八神家の養父切嗣   作:トマトルテ

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二十三話:理想の終わり

 凍りついていく己の体を無表情で見つめながら闇の書の意志は理解した。

 切嗣が成し遂げようとしたことは自分をはやてと共に永久封印することなのだと。

 凍結の際に与えられた膨大な魔力ダメージで防衛プログラムも停止している。

 その状況を永遠に続けさせるための永久凍結なのだろう。

 確かに、自分が意識を失い、その上で動かない防衛プログラムだけが残れば、動く必要のない状況に抗うこともない。

 

 ただ、逆に言えば自分の意識があるうちはこの氷を砕くこともできる。

 人間であれば凍らされた時点で砕こうと考えることもできないがこの身は機械。

 演算し、抜け出す方法を見つけることは難しくはない。

 だが、彼女は欠片たりとも抜け出そうとは考えなかった。

 

「これで……やっと私の旅は終わるのだな」

 

 機械である自身ですら記憶できないほど膨大な時間を過ごしてきた。

 数え切れないほどの主を喰い殺してきた。

 もう、たくさんだった。人間でいうところの疲れたという言葉がピッタリであろう。

 永遠の眠りにつけるというのなら、寧ろ喜んで受け入れたい気分だ。

 

 しかし、はやては別だ。

 仮にこれからどれほどの時が流れても忘れることがないと言える最高の主。

 彼女もまた眠りにつかなければならないというのは心が痛む。

 本当にどうして自分が彼女の元に来てしまったのだろうかと考えずにはいられない。

 

「それでも、主の優しい夢も永遠を保証された……」

 

 永久(とわ)に続く幸せな幻。それは幻なれど永遠だ。

 何を悲しむ必要があるというのだ。この世の全ての人間が望んでも得られぬ幸福。

 それを得ることができるというのだ。

 望んだ生き方すらできなかった少女に望む全てを与えることができる。

 悲観的になることはない。これが最善だとすら考えることが可能だ。

 

「生は苦しみの連続。死は一瞬の絶望。ならば、安らぎは生と死の狭間の夢にしかない」

 

 闇の書の意志は眠り続けるはやての頬を優しく撫でる。

 そこには、在りし日に、はやてが母に撫でられたものと同じ愛情があった。

 騎士達よりも長く彼女を見てきた。

 己の在り方を呪いながら、誰かを憎むことにすら疲れ果て。

 ただ、彼女を見守り続けてきた。

 

「眠り続けてください。あなたの望むものは全てそこ(・・)にあるのですから」

 

 誰にも邪魔されることなく、決して覚めることのない夢の中で永久の幸福を。

 眠りの姫を眠りから覚ます王子など、この世界にはおらず、彼女を傷つける者もいない。

 そう、はやてが眠りから目を覚ますことなどあり得なかったのだ。

 それこそ、奇跡(・・)でも起こらぬ限り。

 

 

 ―――……ふざけるな…ふざけるなッ! 馬鹿野郎ッ!!

 

 

 一瞬、誰の声か分からなかった。そもそも外の声が聞こえるのが不思議だった。

 一体誰が、これほどまでの絶望の叫びを上げているのか理解できなかった。

 だが、しかし。はやてはその心が、魂が、覚えているとでも言うように瞼を震わせた。

 その光景に闇の書の意志は目を見開き、掠れた声を零す。

 

「まさか……切嗣が?」

 

 あの機械のような男がこれほどに心を揺さぶる声を出せるのか?

 自分の全てを捨ててでも目標を成し遂げようとする男が心を捨てていないのか?

 世界の為に、家族を殺すような選択しかできない男が―――奇跡を起こすのか?

 

 

 ―――愛していた! 家族をッ! 世界で一番愛していたッ! 娘をッ!!

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、はやての凍り付いていた心は温かく溶かされ始める。

 閉ざされていた瞼から優しい涙が流れ落ちる。

 ゆっくりと目を開く主の姿に闇の書の意志は言葉が出なかった。

 あり得なかった。記憶している事例の中でこのようなことはただの一つもなかった。

 最も絶望に落ちた小さな少女が目を覚ますことなどあってはならなかった(・・・・・・)

 

「そっかぁ……。嘘…やったんやな…っ。愛してなかったなんて―――嘘やったんやなッ」

「主……」

 

 夢から目を覚ましボロボロと涙を流すはやてを闇の書の意志は何とも言えぬ表情で見つめる。

 余程のことがなければ目を覚まさないはずだった。

 その余程のことが他ならぬ切嗣の手によって起こされてしまった。

 間接的であるのかもしれないが娘を殺して世界を救うと誓った男が起こしてしまった。

 

「よかった…ッ。ほんまに良かったぁ……ッ」

「…………」

 

 父が自分と家族を愛してくれていたのだと知った彼女は絶望から救われていた。

 皮肉だ。絶望を与えたのは切嗣。そして絶望から救い出したのも切嗣。

 なのはとフェイトの言葉があったとはいえ、希望への引き金を引いたのは紛れもなく彼。

 はやてを絶望の底から救い出したものは―――愛。

 愛を捨て去った正義の味方(・・・・・)が否定した物。

 これを皮肉と言わずに何というのか。

 

 

 ―――死ぬしか他にない者が殺され、死ぬ理由のない人達が救われた!

