阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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花の妖怪の矜持

「やってられっかチクショー!!」

 

 霊夢はもはややけっぱちになったとしか思えない勢いで、手元にある酒をラッパ飲みする。

 すでに顔は林檎のごとく赤く、明日が辛くなることは誰の目にも明らかだが、同時に止められない気迫があった。

 

「霊夢のやつ、荒れてんな……」

「仕方ないわ。ここ十日で三回も宴会があって、その片付けは全部自分でやってるんですから」

 

 魔理沙と咲夜はそんな霊夢の様子を見てそっと耳打ちを交わす。

 最初は咲夜が片付けを手伝ったものの、二度目はなかったので泣く泣く一人で片付けたのだ。

 そして一息つけたと思ったらまた次の宴会。それが終わったらまた次の宴会。やけ酒の一つも飲みたくなるものである。

 

「大体ねえ! 毎回毎回ウチの神社使うんじゃないわよ! だんだん人の数も減ってつまみも減ってくるし、ここは妖怪のたまり場じゃないっての!!」

「そりゃそうだ。このままだと妖怪神社って呼ばれちまうかもな」

「むがーっ! ちょっと魔理沙、あのへんの妖怪にマスタースパークぶち込んできなさいよ!」

「私も命は惜しいんでな。遠慮させてもらうぜ」

「うぅ、咲夜ぁ……」

「はいはい、よしよし」

 

 酔っ払って感情の制御が上手くできていないのか、甘えた声を出して霊夢は咲夜の胸に顔を埋める。

 仕方ないなと微笑み、咲夜は可愛らしい妹のような友人の頭を撫でてあげる。

 そうしてしばらくすると、少し酒が抜けたのか霊夢は恥ずかしそうに咲夜から距離を取った。

 

「……んんっ、ちょっと甘えすぎたわね」

「気にしないでいいわよ。甘えてくる霊夢も可愛いし」

「恥ずかしいから忘れろ!」

「照れ隠しに酒を飲むのはやめた方が良いと思うぜ。さすがに悪循環だ」

「うっさい、私は良いのよ!」

「良くないに決まっとるわ戯け」

「いだっ!?」

 

 追加の酒を飲もうとした霊夢を止める魔理沙だが、霊夢は聞く耳を持たない。

 しかし、そんな彼女の頭上からゴツンと拳が降ってきたため、物理的に彼女の動きが止まる。

 

「いったー……。ちょっと、いきなり叩くなんてどこの誰――」

「俺の声も忘れるほど酔っ払ったか」

「げっ、爺さん!?」

「お、爺ちゃん。やっほー」

「……旦那様、先日ぶりです」

 

 霊夢を呆れた目で見下ろしていたのは彼女の師匠役であり父親役である、信綱だった。

 片手に大きい包を持ち、腰に護身用の刀を一振り下げて、博麗神社を訪れていた。

 

「ちょ、ちょっと爺さん、どうしたのよこんな妖怪ばっかりの場所に来て」

 

 霊夢は自分が酔っ払っていることも忘れ、慌てて立ち上がって信綱の持つ包を受け取る。

 それは彼の持つ荷物が気になったということもあるはずだが、魔理沙と咲夜には親を心配する孝行娘のような仕草に見えた。

 

「連日、宴会が続いていると里の連中から聞いてな。差し入れだ」

「わ、やった! 爺さん、ありがと!」

「これぐらいは構わん。だが、お前ぐらいの年頃で暴飲はいただけん。まだまだ育ち盛りなのだから日々きちんとしたものをだな……」

「良いって良いって。こんな宴会の時に小言なんて聞きたくないわ」

 

 さっきまでは宴会が続くことにうんざりしていたのに、霊夢は都合よく宴会を持ち出して信綱の小言を遮る。

 信綱もこの場で言うのが無粋であると思ったのか、それ以上は何も言わずに下がった。

 

