今回は11700字ほど。
前回より少し長いですが、
よろしければどうぞ!!
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闇と静けさの中で少しばかり漂う話し声に包まれているところへ石とヤスリが擦れる音がして、目の前にとても小さな炎が揺らめき、口に
「だから言っただろうが! こんな体で煙草を吸うからだ。医者の言うことは素直に聞くもんだぜ」
こちらを覗きこみはしないが、右のすぐそばで
「……っああ、お前の言う通りだが……。吸わずにはいられないんだよ」
口元から左手に煙草を移したうえで、医者の忠告に対して俺が返す言葉は愛煙者としての矜持だ。とはいえ、火を点けてくれたのがロー自身であるからして、こいつも俺が聞く耳を持っているとは思ってはいないのだろう。もちろん俺も他人の忠告を受け入れて禁煙をしようなどという殊勝な考えは持ち合わせてはいない。まあこの右腕のことに関してはしっかり医者の忠告を聞き入れるつもりでいるが……。
顔を己の右側へと動かしてみれば、ドフラミンゴの生み出した糸人形によって斬り落とされた右腕が本来あるべき場所へと戻って来ているのが視界に入ってくる。今すぐに元通りに動くわけではないようだが、我が副総帥にして船医であるローは良い仕事をしてくれたようだ。
数時間前まで死の瀬戸際に立たされていた濃密な戦闘は幕引きとなった。アラバスタにおける最大のヤマは終了した。目的のダンスパウダーにナギナギの実というおまけまで手に入れ、命ある身で退散することが出来たのは出来過ぎとも言える。
俺たちは取引に殴り込みをかけたつもりでいたが、実際はダンスパウダーをエサにしておびき寄せられたに過ぎなかった。ドフラミンゴは俺たちをダシにしてナギナギの実を手に入れようとし、黒ひげもまた俺たちをダシにして成り上がろうとしていたわけである。さらには途中参加してきた青雉は俺たちをこの場で完膚なきまで潰そうとしていた。俺たちより明らかに格上の奴らの思惑を握り潰して目的のモノを手に入れた上で、今生きているわけであるから俺たちは相当上手くやったことになる。
だが手放しで喜べるような状況では全くないのはなぜだろうか?
俺たちは開けてはならない箱を開けてしまったような感がある。その中に何が入っているのかはまだほとんど分からない状況だ。ただ、それでも開けてしまった以上はもう蓋を閉じることは出来なくて、最後まで中身を調べ尽くさなければならないような事になってしまっている。
否、違うな……。そうじゃない……。そうじゃないんだ。
リスクは承知の上だったじゃないか。高いところにいる奴らを引きずりおろす覚悟は出来ている。リスクを見誤らなければ何の問題もない。
俺たちは開けてはならない箱を開けてしまったんじゃない。
誰も開けることが出来なかった箱を開けることが出来たんだ。
意図せず地獄が始まったんじゃない。
「兄さん、笑ってるの? 腕はちゃんとくっついたみたいね。下手な
物思いを遮ってジョゼフィーヌがこちらを覗きこむように顔を出し、言葉を掛けてくる。俺はどうやら最終的には笑顔を浮かべていたらしい。魂の歓喜が顔に出てしまっているのか……。
それにしても、ジョゼフィーヌの奴め、とっちめるとは相変わらずおっかないな。既にクラハドールがとっちめられているのは話し声で聞こえて来ていた。我が妹曰く、主人が腕を失くしたのに執事のあんたはなんで五体満足なんだというわけだ。しまいには己の得物を取り出してクラハドールの腕を斬り落とそうとするのを必死にべポとカールが宥めている声が聞こえてきていた。
心配されるのは嬉しい半面……、本当におっかないよジョゼフィーヌ。クラハドールの腕を斬り落としたら一体誰が奴のメガネがずり下がるのを直してやると言うんだ全く……。
「……勘弁してくれ……。俺が
我が参謀に降りかかった災いを目にしているだけにローもどうやら戦々恐々の様子である。
まあいい。こいつらはこいつらで放っておけばいいことだ。たとえこの世の終わりが来ようともこいつらの力関係が変わることは無いのだから。
再び左手にしていた煙草を口元に戻し、肺一杯に煙を取り込みながら上体を起き上がらせてゆく。ここはもう見慣れた、否見飽きた感さえある闇に広がる砂漠の真ん中だ。向こうには巨大な亀と共に客車が停まっている。俺たちはそれぞれの場所で戦いを終えて、再びこの茫漠たる砂漠の一点に集まって来た。あまりよく覚えてはいないが、青雉と対面していたあの場所からロッコは俺とクラハドールを両肩に抱えた上で、空を飛んでいたらしい。
まったく、とんでもない奴だ……。
そんなロッコは向こうでカールによって詰られている。体格差で言えば3倍近くはありそうなその戦いは傍から眺めている分には興味深い。
「ロッコ爺!!! 寝てたんじゃないの?
