阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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人と妖怪の歴史の終着

「まったく、この前はひどい目に遭ったぜ……」

 

 魔理沙は自宅の前で凝った身体をほぐすように伸びをして、先日の不幸を嘆く。

 たまには親に元気な顔でも見せに行こうと柄でもない孝行精神を発揮したら、土気色を通り越して死人みたいな顔をした父親から問答無用に店番を任されてしまったのだ。

 割の良い仕事でもあったので黙ってやっていたら霊夢たちが来た。絶対にしばらくはあのネタでからかわれるだろう。

 しっかり給金はふんだくったので当分は生活に困りそうにないことだけが救いである。

 

「……よし、切り替えよう。いつまでも引きずってたって良いことはない」

 

 気合を入れ直すように自分の頬を叩き、やる気を復活させる。

 当面の金は入手できたのだ。ならばこれを機に研究漬けの日々を送ろう。数日は外にも出ない勢いで。

 

 生活を考えなくても良い金銭がある以上、魔理沙の関心が自身の力に向くのは至極当然のことである。

 彼女の生活をちょくちょく見に来ている信綱辺りが聞いたらしかめっ面で苦言を呈するような考え方だが、彼女が目標としている霊夢は本物の天才なのだ。

 並大抵の努力や生半可な覚悟で挑むつもりはない。やるからには全力で、他の何かを犠牲にしてでも挑むのが魔理沙の矜持である。

 

「そうと決まれば早速――アリスに朝飯タカるか」

 

 そして躊躇なく他人に迷惑をかけることを選ぶ魔理沙。きっとアリスが聞いていたら大きなため息をついていただろう。

 それでも拒絶するシーンが浮かばない辺り、彼女の面倒見が良いのか魔理沙が甘え上手なのか。

 

 部屋に置いてある魔法のほうきを取って外に出ると、視界の先に見慣れた人物を見つける。

 

「ん、爺ちゃん?」

 

 視界の先にいたのは魔理沙の後見人のような役割を果たしている、火継信綱その人だった。

 ただしその足取りは魔理沙の家に向かっているものでも、アリスの家に向かっているものでもない。

 霧の湖――並びに紅魔館の方面に一直線に歩いている姿に、魔理沙は不思議そうに首を傾げる。

 

「爺ちゃん、紅魔館に用でもあるのか?」

 

 声をかけようとはしなかった。声をかけたらかけたできっと小言が来るに違いないと思ったからだ。

 実際のところそれは間違っておらず、アリスに食事をタカろうとする話を聞いたら、ゲンコツが落ちていただろう。

 紅魔館に人間が向かうことの危険性は把握しているが、自分でも知っているような常識を信綱が知らないとも思えない。

 だから問題はないだろう、と判断して魔理沙は魔法のほうきにまたがりアリスの家に向かう。

 

「しっかし――あんな長い刀なんて背負って、何しに行くんだろうな?」

 

 

 

 

 

 普段、信綱は椿から奪った長刀は持ち歩かない。

 人里で振り回すにはいささか刀身が長過ぎる上、通常の刀はまだしもこれは代えが効かないもの。

 天魔に頼めば同じだけの刀はすぐにでも用意されるものだが、信綱は吸血鬼異変の時からこの刀だけは代えずに使っていた。

 

 それに百鬼夜行を乗り越えた自分であれば、よほどの大妖怪でない限り刀の一振りで事足りる。

 むしろ下手に二振り持ち、常在戦場の心意気でいたら他者に迷惑をかける可能性が上がってしまう。

 具体的には春を奪いに来た妖夢とか。あの時二刀を使っていたら、確実に椛もろとも殺していただろう。

 

 阿礼狂いである自分は、特定の条件では一切の加減ができない。

 それが後々の憂いを招くとわかっていても、御阿礼の子に被害が行く可能性を許容できないのだ。

 大体、人間との共存も成り、スペルカードルールも大幅に普及した今の幻想郷で信綱が二刀を振るわねばならない事態など来てはならないもの。

 

 もう使うことはないとすら思っていた。最後に持ち出したのは太陽の畑に幻想郷縁起の取材に行く時だろう。

 だがそんな刀を今回は持ち出している。

 理由はただ一つ、レミリアに向けるためだけに。

 真剣な表情で自分を見てくるレミリアの姿を思い出し、信綱はあの日の会話を思い出していく。

 

 

 