「お前たちも宴会に?」

「おう。霊夢が苦労してるのを見物しにな」

「いつも通り、お嬢様のお世話です。……先日はお嬢様ともどもお世話になりました」

「気にするな。あの吸血鬼の面倒事に一々目くじらを立てるのも馬鹿馬鹿しい」

 

 意味ありげに深々とお辞儀をする咲夜に霊夢と魔理沙は不思議そうな顔になるものの、特に追及はしなかった。

 咲夜もあの戦いを覚えているのはレミリアと信綱だけであるべきだと考えており、何かを言われても話すつもりは毛頭ない。

 

「それで爺さんは何の用? 見たところ阿求もいないみたいだし」

「様子見ついでに差し入れに来ただけだ。妖怪はつくづく暇な連中が多いと見える」

「そうね。もう人なんて数えるほどしかいないわ」

 

 そしてその数えるくらいにまで数を減らした人は、妖怪の方が圧倒的に多いこの空間でも平気な顔で楽しめる豪の者が揃っていた。

 明日の仕事は大丈夫なんだろうな、と信綱は呆れた目で彼らを一瞥する。念のため酔っ払って動けない場合の手助けは考えても良いかもしれない。

 無論、その場合は後で彼らにツケを支払ってもらうことになるが。

 

「あ、そうそう。差し入れってなに?」

「ツマミだ。腹に何も入れずに飲むのは身体に悪い」

「旦那様のお手製ですか?」

 

 霊夢が話していたところ、咲夜が横から入ってくる。珍しくその顔は好奇に彩られており、料理の内容に興味があることが伺えた。

 隠すようなことでもないため、信綱は咲夜の言葉に首肯する。こんな狂人でも霊夢の親代わりなのだ。

 阿求の食事を作るついでではないが、一緒に準備もできることで手を抜くつもりはなかった。

 

「私たちも食べて良いのですか?」

「霊夢一人では食い切れんだろう。魔理沙もこれを機にちゃんと栄養のあるものを食べろ」

「おっと、私にも波が来た。けど安心していいぜ、爺ちゃん。最近はしっかり栄養のあるものを作ってる」

 

 アリスが、という部分だけぼかして魔理沙は自慢げに笑う。

 信綱は魔理沙が誰に作らせているかも薄々察してしまい、半目で魔理沙を見るものの彼女に堪えた様子はない。

 魔理沙は甘え上手で、アリスは面倒見が良い。きっと大丈夫なのだろう、多分。

 また近いうちに魔理沙の家を抜き打ちで見に行こうと決心しながら、信綱は踵を返す。

 

「では俺は戻る。ああ、あと一つ」

 

 信綱は早速包を開こうとしている霊夢を制止して、包を指差す。

 

「その中にもう一つ包がある。それはお前に当てたものだから残さないように」

「……? わかった」

 

 中身のわからないものを指差された霊夢は眉をひそめるものの、すでに信綱は帰り始めていた。

 今から追いかけて聞くのも面倒だったので、それを脇に放って三人で信綱の作った酒肴を拝むことにする。

 

「爺ちゃん、料理なんてできたんだな。もっとこう……料理は女のやるもの! みたいなイメージだったぜ」

「見た目はそうかもね。でも爺さんメチャクチャ料理上手よ?」

「人は見た目によらないな……」

「まあ私と霊夢はあの人と結構接する関係だからね。魔理沙が知らないのも無理はないわ」

 

 信綱が料理上手であることを知っているのは御阿礼の子である阿求と霊夢、咲夜と他に火継と稗田の女中数名程度である。

 料理とは食べて味わうことが目的であって、誰が作ったかなどどうでも良いとすら思っている信綱にとって、自分の技術というのは教えるものであっても誇るものではなかった。

 

「まあ食べましょ食べましょ。そして飲み直しよ!」

「こりゃ明日は二日酔い確定だな」

「あ、私はもう良いわ。ちょっと味の研究するから」

「お前はお前でマイペースだな!?」

 

