ネルソン商会記 ~黒い商人の道筋~   作:富士富士山

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第19話 俺たちを殺すことは断じてできない

偉大なる航路(グランドライン) ミュート島 “静寂なる森(サイレントフォレスト)

 

 

 

 身体を極限まで酷使した戦闘は終結したがその結果、闇夜を彩色するように盛大な炎を揺らめかせ、屹立(きつりつ)していた木々をなぎ倒してしまう事となってしまった。

 

 それでも今は、戦闘狂のような境地に至らしめた業火も姿を見せている船員たちによって鎮火しつつあり、色づく葉によって天井のように覆われていた上方も突きぬかれて、漆黒の空と煌めく星々へと変化を見せている。

 

 点在していたツリーハウス、それをつなぐ吊り橋を彩っていたランタンの灯はもう存在しないため、この開けた空間に色を認識させていた炎は消えて、今が夜の帳の只中であることを改めて気付かされる。

 

 辺りを動き回っている船員の近くには俺たちをこの場で消し去ろうとして逆に返り討ちにあったCPの二人が転がっている。

 

 ローの下で助手を務めているピーターの診断では放っておいて問題なしということで、治療はしていない。奴らは微動だにせず背を地に付けているが、ローに鍛えられているピーターの見立てであるから、俺も敵に進んで塩を送るようなお人好しになるつもりはない。

 

 

 斯く言う俺自身も少なからずの傷を負っており、ピーターの診断を受けて寝かされていたが漸く背を起こし、極限状態からの解放で無性に空気とは違うものを体に取り込みたくなって、ぼうっとしたライターの小さな炎で手元を照らしながら煙草に火を付ける。

 

 同時に俺の横ではロッコが、持参している小ぶりのランタンにマッチで火を入れており、この空間に再び色が現れだす。煙草の煙を肺に吸い込んで盛大に吐き出しながら空を見上げれば、星々の煌めきに混じって月光が降り注いでいることも見て取れる。

 

「感慨深いもんでもありやしたか、坊っちゃん? どうやら覇気が覚醒したようでやすね」

 

 ロッコが自分の肩に掛けている棒の先端にランタンを取り付けながら口を開いている。

 

 坊っちゃんと呼ばれるのも悪くないかと思い始めている自分がいるのはなぜだろうか?

 

「感慨か……。そんな大層なものはないが、これからの戦闘がどういうものなのかはよくわかったよ」

 

 今回は死闘と言って差し支えないものだった。故に覚醒できたのではあろうが、覇気の偏りと方向性に悪魔の実の能力が入り乱れる戦闘と言うものがどういうものなのかはよくわかった。

 

「覇気はね……、まだまだ底を見せてはおりやせんよ。わっしらと同じようにね……」

 

 見上げればロッコは白いものが交じってはいるが立派に蓄えられた口髭の下で薄らと笑みを浮かべながら、意味ありげに言葉を並べている。

 

 向かいではクロがピーターの診察を受けている。こいつは俺の放った銃弾6発をまともに受けていた筈だ。銃弾を取り出すには船医の力が必要だが、動いても命に別条はないとピーターは言っている。まるでこれまでも同じ船に乗っていたかのような雰囲気を漂わせているクロではあるが、出会ってまだ半日も経ってはいない。現にジョゼフィーヌは横から胡散臭そうな視線を送っているではないか。

 

 

 ぷるぷるぷる……。

 

 コートのポケットに忍ばせている小電伝虫が鳴っている。多分ローだろう。右手に掴んで応答すると、

 

「ボス、こっちは片が付いた。だが、……べポがかなりやられたんで、船へ運ぶ必要がある。……応援を寄越してくれ」

 

 ローの声音からは、少し息が上がっているのを感じられる。ジョゼフィーヌはオーバンを助太刀に行かせたと言っていたが、向こうも壮絶な戦いをしていたのだろう。まあ心配はしていなかったが。

 

「わかった。よくやったよ。で、おまえは大丈夫なのか?」

 

 横で聞いているロッコがわっしが行きやしょうと言っているのを確認しながらローを労ってやる。

 

「大丈夫……、とは言い難いが動くことはできる。……、あんたも後で診る必要がありそうだな」

 

