そして、さっそく教師である俺の家で勉強会が開始されたわけだが―
「……勉強ってさ、なんでこんなに退屈なの?」
開始十分、すでに脱落者が出ていた。
その声の主は確認するまでもなく、不良娘によるものだ。この柿村という生徒は、どうにも勉強が苦手だからな。
何せ、ほとんどの授業でぼーっと過ごしているくらいだし。
「まだ十分だぞ? 俺はお前の将来が心配でならんぞ……」
「じゃ~あ、もし駄目だったら……黒先生のところでお世話になっちゃおうかな?」
「あ、すまん、白唯。ちょっとお茶を入れ直してもらえるか?」
「え? う、うん……別に良いけど……」
「悪いな、後で俺が代わりに入れて来るから」
そう言って、娘は柿村と俺を交互に見ながら溜息を吐く。
その目は「またやってる……」と言ってるように感じた。こんな奴でも君の親友なんだけどね?
そんな俺達のやり取りを見ていた柿村は、声を荒げると俺へと詰め寄ってきた。
「私の渾身の告白をナチュラルにスルーしないでくれない!?」
「ん……? むしろ今のは『遊びたいから養って』と俺の中で変換されたんだが、違うのか?」
「合ってます! ぜひ養って下さい!」
「いや、否定しろよ!? 養われることに抵抗感とか無いの!?」
「黒先生……時にはプライドよりも大事なことって……あると思うんだ」
相変わらずの駄目人間ぶりを披露する不良娘、柿村。俺以外にはこんなこと言わんのに……教師として、甘やかし過ぎてしまったか。
「わ、私は黒センセを養うだけの財力を持ってますよ!?」
「いや、そこで自分の大切な資産をアピールするのはやめてくれる?」
教育実習生である沙奈原は実は良いとこのお嬢様だったりするが……俺を養うって、俺を駄目人間にする気か、お前は。
「安心して兄さん! 私も兄さんを養う覚悟はいつでも出来てるから!」
「いや、何を安心するの!? 兄さん、妹の将来が心配になるんだけど!?」
何故か妹である藍菜まで対抗意識を持って参加してきた……なんなの、この集まり。
「……」
「ん?」
そんな中、ふと視線を感じて振り返るが―そこには、新しいお茶を持ったまま立ち尽くす白唯の姿があった。
(しまった……せっかくの勉強会が騒がしくて、さすがに白唯も怒ったか?)
白唯は模範的な優等生だし、勉強や授業にも真面目に取り組むタイプだ。そんな娘の姿は嬉しいが……こんなに騒がしいと、かえって非効率だろう。
俺はそんな白唯から怒られることを覚悟していたが―
「……私だって、将来はちゃんと働いて楽させてあげるんだから」
「白唯……?」
そう言って、白唯は少し拗ねたような顔で俺の目の前にお茶を出してくれる。……え? 楽をさせてくれるって俺のこと?
ちょっと待って……この子、一体どれだけ親孝行できる子なんだよ……。
「……父さん、今、娘に一生お年玉上げても良いな、って本気で思ったよ」
「やめてよ、恥ずかしいから……将来は私が楽させてあげるんだから、一生もらうのは嫌だよ」
「駄目だ……涙が止まらなくなりそうだ。父さん、良い娘を持って幸せだよ……どこぞの生徒達と違って」
俺はチラリと視線を騒がしい生徒&教育実習生へと向ける。
そんな俺の視線を不服に思ったのか、件の生徒達が抗議の声を上げてきた。
「く、黒センセ!? わ、私だって、将来黒センセを楽させてあげられますよ!?」
「こんな可愛い私を一生養える権利をあげるんだよ!? 一体何が不満なの!?」
「どれもこれも不満だらけだよ! 俺は駄目人間になるつもりは無いし、駄目人間を養うつもりも無い!」
「そうよ! 兄さんは私が一生育てるんだから!」
「育てるって何!? 兄さん、もう十分に育ってるんだけど!?」
「……あのさ、お願いだから普通に勉強会してくれない?」
なおもヒートアップする騒がしい連中を見ながら溜息を吐く白唯。……よく分かるぞ、その気持ち。
そんな中、ふと気付いたのだが―
「……そういえば、見梨は?」
こんな騒がしい状況で一切会話に参加して来ない『優等生B』こと、見梨のことに気付いた俺は彼女が居るであろう場所へと目を向けた。
すると―
「……え~と、ここがこうで―」
あんな騒ぎの中、見梨は一人、時折小さな独り言を呟くものの、わき目も振らずに勉強していた。
「……なんという集中力」
「麻里って結構集中力あるよね……。よく一緒に勉強する時も、現実に引き戻すのに結構苦労するんだ……」
白唯は親友のそんな様子を見ながら、ゆっくりとお茶をすすると、再び机の上に置いた自分のノートへと目を落とす。いやこれ、集中力があるっていうか……あり過ぎじゃね?
