阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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最後に託すべきこと

 信綱が所要のために霧雨商店を訪れると、中から笑い声が聞こえてきた。

 

「やってるか、弥助?」

「――で、その時に私のマスタースパークがドカンと黒幕の身体を貫いてだな!」

「お、おう……鬼と戦ったとかまずおれはお前の身体が心配だぞ? って、お客さん――信綱様じゃないですか! いらっしゃいませ!」

「楽しんでいるところに悪いな。稗田の家でそろそろ少なくなってきた備品がある。万一がある前に補充しておきたい」

 

 そう言って信綱は弥助に必要なものをまとめた紙とその分の金銭を手渡す。

 それを見た弥助は大きくうなずき、金銭をしまい込むと立ち上がる。

 

「かしこまりました、すぐに用意いたします!」

「ああ、そう急がんでも良い。そこまで火急の用ではないから、今日中に運ばれるなら多少は後で構わない」

 

 魔理沙と積もる話もあるだろう、と信綱が魔理沙に視線を向けると、彼女は快活そうな笑みを浮かべた。

 

「ちょうど良いや、爺ちゃんも聞いていけよ! 私と霊夢たちの華麗な異変解決についてさ!」

「ふむ、興味深いな」

 

 異変の情報は貴重である。信綱はその現場にいなかった以上、情報を知る手段は彼女らの言葉しかないのだ。

 理想を言えば阿求の前でやってもらうのが良いのだが、そういった堅苦しい場所は霊夢も魔理沙も嫌がる。

 彼女らが気持ちよく話してもらえるうちに聞けるだけの情報を聞いておくのが良い。

 

「だろ? いやあ、黒幕の正体を知ったら爺ちゃんも驚くと思うぜ!」

「ほう。弥助も座ったらどうだ? 異変に挑んだ娘の武勇伝だ。聞いて損はないぞ」

 

 手近な椅子に腰掛けて、弥助を手招きする。

 彼は多少の戸惑いを見せたものの、やはり娘と語らう誘惑には勝てなかったのだろう。恐縮しきりな様子で信綱の隣に腰掛けた。

 

「や、やっぱり恐れ多いですね」

「まだ言うのか。普通に商談の時は気にしないだろうに」

「しょ、商売の時は別ですよ!」

 

 一線を退いて長いというのに、いい加減普通の客として扱ってほしいものである。

 信綱が困ったような呆れたような目で弥助を見ていると、不思議そうに思った魔理沙が口を開いた。

 

「……なあ親父。そう言えば昔っから親父って爺ちゃんにやたら腰が低いけど、なんかあんのか? 弱味でも握られてんのか?」

「は!? お前、この人におれがどれだけ世話になったか話してなかったか!?」

「聞いたかもしれんけど忘れた」

 

 身内ならともかく、他人の武勇伝など子供の頃に聞かされても眠くなるだけである。

 魔理沙の返答に弥助はわなわなと身体を震わせていたが、信綱は逆に魔理沙を擁護するようにうんうんとうなずいていた。

 

「昔の話だ。気にしないでいいと言っているんだがな」

「無茶言わないでくださいよ!? 信綱様は今だっておれの憧れなんですから!!」

「憧れ、ねえ……そういえば霊夢も爺ちゃんのことはあんま詳しくなかったな」

「昔のことなどひけらかすものでもないだろう。お前たちは人と妖怪が同じ場所で生きる幻想郷に生まれ落ちた。それで終わりだ」

 

 スペルカードルールも普及した現在、あの頃のような戦いの歴史など消した方が良いとすら思ってしまう。

 名誉のための戦いなどではなく、ただ成すべきを成しただけなのだ。

 

 信綱は今の状態に文句などないどころか、むしろ歓迎していた。

 あまり目立つのが好きな性根でもないのだ。ただひっそりと御阿礼の子に仕えていたいだけである。

 