「ええい、やかましいわい!!! 敵を欺くにはまず味方からと言うじゃろうてー!! 熊が狸芝居して何が悪いんじゃー!!!!!」
「マスター、落ち着いてく……ださい。カール、俺を巻き込むなよな」
カールとロッコがそれぞれ腕組みしながら喧々諤々しているところをべポが必死に宥めてまわっている姿は本人達には悪いが滑稽ではある。
オーバンならここで、こいつら進歩せえへんやっちゃなー、とでも言ったことだろう。それに対して俺は心の中でお前もな、とでも呟いたことだろう。
だがそのオーバンはここには居ない。
つまるところ、俺たちにとってのアラバスタのヤマはまだ完全には終わってはいないのだ。
故に俺たち、ネルソン商会の今後を話し合うのは今この場ではない。考えなければならないこと、答えを出さなければならないことは山ほどにあるが……。特にロッコには問い質さなければならないことが沢山あるのだが、
「ヤマはまだ終わってはいない。オーバンはまだアルバーナに居るはずだ。俺とジョゼフィーヌは直ぐに向かう必要がある。ロー、お前はどうする?」
ひとまずは目先の話をせざるを得ない。
「俺は別行動だ。ニコ屋に心臓を返してやらねぇとな。もう必要ねぇだろ?」
そうか……、それもあったな……。
と、ローに対して頷き返してやると、
「しょうがないわね~。オーバンか……、オーバン……、どうしてやろうかな~」
腹の虫が全く以て収まっていない口調と表情でジョゼフィーヌも言葉を寄越してくる。
ジョゼフィーヌよ……、オーバンに罪は無い。やめてやれ……、と俺には願ってやることしか出来ない。
「ロッコ、べポとカールを頼む。そして、船で待機だ。ピーターにもよろしく伝えてくれ」
矢継ぎ早にロッコにも言葉を投げ掛けて指示を出しておく。訊ねたいことは山ほどにあるが今はそれを口にすることはしない。奴の瞳を見詰めてみれば、何かを語っているような気もするが、果たしてどうだろうか?
答える気はあるのだろうか? まあ、あるにせよ、無いにせよ、俺にとっては知る必要のあることだ。
「わかりやした、坊っちゃん。西は雨が降ってるでやしょう。珍しくもね」
ロッコからの返事には何かを含んでいるような気もするし、そうではないような気もする。要はよく分からない。まあいいだろう。
そこへ、
ふわりと俺の頭に乗せられたもの。シルクハット……。
「ボス、大事なものをお忘れです」
クラハドールだ。執事の役割は心得ているというわけだな。たとえ会計士に容赦なくとっちめられようとも。
「ありがとう。お前はどうする、クラハドール?」
「……参謀としての務めを果たすだけだ」
そうだな、聞いた俺がバカだったよ。
行こう。
俺たちはシルクハットを頭に乗せ、黒衣纏って商いを求めるネルソン商会だ。
心は熱く、頭はクールに。忘れやしない……。
雨か……、それもいいだろう。この砂の地にとってはな……。
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ずっと、ずっと、聴いていたい……。雨の音……。
それは言葉に出来ないくらいの力強さと優しさを伴って私の胸に響いてくる。
夜更けの宮殿内、暗がりの臨時寝室で窓から眺める雨模様はいつまでも見ていたくなる気分にさせてくれる。寝静まった寝室……、というわけにはいかないけれど……、雨音以外にも盛大に響き渡っているBGMが不思議と心地良いのはなぜだろう?
