ヒーローのなり方   作:かず21

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七話

その日の晩、病院のベッドの上で朔夜は昼間のことを何度も反芻した。

我ながらくさいこと言ったものである。次に彼女に会った時、直視できるかどうか不安だ。

 

「でも、あの時の凛さんはかっこよかったな。まるで父さんみたいだった」 

 

凛が助けてくれた時の姿と初めて出会った時の父が被った。

自分はあの姿に憧れたのだ。

だから、もう一度思い出すべきなのかもしれない。

なぜ憧れたのか。なぜヒーローになろうとしたのか。 

 

そうしている内に何度も書き直したメールがようやく完成する。しばらく迷いが生じたが、それを蹴飛ばし、送信する。送り先は風香だ。

メールが無事に発信したのを確認した後、朔夜は眠りについた。

これが自分にとっていい方向に転ぶことを祈って。

後日返ってきたメールの内容は了承の2文字が記されていた。

 

 

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それから3日程で朔夜は退院した。元から打撲や打ち身だけで骨に異常はなかったのだが、それでも驚異的な回復力だ、と医者が驚いていた。そもそもあれだけ殴られて骨折していない事がおかしい、との指摘を受けたが、医者に分からないことが朔夜にも分かることなどなく、話はそれ以上発展しなかった。

そして、今日は約束の日。妹と――詩音と会うことになっている。

 

あの日、メールで連絡を入れた朔夜は風香を頼って詩音と話をする機会を作ってもらった。話自体はすぐにまとまり、退院した次の日に会うことになっていた。

初めはあの薄暗い自宅で話そうと風香から提案したが断った。自分が前に進むにはまずあの部屋から出ないといけない気がしたからだ。

その旨を伝えると風香はしぶしぶ了解した。

 

「でも、当日は私も隣にいるからね」

「それも遠慮したい」

「どうして! 流石に今の朔夜を一人で外には出せないわよ!?」

 

風香の剣幕はすごかった。思わず、決意を撤回してしまいそうになるくらい。

だが、朔夜は決して引かなかった。

 

「ごめん、先生。でも、俺はちゃんと詩音に向き合いたいんだ。それには一人でやらなくちゃいけない気がする。誰かに頼ったままじゃ俺は前に進めないんだ。だから、頼むよ先生」

 

一生のお願いだ、と朔夜は頭を下げた。

風香はそれをしばらく見つめ、やがて大きな溜息を吐いた。

 

「分かった。朔夜一人でやらせてあげる。でも、医者の観点からダメそうだったらすぐに回収するからね」

「ありがとう先生!」

 

あの日ほど風香に感謝したことはなかっただろう。

そして、現在、朔夜は自宅の玄関にいる。

手には父の形見であるセイフティーグラスでできた伊達眼鏡があった。それに語るように呟く。

 

「父さん。俺はまだ、外が怖い。人の視線が怖い。でも、一歩踏み出してみるよ。だから、守ってくれ」

 

眼鏡を掛けた。視界がわずかに濁る。しかし、不思議と安堵を覚えた。

それでも、まだ恐怖はあった。ドアノブを回す手に力が入らない。

自分が弱いのは知っている。この恐怖に打ち勝つほどの勇気がないのも自覚している。

だから、今は頼ろう。弱くたっていい。自分の弱さを隠してでも柊 朔夜は前に踏み出すしかないのだ。

恐怖とトラウマの証である額の傷を伸ばした前髪と眼鏡で隠し、朔夜は扉を開けた。

 

 

幸いなことに誰も朔夜のことに気付かず、また、大きな問題もなく朔夜はそこにたどり着くことができた。

待ち合わせに指定された喫茶店は一言で表すなら隠れ家だろう。都内のはずれにある寂れた雰囲気を漂わせた裏通りにあり、一見すると何の変哲もない建物だが、出入り口が地下にある。

 

「なんだ、秘密基地みたいでかっこいいじゃないか」

 

 

精一杯の強がりを口にし、薄暗い階段を一歩ずつ踏みしめて降りていく。

途中、すっ転びそうになるもどうにかして扉の前にたどり着く。

すすけた黒い木造式の扉は、そこがカフェだと示す手がかりとしてドアの上に飾り付けられた控えめな装飾が施された看板が一つあった。店名は『lair cafe』

あちら側の知識が乏しい朔夜には意味は分からなかったが、おしゃれな店だということだけは分かった。

正直、雰囲気がありすぎて店に入ることに戸惑いを覚えたが、いつまでここにいるのも変だと自分に言い聞かせて、覚悟を決める。

 

