阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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半獣と半妖の未来

「かくしてお前は鬼退治の英雄となり、人妖の共存を盤石にした。めでたしめでたし、か」

「そこで話が終わってくれればどれだけ楽か」

「とかく世の中はままならないということだな。ははは」

 

 朗らかに笑い、休憩にしようと慧音が取材に使う眼鏡を外す。

 信綱もそれに従って身体を楽にして、手元の茶をすする。

 

 彼女の要請に従って始まった、幻想郷の英雄に至った人間――火継信綱の歴史を綴るという事業はある意味で予想通りに、またある意味で予想以上に難航していた。

 基本的に起こった事象のみを記すのが歴史であり、そこで彼が何を思っていたのか、どんな理由で行動を起こしたのか、などといった心情面は考慮する必要が薄い。

 しかしただ事実を羅列していくだけでも、彼と妖怪とのつながりは慧音の想像を絶するほどに多かった。

 

「幼少の頃は天狗や妖猫といった妖怪の山の妖怪。吸血鬼異変を境に幻想郷各地の妖怪。果ては地底に隠れた鬼とすら交流を結ぶか。私は一周回ってお前が心配になってきたぞ」

「その心配はもう三十年くらい早いと嬉しかったです」

 

 今から心配されてもどうしようもない。というか七十八の老人の未来を心配されても困る。

 ぼちぼち自分の死期はわかってきている。信綱は慧音の冗談に軽く笑って受け流す。

 

「ははは、あの時はお前も大活躍だったからな。私もお前を頼りにしていた」

「別に今でも頼ってくれて構いませんよ。先生のお願いを無下にはできません」

「そう言ってくれて嬉しいが、お前は一線を退いた身だ。こうして私の作業に時間を割いてくれているだけでもありがたいし、先生が生徒を心配するのは当然だ」

「もう生徒と呼ばれるような年齢ではありませんよ」

「なに、私が勝手にそう思っているだけだ。お前はもう私などより遥かに立派でたくましい」

 

 慧音は優しげに目を細めて信綱を見る。

 そういった無垢な信頼は信綱にとって居心地の良いものではなく、彼は慧音から視線を外し気味に茶を飲む。

 

「……そういえば。最近は吸血鬼の妹の勉強を見ているようですが、そちらはどうですか?」

「話題を変えたか、照れ屋なのは昔と変わらんな」

「どうですか」

 

 信綱が話題を戻す気はないとわかると、慧音は困ったように微笑んで信綱の話に乗っかってきた。

 

「聡明な子だよ。知識もあり、知恵もある。やや思考が狭いように見受けられる時もあるが、考え方というのも周りから教わる知識だ。自分一人では得られない見方や知見を会得すれば、彼女の自信にもつながるだろう」

「……あの子の事情はどの辺りまで?」

「特に何も。紅魔館の吸血鬼の妹である以上、相応の事情があるとは思っているがね。あの子や迎えに来るメイドが話そうとしない限り、聞かないのが筋だろう」

「…………」

「それにあの子は楽しそうに勉強している。あの顔を私の都合で曇らせたくない。言うにせよ言わないにせよ、彼女が勉強を望んで人里に害をもたらさない限り、私はあの子の味方だ」

「……彼女が先生の教えを受けられて良かった、と心から思います」

「褒めても何も出ないぞ?」

 

 くすぐったそうに笑う彼女の姿に、気負ったところは何もない。

 きっと本心で、いつも思っていることを口にしただけなのだろう。それは彼女にとって当たり前のことであり、ひょっとしたら言葉に出す必要すら感じていないことかもしれない。

 そんな風に考えられる彼女だからこそ、信綱は慧音に心からの尊敬を向けることができるのだ。

 

 自分が人里で対外的に作っている人格の一部は、慧音を参考にしている。

 生真面目で慈悲深く、やや堅物なきらいはあれど優しく暖かく、誰であろうと見捨てることは決してしない。

 彼女の行動や言葉を真似ることは、それだけで真人間に近い行動になると幼い信綱は無意識に理解していたのだろう。

 

