「―ねえ、黒乃くんって、お休みの日はいつも家で何してるの?」
俺の隣を歩く女性―俺の恋人である桃佳は朗らかな表情で俺にそう聞いてきた。
「……勉強」
「うわ……勉強は確かに大事だけど、休みの日まで勉強してたら大変じゃない?」
「そんなもん、十分分かってるわ! とはいえ、他にやることも無いし、教員免許を取るためには勉強するしか無いんだよ」
「う~ん……じゃあ、私がこうやってお休みの日に呼ぶのは迷惑だったかな?」
桃佳はそう言って申し訳無さそう頭を伏せてしまう。……しまった、これじゃ桃佳を落ち込ませるだけじゃないか。
それはいかん、俺は桃佳や白唯を泣かせることだけは絶対にしないと決めているんだ。
「……別に、本当に来れない時はちゃんと断るって。……まあ、だから今日は大丈夫ってことだ、心配すんな」
「うん、知ってた」
「は?」
俺が気を遣って励ましの言葉を向けるや、桃佳は突然顔を上げて笑顔を向けてきた。そして、まるで悪戯が成功した子供のように笑いながら俺の脇腹を肘で小突いてくる。
「ねえねえ、黒乃くん今私のこと心配してくれた~? 私、泣いちゃったかと思ったりしたんじゃないの~?」
「くっ、この天邪鬼め……」
若干ウザい絡み方をする恋人に対して毒づくものの、怒ることは出来なかった。……惚れた弱みというのはこういう時は厄介だよな、ホント。
そんな俺と桃佳の間に、小さく手が入ってくる。
俺と桃佳が不思議に思ってその手の主に視線を向けると、まだ少し小さかった白唯が不機嫌そうな表情で俺達を睨んでいたのだ。
「……お母さん、そういうのは良くないと思うよ」
「あれ~? もしかして、白唯ったらお母さんが黒乃くんと仲良くしてるから怒ってる~?」
「べ、別にそういうのじゃないし……勝手なこと言わないでよ」
そう言いつつ、白唯は慌てたように顔を赤くしてしまっており、それがより一層桃佳を喜ばせていたりする。
「白唯~、なんであなたはこんなに可愛いの~! もう駄目、お嫁にもらいたい!」
「おい、そこの親バカ。白唯はどこにも嫁にやる気は無いぞ?」
「私の娘なのに、黒乃くんから許可が必要なの!?」
「いや、普通、母親が娘を嫁にもらわないだろうが……」
俺と桃佳がそんな馬鹿なやり取りをしていると、少しだけ白唯が足を早くして俺達の前を歩いていってしまう。
「あ~、黒乃くんがからかうから白唯が怒っちゃった~」
「俺かよ!? これはどう見ても親バカ過ぎるお前の所為だろうが!」
「ほ、褒めても何も出ないよ!?」
「違ぇよ!? 親バカのお前の責任だって言ってるの!」
「親バカだよ! 悪い!?」
「いや、悪くないけど! って、そうじゃなくて、からかい過ぎたのはお前の方だろ!?」
相変わらず、斜め上の返しをしてくる恋人に、俺はため息しか出なかった。……普段こいつが周りに見せてる真面目なキャリアウーマン像は気のせいにしか思えん。
そんな中、俺は徐々に足を早める白唯に駆け足で追い付くと、その肩に手を置いた。
「白唯、お前のお母さんの言うことなんて気にするな。あれはそういう生き物だ」
「な、なんか、何気にけなされてない!?」
「そこ、埒が明かないので黙っていなさい」
「あ、今のちょっと先生っぽかったかも」
「年下に説教されるマダムは少し黙っててもらえますか?」
「なんか、マダムって言われるとちょっと気分良い気がする……」
俺はそんなことを言って目を輝かせる恋人を無視して、俺は白唯に呼び掛けていた。あいつに付き合ってたら日が暮れちまうからな……。
「待てって、そんなに機嫌悪くしたならお前のお母さんに俺が説教してやるからさ」
