは神奈子の方だよ」

「そう言うな。ここに来た以上、お前にも祭神として働いてもらうぞ」

「わかってるよ。外の世界からこうしてやってきた以上、第二の神生ってやつを楽しませてもらおうじゃないの」

「我も同じだ。外の世界は信仰が消え、祈りの代わりに科学が台頭した。我としても住みよい場所の方が都合が良いので、移住した次第である」

 

 ふむ、と信綱は二柱の神の言い分を紙にしたためていく。記録にも残しておいた方が後で阿求に話す時にも便利だろうと思ってのことだ。

 神々が幻想郷に来た理由としてはおおよそ信綱や天魔の予想通りと言えた。身も蓋もないことを言ってしまえば外の世界でやっていけないから幻想郷に来た――つまり人間たちから放逐された妖怪と何ら変わらない。

 

 なので信綱としては彼女らを特別扱いするつもりはなかった。これまでの妖怪と同じように、利益をもたらしてくれるなら歓迎するし、被害をもたらすなら相応の対応に出るだけである。

 

 信綱は一通り思考をまとめると、天魔の方を見る。

 部屋に入った時は硬い表情をしていた天魔だが、今見ると彼は普段どおりの飄々とした空気を出しながら片肘をついて二柱の言葉を聞いていた。

 尤も、内心をすでに彼自身の口から聞いている信綱には激情を抑え込んでいる姿にしか見えなかったが。

 

「ん、そっちの紹介と幻想郷に来た理由は終わりか。じゃあ次はオレだな。――妖怪の山を治めている天狗の頭領、天魔だ」

「それは称号だろう? 名前があるはずだ。神に名乗れぬか?」

「千年前から天魔を名乗ってんだ。もうこっちの方が馴染んでる」

「ならば我らも天魔と呼ぼう。では最後に人間か」

 

 三者三様の視線が信綱に向けられる。

 信綱は走らせていた筆を一度止め、三人の視線を一身に受け止めながら口を開く。

 

「此度の会合の立会人を請け負った人里の代表、火継信綱だ。会合を始める前に言っておくが、この場での立場は皆公平。双方、常に冷静に話し合いに臨むように。議論が白熱することは結構だが、乱闘沙汰はご法度とする」

「もしも乱闘が起きたら?」

「俺が止める。あくまで今回は話し合い。戦うのが目的ではない」

「勇ましいことで。本当に危なくなったら私らにすがっても良いんだよ?」

 

 諏訪子の言葉に信綱は肩をすくめるだけで答える。

 自分が止めるというのは比喩でも何でもない。持ってきてある刀でその首を落とし、物理的に静かにさせることを指す。

 天魔は気づいているだろうが、部屋に入った時点で全員が信綱の間合いにいる。怪しい素振りを見せたら即座に首を落とせる状態だ。

 

「では双方ともに実りある話となることを願う。――始めてくれ」

 

 信綱の言葉とともに会合が始まり、真っ先に天魔が口を開いた。

 

「そんじゃオレから言わせてもらおうか。――正直、天狗はおたくらをぶっ殺したいって連中が大勢だ」

「ほう?」

「そうだろ? 挨拶もなしに人様の領域に乗り上げてきて、しかもやってきた連中はそんなこと気にした素振りもなくよろしく、と来た。あんたらだって同じことされりゃぁ、報復に出なけりゃ面子も立たない」

「言うじゃないか。じゃあ私らをこの場で殺すかい? 天狗にそれができるとでも?」

「神の性質はオレも把握している。むしろ質問させてくれ。――信仰もなにもない今のあんたらがオレらを相手にできると思ってんのか?」

 

 信仰を得たらわからなくなる。だが、今なら殺すのは容易である。

 そんな意図を含ませた天魔の言葉を受けて、二柱の神から怒気が立ち上る。

 信綱は三者のやり取りを見ていて、呆れたようにため息をついて口を開いた。

 

「――天魔、少々煽りすぎだ。あまりこちらに火の粉が飛んでこられても困る」

「……っと、失礼。どうも冷静じゃなかったな」

「ん? 人間と天魔は知り合いなのかい?」

「言ってなかったか? 旦那の立会はオレが頼んだことだよ」

「おいおい、それじゃ公平とは言えないだろう?」

「俺は人里の利益で物事を考えているから安心しろ。――とはいえ、どちらも同程度の利益なら付き合いの短い方と長い方。公平(・・)に考えるなら長い方を優先するが」

 

