それは海兵の中で知らぬ者などいない歌。
それは海兵であれば皆が好んで口ずさむ歌。
私も当然そう。
ヒナ、当然。
でもそれは表向きの話……。
私はこの歌が嫌い。
勿論、口ずさむことはある。
でもそれは自然とではない。
意識的にやっていること。
湧き出てくる嫌悪と恐怖という苦みを、何とか紛らわせながらやっているに過ぎない。
この歌は海で共に闘う者を想う歌であるはずだが、
私からすれば彼らが常に敵であることを再認識させられる歌である。
その意味においてはいいことなのかもしれない。
ヒナ、満足。……すべきことだろうか?
だが海は見ている。
海は全てを見ているのだ……。
心休まる歌では決してない。
苦みを何とかして飲み下した上で、
絶望の深淵を正視する作業に他ならない。
もうヒナ、絶望なのである。
そんな何百回繰り返したか分からない、
何百回繰り返そうと慣れることがない作業を、
また繰り返した。
マリンフォードに行くとはそういうことだ。
戻るのではない。
帰るのでもない。
行くのだ。
島影を視認した瞬間からそれは脳内に木霊する。
本部城壁に大書された海軍の2文字を確認した瞬間に打ち震える。
湾内に入ってゆき、
無数の双眼鏡による好奇の眼差しをタバコの煙と共に巻き散らしていく。
停船し、
錨を入れる。
「着剣!!」
「捧げ
「海軍本部情報部監察准将に敬礼!!! …………
軽く頷いて見せ、
進み往く。
コートをはためかせて、
タバコは銜えたまま。
覚悟は決まっている。
ここは海軍本部と言う名の“戦場”。
肩で風切ってでも往かねばならない。
真の仲間の為に。
そして胸に刻み込むのだ。
ヒナ、上等!!!!
私がマリンフォードに来なければならなかった理由。
それは着任の挨拶というのがひとつ。
本来の私の仕事場所はマリンフォードではなく、聖地マリージョアとなるため必要ないように思われるが違う。情報部監察である以上は本部海兵に対する監察という役割も存在しているのだ。ゆえにマリンフォードには監察部署が設置されている。更には文書管理室。本部で日々生み出される膨大な量にのぼる文書の数々が最終的に集約される場所が存在しているが、その管轄もまた情報部監察が担う。
それを
いや、やはり着任の挨拶かしらね。
直属の上司であるモネ少将もまたマリンフォードに来ていると連絡を受けたのだ。
海賊 カポネ・“ギャング”ベッジをインペルダウンに無事連行した旨を報告しなければならない。
勿論、海賊 ポートガス・D・エースの身柄をZと呼ばれる集団に奪われた旨も報告する必要があるだろう。
ベッジを無事連行出来たのは正直言って運が良かっただけとしか言えない。サカズキ大将とは別の船で移送することとなり、尚且つ船団を組むのではなく単船で行動したことにより、襲撃を免れたというところだろう。そうでなければ同じような運命を辿っていた可能性は高い。
ただこれを運が良かっただけで済ませてよいことなのかどうかはまた別の話かもしれない。
謎の集団Zとは何か?