カラン、と乾いたベルの音が鳴り、ドアを押し開けるとカウンターの向こうで禿頭の巨漢が朔夜を一瞥した。燕尾服のような制服に空のグラスを手入れしている男の手慣れた様からして恐らくマスターなのだろうと適当な予想をたてる。

 

朔夜は店内を見渡す。店の雰囲気はえらく良かった。

部屋は薄暗いが部屋の唯一の明かりであるシャンデリアが照らす範囲は十分なものでその明かり具合も店のアンティークな雰囲気を醸し出すのに一役買っている。店のいたるところにある調度品のセンスもいい。

 

なるほど、これは男なら昂ぶりを覚えざる得ない。秘密基地や隠れ家はいくつになっても男心を揺さぶるのだ。

実際、固定客も多そうだ。近くの調度品はしっかりと手入れが行き届いているようで見事な艶を纏っている。カウンターにそう多くない4人掛けの木造テーブルだけという狭さも悔しいが魅力的と言わざる得ない。もし、自分が自由に外に出られるようになったら通ってみよう、と心の中で密かに誓う。

 

「お客さん一人かい?」

 

見事なバリトンボイスに一瞬、たじろぐも小さく首を横に振った。できるだけ目線を合わさずに答える。

 

「いえ、待ち合わせです。多分、もう来てると思うんで……」

 

そこまで言った時、店の狭さが災いして誰かのささやき声が聞こえてきた。

 

『やたら別嬪な子がいるな。珍しい』

『今時、別嬪なんて表現古くないですかパイセン』

『パイセンも死語だぞ』

『ええ~そんなことないっすよ。で、どの子……ってえらいかわいい子いますね。背ちっさ!』

『だろ? でも、なんでこんなボロ店に?』

『さー? そんなことよりそろそろ戻りましょう。また、課長にドヤされますよ』

 

自分の話ではないことに安堵しつつ、件の少女についつい目線をやる。

あ、と声が漏れた。

学校帰りなのか制服姿の思わず目を奪われるほどの可愛らしい少女がテーブルに座っていた。

燃えるような紅い髪を左右に二つくくりにして分けている。勝気な紅い瞳はとても美しく、また、魅力的だった。更に座っていても分かるほどの低身長が保護欲をそそる。しかし、彼女の纏う鋭いオーラのようなものがその印象をかき消す。

 

以上のことがこの薄暗い店内でも判断できたのは目の錯覚か、それとも彼女の特筆すべき容姿がそうさせたのか朔夜には分からなかった。

どちらにせよ朔夜のするべきことは一つだ。

マスターにアイスココアを頼み、少女の座るテーブルに近づいていく。

少女はスマホを弄っていたからかこちらに気付いた様子はない。すぐ傍まで近づき、ようやく顔を上げた。

 

遠目からの見立ては間違っていなかったようで、彼女の瞳には人を魅了する魔力が宿っていた。

目と目が合う。ほんの少し時間が止まったような気がした。

彼女は気付くだろうか? 変わり果ててしまった自分を。

不安に踊らされているのも束の間、小さな声で「座れば?」とぶっきら棒に促す声を拾った。

 

「あ、ああ。じゃあ……」

 

中途半端な返答で自分の精神的コンディションを察しながらも椅子に腰かける。

しばらく喉に詰め物でもしたように言葉が出なかった。

自分も変わったように彼女もあれから変わったようだ。少なくとも自分の中にある記憶とは一致しない。外見的な意味でなく雰囲気的な意味でだ。まるで初めてあった人みたいだ。

 

ちらり、と相手を伺う。どうやらあちらもまだ来たばかりなのか、テーブルの上にはお冷だけだ。そう待たせたわけでもないが、やはり自分の方が先に来て余裕を持つべきだったと取り返しのつかないことを考える。

後悔後先立たず。どちらにせよ、このまま黙っているのはよくない。自分の目的を思い出すべきだ。

自信を叱咤し、遠慮がちに朔夜は挨拶をした。

 

「ひ、久しぶりだな。詩音」

「ん」

 

詩音のスマホを操る手は緩む気配を見せなかった。5年ぶりに再会した妹の反応は冷たかったがまだ予想の範囲ない。だが、やはり心が痛いんだ。

 