 腕の良い医者ともなれば患者の声音を聞くだけで診断を下すことができるらしい。

 

「派手に動いてしまった以上、この島に長居はできねぇだろう。すぐに出た方がいい。ニコ屋と話を付けるのは船の上でもできる」

 

 ローの意見について考えてみる。

 

 確かに島の造形の一部を幾分か変えてしまう程の立ち回りをした以上は、さっさとここをあとにするべきではある。ぐずぐずしていれば後始末に来る連中と鉢合わせということになってしまうだろう。

 

 だが、俺の考えを中断するようにしてジョゼフィーヌが口を挟んでくる。

 

「兄さん、ちょっと待って。すぐには出航はできないわ。荷積みの時間がもうしばらくかかるの」

 

 そうか、そっちの話をすっかり失念していた。

 

「どういうことだ? 大砲の取引は済ませて、別の取引を纏めたってことか?」

 

「そういうこと。ナギナギの実を手に入れることはできなかったけど、大砲の取引は良い条件を呑ませることができたから話を進めたの。でも空荷で先には進めないでしょう? 積み込む何かが必要だったけど。丁度いい荷を持っている連中が現れたの。彼らは海水の淡水化装置を持っていた」

 

 海水の淡水化装置だと……。

 

「そんな顔すると思ったわ、兄さんなら。でもこれは渡りに船の話よ。彼らは偉大なる航路(グランドライン)に入って来た連中だったから、これからどこに売り込むべきか途方に暮れていて、いいカモだった。言葉巧みに誘導してやれば、喜んで取引に応じたわ」

 

 ジョゼフィーヌ、また悪い顔をしているぞ。やれやれ、こいつは騙し取ったと同義かもしれないな。

 

「そうか。で、俺たちは誰にそれを売りつけるんだ? 戦乱のアラバスタでほいほいと金を出す人間がいるか? まだ武器の方が買い手がいたかもしれないじゃないか」

 

 俺としては取引を途中で中断したのではないかと思い描いていたのだ。ところがどっこい、海水淡水化装置ときたもんだ。

 

「何言ってんのよ。商売は近視眼じゃやっていけないって兄さんが言ってることじゃない。戦乱だろうと何だろうとあの国には必要なものよこれは。国王ならそれがわかるはず」

 

 おいおい、相手はアラバスタ国王か。

 

 ジョゼフィーヌはにんまりとしている。大方、海水淡水化装置がいくらに化けるのか皮算用しているに違いない。俺にはそんな簡単に事が運ぶとは思えない。国王であろうと戦乱中なら金には困っているであろうから、代わりの何かということになる。

 

 これはまた考えることとやることが増えたな。

 

「というわけだ、ロー。ひとまずそっちにロッコを行かせる。港近くの酒場で合流しよう、確かSilent Oakなんて言う店があったよな。そこで合流だ」

 

 ローとの通信をそう締めくくってから、もうひとつ考えを巡らす。

 

 目の前にいるメガネを掛けたこいつをどうするのかという問題だ。とはいえ、大方の結論は俺の中で既に出てはいる。詳細なものはローを加えて行うとして、ひとまず今回の戦闘についていくつか聞いておきたいものだ。

 

「さて、俺たちは次の段階に進まなければならない。百計のクロ、おまえに問い質すことは無数にあるし、ローが居ないこの場所では深いことを聞くわけにはいかないが今回の戦闘について説明して貰おうか。まずおまえの名前はクロなのかクラハドールなのかどっちだ?」

 

 真っすぐに見つめながら俺はクロに対して口を開く。奴は掌でメガネを上げる独特の仕草を見せつつ、不敵な笑みを浮かべると真顔に戻り、

 

「どちらも俺の名だ。世間的にはクロと呼ばれていたが、クラハドールと名乗っていた時期もある。名などどうだっていいことだ。呼びたいように呼べばいい」

 

 今回の件を政府がどう処理するかはわからないが、こいつも手配書が再び有効となる可能性はある。それも考えればクロだな。それにクラハドールというのは呼びにくい。

 

「キミが一番に聞きたいことは……、なぜ最初にCP側に付いたのか、ということでは?」

 