「おじさまは私を倒してから有名になっていったでしょう?」

「より正確に言うなら、お前を倒したという情報がどこかから漏れた時だ」

 

 あの日、異変を解決したのは博麗の巫女であり、自分はそれに同行しただけという内容に口裏は合わせてあった。

 信綱が人里で英雄と呼ばれ始めたのは、吸血鬼異変で出た被害者への対応が人里の歓心を買うものであり、異変解決にも同行した――妖怪と戦って生き延びられる人間であると証明したからに過ぎない。

 

 それとは別にあの日を境に多くの妖怪に目をつけられたが、それはあの烏天狗の射命丸文が自分の情報を広めたからだろう。

 

「そしておじさまは多くの危機を乗り越えてきた。時に知略で脅威を予見し、時に武力でねじ伏せて」

 

 私も使ってね、と意味ありげに微笑むレミリアに信綱は腕を組んで憮然とした顔になる。

 

「……あれはただの保険だ」

「その保険は有効に働いた。だったらそれは十二分に知略と呼べるわ。違う?」

「俺の話は良いだろう。さっさと目的を話せ」

 

 自分に挑みたいのはわかった。しかしなぜそうなのか、理由を話さなければ信綱もうなずけない。

 レミリアとの付き合いは長くなったが、それでも彼女が妖怪であるという事実を忘れたことはない。それも幻想郷の一翼を担うに値する大妖怪である。

 信綱が僅かに目を細め、睨むようにして見るとレミリアは再び佇まいを正して信綱と相対する。

 

「少し話がそれたわね。つまり、私が言いたいのは――私を倒した時のおじさまは今より弱かったってことでしょう?」

「…………」

「あの戦い。もしも紫も先代も手助けに入らなかったら――どちらが勝っていたかしら」

 

 信綱にもレミリアにも、その結末はわかっていた。

 レミリアの再生力を上回る殺傷力を持ち得なかった当時の信綱に、彼女を殺し切る術はない。

 故に多少の消耗は与えられたとしてもあの日、最後まで勝負が行われていれば勝者はレミリアだった。

 

「……負けを認めるつもりはない、ということか?」

「冗談。たらればの話で負けを認めないなんて無様を晒すつもりはないわ。負けは負け。誰がどう思おうと、当事者の私がそう言っているんだからそれだけが事実」

 

 例え信綱であってもその事実を覆そうとするのは許さない。

 そんな気迫が感じられる声に信綱は少しだけ頭を下げる。

 

「……済まない。お前はそういう奴だな」

「ええ、こういう奴なの。もう過ぎた勝負に対して何かを言うつもりはないわ。おじさまが勝者で私が敗者。その事実は永遠に覆してはならない」

「ではどうして今になって挑戦する、などと言い出す」

「確かめたいからよ。私を打ち倒して、天狗を打ち倒して、鬼を打ち倒して……おじさまがどこまで至ったのか、この身で知りたい」

「…………」

「おそらくこれが最後でしょう。だからお願い――私の焦がれた炎をもう一度だけ見せて欲しい」

 

 そういってレミリアは静かに机に頭を付けた。何の変哲もない、見る人が見れば娘が親にお願いをするような形の――大妖怪の真摯な頼み事である。

 信綱は静かに瞑目し、自分が抱えている様々な事情を鑑みる。

 彼女のお願いに利益はない。阿求のためにレミリアに対してすべきことはなく、受けるも受けないも信綱のさじ加減一つになる。

 

 しかし、思い返してみればレミリアとは戦いらしい戦いをした覚えがない。

 吸血鬼異変の頃は阿弥が危険な状態だったため、それを一秒でも早く解決すべく最短の方法しか選んでいなかった。

 先手を取って斬り刻み、一切の抵抗と反撃を許さず斬り続けるあれを勝負と呼べるのかは謎である。

 それでレミリアが自身の敗北を認めているので、これに関してどうこう言うつもりもなかった。

 

「……わかった。但し、約束だ――」

 

 

 

 

 

 結局、信綱は自分の意志で彼女の願いに応えることにした。

 なぜなのか、明確な理由はよくわからない。ただの気まぐれと言ってしまえばそれまで。

 椛や橙ほどではないが、彼女との付き合いも相応に長くなった。

 そして彼女は今でも信綱につきまとっている。

 彼女に好かれるような行動を取った覚えは吸血鬼異変の時どころか、これまでの人生を振り返ってもあんまりない。

 