「ごめんな、その、待たせて」

「別に。5分も待ってない」

「そ、そうか。なら、よかったよ」

「…………」

「…………」

 

会話が続かない。こんなことならもっと対人スキルを鍛えておけばよかったと後悔する。

はやくも催事を投げそうになった時、ここでココアと詩音が注文したであろうコーヒーが届く。

若いウエイターが立ち去るのを見送り、氷の入ったグラスを半分ほど飲み干す。

味は分からなかった。冷たい感触だけが喉元を駆け抜ける。残念なことにまだ喉が渇きを訴えている。

詩音の方は、チビチビとコーヒーを口につけて、僅かに眉をひそめる。その後、カップを元の場所に戻した。

 

「……何?」

「いや、何も……」

 

彼女が小さい頃は甘いものが好きだったのでそれと真逆の品を注文するとは思わなかっただけだ。ただ、どうやらその趣向は変わっていないらしい。

 

「……砂糖ならここにあるよ?」

 

そう言って備え付けの角砂糖を勧める。

詩音は朔夜と瓶を交互に眺めた後、無言で白いそれを自身のカップに加えた。

 

「何か甘いもの注文する?」

「うるさい。ほっといて」

 

にべもなく突っ張るが、朔夜は少しずつ調子を取り戻してきた。

雰囲気や言動は昔とは違うが、全てが変わったわけではない。そう思うと別人のように思えた詩音への認識を改めていく。

 

「あ、す、すみません。この苺のタルトください。あ、それとチョコレートケーキも。はい、ありがとうございます」

 

近くを通りかかった従業員に注文を取ってもらう。

従業員の背中を見送ると詩音が憮然と告げた。

 

「……なんで勝手にこっちの分も頼んでんの?」

「好きだった、だろ? 苺。それとも嫌だったか?」

「……別に。好きだけど」

 

プイとそっぽを向かれる。部屋の湿度が高いのか詩音の顔は僅かに赤かった。

しばらくその顔を眺めていると視線に気づいた詩音がじろりとこちらを睨んだので慌てて目を逸らす。

 

「ねえ」

「ご、ごめん。別にじろじろ見るつもりはなかったんだ!」

「……あっそ。別にいいけどさ」

 

詩音はそう言ってコーヒーを口にする。

僅かに口ごもった後、どうにか聞こえる音量で詩音は呟いた。

 

「髪」

「え?」

「髪、伸ばしたんだ」

 

ああ、と気付いたように自然と自分の前髪に手をやる。単に髪を切り忘れただけで特別意識して伸ばしたわけではない。ただ、今はこれのおかげである程度人の視線を妨げてくれている。それに隠したいものを隠してくれている。

 

「勿体ない。可愛い顔してるのに」

「やめてくれ。俺がそのこと気にしてるの知ってるだろ」

「そうなの? まだ、気にしてたんだ。諦めればいいのに」

 

身も蓋もない物言いにムッとする。こちらも何かやり返してやろうと朔夜はほんの少しだけ嗜虐心を発揮

した。

 

「そっちはあまり変わらないね。一か所除いて」

「はぁ!? この変態!」

 

どうしたことか。曰く言い難い殺気のこもった目で朔夜を睨んでいる。

今まで割とすまし顔だったが耳まで真っ赤に染まり、両腕が堅く胸の前で交差していた。

胸? と朔夜の心が反芻する。次いで、詩音の心情を察し、朔夜も負けないくらい顔を赤くした。

 

「ち、違うんだ! 俺が言っていたのは雰囲気のことで決して、その、胸のことなんかじゃ……」

「大声で言うな!」

 

今更だが、詩音の胸は男性の目を奪うには十分なものだった。なるほど、詩音が少ない言葉で自身の胸を起因するのも分かる。もし、自分が兄でなければ色々と危なかっただろう。

 

「本当、最低」

「だから、誤解だって!」

 

多少の怒気は抜けたが、それでも詩音の態度は好ましいとは言えなかった。

 

「おまたせいたしました。こちら苺のタルトとチョコケーキになります」

 

そうしている内に苺タルトが届く。終始従業員のお姉さんの肩がぶるぶる震えていたのは気のせいではないだろう。

従業員が立ち去るのを見計らって再度、謝罪を口にする。

 

「本当にごめん。そんなつもりはなかったんだ」

 

