阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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[壁]_・)ノ‐⌒ο
[壁]サッ

椛ルートを選んだ真ん中のお話です。あの時端折ったイチャイチャパートとも言う。


幕間 彼の生まれた理由

 自分が彼女を選んだ理由は、今なおわからない。

 彼女が求めてきたから、というのはあるだろう。基本的に自分は御阿礼の子が絡まない限り、何かを積極的に行う性格ではない。

 求められたから応える。絡繰のような在り方ではあるが、それを糾弾されたことはないのだ。問題はない。……ないはずなのだ。

 

 あの日以来、ずっと彼女は自分の隣で自分に微笑みかけてくる。

 きっと自分にしか見せない笑顔なのだろう。己が婚姻を結ぶと知った時に押しかけてきた妖怪も、皆彼女の笑顔を見ると納得した顔になって、次いで自分にこう言ってくるのだ。

 

 

 

 ――良い相手を見つけたのね、あなた。

 

 

 

 自分には御阿礼の子以外など不要である。そう公言しているのに、誰ひとりとして訂正はしていかなかった。

 それは結局、彼女たちの方が今の自分を理解しているということなのだろうか。

 

「…………」

「あなた、朝ごはんができましたよ……ってどうかしたんですか? 難しい顔で」

 

 妻となった少女が割烹着姿で入ってくる。

 呼ばれたことに顔を上げ、見慣れた顔の見慣れた声の少女が自分の家にずっといるという見慣れない状況に内心の戸惑いを覚えながらも、声には出さない。

 

「……いや、なんでもない。女中には言っておいたのか?」

「はい。妻となったからには、夫の身体を食事で労るのも重要ですから」

「誰が作っても飯は飯だ。面倒だと感じたら女中に言えば良い。俺は自分が食うものにケチはつけん」

 

 無論、御阿礼の子の口に入るのであれば全力で吟味するが、そうでないなら誰が食べても同じである。そこには自分も含まれていた。

 それを伝えると、妻である少女は呆れた顔で自分を見て、額を突く。

 

「む」

「それを聞いてやる気がもっと出ました」

「なぜ」

「あなたの口から美味しいって、言わせてみたくなったんです」

「……好きにしろ」

「ずっと、好きにしていますよ」

 

 妻の――犬走椛の満面の笑みを見て、男性――火継信綱は諦めたようにため息をつくのであった。

 

 

 

 ――自分が彼女を選んだ理由は、今なおわからない。

 

 

 

 

 

「おじさまが妖怪と結婚したって本当!?」

 

 ドタバタと慌ただしい音とともにやってきたのは、紅魔館の吸血鬼であるレミリアだった。

 息せき切らし、日傘も自分で持っている様子。どうやら自分ひとりで急いで来たようだ。

 信綱はいきなり中庭に飛んできた彼女に呆れた目をしながら、うなずく。

 

「ああ」

「どうして私じゃないのよ!?」

「お前を選ぶ理由はどこにある」

「……愛、とか?」

「俺にそんなものがあると」

「……ない、わね」

「だろう」

 

 来た当初こそ慌てていた様子だったが、信綱の言葉を聞いて徐々に冷静になってきたらしい。

 息を整えた彼女は信綱が座っている縁側の隣に腰を下ろす。

 

「じゃあどんな心境の変化があったのかしら。周囲から嫁を取れ、って言われたわけでもないんでしょう?」

「その手の話は二十年前に終わっている」

 

 周りが諦めたとも言う。いかんせんあの時期はやるべきことが山積みだったため、そんな余裕がなかったとも言えるが。

 あるいはあの時点でさっさと誰かを娶っていれば、ここまで面倒なことにはなっていなかったのだろう。

 結局、自分で選んだことが回り回って己を苦しめているのだと思うと笑えなかった。

 

「なおさら気になるわ。おじさまの心を射止めるのは私だと信じてたのに」

「それは絶対にないから安心しろ」

「ひどい!?」

 