「最近では妖怪も勉強したいと言う輩がいてな。さすがに人間と同じ教室での勉強は万一が怖いから、青空教室でも開こうかと考えている。夜行性の妖怪もいるだろうから、夜の部なんかも作ったりしてな」

「先生に休む暇がないではありませんか」

「今が楽しいのさ。それにさすがに一人でやるつもりはない。天狗の方でも知見の深いのが探せばいるはずだし、そういった者たちと話しながら進めていく」

 

 今が楽しい。そう言った慧音の姿を見て、今度は信綱が感慨深そうに目を細める。

 

「む、どうした。そんな嬉しそうな顔をして」

「……いえ。勘助と伽耶の婚姻が決まった時の話を思い出しまして」

 

 あの時、彼女は確かに妖怪に対する怒りを浮かべた。

 理不尽に晒され続け、抗う権利すら得られず、弱くて数が少ないという理由だけで搾取され続けた時代を知る者として。

 そんな彼女が今は妖怪と迎える明日を笑って話している。その事実が信綱には無性に嬉しかった。

 

 慧音も覚えていたのだろう。照れ臭そうに笑って頬をかいた。

 

「あはは……あの時の感情に嘘はないが、覚えていたとは恥ずかしいな」

「覚えますよ。いつも公明正大な先生が吐き出した私情でしたから」

「私情は結構素直に出している方だぞ? 元々誰かを叱るのはできても、自分のために怒るのは苦手なんだ」

「だったらそんなあなたでも怒るほどのものが溜まっていたということでしょう」

「やめてくれ。自分では不甲斐ないと思っていたんだ」

「ですが、あの時の言葉がなければ私は人と妖怪の関係について考えることはしませんでした」

 

 そして椛の願いを受けて信綱は人里の英雄としての役割を、妖怪との関係を共存に向けるものだと定義付けた。

 その英雄としての役目はすでに果たし終え、今は皆がそれぞれの形で共存をより具体的なものに昇華している。

 

「先生には本当に感謝しています。あなたがいなければきっと自分はここにいなかった」

「よせよせ。お前を導いたなんて言えるほど大それたことはしていない。誰に対しても等しく、私は教育を施しただけだ。何かを得られたのなら、それはお前自身の掴んだものだ」

 

 それでも、と信綱は言葉を重ねようとするが、慧音が本当に恥ずかしがっている様子から黙っておくことを決める。

 きっと彼女はこれからも変わらず寺子屋の教師をやって、居眠りする生徒には頭突きを贈り、時に厳しく、時に優しく、幻想郷の住民を見守っていくのだ。

 信綱が彼女への尊敬を込めて視線を細めていると、慧音は暑そうに手で自分の顔を扇ぎながら、話題を元に戻す。

 

「わ、私のことは良いだろう! そんなに褒めちぎられると恥ずかしくてどうかしてしまう! もう休憩は良いだろう、話を戻すぞ!」

「わかりました」

 

 慧音の強引な話題の変更に信綱は素直にうなずく。これ以上は彼女も本気で嫌がるだろう。

 

「では取材を続けよう。今日はお前がとことん付き合ってくれると言うからな。徹底的にやるぞ」

「ええ、こちらもそのつもりで参りました。鬼退治を終えた辺りまで話しましたか」

「そうだな。さあ、次はどんな話が出て来る。もうお前に関する話は何が来ても驚かん」

 

 そこまで荒唐無稽な人生を送っていただろうか、と己の人生を省みてしまう信綱だった。

 但し、結果は慧音が身構えるのも無理はないとわかってしまうような人生を送っているという、無慈悲なものだったが。

 半生を振り返り、言いたくないものと言って良いもの。後世に残すべきだと思うものを頭の中で分けていく。

 

「では次に話すべきはスペルカードルールの制定ですね。あれはかなり時間がかかった」

「弾幕ごっこか。八雲紫が配布した以上、彼女が主体になっていることは予想できるが……」

「それは間違っておりません。私やレミリア、天魔らを招集したのは彼女です」

「ほう。彼女が幻想郷の実情を最も憂いていたというわけか。さすが幻想郷の賢者と言うべきかな」

「……いずれにせよ、どこかで考えなければ行き着く先は袋小路でしたから」

 