 だが、それでも好意を向けられている事実に変わりはない。

 ならば一度くらいは応えても良いのかもしれない。最初で最後の――というには彼女はワガママの数が多かったし、彼女の深刻な悩みにも付き合った覚えがある。

 

(……よくよく考えると、俺はあいつにロクな目に遭わされた覚えがないな)

 

 天狗の異変の折や、百鬼夜行の折には手を借りた覚えがある。あの時は彼女の力が頼もしく思えたし、実際に彼女は信綱の期待に応えてくれた。

 しかし、言い換えればそれだけだ。それ以外の大半の時間、信綱はいきなりやってきた彼女の相手をして迷惑をかけられた覚えしかない。

 そして極めつけにこれである。もう少し自分のやってきたことを省みろと嫌味の一つは飛ばしても良かったかもしれない。

 

 そこまで考えて、信綱は軽く肩をすくめて再び紅魔館への道を歩き出す。

 まあ――それがレミリアという傍迷惑で子供っぽい、けれど確かに強大な吸血鬼である彼女の特徴なのだ。

 半世紀以上付き合っておいて、今さら迷惑の一つ二つ増えたところで大差はなかった。

 

 門前にはいつも通りの門番をしている美鈴が佇んでいた。

 春の陽気で適度に暖かく過ごしやすい日差しにやられたのか、ウトウトと船を漕ぎ始めている。

 自警団の見張りもこの時期は眠そうな眼をこすりながら見張っているので、こんな時でも門番とは大変だとこっそり同情しつつ、声をかける。

 

「おい、門を開けてくれ」

「ふぁ? ……へぇぁ!? し、失礼ですがどのようなご用件で!?」

 

 声をかけたら一瞬で覚醒する辺り、頭の一部は働いているのだろう。

 なぜか美鈴が門に背中を預けて身構えていることがわからないものの、信綱は質問に答える。

 

「主人に招かれて来た」

「その武装の理由を聞いてもよろしいですかね!? 正直、いつかのようにお嬢様を襲いに来た風にしか見えないんですが!?」

「あながち間違いでもないぞ」

「じゃあ私それを阻止しないといけないじゃないですか、うわーん!!」

 

 ただ聞かれたことに答えているだけなのに、すでに美鈴は半泣きになっていた。

 それでも逃げる素振りは見えない辺り、本当にレミリアは部下に恵まれている。うらやましい。

 

「あいつから家にどうやって入るかは聞いてない。別にあの日の再現をしても構わないが……」

「い、良いですよ良いですよ! 私だって密かに腕を上げているんです。そうそう何度も人間に遅れを取らないことを見せてあげます!」

 

 別に通してくれるなら襲う気はなかったのだが、美鈴は勝手に話を完結させて戦う姿勢に入ってしまった。

 門の前で不動の構えを取り、こちらの攻撃を誘う姿勢になっている彼女に信綱は軽くため息を吐く。

 

「一応、分析はしていたのか」

「はい! あなたの攻撃は徹底した先の先か、もしくは妖怪の力を利用した後の先! だったらこうして構えていれば不意は突かれません!」

 

 道理である、と信綱は美鈴の言い分にうなずく。

 どんなに早く動いたところで妖怪の目を欺く速度は出ない。基本的に信綱の斬撃は大半が牽制であり、本命の一撃は入れたらそのまま勝負を決めるものとなる。

 攻撃も鬼のような岩を砕くものではないため、相手が攻撃をして薄くなった防御に斬撃を徹すといった面が強い。

 そのため美鈴の取った方法は信綱への対抗策としては一つの正解であり――失策でもあった。

 

 信綱は長刀を抜くことなく左手で腰に差した刀の鯉口を切り、無造作に美鈴に歩み寄っていく。

 

「うっ」

 

 僅かに身じろぎをして身体をこわばらせる美鈴を気にせず、信綱はさらに近寄っていき刀の射程に彼女の身体を収める。

 そして彼女の意識が集中していることを理解しながら、その鞘から刀を走らせ――美鈴の足が刈り取られた。

 

「うわっ!?」

「刀に手をやったからって刀を使うとは限るまい」

 

 刀を持つ手に意識を集中させ、必然的に警戒が薄れていた足での攻撃に美鈴はいとも容易く尻もちをついてしまう。

 普段の美鈴なら引っかからないような攻撃。しかし、半世紀前に何もできずに斬り刻まれたトラウマは彼女に色濃く残っているのだろう。

 