「いいえ、おれは納得できませんね! 信綱様のしたことは広められるべきです!」

「親父がそこまで言うのもすげえな。どんなことやったんだ?」

「紅魔館からやってきた吸血鬼の退治に始め、人里で妖怪と会える場所の整備。果ては鬼退治まで――」

「――弥助」

 

 魔理沙の疑問に答えるようにまくし立てる弥助の言葉を信綱は静かに遮る。

 普段通りの声音だが、話を止める何かが含まれているそれに弥助と魔理沙は信綱の方を見た。

 

「お前は昔から決めたことに対してまっすぐ過ぎる。せめてこの場にいる当人の意思ぐらい優先しろ」

「で、ですが……」

「魔理沙。弥助の口からでは誇張が入りかねんから、俺がある程度話してやる。それで気が済んだらお前の話も聞かせてくれ」

「ああ、構わないぜ。しっかし、驚いたな。今の親父ってなんかミーハーなファンみたいだ」

「言い得て妙だな」

 

 しかも割りと本人にとって迷惑な方向である。

 自分が良いと言っているのだからそれで納得して欲しいのだが、と信綱は内心でため息をつきながら魔理沙と弥助の方を見る。

 

「まずは魔理沙の知識の確認からだ。お前はスペルカードルールが普及したのがごく最近だと言うのは知っているな?」

「当たり前だろ。んで、人里全体での妖怪との共存も比較的最近だ。二、三十年ぐらいか?」

 

 魔理沙の知識にうなずく。これならほぼ最初から話しても良いだろう。

 

「では話してやろう。吸血鬼異変は知っているか?」

「紅魔館が幻想郷にやってきた時の異変だろ? 死人が出たって習ったぜ」

「うむ。そしてそれを解決したのが当時の博麗の巫女で、俺の妻に当たる」

「だから霊夢は爺ちゃんと仲が良いのか……。あれ? 今の話だと爺ちゃんの自慢になりそうな部分がないぜ?」

「俺もその異変の解決に同行していた。あの当時のレミリアの姿を拝んだこともある」

 

 拝んだどころか彼女を切り刻んだのが自分だが、その辺りは伝えない。

 この異変の解決者は先代であり、自分はそれに同行しただけの人間。そういう取り決めだった。

 

「マジかよ。ってことはつまり……」

「スペルカードルールなし。足も速けりゃ力も強い妖怪を相手に刀一本で戦って、生き残った人ってことさ」

「へえ……」

「なんだよ、気のない返事だな」

「いや、だって普通の妖怪退治ぐらいなら私もやるしさ……。普通の人間に比べたら爺ちゃんはすごいってことか?」

「そんなところだ。もう立派な魔法使いであるお前と比べたら天と地の差だ」

「んなこたぁないですって! 信綱様はそこから人と妖怪の共存を取りまとめたじゃないですか!」

「あれも天狗が同じ道を見ていたからできたこと。俺一人の力では到底不可能だった」

 

 弥助には信綱が謙遜しているように見えるのかもしれないが、信綱にとってそれは全て真実を語っているつもりだった。

 今の自分であれば魔理沙は鎧袖一触に倒せる。だが、同じ年頃であれば不可能だと断言できる。

 

「あれ? 爺ちゃんの話に天狗って出てきたか?」

「言ってなかったか。俺は当時八代目の阿礼乙女――稗田阿弥様にお仕えしていた。阿弥様の主導で幻想郷縁起の編纂をすべく、妖怪の山に赴いたことがあったんだ。その時に天魔と知り合った」

「天魔、か……想像がつかないけど、やっぱ威厳がある感じなんだろうな……」

 

 その予想はある意味で大外れなのだが、真実を教える必要もないので黙っておく信綱だった。

 それに天魔に威厳がないわけではない。普通に想像するものとは多少毛色が違うだけであって、有事の際には全ての天狗が無条件に平伏するだけの覇気を持っている。

 

