【完結】 気が付くと学園都市で銀行強盗していた   作:hige2902

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第六話 釈明轢殺 <trample explanation>

 ふざけているのか、と半笑いでエージェント。 「よくまあ、そんなしょうもない嘘つけるねえ……ツリーを不正使用してまで何を確認したかったのかを言え」

「仮に言ったとして信じるのか? この場で裏を取れるとでも。われわれの意図を探るような質問は時間の無駄だ。お互いプロだろう。手短にいこう。われわれはエレベーターに乗りたい。そちらの要求は?」

 

「吐かせる手段はいくらでもある」

「構わんが、ここで拷問の類を行うつもりか? 連行するにしてもどのみちエレベーターに乗らなければならんだろう」

 

 エージェントは露骨な舌打ちの後でIDカードをスキャンし、上るボタンを押した。前哨戦はこちらの言い分を呑ませた形になるが、問題はこれからだった。エージェントとおれは扉を側面にしたまま相対する。隣の木山は変わらず正面を向いたまま。

 ゆったりとした上昇感が身体を浸透する。

 

「で不正使用の」

「ツリーの使用許可を認可する事は理事会員の権能の一つであって、会員であるわたし個人も当然に有している権利の一つである以上、厳密には不正使用ではない。わたしの許可申請を、わたし自身で認可した」

「使用に至る手段が実質的に不正。申請書に記載されていた適性使用者は十時間前に死亡が確認されている。学園都市における研究者の唐突な爆発、とろけ、事故死および病死は珍しくないけど、運が悪かったわね、残念」

 

「わたしが手にした許可証にそのような偽装工作が行われていたとは。冤罪だ」

「シラを切るつもり?」

「なら証拠を出せ。仮定の話でもいい、わたしが不正使用をするにあたって、いったいどのような手段を用いて使用許可を出したというのだ。言いがかりだ」

「だーから、こいつは弁護士も呼べない話だって言ったろ? あんたらは文句なく殺処分。たとえ理事会員でも暴走すりゃあ粛清対象だし、あんたがそうである事が疑わしい。証拠があるのか」

「会員カードでもあるとよかったが、あいにく統括理事会はレンタルショップと少し違う」

「ゴミみたいになりたいか? 最後に一度だけ聞く。誰だおまえは」

 

 だいぶ堅い。統括理事会員である事に集中しろ。誰なら折れるかと試算するが、自己貫徹型に効きそうな人物像が思い浮かばない。仕方なしに知っている中で一番偉そうな名を口にする。

 

「わたしは木原幻生。そのクローンか、本人だ」

 

 少女は沈黙した。

 

「作業効率上昇とバックアップとしてわたしのクローンを作った。ただ、どれがオリジナルかはオリジナルもわからないだろう。もちろん物心ついた時からの記憶はあるが、それは植えつけられた物かもしれないし、真偽を別にどの個体も同じ答えを言うだろうから」

 

「てめえ、正気か」 興が乗ったと言わんばかりに腕を組み、不遜に口元を緩める。

 

 わたしは焦りを感じていた。このエージェントは子供の言い訳のロジックを面白半分に観察する気だ。聞くだけ聞いて、結局は自分を信じる。揺るがない自己肯定。他者の不在。ヤベーやつ。

 

「理事会員である証拠になるかわからんが、限外紫線(ウルトラバイオレットライン)級の情報をいくつか掴んでいる。絶対能力進化計画と言って――」

 

「……そうだとしても、相手が誰だろうが関係ないという論理からは脱却できてないなあ」

「きみがわたしを殺すのは簡単だろうな、易き道を行くがいい。だがきみが有能さと自身の誇り高さを示すなら難き道を進む必要がある。理事会内部では大きな政争が起きている」

 

「いつもの事だ」

「前人未到のレベル6を顕現させる計画の是非で割れているのだから規模が違う。計画が完遂されれば能力者は、レベル6かそれ未満の二つでカテゴライズされるほどの。わたしはそれを阻止する手段の一つとしてこの施設を訪れた。それに今この瞬間にもある少女のクローンが殺され続けている。彼女らとて、生を受けたのならば尊厳に値する生があるはずだ。命がある。ただの人形ではないのだ」