 全てお見通しだとでもいうような笑みを再び浮かべながら、クロはそう聞いてくる。

 

「そのとおりだ。おまえはあの時、筋書きと言ったな。どういうことだ?」

 

 煙草を銜えて煙を取り込みながらも、気になっていたことをぶつけてみる。

 

「……あの場に出くわした瞬間にあらゆる展開を想像できた。選択肢の中ではあの方法がベストだった。俺は“モヤモヤの実”を食べた想像自在人間、相手を見た瞬間に相関図、関連するあらゆることを一瞬で想像することができる。あの場は本来であれば順当に2対2でいいかもしれねぇが、それは相手と同格か上回る場合であって、下回る場合はジリ貧になる一方だ。キミはCPのリーダー格にはやや劣っていたし、何よりもあのなかでは俺が一番劣ることを悟っていた。そうなると、2対2では俺が足枷となっちまう。だが……、180度立場を変えれば勝機が生まれる。最大の勝機を生み出すことが可能だ。キミは丈夫そうだから1対3になっても何とかなりそうだったしな」

 

 そういうことか。モヤモヤの実……、図鑑には載っていない気がするが、面白い実を食べてる奴がいたもんだ。道理で百計なわけだな。

 

「敵を欺くにはまず味方からと言うだろう。俺はCPには無名の存在、嵌めるには格好の条件が揃っていた。キミのやかましい妹がやって来る可能性も考慮に入れていたしな」

 

 食えない野郎だが、面白い。こんな考え方をする奴は今までいなかった。そう思うとこいつのメガネを上げる奇妙な仕草にも親しみさえ湧いてくるというものだ。

 

「その相手に関連することを一瞬で想像できるっていうのは、裏を取る必要があるのか?」

 

「そうだな……。大抵は想像できることが当たっている。ただ格上に対しては裏を取る必要がある。覇気が邪魔をするみたいだな」

 

 今やこの場にいる全員が俺とクロのやり取りを興味津津の態で聞いている。懐疑の目を向けていたジョゼフィーヌも身を乗り出さんばかりだ。

 

「覇気を使えるのはどういうわけだ? 東の海(イーストブルー)なら覇気の存在自体知られていないだろ」

 

 俺の次の問いかけに対して、クロは不敵な笑みを絶やさず、

 

偉大なる航路(グランドライン)の入口で覇気を知る人間に会っている。そこからは想像が可能だ。想像で覇気が使えれば苦労はしねぇと思うかもしれないが、俺の能力は別の側面も持っている。トラファルガーが使うROOM、あれに近い空間を俺も生み出すことができる。時間に限りはあるが、俺が想像できて、かつ扱える身体能力があれば空間内で行使できるというわけだ。もちろん絶対的な力が足りない分威力は大したものではないがな。こいつの利点は習得に膨大な時間を必要とすることはないってことだな」

 

と、きたもんだ。

 

 まったく、何でもアリな野郎がいたもんだ。俺が覇気の習得に費やした時間はどれぐらいだ。思い出すのも忌々しいな。……待てよ、今回の戦闘でこいつは六式も想像できるだろうから、六式もショートカットして習得しやがるのか。やってられないな。

 

 

 ……、だが面白い。

 

「よし、ひとまずおまえも一緒に来い。ジョゼフィーヌ、行くぞ」

 

 呼ばれたジョゼフィーヌの顔は口を挟みたくて仕方がないような顔をしており、

 

「ちょっと、兄さん!! そんな簡単に決めて……、私たちの幹部クラスが一人増えるのよ? もっと慎重になって!!」

 

と、口角泡を飛ばす勢いで捲し立ててくる。

 

「何言ってる。利があることは明らかだ。俺たちはなかよしこよしでやってるわけじゃないだろ。ビジネスだ。そこに利があれば契約を交わして力を付けるんだ」

 

 とはいえ、こいつの言っていることも分かってはいるが。確かにリスクはある。ポリグラフには掛けるつもりだし、ヒナに照会して詳細な裏も取るつもりだ。だが、そんなリスクをリターンが軽く上回る。

 

 こいつも分かってはいるはずだ。冷徹な脳内計算機は迷うことなく買いだと弾き出しているはずだ。ただ、俺をだしにされたことが気に食わなくて、感情が邪魔しているんだろう。