輪郭は朧げながらも見えてきつつある。新聞にあれだけ派手な投書が行われたのだから。
Zとはゼファー元大将が率いていると言う。海軍を辞めて革命軍に与したあの人であり、私自身もかつては直接の指導を受けたことがあるあの人である。
本部には激震が走っていることは間違いない。それほどにもあの人の影響は大きい。海軍を辞めて革命軍に与したときも事は重大であったが、今回はそれを優に上回る。
あの人は私にとって、大多数の海兵にとって、とてつもなく大きな存在であった。海兵であるならば教官として真っ先に思い浮かぶ相手はあの人という人間がほとんどであろう。
なのに戦わねばならなくなった。絶対的正義に盾付いた者に対しては報いを受けさせなければならないのだ。それは
それでも海兵とて人間である。当然ながら情は存在している。それでも情を超越したところに法が存在していて、正義も存在している。
ゆえにマリンフォードは驚くほどに静かだ。上陸して道行く相手と挨拶を交わし合い、本部の今の様子と雰囲気を探ってみるが驚くほどに静かである。ざわつくような喧騒は存在していない。
ただ、表情を見れば分かる。皆が分かっている。これからどうなるのかということを。時間の問題でしかないと言うことを。
だからこそ、いつになく静かなのだ。
見るからに湾内に停泊する船の数は増え続けている。世界各地に散らばっていた者たちが続々とここに集まりつつある。
であるにも関わらずの静けさ。それは嵐の前の静けさなのか……。
ヒナ、沈黙ってところね。
情報部監察に与えられた区画は本部城壁内の一角。案内図から想像するに、文書管理室を含んでいることを考えれば些か手狭なような気もする。初顔合わせということもあり、幾許かの緊張を身に纏いつつ入口扉を開いてみれば、
中はある意味戦場だった。
視界に飛び込んでくるのは文書を天井近くまで積み上げられたタワー。しかもそれが群れを成している。デスクの上に山が築かれていたり、一押しすれば崩れてしまいそうに危うい積み方でご丁寧に床から積み重ねられていたりする。その間を何とか人ひとり通れるかという通路が伸びていた。
文書管理室という文字から静かな職場を想像していたのだが、まったくの正反対、正直言って怒号が飛び交っていた。
最初に聞こえた言葉は
「殺すっ!! ……ぶっ殺すっ!!!!!!」
ヒナ、物騒である。
ここは練兵場ではないはずなのだが……、文書を管理するどの過程でそんな言葉が必要になってくるのだろうか……。
「ヒナ嬢、俺たちは来るところを間違えてないでしょうかねぇ……」
「ああ、お前もそう思うか。……これじゃ踊れねぇもんなぁ」
当然ながら私の部下二人も連れて来ているのだが、その感想にも頷けるというものだ。私たちは来るところを間違えたかもしれないし、この場所では到底踊れないだろう。踊るつもりは毛頭ないが……。
と、そこへ更なる訪問者たち。
何やらうるさいので振り返ってみれば、両腕で目一杯の文書束を抱えて来ている何人もの兵たち。
どうやら新たな文書がここに運び込まれて来たようだ。何往復したか数えるのが嫌になるほどにここには繰り返し来たようで、入口はいった片側に新たな文書タワーを築き上げると、私を上官だと気付いたようで、これで最後だからよろしくお願いしますと逃げるように去って行った。
お願いしますと託されてもね、ヒナ、困惑なんだけど……。
新タワーの出現にいち早く気付いたのか分からないが奥から眼鏡姿の女の子が現れた。小脇にぎっしりと紙束を抱えている。彼女は私たちなどまるで見えていないかのようにして、新たな文書束のタワーを見上げたあとに盛大に溜息を吐き、
「ほんと死ねばいいのに……」
ぼそっと毒を吐いてみせた。
のちには私たちに視線を寄越してくる。眼鏡越しに、……もしかして睨まれてる?
痛いほどの視線に耐えられないのかフルボディとジャンゴが彼女の持つ紙束を代わりに持とうと空回りし始めている。無理もない。階級章は伍長。彼らからすれば上官だ。私でさえ一瞬気後れしてしまうほどの鋭い視線。立て続けに物騒な言葉を聞いてしまったのも大きい。
「で、誰?」
ここでは新参者。私の方が階級では当然上官に当たるが致し方ないのかもしれない。眉間には相当来るが……。
何とか口を開こうとしたところで、
「ああ、やっと来た」
また奥から現れたのは久しぶりに見る私の上官。モネ少将。瓶底眼鏡を額に載せながら私たちの一触即発と言えなくもない状態にするりと入り込んで来た。
私の上官は柔らかな笑みを
こいつらときたら……、ヒナ、嫉妬……ではないはず。
そんな一幕もそこそこにして、私たちは奥へと案内されてゆく。これから進捗会なるものを始めるという。見てもらえば文書管理室がどういうものか分かるらしい。あの物騒な言葉が出てくるのも分かるということだろうか。
「はい。じゃあ今日の進捗会を始めます。よろしく。早速だけど入荷状況の報告から」
「入荷状況は計画から50万の大幅な上振れです。内訳はズドンが5万とお願いしますが45万、その内の40万はクザン大将とガープ中将からのものです」
進捗会とやらは山脈かと思ってしまう文書タワーに囲まれてぽっかりと空いているスペースにある大きなテーブルで始められた。当然ながらここも乱雑にありとあらゆる文書と筆記具に電伝虫が所狭しと置かれていて周りをぐるりと沢山の黒板が囲んでいる。黒板は世界地図で
話の内容にはまったく付いていけていないが……。
入荷、上振れ、ズドン、お願いします……意味が分からない……。クザン大将とガープ中将が関係していることもなぜなのか?