 誰も彼も好き勝手に過ごしている宴会なのだ。他人に合わせていたらあっという間に酔い潰れておしまいである。

 咲夜はいつになく真剣な表情で懐から可愛らしい手帳を取り出し、並べられた信綱お手製の料理を睨むように観察している。

 霊夢は霊夢でさっきまで荒れていたのは何だったのかと思うくらい上機嫌で、新しい酒をウキウキと探していた。

 これは覚悟を決めた方が良さそうだ、と魔理沙は諦めたように笑って座り直す。

 まだまだ楽しい宴会はこれからである――

 

 

 

「頭いたい……」

 

 翌日、霊夢は死人のような顔色で一人呻く。

 昨日一緒に飲んでいた魔理沙と咲夜はすでに帰っていた。泊まっていたら介護に使えたというのに薄情な奴らだ。

 信綱がこの光景を見ていたら特大のため息を吐いて、彼女に訥々と小言を言った後に先代にそっくりだと思っていることだろう。

 

「うぅ、気持ち悪い……」

 

 頭痛が響き、吐き気をこらえながら上半身を起こすと見覚えのない風呂敷が目に入る。

 

「あれ? ……そういえば爺さんが言ってたっけ」

 

 霊夢に用意したものらしいが、中身は結局見ていなかった。

 なんだろうと思ってのそのそと近寄り開けてみると、中から美味しそうな濃い草色の饅頭がいくつか出て来る。

 

「わ、お饅頭。でもなんで爺さんが私に?」

 

 不思議そうに思いながらも、霊夢はとりあえずそれを口に運ぶ。

 

「……にがっ!?」

 

 酔いも頭痛も吹っ飛んでしまうくらい苦かった。

 思わず目を白黒させて手に持つ饅頭を眺める霊夢。

 そのままもぐもぐと口の中で咀嚼し、飲み込む。徹頭徹尾強い苦味があったが、同時に丁寧に調理されたひき肉と野菜が入っており、朝食として見れば理想的な栄養の中身だった。

 そして後を引く。苦味が強いにも関わらず、一口食べ終わると次のが食べたくなる味だ。

 

「苦いけど美味しい……美味しいけど苦い……」

 

 あっという間に風呂敷に包まれていた饅頭を食べ尽くしてしまうと、霊夢は頭痛と気持ち悪さがすっかり消えていることに気づく。

 同時に風呂敷の底に一枚の紙が置かれていることにも気づき、それを取り出す。

 

「ん、なになに……」

『作り方を記しておくので、次からは自分で作るように。あと、暴飲暴食は程々に』

 

 お決まりの小言と一緒に作り方も書かれており、霊夢は自分の頬が緩むのを自覚する。

 同じ屋根の下で一緒に暮らすといった家族の在り方ではないが、こうして事あるごとに気にかけてもらえるというのは嬉しいことである。

 それにこれは二日酔いにもよく効く。次の宴会まで三日しかないのだから、これはありがたい――

 

「――いやいや、待って。おかしいでしょそれ」

 

 異常に気づく。なぜ次の宴会のことをすでに知っている。魔理沙や咲夜に聞いた覚えもないというのに。

 それになぜ三日後の宴会を当たり前のように受け入れている。昨日散々愚痴をこぼしたではないか。妖怪連中はこちらの都合など全く考えやしない、と。

 普段通りの霊夢ならそんな状況、認めるはずがない。一度や二度ぐらいならまだしも、三度四度も続くのならそれははた迷惑極まりないものにしかならない。

 抵抗して良いだろう。弾幕で追い出そうとして良いだろう。――それをする発想すら浮かばなかった。

 

「――異変が起こってる?」

 

 一度口に出すと、霊夢の中で連鎖的にこれまでの状況を受け入れていたことへの疑問が浮かんでくる。

 霊夢は顎に手を添えてしばし考えた後、無言で針と札、陰陽玉の準備をして外に飛び出す。

 