 

「たかがクローンだろ。魂があるとでも? 物損だ」

「学園の現代生命倫理学であっても、魂という概念は定義づけられておらず、論ぜど結論は無数かつ個別にある。きみはいま、無機物と会話していると感じているのか。そうではないだろう。人間と会話するレベルの無意識さで口を開き、反応を待っていたはずだ」

「それはあんたを木原幻生のクローンだとは思ってないからだ。だいたい、似ても似つかない」

「自己同一性を守るために肉体は完全に他者のそれにした。だから当然誰も、おまえは木原のクローンではない他の誰かだと言ってくれない訳だったが。誰にもその苦悶を言えずに一生を耐えなければならなかった。肉体すべてが他者でも、自分がクローンかもという自意識には囚われ続けるという事だ」

 

「わたしの知る木原幻生はクローンの尊厳だとか、能力者の為だとかいう建前は石ころにも思っちゃいない静穏な狂人だ」

「主義や主張でオリジナルが決まる事はない」

「でもわからないんだろ。あんたら自称クローンの中でも、誰がオリジナルかは」

 

 地上に到着し、扉が開いた。ガラス張りの正面入り口から差し込む光と、ロビーの雑多な会話に救われた気がする。同時に、円柱にもたれかかっていた、オレンジのパーカーを羽織った少女が自然体で構える。後詰か。

 エレベーターから一歩出たところで立ち止まり、女に振り返って言う。

 

「最後に生き残ったのがオリジナルだ。わたしはわたし以外の木原幻生を殺して回っている」

「なら手伝ってやるよ」

 

 女は掌に光球を生み出した。その光景を目にしたロビー内の一人が何事かと会話を打ち切ると、みなそれに続いた。光球は薄ぼんやりと緑がかっており、どうにも剣呑そう。

 静まり返った室で、わたしは言うと同時に絶望に近い感覚に腰まで浸かっていた。死ぬ? わたしが論戦で敗北するならまだしも、このエージェントの殺意を取り()せない? 逃げられないなんてことが……

 

「理事会員であり、木原幻生であっても殺そうとするのか」

「まずおまえみたいな理事会員は知らないし、わたしたちアイテムの存在すら知らないのも不自然だ。仮に木原幻生なら殺したほうが世の為人の為ってわけ」

「いいや違う。これまできみとの会話を分析してみて理解した。きみのそれは建前で、きみは目標を殺せと言われたから殺すのだ。そのような指示を受けたからであって、断じてそれ以外の理由など無い。違うか?」

「よくわかってるじゃない。ま、あんたは今までの目標とは一味違ってなかなか面白かったよ」

 

 こいつは今まで出会ってきた中で最上級に極まった精神構造を持っている。普通は任務に関する責任だとか、成否、損得、恥、栄誉、世間体、後輩を含む仲間内や上司の評価と関係に気をやる。こいつにはそういった煩わしい合切が無い。喧嘩を売るんじゃなかった。こいつに訴えかけてもダメだ。

 

「わたしも楽しかった。最後に一つだけ頼みがある。数分でいい、きみの指示者と会話させてくれ」

「最後の言葉を他人と交わす事になるけど? ま、奇妙な体験をさせてくれた礼だ」

 

 女は空いている手でスカートの下から携帯端末を取り出し、発信してからわたしに投げてよこした。ポケット付きのスパッツでも履いていたのだろうか。

 

『何があった、緊急回線だぞ』

「絶対能力進化計画を知っているか」

『誰だおまえは、なぜ……この端末の持ち主は!?』

「生きているし、目標であるわたしを殺して任務を終えようとしている。最後に交渉して指示者であるあなたと会話させてもらった。絶対能力進化計画を知っているか?」

 