 

 こいつの心配なところは冷徹な頭脳とすこぶる人間臭い感情が同居してしまっているところだ。まあこいつのいいところでもあるんだがな。

 

「わかってるよ。俺は大丈夫だから、ありがとうな。……ほら、行くぞ」

 

 こんなことは恥ずかしくて目を見てなど言えないので、立ち上がって踵を返してからの言葉だ。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

「これまた派手にやられとるやんけ。遅なってすまんなー」

 

 激烈な戦闘が終わり、緊迫していた空間を打ち壊すようにして、料理長の言葉が聞こえてくる。狙撃銃を背に負いつつも、何とも間の抜けたような雰囲気を漂わせており、張り詰めていたものが解けていって何ともバカらしく思えてくる。

 

「大丈夫……だ。……料理長の登場……はいいタイミング……だったよ。相変わらず……いい腕……してるな」

 

 何とか言葉を返すことはできるが、かなりの能力と覇気を使ってしまって体力の消耗が著しい。

 

 

 戦場を彩った炎は今も消えることなく揺らめきを見せてはいるが、このマイペースな人間が現れたことで違った様に見えてしまうのはなぜだろうか?

 

「せやろ、せやろ。わいの一撃はドンピシャリやろ。こいつの見聞色範囲の外側からの攻撃やさかいな。ほれ、べポは生きとるかー?」

 

 俺の称賛に対して、地に突っ伏しているカク屋を指差しながら満面の笑みを見せ、今度は仰向けで横たわっているべポに声を掛けている料理長。この戦いではべポがもっとも傷が深いかもしれない。大丈夫か……。

 

 横になっていた己の体を無理にでも起き上がらせてべポの方を窺ってみる。

 

「腹減っとるやろ? おにぎり作っといたさかいな。ほれ、ローも食べへんかー? このおにぎりはうまいぞー。わいの自信作や」

 

 おいおい、料理長。重傷の奴が食えるわけ……

 

「食……べ……る……」

 

 今の今までピクリともしていなかったべポが大口を開けているじゃねぇか。

 

 どうや、うまいかと、これまた満面笑顔で料理長はべポに握り飯を食わせてやっている。

 

 

 敵わねぇな……、この人も。

 

 不思議と俺まで笑ってしまいそうになる。

 

 べポの旨そうに頬張る姿を見て、途端に俺も空腹を覚え何とか立ち上がり、おにぎりを受けとる。

 

 手に持った感触はふっくらしており、温もりが感じられて、海苔が巻かれていて……。

 

 俺は食欲の僕となる。

 

 

「どないしたんや、カール。わいが来たんが泣いて喜ぶほど嬉しいか?」

 

 料理長の言葉に、口を動かしながらカールへ顔を向けてみると、目に手をやりながら泣いている姿が見て取れる。

 

「違うよ、料理長。そんなんじゃないよ。……、だって、……だって、僕のせいで……」

 

 こいつが言いたいことは皆まで言わずとも大体分かる。そんな風に思うようになったか。

 

 気付けば、料理長が顎を使ってカールを示している。

 

 俺が何とかしろってか。目が、お前の方がええやろと語っている。いつから俺はこいつのお守り役になったんだ。……しょうがねぇな。

 

「カールその、せいってのは……やめろ。おまえのお蔭で……俺はまた強く……なれたんだ。……だが、おまえが今回……しっかりと感じたことが……あるってんなら……。強くなって見せろ」

 

 そう言ってやり、カールの頭をポンポンと撫でてやる。

 

 

 

 さて、ニコ屋を何とかしねぇとな。

 

「ほぉー、えらい別嬪さんやな。こいつか、ニコ・ロビンは」

 

 これまでの俺たちのやり取りに口を挟むことなく無言を貫き模様眺めに徹していたニコ屋に対し、とうとう料理長の遠慮が無い言葉が飛ぶ。

 

 だが、ニコ屋もさる者で顔色ひとつ変えはしない。

 

 いや、もしかしたらこいつは心臓を取られて生きている状況がうまく飲みこめていないのかもしれない。

 

 

 ……、仕事に関しては情を挟むつもりはない。俺はそんな言葉を口にしたが、なぜ関しても、とは言わなかったのか?