 神々の怒気が信綱にも向けられるが、気にも留めない。

 そもそも――いきなり人の住処にやってきておいて、謝罪もなしに住民として扱ってほしいなど、それを認めたらそれこそ今まで幻想郷で暮らしてきた者に不公平である。

 幻想郷に来たこと自体を拒否するつもりはない。管理者である八雲紫の意向でこの場所は来るものを拒まない。

 だが、それは幻想郷に来ることだけであり、この場所で暮らしていくこととは違う。

 

 これからも同じ場所で顔を突き合わせる相手に不義理を働いて、何のお咎めもなしというのは筋が通らない。

 かつてやってきたレミリアたちも、その行いに対して信綱と先代の巫女が出張って彼女を退治しているのだ。あれも幻想郷に害を為して、退治されるという過程を経て幻想郷の一員となっている。

 

「別に即物的な利益なんて求めちゃいないさ。外の世界から来たばっかなんだし、ほとんど着の身着のままみたいなもんだ。――けどな、やってきたのはそっちで、被害を受けたのはオレらだ。まずやるべきことがあるんじゃないのか」

「……神に頭を下げろと?」

「今後の付き合いに持ち込むほど根腐れしちゃいねえよ。ただ、最低限そこはやってもらわんと付き合いも何もなくなるってだけだ」

 

 立場の上下を知らしめたいわけではない。そんなのは付き合いが始まってからのやり取りで決めていくことだ。

 しかし、まず被害を受けたものと与えたものの構図がある限り――その精算は行わなければ、付き合いを始める段階にすら到達しない。

 すなわちここで相手の誠意が見えないと判断した場合、天魔は躊躇なく彼女らを殺すということだ。今後の付き合いもないというのは、そういうことである。

 

「これでも譲歩してる方だぜ? そっちがやってきたことで住処を追われた妖怪も少なからずいるんだ。オレは妖怪の山を統治する者として、オレの庇護下にいる奴らの面倒を見る義務がある」

 

 信綱は腕を組んだまま、天魔を盗み見る。

 口調こそ飄々としたものだが、彼の瞳に今この瞬間にも燃え盛りそうな激情が秘められているのを信綱は読み取っていた。

 読み取っていたが、まだ大丈夫だろうとも思っていた。これ以上抑えられないようなら、改めて自分が止めに入るだけである。

 

「さて、そちらの返答は如何に。神の性質はオレも知っているが、ここは幻想郷。外の世界でやっていけなくなった者たちの最後の楽園だ。ここいらで一つ、度量ってやつを見せてはどうかい?」

 

 その言葉を受けてか、二柱の神々は呆気に取られたようなポカンとした顔になり、次いで得心した笑みが浮かぶ。

 なるほど確かに。外の世界でままならないからこちらに来たというのに、外の世界と同じやり方をして上手く行くはずもない。

 それにこの場所では彼女ら二柱を知るものなど皆無に等しいのだ。ならば神の在り方を自身で崩すのも一興と言えよう。

 

「成程、道理だ!! ここに来た以上、外の世界の常識だった妖怪や人間、神の関係は捨て去るべきか。確かに天狗が人間を立会に使うなんて光景を見ているんだし、今更我――私らが神と人の関係にこだわる理由も薄い。――不躾な来訪すまなかった、幻想郷の住人たちよ! しかしこちらにも事情あってのこと、寛大な処遇をいただきたい!」

「謝ってんのか開き直ってんのかよくわかんねえなこれ。つっても、神さまからここまで引き出せりゃ十分か。旦那はどうする?」

「お前が許すのなら許せ。許さないのなら許すな。お前の選択と行動を見届けよう」

 

 当事者でない信綱は二柱の神に思うところなどないのだ。頼まれた立会人としての役目に則り、話し合いの行く末を見届けるだけである。

 どこまでも生真面目に役目を果たそうとする信綱に天魔は笑い、皮肉げに唇を釣り上げて神奈子と諏訪子を見た。

 

「――良いぜ。規模はでかくなっちまったが、これもまた妖怪の山に訪れた変化と受け入れよう。オレから提示する条件は一つ。この場所に来たことで住処を追われた連中が騒ぎを起こしたら、オレたちと協同で解決策を探ること、だ」

「対等な条件で話せると考えても?」

「拒否権はないってこと以外はな。対等な関係でいたいんなら、そっちの尻拭いはそっち主導だ」

「道理だね。天狗が協力するのは?」

「頭が部下の面倒見るのは当然だろ?」

 