窓の外から視線を室内に移し、BGMの音源を眺めてみると自然と笑顔になってしまう。
今日はみんな……、いっぱい力をくれたもんね……。ありがとう…………。
ルフィさんも、Mr.ブシドーも、ウソップさんも、サンジさんも、ナミさんも、トニー君も、たしぎさんも、みんなそれぞれの寝息を立てているけど、とても心が落ち着く。
そして、
感謝しかない。
みんな戦ってくれた。ただただ私のために……。
嬉しくてならなかった。
私には聞こえていたのだ。みんなが命を懸けて戦っている声が……。
ウソップさんとトニー君。
サンジさん。
ナミさん。
Mr.ブシドー。
たしぎさん。
みんな本当に、本当に苦しそうで、私は胸が張り裂けそうだった。
でもみんな嵐の先に見える光だけを見ていて、決して見失ってなくて……。
それはきっとルフィさんが居たから。
クロコダイルが天高く飛び出してきたのが時計台から見えた時、私にもようやく分かった。
その意味が……。
私はただただ叫ぶことしか出来なかったけど……。
生まれて此の方、あんなにも叫んだことは未だ嘗てなかった。あれほどまでに私の中にある全てをぶつけて叫び声を上げたことは、私の中にあるものを有らん限りに出し尽くしてやる思いに駆られたことは……。
私は私の国を愛している。心の底から愛している。
時計台に立って、立ち尽くしてみて、私はそれを痛いくらいに思い知ったのだ。
本当に色んなことがあったな~。
雨音は途切れることなく私の胸に響いている。
今日はとてもではないが眠れそうにはない。ずっとこの音を聴いていたい。
さっきイガラムがやって来たけれど、もしかしたら私と同じように思っているのかもしれない。
もちろん、ペルを思ってというのもあるだろうが……。
私を守ってくれた、私の国を守ってくれたペル……。
感謝の気持ち、ただそれだけは是非とも伝えたかった。私が、私たちがどれだけペルのことを想っているのかを……。
雨音はそんな全てを包み込んでくれるかのようである。だからこそ、力強くもありそれでいて優しい。
私の視線は再び窓の外へと向かってゆく。
窓の外は、ずっと、ずっと………………雨。
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「反乱は終わったんじゃ、早いとこ脚を治してわしも町の力になりたいもんじゃわい。御若いの、あんたはどこが悪いんじゃ? うん? そもそもにあんたは顔色からして悪いのう、こりゃ重傷じゃな」
看板も出されてねぇような小さな診療所の入口横にある待合用の椅子に腰掛けていると、
「俺は今日ここを退院するらしい奴を待ってるだけだ。俺の顔色か? ああ、そのうち診てもらうさ」
とでも答えておく。
この国を崩壊寸前まで追い込んだ戦いは終結し、その片棒を担いだ反乱軍が根拠地としていた町がここカトレアだ。町の中心部にあるオアシスを囲むようにして形成されている。直接の戦火の場とはなっていないため、戦いの爪痕は残っちゃあいないが、反乱軍が最後に駐屯していたところだけあって、まるで虫の抜け殻のようにして奴らの置き土産がそこかしこに残っている。
ただそれでも、町には活気が見えていて、どこか明日への希望に満ち溢れていると言っていい。早朝からでも照りつける陽の光から守っている庇の下で佇みながらそんなことを思う。
不意に……。
「……ありがとう」
軽やかなその感謝の言葉と共に、白シャツに黒いパンツルックという奴にしてはラフな格好で出入口より現れ出でるニコ屋。
「おじいさん、先生が呼んでるわよ。お待たせしましたって……。あら、お久しぶりね……」
笑顔を向けながらこっちへと話を投げ掛けてくる奴は何とも晴れ晴れとしたような表情を見せている。奴の呼び掛けにありがたやと言いながら診療所の中に消えていった老人と入れ替わるようにして、奴はゆっくりと俺の前に立ち、