 

 

 ……多分、こいつの眼だな。昔の俺と同じ眼をしてやがる……。

 

 

 そんな思いを中断させて、俺はコートから小電伝虫を取り出していく。

 

 

 

 

 

 

「不思議な感じだわ……。心臓を取られて生きているなんて」

 

 沈黙を破ってニコ屋が言葉を発する。

 

 俺たちはロッコさんの応援を待っている。動けそうにないべポの周りに料理長とカールが集まっており、握り飯を頬張りながらの待機状態だ。

 

 俺とニコ屋はその輪から少し離れた場所で正対している。ニコ屋に嵌められていた手枷はカク屋の体から取り出したカギを使って外しているが、ニコ屋は料理長からの握り飯への誘いは断っている。

 

「死を覚悟でもしたか?」

 

 俺もニコ屋に対して言葉を返してみるが、返事は返っては来ず再び沈黙が支配する。

 

「ニコ屋……、おまえは生きている意味なんて考えたことがあるか?」

 

「……」

 

 俺の問いかけを唐突に感じたのかニコ屋は怪訝な表情を浮かべながらこちらを見つめ返してくる。

 

「おまえの眼、……その眼は昔の俺の眼にそっくりだ。誰も信用しちゃいねぇし、もう生きることがどうでもよくなってる眼だ。そんな奴の心臓を奪ったところでどうなんだろうな……」

 

 こいつには生への執着があるのだろうか? 生きている意味はありそうだが、自暴自棄になりかけてやがるのが見て取れる。ますますもって昔の俺と一緒だ。

 

 自分でも信じられないが、俺の口は自分の過去を語り始めている。ニコ屋に何の義理があるわけでもねぇのだが……。

 

「何が言いたいの? あなたが私の何を知っているというの? あなたの境遇が私に似ていると思って同情でもしているとでも言うの? ふざけないでよっ!!!」

 

 俺の昔話が終わるとニコ屋は声を荒げて、髪を振り乱しながらきつい視線を送って俺を睨んでくる。

 

「確かに俺はおまえの事は知らねぇ。だが、おまえがそんな態度を見せること自体、核心に触れられて痛ぇって証拠だな。……おまえは誰のために生きてる? 自分のためか? 自分のために生きておまえの心は晴れ渡っているか? そのなれの果てでどうでもよくなってんだろ」

 

 そこで一拍置いた後に再び口を開き、

 

「人間は誰かのために生きねぇとやってられねぇんだ。……そもそも俺たち人間は生きてんじゃねぇ、生かされてんだ。おまえにも居ると思うけどな。自分を生かしてくれた相手が一人や二人……」

 

と、自然に言葉が迸ってくる。

 

 少なくとも俺はコラさんに、ネルソン商会の面々に生かされており、コラさんとネルソン商会の面々のために生きていると今は確信できている。

 

 ニコ屋の表情には迷いが見て取れる。何かを言葉にしようとしているようだが、うまく言葉に表すことができないでいるようだ。

 

「俺たちのボスはよく落とし前って言葉を使う。ケリをつけるとかけじめをつけると言ってもいいな。おまえは自分の過去に対してしっかりと落とし前を付けられてねぇんだよ」

 

 畳みかけるようにして俺はそんな言葉を呟いている。

 

 コラさんから見た俺もこんな感じだったのかもしれないな。生かしてもらった以上は俺もまた誰かを生かしてやる必要があると思って俺はこんなことを言っているのかもしれない。

 

 

 

 俺とニコ屋の心を剥きだしにしたやり取りは、ロッコさんの登場によって終わり、俺たちはべポを抱えてその場を後にした。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 港での荷積みはもうしばらく掛かりそうであり、ペースを上げるためロッコとオーバンを指揮として残してきた。

 

 Silent Oak

 

 この名を掲げる店内は言葉通り樫の木が点在しており、1本1本の太い樫の木を囲むようにしてカウンター席が配置されている。それぞれのカウンター内ではバーテンダーが立ち働いており、木をくりぬいて埋め込まれている妖しくも赤い照明が店内を虚ろの世界へと包み込んでいる。天井付近には大窓が存在し、月が覗く夜空は漆黒の中に薄明かりが感じられる。