「……別に、そういうわけじゃないんだけど」
「じゃあ、急に歩くの早くなったのはどうしてだ?」
「そ、それは―」
「えいっ」
俺が白唯を引き留めていると、そんな白唯の体を抱きかかえた桃佳は白唯ごと俺の方へと向き直ってきた。
すると、その拍子に白唯の表情が見えたのだが―
「……白唯、なんかお前顔赤くないか?」
「べ、別に赤くない……」
「いや、どう見ても真っ赤じゃん……」
「あ、赤くなんてなってないよ!」
「お、おう……そ、そうか?」
珍しくムキになる白唯に思わずたじろいでいると、白唯の体を持っていた桃佳が何やら意味深な笑みを浮かべていた。……桃佳の奴、またロクなことを言い出しそうだな。
そんな俺の期待を裏切らない俺の恋人は、俺に年上風を吹かせつつドヤ顔を向けてきていた。
「ふふふ……やっぱり、黒乃くんには女心が分からないみたいだね~? まあ、私が初カノだし~? 仕方ないよね~? うんうん」
この野郎……俺が年下だと思って、いつもからかいやがって……たまには少しくらい反撃してやるか。
そう決めた俺は上手い具合に表情を引き締めると、少し余裕を持たせた態度で軽い嘘を返してやることにした。
「おいおい、俺がいつそんなこと言ったんだ?」
「…………………………………………………………え?」
その瞬間、余裕を見せていたドヤ顔から一変、桃佳の顔がこの世の終焉を目にしたような絶望的なものへと変わった。
今にも砂になってしまいそうな桃佳に、俺は慌てて噓を撤回することにする。
「ま、待て待て! 冗談だ冗談!」
「あ……そ、そっか~、良かった~。も~、いきなり変な冗談言わないでよ~。焦っちゃったじゃない」
「いや、焦り過ぎだろ……」
この恋人、割とメンタル弱い癖に無駄に年上ぶるからなぁ……年下である俺がしっかりせんと、こんな感じになっちまう。
「はあ……で? 白唯はどうして顔を赤くしてたんだ?」
「べ、別に顔を赤したりしてないってば!」
「あれ~? 黒乃くん、それが人へものを聞く態度なのかな~? それじゃあ、白唯が顔を赤くした理由は教えられないな~?」
「お、お母さん!」
慌てる白唯と俺へマウントを取るのが楽しいのか、ニヤニヤと笑う豆腐メンタルな恋人。俺はそんな恋人の悪ふざけに付き合い疲れたので、あえて笑顔で返してやる。
「桃佳……後で覚えてろよ?」
「い、言います! ぜひ言わせて頂きますので、く、黒乃くん、ちょっと落ち着こう!? ね!?」
俺の怒りのオーラを感じ取り、いきなり気弱な態度になる年上彼女。……まったく、最初から素直に言えば良いだけだろうに。
「それで? 白唯が顔を赤くしてたのはどうしてなんだ?」
「ん~? 簡単なことだよ、白唯は黒乃くんに『誰にも嫁に出さん!』って言われて嬉しかったんだよね~?」
「ちょ、ちょっと! お母さん!」
「ご、ごめんね白唯~! お母さんが悪かったから許してよ~!」
白唯は桃佳に怒って詰め寄っていたが、それは恥ずかしさがあるだけで、本気で怒っているわけじゃないのは一目で分かる。
桃佳も桃佳で白唯が本当に嫌がることはしないし、子供っぽい態度を取るのも俺と白唯の距離を上手く繋ぐ為の演技だというのも俺にはよく分かっていた。
そんななんだかんだで仲の良い二人の関係に入れることが幸せで、俺はそんな二人とこれからも一緒に居る為に言っておかないといけないことを伝えておくことにした。
「それと、言い忘れたことがあった」
「ん~?」
例えいつか終わりを告げるこの関係を、それでも永遠に続ける為に。
「白唯はな、お前の娘ってだけじゃないだろ? ―俺の娘にもなるんだから可愛い娘を誰にもやる気は無い」