 むしろ友人として付き合っているだけでも相当な譲歩をしたと思っている信綱だった。

 答えを聞くまで動く気のないレミリアを横目に見て、信綱はため息をついて話し始める。

 

「……俺がその手のことをわからないのはお前も知っているだろう」

「ええ」

「……俺にそれを教えたいと言ってきた女がいた。そして彼女が言うには、俺がそれを知るには俺に残された時間を全部一緒に過ごさなければならないと言った」

「……へぇ」

 

 レミリアの得心したという笑みが気に入らないが、信綱は話を続けていく。

 

「側仕えをしている時はほとんど稗田の屋敷に住み込みだ。こうしていられるのはせいぜい今ぐらいだろう。特にすることもないのだから、あいつに付き合わない理由がない」

 

 もう数年もすれば阿求が生まれるのだから、そちらを優先することになる。それは自分が阿礼狂いである以上絶対に曲げられない。

 だが、そうでない時間であれば彼女のために使うのはやぶさかではなかった。どのみち、一人だと暇を持て余すだけなのだ。

 

「ふぅん、へぇ、ほぉー」

「……なんだその顔は」

 

 自分の時間の使い方が下手なことも含めて説明したところ、レミリアにものすごく生暖かい目で見られた。

 能動的に生きるということに関して下手なことは笑われても仕方ないと思っているが、レミリアにそんな目で見られるのはさすがに不本意な信綱だった。

 

「いやぁ、おじさまったら色々と言ってるけど、ちゃんと相手に合わせてるのね。その調子で私にも合わせて痛い!?」

「殴るぞ」

「殴ってるわよ!? どうしておじさまは私に厳しいの!?」

「今までやってきたことを思い返してみろ」

 

 吸血鬼異変で霧を出して阿弥を苦しめるわ、連絡もなしに押しかけてこっちの時間を潰してくるわ、勝手に深刻な悩みを吐露されて相談役にさせるわ、信綱が優しくなる要素が欠片もない。

 

「で、その相手ってのはどこに――」

「もう来る。お前が来ていたこともわかっているから、茶を用意していたのだろう」

「ん? でも私、正面から来たわけじゃないわよ?」

「それでも、私の目は誤魔化せませんよ」

 

 穏やかな声とともに冷たい麦茶を盆に載せた椛がやってくる。

 そばに置かれた麦茶を飲みながら、レミリアは納得のいった顔で椛を見て――目を見開く。

 

「――へぇ」

「どうした」

「いいえ、なんでも。これは女にしかわからないわね」

「お前が女……?」

「それはさすがに失礼じゃないかしら!?」

 

 なんか寝ぼけたこと言ってるなこいつ、という目で見たところレミリアが涙目で撤回を求めてきたため、肩をすくめて謝意を表明する。

 椛はそんな信綱の様子を見て仕方ないな、とばかりに困った笑みを浮かべていた。

 

「はいはい。で、さっきの意味は?」

「うん。なんとなく予想はしてたの。おじさまを選ぶ人は誰か、ってのを考えると自然と候補は限られるでしょうし」

「……まあ、それはそうだな」

 

 阿礼狂いであると常日頃から言っているのに、それでも生涯の伴侶に自分を選ぼうとする奇特を通り越して馬鹿なんじゃないかと思うような人間、そうそういないだろう。

 というか信綱には自分を選びそうな相手が全く思い浮かばなかった。だから椛に愛をわからないのだ、と言われたら何も言い返せない。

 

「おじさまは友人としてならすごく良い人だと思うけど、ほら、やっぱり夫婦とかって自分だけを見て欲しいものじゃない?」

「同意を求められても困るが、一般的な意見としてはそうなんだろうな」

「あなたもそうでしょう? 白狼天狗さん」

「否定はしませんけど、それだけでもありませんよ」

「へえ、聞いてもいいかしら」

 

 何の気なしに聞いたのだろう。特段気負った様子のないレミリアの言葉だったが、椛の返答はレミリアが思わず瞠目してしまうほどの何かが込められていた。

 

