阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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これからを担う少女たちと、これまでを担った人間

 霊夢は怒りに打ち震えていた。

 ここまでの怒りを覚えたのは生まれて初めてである。

 楽しみにとっておいた、爺さんに作ってもらったお菓子を魔理沙に取られた時以上の怒りだ。

 

 わなわなと拳を震わせ、口元がひくひくと引きつる。

 周りに誰も居ないことが幸いだった。いたら確実に怒りをぶつけている。

 

「あんの妖怪ども、本当に全く片付けてない……!!」

 

 やっぱり妖怪ってロクデナシばっかりだ、と霊夢は境内に散乱するゴミと散った桜の片付けを考えて、怒りを燃やすのであった。

 屋台の片付けだけはしっかりされているのが幸いで、人里の人間は祭り慣れしているのか片付けも手際が良かった。

 できることならあの調子で妖怪が汚した部分も掃除して欲しいものである。現実は悲しい。

 

「どうしたもんかな……これ」

 

 怒りもピークが過ぎると、残されるのは途方もない掃除量にうんざりする気持ちだけである。

 宴会の規模も霊夢が初めてどころか、父親ですら初めてと言うような大きさだったのだ。当然、出てくるゴミの量も規模に比例する。

 

 一日頑張って終わる量なのかすらわからない。どこから手を付けたものかと途方に暮れていると、階段を昇る足音が聞こえた。

 

「ん?」

「ひどい状態だろうな、とは思っていたけど……これほどとはね。少しだけあなたに同情するわ」

 

 やってきたのは陽の光を浴びて輝く白いプリムが眩しいメイド服の少女――十六夜咲夜だった。

 博麗神社の惨状に困ったように笑いながら、霊夢の方へ気安く近寄っていく。

 

「お嬢様が昨日は楽しかったですって。そのお礼代わりじゃないけど、手伝ってあげましょうか?」

「今のあんたになら抱かれても良いわ!」

「残念、私は普通に殿方が好きなの」

 

 咲夜に後光が差して見えた。

 仮にも神道の巫女としてその表現は良いのか、と疑問が飛んできそうだが、手伝いもしない神様と手伝ってくれる人間なら人間の方にありがたみを感じるのは当然だった。

 霊夢は感動したように――というか実際に咲夜に両手を合わせて拝みながらぺこぺこと頭を下げる。

 博麗の巫女が悪魔の犬に頭を下げている? この状況を解決できるなら犬にだって頭を下げよう。

 

「ほんっとありがと! もうこれ一人じゃ終わらないなって泣きそうだったのよ」

「こういう大規模な掃除は慣れよ。手際さえ良くなればすぐ終わらせられるわ」

「あんたの能力を使わなくても?」

「使わなくても。さ、始めましょう。終わったら人里で何か奢ってもらおうかしら」

「もうなんでも奢るわ! じゃ、私は神社の中をやるからあんたは外をお願い」

 

 袖をまくり、ムンとやる気を見せている咲夜と並んで、霊夢は気合を入れ直して掃除に励むのであった。

 

 

 

「やってみれば終わるものね……」

「でしょう? 外のゴミって言うのは目に見えているものだけだから、意外と楽なのよ」

 

 二人で、特に家事全般をやるのが仕事みたいな面のある咲夜もいたことで掃除は実に早く終わった。

 一日かかって終わらないかも、などと悲観していたものの、蓋を開けてみれば二時間もかからないものだった。

 霊夢は咲夜への感謝も兼ねて部屋に上げてお茶とカステラを出す。

 

「いやあ、助かったわ。やっぱり持つべきものは友ね」

「その理屈だと魔理沙はあなたを助けてくれるのかしら」

「あいつは次見つけたらぶっ飛ばす」

 

 光の消えた瞳で魔理沙への恨みをつぶやく霊夢に、これも友情の形だろうと咲夜は笑う。

 普段は丁々発止にやり合っているが、あれで両者に危険が迫っている時は実に息の合ったコンビになるのだ。

 なんとなく微笑ましい気持ちになりながら、咲夜はお茶と一緒に用意されたカステラをつまむ。

 口の中でほろほろと崩れ、上品な甘さと卵の風味を堪能できるそれに、微かに驚いた顔になった。

 