 実のところ、誰も声をあげていなければ信綱が行っていたかもしれないことでもある。

 人間と妖怪の争いに命が懸からないものを。得るものなど何もなく、他者が泣くばかりの結末しかない関係に終わりを。

 

「…………」

「信綱?」

 

 なぜ、どうして、と。彼女と自分の共通の友人である彼女の慟哭は二度も見たいものではなかった。

 あるいは、彼女も殺していれば自分は今のような懊悩を抱かずに済んだのかもしれない。

 そもそもこのような御阿礼の子以外の些事に心煩わせている時点で、阿礼狂いとしては失格かもしれないが。

 

「私も必要であるとは常々思っておりました。あの時は私が剣を振るえば良かったですが、それは永遠にできることではない。私が死んだら人間の立ち位置は再び低くなりかねない」

「否定はできんな。お前は飛び抜けて優秀で――優秀過ぎた。お前一人で人里の評価のみならず幻想郷すらひっくり返したのは紛れもない偉業だが、お前に匹敵できる輩は妖怪にもほとんどいない」

「そうですね。だからこそ、後に続く道が欲しかった」

 

 人妖が関わりやすい土台を作ることはできた。

 関わりやすいということは諍いも起きやすいということ。そうなると、旧態依然の殺し合いでは人間が不利に過ぎる。

 故に双方が同じ土台に立てるもの――要するに両方が初めて扱うものを作りたかったのだ。

 弾幕ごっこの歴史は非常に浅く、人も妖怪も差がない。どちらも同じ時間を費やし、同じ条件で限りなく対等に戦うことのできるものになっている。

 

 無論、この点で言えば将来的には妖怪側に差ができるようになるが――そこは、未来の人妖がどうにかしてくれると信じよう。そこまで先の話は信綱にも見透かせない。

 

「いずれスペルカードルールは誰にでも扱えるように形を変えていくでしょう。より簡易に、より安全に、より楽しく遊べるものに。慧音先生はその辺りの歴史も綴るのですか?」

「当然だ。私も歴史という潮流の中に生きるものとして、より良い明日を願いながら過去の道程を綴っていく。それが半獣として生きる私の役目であると考えている」

 

 そう言うと、慧音は眩しそうに目を細めて信綱を見る。

 阿礼狂いの一族に生まれ、異例の速度で側仕えに就任し、阿七に子供扱いされることに不満そうにも嬉しそうにも見える顔だった少年がここまで来た。

 ここまで走ってきて――ここが彼の終着点だ。慧音はその事実を噛みしめ、それをおくびにも出さず明るい声を出す。

 

「……だからこそ! お前の行いはしっかり書物に残すべきなんだ。さあ、今日は夜を徹して取材するぞ!」

「いえ、阿求様の側仕えがあるので限度はあります」

「本当に変わらんなお前は!?」

 

 そしてそんな変わらない姿に、慧音は僅かな違和感を覚えた。

 阿求の側仕えを何よりも優先するのなら、この時間すらさっさと切り上げて帰ろうとするだろう。

 しかし、今の信綱は面倒そうな様子ではあるものの、慧音の話には付き合う姿勢を見せている。

 その様子が、慧音にはまるで憂いなく死を迎えるための準備に見えてならなかった。

 

 それらを伝えることはしない。言ったところで彼の命数が残り僅かなのは変わらず、彼は最期までその在り様を貫き続けるだろう。

 ならばできることはこの短い時間を有意義に使うことだけ。そしていつも通りに振る舞い、話ができるこの瞬間を慈しもう。

 何も特別なことではない。――慧音が人と接する時は常に心がけていることだ。

 

 この日は慧音の宣言通り本当に日が暮れるまで取材は続き、信綱は新たな歴史を綴ろうと子供のように目を輝かせる慧音に付き合い続けるのであった。

 

 尤も、当然とも言うべきかそうして作られた歴史書は極めて難解な言い回しの上、語られる内容が内容のため、彼の人となりを記した幻想郷縁起と比較すると実に知名度の低いものになるのだが――信綱には関係のないことである。

 

 

 

 

 