「――私が知っている想いを、この人にも知ってほしい」

 

 椛の言葉を聞いて、レミリアはただ目を見開いて彼女を見つめ、次いで何も言わずに立ち上がる。

 

「どうした」

「なんでも。ただ、お邪魔虫はあんまりいちゃいけないって思っただけ」

「まだ気づいてなかったのか?」

「おじさまの考えるお邪魔虫とは違うわよ!? それにおじさまのお邪魔虫なら今後も続けるけど、奥さんのお邪魔虫にはなりたくないってだけだから痛い痛い痛い日光はやめてええええええ!?」

「なぜこいつには遠慮して俺には遠慮しない」

 

 本当にこいつは迷惑しかかけてこない、と信綱は長い付き合いになってしまった吸血鬼の少女に心底からのため息が隠せなかった。

 日光を浴びてブスブスと煙を出しながら暴れるレミリアを押さえつけていると、後ろで見ていた椛がやんわりと制止を求めてくる。

 

「あはははは……えと、そのぐらいでよろしいのでは?」

「つまり天日干しにして滅ぼしてしまえと」

「そこまで言ってませんよ!?」

「……全く、こいつに優しい顔をしてもロクなことにならんぞ」

 

 現在進行形でロクなことになっていない自分が言うのだ、間違いない。

 

「あ、でもちゃんと手は離すんですね……」

「こういうところで優しいから私も離れられないのよ。これはもう愛人にでもゴメンナサイゴメンナサイ冗談ですから二人がかりで私を抑え込まないで!?」

「外に縛って放置するか」

「川の水にさらすって手もありますよ」

「本当に冗談だから!? だから真顔で私を殺す算段をつけないで!?」

 

 渋々離してやると、レミリアは日に焼けてしまった部分の再生を待って改めて日傘を差す。

 

「軽い冗談はさておき、幸せそうで何よりだわ」

「そう見えるのか」

「ええ、きっと私以外の誰が見てもあなたたちは幸せに見えるでしょうね」

「理由を聞いても良いか」

「言うまでもないと思うけど――奥さん、すごく幸せそうに笑っているもの」

「俺は笑ってないぞ」

「おじさま、意外とわかりやすいのよ」

 

 答えになっていない言葉を投げかけられ、そしてレミリアは去っていった。

 蒼天に吸い込まれるように遠ざかる彼女を見送り、信綱は訳がわからないと息を吐く。

 そしてレミリアの座っていた場所に座って信綱を見てくる椛に説明をしてやる。

 

「……ああやってしょっちゅう家にやってきては無駄話をして帰るのが紅魔館の吸血鬼だ」

「苦労してますね、あなたは」

「苦労というほどではないが、とにかく面倒くさいというのが本心だな」

「でも、ちゃんと相手はしてあげるんですね」

「何を言っても懲りないから仕方なくだ」

 

 吸血鬼としての力を発揮して暴れるわけではないのだ。彼女の無聊を慰めるのが会話だけで済むのなら安いものである。

 彼女がいなくなったことで肩の力を抜いていると、ふと信綱の隣に暖かいものが寄り添ってくる。

 視線を向けたところ、椛がレミリアよりもさらに近く、信綱と肩が触れ合う距離まで近寄っていたことがわかった。

 

「どうした」

「いえ、その……少し、レミリアさんと丁々発止のやり取りをしていたのが羨ましくて」

「お前とも似たようなやり取りをしていると思うが」

「自分がしているのと、人がしているのを見るのでは違いますよ」

「そうか」

「そうです」

 

 言いながら椛は体温だけでなく体重までかけてくる。

 重いと言いたいところだが、この白狼天狗は存外に甘えたがりなのを知っていたため、信綱は何も言わないことにする。

 彼女を引き離す理由があるわけでもないのだ。理由がないのなら、好きにさせても良いだろう。

 

「あなた」

「なんだ」

「今、幸せですか?」

「……お前はどうなんだ」

「とても幸せです」

 