「……あら、美味しい。どこで買ったのか聞いても良いかしら?」

「ん? それ? 爺さんが作った」

 

 信綱はたまに霊夢に差し入れを持ってきてくれたりするのだ。

 普段は独り占めすべく隠しておくものであるが、咲夜には掃除を手伝ってもらった恩があるため提供していた。

 

「確かあなたのお爺さんはあの人だったわね。それなら納得だわ」

「あんたも爺さんのこと尊敬してるわよね。前見た時はびっくりしたわ」

 

 以前に阿求と信綱を尾行した時、咲夜が信綱に話しかける光景も見たことがある。

 初めて会った時よりも柔らかい笑みを浮かべて話す彼女の姿は、霊夢から見ても良い出会いになったのだとわかるほどだった。

 

「あら? 私と旦那様が話している姿って、あなたは見たことあったかしら?」

「え?」

 

 何気ない言葉だったのだが、よく考えたら霊夢は咲夜が信綱と親しいという情報は通常知り得ないものだ。

 ここでバカ正直に爺さんの後を尾けていたら見つけました、などと言ったら軽蔑の眼差しは免れない。

 何か適当な言い訳を考えねば、と霊夢は微妙に視線をそらしながら口を動かす。

 

「あーっと、爺さんが話してたのよ。レミリアとは大違いだって」

「ふぅん……あの人、自分の知り合いの話って誰かが尋ねない限りしない方だと思っていたのだけど、勘違いかしら」

 

 咲夜の推測が大正解である。

 あまり付き合いが長くなくてよかった、と霊夢は内心で冷や汗を流しつつ言葉を続ける。

 

「まあ私のことは良いのよ。今気になってるのはあんたと爺さんの関係よ。……まさか、母さんという人がいながら浮気!?」

「あり得ると思ってる?」

「自分で言っててないわー、と思った」

 

 今でも母さんと結婚したのが不思議なくらいなのだ。

 寝ても覚めても考えるのは御阿礼の子のことばかり。幼い霊夢にすら自分は阿求のことを優先して、お前はその合間に面倒を見る、と公言したくらいである。

 その彼に浮気をする甲斐性などあるはずがない。というかそんな暇があるなら御阿礼の子のために鍛錬をするだろう。

 

「お嬢様がご執心の相手だしね。私も少しは気になってたわ」

「ああ、なんか昔の異変の話だっけ?」

「ええ。私も聞いた話になるけれど、お嬢様が幻想郷に来た時の異変を彼が解決したとか」

「想像できるようなできないような……」

 

 今のような弾幕ごっこがあるわけでもない以上、人間と妖怪の勝負は命懸け――それも人間の側が圧倒的に不利な殺し合いになるだろう。

 信綱の死ぬ絵面が描けないのはさておき、そうして作られるのは凄惨極まりない光景のはず。

 それのどこにレミリアの惹かれる要素があるのか、人間である霊夢には全く理解ができない。

 

「異変を起こして、退治されたんでしょ? なんで爺さんが好きになるのかしら」

「それを言ったらお嬢様があなたのところに来る理由も全部否定してない?」

「言われてみればそうね。じゃあレミリアの頭がおかしいとか?」

「あり得るわね。お嬢様、ちょっと変わったものがお好きだし」

「おいメイド」

 

 仮にもレミリアに仕えるメイドがそれで良いのか、と霊夢は半目で咲夜を見るものの咲夜はきょとんとするばかり。どうやら天然で言ったらしい。

 基本的に真面目で振る舞いも瀟洒な美しい少女なのだが、たまに素でやっているのか計算しているのかわからない行動を取ることがある。

 霊夢はそんな咲夜に軽く笑い、まあ良いかと流す。どうせレミリアの耳には入らないのだ。気にするほどではない。

 

 さて、と霊夢は話している間に綺麗になくなったお茶とお茶菓子を片付け、立ち上がる。

 

「そんじゃ人里行きましょうか。あんまりここで管巻いてても日が暮れちゃうわ」

「ええ、見たい小物があったのよ。付き合ってもらおうかしら」

 