「さて、門を開いてくれるならこれ以上は何もしない。開かないなら……いつかの再現だ。次も主が助けに来ることを祈るんだな」

「参りましたし門はすぐ開けますから命はご勘弁を!? 痛いのは嫌です!」

「賢明だ」

 

 もっと言えば信綱がここに招かれた事情をちゃんと聞いていれば避けられた戦いでもあるのだが、その辺りは美鈴の早とちりが原因なので何も言わない。

 

「うう……私も結構武術には自信があるのに……」

「俺に苦手意識を持ちすぎだ。結局、拭いきれなかったか」

 

 半泣きのまま門を開く美鈴に信綱は呆れたように肩をすくめる。

 出会い方がひどく物騒だったのは認めるが、今に至るまで苦手意識を持たれてしまうことには多少思うところがある。

 とはいえ今さら言っても詮無きこと。信綱は何も言わずに彼女が門を開けるのを待つ。

 

「こちらにどうぞ。……あの、お嬢様のことをあまりいじめないでくださいね」

「俺を何だと思ってるんだ……」

 

 ただ単に彼女が来るのが面倒だから冷たい対応になっているだけである。

 気分で嫌がらせをする相手など橙か椛くらいだ。

 

 変わらずビクビクした目の美鈴に見送られて紅魔館の中に入ると、音もなく咲夜がやってくる。

 咲夜は側にコウモリを侍らせて、静々とお辞儀をする。

 

「お嬢様からお話は伺っております。ようこそいらっしゃいました」

「……いや、隣にいるだろう」

「気分よ、気分。おじさまと最初に出会った日を再現しようと思ってね」

 

 コウモリから聞き慣れた少女の声がすることに、信綱は辟易した顔でため息を吐く。

 美鈴に事情を話していなかったことと言い、レミリアは自分と出会った時のことを再現するつもりのようだ。

 

「だったら門番を助けるのが流れになるはずだ」

「流石にコウモリの時に日光の下には出られないわ。霧で太陽が隠れているわけでもないし」

「その当時の話、お嬢様から耳にタコができるほど聞かされております」

「……良いから案内してくれ」

 

 阿礼狂いとして来たわけではないため、レミリアたちの空気にはついていけそうになかった。

 信綱は軽いため息で現状の面倒臭さを押し流し、咲夜に案内を頼む。

 こちらに、と咲夜とコウモリを伴って信綱はレミリアの部屋に案内される。

 

 部屋に入ろうとすると、咲夜はその場に留まる姿勢を見せたため信綱は訝しんで声をかけた。

 

「お前はどうするんだ?」

「私の役目はお嬢様のお部屋に案内することまでです。誰も介入するな、とのお達しでしたから」

「そうそう。挑戦者って観点なら私は自分に使える全てで挑むべきなんだろうけどね。美鈴はいてもいなくても大差はないし、咲夜だと万一が怖いでしょう?」

「俺はどうなる」

「おじさまは大丈夫よ。もし死ぬような怪我をしたら私がしっかり吸血鬼にして、阿求との別れはさせてあげるから。終わったら改めて殺してあげる」

「……やはりお前は妖怪だ。それもロクデナシの」

「もちろん。知らなかったの?」

「……知っていた」

 

 出会った当初から知っていた事実を改めて再確認し、信綱はため息とともに扉を開く。

 咲夜が頭を下げて見送るのを感じながら部屋の中に入ると、そこは以前に見た部屋より遥かに大きくなっていた。

 

「咲夜の能力も便利なものよね。時間と空間は密接な関係があるから、空間もある程度操れるとかどうとか」

 

 部屋の奥。豪奢な椅子に腰掛け、レミリアは片手で赤い液体の入った袋状の塊を弄びながら、信綱を出迎える。

 

「訳がわからん」

「私にもよくわかんない。でも便利なんだから使わないのも馬鹿らしいでしょ?」

「それはそうだが、お前たちでは紅魔館でも広すぎるだろう」

「大は小を兼ねる、よ。それに見た目より大きいってだけで来る人を驚かせられるのは結構楽しいわ」

「……咲夜の苦労が目に浮かぶようだ」

 

 どう考えても仕える主を間違えているとしか思えなかった。やはり主は御阿礼の子以外にあり得ない。

 信綱の思考が漏れたのか、レミリアは可笑しそうに笑う。

 