 信綱の顔がしかめっ面になる。

 愛せるかわからないと言って、今なお答えの見つからない男であるというのに。

 誰が見ても幸せであるとわかる顔で幸福を謳わないで欲しかった。それに値するものなど、自分は何一つ返せていないのだ。

 

「…………」

「あなたもいつか、私と同じ気持ちになったら教えて下さいね」

「……ああ」

「その時までずっと、私はあなたと一緒で幸せですって言い続けます」

「……ああ」

 

 彼女の体温を感じながら、信綱は今日もまた思索に耽る時間を過ごすのであった。

 伴侶となった女性への答えが出る時は、まだ遠い――

 

 

 

 

 

 子供ができた。

 跡継ぎが必要だった、というのは否定しない。

 火継の一族には信綱の眼鏡に適うものがおらず、次代への不安がなかったと言えば嘘になる。

 

 しかし自分はすでに老齢で、今さら子供を作ったところでその子が大成するまでいてやることができない。

 それに自分は阿礼狂いであり、幼い子に御阿礼の子の姿を見せて阿礼狂いの炎で焼き尽くしてしまおうと考えた男の息子である。

 

 生まれてくる子供に自分が同じことをしない保証はない。そしてそれが母体となった少女への最大の侮辱であることもわかっていた。

 

 彼女を娶った理由が最初からそれであるのなら割り切れた。子供は必要である以上、誰かが阿礼狂いを産み落とす役割を担わなければならない。

 そしてそれは阿礼狂いの男にはできず、女にしかできないこと。

 故に時節が来れば阿礼狂いは誰かを娶って子供を作る。相手は生活に苦しむ女につけ込むもよし、合意さえ得られていれば誰でも良かった。

 

 狂人の母体にさせる以上、阿礼狂いである彼らも最大限の配慮をする。流産などせぬよう細心の注意を払い、子が生まれた後は食うに困らぬ財を与えるなど、女の望みは大半に応えるようにしていた。

 

 だが――それは女を娶る理由が最初から次代の跡継ぎという一点に集約されているため。

 信綱のように彼自身を求めての婚姻となった場合、子供ができたらどうすべきなのか。信綱は知らなかった。

 

「…………」

「どうかしました?」

 

 腹に子がいると告げられた後、幸せそうに腹を撫でる椛を見て、信綱はなんとも言えない無表情――見る人が見れば途方に暮れた子供のような顔で彼女を見ていた。

 謝罪をする、というのが彼女を怒らせる行動であることはわかる。だが、次代の阿礼狂いを孕んでくれたことに感謝するのは謝る以上に、彼女を傷つける行動な気がしてならなかった。

 

「俺は……」

「……こちらに座ってください」

 

 何かを言わなければならない。だが、何を言えば良いのかわからない。

 二の句が継げない信綱を見て、椛は小さく笑うと自分の隣を優しく叩き、信綱を招く。

 彼がそちらに腰を下ろすと、椛は信綱の胸に自分の頭を当てて抱きついてくる。

 

「おい」

「ありがとうございます。私の願いに応えてくれて」

「……跡を継ぐものが必要だと思っただけだ。それに半妖の子となれば人間以上の力を持つ可能性も高い」

「それだけですか?」

「…………それだけだ」

「泣きそうな顔で言っても説得力がありませんよ」

 

 見透かされたように笑われてしまい、信綱は普段通りの憮然とした顔を作ろうとして失敗する。

 本当にどんな顔をすれば良いのかわからないのだ。謝るべきか、祝うべきか、それさえもわからない。

 

「あなたが気に病むことはありませんよ。あなたの子が欲しいと私が願って、あなたはそれに応えた。それにほら、こういうのは授かりものって言うじゃないですか。仏様が私たちに子宝を授けて下さったと思えば」

「……阿礼狂いと呼ばれた者たちにも、か」

 

 御阿礼の子の敵になるのなら神も仏も斬り捨てる狂人だが、お釈迦様は自分たちにも恵みを授けてくれるらしい。やはり祀られる程の存在は懐も大きい。

 

