お待たせいたしました。
それではごゆるりと
Side シロウ
チェスと言えば、十と六の駒を扱う戦略ボードゲームを皆は想像するだろう。魔法界でもそれは変わらない。ルールもマグルの世界と同じである。その歴史は遥か昔、紀元前のインドへと遡る。
元となったとされるインドの『シャトランガ』と呼ばれる盤上遊戯が、ペルシャを経由して欧州に伝わったものがチェスとなった、という説が最も知られている。因みに西欧がチェスならば、このシャトランガがアジアに広まったものが将棋であるという見方がある。
それはさておき。
前述の通り、チェスの歴史はとても古いため、魔法界非魔法界に関係なく広く広まっている。加えて魔法界のチェスは、
さて、今オレ達の目の前に広がるのは、駒の大きさが自分等よりも遥かに大きいチェス盤だ。無論その大きさの駒を人が動かせるはずがない。材質がポリエチレンでもない限り。だが残念ながら駒の材質は、正真正銘石であり、それぞれが持つ道具は金属製ときたものだ。オレの予想が正しければ、これは本当に特大の魔法使いのチェスなのだろう。
「……さて、どうするかね? 少なくとも敵方、白の駒とのゲームに勝たなければ、先には進めないだろうが」
「無論プレイするよ。けど、ここは僕に任せてくれる?」
珍しくロンが自分から行くといった。彼がここまではっきりと言うのなら、それなりの理由があるのだろう。だからオレ達は黙って先を促した。
「理由はマリーとハーマイオニーが、悪いけどチェスがうまいとは言えないんだ。何度か二人と試合したけど、お世辞にも上手とは言えない。駒が動かないマグルのチェスならともかく、駒自体に意志がある魔法使いのチェスには、二人は向いていない。シロウはどうかわからないけど」
「いや、オレは軍師向けではない。精々尖兵がいいところだよ。あとは狙撃手か」
「成る程ね。あと僕の予想だけど、たぶん僕たちが何かの駒に直接変わってゲームをしないといけないと思う。ちょっとあの駒に聞いてみる」
ロンはそう言うと近くの、あれはナイトだな、の駒までいき、ポジションの変更の要不要を質問した。結果は必要。そこでオレ達は、それぞれロンが指定した駒のポジションに立った。マリーがビショップ、ハーマイオニーがルーク、ロンがナイト、そして何故かオレがキングとなった。そしてゲームが始まった。先ずは先攻である敵方の白の駒が、ポーンを二歩動かした。その時、ハーマイオニーが不安そうな声をあげる。
「ねぇロン。まさかと思うけどこのチェス、あのちっちゃなチェスみたいなものなの?」
ハーマイオニーの言葉にロンはしばらく考え込み、様子見としてポーンを一体、囮として前に進めた。次の瞬間、敵方のポーンはこちらのポーンを、轟音をたてながら派手に破壊した。破片の一つがオレの足元に転がってきた。
「……その通りだよ、ハーマイオニー。これは誤魔化しようもなく、あのちっちゃなチェスがそのまま大きくなったものだよ」
ロンの言葉にマリーとハーマイオニーは息を飲み、顔を少し青くさせた。オレもある程度は予想していたが、さすがにこれは当たり所が悪ければ、重傷になるだろう。
それからは駒をとってはとり返すゲームとなった。マリーやハーマイオニーがとられそうになるのを、ギリギリ気がついて回避するという場面も、少なくはなかった。だが、ロンは駒をとられつつも、確実に白の陣営を追い詰めていた。そしてまた数手がすぎ、今目の前でマリーと対を為すビショップが、白のクイーンに破壊された。
「あれ? ちょっと待って。う~ん……」
ロンが考え込むと、敵のクイーンはロンに顔を向けた。
「……そっか。やっぱりか」
「ねえロン。一人合点してないで教えて?」
「……わかった。次の手で僕が駒を進めると、敵のキングにチェックをかけることができる」
「……ロン。お前まさか」
「どういうことよ、シロウ?」
「つまりだ。ロンが今の手で前に進むと、キングをとれる位置に来る。となれば、向こうは障害を排除するか、妨害を置かなければならない。向こうのキングは動けないからな。だがロンはナイト、妨害は殆ど意味を為さない。ならば……」
「まさか……ロン! あなた自分を犠牲にする気!?」
「これしか今は考えられないんだ! 聞いてくれ。僕が前に進むと、クイーンが僕を取りに来る。そしたらマリーの進路ができてキングにチェックメイトを掛けて勝つことができる」
「でもそしたらロンは……」
「急がないともう石が盗られているかも知れないだろ! わかってくれ、二人とも。今はこれしかない。これがチェスなんだよ」
ロンは既に覚悟を決めた顔をしている。なら止めても無駄か。
「二人ともそこまでだ。ロンは既に覚悟を決めている。なら止めても無駄だ」
「……シロウ、ありがとう」
「勘違いはするな。オレは納得した訳ではない。だが今はそれしか方法がない。だからお前の判断を尊重したのだ。事が終われば説教だからな」