 一瞬の迷いもなく言い切る天魔の姿に、彼の度量の深さを改めて感じる信綱。

 自分だったら彼女らをしばらくは無償でこき使う契約かなにかを取り付けているところだ。そうしなければ割に合わないだろうし、他の人間たちを静かにさせる方便が立たない。

 信綱と天魔が話していると、雰囲気を威圧感のあるそれから親しみの持てるもの――おそらく素の態度――に変えた神奈子が話しかけてきた。

 

「助かるよ。今更取り繕うつもりもないし、話せと言われれば全部話すけど私らものっぴきならない事情ってやつがあってね」

「神奈子、良いの?」

「協力する方向にかじを切ったんだし、とことんやるべきよ。この場面で中途半端は悪い方向にしか転がらない」

「まあ同感だけどね。しかし人間も人が悪い。神を相手にあんな啖呵が切れるんなら私のことなんか無視してもいいのに」

「どんな相手かもわからないやつに自分から礼を失するのは、増やせる味方を減らすだけだ。……それで、二柱はそちらの事情を優先しつつもこちらと協調してくれる、という認識でいいか」

 

 二柱の神々からの首肯が返ってきたため、信綱は一旦肩の力を抜く。最悪の結末は避けられたと見て良いだろう。

 次に懸念すべきは彼女らが天狗たちにどう受け入れられるかだが――そこは天魔の采配次第だった。

 

「……天狗は大丈夫か? 一方的にやられておいて謝罪のみで許した、では不満が溜まるだろう」

「手は考えてあるから安心してくれ。そっちに迷惑は……極力少なくする」

「おい」

 

 多少は人里に被害が及ぶかも知れない、という天魔の言葉で大体何をやるのか読めた信綱が呆れた目を向けるが、天魔は苦笑いをするばかり。

 

「想像通りだと思うが、ここが限界だぜ? さすがにオレもこれ以上天狗を抑えつけるのはキツイ」

「……まあ、今までを考えると妥当ではある、か」

 

 スペルカードルールが施行されてから、天狗が表立った動きを見せたことは皆無と言っても良い。

 すでに紅魔館、冥界、鬼、迷いの竹林といくつもの存在が異変を起こす中、それでも天狗は動きを見せなかった。やったのはせいぜい新聞を作って情勢を煽ったり広めたりした程度。

 

「ここいらでオレらも幻想郷の一員ってことを思い出させないとな。その意味じゃ、この二柱の神が来たのはありがたい話だ」

「なんだい、さっきから二人の世界を作っちゃって。私らを利用する算段でもつけてるのかい?」

「そっちにも悪い話じゃない。んじゃ、オレの描いてる絵面を旦那含めて説明するか――」

 

 天魔の口から語られる悪巧みの内容と、神奈子の口から語られる事情を聞いて、信綱もまた思考を巡らせるのであった。

 ……神奈子から聞いた事情に関してはこれ絶対あとで面倒なことになるな、という経験から来る嫌な確信も抱いていたが。

 

 

 

 

 

 一方その頃、人里では――

 

「やってきました幻想郷! さぁ、何はともあれまずは布教活動を――」

「――こんにちは、山の神社の巫女さん」

「ふぇ?」

 

 何やら意気込んだ様子の、博麗の巫女とは対象的な青い巫女装束に身を包んだ少女が人里に降り立つと、彼女の前に二人の少女が立った。

 

 一人は哨戒装束に身を包み、狼の耳と尾を持つ穏やかそうな少女。

 もう一人は可愛らしい花の髪飾りが特徴の、元気そうな少女。

 二人はやってきた巫女服の少女に微笑みかけ、狼の耳を持つ少女が口を開く。

 

「あなたが来ることはわかってました。――少し、お話しませんか?」




Q.もしも天狗と神の関係が険悪になったらどうなってた?
A.ノッブがかなすわの二人を切って終わり。現時点でこの二人に協力する旨味が欠片もないので。

基本的にノッブも天魔も穏健派な方です。どうにか物事を丸く収める努力はする。ただそれでダメだと判断したら躊躇なくぶっ殺しに行くタイプでもあります。

とはいえ守谷の二人にも事情はあります。二人は是が非でも幻想郷に受け入れてもらわなければならなかった。それで下に見られるのも勘弁なので態度はデカかったですが。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。