『は? ……ああ』

「わたしはそれを阻止する手段の一つとしてツリーを利用したが、計画推進派の工作により、不正使用をでっちあげられた。あなたは不正使用者の処罰という偽の情報を掴まされた。この失態は理事会で槍玉にあげられ、後のレベル6の最初の性能テストにあなたのエージェントが使われる理由にされる。汚れ仕事をやるような連中がいくら死んだところで誰も気にしないしな。わたしと相対した女性のエージェントは指示者であるあなたの命に従順で、極めて優秀な兵士だ。それを失いたいか? 替えが利くようには思えない」

『おまえは……いったい』

「わたしは木原幻生、そのクローンかオリジナル。休戦したい。見返りに情報を分ける。木原幻生主導の暴走能力の法則解析用誘爆実験は凍結されていない、水面下で何かが進行している。エージェントを止めてくれ」

 

 一拍の後に返事を得たので、エージェントに携帯端末を返す。比類ない兵士だったが、上司はまともだ。命令に対する忠実さが仇になった。勝った。わたしはエージェントの命令を撤回させる事に成功した瞬間に腹部が熱を持った。視界が赤く明滅し、その場に悲鳴とどよめきがこだました。背後から逃げ惑う足音。激痛に膝が笑う。

 

「あー、もしもしー。作戦は一時中止ー? うーん、ちょっと遅かったかも」 エージェントがにやにやと笑ってわたしに吐き捨てるように。 「命令に忠実であるという言質を取った上で、うちの上司を丸め込み、停戦の命を下させたのは褒めてやる。だけどやっぱ怪しいわ。勘だけど」

 

 わたしは呼吸が怪しくなりながらも、腹をおそるおそる見やった。

 ぽっかりと直径十センチ程の正円の穴が、おそらく貫通している。断面は焼かれているせいか失血していない。ゆっくりと顔をあげて女をねめつけると、周囲に複数の光球が浮遊していた。あまりの痛みに声も出ない。この女はヤバすぎる。論理や理屈の防壁を直感と感情だけで貫通してくる。能力はよくわからんが、使い手の実力は学園都市でも五本の指に入る。人が苦労して積み上げたものを、なんか邪魔だからという理由で轢いてくるような精神構造のこいつを折る事は論戦術の細緻に入る御業で、わたしは至らなかった。

 

『よせ!』

 

 電話口からの大声を無視して、エージェントは大仰な手振りで言った。

 

「いーじゃない。レベル6とやり合うってのも悪くない。それに口八丁手八丁で煙に巻こうって魂胆が見え隠れして気に入らないから死ね。いやその前におまえが本当は何者なのかを聞くんだった。次は、うーん、脛でも撃っちゃおうかな、タマは最後にしてやるよ。で何者? 即答しろ」

 

 口を開け。こいつは絶対、片足の脛と思わせて両足を抉るようなやつだ。脛とは言ったけどどっちか一つとは言ってませーん、とか恐ろしい理由をつけて。

 語れ。意思はそう肉体に命ずるが、痛みでそれどころではない。粘つく唾液と鼻水が呼吸を遮る。脂汗が滴り落ちる。とにかく横になりたかったが、伏せば負けると理解していた。痛みで絶叫しても敗北する、傷に手をあてがっても相手の言い分を飲むに等しい。そう理解はしてた。膝に手を突き、崩れそうになる身体にたたらを踏むと傷口がたわみ、苦痛で意識が飛びそうになる。

 喋れ。何でもいい。口説き文句、好きな食べ物、嫌いな色でもいい、から。他に対抗手段は無い。

 駄目だ、声が……出せない。

 

 視界がぼやける中、わたしとエージェントの間に割って入った人影。その抱き心地の良さそうなくびれと尻には見覚えがあった。

 

「やってくれたな、苦労して手に入れた幻生のクローンを!」

 

 木山……喋るなと言ったのに。殺されるぞ。

 

「自分の事を理事会員の幻生クローンだと思いこんでる一般人だろ!」

「木原幻生が静穏な狂人だと言うのなら、御坂クローンの生命を尊重する発言の次に、自身の幻生クローンを殺し続けると言ったダブルスタンダードを吐くこいつもまた静穏な狂人そのものではないか! 事実こいつの精神構造はおかしい!」

 