「その時に天狗の中で派閥間の内乱があったが、まあこれは省こう」

「いやいやいやいや、初耳ですよそれは!?」

「人里では大した騒ぎになっていないからな。天狗もほいほい人に話したりはしないだろう」

「その内乱はどうなったんだ?」

「今のように人間と共存すべきだという共存派と、逆に人間を支配しようという支配派。この二つが争って後者が負けた」

 

 負けたというよりは信綱が殺したというのが正確だが、これまた黙っておく。

 弥助の目がこの人は絶対巻き込まれたらタダでは起きない、という猜疑心に満ちたものになっているが気にせず話を続ける。

 

「それで人里で場所を区切っての妖怪との交流区画を整備。その後――鬼が来た」

「鬼って……」

「百鬼夜行だ。百人以上の鬼が幻想郷のあらゆる場所を蹂躙しようとやってきた」

 

 人里は言うに及ばず博麗神社に紅魔館、妖怪の山も襲われたらしい。

 博麗神社は信綱が送り込んだ火継の人間が、その身を犠牲にして博麗の巫女を人里に寄越し、紅魔館は自力で撃退。妖怪の山は地形を利用しての時間稼ぎに徹していたようだ。

 

「そこで戦う羽目になってな。生きた心地がしなかったよ」

「何言ってんですか! 人里が大騒ぎになってる中で、おれにも避難の手伝いをするよう指示してくれたり、一人で鬼に立ち向かったり……あの時の姿は絶対忘れませんよ!」

「やめてくれ。柄でもない説教をしたと思っているんだ」

「それで、戦いはどうなったんだ?」

 

 弥助から向けられる熱い尊敬の視線を鬱陶しく感じていると、横から魔理沙の好奇に満ちた瞳が向けられる。

 

「百鬼夜行の主を倒すことで終了となった。もう一度やれと言われても御免こうむる」

「……その鬼の名前って伊吹萃香って言わないか?」

「……よく知っているな」

 

 魔理沙の自慢したそうな顔と今回の異変の黒幕を知っている関係上、すぐに結びつけることができた。

 できたが、あえてとぼけることで魔理沙に気持ちよく話してもらうことにする。

 

「へへっ、その伊吹萃香。今回の異変で私たちが倒したんだぜ!」

「ほう、大したものだ」

「だろ? 親父も聞いたか? 爺ちゃんが大したものだってさ。私の活躍は幻想郷に広まってるってことさ!」

 

 魔理沙の言葉に対し弥助は反射的に反論しそうになるが、信綱が魔理沙には見えない角度で静かにするよう指を立てていたため何も言えなかった。

 何か言いたそうにしている弥助を横目に、信綱は穏やかな顔で魔理沙を激励する。

 彼女も霊夢と並んで今後の幻想郷に必要な人間だ。スペルカードルールの中では最強の一角になるぐらいはして欲しいものである。

 

「その調子で頑張ってくれ。スペルカードルールが広まれば広まるほどありがたい」

「おう! この調子でいつか霊夢も爺ちゃんも追い越してやるぜ!」

「その意気だ」

「じゃあ私は帰って魔法の練習するかな。親父も酒ばっか飲んでないで商売しろよー!」

 

 そう言って元気に走り去っていく魔理沙の小さな背中を見送り、信綱と弥助は顔を見合わせた。

 

「元気が良くて何よりだ」

「やんちゃすぎて頭を抱えてますよ。それより信綱様は良いんですか?」

「賞賛が欲しくてやったわけじゃない。それに結果だけを見れば魔理沙の行いと俺の行いに差はない」

 

 スペルカードルールを使ったかそうでないか程度の違いだけである。

 魔理沙たちは鬼に挑み、勝利した。信綱が二刀を以て彼女を下したことと何の変わりもない。

 

「魔理沙ぐらいの歳の頃は俺も剣を振るしかできなかった。成長したらどうなるか、楽しみですらある」

「……いつかあいつらが信綱様より有名になったとしても、おれは信綱様のことは忘れません。今の幻想郷の形を作ったのは間違いなくあなたです」

「……好きにすればいいさ。お前の考えを咎めるつもりはない」

 