だから、この通りと頭を下げる。

しばしの無言の後、はぁ~と大きなため息が変えてきた。続いて、呆れた声が返ってきた。

 

「……もういいよ。こっちの勘違いだったんだし」

 

そう言って苺タルトを口へと運んだ。

その時、仄かに笑みを浮かべた詩音の顔に心を奪われた気がした。

 

「ハハハ、よかった。許してもらえたみたいで」

 

なぜだかむず痒くなり、無心でケーキを頬張る。

ほろ苦い甘さが口の中に溶けていく。朔夜も苦いのは好みではないが、このケーキは別だ。

ついついフォークが伸びる。

そうしてケーキが半分ほどまで減った時に視線を感じたので顔を上げる。じっと詩音が朔夜のケーキを見ていた。

 

そういえば、と朔夜は思い出した。

詩音は苺も好きだが、チョコレートも好きだったはずだ。

 

「一口食べる?」

「別に欲しくなんか――」

「はい、どうぞ」

 

クリームが沢山ある部分をすくい、「あーん」と差し出す。

詩音は朔夜を人睨みした後、口を開けた。

 

「おいしい?」

 

咀嚼した後、僅かに詩音の愛らしい顔が歪む。

 

「苦い。でも、悪くないかな」

「それはよかった。嫌いだったら俺も困るし」

 

それから残りを一口で食べる。

ぼそりと詩音から間接キス、というフレーズが聞こえたがそんなことを気にするような間柄ではないだろうと聞き流した。

グラスを一気に飲み干す。今度は味を感じることができた。

 

「ねえ、髪にゴミついてる」

「え?」

「取ってあげるからじっとして」

 

そう言って詩音は身を乗り出して目の辺りに手を伸ばす。

瞬間、フラッシュバックしたのは目の真上にできた古傷の記憶だった。

 

 

狭いコックピット内。ほとんどの機器がが壊れ、ついには暴発を起こした。

その衝撃で飛んできた欠片が朔夜の眼を――――

 

 

 

気付いた時には乾いた音が響いていた。

詩音は信じられないような眼をしてこちらを見ており、差し出していた手を押さえていた。

朔夜は自分がした行いをすぐに理解し、そして、激しく狼狽えた。うまく口が動かせない。

 

「ち、違うんだ! じゃない、ごめん。いや、俺は、その」

 

弁明するために思わず立ち上がったが、ドンと膝がテーブルに当たる。幸い、皿やカップがひっくり返ったり割れたりすることはなかった。

 

「落ち着いて話しなよ。別に気にしてないから」

「ご、ごめん。悪気はなかったんだ」

「だろうね。で、何か理由があるの? さっきのアンタ、怖い顔してた」

 

謝った後、ゆっくりと腰を下ろす。

どう考えても理由を話さなければならない。可能な限り冷静になろうと自分に言い聞かせる。

深く息を吸い、吐いた後、ぽつりと呟くように語った。

 

「あの時の戦いでコックピットが爆発したんだ。爆発自体は小規模なもので、なんだろう静電気みたいなもんかな? 分かりづらいならごめん」

 

詩音は黙って聞き入っていた。その表情から気持ちは読み取れない。

 

「とにかくその爆発自体で負った傷は大したことないんだけど、その時破損した機器の欠片が俺の目に飛んできてさ。どうにか眼球だけは回避できたけど目のすぐ近くに刺さって、それでそのことがトラウマになっったみたいなんだ。だから、目を触られるのが怖い」

 

どうにかそれだけ言い、手元にあったグラスに手を伸ばしたが、中身が空になっていることに気付いた。

それを察した詩音が自身の水を朔夜に差し出す。

お礼を口にし、すっかり温くなった水で息を整えた。

 

「じゃ、眼鏡をしているのも?」

「ああ、これは、うん。少しでも恐怖を和らげようと思ってさ。父さんの眼鏡を借りてきちゃった」

 

わざとらしくおっちゃらけたが詩音の顔はますます暗く沈んでいった。

 

「ごめん。私、嫌な思いをさせた」

「いや、詩音が謝ることじゃない。悪いのは俺だから……手は平気か?」

「うん、大丈夫。だから、その、心配いらないから」

 

気のせいかもしれないが詩音の態度が軟化したような気がした。同情させてしまったのだろうか? だとしたら申し訳ない。

しかし、それはチャンスだとも受け取れる。二人の間にある大きな溝を埋めたい。その一心で朔夜は用意していたカードを切る。

ただし、素直に受け取らなさそうな彼女のために切り方を変える。

 