 ひ、ひどい。こここ、こいつら言いたい放題。

 癪なので皮肉の一つでも言ってやろうと思ったが、浮き輪の手動空気入れポンプみたいな音しか出ない。カッコ悪いので黙ってる他ない。腰を落ち着けなければ何も言えん。悔しい。

 

「ただの詐欺師だ、雑魚はどいてろ! 無能力者ともども一緒に死にてえか!」

「これはわたしの私物だ! 破壊させはしない! この損害はいずれそちらに支払ってもらうからな!」

「いずれなんて無えんだよ!」

「きさまには言っていない! きさまの指示者にこのツケは払わせると言っているんだ、聞こえているだろう! 目標が幻生のクローンという情報が伏せられていたのは明白だ! きさまらとて敵対者がいないわけではあるまい! こいつが十中八九、木原とは関係ないと考えているのだろうが、最後に生き残ったのが幻生のオリジナルではなく、最初に死んだのが幻生のオリジナルだったという事にされるのがオチだ! 現実はどうあれ、客観的には幻生を殺したという事実だけが残るのだぞ!」

「無視してんじゃねえ!」

『麦野!』

 

 電話の向こうの指示者の怒声が木霊した。

 

『絶対能力進化計画は木原幻生の起案だ、文句なくクローニングを行使できる立場にある! 目標がクローンであっても木原で、かつよりにもよって幻生であるなら、われわれは冤罪の幻生殺害という泥を被るかもしれないんだぞ!』

「それがどうした! 所詮はクローンだろうが! 今まで目標の有罪無罪を考えて汚れ仕事をやった覚えは一切無い!」

『十把一からげの木原のクローンならともかく幻生は別だ、部隊の存続に関わる! われわれを消したい連中にその口実を与えるという事だ! 武力ではなく権力によって解体される。おまえたちの実行力は理解するが、わたしの政治的横車が通らなくなるんだぞ! これは罠だ! 何者か仕掛けた、幻生のクローンという情報地雷だ! やりようはある!』

 

 麦野と呼ばれた女が歯がゆい表情を見せた。自己最優先かと思っていたが、意外に部隊の連中と仲がいいのか。アイテムという組織そのものは、自己と同様レベルには大切に思っている? ますますをもって訳が分からんエージェントだ。だから歯が立たんのか。

 わたしはゆっくりと呼吸を整え、直立し、麦野と呼ばれた女を見据えた後に背を向けて歩き出す。木山が隣に並んだ。途中でフードの少女が立ちはだかったが、立ち止まり黙っていると道を譲った。

 

 入口のガラスドアには綺麗な穴が開いている。おそらくわたしの腹と同じ径の。麦野とかいうやつの能力は、やはり遠距離戦に特化している。

 木山……助かった。けどなんで入口から微妙に遠い所に停めたんだよ。数キロにも感じられる数十メートルを歩ききり、わたしは借りていたキーでロックを解除して運転席に乗り込んだ。

 

「おいおまえは助手席に」

「わたしの好きな映画の主人公は、ラストでマフィアに腹を刺されたが平気で運転してスタッフロールしてたよ」 息も絶え絶えで続ける。 「いいから、乗れ。信用して車を貸せ。あと助かったよ。あれは化け物だ。妙なボーダーラインが引かれた組織愛があったとは露程も考えられなかった。わたし一人だと負かされていたに違いない」

 

 木山は何か言いたそうだったが、黙って従ってくれた。お守り代わりのスコーピオンを懐に収め、二回エンストしたが、何とかエンジンをかけてランボルギーニを走らせる。

 

「取り急ぎ確認したいことが二つある。暴走能力の実験が水面下で実行中というのは? あいての反応を見るに事実性があったが」

 

 おそらくガキが昏睡状態になったのはシナリオだろう。計画主導者が統括理事会を介してツリーの申請を操作できるのなら、当然に主導者もツリーを利用し、計画の課程と完了の保証は既知だろうから。

 だからまだ暴走能力の実験は継続されている。もしもわたしが主導者で、本当に事態を隠匿したいのなら木山とガキは暗殺するから。そうなっていないという事は、実験自体に関係者を殺すほどの機密性はなく、でも木山にはこの件に関してツリーで干渉されたくない事由がある。もしくはガキにはまだ利用価値がある。