 さて、と立ち上がる。魔理沙もいなくなった今、信綱にも霧雨商店で管を巻く理由がなくなってきた。

 

「そろそろ俺も行く。魔理沙は元気が良いが、私生活は非常に適当だ。時々見に行った方が良いぞ」

「はは、わかりました。最近来ている人形遣いの嬢ちゃんや外を出歩くのを仕事にしている人たちに話してみますよ」

「そうした方が良い。俺もいつまでも行けるわけではないからな」

「はい。……おれが生まれてからずっと、信綱様にはお世話になりっぱなしですね」

「大人は子供の世話がしたいものなんだよ。子供がいくつになっても」

 

 まして彼は親友二人の息子だ。信綱も彼の前では極力正しい大人として在ろうとしてきた。

 その姿が彼にとって良いものであったのなら、自分の見栄にも意味はあるのだと思える。

 

「信綱様の前ではずっと子供扱いですね。ですが、いつかはおれも信綱様のように、とまではいかずとも大きなことをしてみせますよ」

「無理はするなよ。ではな」

 

 そう言って信綱は立ち去っていく。おそらく次に彼と顔を合わせる時はないだろうと、薄々察しながら。

 感慨とも言い表せぬ胸の思いを一息に押し流し、信綱は再び歩き出す。

 別れを告げるべき相手はもう、残り少ない。

 

 

 

 

 

「で、異変を解決された感想はどうだ?」

「いやあ爽快爽快! 四人がかりだったとはいえ、負けは負けだ。私は満足してるよ」

「へぇ、今代の博麗はなかなかの強者か」

「んむ、才能もあるし努力も……嫌いみたいだけど、怠ってる様子はない。何よりスペルカードルールへの適応が段違いだ。これからの幻想郷では妖怪含めても最強になるだろうね」

「はっはっは! そんなに強いんならいつか戦う日も来るってものさ! いやあ、明日が楽しみってのは良い! 酒も美味くなるってもんだ!」

「肩を叩くな。砕ける」

 

 萃香、勇儀が気分良く話し、自前の酒をそれぞれ呷る様子を信綱は辟易した様子で眺めていた。

 頼みごとが彼女らにあるとはいえ、彼女らを火継の家に招いたのは間違いだったかもしれないと後悔すら覚えてしまう。

 今も馴れ馴れしく肩を組んでくる勇儀に肘鉄を入れ、距離を取っているところだった。

 いたた、と勇儀は信綱から殴られることさえもどこか嬉しそうに受け入れて、信綱が呼んだ用件を問う。

 

「んで、お前さんの頼みってのは何だい? ああ、断ったりはしないから安心しな。どんな願いであってもお前さんの頼みは聞き届けるよ。……できることとできないことはあるけどね」

「私も勇儀に同じく。負けは負けだ。それを覆す真似はしない。さすがに勇儀と同じくらいの献身は求められると困るけど」

「お前にそこまでの期待はしていない。約定を果たしてもらうのはどちらか片方だけで良い」

「ひっでぇ!?」

 

 萃香が文句を言ってくるものの、信綱は取り合わない。

 そもそも呼んだ人物がまだ全員集まっていないのだ。話を切り出すにしても同じ話を何度もするのは手間がかかる。

 

「頼みというのはあるものを預かって欲しいというだけだ。中を見れば必要な時節も自ずとわかるだろう」

「ふむ。預かるってことはいつか返すのかい?」

「それを必要とする事態が済んだらどう扱っても構わん。廃棄してもよし、手元に置くもよし」

「逆に必要な事態がある限りは持っていろと。良いよ、どこにあるんだい?」

「まだ渡すべき相手が全員集まっていない。来たら渡す」

「それまで残っている意味は?」

「特にない……と言いたいが、意図はある。だからしばし待て」

 