「あなたの主みたいに良い主人にはなれないだろうけどね。暴君は暴君なりに部下を思いやるものよ」

「……そうか」

「さ、無駄話はこれぐらいにして――始めましょうか」

 

 レミリアはそう言うと、これまで弄んでいた赤色の液体を喉の奥に流し込む。

 

「……ゲホッ。ああ、不味い」

「血液か」

「そう、久しぶりの人間の血。スキマ曰く、外の世界で人々の治療に使われるんですって」

「足りなくなった血の補充といったところか」

「私にはどうでも良いわよ。肝心なのはこれが人間の血であって、そしてクソ不味いってこと」

 

 やっぱり人間の喉笛から直に飲み干す血が一番ね、などと物騒なことをつぶやきながらレミリアはその血を飲み干した。

 途端、彼女の全身からおぞましい妖力があふれ出す。

 瘴気が部屋の空気を軋ませ、静謐な空間は凄惨な捕食場に姿を変える。

 明るい色を保っていた紅色の空間も、今や血と臓物の臭いすら漂わせるような不気味さを持っていた。

 

「ああ――人間の血を飲むのは本当に久しぶり」

「人間を襲ったわけではないから抵触しない、とでも言うつもりか」

「こいつは人間を殺して得るものではないわ。大勢の人間から死なない程度の血を集めて作られるものよ。誓って、幻想郷の人間から血はもらってない」

「……そうか」

 

 彼女は彼女なりに幻想郷で人間と生きるための方法を模索しているのだと思えば、何かを言う気にはなれなかった。

 信綱は一瞬だけ瞑目して意識を切り替え、腰を落として刀に手を添える。

 

「思えば、私が打倒された事実がおじさまを英雄に変えた」

「そうだな」

 

 吸血鬼を人間の身で打倒という事実が、彼を英雄に押し上げて妖怪相手の知名度を一気に高めた。

 そこから幻想郷の共存に舵が切られるのだから、世の中わからないものである。

 

「そして英雄となったおじさまはさらに多くの異変を退けて今に至っている。――始まりが私であるのなら、終わりを知る権利も私にある」

「…………」

「あの時はおじさまが挑戦者。次は私が挑戦者。……おじさまが剣を振るう、最後の瞬間を私に頂戴」

「…………」

 

 信綱はレミリアの懇願に答えない。

 ただ、何も言うことなく抜刀をするだけ。

 しかしそれこそが信綱の返答であると、レミリアは気づく。

 彼は戦う時は常に無口になる。相手に与える情報など一つもないとばかりに黙り込み、一切の躊躇と油断を排除して殺しに来る。

 

 ゾクゾクとした快感がレミリアの背筋を電撃の如く走る。

 ニィ、と口が喜悦の三日月を作り、そして――勝負が始まった。

 

 

 

 最初にレミリアが取った行動は前進――ではなく、後退だった。

 

「――」

「来ないのか、ですって? 冗談。おじさま相手に接近戦を挑んだ結果が吸血鬼異変でしょう」

 

 信綱の領域に入らないという強い意志を浮かべ、レミリアは背中の羽で部屋の中央に飛び上がる。

 部屋が広くなっているのは彼女が自分との距離を取りやすくするためか、と信綱は内心で舌打ちする。

 何が部下は介入させないだ。この場にいないだけで十二分に彼女の援護はしているではないか。

 

 とはいえ過ぎたことを言っても仕方がない。妖怪相手に正々堂々など語るだけバカを見る。

 故に信綱も吸血鬼相手の対策は取っていた。この程度の対策もしていないようなら戦う価値もないと見限るだけである。

 

 信綱は霊夢との稽古でやっているように複数の小規模な結界を張り、それらを足場にレミリアへの接近を行う。

 

「さっすが、霊力と一緒に結界も覚えていたのね!」

「霊夢を鍛えたのは俺だと言っただろう。博麗の術も嫌でも見えてしまう」

「ふふ、惚れ直しちゃうわ! ――でも、主導権は譲らない!」

 

 レミリアは追いすがる信綱から素早く距離を取ると、その手に魔力で編まれた鎖を作り上げる。

 

「スペルカードルールの副産物ね。魅せるために魔力で作ったものだけど――だからこそ、おじさまにこれは斬れない!!」

「――」

 