 

 昏睡状態のガキを治されてもたいして困るまい。再び孤児を集めて同じ実験をすれば済む。つまりそれ以外で、計画自体に探られて痛い腹がある。ガキを治療する方法の演算過程で、万一にそれに触れられると面倒だから申請を蹴っていたと考えた。

 

 という事を途切れ途切れに伝える。

 

「ではまだ子供たちになんらかの危害が加わる可能性が……」

「かも。二つ目を言ってくれ、わたしが死なないうちに」

「おまえは何らかの能力者なのか?」

「知るか、そんな事。あんたの能力は大脳なんとか研究に突出した思考が出来る事か? と言われても反応に困るだろ。そうかもしれんし、たまたまかも」

 

「それもそうか……おい、病院の区画は」 と木山が過ぎ去った標識に視線を流した。

「ダメだ、あいつら、アイテムとか言っていた連中はたぶん、引いたふりしてわたしの入院中に適当なスキルアウトを使って間接的に拘束させる。そうして、万一の敵対組織を介した理事会の糾弾を躱すつもりだ。わたしならそうする。正円の傷なんてレアな手術痕だから、時間を指定してカルテを徴収するなり盗み見すればすぐ居場所は割れる」

「死ぬぞ」

「悪いがわたしは尋問されて、あんたの目的を吐かない自信は無い。もしも昏睡状態のガキに利用価値があった場合、幻生の裏工作で移送される」

「しかしそれでは!」

 

 わたしは思い出したように突発的に痛みを叫んだ。

 

「あのクソ女! 何て事してくれたんだ! くそたれ!」

「うぉっ! 急に……お、おい気持ちは分からんでもないが落ち着け。別にあいつらは……らしくないぞ」

 

「わかったわかったわかってる! 不正使用者を摘発するのが今回のあいつらの仕事で! わたしたちは不正を働いた、だからこーなった! 復讐なんてくだらん事は考えてないっ!」 ハンドルをこれでもかと握りしめて歪に右折する。 「めちゃくちゃ痛いんだよ! だからこう、とにかく怒ってアドレナリンを出して痛覚を誤魔化してる最中! ああ! 世界一ビックリマークが似合う男になりそう! 怒るのに協力してくれ!」

 

「わかったそうか、協力する。安心したよ。少しだけ」 木山は両手でアシストグリップを握って言った。 「もう少し中央線から離れたところを走ってくれるともっと安心」

「そうか! 全然気づかなかった! あと白井に映像通話で連絡を取ってくれるか? ズボンの左ポケットに携帯端末があるから。なんか力み過ぎて手がハンドルから離れん……なんてこった! これじゃあクラクションも押せん、あーいらいらする!」

「ああ、でも今度は歩道に寄りすぎ……」

「運転にケチを付ける助手席ほど煩わしいものはないな、良い調子だ! だんだんと痛くなくなってきた」

 

 木山が二件しかないアドレス帳から白井を呼び出すと、数コールで着信した。

 

「白井か!? わたしだ! ちょっと手が離せないから木山に掛けさせてる! で、腹が立つほどヤバい状況! 助けてくれ! おっとー、木山、ウィンカーの使い方を知らずに右折するバカ対向車にクラクションを鳴らしてくれ!」

 

 パー! と木山は鳴らしてはみるが、当然すでに件の車は過ぎ去っている。前方車両の運転手の困惑した顔がルームミラーに映る。

 

「くそっワンテンポ遅い!」

『いったい何事ですの』 と怪訝な声色の白井。

「腹を撃たれた!」

 

 視線を木山にやると、サッとぽっかり正円に空いたわたしの横腹にカメラを向けた。白井の息を飲む声。

 

「グロい物が映るかも、くそっ今度はワンテンポ早い!」

「わがままを言うな」

「死にかけだぞ! 言わせろ! イラッと来た! その調子!」

『どうしてこんな、誰が……今どこですの!』

 