「あなたのお蔭で心臓がない理由を説明するのに随分苦労したわ」
澄ました顔つきでそう言ってのけた。そりゃそうだろうな、心中察してやらねぇこともねぇが……。
「あなたが今ここに現れたってことは期待していいのかしら? それとも私はここで覚悟をした方がいいのかしら?」
続けてきたニコ屋の言葉はシニカルな笑みを湛えた表情と共に俺に投げ掛けられてくるが、俺としてはここでやるべきことは決まっているので、
「話がある」
一言告げるだけだ。
「そう。伺いましょう」
ニコ屋はそう言って俺の前から今度は老人に代わって隣に腰を下ろしてくる。
「お前、少し変わったな。肩の力が抜けたというか、心の重しが少し取れたというか」
背もたれなど望むべくもない丸椅子でニコ屋と肩を並べながらも、視線は庇で覆われていることで少しばかり暗がりを演出している裏路地を見詰めたままである。
「そうかしら? だとしたら、きっとここにあるはずのものがないからかもしれないわ」
ニコ屋から返ってきた言葉は己の左胸を指差しながらのまたもや皮肉であった。これじゃ、さっさと返せと言われてるようなもんじゃねぇか。
というわけで、ひとまずはニコ屋の要望に応えてやるべくコートの内ポケットに手を突っ込んで件のモノを取り出して奴の前に見せてやると、
「返してやるよ。お蔭で目的に達することが出来たわけだしな」
優美な動作で奴の左手は立方体の中で脈動する己の心臓を掴み取りあるべき場所へと戻してゆく。
「それはどうも、お役に立てたなら嬉しいわ。……ないのも慣れてきた頃だったけれど、やっぱりあった方が落ち着くわね……」
一息洩らしながら、ニコ屋は感慨深げに言葉を紡ぎだしてくる。前半分のしおらしい言葉が本音なのかどうかは何とも定かではねぇが。
「話っていうのは何?」
俺も無駄話をするつもりはなかったので、先を促されるのは好都合であり、今度は反対側の内ポケットから三つ折りにした2枚綴りの書類を取り出す。それをニコ屋の前で広げてみせると、奴は怪訝な表情ながらも受け取って文面へと視線を動かしてゆく。
暫くすると驚きの表情を浮かべつつ、
「契約書ってどういうこと? Dの意味についての調査依頼って記されてるけど」
こちらへ視線を寄越して尋ねてくる。
「お前はもう決めてるんだろ? 太陽の下を歩んでいくと。アルバーナで麦わら屋と一緒だったという情報が入ってる。奴らの船に乗るつもりなんじゃねぇのか? 麦わら屋の名にはDが入ってる。だからこそだ」
「それだけでは意味が分からないわ」
ニコ屋の言い分は尤もだ。だが感情的になるわけでもなく、全く否定もしないところをみると、どうやら麦わら屋の船に乗るつもりなのは確かなようであり、この話に幾分か興味を持っているようにも見受けられる。
ニコ屋の情報はアルバーナに居る料理長からもたらされたものだ。ニコ屋は砂屋からの傷を負い麦わら屋によって助け出されたという。その後の足取りはクラハドールが推測を重ねて、このカトレアへと行き着いた。元反乱軍の町というのは身を隠すには打ってつけだろうというわけであり、実際に調べ上げてみればビンゴだった。
裏路地の暗がりをゆらりとした風が吹き抜けて行き、相変わらずの暑気を心なしか和らげてくれる。
契約を交わすには踏み込んだ話をせざるを得ねぇよな……。
「お前の疑問は尤もだな。………………実は俺もDなんだ。俺の本名はトラファルガー・D・ワーテル・ロー。これは契約の第一項にあるようにあくまで個人契約だ。ネルソン商会とではなくて俺個人との契約……」
俺の本名はネルソン商会の面々にもまだ話してはいないことであり、口にするには躊躇われたがひとたび言葉にしてみれば、清々しい様な気分になってくる。ニコ屋の方へ顔を動かしてみれば、奴は先程以上に驚きの表情を見せていたが、