さすが妄想癖のある見梨……一度妄想に浸るとなかなか帰ってこないが、まさか勉強にまで活かされていたとは……。
普段の授業では普通に受け答え出来てるし、自主勉強の時だけ集中力を上げているのかもしれない。
まあ、理由はどうあれ、白唯の親友が勉強が出来る人間なのは嬉しいが―
「……お前ももう少し頑張れ、親友A」
「親友Aって私のこと!?」
俺はもう一人の親友である柿村へ呆れた目を向けていた。……だって、お前全然勉強しないじゃん。
「……俺は白唯がお前から悪い影響を受けないか、常々心配なんだよ」
「大丈夫だよ! 私が勉強しなきゃ、シロが勉強しない時の言い訳になるし!」
「自分の学級委員長を悪の道に引きずり込まないでくれる!?」
「勉強こそ悪! 私こそ正義!」
「いや、お前、勉強しないと進級とかどうするんだよ……」
胸を張って力説する柿村に、俺は溜息を吐きながらそう呟く。……ある意味、こいつの将来の方が心配になるわ。
そんな俺に、柿村は一瞬だけ表情を消すと、いつものようにまた笑顔を向けてきた。
「大丈夫大丈夫w なんとかなるっしょ、多分w」
「そんなもんか……」
そんな柿村の態度に一瞬違和感を覚えたものの、すぐにいつもの柿村に戻り、俺は首を傾げる。……気のせいだったか?
そんな中、俺の目の前にお茶が出てきた。あれ? さっき白唯が持って来なかったっけ?
よく見ると、片手でお茶出し用のトレーを胸に当てていた白唯が、わざわざもう片方の手で俺の目の前に来るように持って来ていた。
「え~と……白唯……?」
「……せっかく淹れたんだし、冷めないうちに飲んでよ」
俺が気付いた途端、そう言って恥ずかしそうに手を引っ込める白唯。……こんな可愛い娘が世の中に居るだろうか……いや、居ない。
そして、そんな白唯の反応に、近くに居た柿村はニヤニヤとすり寄っていく。
「シロ~? 私らが居るのに『お父さん』とイチャイチャするなんて、見せつけてくれるじゃ~ん?」
「なっ―い、イチャイチャとか変なこと言わないでよ……」
ふむ……慌てる娘のなんと可愛いことよ。
そんな娘の可愛い反応に俺も癒されていると、藍菜が切羽詰まった表情で俺の方に突撃してきた。
「ま、待って!? イチャイチャって兄さんと!? 兄と妹だってスキンシップが必要だし、私だってしたいわ!」
「いや、普通の兄妹はイチャイチャしないからね!?」
「そんな世の中がおかしいのよ!」
「おかしいのはお前だよ!?」
いつも通り、やたらと俺とくっつきたがる藍菜から距離を取ろうと必死になる俺。……この子、本当に将来大丈夫?
そんな騒がしい俺達を見ながら、沙奈原は「あはは……」と乾いた笑いを浮かべながら小さく呟いた。
「……黒センセ……これ、勉強会って言えるんですかね」
多分、言えないと思う……。
俺はそんな元教え子の気持ちに答えるように、深い溜息を吐くのだった。