そう、納得した訳ではない。誰かを犠牲にする、そんなやり方はどれだけ時間が経とうと認められない。それはオレがオレだから。だが犠牲によって何かが為されるというのもまた事実。幸い今回のチェスでは怪我こそすれ、死ぬことは無いだろう。だから今は無理矢理納得することにした。
「……お手柔らかにお願いします、シロウさん。さて……」
ロンは自分の位置を指定し、キングにチェックをかけた。すると向こうのクイーンが動きだし、ロンの元へ近づいた。そしてロンが兵士の代わりに乗っていた馬を破壊した。ロンはその余波で気絶したらしく、地面でぐったりと転がっていた。ハーマイオニーが息を飲み、ロンの元へ行こうとした。
「動くな!!」
オレは一喝し、ハーマイオニーを止める。
「ゲームはまだ続いている。マリー」
オレがマリーに呼び掛けると、マリーは一つ頷き、盤上を移動してチェックメイトを掛けた。相手のキングはその王冠をとり、マリーの足元へ投げた。
勝った。
そう悟ると、オレ達はロンの元へ急いだ。幸い怪我の類いはなく、気絶しているだけだった。オレ達は白の駒が並ぶ壁までロンを抱えて移動し、ロンを壁に持たせかけた。ここならば一応は安心だろう。そしてオレ達は扉を開けて、先へと進んだ。
Side マリー
扉を開けた先の廊下をしばらく進むと、酷い臭いが鼻をついた。まるでしばらく掃除をしていない、腐った溝のような臭いだ。この臭いは嗅いだことがある。ハロウィンの日に女子トイレに浸入したトロールと全く同じ、鼻が曲がるような臭いだ。目の前の扉を開けるのは躊躇したけど、シロウが先に開けて入った。
部屋は今までで一番広く、入り口近くには、ハロウィンのときよりも更に大きなトロールが、ノックアウトされた状態で転がっていた。正直助かった。いまこのときに、トロールの相手はしたくなかった。私達は目の前にある先へと進む扉に差し掛かると、部屋の奥の方、暗くてよく見えないところから、鎖を引きずる音が聞こえてきた。重々しい足音もする。
…………まさか、まだトロールがいたの? しかも音からしてそうとう大きいだろうし、複数いる。私達だと死んでしまう。ハーマイオニーも顔を真っ青にして震えている。私も怖い。まだ死にたくない。
そう思った矢先、私達の前に、一つの大きな背中が出てきた。シロウだった。けどその服装は、さっきまでと大きく違っていた。さっきまでのシロウはユニ○ロのシャツにジーンズ、その上にジャージを着ていた。
けど今は黒のレギンスに金属の留め金のついた黒のブーツ。黒の袖無しのレザーアーマーに、不思議な紅いマークのついた黒の外套を纏っていた。その後ろ姿は、騎士のようにも見えた。
「マリー、ハーマイオニー。この先の仕掛けと石は任せた。ここはオレが受け持とう」
そう言うと、シロウはその両の手に白黒の双剣をどこからともなく取り出し、真っ直ぐと部屋の奥を見つめて構えた。
「恐らく、この先にはもう危険なものは、最後の部屋以外は無いだろう。二人なら大丈夫だ」
「シロウはどうするの?」
足音が近づいてくる。そして溝の様な臭いじゃなく、血生臭い臭いが漂ってきた。そしてトロールは姿を現した。
出てきた二体のそのトロールの姿は、私の見たことのあるトロールじゃなかった。体は更に増して硬質である雰囲気を放ち、体のパーツバランスは私達に近くなっている。そこに転がっているトロールの様に、頭が異様に小さいというわけではなくなっていた。更に加えて、その身には鎧を纏い、武器はまるでモーニングスターの様に棘のついた、特大のメイスを携えていた。
明らかにその二体のトロールは改造され、更に強力そうになっていた。普通のトロールでさえ大人の魔法使いは対処に苦戦すると聞く。ならば、それが改造されればどうなるか、想像に難くない。
「…………し、シロウ……あれは……」
「ああ、改造されているな」
「そんな……」
私とハーマイオニーは、恐らく今は絶望した様な顔をしているだろう。それほどまでに、今の状況は絶望的だった。頭にちらっと諦める思考が過った。でもそれは束の間、いつの間に私達の頭に、シロウの手が置かれていた。
「オレは大丈夫だ。それに、万一お前たちが帰ってきても、こいつらがいては安心できんだろう? だからお前たちが先の仕掛けを破っている間に、オレがこいつらを何とかする」
シロウはこちらを安心させるような、柔らかな微笑を顔に浮かべていた。その顔を見て、私は悟った。ああ、もうこれ以上は言っても無駄だな、と。
「本当に、本当に大丈夫なの?」
「ああ、オレを信じろ」
シロウのその強い言葉に、私達は渋々納得し、先へと進んだ。ドアを閉めるとき、部屋の中から、
「改造されたトロールとやりあうのは初めてだな。だがどんな相手でも、この身にただの一度も敗走はない。改造トロールたちよ、これより貴様らが挑むは剣戟の極致。恐れずしてかかってこい! その体の堅さ、体力は充分か!」