「生まれてくる子供はどうなると思いますか?」

「――阿礼狂いになる。これまでに例外がなかったからではない、俺の子(・・・)だからだ」

 

 それだけは確信があった。男児が生まれるか女児が生まれるかはわからずとも、どちらにせよそれは御阿礼の子に狂う宿命を背負う。

 白狼天狗の血を引いたところで何の意味もない。彼らの魂に施された呪いは誰であっても等しく阿礼狂いに堕としてしまう。

 しかし――

 

「……一つだけ、頼みがある」

 

 信綱は自分の胸に顔を埋めた椛が、自分の背中に信綱の手を誘導するのをされるままにしながらポツリとささやく。

 

「頼み、ですか?」

「ああ。……俺は生まれる子供が阿礼狂いになることは確信を持っている。だが、強くなるかはわからない」

 

 自分の跡を継ぐに相応しいだけの資質を備えているか、それはわからなかった。

 天才の子が天才になるとは限らない。また天才であったとしても、十にも満たない年齢で火継の最強を奪い取った信綱ほどの才覚かはわからない。

 

「……もし、俺から見て生まれた子供が後継に相応しくないと判断したら」

「はい」

「御阿礼の子に関わらせず、お前の子として妖怪の山で育てて欲しい」

「それは……」

「それが俺にできる子供への最大限の配慮だ。……頼む」

 

 阿礼狂いの血が目覚めてしまったら、信綱は同じ阿礼狂いとして一切の容赦ができなくなる。

 もしも自分に向かってくれば躊躇せず叩き潰すだろうし、最悪の場合は殺すことも考えられる。

 自分が死んだあとならばまだしも、生きている間に側仕えの座を狙うのであれば是非もなかった。

 

 そしてそれを行ったが最後、腹を痛めて産んでくれた椛への最大の裏切りになることはわかっていた。

 重ねるが、最初からそれが目的だったのなら割り切れる。

 子供を産んでくれた相手に配慮をするのも、生まれた子供を阿礼狂いの脅威とみなして潰そうとするのも、阿礼狂いとしてみれば正常なものだからだ。

 

「椛」

「はい」

「お前は俺たちの都合で選ばれた相手じゃない。お前の都合で俺を選んだ女だ」

「……はい」

 

 椛の背中に回された腕に少しだけ力を込める。

 上目遣いに見上げる彼女の目はどこか潤んでおり、熱を帯びていた。

 

「不要なことでお前を悲しませたくない。生まれた子供を俺の手で潰すなんてことにならないよう、聞き入れて欲しい」

「……はい」

 

 椛は何かを確信したように笑ってうなずき、再び信綱の胸に顔を埋める。

 

「そう言ってもらえて嬉しいです」

「なぜ」

「ちゃんとこの子の未来を考えているのがわかったことと――あなたなりに向き合っているからです」

「…………」

「私があなたの子供が欲しいと言ったのは、何も自分のためだけではないんですよ?」

 

 

 

 ――産まれる子を祝福してくれるって、信じていたわ。

 

 

 

 そう言って微笑む椛の姿に、信綱は記憶にない母としてのそれを見出して目を細める。

 

「……世間で言うところのそれとは違う」

「そうね。でもあなたにできる精一杯」

「……俺を試したのか?」

「信じていたの。自分勝手に押しかけた私を払いのけず、こうして受け入れてくれたことも含めて全部」

「……俺はそんなに上等な人間じゃない」

 

 必要がある。ただそれだけであらゆる理不尽も暴虐も是とできる外道が自分だ。

 そんな自分に信じているなどという言葉を使わないで欲しい。そんな何もかもを包み込むような愛情を向けないで欲しい。

 

 それに自分は応えられない。向けられる感情に応えようとしても、答えが今なお出せない優柔不断な男なのだ。

 