 咲夜も笑って立ち上がり、並んで神社の外に出る。

 こうして、幻想郷の少女たちの楽しい一日は始まっていくのであった。

 

 

 

「ところで何の小物が欲しいわけ?」

「手帳を切らしちゃってね。ついでだし可愛いものでも選ぼうと思って」

「ふぅん、あんたも手帳なんて使うんだ」

「お嬢様の願うようなメイドになるための精進は欠かせないの」

 

 口では自分に厳しいことを言う咲夜だが、霊夢と並んで歩くその表情は余分な力の抜けた優しいものだった。

 そういえば紅霧異変の折に会った時はもっと冷たい印象があったっけ、と霊夢は隣を歩くちょっと年上の友達を見る。

 

「どうかした?」

「いや、そんなことを言うあんたなら、私みたいなズボラな巫女とは付き合わないんじゃないかって思って」

「昔のままならそうしたかもしれないわね。あったとしてもお嬢様のお付きとか」

「で、どんな心変わりがあったの?」

「自分ひとりでできることなんて、たかが知れているって先達に言われてしまったの」

 

 先達、と言われて霊夢は首を傾げるもののすぐ答えにたどり着く。

 

「爺さんのこと?」

「ええ。一人では考え方も偏ってしまうし、視野も狭くなると言われたわ。話せる仲間を作ってみることも大事だって」

「私も爺さんに言われたっけな。懐かしい」

 

 まだ霊夢が寺子屋に通っていた時に言われたことだ。

 同年代の子供たちは皆、霊夢より頭も力も劣っていた。もしもあの時、信綱の言葉がなければ霊夢は勝手に子供たちに見切りを付けて諦めていたかもしれない。

 あれはそんな霊夢の性質を見透かしてかけた言葉なのだろう。

 他人に興味がなくて御阿礼の子が最優先だと公言しているくせ、決して他人を軽視しない彼らしかった。

 

「あなたも言われたの?」

「そ。これでも小さい時から爺さんにシゴかれてたから、同い年ぐらいの子たちがバカっぽく見えてたんだけどね。爺さんに言われて話してみたらやっぱ違ったわ」

 

 能力という点で見れば霊夢に敵うものはいなかった。

 しかし、彼らの考え方は霊夢のそれとは違い、色々な観点を持つものであり霊夢を驚かせるに値するものもあった。

 信綱が知るべきだと言ったのはそういうことだろう。それは一人では決して知り得ない知識だった。

 

「……お互い、他人に興味がなくなる前に忠告を受けた身ってことかしら」

「かもしれないわね、っと着いた」

 

 もっと冷淡な関係になっていたかもしれない、というあまり想像のできないもしもの可能性に思いを馳せていると、霧雨商店の前に到着していた。

 大抵のものはここで手に入る。ここで見つからなければ店主に聞けば気前良く教えてくれる上、次に来た時はちゃんと店にないものも取り揃えてあるのだ。

 中に入ると店主の気持ちの良い挨拶を受け、娘の近況を知りたがる彼に何か話をしながら買い物をするのだ。

 きっと楽しい未来になるだろう、と思いながら店の中に入っていく。

 

「はい、いらっしゃいませ――げぇ、霊夢!?」

 

 そうして店に入った霊夢たちを出迎えたのは男店主の声――ではなく、自分たちと同年代くらいの少女の可愛らしい声――率直に言ってしまえば霧雨魔理沙の声だった。

 彼女がここにいることは別に問題じゃない。なにせ霧雨商店は人里でも最大の規模。人里の外で暮らす魔理沙が利用することがあっても良い。

 だが今の彼女は店の内側に入り、店員の役をこなしていた。里の外で暮らすにあたって実家を勘当されたと聞いているが、これはどうなのだろうか。

 

「んぁ、魔理沙じゃない。あんた何やってんの?」

 

 魔理沙はトレードマークである魔女っぽく見えるとんがり帽子を落ち着かなさそうに動かし、視線を右往左往させながら言葉を紡いでいく。

 

「し、仕事だよ。バカ親父が二日酔いだって言うし、ちゃんとした給金も出るから午前中だけ仕方なくな、仕方なく! 割が良いんだよ!」

「へー、ほー、ふーん。家族仲が良くて結構なことね」

「違うって言ってるだろ!?」

 