それでも進捗会は進んでゆく。司会進行はモネ少将。入荷状況について先程の眼鏡の女の子が淡々と報告を続けている。眼鏡の奥がキラリと光っているように見えるのは気のせいだろうか?
「今の情勢を考慮すると上振れ状況が続きそうですし、どこかでバックログを正常化させないと我々は死にます」
「そうね。正式な命令書発行はまだだけど、新聞の一件で大号令が掛かるのは時間の問題。佐官以上の事務業務全ストップが見えているわ。当然どこかでバックログは正常化させるけど、今はみんなに死んでもらうしかない」
上官からの死刑宣告にこの場の人間はみな神妙な面持ちである。私の部下でさえ。いや、心の中で踊っているかもしれないが……。
よくよく見渡してみればこの場の人数は10名にも満たない。全員がこの場に参加していないのかもしれないが、もし仮にこれで全員だというのなら、一体この紙束の海と山をどうやって捌いていくというのか。確かに死亡という二文字が現実味を帯びてくる。
まだよくは分かっていないのだが何となく殺すだったり死ねばいいのにだったりの言葉の意味が見えてきた気がするのだ。クザン大将とガープ中将が関係していることにも。思い当たる節はあるのだ。有り過ぎるほどに……。
「えーーー、久しぶりに今日は食堂でお昼を食べようと思ってたのにー。またビスケットですかー。さっき食堂をちらっと覗いてきたら、今日はから揚げ食べ放題の日ですよー。もう、私、死にたい……」
「食えるだけましかもしれないぞ。正直、食えるかどうかさえ怪しいと俺は思うがね。まあ今度はビスケットに辛いものつけて乗り切ろうや。本当に死にたくはねぇだろ……」
「…………うぅぅぅ、から揚げ……、諦めきれないなぁー」
女性の落胆具合は分からなくもない。その理由がから揚げである時は特に。
でも文書管理室がこんなにも死と隣り合わせだったとは思いも寄らなかった。正直ヒナ、絶句。
「はいはい、ビスケットをから揚げだと思って頑張りましょう。取り敢えずこれだけの大幅な上振れだから……、いいえクッソ上振れだから、今現在のバックログは少なく見積もっても100万は下らないでしょう。今日のターゲットは10万。早速にもアクションを決める必要があるわね」
10万という目標設定に辺りは一瞬でしんとなる。多分に本気でヤバい数字ってところかしら。しんどくてもいけそうな数字なら、文句が飛び出してくるはず。それすら出ずに沈黙する時はそういうことよね。
でも、
「少将、ではここにクザン大将とガープ中将を呼んでください。正座させて小一時間ほど問い詰めたい」
「小一時間で済めばいいがな。そんなアクションじゃダメだ。もっと踏み込む必要がある。諸悪の根源は奴らの部屋に眠ってる。今直ぐ放火に行くべきだ」
「いいえ、生温いです。今直ぐクザン大将とガープ中将にバスターコールを掛けて根絶すべきです」
そういうことではなかったようだ。溜めこんでいた怒りを一気に放出する準備のための沈黙。私の場合まだ他人事に近い状態なので脳裡に身も蓋もない考えが浮かんでしまう。
取り敢えずこの部屋全部燃やしちゃえば?