「これが異変なら――妖怪や人間に聞いて回ればいずれ大本にたどり着けるはず!」

 

 邪魔をしてくるなら全員ぶっ飛ばす。信綱から教わった対処法を忠実に実行し、霊夢は異変解決の空に飛び出していくのであった。

 

 

 

 

 

「あんた、この前の宴会には来てたの?」

 

 幽香が慣れた手つきで将棋を指しながら、不意に話しかけてきた。

 信綱もまた淀みない動きで応えつつ、盤上を見たまま口を開く。

 

「この前とはいつだ」

「十日前の最初の宴会。一番規模が大きいやつ」

「阿求様と一緒に行った。お前の姿は見なかったが」

「ふん、この私が誰かに誘われて行くようなタマに見える?」

 

 そもそも誘ってくれる相手がいるのだろうか、と信綱は不思議に感じるが口には出さなかった。

 知らない方が良いこともある。解決すべき面倒事を増やさないという意味で。

 

「ではお前は来なかったのか?」

「……博麗神社の桜は見事なものだし、一度だけ見に行ったわ。それだけ。人混みは嫌いだもの」

「そうか。……それで、いつぞやの答えはまだ探しているのか」

「あんたに勝った時に見つかる、とは思っているけどね」

「だったら無理だろうな。――王手」

「…………」

 

 信綱が無造作に置いた駒が王将を取れる位置にあることに、幽香は息を呑んで信綱を睨みつける。

 最初に指した時と比べれば格段に腕は上がっているのだが、視野を広くする方法に未だ不慣れだった。

 とはいえ最近は信綱も一部での勝負は諦めて他の場所で得を取る形にして、勝利を掴んでいるため結構危ない時もあったりする。

 感情が表に出やすい幽香は追い詰められると顔が引きつり、優勢だと判断している時は口元が緩むが、信綱は劣勢だろうと優勢だろうと自分の表情を変えたりはしない。

 現在も悔しそうに幽香が睨んでいても、信綱の表情には一切の変化がなかった。

 

「……ま、参りました」

「うむ、ありがとうございました。だいぶ腕を上げたな」

「お世辞はいらないわ。あんた、全然危なそうな顔してないじゃない」

「表に出していないだけだ。追い詰められた場面もいくつかある」

「……ふぅん、指くらいは届くようになったわけ」

 

 そういって幽香は不機嫌そうな顔のまま、盤の向かい側にいる信綱の頬に手を伸ばす。

 指一本で擦るように頬を撫で、撫でた指を見て幽香は再び不機嫌そうな息を漏らす。

 

「ふん、触っただけで崩れそうなくらいに脆いわね、人間の体って」

「そうだな。お前があと少し力を入れていたらえぐれていた」

「わかってて何もしないあんたも大概ね」

「日々言っているではないか。すでに出た結末を力で覆すなど、無粋に過ぎると」

 

 そう言って信綱は盤上の結果を指差す。

 信綱の側もかなり深くまで攻め込まれていたが、それでも王手をかけたのは信綱だった。

 だから幽香は暴力に訴えることはしない。倫理でも常識でもなく、誰でもない彼女自身がそれを認めない。

 

「だから安心ってわけ。……ハッ、大した能天気ぶりね。それだけの理由で妖怪が触れるのを許すわけ。頭にウジでも湧いてるんじゃない?」

 

 嘲るように、強がるように、悪ぶるようにそんなことを幽香は言い放つ。

 信綱はそれに対しても動じることはせず、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「だったらそれに負けたお前はウジ以下の頭というわけだ」

「くそっ、ああ言えばこう言う……!」

「で、何が言いたいんだウジ以下」

「撤回するからその呼び方はやめなさい!」

「ほう、撤回。別に俺は頭にウジが湧いていても構わんぞ。ただお前がそれ以下になるだけで」

「ぐ……!!」

 