 香霖堂は基本的に――というか全体的に店主が趣味でやっている店である。

 品揃えは彼の好み。営業時間も彼の好み。当然、休みだって彼の好きに設定される。

 商売をナメているのかと言わんばかりの行動ではあるが、類は友を呼ぶと言うべきかそんな彼の店に集まる連中は揃いも揃って彼の事情などお構いなしにやってくるものばかりとなった。

 店主である森近霖之助は日々増えていくため息をつきながら、今日も今日とて博麗の巫女が押し付けてきた服の修繕や、面白そうな品物を持っていこうとする魔理沙をたしなめる日々を送っているのであった。

 

「だから僕にも少しぐらい役得があってもいいと思うんだ」

「そんな自由に生きられている時点で十二分に役得だろう」

 

 場所は香霖堂の居住区。店の奥にある寝食をする場所で霖之助は信綱と向かい合って酒を飲んでいた。

 性格そのものは物静かで知的な霖之助は、あまり騒がしいところでの酒宴よりもこうして気心の知れた相手と向き合って飲む酒の方を好んでいる。

 そうして彼は自分に商人の道を示してくれた恩人であり、友人である人間の英雄を招いて酒を飲んでいるところであった。

 

「しかし珍しいこともあるものだ。まさかあなたが酒肴まで持って僕のところに来るとは」

「魔理沙への差し入れのつもりだった。尋ねてみたらいなかった」

「少し前に霊夢が彼女を引きずっていたね。紅魔館のメイドも一緒だったと記憶している」

「ふむ」

「相当慌てていた、というよりは鬼気迫っていたかな? まるで異変解決をしているみたいだった」

 

 ほう、と信綱は感心の声を上げる。

 意外と気づくのが早かった。信綱の予想ではもう五日ほどは気づかず宴会を続けると思っていた。

 

「最初に気づいたのは霊夢だったのか」

「あの様子だとそうなるのかな。にしてもその口ぶり、あなたはすでに知っていたようだけど」

「昔取った杵柄というやつだ」

「へえ、差し支えなければ教えてもらっても良いかな?」

「構わん。かつて地底に隠れた鬼の首魁が一人、伊吹萃香が此度の異変の黒幕だ」

「人里での修行時代に聞いた覚えがあるね。あなたが倒した鬼だったか」

「あれは祭り好きなのだろうさ」

 

 鬼の決闘は多くの人間が見ている前で行うべきだと考えているに違いない。

 でなければ百鬼夜行の時に人里の人間を萃めるなんて所業、行うはずがなかった。

 結果としてそれは信綱の逆鱗に触れてしまい、あわや大惨事になりかけたのだがそこは彼女の責任である。

 

「俺はとうに一線を退いた爺だ。度を越さない限り動くつもりはない」

「もう時代は霊夢たちのものか」

「そういうことだ。気楽で喜ばしい」

「どうかな。あなたの顔は霊夢たちが心配で仕方がないという顔だけど」

「あまり俺を善人扱いするな。そこまで節介を焼くつもりはない」

 

 霊夢を鍛えたのは自分なのだ。彼女の力量は一番良く知っていた。

 弾幕ごっこなら彼女より上手いものを信綱は知らない。本物の殺し合いならわからないが、スペルカードルールの範疇でなら間違いなく最強の一角だろう。

 

「お前こそ魔理沙が心配ではないのか。弥助から頼まれているだろう」

「魔理沙はこれまで二度、異変の解決に赴いている。もう僕なんかより強いだろうし、状況の把握もできるはずだよ。負けん気も強いけど、無理なものは無理と見極める判断力も備えているさ」

「やけに持ち上げるな」

「親父さん譲りだよ、あの目利きは。ここで何度も良い商品を持って行かれた僕が言うんだから間違いない」

 

 そして霊夢にも隠しておいた良品ばかり持って行かれる、と霖之助は朗らかに笑いながら大損害の話をする。

 その話を聞いて、信綱は逆に渋面を作った。

 

「あの二人は……どこで遠慮というものを忘れたのか。好き勝手して人の信頼を失うと面倒だと言っているのに」

「本当に不味い人にはやらないと思うよ。あれは相手が僕だからこそできることさ」

「それで良いのかお前は……」

「まあ、ちょっと残念だけどあの二人なら仕方がないと思えるようなものばかりだよ」

 