一気に100万のバックログ解消である。
とは勿論言えない。文書管理室がすることではない。管理不行き届きで懲罰ものである。
「はいはい、気が済んだら私の話を聞いて。ひとまず頭数、そして労働時間を集めないとどうしようもない。今日来てくれたヒナ准将と二人は頭数に入れてるけど、全然足りない。あの手この手を使って集めること。自分の貸しを精査してありったけ返して貰うこと」
言葉を切ってぐるりと見回すモネ少将の顔が怖い。っていうか他の人たちの顔も押し並べて怖い。ここは本当に海軍だろうか? 海軍ではあるが海軍ではない気がする。広場で正義に関する演説を聞いているときと同じくらいの量の熱気が充満している気がするが、何か違う気もする。
「監察業務は最重要対象者を除いて一旦ストップ。
世界地図が描かれた黒板を指差しながら具体的なアクションが語られてゆく。
こうして朧げながら文書管理室というものが分かってきた。
文書管理室の業務は主に2つ。各部署、各隊で作成されて直近で必要なくなった文書を2Sして管理してゆく。倉庫が城内最下層にあるらしい。一番下に落とし込むからこれはズドンと呼ばれているようだ。
一方で文書の態を成していない殴り書き、走り書き、メモの類が一緒くたになって送られてきて、それらを纏め上げて報告書として提出できるレベルのものにするのがもうひとつの業務。忙しい佐官クラス以上に代わって事務業務を代行するようなものである。代わって提出するからお願いしますなのか、代わりにお願いされるからお願いしますなのか、ネーミングセンスは何とも妙である。
ただこれで腑に落ちる。クザン大将とガープ中将はこっちだろう。きっと彼らの事務業務をまるまる代行している形に違いない。“殺す”や“死ねばいいの”にと言った物騒な言葉にも納得である。多分に最初からまるっと送ってくればいいものを、向こうもよく分かってないから、小出しで送られてくるに違いない。しかもその小出しでも量が半端ないのだろう。おまけにあとからあとから未処理のものが見つかってお願いしますでは質が悪すぎる。殺意が芽生えてきてもおかしくはないか。
今日のターゲット10万ってことは10万枚の文書を処理するってこと。正直死ぬしかない。ヒナ、死亡である。私も自分の事務処理能力に自信が無いわけではではないが……。文書を読むスピードは申し分ないはず。この世界は力が全てではあるが上へ進むほどに文書とは切っても切れない関係となってゆくのだ。文書を捌く能力は必須と言って良い。中には無縁の人間もいるにはいるが。そういう人間はこうやって日夜恨まれているわけだ。まったくもって恐ろしい。私も誰かに恨まれるような文書を生み出してはいないだろうか。ヒナ、心配……。
「さて、じゃあ最後に唱和で締めましょう。仕事は常に秒で
「「「「仕事は常に秒で
秒で
進捗会が終わって仕事が一斉に始まった。当然のようにして私も頭数に入れられてしまったので、まずは机に
こんな思考を働かせながらも私の手と目は動き続けている。目は文書を読み込み、手は新たな報告書を生み出してゆく。私の仕事はガープ中将の尻拭いだ。脈絡が無く取りとめもない言葉の羅列を意味のある訓練教育記録として纏め直してゆく。備蓄記録を集計し、空欄と虫食いには想像力と閃きを働かせて、月間の報告書に仕立ててゆく。
生産性を持ちだされては私も本気にならざるを得ない。ターゲットは時間当たり1000枚。1時間に1000枚の文書を処理しろとのお達しである。
それにしても、この擬音だらけの評価欄何とかならないのか。ガァーッととか、バァンッととか。
ほんと、殺したくなるのも分かる。
ほらまた、虫食い。これはきっとお茶でも零したに違いない。こんな状態でもここに送れば何とかしてくれるだろうという甘えを感じてならない。
ヒナ、乱心。
静かに眉間に皺が寄っていくような、怒りが胸中に積み重なってゆくようなそんな感覚。一定量を超えれば私も罵りの言葉を吐き出してしまいそうだ。
いや、ここは辛抱ね。
応援が来ればここを一旦抜けることが出来る。ターゲット1000枚もこのペースなら大丈夫そうだ。やることやっていれば離れることに問題はないだろう。
文書管理室にやって来たのだ。ここには海軍が扱う全ての文書が集まってくる。つまりは情報の宝庫である。自分の任務を遂行しないわけにはいかない。本丸はマリージョアだと睨んではいるが、ここマリンフォードにも何かしら取っ掛かりとなる情報が眠っている可能性は高い。そのためにも下の倉庫に足を伸ばしたい。
そこにある何かを掴みたい。ヒナ、渇望。
倉庫は城内の最下層に本当にあった。見渡す限り整然と並んでいる棚の数々。そこにびっしりとファイリングされた文書が詰まっている。まさに宝の山。奥まった場所であるのにも関わらず、居心地がいいのは換気が行き届いているからなのかもしれない。
早速上から持ち運んできた文書を所定の棚にしまっていく。手ぶらで来るわけにもいかず、両腕いっぱいまで文書を抱えて降りて来たのだ。部下二人と共に。フルボディとジャンゴはそのまま直ぐに上へと戻る手筈だ。彼らはこの往復が仕事である。やってられない仕事内容ではあるが、何だかんだで本人たちは楽しそうにやっているので良しとしよう。
さて、自分の任務を始めよう。時間があるとは決して言えない。ここへ降りて来る時にはモネ少将もどこかに向かうようだった。どうやら上からの呼び出しがあったらしい。ということはそろそろ大号令とやらが発せられるのかもしれない。そうなってしまえばどうなるのかは正直分からない。出来るうちにやっておかなければならないのだ。
私が見つけ出さなければならないものは何か?