 そして叶うことなら酒をやめろと言いたかったが、二人の様子を見るに難しそうだった。

 

「お前さんがそこまで言うなら是非もない。萃香と酒盛りでもして待とうじゃないか」

「そうだね。人間、今回は私らが客人なんだけど、もてなしの料理とかはないのかい?」

「……はぁ」

 

 念のために用意しておいた食事が効果を発揮しそうで何よりだ、と信綱は二人に聞こえるように大きなため息を吐くのであった。

 

 

 

 すっかり酒臭くなり、換気のために開け放っていた障子の向こう側に軽やかに響く足音が信綱の耳に届いた。

 その足音の主は軽い調子を崩さないまま、障子の横から顔を出して信綱に挨拶しようとして――先客に顔をひきつらせる。

 

「げっ、萃香に勇儀の姐さん」

「んぁ、天魔じゃないか。お前さんが呼ばれてた相手か」

「立派な格好になったもんだ。私らがいなくなった後の妖怪の山はお前さんが支配していたか」

 

 鬼に対して苦手意識のある天魔は信綱を恨めしそうに見るが、彼は微かに頭を下げる以外の行動は取らなかった。

 さすがに罪悪感は抱いているのだが、この状況への助け舟は出せないという意味を天魔は正しく読み取り、常に浮かべているふてぶてしい笑みを二人の鬼に対しても浮かべた。

 

「あんたたちが人間を見限ってからはな。おかげさまで妖怪の山は平和だ」

「言うようになった。百鬼夜行の時も私に歯向かったし、だいぶ変わったね」

「群れの頭なんてやってると、誰が相手でも敵なら容赦しなくなるものなんだよ」

「くはっ! よく言った――っと、これ以上はやめておこう。人間の目が怖い」

「そうだな。にしても旦那よぉ、この状況は恨むぜ?」

「悪いとは思っている。あともう一人――は、すでにいるな」

 

 天魔の恨み節に信綱は軽く謝罪をすると、視線を別の方角に向ける。

 信綱の部屋にやってきていた三人の妖怪もそちらに視線を向けると、ゆっくりと空間に亀裂が生まれる。

 

 亀裂の端をリボンで縁取り、徐々に大きく、禍々しく開かれる無数の星と目が浮かぶ空間。

 その中に佇む一人の少女――スキマ妖怪の出現に皆は口を揃えて言った。

 

『そういうの良いから早く出てこい』

「あんたたちなんて大嫌いよ!!」

 

 常人であれば慄くであろう光景も、この場にいる面子にしてみれば見慣れたもの。

 なので演出とか面倒なのは省いて欲しいと言ったところ、スキマ妖怪である八雲紫はぷりぷりと怒って頭上に金ダライを落としてくる。当然のように全員が避けた。

 

 そうして集まった面子を見て、信綱はようやく本題に入る。

 

「さて、集まってもらった理由は簡単だ。――頼みたいことがある。受けて欲しい」

「……人里と妖怪の山、というような勢力での話じゃないってことか?」

「そうだ。これは何の背景もない俺の頼みごとであり、お前たちはただ一人の個人として考えて欲しい」

「……まずは内容を聞きましょう。答えがもう決まっている様子の妖怪もおりますけど」

 

 天魔と紫は二人の鬼を見る。

 鬼の二人は答えなど決まっているとばかりに胸を張っており、自らの答えに一片の迷いも持っていない様子が伺えた。

 自分の選んだ答えに迷いを持たないというのが、鬼の共通点なのだろうかと紫は血を吸う鬼である少女のことも考えて小さく笑う。

 

「内容は簡単だ。これから渡すものを持っていて欲しい。必要な時は中身を見ればわかる」

 

 そう言って信綱は手元に置いてあった箱から中身を取り出し、四人の前に広げる。

 

「レミリアにはすでに渡してある。あいつはお前たちのように説明が不要だったのでな」

「あの子はあなたにぞっこんですからね。中身を改めても?」

「構わん」

 

