【完結】 気が付くと学園都市で銀行強盗していた   作:hige2902

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第四話 われわれ <(I and I´) not You!>

 白井黒子に通話を代わると、どうやら木山春生は直接話をつけるらしい。可能な限りバッテリーを外しておきたいというおれの言い分を考慮してくれたのだろう。

 短時間とはいえGPSで居場所を確認されていると考え、離れたファミレスで木山春生を待つことにしておいた。

 

「適当に好きなのを頼みなよ……あー、えーと、初めまして」

「白井。白井黒子ですわ」

 まだ懐疑的な表情を無視して、おれはざっくりと大量に注文する。

 

 事故札は極力使いたくないので、はっきり言って木山春生におごらせるつもり満満だ。だから遠慮せずに食べる。ジャッジメントに顔が利くくらいだ、社会的地位に比例する収入はあるだろう。

 

「ところで白井くんはアンチスキルと親しい人がいるの?」

 

 木山の到着まで暇だったので、ハンバーグを上品に貪り食いながら、探りを入れてみる。

 

「と言うと?」

「いや、防犯カメラの映像を自由に閲覧できたから、おれを探し当てられたんだろうな、と考えて。深い意味はない」

「ノーコメント」

 

 と澄ました顔でパフェを一口。

 

「手厳しいなあ。まあ、ジャッジメントをやってるくらいだから当然か。一応はおれ、容疑者なんだし」

 

 持ち上げつつ相手の言い分を認めて追加注文をしていると、駐車場に青青としたランボルギーニが颯爽と入って来た。白衣に身を包んだ妙齢の女性が降車する。まさか、と考えていると入店してきたランボルギーニの持ち主はまさに木山春生と名乗った。酷く疲れた顔をしているが、儲かるのか、AIMなんたらとかいう研究は。

 きょろきょろと店内を見回す彼女に、こっちだ、と手を挙げて呼ぶ。

 

「おまえが例の」 と低血圧っぽく言って木山はちらと白井を見やる。 「あれだ、とにかくこいつは銀行強盗ではない」

「その通りだ、木山春生は正しい」

「失礼ですが、お二人のご関係は?」

 

「それは……」

 

 木山が言いよどむ。

 

「こう見えておれは個人で輸入業を営んでいてね。で、彼女とはたまたま仕事で知り合った。懇意にさせてもらってる。高級外車に乗ってるくらい金払いのいいクライアントだしな。しょっちゅう外国に仕入れに行っているんでめったに会わないが。だよな? コーヒー飲むか?」

「いや、いい。あー、そうだ。そうだった。久しぶりだな」

 

 木山がおれの隣に腰掛ける。

 

「話を露骨に変えるようで悪いが、ついさっきだったか、おれは一仕事終えたはずだ。その代金を貰ってない」

 

 使用許可を出したのだから身元を保証しろ、と仄めかすと小さく頷かれた。

 

「払うよ。いつも通り、当然だ。わたしでは到底入手できない代物だったからね」 言って木山は白井に向き直り、白衣のポケットからくたくたの名刺を渡した。 「改めて紹介させてもらうが、わたしは木山春生。AIM拡散力場を主にしている大脳医学研究者だ。先日の銀行強盗事件とやらとこいつは無関係だ」

「クローンであるという主張を信じていらっしゃいますの?」 

 

「それは今まで彼女に黙っていた事柄なので知りようがないし、この場で結論を出せるような問題でもない。重要なのは、おれは強盗なんてやっていないと思われる、という事をきみに認識してほしいんだ」

 

 切るように口を挟んで続けて言った。

 

「本当はすぐにでも商品を仕入れる為に学園都市を出たいんだが、オリジナルがいる可能性が高いなら話は別だ。しばらくは木山のやっかいになる。もちろん捜査の協力もする。そもそも財布を落としてしまったから、どこへ行こうにもにっちもさっちもいかないんだが……とにかく彼女の社会的信用を担保に見逃してくれ」

 

 うさんくさげに名刺を見ていた白井が納得のいかない了承の意を示した。

 おれはようやく一息ついて食後のコーヒーを一口で干す。

 

「あそうだ、さっき言った通り、おれ、財布を落として無一文だから。重ね重ね悪いとは思うけど支払いを頼んでいいか?」

「まあ、それくらいは……」

 