私は何を調べださなければならないのか?
アラバスタにてロー君から聞かされた内容。脚本家の異名を持つクラハドール君が想像している内容。
すべてはそこから始まる。
それは仮説。あくまでも仮説に過ぎない。
だが、もしこの仮説が正しかった場合、根底から覆るものがある。
それは気宇壮大にして突拍子もない計画が実在し、実行に移されたことを意味し、尚且つ今もそれは進行中ということになってしまう。
私が見つけ出さなければならないものは何か?
それはこの仮説を前提にして探し出さなければならない。人と人には必ず繋がりがあり、その繋がりを辿ってゆけば何かにぶつかるものだ。それを辿るための取っ掛かりがあるはずである。
鍵はトリガーヤードにある。
アレムケル・ロッコも確かにそう口にした。
トリガーヤード事件に関するもの、それを探しだす。
棚の間を動き回り、探し出してゆく。整然と並ぶそれの決まった区画、当たりをつけた区画。年代別に分けられた丁度その時期の区画は他と比べて驚くほど文書の量が少なかった。起こった出来事と比べるに膨大な文書が存在していてしかるべきではあるがその量は見合っていない。
明らかに作為を感じてしまう。意図的に文書が存在しないことになっている。
ヒナ、憤慨ではあるが、それであきらめることはしない。
今度はネルソン・ボナパルトに関するものを探し出してみる。
これもまた存在はしていない。欠片ほども存在してはいない。
アレムケル・ロッコが口にしていた言葉。トリガーヤードに繋がるものは全て消し去らなければならない。それが忠実に実行に移されている。繋がるものは存在から消し去られているのだ。
フルボディとジャンゴのアーイェ―やウーイェ―といった日常会話を3度耳にしてもまるで成果は出て来なかった。
何も残っていないのだろうか?
本当に何も残ってはいないのだろうか?
本当にすべてが消し去られてしまったのだろうか?
いや、それはない。
どれだけ臭いものに蓋をしようとも、すべてを覆い尽くすことは出来ない。どれだけ根絶やしにしようとも根絶は出来ない。必ず何かが残っているはずである。それは一見すると何の変哲もないものかもしれないが、繋がりがある何かが残っているはずだ。その断片でも拾い上げることが出来ればそれでいい。
そうだ。
必ず何かが存在している。
この場所には必ず仮説の先へと導いてくれる何かが眠っているはずなのである。
それを探しだしたい。
何としてでも探し出したい。
是が非でも見つけ出したい。
文書を取り出し、捲る。文字の連なりを塊ごと脳内に刻みつけてゆく。検索に引っ掛かるものはないか。おかしな箇所はないか。
文書を取り出し、捲る。
文書を取り出し、捲る。
文書を取り出し、捲る。
同じことをひたすらに繰り返し、ただただ繰り返し、繰り返し繰り返し繰り返して繰り返し。
怒涛の言葉が私の脳内を駆け巡ってゆく。
繰り返して繰り返して繰り返した先に待っていたものは何か……。
「ヒナ嬢、モネ少将が戻られました。上でお待ちです、ウーイェ―」
何往復しているかも分からない文書の搬送仕事をしているだろうに涼しい顔をして、踊りの名残も見せているフルボディの姿だった。
刻限である。
仕方がない。
無いものはないのだ。
後ろ髪引かれる思いに駆られながら泣く泣く倉庫をあとにしていく。
正直に言って、ヒナ
上に戻ってみると、文書管理室の人間が一気に増えていた。どうやら電伝虫での脅しと宥めすかしは上手くいったようである。それに伴って心なしか文書タワーの高さが幾分か下がっているように見えるのは気のせいだろうか。
本気の殺意を言葉にあらわした魂の叫びは何ひとつ変わることなく聞こえてくるが、これがこの場所の日常と思えば逆に安心感のようなものまで感じられるから何とも不思議なことだ。
ただ、皆の表情が少しだけ柔らかくなっているのには応援がやって来たのとは別の理由があった。
各々のデスク上に置かれている皿の上にはから揚げが存在しているのだ。聞くところによると、ガープ中将からのお願いしますの大量委託に伴って、彼の副官から差し入れがあったらしい。ガープ中将の副官と言えばあの黙して語らず、必要なことしか口にしないボガード大佐。やはり出来る男は違う。これだけ大量の文書を送る以上何とかして手伝いたいところだが上官の側を離れるわけにはいかないからとせめてものお詫びとしてのから揚げらしい。
素晴らしい、ヒナ、感嘆である。
モネ少将は奥まった部屋にいると言う。直ぐにでも会わねばならないが、私もボガード大佐の心付けに少しだけ
私などまるでいないかのようにして、ただ黙ったままペンを走らせ続けたのちに手を止め、眼鏡を外してこちらへと視線を合わせる。表情は軽く笑みを湛えていて何とも柔らか。
なのに、
「探し物は見つかった?」
まるですべてお見通しと言わんばかりの表情でのその言葉はうすら寒いものを感じずにはいられなかった。
この女は何かを知っているのだろうか?