 言葉に出せない信綱を、椛は何もかもわかっていると彼を抱く腕に力を込める。

 白狼天狗の熱が強く伝わり、阿礼狂いの心に何かを伝えようとしてくるのがわかった。

 

「……答えはまだ聞きません。それはいつか訪れる時間の終わりで良いです」

「ああ」

「ですが、これだけは答えてください」

「なんだ」

「――私たちを大事にしてくれますか?」

「……ああ。その時が来るまで、俺はお前たちから目を背けない」

 

 それが彼女たちにできるたった一つの誠意だ。

 どれが正解かもわからない。ただ自分なりに良かれと思うことをやるしかない。

 そんな普通の人ならば誰もが当たり前のようにやることを、信綱は老年となった今に直面しているのであった。

 

 

 

 ――そして、産まれてきた子供を見て信綱は自身の後継ぎとすることを決める。

 その時の表情は――きっと、語られるべきではないのだろう。

 

 

 

 

 

「……と、まああなたが生まれる前にはそんな話があったのよ」

「そう、ですか」

 

 場所は変わらず、しかし相対する人物には変化があった。

 信綱がかつて座っていた場所には年若い少年が座っていた。

 白狼の髪と赤みがかった双眸を持つ少年は、見た目の上ではほとんど自分と変わらない少女に対して敬意を払っていた。

 さもありなん。この少女は少年の母なのだ。敬意を払わぬ方がどうかしている。

 

「俺――いえ、私は生まれた時より父上から凄絶な鍛錬を課されてきました。阿求様の側仕えに就任した今はその意味もわかりますが、あの時はわけも分からず力をつけていた」

「そうね。……あなたは私たちを恨んでいるかしら。私とあの人の都合で産まれて、あの人の都合に振り回されたことに」

「思うところが皆無、とは言いません。およそ真っ当とは言い難い少年時代でした。

 ……ですが、あの時間があったから私はここにいる。バカで怠け者だけど真っ直ぐな性根を持つ妹弟子もできた。――やはり、私は母上にも父上にも感謝しております」

 

 父と母。この少年は火継信綱を父に持ち、犬走椛を母に持つ存在なのだ。

 少年の言葉を聞いて椛は嬉しそうに微笑み、そして少年の頭を撫でる。

 

「ありがとう。……あと、私の前でそんなかしこまった言葉を使わなくて良いわよ。親子でしょう?」

「いえ、今の私は火継の当主であり、阿求様の側仕え――阿礼狂いです。狂人の息子などいない方が良い」

「はぁ、本当に変なところで頑固で真面目なのは血筋かしら」

 

 母親であっても他人であるべきだ、とする少年の言葉を椛はため息一つで押し流し、強引にその身体を抱きしめる。

 夫となった人物に比べるとまだ華奢で頼りなさが残る体躯を両腕に抱えると、少年が戸惑ったように身動ぎするのがわかった。

 

「私が何年あの人と一緒にいたと思ってるの? あなたが考えることも、言おうとしていることも全部わかるのよ」

「……では私の言葉の利もわかるでしょう。父上の尽力により阿礼狂いの風当たりはかなり弱まりましたが、それでも狂人である事実は変わらない」

「そうね。私もそれは嫌というほど思い知らされた。――その分だけ、あの人もあなたも他の物事に向き合うことも知っている」

「…………」

「――楓。あの人と私の可愛い子。誰かと知り合えたことを幸運であると言えるあなたを、私は信じてる」

「……何を、ですか」

「狂人と呼ばれて、事実その通りであっても。最後まで一人の人間としてあろうとすることを」

 

 少年――楓にとって父は恐ろしいものであり、同時に自分という人間を最期まで見てくれた人物でもあった。

 息子だからと頭ごなしにすることなく、一人の人間として話を聞いてくれることもあったし、妹弟子である博麗霊夢と一緒に遊んだこともあった。

 

 そして自分を抱きしめるこの母親は、そんな人物に寄り添ったのだ。楓が考えるようなことに対する問答はとっくの昔に通った道なのだろう。

 

「……母さん(・・・)

 