 顔を恥辱に赤く染め、涙の浮かんだ瞳でこちらを見上げる幽香。

 もう少し突けば彼女に謝罪させることはできそうだが、これ以上やっても面白い思いができるだけで得はなさそうなので信綱は話を切り上げることにした。

 

「……これでわかったと思うが、あまり相手を下すような言葉は使わない方が良い。自分より弁が立つ相手だと今のようになるし、そうでなくとも品格を下げやすい」

 

 そもそも信綱の知っている大妖怪の連中は生半可なことでは怒らないし、声も荒らげない連中ばかりである。

 あれを気品があるなどと表現するつもりはないが、平時は普通に接することのできる連中が、その本性を時折のぞかせるのが恐ろしいのだと信綱は考えていた。

 信綱にとっての大妖怪とは力の見せ所を理解している存在であり、本気を出すか否かを自分なりの境界でハッキリと定めている存在を意味していた。

 

「品格、品格ねえ……妖怪がそんなの気にする必要ってあるの?」

「以前にも話したが、大妖怪とは自分で言うものではない。他人からの評価に依るものだ。であれば大勢が気位が高いと判断するのはどんな相手だろうな」

「…………」

 

 ちなみにレミリアは信綱が大妖怪であると認めているだけで、人里からはなんかよく来る吸血鬼の女の子程度にしか認識されていなかったりする。

 ……というか彼女が紅魔館の主であると認識されているかすら怪しい。

 阿弥の幻想郷縁起には絵は載せておらず、人間友好度も極低と記されているだけのため、今のレミリアと結びついていない可能性が高かった。

 

 まあこれは問題ないだろう、と信綱は判断していた。

 遠い未来で彼女らが侮られるような時が来たら――その時は、彼女自らが夜の女王としての誇りとともに思い知らせてくれると信じていた。

 

 わからないのが幽香である。彼女はある意味、知られていないことが大妖怪としての恐ろしさにつながっていた。

 未知の相手は恐ろしく、既知になるとその恐ろしさは半減する。

 幸いというべきか、幽香のこの姿を知っている存在はごく限られる。筆頭である信綱も間もなく死ぬ以上、そのまま彼女が太陽の畑に戻れば再び彼女の好む花に囲まれた生活は戻ってくるのだ。

 

「花の妖怪よ。俺はお前がなぜそこまで大妖怪という称号にこだわるのかがわからない。阿求様はこれまで通りお前のいる太陽の畑を特級の危険地域として載せるはずだし、お前自身もそこから動かなければ平穏な時間は約束される」

「……あんたの考えてることは正しいわ。私も負けるのは大嫌いだけど、その考えが頭をよぎったことは否定しない」

「だろうな。お前は決して愚かではない。いや、むしろお前は頭の良い方だ」

「お世辞はいらないと言ったでしょう」

「本心だ」

「……ふん」

 

 淀みなく、しかしだからこそ嘘がないと信じさせる声に幽香はそっぽを向き、羞恥に頬を少し赤らめる。

 

「だから知りたい。なぜお前がそこまで頑なに大妖怪であることにこだわるのか。場合によっては俺も対応を変えねばならん」

「そこまで大層なもんじゃないわよ。負けるのは何より悔しいってことと――私が、私に恥じない自分で在りたいってだけ」

「…………」

「人間も妖怪も共存しようが殺し合おうがどうだって良いわ。どんな時でも私は私の在り方を変えるつもりは一切ない。花を愛でて、私に勝った人間につきまとって、自由に、穏やかに、たまに楽しく、私は咲いていたい」

 

 そう語る幽香の顔は自らの在り方を誇るそれであり、信綱は彼女に対する見方を改めることを決断する。

 

「……そうか。それがお前の在り方なんだな」

「ええ、そう。一人では見えなかった、風見幽香の本当の姿」

「見えていなかっただけで、一人でもお前はそれを体現していただろう」

 