 顔を真っ赤にして言ったところで説得力などあるはずもなかった。

 霊夢と咲夜は生暖かい笑みを浮かべたまま、魔理沙から離れて手帳を探し始める。

 

「おっと、この辺にありそうね。そういえば咲夜は魔理沙の事情は知ってるんだっけ?」

「魔理沙から聞いた話ぐらいしか知らないわ。出ていってやった、って聞いていたけど」

「私もそこまで詳しくはないけど、あの様子を見る限りだと意外と円満に話がついたのかもね」

「何にしても仲が良いことは美しいこと……霊夢、この二つならどっちが良いかしら?」

 

 手帳を真剣な顔で見ていた咲夜が二つの手帳を霊夢に見せてくる。

 一つは黒の装丁のシックな手帳で、白と黒のメイド服を着ている咲夜にはさぞ似合うと思われるもの。

 もう一つはリボンの模様が入った可愛らしい白黒の手帳。完全で瀟洒なメイドが選ぶとはなかなか想像できないもの。

 

 霊夢はその二つを見て迷わず後者の手帳を選択する。

 

「そっちの方が良いと思う。あんたが気に入ったのを使うのが一番でしょ」

「……わかっちゃう?」

「意外とね。それに爺さんもレミリアも手帳ぐらいで一々言ったりしないわ」

 

 気にするのは当人ばかりということである。

 咲夜は霊夢にそう言われて小さく笑い、黒の装丁の手帳を戻してもう一つの手帳を魔理沙の方に持っていく。

 

「こちらをくださいな、可愛い店員さん?」

「知らん。私はこの店とは何の関係もない」

 

 魔理沙は拗ねたようにそっぽを向いてしまう。どうやら生暖かい笑みを浮かべていたのがバレたようだ。

 どうしたものかと困ったように笑っていると、隣にいた霊夢が嫌らしい笑みを浮かべる。

 

「ふーん、じゃあ店員さんがいないなら仕方がない。これはもらっていきましょうか」

「なんでそうなるんだよ!?」

「だって店員がいないお店なんてあるはずないわ。つまりここはお店じゃない。置いてある物品を持っていくのだって構わないでしょう?」

「ぐ……そ、そうだよ! ここに店員はいないんだし、持っていっても良いんだよ!」

「良いことを聞いたわ。良いことついでに周りの人にも教えてあげないと。良いことはみんなで共有しないとね」

「はぁ!? おっま、そんなことやったら大損だろ!?」

「んー、魔理沙には関係ないんじゃないの?」

 

 ニヤッと笑いながら霊夢は魔理沙を見る。

 ぐぬぬと言葉に詰まっている魔理沙の横に音もなく近寄り、霊夢は魔理沙の肩に馴れ馴れしく手を置いてささやきかける。

 

「――で、何か言うことはあるかしら?」

「…………霧雨商店の店員はここにおります、お客様!」

「わかればよろしい」

 

 何かに負けたように打ちひしがれながらも、店員としての役目を果たす魔理沙に微笑みながら、咲夜は会計を済ませる。

 そして霊夢と霧雨商店を出ようとすると、後ろからやけっぱちになった魔理沙の声が届いた。

 

「今後とも霧雨商店をご贔屓ください!!」

 

 

 

「あっはははははは! 魔理沙ったら顔を真っ赤にしてたわね!」

「あんまりいじめ過ぎちゃダメよ。でも……ふふっ」

「咲夜だって笑ってるじゃない」

「可愛い反応だったからつい、ね」

 

 尤も、咲夜からすれば天衣無縫な霊夢も、蓮っ葉な女の子のようで女の子らしい一面のある魔理沙も、どちらも可愛い妹のような友達だった。

 年長者らしくしても、あるいは普通の友達のように付き合っても良い存在。それが咲夜にとっての霊夢と魔理沙だ。

 買った手帳を大事にしまい、咲夜は仕事の時とは違う笑みを浮かべる。

 

「――さ、この後は霊夢に美味しいものでも奢ってもらいましょうか」

「任せなさい。とっておきのお店を紹介してあげるわ!」

 