 少年の口からこぼれた言葉はこれまでの固い格式と礼儀に塗れたものではなく、一人の少年として不安に苛まれながらも課せられた使命から目を逸らすまいとする、愛おしい息子の姿だった。

 

「なに?」

「……俺、父さんみたいになれるのかな。阿求様も言っていた、三代に渡って御阿礼の子と家族になったただ一人の偉大な人みたいに」

「それは無理よ」

「母さん!?」

「だってあなたはあの人とは違うもの。同じようになんてできっこないわ。――でも、あの人にできなかったことがあなたにはできるはずよ。――私の千里眼とあの人の才覚を両方もらってきたんだから」

 

 だから落ち着きなさい、と椛は慣れた手付きで楓の背中を叩く。

 物心すらついていない頃、こうして赤子だった自分をあやしたのだろう。妙に落ち着くリズムを背に、楓は目をつむる。

 

「それにね、あなたの名前は父さんがつけたのよ?」

「父さんが?」

「ええ。私の名前と同じ意味。名前の意味をなかなか言わないから聞き出すのが大変だったわ」

「……どんな、意味でしょうか」

 

 

 

 ――自分が心からの信頼を寄せた者と同じ名を与えたかった。

 

 

 

「あ……」

「意地っ張りで、照れ屋で、そのくせ変なところは妙に素直で、なかなか愛は囁いてくれなかったけど、信頼だけはずっと迷わず謳ってくれた。これはあの人のとてもわかりにくい愛情なのよ」

 

 

 

 ――椛と同じ名を持っているお前も信じている。

 

 

 

 言葉に詰まる。あの人は今の自分が抱える熱――この熱を守るためなら何もかも焼き尽くし、灰燼に帰すことすら厭わない熱を持ったまま、それでも他者を信頼して妻を愛したというのか。

 どれほどの苦難を乗り越えたのか。どれほどの苦悩を乗り越えたのか。そして、その全てに一度も目を背けなかったのか。

 

「母さん」

「なに?」

「父さんは……すごい人だったんだね」

「ええ。ずっと心から信頼して――ずっとずっと愛し続けるに値する人よ」

 

 永い永い妖怪の人生を独占するに能うだけの生き方だった。

 誇るように言い切る母親の声を聞き、楓はそっと彼女の身体を離す。

 心身ともに活力がみなぎり、楓もまたこれから先に待ち受けるであろう多くの苦難に立ち向かう意思が生まれていた。

 

 阿礼狂いであることは生涯変わらず、変える気もない。

 ないが――その時が来ない限りは自分もやれるだけやってみようと思えたのだ。

 

「そろそろ戻るよ。阿求様の側仕えは何に差し置いてもおろそかにできないから」

「そうね。行ってらっしゃい、楓」

「――うん、行ってくる」

 

 楓は意気揚々と外に飛び出し、幻想郷の蒼天へと吸い込まれるように飛び立つのであった。

 椛はそれを笑顔で見送り、やがて楓の前では見せなかった伴侶にのみ見せる顔で、もう一度笑うのだった。

 

 

 

「蒼天高く、風心地よし。――幻想郷は今日も賑やかで楽しい一日ですよ、信綱」




ということで二周年記念です。椛ルートの時に書きたかったけど長くなりすぎそうで書けなかった部分や、楓の命名理由など。こんな理由があったのか……(真顔)

他にもノッブが存命のまま風神録に突入するお話(永夜抄はなんやかんやで飛ばす)やノッブの葬式の時の話を書くかなど色々と案はありましたが、風神録はどう考えても一話で終わらない。葬式はただ物悲しいだけになりそうなのでお蔵入りに。どうせ記念なら読んで楽しい方が良いよね! 去年の話? アーアーキコエナーイ

しかし原作キャラとオリ主の夫婦でその息子を出すとかとんでもないことをやらかしている気がしてならない。蛇足だと思ったら読み飛ばしてもらっても大丈夫です。



さすがに三周年目には期待しないでください(真顔)

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