 高嶺の花。地上の動きになど見向きもせず、ただ誰に見せるでもなく咲き誇り続ける一輪の花。

 それこそが花の妖怪風見幽香の導き出した――否、最初から持っていた答え。

 その姿を見て、信綱は軽く頭を下げる。

 

「一つ、お前に謝罪をしよう。俺はお前を見誤っていた」

「へぇ、あんたの謝罪なんて珍しいから受け取ろうじゃないの」

「俺はお前が最初、人慣れていない純粋な妖怪だと思っていた。……その評価自体が間違っているとは今も思っていない」

「認めるわ。あなたが来るまで私は何も知らず、何も考えずに花を愛でているだけだった」

「だが、あの時の俺はお前が人にもたらす影響を読み切れなかった。場合によっては俺がお前の心を人と友好的な方向に向けてやる必要があると思っていた」

「操ろうと思ったわけ。矮小な人間が――とは言わないわ。あなたはそれができるということをすでに証明している。……何度も、私を打ち倒してね……っ!」

 

 悔しいなら言わなければいいではないか、と思うがこれも風見幽香の在り様なのだろう。

 自分に対して嘘をつくことが全くできない。時にそれは親しみやすさを伴うこともあるが、本質は気高く在りたいという彼女の意気込みの表れだ。

 何を以て高嶺の花と称するか。信綱に確かな答えはなく、おそらく幽香も知らないはず。

 だからせめて自分を偽らないことで近づこうとしているのだろう。信綱はその努力を嗤わない。

 

「あなたのおかげで自分の再確認ができた。その点についてだけは感謝してあげる」

「俺もお前を知ることができた。……お前の気が済むまで、俺の時間の許す限りは付き合おう」

「あら、遠慮なくつきまとうけど良いの?」

「そうしなければ納得しないのだろう。不審に思うなら一つ話でも聞いていけ」

 

 信綱は自分から盤面に駒を並べ直し、新たな勝負を彼から仕掛けながらつらつらと口を開く。

 

「話?」

「ああ。俺がお前の相手をしようと思った理由だ」

「さっき言ってたじゃない。私を御しやすい方向に誘導しようって」

「なぜそう思ったか、その答えはあるか?」

「……人間に友好的じゃないからでしょう。それについて立ち位置を変えるつもりはないわよ」

 

 幻想郷縁起にも危険な存在であると教え、さらに太陽の畑に近づくまでの道のりにも危険であることを教える立て看板があるのだ。

 それすらも無視して人間が近づくのであれば、相応の痛い目を見せても問題はないと幽香は考えていた。

 

 そんな幽香の態度に信綱は別に構わないとばかりにうなずく。

 

「それは間違いじゃないが、正解でもない。――お前が他の妖怪と軋轢を産んだ時にこちらに面倒が来るのを避けるためだ」

「ハッ、じゃああんたの策が上手くハマっていたら、私は他の妖怪にも人間にも友好的に接するような性格になっていたってわけ。傑作だわ! あんたならやれそうって思っちゃう辺りが特にね!」

「そこまで変えるつもりはなかった。そう怒るな」

「ある程度は変えるつもりだったってことでしょうが!!」

 

 うむ、と信綱は隠す素振りも見せずに同意する。

 幽香は苛立ったようにその赤い瞳で信綱を射抜くが、相変わらず平然としていた。

 殺意に慄くなどといった真っ当な感情はこの男には無縁である。

 

「まあそれはさておき。……正直、お前は俺の知る妖怪とは思えないほどに素直だった」

「素直? 私が? 何を言って――」

「俺が仕掛けた勝負に乗ってくれる時点で素直だよ」

 

 そう言って信綱は将棋を指す手を一度止め、幽香をまっすぐ見る。

 幽香は言われて初めて信綱の掌の上にいたことを自覚したのか、頬を僅かに赤らめた。

 