 鎖の先端には短剣のような刃が付いており、吸血鬼の膂力で振るわれるそれを受けたら骨も肉も貫かれるもの。

 おまけにこれは普通の刃では斬れない。ただの物質ならば鋼鉄だろうと斬れる自信があっても、レミリア自身の力で作ったこれには通常の斬撃では効果が薄い。

 舌打ちを一つして、信綱は自身に迫る鎖を見上げ――苦もなく切り捨てる。

 

「えっ?」

「――」

 

 自慢していた鎖があっさりと破壊されたことに呆けるレミリアを、好機と見て信綱は距離を詰める。

 通常の斬撃で効果が薄いなら、尋常でない斬撃を放てば良い。

 そして信綱は剣に霊力をまとわせ、妖怪に対する攻撃力を上げる術を所持していた。

 霊力の心得。結界術の会得。剣術、体術の練磨。

 半世紀前の信綱と比べるのもおこがましいほど、今の彼は妖怪に対する殺傷力を高めているのだ。

 

「しまっ――」

 

 霊力を伴い、白磁の残光と共に振るわれる斬撃がレミリアの身体を切り裂く。

 身を翻して避けようとしたところで、信綱の長刀は相手を逃さない。

 そして一度射程に捉えてしまえば、握った主導権を相手に渡す必要など一切ない。このまま勝負を終わらせて――

 

「――なんちゃって!」

「っ!」

 

 反撃の爪牙がレミリアより放たれ、信綱は驚愕とともにそれを紙一重で避けきる。

 顔に目がけて振るわれる爪を結界で弾き、その勢いを利用して距離を取る。先に与えた斬撃はすでに治癒するが、今の不可解な状況を解読するためなら安い買い物である。

 

 なにせさっきの斬撃――刃が通る端から治癒していく光景が見えたのだ。

 

(通常の斬撃だとしても治る速度が異常過ぎる。こんな速度、吸血鬼異変の時にも見られなかった。……考えられる条件は一つか)

 

 チラ、と横目で信綱は壁を見る。

 この部屋には窓がない。日光を厭う吸血鬼の部屋であるため当然とも言えるが、言い換えれば天候の状態がわからなくなるとも言える。

 信綱がこの屋敷に来た時は確かに昼だった。しかしそれではレミリアの急激な能力の向上に説明が付かない。

 となれば――

 

「手段を選ばん奴だ。――魔女に夜を作らせているな」

「正解! しかも満月の夜をね! もう種もバレちゃったしこんな小細工に意味はないわ!」

 

 レミリアは口元に禍々しい笑みを浮かべたまま一瞬で手に魔力の槍を作り出し、無造作に壁に放り投げる。

 吸血鬼の膂力、魔力が存分にこもったそれは分厚い壁を簡単に破壊し、その空に浮かぶ紅い月を輝かせた。

 

「私は夜の女王。今はあなたに挑む一人の吸血鬼。――挑む以上、あらゆる手段で勝ちをつかみに行くのは当然でしょう? これがあなたへの敬意よ」

「……否定はしない」

 

 人間より遥かに優れた肉体を持ち、大妖怪と呼ぶに相応しい実力を持つ吸血鬼。それがレミリア・スカーレットだ。

 その彼女がただ一人の人間を倒すためにあらゆる手段を使う。要は――それだけ手を尽くさなければ信綱には勝てないと信じているのだ。

 擬似的に作られたものとはいえ満月の夜に浮かぶ吸血鬼。相対するのはただ一人の人間。

 紅い月を背景に空に浮かぶ吸血鬼を前に、信綱は安請け合いしたかとため息を吐いてそれを見上げる。

 

「全く、楽には勝たせてもらえないな」

 

 もはや室内で戦う意味はなく、信綱もまた紅魔館の外に飛び出し屋根の上に立つ。

 状況は先ほどから都合の悪い方向にばかり転がっているが、自分の人生で都合よく物事が動いた方が少ない。これもそのうちの一つだと思えば気が楽だ。

 

「当然! 勝つのは私よ!」

「……それは、お前が自分で確かめて見るんだな」

 

 二刀を構え、結界を足場にレミリアへ向かう。

 対しレミリアはその手に魔力の槍を作り、破裂するような音と共に豪速のそれを投げつける。

 触れれば人間の肉体などはじけ飛ぶそれを、信綱は恐れた様子もなく首を傾けるだけで回避し、さらなる距離を詰める。

 