 その後、仕事の話の続きがあるという事にして白井と別れた。何か分かったら連絡をしたいからと携帯端末の番号を交換して。

 辺りはだいぶ暗くなっており、とりあえず木山のカッコいいランボルギーニに乗せてもらい適当なビジネスホテルを探してもらう。

 

「おまえの要求していたマネーカードなどの類は後ろのダッフルバッグにある。着替えは適当に量販店で買ってきたものだから、気に入らなければ買いなおせ。飲食料はミネラルウォーターが数本と携帯食料が二、三日分」

「そうか、助かるよ。でも」

「でも?」

 

 でも、なんでこいつはエアコン付けないんだろう。窓を開けてはいるがじっとりと蒸し暑い。

 とは言えファミレスの食事をおごらせて金まで用意してもらった直後に、なんでエアコン付けないの? けち? とはさすがのおれでも言いにくい。

 

「いや、なんでもない」

「そうか」

 それだけ言うと、あろうことか木山は赤信号で止まった時を見計らってブラウスのボタンを外しだした。どこにでもあるようなブラが、汗でしっとりとした乳房を包んでいる。

 次いでシートベルトを一旦外して白衣もろともブラウスを脱ぐ。

 

「えなん……え? なんで脱いだの」

「暑いからに決まっている」

「あ、へぇーそー。じゃあしょうがないな、暑いんなら。まあおれはいいけど」

 

 誘っているのか? ――後に訳を聞くとツリーダイアグラムの事で頭がいっぱいになっており、エアコンを付けるという選択肢が消えていたらしい――

 そんな事情を知らんおれは、もちろん下心という物を隠そうとは思わなかった。

 

「このあと暇か?」

「まあ、取り急ぎの用と言えばツリーダイアグラムを使うにあたり必要な情報整理とか」

「ふーんあーそう、ちょっとそのへんの事で長くなるかもしれん話があるんだが……いや、やっぱりこうしよう、あんたの都合は知らんが長く手に入らなかった使用許可が下りたお祝いもかねて、少し飲まない? もちろんノンアルでいい」

 

 ふうむ、と一考する木山にもう一押しする。

 

「夜も遅いし、お互いの情報共有とか、もちろんビジネスライクなあれやそれの話だが。例のツリーがある局へ行くにあたって変装とかした方がいいと思うし、それについてアドバイスが出来る」

「そういう事なら」

 

 と、適当なビジネスホテルに到着した。格安でもよかったが、近いという理由だけで結構立派なところになった。部屋を取っておくから駐車をよろしくと足早に受付に向かう。

 

「部屋はどれくらい空いてる?」

「え……? ええと二十三部屋ほどでございます」

「全部借りる事はできる?」 木山からの資金の大部分を失うが、惜しくはなかった。

「は?」

 

 遅れて木山がロビーにやって来たので、困惑する受付の元をそそくさと立ち去った。

 

「繁盛期なのか知らんが一部屋しか借りられそうにない。たしかこの近辺で超巨大コングロマリット的な会社のユニバーサルな大規模会議があったという噂を聞いたことがあるので、それに関わる世界中の給与人が借りているんだと思う。タイミング悪く。疑念があるなら受付に満室マイナス1の確認を取ってくれ。とにかく一部屋しか借りられないけど、紳士的なおれは床でいいよ」

 

 疲れているので他を当たるのは無しだ、と取って付ける。

 ふうむ、と木山は顎に手をやり逡巡の後に了承した。逃走する際のルート選択として女性トイレの窓に鉄格子がかかってないか確認してくれ、とこの場を立ち去ってもらい、受付に戻って一部屋を除いた二十二部屋のチェックアウトを済ませる。

 

 部屋に向かう道すがら、おれは努めて今後の計画を提案し、入室すれば盗聴盗撮を確認し、部屋の間取りから離脱手順を説明し、木山の好物を聞き出し、ルームサービスでそれを注文し、 ――深夜だが受け付けていた。学園都市万歳―― やおら木山が肌着になったので、最後の理性がアルコールを勧めないままに事に挑もうとしたら平手打ちを食らいそうになる。

 

「なに!? なんかあんたの個人的な宗教的性癖の地雷を踏んだ!?」 寸でのところで頬に食らいそうになる細い腕を掴んでキレぎみに言った。 「シャワー勧めたら朝でいいとか言うから、おれは先に浴びたし。なんかマズいの? おれは構わんが」