 お人好しというか、ちょっと二人に甘すぎるのではないかと思う信綱。

 自分だったら罠でも仕掛けて捕まったところに、生まれてきたことを後悔するぐらいの罰を与えるところである。

 ちゃんと正面から言ってきたのであれば一考するが、勝手に持っていくのであれば容赦はしない。

 

「それに魔理沙や霊夢からは何かと気にかけてもらっている。魔理沙は無縁塚から道具を持ってきてくれることもあるし、霊夢は妖怪除けの御札とかを持ってくることもある」

「等価交換になっているのか?」

「妹分に頼られる兄貴分という役割ができる僕の役得含めて、サービス価格だね」

「……わかった、もういい」

 

 本人が不満に思っていないのだから問題ないのだろう。きっと。

 信綱は大きなため息をついて、手元の酒を呷る。

 芳しい吟醸香が鼻に抜け、喉を焼く酒精が胃に流し込まれる。

 味としてみれば上質。酒としては酔えない信綱には評価ができないが、霖之助の顔を見れば良い反応であることがわかった。

 

「あなたが持ってきてくれる酒は良いものばかりで嬉しいよ。安酒を大量に飲むより、良い酒を少しずつ飲むのが好きなんだ」

「俺の周りには飲めればなんでも良いという連中ばかりだった」

「はは、あなたの奥さんもそう言えば大酒飲みだったか」

「鬼と競い合うほどのな。しょっちゅう晩酌に付き合わされた」

 

 酔わない体質であることに感謝したのは良い思い出である。

 おかげで彼女に付き合わされてもケロッとした顔でいることができた。

 

「お前はどうなんだ。酒は」

「僕? 修行時代に親方と一緒に挨拶回りをした時とかにはよく飲まされたよ。僕はほろ酔いぐらいが好きなんだけどね」

「弥助は酒が好きだったな。あいつの父親も酒はよく飲んでいた」

「一緒に飲んだことが?」

「霧雨商店の大黒柱になる前から何度もな」

 

 霖之助と話をしていると、必然的に共通の話題である霧雨商店の話になることが多い。

 かつての友人を想うことができるこの時間を信綱は好んでいた。

 

「親方はあなたのことを大恩のある人だと言っていたけれど、大旦那様にも似たようなことを?」

「相談に乗ったことは何度もある。というか、弥助が生まれる原因の何割かは手伝っているぞ」

「……? どういう意味で?」

「おしどり夫婦として有名だったがな。あの二人がくっつくまで色々あったんだよ」

「そこにあなたが関わっていると。面倒見が良いのは昔からなんだね」

「相談に乗るだけなら誰でもできる」

「解決策を提示するのは難しいことだよ。僕に霧雨商店を教えてくれたように、あなたにはそれができていると思うけど」

「お前のことが信じられなかった。だからこちらで主導権を握りたかっただけだ」

 

 得体の知れない相手とは関わらないか、あるいはこちらで制御できるようにしてしまうことが肝要である。

 手綱さえ握ってしまえば、後はどうとでもできる。

 

「ふふ、だけど修行時代は楽しかったよ。多くの人妖が訪れる様を見て、幻想郷も本当に変わったのだと実感した」

「昔からここにいたのか?」

「あなたが生まれるより前からね。とはいえ、昔は人の来ない場所を選んで居を構えていたから、あなたが気づかないのも無理はない」

「ふむ……」

 

 霖之助が何を思って人と関わりを持ち始めたのかは彼にしかわからないが、少なくとも人里にとって悪い方向に作用しているわけではない。

 ……あまり良い方向に作用しているとも言い難く、毒にも薬にもならないと言うのが正確だが、霖之助に不満はないようなので何も言わないことにする。

 そうして話が途切れると、霖之助はゆっくりと信綱が持ってきた酒肴を口に運ぶ。

 味噌の濃い塩辛さと新鮮なイワナのコリコリとした歯ごたえ。それに香り付けと思われるゆずの香りが霖之助を楽しませる。

 

「……おお、美味い。酒が進む味だ」

「そうなるように作った」

 