 勝利条件は変わらない。二刀を以ってレミリアを引き裂くこと。

 無論、レミリアもそれを知って警戒に警戒を重ねている。

 攻撃は魔力の槍を投げつけ、鎖を振り回すなどと徹底して距離を取るもの。こちらが少しでも近づいたら離れようとするくらいだ。

 

 しかし攻撃は嵐の如く苛烈。信綱はそれらを対処すべく紅魔館の敷地内を縦横無尽に跳ね回る。

 庭の噴水に着地したと思った次の瞬間には壁に足を付けており、そこからさらに屋根へ駆け上ってレミリアの追撃を避ける。

 

 信綱の攻撃手段は手に持つ刃の斬撃であり、距離さえ取れば著しく効果が下がるのは間違いない。

 しかし、そうなると相手も遠距離から攻撃するしか方法がなくなる。

 レミリアの本領は天狗に次ぐ速度、鬼に次ぐ膂力、そして両者をしのぐ再生力による接近戦でのゴリ押し。それ以外の攻撃は普通の人間にとって脅威になれど、信綱にさしたる効果はない。

 

 無数の鎖が飛び交う空間を縫うように走り、刃の一振りで跳ね上がった鎖が他の鎖を絡め取り、一つの大きな鎖になる。

 ただ数が多いだけなら利用すれば良い。ただ早いだけなら予兆を見抜いて当たらない位置に動けば良い。言葉にすればたったそれだけの理屈。だが吸血鬼の速度、膂力を前に行うには神業を要求される。

 一つ成功させるだけで一生自慢できるようなそれを、信綱はすでに百は行ってレミリアに向かっていた。

 

 レミリアは自分の技が利用され、弾かれ、時に制御そのものを奪われることに心から楽しそうに笑う。

 これこそ自分の追い求めた愛おしい勝者。武力だけでは立ち行かず、知略だけでもままならない。理想だけでは食い潰される。そんな幻想郷を駆け抜けたただ一人の人間。

 ――だからこそ油断も慢心もしない。彼の攻撃手段は斬撃ただ一つであるという弱点を容赦なく突く。

 例え効果が薄くとも皆無ではない。体力勝負になればレミリアが勝つのは必定。

 

 距離を取り、射程の外からチクチクと嫌がらせを続ける。誇り高い吸血鬼の戦い方とはとても言えないそれを、レミリアは迷わず選択する。

 

 そう、これは極めて単純な構図。

 レミリアは逃げ、信綱は詰める。攻撃はレミリアが。防御、回避は信綱が行うある種の予定調和。

 だからこそレミリアの思考にはある種の慣れが生まれていた。――生まれてしまっていた。

 そこまで含めて信綱の策であると気づくのは、策が成ってからであった。

 

 走り続けていた信綱は不意に足を止め、結界の上に立ったままレミリアと相対する。

 多少息は上がっているものの、未だ彼の目には輝きが灯っており戦意は尽きていないことが伺えた。

 

「――俺の勝ちだ」

 

 そしてその顔のまま、彼は勝利宣言をする。

 レミリアは何事かと訝しむものの、警戒は解かない。戦闘に際し彼が意味のない言葉を語るとも思えないからだ。

 つまりそれは彼にとって、もはや勝負が決したと判断しても良いだけの何かが成ったということであり――

 

 

 

 ――紅い月が溶け崩れ、陽光が自身の肉体を焦がす。

 

 

 

「ぐっ!?」

 

 突如出現――否、秘匿されていた太陽が再び現れたことにレミリアは驚愕と同時、視線を大図書館のある方へ走らせる。

 客人であり友人である魔女が術をしくじるとはとても思えない。だが、次に考えられるのは信綱以外に考えられず。

 その瞬間、電撃的な閃きでレミリアは答えに到達すると同時、自らの失策にも思い至る。

 

(しくじった! 私は――おじさまに時間を与えすぎた(・・・・・・・・・・・・・)!!)