 

「じゃあ、彼女もそのまま連れて行くのね。契約書を2枚用意する必要があるということね」

 

 ジョゼフィーヌは俺の左側、円の角度で言えば250度付近に位置し、クーペンハーゲルで味を占めたのかテキーラをテーブルに置いている。もちろん一気飲みのような無謀な飲み方はしていない。仮にも緊張感を湛えたビジネスの場である。

 

「そうだな。俺たちはダンスパウダーをアラバスタで手に入れる。ニコ・ロビン……。こうなった以上は渡してもらうぞ」

 

 180度に位置してそう答える俺の前にあるグラスの中身はバーボンだ。この酒場にはモルトがなく、もちろんロイヤルベルガーもない。だが、トウモロコシが原料のこいつもなかなかいける。

 

「いいわ。ダンスパウダーの役目はもう終えているから」

 

 160度に位置するニコ・ロビンの答えは素っ気ないもので、何だか心ここに在らずの様な表情を見せているが、頼んだ酒はカクテルにしたシェリーであり、細長いグラスに深紅の液体が流し込まれている。ブラッドオレンジを加えていたのが見えたので深紅の理由はそれだろう。

 

「もうひとつ。10億ベリーに手を付けるって言うのはどうだ?」

 

 右端140度に位置するローが新たな目標設定を投げ掛けてくる。奴の前には相変わらずの焼酎が置かれている。

 

 そうか……、ナギナギの実ばかりに囚われていて、ドフラミンゴが払い込んだ10億ベリーについては考えが及んでいなかったな。

 

 そもそも奴はなぜ10億ベリーを払ったのか? もちろんナギナギの実を手に入れるためだが……。

 

 待てよ……。

 

 俺たちの登場が理由ではないだろうか。奴にとっては俺たちの登場は計算外だった。もしあそこに俺たちがいなければ、1回目のビッド3億ベリーで事足りていたかもしれない。だがあの場には俺たちがいてビッドに入って来た。どうしても手に入れるために10億ベリーを付けざるを得なかった。

 

 おいおい、奴は相当ご立腹かもしれないな……。

 

 まあそれはいいとして、それでも3億が奴からクロコダイルに渡る計算になる。きな臭いじゃないか。アラバスタでは水面下でクロコダイルが動いている。だがその下で奴も動いているって言うのか。だとすれば奴はバロックワークスに誰かを送り込んでいる可能性があるな……。

 

「ニコ屋……。ひとつ聞いておくことがある。バロックワークスで……」

 

「トラファルガー……、ポリグラフを貴様の能力でやれるなら今すぐに使った方がいい」

 

 ローがニコ・ロビンに質問しようとするところを、左側200度に位置してテーブルにはラムを置いているクロが遮る。ローが質問しようとしていたことは多分に俺が考えていることと一緒だ。

 

 ローは怪訝な表情を見せながらも、カウンターを包み込むようにしてROOMを張る。

 

「バロックワークス内に潜り込んでいる奴はいねぇか?」

 

「いいえ」

 

「ニコ・ロビン……。お前の本当の雇い主はドフラミンゴじゃないのか?」

 

「……いいえ」

 

 ローとクロの質問が同時にニコ・ロビンに飛ぶ。ニコ・ロビンは何も表情に変化を見せずにポリグラフのセオリー通りにいいえで答えているが、クロの質問後にローの表情が変わる。脈拍に異常値が見られたか……。

 

「……そういうことか」

 

 ローの呟きと共に俺たちは今回の件の根深さを思い知る。

 

 

 そして、

 

 

「お客様……」

 

という会釈と共に、いつの間にか注文に応じていたバーテンダーは女のバーテンダーへと変わっており、

 

 

 

一瞬にして店内の空気が変わっていく。

 

 

 

 殺気……。

 

 

 見聞色の覇気は突如この場に入り込んできた禍々しい気配を瞬時に感じ取り、体は考えることなく反応して女バーテンダーが差し出した右腕を掴んで、俺の眼前5㎝でアイスピックを止めることに成功している。

 