というシロウの声と、トロールたちの雄叫び、そして地鳴りが聞こえた。でも私達はシロウを信じるといったのだ。なら先に進むだけ。私とハーマイオニーは一つ頷き合うと、廊下を進み、その先にある扉を開いた。
扉の先に広がるのは、少し小さめの教室ぐらいの部屋と、その真ん中に設置されている、複数の小瓶の置いてある長机だけだった。私達が机まで歩いていくと、その四方を取り囲むように、色とりどりの炎が燃え上がった。私達は机の周りしか、今は動けない状態だった。
ふと机を見ると、小瓶以外に一枚の羊皮紙が置かれていた。私はそれをハーマイオニーにみせた。途端、ハーマイオニーは目をキラキラとさせて、その紙に書かれている文章を読み始めた。
「これ、これすごいわ!!」
「なんなの?」
「これは魔法の仕掛けじゃない。論理よ、パズルだわ!! 魔法使いの中には論理は不要なものと考える人が多いけど、それは違う!!」
それからハーマイオニーは嬉々として論理のすごさについて語り始めた。…………うん、絶対賢者の石についてすっぽ抜けてる。
「…………!! …………。…………!? …………!!」
「…………フゥ…………喝ッ!!」
「!?」
「ハーマイオニーがどれだけ論理が好きなのかはわかった。でも今は早くことを終わらせないと」
「…………ごめんなさい」
それからハーマイオニーはブツブツと呟き、時折小瓶を指差しながら机の前をいったり来たりしていた。正直パズルの類いは苦手だから、今はハーマイオニーに任せるしかない。しばらく待っていると、ハーマイオニーは指をパチリと鳴らしてこちらに戻ってきた。どうやら謎は解けたらしい。
「わかったわ。あの小さな黒い小瓶は先に進むための薬よ」
「じゃあ後ろに戻るためのは?」
「それはこれ」
ハーマイオニーは黒い小瓶の右隣にある別の小瓶を指差した。
「ならハーマイオニーがそれを飲んで。私が先へ行く」
「マリー?」
「たぶんこの先にはヴォルデモートか、その手下がいると思う。そして次の部屋が最後の部屋だと私は思うんだ。だからハーマイオニーには戻って、シロウたちとダンブルドア先生にフクロウ便で知らせて欲しい」
「大丈夫なの?」
「うん。私は大丈夫」
ハーマイオニーはしばらく私の顔をじっと見つめていたけど、やがて一つ大きなため息をついた。ついでに片手を額にあてていた。
「…………まったく、そんな顔されたら何も言えないじゃない。あなた段々シロウに似てきてるわね、本当に」
「あ、あはは……」
笑い事じゃないわよ、と言いながらハーマイオニーはやれやれと首を振ると、今度は真っ直ぐ私の目を見てきた。
「いい? 絶対に無茶はしないで。無事に帰ってきなさい。わかった?」
「……ハーマイオニー、まるでお姉さんみたい」
「ならあなたは大きな妹かしら? とにかく、石も大事だけどあなたの命はもっと大切よ。それを忘れないで」
「わかった」
「よろしい! じゃあ……」
そして私達はそれぞれの小瓶を手にとり、その中身を一気に飲み干した。私の薬は味がなく、冷たい氷を飲んでいるような感触だった。そして先へと続く道を塞ぐ黒い炎へ一歩踏み出すと、果たして炎の熱さは襲ってこず、服や髪の類いも一切燃えなかった。
「じゃあ行ってきます」
「ええ、気を付けて」
私達はそれぞれの方向へと歩き出し、目の前の扉を潜った。その先はまた廊下が続いていた。先を進むごとに、首筋の傷跡がズキズキと痛み出す。敵がこの先にいると私はわかった。廊下の端へとたどり着くと、そこには扉があった。傷跡の痛みも激しくなってきた。私は一つ深呼吸をして、一思いにその扉をあけた。
目の前には少し下る階段があり、それは小さな広間へと続いていた。広間の中心には、クリスマスの日の夜に、ダンブルドア先生から探さない様に注意された『みぞの鏡』が置かれ、その前には一人の男がいた。
ああ、やっぱり。
「あなただったんですね。クィレル先生」
「その通りだ」
鏡の前に立っていたのは、いつものオドオドした雰囲気ではない、冷たく凍りつくような雰囲気を纏ったクィレル先生だった。
はい、今回はここまでです。
今回のオリジナル要素の改造トロールですが、外見や強さは、J.R.R.トールキン氏の「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくるトロールを想像していただければよいです。
何故部屋の奥から出てきたかは、元々無許可でクィレルが改造したのを、他の校長を含めた教師陣に秘密で繋いでいたのを、クィレルが部屋を過ぎるときに、鎖を外したからです。それによって自由となったトロールが、シロウに向かって歩いてきた、というわけです。
さて次回ですが回想方式にするか、リアルタイム方式にするか、まだ決めていません。決まり、下書きが完成次第更新いたします。
Fateのほうも、もうしばらくお待ち下さい。
それではこのへんで