 霊夢と一緒に歩く二人の姿は、様相こそ尋常の人とは違えども――実に普通な女友達との買い物風景なのであった。

 

 

 

「いやあ、悪い悪い。昨日の宴会でちょっとハメを外しすぎた。魔理沙、助かった……ってどうした?」

「親父……店は私が守ったぜ……」

「どうしたんだよそんな燃え尽きた顔になって」

「もう店番とか頼まれたってやらないからな! 助けるのは今回限りだ!」

「魔理沙!? おおい、魔理沙ー!?」

 

 なぜか涙目の魔理沙が霧雨商店を文字通り飛び出していく事件がその後、あったそうだが――実に些細なことである。

 

 

 

 

 

「おじさまー、遊んでー」

「帰れ」

「宴会の時にも探したけど見つからなかったのよ! だから遊んで!」

「帰れ」

「咲夜は霊夢と遊びに行っちゃうし、美鈴はやってきた氷精の遊び相手になってるし、パチェはちょっとはしゃぎすぎて倒れちゃうし! やだ、魔女って貧弱すぎない?」

「…………」

 

 一人で盛り上がって一人で自分の友人の虚弱ぶりに慄いているレミリアに、信綱は苦み走った顔になる。

 相変わらず来るとうるさい輩だ、と頭痛を覚えながら作業の手を止めてレミリアの顔を見る。

 

「あ、相手してくれるの?」

「どうせ今回は暇つぶし以外の用件もあるだろう」

「……なんでわかるのかしら。いっつも思うんだけど、おじさまって私がお願いしたいことがあると必ず見抜いてくるの」

 

 その一瞬だけレミリアは紅魔館の主としての顔をのぞかせ、深い色を持った瞳で信綱を見る。

 実際のところを言うなら信綱も彼女が真面目な悩み事を持っていることは常にわかっているわけではなく、たまに見えるそれとない前兆や仕草を覚えているだけである。

 これをそのまま伝えるとまた彼女がうるさいので、黙っておく。

 良く見ていると言われたらその通りであるが、信綱は大半の人には同じだけの観察を行っている。

 

「さあな」

「ひょっとして……愛!?」

「作業の邪魔だから帰れ」

「茶化すのは私の悪い癖よねハイ! 謝るから話を聞いてください!」

「お前は本当に……いや、良い」

 

 真面目なのか適当なのかわからん、と言おうと思って思いとどまる。

 口に出したところでどっちも自分である、という答えが返ってくるに決まっていた。

 レミリアは遊んでいる時も戦っている時も、どちらも自分であるという意思を持っている。

 少なくとも、自分で決めたこと以外のことはやろうとしない性格であることは信綱にもわかっていた。

 

「まあ今日はお願いしたいことがあってきたんだけどね」

「そうか。帰れ」

「用件が終わったら帰るわ。――そこの鬼も含めて」

 

 レミリアは意味深な表情で中庭に続く戸の向こう側を見る。

 すると視線の先に一つの影が障子越しに現れた。雄々しい角が二つ天高く衝いている少女の影だった。

 

「……お前も気づいていたのか」

「その様子だとおじさまもね」

「そこの人間は前からわかってたよ。というか初見で見抜いてきた」

「おじさまだもの。私のこともほんの僅かな動きだけで見抜いちゃうし。こんなに見られているなんて愛し合ってるも同義じゃない!?」

 

 まるで自分のことのように誇らしげにするレミリアだった。

 信綱は無言で立ち上がると、レミリアの頭を鷲掴みにして中庭に通じる襖を開いて放り投げる。

 

「日光は痛いからやめてえぇぇ!?」

「で、何の用だ?」

 

 陽の光で焦げた匂いを発しながらも日陰に戻ろうとするレミリアを押さえつけ、信綱は来客の相手をし始めた。

 その来客――伊吹萃香は頭の後ろで手を組んで快活に笑う。

 