「この前さ、色々あって怪我したんだ俺」

「……ふーん」

「それで少しの間、病院で寝ていたんだけど誰かが来たみたいなんだ」

「…………ふーん」

「詩音はその人のこと知らない?」

「なんで私にそれを聞くの?」

「詩音なら知ってるんじゃないかなって思ったから」

 

朔夜が穏やかにそう告げた。

またしても詩音は顔を背けて「知らない」とぶっきら棒に返す。

 

「そっか。それは残念だな。その人どうやら長いこと看ててくれたからお礼を言いたいんだ。でも、誰だか分からないし、会えそうにもないな」

「………………ふーん」

 

そろそろ詩音の機嫌パラメーターが地を這いそうになったことを察した朔夜は鞄から小さな紙袋を取り出す。それをそのまま詩音に差し出した。

 

「なにこれ?」

「お礼の品。本当はその人にあげるつもりだったんだけど、会えそうにないからさ。詩音にあげるよ。女物だし俺が持っていても仕方ないからさ」

「…………なら、貰ってあげる。仕方なくだから」

「ああ! ありがとう」

 

余ほど嬉しかったのか、朔夜は久方ぶりに笑った。気持ちが自然と晴れやかになる。

 

「なんでそっちがお礼を言ってんの。お礼を言うなら私の方でしょ」

「そうだけど、ううん、こっちの問題だ。気にしにないでくれ」

「なにそれ。……これ開けてもいい?」

「えっ! それはその……」

「何? 目の前で開けられると困るようなものなの?」

「そんなことはないけど、やっぱり恥ずかしいし」

 

後半の声が消え入りそうになるが、自身の大きな溜息をスイッチに渋々許可を出した。

開けるよ、と律儀に断りを入れてから紙袋を丁寧に開ける。

取り出したのは紅い髪飾りだった。派手な装飾はなくシンプルなデザインだ。普段使いを意識したものとは言え、地味である。

 

ただ、詩音は特に気にした風もなく「悪くないじゃん」とだけ言って、手元を見ながら仄かに笑みを浮かべた。

あ、と声が聞こえたがそれが自分の声かどうか朔夜は最後まで理解できなかった。ただ、詩音の笑みに心を奪われた。

 

「何ずっとこっち見てんの? 恥ずかしいんだけど」

「え!? いや、なんでもないよ」

 

今度は朔夜が目線を逸らし、慌ててごまかす。

しかし、誤魔化しきれなかったのか、しばらく微妙な空気が二人の間に流れた。

しばらくして居心地悪く感じていたのは詩音もだったようで、わざとらしい声でそういえばと話を切り出した。

 

「今日、私を呼んだのはそっちでしょ。用って何?」

 

――――いよいよだ。このため自分はここに、妹に会いに来た。

リラックスしていた自分が消える。背筋が自然と伸びた。

ここから先、朔夜に必要なのは覚悟と勇気だろう。その二つの言葉をゆめゆめ忘れぬよう心に刻んだ。

詩音も朔夜の顔つきが変わったのを察したのか、彼女から感情が伺えなくなった。

 

「詩音。まず、俺は君に謝らなくちゃいけないことがある」

「…………」 

 

詩音は何も言わない。何一つ彼女の顔から感情が読み取れなくなった。

それでも朔夜は弱い自分を殺すために前へと進む。

 

「君の父親を殺したのは俺だ。俺が父さんを殺したんだ。詩音から父さんを奪ったんだ。罵ってくれて構わない。許してもらおうだなんて思わない。ただ、君に謝りたかった」

 

朔夜は己の誠意を表すために深々と頭を下げた。

詩音は今どのような顔でこちらを見ているんだろう。少なくともいい感情ではないはずだ。

そう思うと次の言葉が怖くなった。顔を上げることに強い躊躇いを覚える。卑怯な自分が顔を出して、都合のいい言葉をねつ造する。

結局の所、自分は彼女の赦しが欲しいらしい。卑怯だ。

自己嫌悪に陥っていると詩音から動く気配を感じた。

ぎゅっと目をつむる。体が呼応するように固くなる。

しかし、聞こえてきた言葉は意外なものだった。

 

「それが呼んだ理由?」

 