「わたしは木原幻生のクローンだった! アイテムとかいうのにやられた、かも。いまから第四学区に向かう! そこでジャッジメントとしての白井くんに頼みがある! 一帯の監視カメラを凍結できるか!?」

『それは……』

「わたしがっ望んでいる言葉は、わかったからもう喋るな、ってやつだ。映画とかでよくあるあれだよ。人生で一度は言ってみたいセリフだろ? な?」

 

 数秒の沈黙は答えを出しあぐねている証拠だ。つまりは可能なのだろう。ただ、自身の権限を大きく逸脱しかねないのでやりたくないか、どこかに借りを作るのを嫌ってか、単純にわたしを信用していない。

 

「腹と引き換えに御坂美琴に関する重大な情報を掴んだ。電話回線では危険すぎるほどの。一時間でいい」

『……わかりましたわ』

「助かる。追って連絡する」

 

 頭を使ったせいか理性が戻り、痛かった痛みがもっと痛くなる。ハンドルを握る手が緩くなる。

 

「第四学区だと……おまえそこがどこかわかっているのか!? あそこは飲食街だぞ、このあいだ食事しところだ。まさか……」 木山がわたしの傷跡を覗き込み、そっと物を置くような慎重さで続ける。 「まさか腹が空いたから、とかそんなつまらん……」

 思わずハンドルに齧りついて堪える。 「うまいこと言って笑かふな、う、ぐっぐっ、腹は痛ひ」 涙まで出てきた。

 

 意識が遠のきそうになる。居眠り運転特有の左右にぶれるハンドルさばき。しっかりしろと、アシストグリップをがっちり掴む木山……のブラウスは汗で透け、白いブラに張り付いている。どうしても珠の浮かんだ胸元に釘づけになる。

 なるほど確かに、頭がいっぱいになるとエアコンを付けるのを忘れる。もう木山をからかえんな。

 

「痛くてショック死しそうだ」 息も絶え絶えで言った。 「頼みがある」

「わかった、前を向いてくれれば何でも聞く。いや前を向いて安全運転してくれれば」

「胸を触らせてくれ。青臭いと思うかもだが、わりと切実。いま死ぬ前にやっておきたい事の二番目だ。本当は一番目をやりたいが、たぶん身体が持たん」

 

 木山は逡巡して神妙に言った。 「嫌だ」

 

「何でだよ! 男が死にそうなんだぞ! 胸くらい貸せや! 最後の願いかもしれないんだぞ!」

「おまえが怒るのに協力しろと言ったから」

「そうだった! わたしのクソ野郎! 何であんな事言ったんだ、くそたれ!」

「わたしを、その、笑わそうとフザケているのか?」

 

「今度は憤死しそうだ!」

「腹は痛むか?」

「悔しいが全然」

「なら、アクセルを緩めてクラッチを踏め」

 

 速度に合わせて木山がシフトチェンジした。

 

「最後の晩餐などという洒落た考えは似あわんからやめろ」 そっぽを向いて木山が言った。 「今からでもいい。運転を代われ、病院に行こう。アイテムや理事会の追撃は免れんが、おまえには、なんだ……」

「いや、いいんだ。これでいいんだ、ここがいいんだ。この時間の、ここが」

 

 わたしはゆっくりと減速し、クラクションを小粋に鳴らす。ギョッとして立ち止まった買い物途中の女に、フロントウィンドウを開けて言った。

 

「よう相棒、娘さんを治療してる闇医者の所まで案内してくれるか。目立つなりだが、防犯カメラは機能してないから安心してくれていい、わたしの容態以外は」

 

 

 

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 どこをどう通ったのかはあまり覚えていない。助手席に二人を乗せてしばらく運転し、木山の肩を借りて数分歩いたら、雑居ビルの一室で怪しい闇医者と話していた。色とりどりの瓶と、ファイルとそれっぽいデスク。医療器具。大病院から空間を切り取って来たような設備は、映画のセットのようにも感じられた。

 

「とりあえず前金はランボルギーニで」

「おい、あれはわたしのだぞ」

「借りると言ったろーが。いつか返す」

「まあ、構わんが……どのみちわたしが持つ。大丈夫そうか」

 

 んー、と闇医者がわたしの腹を見やる。 「リクエストはあるか?」

「せっかくだから傷跡は残してくれ、なんかカッコ良さそうだから」

「そうじゃない。何肉がいい? この穴を埋めるのに使うやつ。冷蔵庫には鳥のモモ肉と冷凍してる豚バラがあるが」

 

 わたしは木山を見やり、次いで女に視線をやる。これ怒っていいやつ?