 先代もしょっちゅう信綱を顎で使って作らせたものである。途中で面倒くさくなって手を抜いたことも何度かあるが。

 実に美味そうに酒と酒肴を食べる霖之助だったが、不意に真面目な顔になって信綱の方を見る。

 

「……時に、魔理沙はどうなんだい?」

「どう、とは」

「僕は戦う人間じゃない。魔理沙みたいな弾幕は撃てないし、魔法だって門外漢だ」

「そんなもの俺も同じだ。魔法は魔理沙の方が遥かに詳しいだろう」

 

 そして魔理沙以上に詳しいと思われるのが紅魔館の魔女と、アリスである。

 紅魔館の魔女であるパチュリーに聞くのは信綱の感情が拒否する。阿弥を害した彼女に頭を下げるのはよほどの利益が見込めない限り死んでも嫌だ。

 

「言い方が悪かったね。僕が言いたいのは、彼女はこの幻想郷で妖怪たちとやり合っていけるかどうか、ということだ」

「……これは俺の私見であり、これから話すことの一切を彼女に伝えないことが条件だ」

「約束しよう。どのみちあなたにも僕にも、あの子の人生を決める権利なんてないのだから」

 

 弥助も誘えば良かったな、と信綱は内心で思いながらも言葉を選んで口を開く。

 

「――向いていると思う。ひょっとしたら俺以上に」

「その心は?」

「これからの幻想郷で必要なのは武力でも知略でもなく、スペルカードルールにおける力だ。この遊びに長けていればいるほど、彼女の価値は高まっていく」

「最初期からやっている彼女は大きな価値があると?」

「もうある程度の妖怪には名を知られている。俺があの子ぐらいの歳の時は烏天狗一人倒せず、無名のままだった」

 

 弾幕ごっこの土俵であれば、魔理沙は普通の烏天狗程度なら相手にならないだろう。それだけ弾幕には上手くなっていると見ていた。

 烏天狗を相手に勝利が得られる。その時点で当時の信綱より先に進んでいると言っても過言ではない。

 

「通常の妖怪退治も問題なくこなしている。これはお前が贈った八卦炉の力もあると思うが」

「活用されているようで何よりだよ。それにしても絶賛するね。もう少し厳しい意見が出ると思っていた」

「能力に色眼鏡はかけない。スペルカードルールに強いというのは、それだけで重要な意味を持つ」

 

 むしろそうなるように仕向けたのだが。これで弾幕ごっこで負けても殺し合いなら負けない、とかになったらまた妖怪が優位の世界に逆戻りである。

 魔理沙はそんな信綱の意図に真っ先に順応した存在と言えた。

 

「へえ、すごいな。僕にはまだ年頃の娘のやんちゃにしか見えていなかったけど、もうあの子はそこまで力を付けていたのか」

「霊夢を追いかけて、という話だったがな。霊夢にはまだ届かずとも、十二分に強くなっている」

「霊夢はそこまで強いのかい?」

「幼少の頃を考えるとな……」

 

 魔理沙の努力は信綱でも手放しに賞賛するくらいだ。

 幼少の頃から信綱が全力で稽古を施していた霊夢と違い、魔理沙が修行を始めたのは比較的最近である。

 それでもう人間の中では霊夢に匹敵するほどに弾幕ごっこの力量を身につけたのだから大したものとしか言いようがない。

 

「まあそれはそれとして自炊はしっかりしてほしいが」

 

 彼女が将来どうなるのかはわからないけれど、できることが多くて困ることはない。

 花嫁修業、と大上段に構える必要こそなくても最低限の自炊はできるようになって欲しい信綱だった。

 

「あはははは……最近はアリスにたかっているとか聞いたな」

「やっぱりか。今度また抜き打ちで部屋を見に行く必要が出てきた。全く、老骨を安心させようとは思わないのか」

「皆あなたに甘えているのさ。一人でいると、自分をちゃんと見てくれる誰かが嬉しいものだよ」

「そんなものか」

 

 一人暮らしというのをしたことがない信綱にはわからない感覚だ。

 そもそも阿礼狂いである彼に、孤独なんてまともなものを感じる機能が付いているかも疑問である。

 