「驚いたわ……。あなたもDなのね……。それに……ワーテルという忌み名……。プラバータムね……」
言葉を投げ掛けてくる。
やはり知っていたか。プラバータムも。
両親は俺が物心ついた頃に代々伝わる本名を教えてはくれたが、Dとプラバータムの意味までは教えてはくれぬまま亡くなってしまった。
「でも、自分で調べたらいいじゃない」
ニコ屋の指摘も尤もなんだが……、俺が黙ったままでいると、
「……なるほどね。あなた本気なのね。あなたのボスと行けるところまで行くつもりなのね」
まるで俺の心の中を見透かす様にして言葉を掛けてくる。その通りだ。俺の目的はジョーカーを潰してコラさんの本懐を遂げてやることだが、そうでなくとも、たとえそれが成就しようとも、ネルソン商会に骨を埋めるつもりでいるのは確かだ。商人と言う生業は思った以上に俺の性に合っていたと言うのもあるが、それ以上にボスと共に行き着くところまで行った先にある景色を共に見てみたいという思いが強い。
故に、
「そうだな。自分で調べる時間は作り出せそうにねぇのさ。だから頼むってわけだ」
こんな契約書を作り出すことを思い付いたわけだが、果たしてニコ屋はこの話を受けるだろうか?
「報酬は
ほとんど逡巡もしないままニコ屋は俺が渡したペンを手に持ち契約書の末尾にある俺のサインの下にサインを書き記してゆく。
契約内容は個人契約であるため、全て自分自身で詰めたものだ。契約書のプロであるジョゼフィーヌさんにチェックされたらどやされるかもしれねぇが、それは仕方ない。見せるわけにはいかなかったわけであるから。
こうして俺とニコ屋でサインの入った契約書をそれぞれ持ち、契約は締結された。
「じゃあ行くわ。また会いましょう」
「ああ」
裏路地の暗がりの奥は陽の当たる通りが広がっており、ニコ屋は吸い込まれるようにして太陽の下へと消えて行った。
カトレアのさらに奥まったところにある廃墟に近い様な骨董屋の軒先に年代物の丸テーブルと立っているのが不思議なくらいの椅子が置かれており、そこにはしわくちゃに薄汚れた白い衣装に身を包み、ボサボサ髪で絶対に近付きたくはない身なりをした男が佇んでいる。だが声は掛けなければならない。
「お前の変装も中々のもんだな。途中で引き返そうかと本気で思ったぜ」
この場所でクラハドールと待ち合わせていたわけだが、居る人間があまりにも懸け離れた風体をしていたので別人じゃないのかと思ってしまったのだ。
「どうだ、何か掴めたのか?」
骨董屋のいつ倒れてもおかしくはないような壁に体を凭せ掛けながらクラハドールに尋ねてみれば、
「ああ、ひとつ興味深い話があった。近くの酒場が急に昨日になって店を畳んだようだな。一昨日まで存在していたのに一夜のうちに店の土台さえ残っていやしなかったらしい。さっき現場を見てきたが何ひとつとして残ってやしなかった」
御馴染の動作でメガネを上げながら言葉を放っている。こいつの変装は中々のもんなんだが、その独特の動作ひとつですぐに変装だとわかってしまうだろうという自覚がクラハドールにあるのかどうか甚だ疑問なところだ。
俺が何も口を挟んで来ないとみたらしいクラハドールは続けて、
「近くに居た連中に能力で頭の中を想像させて貰ったら、黒服にタイを結んでいた奴を見掛けていたようだな。……大方、
なるほどな。奴らはこの地に密かに情報拠点を作り上げ活動していたというわけだ。アラバスタ王国の反乱軍が根拠地としている町で。目的がどこにあったのか、どこまでのことをするつもりだったのかは定かじゃねぇが活動をしていて、用済みになったので痕跡を残さずに直ぐ様あとにしたってわけか。
「貴様もニコ・ロビンの件は上手く事が運んだようだな」