驚きを禁じえなかった。罵るわけでもなく、赦すわけでもなく、彼女の静かな問いに疑いを隠しきれなかった。

 

「あ、ああ、そうだ。俺は君に謝るためにここに来た」

「そう、言いたいことはそれだけなんだ。そうなんだ」

 

詩音の様子がおかしいことはその言動だけで分かったが、何を考えているのかが依然として分からない。

それがこうじてだんだん目の前にいる少女のことが分からなくなっていった。

 

「ねえ、他に言うことはないの?」

 

その問いに朔夜は押し黙るしかなかった。

思いつかない。父を殺したことに対する謝罪以上のことがあるとは思えなかった。

無言を肯定と受け取った詩音は言葉を続ける。

 

「そっか。そうなんだ。アンタは自分のことしか見てないんだね」

「どういう意味だ?」

「そんな理由でアンタは私を捨てたんだ」

「詩音?」

 

顔を上げた。今度こそ朔夜は言葉を失った。

詩音は泣いていた。

大きな瞳に涙を溜め、懸命にそれを堪えていたがやがて、一粒の宝石が零れ落ちた。

 

「詩音? どうして泣いて――――」

「逃げないでよ!」

 

ビクリと体が跳ねあがる。なぜか体の自由が利かない。

 

「アンタが謝ることはそんなことなの? 他に言わなきゃいけないことはないの!?」

 

詩音が何を言っているのか分からない。まるで異国の言葉を聞いているみたいだった。

父の死以上に大事なことなどあるのか?

朔夜には分からない。目の前の少女のことが分からない。

この子は本当に自分の知っている詩音なのだろうか?

 

「ねえ、答えてよ。黙ってないで答えてよ!」

「俺は……」

 

朔夜は答えることができなかった。朔夜にはその問いに対する解が見つけられなかった。

そんな朔夜を見て詩音はドンと音をたてて机を叩いた。

 

「アンタはちゃんと私のこと見てくれた? 見てないよね?」

「み、見てるよ! 俺はちゃんと君のことを――――」

「嘘」

 

朔夜の言葉が一蹴される。事実、朔夜の視線は下にある。

 

「結局、アンタは自分のことしか見てない。私の気持ちなんて一つも考えてないんだ」

「待ってくれ! 話が見えない。どうして君が起こっているのか俺には分からないんだ!」

 

その言葉が決定的だった。明らかに詩音と朔夜の関係に亀裂が入ったことが分かった。修復は不可能だ。

 

「……さよなら。もう会うことはないから」

 

そう言って荷物をまとめ詩音は立ち上がる。

朔夜は声さえかけることができなかった。

すれ違いざまに大粒の涙と一緒にささやき声が聞こえた。

 

「やぱり、アンタは私のお兄ちゃんじゃない」

 

その言葉はどんな呪いよりも強く朔夜の心を縛り上げた。

やがて、扉の開閉音が背中越しに聞こえた。

 

「分からないよ。俺には詩音の言っていることが分からない」

 

その声は迷子になった子供のようだった。

しばらくそうして俯いていると誰かが近づく気配を感じた。

 

「坊主、追わないのか? 彼女さんなんだろ?」

 

マスターだ。何を思ってか朔夜に声をかけてきた。

朔夜は妹です、と訂正することすら煩わしく小さく首を振った。

 

「俺にその資格はありません。あの子のことを考えが分からないんです。なんで、泣いたのか。なんで怒ったのかすら分からないんです」

 

結局、自分は彼女のことを一つも理解していなかったのだ。今も理解できてない。

いや、初めから自分に詩音のことを理解できるはずがなかった。なぜなら、自分は卑怯者だだからだ。

どれだけ言葉を尽くそうとその言葉は薄っぺらい。その行動は欺瞞に満ちている。証拠に朔夜は来てすぐに謝罪を口にしなかった。逃げるように本題以外の話をして、時間を稼いだ挙句、プレゼントを渡して機嫌を伺った。赦しなどはいらないと言ったが、やはり朔夜は心のどこかでは赦してほしかったのだ。だから、こうなった。卑怯者には相応しい末路だ。だから、そんな自分に詩音を追いかける資格なんてない。

 

「すみません、お騒がせしました。帰ります」

 

勘定を済ませ、店から出る。

 

「ちゃんと彼女さんと話し合うんだぞ。しっかり話さないと後悔することになる」

 

店から出る際、背中越しに投げかけられた言葉を朔夜は無視した


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