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目が覚めると、ハンモックから半ば足をぶら下げながらゆらゆらと揺れていた。寒さでぶるっと震えてしまう。船は遅い速度ではあるがゆっくりと横揺れしながらも進んでいるようだ。
「起きられましたか?」
「ああ、よく寝ていたみたいだな。何時だ?」
小間使いとして俺の船室を主戦場として働いてくれるカールだ。まだ12にしかならないチビだが、オーバンの手伝いやら、ジョゼフィーヌの手伝いやら、何かと忙しく動き回っている。
「3時です。風は順調です。ただ、ロッコ爺が明け方に霧が出そうだとおっしゃってました」
「そうか、またか」
突然船内をカランカランと音がこだまする。当直交代の合図だ。船内では3時間の八交代制で当直についている。3時だからロッコからジョゼフィーヌに交替だ。
「総帥。3名の方が船室に来られましたが、良く眠っておいででしたので、お引き取り願いました」
カールは最年少なのに俺のことをしっかりと総帥と呼んでくれる。全くかわいい奴め。目で合図をしてカールに先を促させる。
「まずはジョゼフィーヌ副総帥。今後の事業計画書がどうたらこうたらとよくわからなかったのですが、どうやらご立腹でした」
「ああ、それは後回しで十分だ」
全くジョゼフィーヌの奴め。表の商売ならいざ知らず、闇の商売に事業計画も何もあったもんじゃない。こいつは後回しだ。
「次にロー船医。この前の話の続きを聞きたいとおっしゃってましたが」
「そうか。そいつはいいな。早速にもローを……」
この前の話はフレバンスの事だろう。こういう話は寝ざめに持って来いだ。にんまりするが、カールが最後まで言わせずに
「最後の方はよろしいんですか?」
「誰だ?」
「オーバン料理長です。アツアツのコーヒーを起きぬけにご所望ではないかと」
ああそうとも。ローとの悪企みでも、もちろんジョゼフィーヌからの矢の催促でもなく、俺が求めていたものはオーバンが淹れるアツアツのコーヒーだとも。これに勝るものはない。
「全くその通りだな。早速に頼む。うんと濃いーいやつをな」
その言葉を聞いたカールはにっこりとかわいげな笑顔となり
「そうおっしゃると思ってましたので、先にオーバン料理長からもらってきてます。どうぞ。うーんと濃いーいやつですっ!!」
と、アツアツの湯気を立てたマグカップを差し出してくれた。
カールときたら、本当にかわいいやつだ。
濃いーいコーヒーで頭が働いてくるのを感じながら、霧の事を考える。
フレバンス到着はさらに遅れることになりそうだ。天候は思い通りになることなどなくて当たり前であるが、やはり計画通り進まないということは気分の良いものではない。それに、後方に見え隠れする船影。尾けられているであろうことはわかっている。海で後ろを尾けてくるものなど決まってる。海賊か海軍だ。そして俺たちは海賊ではないのだから海軍ということはない。であるならば、相手は海賊だ。
コンコンとドアをノックする音に物思いを中断される。カールはもうここをあとにして、オーバンのところに行っている。当直から戻った者への給仕手伝いだ。
「入ってくれ」
ドアを開けて顔を見せたのはローであった。こいつは本当に鼻が利く。丁度いいタイミングで現れるんだ。
「あんたの妹は本当に最悪だ」
どうやら、あいつはローのところにも行ったらしい。
「事業計画書の話か? 闇の商売がそんなもの作って何になるって言ってやれ」
「いや、それもあるが」
「それもある? じゃあ一体何の話だ」
「朝食の握り飯だ。650ベリーでは割に合わないとのたまっている。しまいには、料理長を交えての三者面談だ」
かけてやる言葉が見つからない。あいつの守銭奴ぶりには全く頭が下がる思いだ。なので強引に話を切り替えてやることにする。
「ロー。おまえがここへやって来たのはそんな話をするためではないはずだ。そうだろう?」
そう言ってソファを勧めてやる。
コンコンコン。再びノックの音。3回はカールだ。こいつもなかなかに鼻が利く。どこからか、ローがこの部屋に入ったことを察知してやってきたに違いない。
「いいぞ」
カールがひょっこりと顔を出し、用はないかと窺っている。
「ロー。ワインでいいか? では頼む」
ローのうなずきを見てとり、カールは早速に船尾窓近くにあるワイン立てより赤ワインを取り出し仕度に取り掛かる。