 四人がその――書物を手に取り、中身を見ていく。

 萃香と勇儀はその内容に首をひねっていたが、書物に記されている最後の言葉を見て顔が真剣なものに変わっていく。

 天魔と紫は中身を見てすぐに信綱の用意した書物の意味を理解し、驚愕に腰を浮かせて信綱の顔を見た。

 

「あなた、これ……!」

「必要になる時も理解できただろう」

「……オレたちは場合によってはこいつを隠す必要もあるんだぞ?」

 

 意味ありげな顔で信綱を見る二人の妖怪。

 その反応も尤もだと信綱は腕を組んでうなずく。この二人はおいそれと個人での決断が難しい存在だと言うのは前々から理解していた。

 二人に単純なお願いをしたところで状況次第では引き受けないだろうし、引き受けたとしても裏切るだろう。

 彼らは私人としての感情よりも公人としての全体の利益を優先する。そんなことは百も承知だ。

 

 

 

「――だからわざわざ鬼の二人を呼んでその前でお前たちに渡したんだ」

 

 

 

 そう、彼らは全体の利益を優先して約束を破りかねない。

 故に約束を破らせないようにする。約束を反故にされることを最も忌み嫌う鬼を呼びつけ、彼女らにも話を聞いてもらうことによって。

 そして鬼の二人も信綱が呼んだ意図を読み取ったのだろう。好戦的な笑みを浮かべて紫と天魔を睨んでいた。

 

「……っ!!」

「その本が必要ないと判断したら捨てても構わない。――だがこの頼みは是が非でも聞いてもらうぞ」

「ったく、タチの悪い脅迫だな……!」

「なんと言ってくれても良い。それだけ俺も本気だと言うことだ」

 

 紫と天魔は諦めたように座り直し、手元の書物を弄びながら信綱を見る。

 

「言いたいことはわかる。旦那にはそりゃあ思うところもあるだろうさ。こいつにそれを全て込めた。そう見ても良いんだろう?」

「ああ。俺の生きた証。俺が歩んできた道の集大成だ」

「…………」

 

 天魔はあぐらをかいた膝の上に頬杖をついて、片手で書物を眺める。

 しばらく何も言わずに眺めていたと思うと、不意に信綱の方を見た。

 

「――わかった。オレは引き受ける」

「ちょっと、天魔!?」

「そもそもオレらに他の選択肢はねえよ、スキマ。確かにこいつが使われた場合の影響はオレにも読めん。良い方向に向かうかもしれないし、悪い方向に行くかもしれん。……だが、それを理由に拒否はさせてくれないだろう?」

 

 最後の言葉は信綱に向けたものだったため、鷹揚にうなずく。

 これは頼みごとであり、同時に脅迫でもあるのだ。使うも捨てるも彼女らに委ねてはいるが、この場での拒否は絶対に許さない。

 

「第一、鬼を味方につけた旦那の言うことは断れねえ。もしもオレたちが我が身と部下可愛さに旦那を裏切ったりしたら、その時が幻想郷の終わりだ。ちっこい吸血鬼含め、鬼が一斉に反乱を起こしてな」

 

 この場にレミリアを連れてこなかった理由にも納得がいく。

 紫と天魔が彼女を説得するのを恐れたのだ。

 ほぼ万に一つの可能性ではあるが、紅魔館という一つの勢力の長でもある彼女なら信綱の行いに賛同しなくなる可能性があった。

 最後まで振り回されてばかりだな、と天魔は困ったように笑って信綱を――人間の友人を真っ直ぐ見る。

 

「…………」

「それに、まあ……旦那が全てを賭けることをオレも信じたい。オレは幻想郷の共存を旦那に賭けて、旦那は見事に勝った。次も勝ち馬に乗りたいってもんさ」

「……感謝する」

 