「そんなものだよ。……っと、酒がなくなりそうだ。まだあったはずだから、用意してこよう」

「いや、良い。俺はそろそろ戻る」

「そうかい? 確かにもう夜も遅いか。あなたが襲われることはないだろうけど、気をつけて」

「ああ」

 

 そう言って信綱は立ち上がり、香霖堂の出口に向かっていく。

 去り際、そんな彼の背中に霖之助の落ち着いた声が届いた。

 

「――毎度あり。あなたはこの店を開いて良かったと思えるお客さんだ」

「……何もめぼしいものは買わなかったがな」

「あなたは時間を売って、僕は友人との楽しい時間を買った。十分に商売は成立している」

「本当に口の減らない男だ」

「それが僕だからね。そうだ、どうせなら薀蓄の一つでも聞いて行って――」

「じゃあな」

 

 さっさと出ていった信綱の後ろ姿に苦笑して、霖之助は友人の背中を見送るのであった。

 

 

 

 

 

「……やっと来たかい」

「ええ、来たわよ。――あんたがこの異変の元凶ね!」

「――そうさ、その通り! この伊吹萃香様がお前達を萃めて宴会を起こし続けた黒幕さ!」

「やっと見つけた……! 人の家でさんざん宴会を開いてくれた落とし前、つけてもらうわよ!」

「ふふん、意外と早かったじゃないか。もうちょっとかかると思ってたんだけどね」

「お生憎様。博麗の巫女ナメんな!」

 

 ようやく異変の元凶にたどり着き、鼻息荒く中指を立てる霊夢に萃香は獰猛な笑みを浮かべた。

 

「うむ、さすがさすが。私の予想を越えた時点でもうお前さんは面白いよ。それに――その三人は一体?」

「異変について聞いて回ってる時に暇そうだったから引きずってきた」

「引きずられた一号だ。霊夢が異変だとか騒ぎ立てた時は何事かと思ったけど、まさか後ろに鬼がいたとはな。こりゃ面白くなってきたぜ……!」

「引きずられた二号です。概ね魔理沙と同じ感想だけど、鬼はお嬢様一人で十分だと常々思っておりましたから――あなたを倒してお嬢様にお届けしましょう」

「引きずられた三号……いやまあ、斬ればわかると斬りかかって負けた以上付き合うけど」

「……また面白い連中を揃えたもんだ」

「敵は増やすな、味方を増やせ! 四人でかかれば鬼だって余裕よ!」

 

 霊夢の後ろにいる魔理沙、咲夜、妖夢の計四人を見て、萃香は堪えきれないとばかりに嗤う。

 

「ハッ――ハハハハハハハハハッ!! 随分と侮られたものだな! 私を倒すのにたった四人?」

 

 萃香が手を一振りすると、彼女と同じ見た目、同じ気配の少女が新たに三人作り出される。

 疎と密を操る程度の能力。いつかの百鬼夜行と同じく、彼女は自分の力を分割して分身を作り上げたのだ。

 それに目を見開く霊夢たちに、萃香は侮られた妖怪としての怒りと鬼の矜持をその目に宿し、堂々と胸を張り宣戦布告をした。

 

 

 

「百鬼夜行の災害を前にその言葉を吐いた後悔、その身に刻んでやろうじゃないか!!」

「上等!! あんたをぶっ飛ばしてこの異変はおしまいよ!!」

 

 

 




リアルの方でドタバタしてしまい、少し遅くなりました。次はもう少し早く投稿できると思います。

慧音先生は模範的な大人というか、この人を見習ってれば真人間になるような人物をイメージしています。
こーりんは適当な趣味人だけど、身内のことはちゃんと考えているてきとーな兄貴分。適当とてきとーのニュアンスの違いは心で感じてください(無茶ぶり)

そして霊夢たちの場面はなんか良いところで終わってますが、ノッブが感知するところではないので次回には異変が解決しています。長く苦しい戦いだった……。

次回からは一気に巻に入ります。ノッブが残した課題を一気に終わらせて、椛と橙とのお別れも済ませる……済ませ……られたら良いなあ(願望)

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