 

 ―――これが正義(・・)でなくてなんなんだッ!?

 

 

「私達を殺すことで他の人達を救う……。それがおとんが思う正義なんやね」

「……恨みますか? 世界の為に娘を殺した父親を」

「恨めんよ……。だって、私のおとんはおとんだけやし。それに……背中を押したのは私やったんやなぁ」

 

 以前、病院で切嗣と会話をした時のことを思い出す。

 切嗣が正義と信じることを為すように促したのははやて。

 自信なさげに尋ねる父に微笑みかけたのは紛れもなく娘。

 罪があるのならばそれは自分も。だからこそ、もう一度話さなければならない。

 

「なあ、何とかここから出られんの? 話したい。おとんともう一回……話したい」

 

 未だに目から涙を流しながら見つめてくる主に闇の書の意志は顔を曇らせる。

 彼女は闇の書。主の願いを叶えるのが彼女の務め。

 だというのに、彼女にはそれができない。

 

「夢の中のおとんじゃなくて、本物のおとんと話がしたいんよ」

「……無理です。ここから出てもすぐに防衛プログラムが復帰し体を支配するだけです。話をする時間などとても……」

「なら、私が何とかする。なんたって私がマスターなんやから」

 

 柔らかい笑みを向けられて返す言葉に詰まる闇の書の意志。

 彼女は気づいていない。尤も、幼い少女に気づけという方が無理な話であるのだが。

 聡い彼女であっても絶望から希望に変わるという一種の興奮状態で冷静な判断ができるわけがない。

 

「…………」

「お願いや。これが私の心からの願い。おとんと話して、おとんを止めたい」

「……分かりました。私は闇の書、主の願いに沿うまでです」

「んー……。それや、その名前がいかんのや。もう、闇の書とか呪いの魔導書とか言ったらあかん。私が素敵な名前をあげるから」

 

 精一杯に背伸びをして自身の頬に手を添える主に闇の書の意志は涙を流す。

 自身を思ってくれる少女の優しさに。

 これからはやてが男に突き付けてしまうだろう―――絶望に。

 

「夜天の主の名の下に新たな名前を与える。強く支えるもの。幸運の追い風、祝福のエール。

 あなたの新しい名前は―――リインフォース。どうや、ええ名前やろ?」

 

「はい。本当に……良き名です」

 

 跪き、新たな名を承る、リインフォース。

 それは八神はやてを確かに強く支え、祝福を運ぶ追い風となるだろう。

 だが、逆に衛宮切嗣の支え(理想)を砕き、絶望を叩きつける向かい風となる。

 

 彼女は予感していた。失った者達の為に後戻りができない男が今までの在り方を否定されてしまうどこまでも明るく暗い未来を。

 しかしながら、彼女はそれを主に告げない。なぜなら、例え名を貰い生まれ変わろうとも彼女の本質は主の願いを叶えるというものでしかないのだから。

 

 

 

 

 

「早く! 早く再凍結をしろッ! このままだと暴走するぞッ!!」

 

 姿を現した闇の書の意志改め、リインフォースの姿に絶叫する切嗣。

 このまま暴走をさせるわけにはいかなかった。

 被害が出てしまえば今までの全ての犠牲が無駄になってしまう。

 それだけは絶対に防がなければならない。

 

「少し、待ってくれ。主の管理者権限で防衛プログラムの進行に割り込みをかけている。数分程だが暴走を遅延できる」

 

 リインフォースの言葉にその場にいる者達が全員信じられないといった顔をする。

 中でも切嗣は顔面蒼白になりながら震えているという酷いありさまだ。

 そんな切嗣に変わりクロノが状況を聞き出す。

 

「どういうことだ。一体何が起きたんだ?」

「主が目を覚まし、管理者としてプログラムを書き換えたのだ。直に主は防衛プログラムから切り離されるだろう」

 

 その言葉に顔を輝かせるなのはとフェイト。

 遅れてやってきたユーノとアルフも同じように笑顔をのぞかせる。

 しかし、衛宮切嗣だけは先ほどの方がマシだったのではないのかという表情で立ち尽くす。

 

「しかし、どうやって防衛プログラムを……いや、さっきの凍結魔法のダメージで一時停止していたのか」

「その通りだ。すまないが私も長く表に出ることはできない。直にこの体を防衛プログラムに明け渡すつもりだ」

「なら、八神はやての救出後に改めて封印を―――」

「ダメだ。抑えている数分間で再凍結をしろ」

 

 はやてを救いつつ闇の書の封印が可能になったかもしれないと頬を緩ませるクロノの背にコンテンダーを突き付ける切嗣。

 彼の手の平が出血していることから固有時制御を使用し近づいたことが分かる。

 この期に及んでそこまでして何故娘ごと封印しようとしているのか彼以外には理解できない。

 

「何故だ? 八神はやても世界も救うことができる。あなたにとっても悪い話じゃないはずだ」

「防衛プログラムと切り離した後に再び封印できるという保証はない。100%でない限りは今ここで再封印することが最も安全だ」

 