 信綱は言葉少なに天魔に感謝を示し、紫の方を見る。

 天魔と話している間に彼女も思考を終えたのか、真意を問う目で信綱を見返した。

 

「考えてみれば当然でしたわ。あなたがこれに関心を示さないはずがないもの」

「…………」

「上手くいくのなら私にとっても十二分に喜ばしい。……でも、私は失敗してしまった場合のことも考えなければならない」

 

 たとえあなたの思いを踏みにじることになったとしても、と言い切る紫の目には絶対に譲らない意思が込められていた。

 強く輝くそれは、紛れもなく幻想郷の賢者である彼女のみが持ち得る光。理想を掲げて千年以上の時を歩み続けた者にしか許されないものだ。

 だが、同時に彼女の瞳には迷いがあった。その時が来たら迷うことなく信綱の願いを切り捨てると選択した上で、その時が来ないで欲しいと心から願っていた。

 

「……でも、私だってなんとかしたかった。だから見極める時間を頂戴」

「ダメだと判断したら?」

「次に託す。あなたがここまで手を尽くしたものを一代限りで終わらせるのはあまりにも無為」

「……可能と判断したら」

「死力を尽くすわ。幻想郷の賢者として、あなたの友人である八雲紫として、あなたの願いのために命を懸ける」

 

 この迷いが晴れた時、彼女はレミリアにも匹敵する意思を持って信綱の力になろうとすることが信綱には理解できた。

 そしてもしも失敗に終わったとしても、彼女が無意味に終わらせない。信頼できる誰かに次が託される。

 予想以上の譲歩が引き出せたことに信綱は内心で驚きつつ、口を開いた。

 

「わかった。お前が納得するならそれで良い。受け取ってはもらえるんだな?」

「ええ。一字一句漏らさず覚えるわ」

「そうか」

 

 信綱は立ち上がると、この場に集まった者たちを見回す。

 鬼の二人は信綱の願いに何の思索もなく従うつもりであり、またそんな己を誇りに思っていることがわかるほどに表情が輝いている。

 天魔は仕方がないと言わんばかりに肩をすくめるが、浮かべる笑みは親しい友人に向けるそれ。

 紫は彼が自分に託した書物を大切そうに胸に掻き抱き、何かを堪えるような顔で信綱を見ていた。

 

 鬼の二人に牽制といざという時の暴れ役を任せた、脅迫という言葉以外に当てはまるものがない頼みごとであるというのに、恨まれる様子がないのが不思議なものである。

 

「もう内容は把握しているだろうが、最後の決断をお前たちに任せるつもりはない。

 ――俺はいつだってあの方のために生きてきた。だから全てはあの方に委ねる」

 

 責任の放棄と言われるかもしれないが、従者として主の道を決めるような真似はできない。

 信綱にできることは彼女がそれを願った時のためにあらゆる準備をしておくこと。

 だからこそ不要と判断したら捨てても構わないと言ったのだ。彼女らが望まないのであれば、信綱が己の全てを懸けて作成したものなど、塵芥にも劣る。

 

 そこまで言い切り、信綱は一つ大きく息を吐く。

 

 ずいぶんと回り道をした気もするし、あるいは最短で突っ走ってきたような気もする。

 だが、これで最後だ。事実上、信綱が阿礼狂いとして果たせる物事はこれで終わりとなる。

 妖怪に後を託すことになるとは自分の人生もわからないものだ、と微かに胸の奥で自嘲しながら、信綱は頭を下げた。

 

 

 

 

 

「――あの方がそれを望む時が来たら。お前たちがあの方の味方になってくれることを願う」

 

 

 

 

 

 返答はなく、否定もない。

 彼女らは皆それぞれが違う意思を胸に抱いて、それらを言語化することなく信綱の顔を見つめ続けるのであった。




伏線、というにはわかりやすすぎるものですが、そんな感じのものです。
ノッブに隠す気はあったの? と言われたらあんまありませんけど。



――残り二話です。あまり多くは語りません。

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