クラハドールの問いに対して俺は軽く頷くだけである。モヤモヤの能力を行使するこいつに対してはあまり隠し事は出来ない。直ぐに腹の内を読まれてしまうからだ。
「で、アルバーナには行かなくてよかったのか?」
ボサボサ髪で中々シュールな出で立ちをしたクラハドールに対して逆に質問をしてみる。最も重要な問いを。アルバーナで起こるであろう出来事をこいつは既に推測ではあるが弾き出している。当然それはボスも知っている。俺たちも行くべきではなかったのかという疑問は湧いてくる。だが、
「いや、必要最小限でなければ意味は無い。…………………」
クラハドールからの答えは必要ないの一点張りであった。ただあとに言おうとしていた言葉を胸の内に飲みこみやがったのが何とも気掛かりではあったが……。
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「よう、ハット。ぴんぴんしとんな。生きとって良かったわ、ほんま」
オーバンと再会した時に奴から飛び出してきた開口一番はそれだった。何とも気が抜けてしまう一言というか、安心させられるものがある一言ではあったが、
そんな数時間前のことが遠い昔の出来事のように思われるほどに、今は緊迫した状況であった。
俺たちがいる場所。宮殿を前にして広場と対になっている時計台建物の屋上、宮殿を少し見上げるような形で俺たちは、俺とジョゼフィーヌ、そしてオーバンは、座り込んでいる。双眼鏡を抱えながら……。
政府の五老星が直々に動かしている最高峰の諜報員が存在していたとして、そいつがアルバーナで狙っていること。クラハドールの能力をフルに使って導き出した答えは、
暗殺だった。標的はアラバスタ王国国王、ネフェルタリ・コブラ。
コブラ王との会見に臨んでみて、彼の深いところに触れて政府に反旗を翻しつつある心根を感じたことでその答えは確信に近いものへと変わった。
故にオーバンをここに残していたのだ。
コブラ王暗殺の意味はかなり大きいものになる。しかも反乱騒ぎが終結したこのタイミングとなれば尚更だ。政府はそれを切り口としてアラバスタをどうにかしようとするだろう。
そんな筋立てと背景を考えていたのだが、今この時さらに話はややこしく混沌としたものになりつつあった。
~「……兄さん。……ドフラミンゴがいる。……それにビビ王女も……」~
それは宮殿を常時隈なく監視していたジョゼフィーヌからの言葉で始まりを告げたのだ。宮殿の応接室でコブラ王とドフラミンゴが会見に及んでいると見てとれる。さらにはそこにビビ王女が現れたらしい。
これで標的がコブラ王とは一概には言えなくなってしまった。
そもそもになぜドフラミンゴが現れるんだ。つい先日奴とは戦っていたし、幾許かの煮え湯を飲まし飲まされたばかりだ。
くそっ、考えている暇はないな。
~「オーバン!」~
~「動きはなしや」~
オーバンは最高精度の双眼鏡を使って“狙撃手”の監視を定期的に続けている。常時ではないのは最高度の注意が必要であり気付かれるわけにはいかないからだ。気付かれないようにするためにジョゼフィーヌを連れて来ているぐらいなのであるから。
ジョゼフィーヌはこの屋上に来てから見聞色の
“狙撃手”はアルバーナを
それでなくとも狙撃の距離自体が尋常ではない距離なのだが、確かに“狙撃手”は狙撃銃を傍らにしながら待機しているのだ。宮殿から10000m以上離れた場所で。
オーバンの返事通りに動きがないということはドフラミンゴの登場が奴にとって想定内のことなのか、それとも想定外でも動じないような胆力の持ち主なのか……。
~「ドフラミンゴが立ち上がったわ。窓の方に近付いてくる」~
ジョゼフィーヌからの報告。
~「奴が狙撃体勢に入りよった。ジョゼフィーヌ! はよー、観測や」~
ドフラミンゴが動き出したことで“狙撃手”が狙撃体勢に入った。もしかして標的はドフラミンゴなのか?