「んな、なななな」 と木山。耳まで真っ赤になる。 「離せ、ばか、犯罪者がッ! 性犯罪者!」

「冗談だろ……あんたが最初に脱いだんだぞ」 おれは木山の手を放すと、一歩下がりハンズアップして言った。 「確認するが、からかって遊んでるんじゃあないよな。下着姿の女性と、バスローブの男性が一部屋だぞ。天然なのか」

「ばかか。ばかがっ! 一部屋しか空いてないからそれは仕方ないだろうが!」 

 

「なぜ脱いだ!」

「暑かったからに決まっているだろうが!」

「ならそう言えや、エアコンを知らんのか! 期待させやがって……もういいよ」 露骨にテンションが落ちる。無駄なエネルギー消費を避けるべく、ソファで横になる。 「言っておくが、おれは謝らん」

 

 ぶつぶつ言う木山をよそに、用意してもらった資金の殆どが消えた事に頭を悩ませる。くそう、反応を見るに木山に悪意はないようだ。事故みたいなものだが、あいにくこの手に保険は効かん。

 

 

 

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 翌朝、おれはホテルのロビーで、白井にタブレットで映像を見せられていた。どうもコンビニの監視カメラのものらしい。

 

 斜め上から見下ろす形で、レジカウンターの最奥から出入り口と、雑誌類が置いてある駐車場に面した全面ガラス、お手洗いの出入り口を映し出している。右下には録画時刻、深夜だった。

 

 駐車場には、いかにも騒音をまき散らしていそうな三台の大型二輪。白線を無視した駐輪で停められている。持ち主と思われる不良が菓子パンの袋を放り、缶コーヒーを啜りながら談笑しているようだ。

 ほどなくしてフルフェイスのヘルメットを被った、男と思わしき人物が入店する。店員の証言によれば徒歩で来たらしい。ヘルメットのバイザーはスモーク加工されており、顔は伺えない。酷く肩を落としている。

 ヘルメットの男は手早くビール瓶一本とカップ麺を購入した。二、三店員と会話したらしい後で、店に備え付けのポットでカップ麺にお湯を注ぎ、そのまま外でたむろしている不良の一人を背後からビール瓶で殴り倒した。立て続けに二人目に熱熱のカップ麺を浴びせて鳩尾を蹴り飛ばす。腰の引けた三人目の頭を掴んで頭突き。

 

 ヘルメットの男は、のたうつ不良たちの懐を物色し、鍵を拝借したのだろう、駐車場に停めてある悪趣味なバイクに跨って画面の外へと消えた。映像はそこで終わり。暗転した。

 おれの興味の無さそうな表情がタブレットのグレア画面に反射している。

 

 

 

「今日の深夜に起きた事件ですの」 

 

 タブレットを持っていた白井黒子が神妙な顔でおれを見やった。なるほど、と答えてみる。 「それで?」

「ヘルメットの男は去り際に被害者のスキルアウトにこう言ったそうです。おまえのカードの暗証番号を言え、嘘を付いたらこのダサい単車は燃やす。あともっとボコる。と」

「ふむん」

「アンチスキルに、というより未成年に大した貯蓄があるわけでもなく、アルバイト用の口座でしかなかったので教えたそうですの。預金額よりも大型二輪の方が金銭的価値があったから」

「おれは善良に過ぎる一般市民なので詳しくはないが、スキルアウトの連中も一枚岩ってわけじゃないんだろ? 縄張り争いみたいなもんじゃないのか。詳しくはないが、たぶんそうだと思う」 おれは肩を竦めて見せ、姿勢の良い自然体を振る舞う。特に肩には意識を払う。 「それとおれに何の関係が?」

 

「奇妙な点がありますの。その後、ヘルメットの男は別のコンビニATMでポケットマネーから九十万円ほどを預金し、また別のコンビニATMで同額を引き降ろした。盗まれた大型二輪は近くの公園には乗り捨てられ、財布と携帯端末もそこに放られていましたわ。実質、被害者が盗まれた物は無い」

「たしかに奇妙だな」 おれは諦めて重たい口を開く。 「ひょっとしてだがもしかして、その被害者の口座に一時的に預金された紙幣は、いそべ銀行の事故札の一部なのか? だとしたら消えた最初の強盗は少額の資金洗浄をしたのかも知らんな」

 

「ええ、いそべ銀行の管理していた紙幣の通し番号は、事故札として金融システムであるメインセンタおよび外部センタに登録されていますの。ですから、預金の時点ですぐにわかりました」