「な、なによ」

「だから不安だった。変に煽られて力を振るうような振る舞いをされたら、人里に来る害が読めなくなる」

 

 本当に素直すぎて不安だったのだ。怪しい連中に何か吹き込まれそうで。

 その筆頭は自分だったのだが、そこには目をつむる。別に悪いことをさせたわけではないのだ。

 

「しないわよ、そんなの」

「今ならその言葉を信じられる。あの時は信じられなかった」

 

 それだけの話だ、と言って信綱は話を終わらせる。

 すでにこの将棋自体が信綱の仕組んだものであると暴露した以上、彼女に続ける意味はない。

 だが、一度始めたものを途中で放り投げるのも彼女としては問題があるらしく、継続の意思が彼女の指に挟まれる駒で示された。

 

「――だったら。ここからは純粋にあんたと私の知恵比べができるってことでしょう。あんたは私を認めて、私はとっくにあんたを認めてるんだから」

 

 楽しそうに笑う幽香に、信綱は軽くため息をついて付き合う姿勢を見せる。

 変に強がるくせに根は素直で、しかし一本筋の通った花の大妖怪。風見幽香。

 どいつもこいつも変にねじ曲がり、予想のできない性根を持っている信綱の知る大妖怪とは一線を画するが――己への妥協を許さない彼女もまた、大妖怪の一人なのだ。

 

「面倒な女だ」

「我ながらそう思うわ。でもこれが私。嫌なら突き放しても良いわよ? つきまとうけど」

「だったら自分にも得があるように考えた方が前向きだ」

 

 そして得は確かにあった。

 風見幽香という妖怪の素性を知り、在り方を知り、矜持を知った。

 彼女に対して過度の不安を持つ必要がないという、信綱にとって大きな情報が得られたのだ。

 琴線に触れない限り彼女は誰に対しても適度に強がり、恐れない連中は嫌々相手をしていくのだろう。ある意味自分と似た考え方である。

 

「俺にあまり時間がないのを知っているんだろうな」

「当然。だから今のうちに勝とうとしているんでしょう」

「……お前のその姿勢は尊敬に値するよ」

「だったらこれで平伏しなさい!」

「うむ、気持ちいいくらいに引っかかったな。――王手」

「嘘!?」

 

 自信満々に打った手を読まれ、あっさり王手をかけられて驚く幽香を見て、信綱は僅かに口元を緩めるのであった。

 放っておいても大丈夫だろうと思わせるくせ、どこか放っておけない妖怪の少女がそんな信綱の顔を見て、自分が嗤われているのだと機嫌を損ねるまであと僅か――

 

 

 

 

 

「うむ、俺の勝ちだな」

「ぐぬぬ……もう一回! もう一回!」

「その負けず嫌いを発揮させてしまったのは俺の失敗だな……」

 

 ……何回勝っても懲りずに挑んでくる幽香を見て、これは本当に自分が死ぬまで付きまとわれるのだろうな、と察してしまい、先ほどの笑みがため息に変わったのはご愛嬌である。




高嶺の花となって、俗世に関わらず咲き誇っていたいゆうかりん。なお自覚できたのがノッブに会ってからなので、彼が死ぬまで高嶺の花に戻るつもりはない模様。

自分に妥協しないという点においてはゆうかりんが一番強いです。
殺人に対する忌避感などもありませんが、弱者を潰すことは大妖怪のやることではないと釘を差されているためそちらも(積極的には)行いません。

そして異変に気づく霊夢。ノッブが萃香に甘すぎじゃない? と言われる場面も考えましたが、切り時が見つからずボツに。
多分霊夢たちの異変解決とノッブの死ぬ準備げふんげふん行動が並行します。ついでに言えば異変として認識されているので多分次話辺りで萃夢想は終わります。



実は100話突破より100万文字突破の方が個人的に印象に残っていたりします。私が読者だったらマジかよと思う長さです(真顔)

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