どっちだ? 標的はどっちなんだ?
ドフラミンゴが狙撃された場合、俺たちには計りしれないメリットがあるのか? それがそうとも言い切れはしない。ドンキホーテファミリーの全貌とその背後が分かってない状態で、ドフラミンゴが居なくなるのはそれはそれで不味い事態だ。
~「気温34.3、気圧1089、湿度15.8、風速3.5、風向南南西、上空補正値……」~
持ち込んだあらゆる計器とにらめっこしながらジョゼフィーヌは情報をオーバンに伝えている。オーバンはそれを基にして狙撃銃の位置を微細に調節するわけだ。今回オーバンは台座を持ち込んでおり、最終的には狙撃銃を固定して遠隔操作で発射する。引き金は電気信号によるボタン式だ。
~「ちょっと待って、ドフラミンゴが振り返ったわ。……これもしかしたら、ドフラミンゴとコブラ王が一直線状の配置になってるかも……」~
ジョゼフィーヌからの追加報告。
その報告で腹が決まった。
~「オーバン、“狙撃手”の標的は二人まとめてだ」~
~「了解や。ジョゼフィーヌ修正値頼むわ」~
オーバンの呼び掛けに応じ直ぐ様にジョゼフィーヌから修正値が伝えられてゆく。それによってオーバンの手は食材を扱う時の様な繊細な動きで狙撃銃の位置を調節してゆく。
俺たちの目的は狙撃の阻止だ。超長距離狙撃を行おうという相手に対し、その照準線との激突ポイントへ向けて銃弾を放ち狙撃を阻止する。たとえ激突はしなくとも少しでも相手の照準線に狂いを出せれば狙撃は阻止出来そうである。あとはタイミングの問題か……。
もう発射までのカウントダウンは始まっているのかもしれない。己の心臓の音さえ明瞭に聞こえてきそうなそんな緊迫感が漂っている。
オーバンの最終調整が進んでいる。
ジョゼフィーヌからの追加報告はない。
そして、
~「今や!」~
オーバンが引き金を引いた。似合わぬ程の繊細な指の動きで……。
俺には二つの銃弾の弾道など決して見えやしないが、それが互いの未来位置目掛けて突き進む様が脳裡に描けるような気がした。
空気は固まり時間が完全に停止してしまったかのような感覚に襲われてくる。
だが、時間が止まることなど決して有りはしないのだ。
数秒後、双眼鏡を構えるまでもなく、宮前広場上空で突如として爆発の炎が上がり、凄まじいまでの音がこちらまで届いてきた。
オーバンの腕は戦慄してしまう程の完璧さで“狙撃手”の超長距離狙撃を阻止して見せていた。
これは少し騒ぎになるかもしれないな……。
そう思った瞬間だった。
背後に気配……。
振り返れば、
先日邂逅したばかりの奴が一人佇んでいた。
それはそれはとても静かな佇まいであり、喧騒とは無縁のような出で立ちで……。
黒ひげ海賊団にてオーガーと呼ばれていた“狙撃手”であった。
「これもまた巡り合わせか……。日々の行いの賜物なのである。……白紙委任状を預かってはいないので、今回はご挨拶だけ……。五老星には土産を持って帰れぬが、運命とは巡り巡るもの……、再びこの先で相見えることも……」
その言葉だけを残して、奴は風のように瞬時に消え去って行った。
俺たちに文字通りの歓喜はなかった。
だが、
闇からの招待を受けたようで、文字通りではない歓喜は確かに俺の中で芽生えていた。
魂の歓喜が……。
面白いことになってきた。
直ぐにヒナとコンタクトをとる必要がある。
最重要案件だと言って……。
読んで頂きましてありがとうございます。
サブタイトルがあれですが……。
長かったアラバスタ編も終わりとなります。
よろしければ、誤字脱字、ご指摘、ご感想、
心の赴くままにどうぞ!!!