 

 ジャケットの内ポケットからスコーピオンを取り出して言った。「おまえの死肉を詰める」

「冗談だよ」

「よかった、わたしもだ」

「なら、銃を降ろしてくれるか」

「このまま手術だよ、先生。局部麻酔でいい」

 

 というところで視界がぐらつく。慌てている木山らを床から見上げる。

 

 

 

 わたし(・・・)は気が付くと――

 

 

 

 ――気が付くと安っぽいベッドに横たわっていた。おっかなびっくりに上体を起こして辺りを見渡す。窓の無いコンクリ打ちっぱなしの簡素な部屋だ。ハンガーにはスーツが掛けてある。じゃあおれ(・・)はというと、安っぽい寝間着姿。左腕には点滴。ひどく疲れているので、再び横になった。

 

 空腹により再び目を覚ますと、そばに誰かがいた。丸椅子に座って文庫本を読んでいる。寝ぼけまなこを擦ると、ぼんやりと女性らしい。

 

「気が付いたか、先に礼を言わせてくれ。とにかくおまえには助けられた」

「うん? ああ……しかしまあ、あんたと出会ってからとんでもない事ばかりだ……ああ、栄養が足らんから頭も回らん。あんたを助けた貸しをきちんと返してもらう為にも、状況の相互確認がしたい。おれはめちゃくちゃ頑張ったよな」

「寝起きにそれか。まあおまえらしいと言えばそうか。きちんと清算するさ。おまえがよくわからん方法でツリーダイアグラムの使用許可を出し、あまつさえわたしと不正使用したあげくアイテムを相手取って生きて帰ったんだからな。闇医のぼったくりに近い医療費を肩代わりしてもお釣りが出る」 

「あー……請求書でも渡されたか?」

 

 ああ、と言われて医療費の請求書を見せつけられた。初診、入院費等の欄に点数が書かれており、請求額合計の欄は桁が凄い事になっていた。氏名欄には木山春生の文字。全額持ってもらって、なんだか悪い気もする。

 

「うーん……名前とか大丈夫か? 闇医だし違法だろ、ここ」

「わたしとしては明かしたくなかったが、相手も裏稼業だからな。密告を危惧してのささやかなケアだと判断した。それくらいは付き合ってやるさ」

「もぐりにしては本格的な請求書だな」

 

 しかしながら、と木山はにやりと笑った。 「すごい寝言を言ってたぞ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるような」

「あーはいはいはい。いいからそういうの。それよりお腹が減った、なんかない?」

 

「腹に空いた穴が完治するまで点滴。死ぬ前に言ってみたいセリフベストテンを下から順に言っていた」

「マジかよ……医療費をあんたに持ってもらった身だけど死にたいわ」

「あいつからきみを守れる者はいない。このおれ以外にはな」

「しぬしぬしぬ」

 

 枕を抜き取り顔を埋めてバタバタやっていると闇医者と女がやって来た。

 

「入院費も取るぞ。あと一応最後に触診する」

「連れに言ってくれ。しかし、ま、助かったよ」

 

 闇医者はおれの寝間着を捲り、左横腹を軽く指圧して確認した。

 

「良い腕だな。跡も残っていない。」

「だろ、要望通りにきれいさっぱり」

 良かった、と涙を拭う女。

 

 だが反応の無い木山を見やると、愕然とし小さく震え、文庫本を落とした。焦って周囲を確認する。次いで、吊ってあったスーツを引っ手繰ると銃を取り出して、覚束ない構えでおれに銃口を向ける。

 

「どうした」

「おまえは、おまえは……」 その声は恐怖していた。 「誰なんだ!」

 




次回タイトル仮 The Client <木山センセイ>
なるはや

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