「いやなに、私の萃めた連中との宴会は楽しかったかなって思ってさ」

「やはりお前の仕込みか」

「気づいてたのかい?」

「普通に呼んであんなに集まるものか。それに特別な用件でもない限り鬼は地上には来ない」

「相変わらず人間離れしてるねえ。……それとそろそろ離してあげたらどう? なんかビクビク痙攣してるけど」

「今のこいつにとっての日光など大した意味もない」

 

 信綱がレミリアを無造作に部屋の方に放ると、全身から煙を出していた肉体がみるみるうちに再生する。

 そしてガバリと起き上がると涙目で信綱の方に詰め寄ってきた。

 

「ちょっと痛いじゃない! もっと優しく投げてよ!」

「怒るのそこなんだ!?」

 

 日光に晒されたことに怒っていない辺り、本当に気にしていないようだ。

 信綱は元気いっぱいのレミリアに何も言えないとばかりにため息をつき、改めて萃香と向き直って部屋に戻る。

 

「どうせお前の話はこいつの後だろう。先に話せ、子鬼」

「はぁい。おとなしく話を聞くとするわ」

「良いのかい?」

「構わないわ。私とおじさまはこうやって身体を暖めてから本題に入るだけだから」

「…………」

 

 信綱は無言で額のシワを伸ばしていた。どうやら彼としては不本意極まりない状態らしい。

 ともあれ、萃香は気を取り直して自分の要件を済ませようと口を開く。

 

「んじゃ遠慮なく――私の異変の内容について話しておこうと思ってね」

「人里を巻き込むのか?」

「昨日はかなり強めに萃めた。あれと同じじゃないけど、それでも何の用事もない連中は三日おきに宴会をするように萃める。場所は全て博麗神社」

「後はどれだけ早く異変に気づけるか、か」

「そんなところ。目的も一応あったんだけど、昨日で達成できちまった」

 

 ふむ、と信綱は曖昧にうなずく。

 萃香の目的もある程度は推測できるが、答えを信綱が知る必要はないと考えていた。

 彼女が異変を起こした目的は彼女と、その異変を解決する誰かが知っていれば十分である。

 

「だから後は今代の博麗の巫女ってやつを見定めようかなってところ。どのくらい早く気づくか、酒を飲みながら見物するよ」

「そうしてくれ。人里の連中はそう何度も来れるものではない。いずれ妖怪の方が増えていけばあれも気づくだろう」

 

 それにしても霊夢が正式な博麗の巫女になってからこれで三回目の異変である。

 最初の紅霧異変は信綱も仕掛け人側であったとはいえ、この短期間で二つも新たな異変が起こることに信綱は内心で驚いていた。

 自分の時はほとんど十年おきというものだった異変であり、それでも十二分に多い方だったというのに、ここ数年の間で三つである。

 弾幕ごっこのルールが予想以上に受けていると考えるべきか、ロクデナシの妖怪どもがここぞとばかりに騒ぎ始めたのか。おそらく両方だろう。

 

 信綱は霊夢の今後にそっと同情しながら、萃香の話す異変の情報をまとめていく。

 

「話の大筋は把握した。話はそれだけか?」

「んー、これはまあ引き受けてくれたら儲けもの程度の話なんだけど……」

「何かあるのか?」

「うん。――人間、もう一度だけ力を見せる気はないかい?」

「どういう意味だ?」

 

 眉をひそめる信綱に、萃香は顔を輝かせて大きく手を広げる。

 

「いつぞやの百鬼夜行みたいにだよ。人も妖怪もたくさん萃めて、その前で私と勇儀、人間が戦うんだ。もちろん、命懸けの勝負にするつもりはない。喧嘩は祭りの華だけど、殺し合いはご法度だ」

「真意を聞いておこうか。勇儀はともかく、お前は俺よりもあいつの方を評価している印象だった」

 

 あいつとはもちろん、萃香に本当の意味で負けを認めさせた白狼天狗のことである。

 自らの力量が劣っていることなど百も承知で、恐怖に手足を震えさせながら――それでも、譲れないもののために逃げずに向かってきた白狼天狗の少女を萃香は絶賛する。

 

「勇者としてはあちらを評価している。鬼退治の勇者かくあるべし、だ。だけど――純粋な力って意味ならお前さん以上はいない」

「…………」

「私はお前さんのことも高く評価している。……正直、その力を知らない連中がいることが悔しいとすら思う。これから消え行くものであったとしても、その最高位に至ったお前さんの力、知らしめてみたいと思わないかい?」