俺もローの向かいのソファに腰を下ろす。テーブルには常置されているチェス盤。今はチェスどころではないが。頭上ではコツコツコツと何度も往復する足音が聞こえてくる。ジョゼフィーヌだ。あいつは全くのせっかちであり、手持無沙汰になると船尾楼甲板を行きつ戻りつし始める。大方、事業計画書の自分なりの構想でも練っているに違いない。
そんな考えを巡らせているうちにも目の前には二つのワイングラスが用意されて、なみなみと赤ワインが注がれている。
「カール。ありがとう」
俺からの礼とローからの頭への抱擁に嬉しそうにしながらカールはまた退出していった。
赤ワインを一口流し込み会話を再開する。
「フレバンスだな」
「ああ、そうだ」
フレバンスは“白い町”とも呼ばれ、栄華を極めた国だった。ローの出生地であるが、悲喜こもごもの物語の末に滅亡した。と言われている。
「滅亡した国に今何がある?」
若干の憂いを帯びた表情を見せながら聞いてくるロー。滅亡という言葉はあまり使いたくないと思われるが。
「入ってきた情報がある。ダーニッヒに入る船の情報だ」
「ダーニッヒ。フレバンスへの元玄関口だな」
「ああそうだ。だがダーニッヒ自体は問題じゃない。あそこは他の町に対しても玄関口になっている。ただし。その船に荷を揚げている馬車が存在する。そいつがどこから来たかが問題だ。そう、フレバンスだ。今、フレバンスを出入りする馬車が存在するということだ。そして、その船の行く先、そいつは南東には向かわない、真っすぐ最短航路で南に向かうんだそうだ。そうだ。そいつは
ローの表情は見る見るうちに生き生きとし始め、シニカルな笑みを浮かべつつある。興味を持ったな。頭の中が高速で回転しているに違いない。こいつのこういう表情を見ているのは実に楽しい。
「政府か?」
「その可能性は高いだろうな。滅亡したフレバンスはなぜか今になって政府の管理下に置かれて何かが運び出されているかもしれないというわけだ。
「
ローの読みは正しいだろう。こいつの脳内は今、四方八方に飛ぶかはたまた奥深くまで掘り下げながら可能性を探っている。
「で、俺たちはどうする?」
ローの問いかけ。俺もローも話に夢中になっており、目の前にある赤い液体の存在を忘れてしまっている。
「奪う。物が未知数でリスクが高いが、それだけリターンも大きくなる。とんでもない代物かもしれない」
ローの表情がさらに変化する。目が細められてワイングラスの一点を見つめている。閃いたな。
「ただ奪うだけじゃダメだ。掘り出している
らんらんと輝いているローの瞳はさも楽しそうである。確かに名案だ。リスクもすこぶる高いが。
「だがそうなると相当やばいことになりそうだな。新世界に運び込まれた珀鉛はそのままマリージョアに行っている可能性がある」
「ああ、もちろんそうだ。相当にやべぇ。海軍だけじゃねぇ、CPにも狙われる可能性が高けぇ」
そう言いながらもローは少しもヤバそうな表情をしていない。まあ俺もだが。全身から湧いてくる高揚感が半端無い。やばいやばい、こんな時こそ冷静な頭の鉄則だ。
一抹の不安もある。こいつは最後のベルガー島でセンチメンタルなものは捨ててきたと言っていたが、本当のこいつはセンチメンタルなものを胸の奥底に鍵をかけてしまっているだけだ。とはジョゼフィーヌの意見だ。あいつはせっかちな守銭奴だが、わりかし人を見る目がある。だが当の本人が表情には出さないのであるからこれ以上あれこれ気を揉んでも意味はないだろう。
「総員。総員。直ちに甲板に集合!! 戦闘態勢に入れ!!!」
突然頭上より聞こえる甲高い大音声。ジョゼフィーヌだ。
ローが立ち上がり、船尾窓の外を眺めながら言葉を吐く。
「出てきやがった。霧だ」
背後を振り返ると確かに窓外はまだ明ける前の暗闇の中、吹き流れる靄が感じ取れた。
「奴らが来るな」
霧に包まれた白靄を隠れ蓑にして後方の奴らが仕掛けてくる可能性は高い。ジョゼフィーヌも同じことを考えているはずだ。ゆえの即時総員呼集、戦闘準備だ。
船内は一斉に動き出す音が四方八方から聞こえてくる。俺たちは目の前の赤ワインを一気に飲み下し、両頬を強烈に叩き活を入れて動き出す。ローは最下層甲板にある医務室へ行き、負傷者受け入れ準備を済ませるために。俺は戦闘に備えて正装を身に纏うために。俺たちネルソン商会の鉄則、戦闘においても、もちろん取引においても正装でだ。
ローと入れ違いにカールが急いで部屋に入ってきた。横に設えられた戸棚からさっさと漆黒のスーツを選び取っている。
今日は戦う交易商人の腕の見せ所である。
書いていて思いました。自分にもカールが居てくれたらと。
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