私は何か口を滑らせたことがあっただろうか?
いや、何もないはず。
であるならば、
私も微笑み返すに越したことはない。一瞬の思考での瞬時の反応には何も落ち度がないことを願わずにはいられない。用心に越したことはない。ここは戦場。ここは敵地。見破られれば私に明日はない。
「ええ。とても有意義でした」
「あらそう。それは良かった」
にこやかな返答が続いてゆく。心の中に何が渦巻いていようとも表に出すものは柔らかな微笑み。
「センゴク元帥より命令が下されたわ。かの新聞の件で本部上層部は既に決断を下しているの。本部の全てを集結させてZを討つと。仮にそこへ関係する四皇が出てこようとも迎え討つと。上は戦争する覚悟を決めたみたいね」
とうとう大号令が掛かったようだ。これは前代未聞の戦いになりそうである。Zに対し本部と四皇が、いやこれは三つの勢力による三つ巴ということになるのか……。
「ヒナ准将、あなたに命令を渡します。可及的速やかにウォーターセブンから周辺島々へと向かい情報収集に入ること。集めなければならないのはZがどこへ向かったのかということ。火拳の身柄を奪ったあとに彼らの消息は不明。それを探し出して我々は何とか先回りしたい。打てる手を確保したい。センゴク元帥からのお達しです」
またお仕事ね。
私自身の任務は何も進んではいないが仕方ない。動き出せばまた別の何かにぶつかることもあるかもしれない。そこに期待してみよう。
「謹んでお受けします」
私は静かに一礼をして部屋を辞去する。
フルボディとジャンゴはいない。立ち止まっている時間はもったいないとばかりにまた下へ搬送を行っているのだろう。可及的速やかにということであれば長居は無用であり、直ぐにでもここを発たねばならない。マリンフォードからの海列車特別時刻表を引っ張りだして調べてみれば、どうやら今日中に出発する最終便が存在しているようだ。それまでまだ時間がある。
であれば、秒で
よし、1000枚。
文書を取り出し、捲る。
監察対象者。
経歴に空白期間。
本部中尉。理由の明記されていない二階級特進。
におう。
刻み込まれた情報の検索に引っ掛かる。
見つけた。
これは取っ掛かりだ。
尋問のため本部召集予定。
私は思わずにんまりとするしかない。
ヒナ、歓喜。
心の中でガッツポーズをして、文書に目を通していく。
これは願ってもない僥倖だ。ウォーターセブンでの情報収集を早いうちに片付ければ、戻った頃には丁度この監察対象者が本部に居る頃合いだろう。監察業務は現在全ストップに近い状態ではあるが、これだけは何とか通そう。その分裏を読まれる可能性はあるが致し方ない。手に入れたいものがあるのならばリスクを取らなければならない。
それにしても、やはり無駄になることなど何もない。積み上げられた情報が繋がればそれは別の何かと繋がってゆくのだ。必然的に。
ゆえに
仕事は秒で叩き潰してゆかねばならない。
ありったけの情報を頭の中に取り込んでゆくのだ。その先にまたどこかで何かが繋がってゆき、思いもよらない景色を眺めることが出来るのかもしれない。
仕事は常に秒で
この世の真理である。