「別に。俺が力を求めたのはひけらかすためじゃない」

 

 考え方の違いだろう、と信綱は目の前の鬼が語る力について冷めた目で答える。

 萃香にとって力とは誉れである。鬼退治をも成し遂げたとくれば、その力はまさに一騎当千に相応しい。

 それほどの力が忘れ去られるのは悔しいという、ある意味において自分中心な考え方だ。

 

 対し信綱にとっての力は、あくまで御阿礼の子を護るためのものに過ぎない。

 彼女らを護れるという確証が得られるのであれば、自分の力量など子供以下でも構わないのだ。

 ただ幻想郷は魑魅魍魎が跋扈し、人間の力が圧倒的に弱い世界であったため、彼女を護るにはその頂点に立たなければならなかっただけである。

 彼は確かに幻想郷の変革を成し遂げた英雄であるが、その本質は阿礼狂い。彼の行動理由など、常に御阿礼の子以外にはありえないのだ。

 ……その理由を補強する意味で他人が使われることも稀にあるが。

 

「どうしてもやらない?」

「必要が感じられん」

「……ちぇっ、フラれたか」

 

 信綱が自らの考えを翻す気配がないとわかると、萃香は不満そうに唇を尖らせながらも話を引っ込める。

 この男を無理やり巻き込もうとすると大体御阿礼の子も巻き込まれる。御阿礼の子が巻き込まれたら彼に加減をする理由がなくなり、楽しい宴会が阿鼻叫喚の地獄になる。

 要するに本人が乗り気でない限りは手を出さないのが、お互い幸せに生きるコツなのだ。

 

「ま、仕方がない。せめてもう一度くらいは純粋な武技を味わってみたかったけど、負けた鬼が勝った人間にあれこれ指図する謂れなどあるはずもなし。素直に諦めるよ」

「そうしてくれ」

「じゃあ――また会えることを祈るよ、人間」

 

 そう言って萃香は霧と化して消えてしまう。

 せめて中庭から出て行け、と信綱はしかめっ面でそれを見送り、部屋の隅で待っていたレミリアに視線を向ける。

 

「待たせたな」

「別に良いわ。なかなか面白い話も聞けたし」

「……もうふざけるつもりもないだろう。本題に入れ」

「別にふざけてなんてないわ。私はいつも本気。これまでも、これからも」

 

 だから面倒なんだ、とは言わずに信綱は先を促す。

 レミリアは普段とはかけ離れた様子の、静かな凪のような無表情になって信綱の顔を見る。

 

「先に言っておくけどこれは私個人の純粋なお願いであって、複雑な事情とかは一切ないわ」

「ふむ」

「断っても恨んだりしないし、付き合いを変えるつもりもない。今まで通りおじさまにつきまとうわ」

 

 つきまとっている自覚はあったんだな、と信綱は心なしか温度の下がった目でレミリアを見る。

 しかし何かを言うことなくレミリアの言葉の続きを促した。

 レミリアは一旦言葉を切り、静かに深呼吸を何度か行い、気を静めて真っ直ぐに信綱を見る。

 そしてその言葉を――彼が幻想郷の英雄となった瞬間から抱いていた願いを口にするのであった。

 

 

 

 

 

「――もう一度、おじさまに挑戦する権利を私に頂戴」




とうとう100話に到達してしまった本作。こんなに長くなるとか人に軽々しく勧められないな、と思いながら投稿。

霊夢や咲夜は他人に興味を無くす前。魔理沙は親と決定的な仲違いをする前にインターセプトかましているノッブ。ただし他人への興味が一番ないのはこいつである。
興味がないものに迷惑をかけられるのは本意でなく、色々と未然に防いでいるだけです。ただそれが当人すらも気づいていないような悩みであったり、茶化すことなく真摯に話を聞いて導いているだけで。

自分の力はひけらかすものではないが、卑下するものでもないと考えているノッブ。そのため見せびらかす方面でなければ普通に願いを聞くこともあります。つまり次回は……?

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