 確証がない以上は例え、99%成功するのだとしても選ばない。

 それが衛宮切嗣という男の生き方だった。だが、彼は決定的な過ちを犯してしまった。

 衛宮切嗣は如何なる理由であれど奇跡を起こしてはならなかった。

 奇跡など起こらないと断じて救えたかもしれない人間を殺してきた男が奇跡を起こす。

 それは今までの全ての犠牲に対する裏切り行為だ。

 だというのに……。

 

「時間がないから手短に伝えておこう。切嗣、主はお前の声で起きた。主の願いはお前と話すことだ」

「何…だと? つまり、僕が―――封印を解いたというのか?」

 

 カタカタと握る銃を震わせる切嗣。

 客観的に見ればそれは間接的な結果でしかない。

 だが、例え間接的であろうと結果こそが全てだ。

 世界を危機にさらすという結果を他ならぬ衛宮切嗣が招いてしまったのだ。

 

 

「目覚めぬはずの主が目を覚ました。これを奇跡と呼ばずになんという。

 喜べ、切嗣。お前はやっと―――奇跡を起こせたのだ」

 

 

 奇跡は起きた。他ならぬ衛宮切嗣の手によって。

 その言葉を最後にリインフォースは表から姿を消す。

 何も彼女は切嗣を絶望に落としたかったわけではない。

 ただ、崖っぷちに立っていた男を、主に代わりほんの少し押してやっただけだ。

 せめて、主の心に罪悪感が残らぬようにと。

 

「そんな……そんな馬鹿な。だとしたら、僕は今まで一体何のために…?」

 

 意識することもなく、力なく銃を下す切嗣。

 その瞳からは義務感や、強迫観念といったものすら奪われ、真の意味での空白があった。

 封印を行わなければならないといった思考すら浮かんでこない。

 ただ、思い浮かんでくるのは今までに殺してきた者達の顔。

 

「救えないと…殺すしかないと…言ってきた。それは……間違いだったのか?」

 

 防衛プログラムとの切り離しが成功したのか、巨大な闇の塊と、光の柱が分離されるのを何も映していない瞳でただ茫然と見つめながら彼は己に問いかける。

 もしも世界を変えられる奇跡がこの手に宿るなら、本物の正義の味方になりたかった。

 でも、それはできないと。奇跡など宿りはしないと諦め、妥協してきた。

 誰よりも彼らの救いを拒んだのは他ならぬ自分。

 

「奇跡などないと……起こることなどありはしないと……何人を犠牲にしてきた?」

 

 天を穿つ光の柱から姿を現す騎士達の姿。

 それは、なのは達には闇夜にさす一筋の希望の光に見えただろう。

 しかし、切嗣にとっては己の薄汚れた罪を明るみ照らし出す光だった。

 地獄の業火ですら生温いと思えるほどに咎人の己を焼き殺す灼熱の炎だった。

 

「彼らは死ぬ必要なんて……なかったんじゃないのか?」

 

 目の前で新たな誓いだてをする騎士達は生き返ることができた。

 だが、それ以外の犠牲にしてきた人達は、決して帰ってこない。

 自分が無慈悲に、無感情に、殺してしまったのだから。

 

 泣いて母の名を叫ぶ少年を。子供だけは助けてくれと懇願してくる母とその子を。

 家族の敵だと涙を流しながら素手で向かってくる男を。

 衛宮切嗣が殺してしまったのだから。

 

「誰もが死ぬ必要なんてなかったんじゃないのか…ッ」

 

 全ての呪いから切り離され姿を現すはやて。

 あの子がいい例だ。何が、死ぬしか他にない者だ。

 こうして彼女はしっかりと生きているじゃないか。死ぬ必要なんてなかったじゃないか。

 世界に危険が及ぶ確率以前の問題だった。

 誰もが幸せであるように祈りながら自分は人を殺してきた。

 いつの間にか、誰かを救いたいという原初の願いは、犠牲を減らすという別物にすり替わっていた。

 

「救えたんだ…っ。例え一人でも―――救えたんだッ!! なのに、僕は―――」

 

 殺してきた。誰一人救うことなく、引き金を引く手に奇跡を宿しながら殺してきた。

 理想という大義など関係ない。そもそもから行動全てが間違っていたのだ。

 誰かを救いたいとうそぶき、その実誰かに絶望を味合わせ、尚且つそれを正しいとほざいた。

 全てを救いたいという理想そのものがこんな悪辣な男を生み出したのだ。

 この手に奇跡が宿っていたというのに、救う方法があったのに殺し続けてきた自分は―――

 

「おとん……聞こえる?」

 

 薄汚れた正義の味方ですらない、ただの邪悪な―――人殺しじゃないか。

 

 

「―――――――――ッ!!」

 

 

 声にならない悲鳴が光差す夜天に響き渡る。

 どうしようもなく、己の罪深さを思い知らされた嘆き。

 そして同時に、男のそれまでの理想に終わりを告げる鎮魂歌(レクイエム)だった。

 




絶望させた相手に絶望を返される。
まあ、自業自得と言えば自業自得。


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