「で、アンチスキルが飛んできたが、ヘルメットの男は既に別のコンビニATMで引き降ろししたという訳か、クリーンな紙幣を。防ぎようがない。システマチックに事故札が預金や入金された口座を凍結したくても、口座の持ち主が例の消えた最初の強盗とは限らないからだ。強盗が事故札をバラ撒いていた場合、無関係な多くの人間や企業の口座が凍結される。暗証番号を言ってしまったスキルアウトも、単車を盗まれ殴られで即座に銀行に連絡して自分の口座を凍結できるような状況じゃないだろうし」

 

「被害者もスキルアウトと名乗っているだけあって面子を保つためか届出が遅れたのもありますわ。よくそこまでわかりますわね」

「おれなら、そうする。だが、おそらく消えた最初の強盗に共犯者はいない。単独行動をしているはずだ。木山のいるおれと違って」

「と言うと」

「いそべ銀行からいくら頂戴したのかは知らんが、リスクを顧みずに少額のマネーロンダリングをケチなやり方で実行するという事は、かなり金に困っている。かつ多額の事故札を処理する伝手がないから」

 

「たしかに」 白井黒子は最初から考えていたというように、取って付けたような相槌。 「しかし、参りましたわ」

「何が?」

「あなたのような頭の回転の速い……その、気を悪くしたら申し訳ないのですが……クローンが何人も学園都市に潜伏しているのでしょう?」

「それは、あー、どうかな。何人いるかはわからん。おれと、消えた最初の強盗だけは確かだろうが。そもそもヘルメットの男は、消えた最初の強盗のパシリかもしれんし」 先程から木山の座った眼がチクチクと刺さって痛い。 「しかし、ま、そのスキルアウトも今度からノーヘルは止めるだろうよ。それと出来る限りは協力するよ。他に何か手がかりは? コンビニ店員はカップ麺と瓶ビールを売ったんだろ?」

 

「二つほど。一つは、ヘルメットの男は、ひょっとしてだが表にたむろしている不良は邪魔か? と会計の時に尋ねたそうですの。二つ目は奇妙な事に、コンビニ側はたむろしていたスキルアウトを警察に通報していており、実際に電話をした店員もそう証言していましたが、現実には一報は無かったと」

「コンビニ店員は110を間違い電話でもしたのかな。うーむ。一応、犯人は相手を選んでいるようだが」 ちらと木山を盗み見るが呆れて嘆息していた。 「とにかく、情報をありがとう。おれの方でも探ってみるよ。クローン同士、テレパシーと言うか、感じるものがあったり無かったりする気がしないでもない雰囲気を受動する時が薄らとだが、あるかもだから」

 

 それで白井黒子とは別れた。もちろん固い握手で。

 

「おまえは、いったい何がしたいんだ」

 と木山。アンニュイに軽蔑した口調。

 

「何もしてないが? 白井の言っていたヘルメットの男がおれと同一人物と思っているのか?」

「使用許可を出してくれた事には感謝している」

「おれは別にあんたに、ヘルメットの男や消えた最初の強盗ではないと信じてもらおうとは、これっぽっちも思ってない。ただ、公的組織の前で身元を保証してくれれば。それ以上は望んでいない」

「おまえは、何者だ。本当にクローンなのか」

 

「違う、と思っていた。思っている。今となってはよくわからん」

「は?」

「御坂美琴は自身のクローンが存在するなどとは露程も思っていないだろう、今でも。だが実際は存在する。だからひょっとしたら、おれのクローンも存在するかもしれん、という事だ。これはおれに限った話ではない。あんたのクローンが存在する可能性もある。何が言いたいかというと、万一におれのクローンとあんたがバッティングしても、おれはあんたを騙す意思は無いということを忘れないでほしい」

 

「おまえと話していると頭がおかしくなりそうだ」

「それは困る。おれを守ってくれ。正気を保て。そうだな……そろそろ昼時だし、食事にでも行こう。気分転換だ。おごるよ」

 

 言っておれは、クリーンな紙幣がたっぷり詰まった安物の財布を木山に見せつけた。

 

 

 

「なあなあ、運転していい?」

 

 おれは駐車場で一際異彩を放っている、夏の空色をしたランボルギーニに歩み寄りながら言った。

 

「なぜだ」 運転席側のドアに手をやった木山が嫌そうにおれを眺める。

「なんとなく。外車とか運転した事無いから」

「いやだ」

「なぜだ」

 