 ジョゼフィーヌは剣を抜きながらカウンターに乗り出しており、剣先を女バーテンダーの首筋に付きつけている。

 

 クロもいつの間にやら両手に刃を装着しており刃の先は女バーテンダーの目元に据えられている。

 

 だが、ニコ・ロビンは一瞬で席から跳躍して頭上の樫の木の枝を掴み大窓からこの場を去ろうとするが、突如絶叫を上げて下へと倒れこんでくる。ローが密かに心臓を圧迫したに違いない。

 

「セクハラよ……、あなたたちの仕打ち。大した無礼者ね」

 

「4人目か……、CP9。念には念を入れてきたわけだな」

 

 アイスピックで俺の右目1点を狙ってきた女バーテンダーもといCP9の女諜報員は良く見ればメガネを掛けた美貌の持ち主ではあるが、正当防衛の反応に対してセクハラ呼ばわりされる云われは毛頭ない。

 

「私は今回検分役に過ぎないけれど、任務を失敗するわけにはいかないから……。でも、また失敗だわ」

 

 女諜報員は憂鬱そうに首を横に振っている。

 

「ちょっとあんた、兄さん狙っておいて調子乗ってんじゃないわよ!!」

 

 ジョゼフィーヌは喧嘩腰で、相当頭に血が上ってしまっているようだ。

 

 クロはただただ無言のまま、片方の手でメガネを上げることも忘れはしない。

 

「ひとまず、おまえの作戦は失敗だ。矛を収めてもらおうか」

 

 俺の言葉でゆっくりとではあるが、女諜報員が、そして各々が武器を収めていく。

 

「ニコ・ロビンも連れ帰れず、あなたたちネルソン商会を抹殺することもできず……。あなたたち……、こんなことして政府がどうするかわかって? 覚悟なさい……」

 

 女諜報員は右手に持つアイスピックを自分の顔横で構えながら俺たちに宣告してくる。

 

 ゆっくりとした動作で俺は煙草を取り出し、火を点けると盛大に煙を女諜報員に吹きかけ、眼前のグラスを持ってバーボンを喉に流し込んだあとに、

 

「おまえたちがどうするかなんて知ったことではない。おまえの上の奴らがどう判断するだろうな……、今回の件を。……、これだけは伝えておいてくれ、お前たちのさらに上にいる連中が手を焼いている“天夜叉”のように……、俺たちを殺すことは断じてできない……ってな」

 

と、幾分か笑顔を見せながら眼だけは一切の情を見せずに言葉を叩きつけてやる。

 

 女諜報員は俺を睨みつけながらも、ふっと笑顔を見せると、

 

「伝えておくわ。……とんだセクハラを受けたと……」

 

そんな捨て台詞と共に女諜報員は姿を消す。

 

 

 そして、問題のニコ・ロビン。

 

「言ったろ、ニコ屋。情を挟むつもりなんてねぇと。おまえの生死は俺たちが握っている」

 

 CP9がいなくなったことを確認したうえでローは心臓を取り出して見せる。

 

 ドフラミンゴによってこいつがバロックワークスに送り込まれていたとすると、どういうことだ?

 

「ドフラミンゴは自分の掌の上で、右から左に金を動かして悪魔の実を手に入れた。ニコ・ロビンと実を買いに来たあの男はお互いに素性を知らず、ドフラミンゴが全てを操っているという筋書きだな」

 

 クロが俺の考えているその先を言葉にしてくる。

 

 なるほどな。ということは10億ベリーに手を付ければ奴は黙ってないってことか。

 

 それに……、ニコ・ロビンの心臓を奪っている。俺たちはもう火蓋を切ってしまっているじゃないか。

 

 短くなった煙草の火を俺は灰皿で叩き潰すようにして消し、

 

「ぐずぐずしてられないな。ロー、ニコ・ロビンを連れて来い。ジョゼフィーヌ、クロ、行くぞ!! 奴との戦いはもう始まってる」

 

と、出航を宣言する。

 

 

 

 行ってやろうじゃないか、……砂の王国アラバスタへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読んでいただきありがとうございます。
これにてサイレントフォレストは最終話となります。
航路はアラバスタへと向かいます。

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