―何故、こんなことになったのだろう。
部屋に向かっていたはずの俺は居間で背中を向けて寝そべり、その両脇に娘と妹がそれぞれ配置している。
さらに、俺の背中の服は肩までまくり上げられ、その背中を見た藍菜が黄色い声を上げていた。
「兄さんの背中って、こんな風になってたのね……」
「なんかその言い方怖いんだけど!? っていうか、子供の頃に見たことくらいあるだろ!?」
「でも、それって子供の頃じゃない。もう兄さんと離れて数年経ってるし、ここまで変わるなんて……」
そう言ってうっとりした声を上げる妹。……誰かこの妹を止めて。
とはいえ、このまま背中を出していては地味に寒いし、風邪を引きかねない。……というか、普通に恥ずかしい。
俺はさっさと湿布を貼ってこの作業を終わらせてもらおうと、この場に居るもう一人に状況を託すべく声を掛けることにした。
「なあ、白唯からも言ってやってくれ―って、白唯?」
だが、俺の期待をよそに、白唯は顔を真っ赤にして俺と湿布を見比べたまま固まっていた。
そして、俺が声を掛けた瞬間、その肩をびくつかせて緊張した面持ちで俺の顔を見返してくる。
「な、何……?」
「いや、それはこっちの台詞なんだが……なんだ? もしかして、背中になんか付いてたか?」
虫とかだったら嫌だなぁ……何か出来物があっても嫌だけど。
普段、自分の背中を見ることは無いから、こうしてまじまじと見られていると、何かあるんじゃないかと不安になってしまう。
しかし、そんな俺の不安は外れたようで、白唯は俺の言葉を身振り手振りで一生懸命否定してきた。
「べ、別に何か付いてたとか……そういうのは無いんだけど」
「ふぅ、良かったぜ……ん? じゃあ、どうしてそんなに固まってるんだ? 俺としてはさっさと湿布を貼ってくれると助かるんだが……このままだとなんか間抜けっぽくてちょっとな……」
「う、うん、そう……だね……」
そう言って何かを覚悟するような顔を見せてくる白唯。えぇ……一体何する気なの? ただ湿布を貼るだけだよね?
そんな白唯に、今度は藍菜が反応し始める。
「待って、白唯さん」
「な、何……?」
「私が兄さんの湿布を貼るわ」
いや、もうこの際どっちでも良いよ……。そんなことより、早く俺を解放して……。
そんな俺の心境など知らず、藍菜の言葉に白唯が少しムッとした様子で反応してしまう。
「……良いよ、ここは私がやるから」
「譲らないのね……良いわ、兄さんどこが痛いのか教えてちょうだい」
まるで、火花を散らすんじゃないかという程に視線をぶつけ合う二人に圧倒されていた俺は、藍菜の言葉にため息を吐きつつも、自分の背中に手を伸ばす。
「……まあ、良いか。え~と、ここら辺―って痛ぇ!?」
しかし、俺が手で痛めている腰の部分を指差した瞬間、その手ごと湿布が力強く貼られた。しかも、一人分じゃなく、二人分。
あまりにも大きく叩き付けられた痛みで声を上げると、白唯と藍菜が心配そうな表情で俺を覗き込んできた。
「ご、ごめん……」
「兄さん!? ごめんなさい! だ、大丈夫……?」
「大丈夫だ……ただ、ゆっくりと貼ってくれ、ゆっくりとな……」
もうこれ、自分で貼った方が絶対に良いよね……。
俺は思い切り叩きつけられて赤くなった手を自分の前に持ってくると、ヒリヒリとしたその手をゆっくりとさすった。……なんで腰を痛めたのに、今度は手を痛めるのだろう。
しかし、そんな様子を見逃す娘と妹ではなかった。
「ちょっと、手見せて」
「赤くなっちゃってるわね……待ってて兄さん、今湿布を貼るから!」
「いや、良いです! お気遣い無く―ぐぉっ!?」
今度は俺の手を強引に掴んだ二人が眼前で睨み合いを始めてしまう。しかも、俺の手を二人が両サイドで引っ張っている所為で結構痛い。
「……藍菜さんは背中の湿布を貼っていて良いよ?」
「白唯さんこそ、さっきまで兄さんの背中に貼りたそうにしてたじゃない? 仕方ないから譲ってあげるわよ?」
「べ、別に私は貼りたそうになんて……それを言ったら、藍菜さんだってずっと背中を見てたし、貼りたがってたでしょ?」
「そ、そんなこと無いわよ? 私はただ兄さんの痛みを少しでも和らげてあげようとしてただけで……」
互いに意見をぶつけ合ったかと思うと、急に恥ずかしそうに顔を真っ赤にし始める娘と妹。……とりあえず、二人共手を放してくれない?
寝そべっている状況で手を持たれてるのは態勢的に結構つらいんですけど……。
だが、俺の様子に気付いていない二人は、そんな俺の様子を無視してなおもヒートアップし始めてしまっていた。
「湿布を貼るならどこでも同じでしょ? だったら、それぞれ役割分担した方が良いと思う。藍菜さんは背中に貼ってくれれば良いから」
「役割分担には賛成するけど、背中は白唯さんに譲ってあげるって言ったでしょ? 兄さんのこの手に湿布を貼るのは妹である私の役目よ」
バチバチと視線を交じり合わせる二人に、俺はただ疲れ果てて畳んでいた座布団に顔をうずめることしか出来なかった。……除草作業よりつらいよ、これ。
もはや、諦めモードに入った俺は最後の救いを求めるように、どうせ言うだけ無駄なことを呟いた。
「……すいません、とりあえず手を上げたままはつらいんで、もう自分で貼らせてもらったりは―」
「「駄目に決まってるでしょ?」」
「……ですよねぇ」
娘と妹に頭が上がらない俺は今もにらみ合いを続ける二人を横目に、座布団に再び突っ伏しながら、俺は完全に諦めて悟りを開くのだった。
―あぁ、明日は筋肉痛だろうな……主に腰と腕が。