 おうむ返しに溜息を吐いて木山。 「おまえはそもそも免許を持っているのか?」

「当たり前だ」

「ミッションだぞ」

「ミッションで取った、嘘は無い」

 

 むう、と逡巡の後にキーをおれの手に……というところで止まった。

 

「免許の、所持はしているのか」

 

 諦めて助手席に座る。

 

「油断も隙もない男だおまえはまったく」 ぶつぶつぶつとエンジンを点ける木山。

「勘違いするな、別に好奇心で言ったんじゃない。あんたの目の隈を見て寝不足だろうと推察したんだ。体調が悪い時は運転を控えるようにって自動車学校で習ったろ。考えた事ある? あからさまに睡眠が必要そうなやつの車に乗る気分が。気を使ってなんとなく運転したいとオブラートに包んだんだ」

 

「もういい、口も減らん男だよ……」

 

 失礼な事を言うやつだ。仕返しにおれは、ドア上部らへんにある固定された吊り革みたいなところ ――アシストグリップ―― を露骨に握る。

 

「うんざりしてきたので話を変えるが、そうだな……もしもだが、おまえのクローンが存在したとしたら、おまえがクローンだったとしたら、その同位体と出会った時、どうするつもりだ」

「殺す」

 

 がこがこと慣れた手つきでシフトチェンジを羨望の眼差しで答える。カッコいいなあ。

 返事がない陰鬱な表情の木山に、取り繕うように続けて言った。

 

「わかるだろ? 自分が複数人存在するのは気分が悪い。ドッペルゲンガーだ。それに対してほんのちょっぴりでも潜在的な負の感情があるわけだし、それがいずれは増大するかもしれない。すると、同じことを考えているクローンに殺される可能性がある。それを払拭する最も簡単な方法は殺害だからだ。おれの女がおれのクローンと寝てたり、クローンの罪をおれが着るハメになるかもしれないんだぞ。その逆もありえるから、殺害という一番簡単な方法で己が身を守るのは当然だ」

「……おまえのようにはなりたくないから、わたしのクローンが存在した時に備えて聞いておくよ。二番目に簡単な方法は?」

「じぶんを辞めて完全なる別人になる事」

 

「言葉を濁して限りなく遠回しに表現して言うが、サイコパスだと言われた事は無いか」

「なら聞くが、あんたならどうする。完全に自分の同位体が存在していたとして、あんただって聖人ではないだろう、負の側面があるはずだ。つまり一厘以下の確率でも同位体が負を犯す可能性は無視できない。それは同時に、無実のあんたがそれを背負ってしまう可能性でもある。そうしてのうのうと負を犯した同位体が存在する事に我慢が出来るか? 無限に存在するかもしれない自己の、一個体でも悪行に向かわないと断言できるのか?」

 

 沈黙する木山を無視し、車窓に映るじぶんを眺めて続けた。

 

「おれは、断言できない。あんたも過去を思い返してみろ、あんなやつ死んじまえって思ったり、やらなきゃよかったという後悔は一度や二度ではないだろ。人生、そんなもんだ。だからおれが無限に近く存在すれば、その中の誰かが、一度や二度をやるだろう」

「善意で言うが、おまえは社会一般的通念に則さない精神構造を保持している。信頼と尊敬している知り合いを紹介するからカウンセリングを受けろ、費用は心配するな。先の発言は、無限に存在するかもしれないじぶんを殺し続ける意思の表明に近しい。無限に殺人を犯せると無意識下で……」

 

 鼻で笑うおれに木山は言った。

 

「わかった。信じていないようだから、一度だけ言う。おまえとこの手の話していると、わたしはわたしの自己同一性が危ぶまれる事を知覚している。心底おまえが怖い。それだけに頼もしくあるが」 最後に弱弱しく言った。 「だからこの話はやめよう」

「いいけどー」

 

 微妙な沈黙が降りたので、きょう暑いけど脱がないの、と言うと露骨に舌打ちされてエアコンを凍えると表現できるくらい入れられた。

 ツリーを使用する為に局へ向かうのは数日後なので、食事のついでにいろいろと購入しておく必要がある。

 

 おれがちらと窓の外を見やると、偶然にも強盗の相方が買い物袋を提げて歩いているのを見かけて薄く笑った。笑って、くしゃみをする。表情から察するにいい傾向らしい、娘さんの病気は。

 


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