 

 全ては後の祭り。太陽が現れたことで吸血鬼の夜は終わり、身体能力も再生力も常と変わらぬ領域に落ちてしまった。

 おまけに怯んだのを見計らって接近した信綱がすでに二刀を振りかぶっていた。敗北は一秒後の未来に確定している。

 

 嗚呼、とレミリアの口から安堵とも未練とも取れる吐息が漏れる。

 同時に彼女の腕はまだ負けていないと爪を立て、勝利を求める。

 

 しかし、伸ばした爪は信綱に届くことなく双刃が彼女の胸に突き立ち――傷をえぐるようにそれぞれが違う方向に振り抜かれるのであった。

 

 

 

 

 

「……俺の勝ちだ」

「そのようね」

 

 地面に落ちた後、レミリアの身体は信綱の手によって日陰に放り込まれ、休息を取っていた。

 すでに肉体の傷は完治しているものの、レミリアにこれ以上戦う意志はなかった。

 

「参った、参りました。今度は完敗。あれだけ準備したのに、それでも負けちゃった」

「お前が夜に挑んでくるのは予想できた。だからこそ、特別な結界を用意した」

 

 信綱は懐から一枚の札を取り出す。

 結界とは界を結び、境界を引くもの。攻撃をしのぐ防壁としてではなく、信綱はそれを本来の用途で使用した。

 ごく限定的ではあるが、昼の空間を作り出すための結界。

 およそ吸血鬼との戦闘でしか役に立たないであろう、今回限りの特別品だった。

 

「さすがに魔女の用意した空間内で使うのは不安があったのでな。お前も持久戦の腹積もりだったようだし、利用させてもらった」

「ふふ、そう。一気呵成にいつも通り攻めていたら勝てていたってこと」

「さてな」

 

 突っ込んでくるならそれはそれで対処していたが――勝率の話で言うなら、確かに白兵戦の方が高かっただろう。

 主導権を握った後は畳み掛ける。信綱の底知れなさを過剰に警戒しすぎ、慎重策を取ってしまったレミリアの失敗とも言えた。

 

「あーあ、慣れないことやってまで勝ちたかったのに、慣れないことをしたから負けるなんて皮肉ったらないわ。ね、おじさま。もう一回やらない?」

「やらない。これがお互いに最後の勝負だろう」

「……ええ、覚えているわ。約束ももちろん」

「なら良い」

 

 この勝負を受ける前に交わした約束――結果に関わらず、レミリアは今後スペルカードルール以外の勝負を一切行わないことである。

 

 今、自分とレミリアの交えた戦いは未来にあってはならないものである。

 この戦いの本来の結末は信綱が屍を晒すか、レミリアが灰に溶けるかの二択。

 どちらを迎えたとしても遺恨は残り、蚊帳の外にされた第三者ばかりが涙を流す悲しいもの。

 当事者ばかりが満足して何一つ生産的なものを生み出さない以上、これを続ける理由はどこにもない。

 

「……満足したか?」

「――最高に。おじさまの最後の戦いは私がこの身に刻んだ」

 

 誇るように自らの斬られた痕跡に触れ、レミリアは笑う。

 後世に残すべきでない、血腥い戦いの頂点に一度は立った人間の最後を刻み込んだ。

 人間に退治される妖怪にとって、何よりの誉れである。

 

 信綱は相変わらず理解できないとばかりに肩をすくめ――しかし、彼女に手を差し伸べた。

 

「妖怪の考えは理解できないが――お前の誓いは信じるに値する」

「――」

「後は任せるぞ、レミリア」

「……ええ、安心して休みなさいな。私はこれからの幻想郷をもっと楽しくするから」

 

 レミリアは差し伸べられた手を呆けたように見て、次いで微笑みとともにその手を掴んで立ち上がる。

 そしてしばしの間、二人は互いの手を握り続けるのであった。

 

 

 

 

 

 ――ここに、人間と妖怪が殺し合いを続けた歴史は一つの節目を迎えるのであった。




英雄としての道を歩み始めた切っ掛けとなった勝負で始まり、この勝負で終わる。
本当は紅魔館勢が勢揃いで戦う案もあったのですが、やっぱおぜうは一騎打ちをするだろうなと考えてこの形に(一騎打ちでも他の助力を借りないとは言わない)

自重も慢心も投げ捨てて挑んだのに、逆にそれが仇となってしまうという因果。ノッブはノッブでレミリアに正々堂々は全く期待していませんでした。
何かしらしてくるだろうなと思って対策を用意していたり。

そしてここで人間と妖怪が殺し合う歴史は一つの節目です。理性のない妖怪などの被害があったとしても、そうじゃない妖怪と人間が殺し合う未来がもう来ないことを願って、ノッブは剣を置いてレミリアはスペルカードルールのみに従って生きていきます。

もうあと数話(間違いなく2桁は行かない)ですが、どうぞお付き合いください。

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