東方覚深記   作:大豆御飯

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第九章十話 比類なき存在

 通りの中央、芙蓉は鼻歌混じりに歩いて行く。目的は妖夢と鈴仙を見付ける為。とは言え、何処と言う宛てがある訳でもない。ただ歩いていればいつかは鉢合わせするだろうという漠然とした予測だけを元に、ただただ歩く。

 その顔には余裕と自信が窺える。自身の世界の中で何を恐れる必要があるのだろうか。彼女の鼻歌は止まらなかった。

 

 だが、その終わりは唐突に訪れる。不意に何者かの足音が聞こえて、芙蓉は鼻歌と足を止める。

 

「……狸さんかい?」

「ほぅ、儂が狸と分かるのか」

「だって耳がそうじゃないかぁ。狸に似てるよぉ」

「ふぉっふぉっふぉ、それもそうじゃな。一本とはいかんが、これはやられたわい」

 

 振り向いたその先に居たのは、キセルを片手に持つ狸の妖怪。

 

「そう言えば名乗っておらんかったな。儂は二ツ岩マミゾウ。化け狸の長じゃよ」

「そっかぁ」

「どうしてここに来たのか。それは言う必要あるまい。目的はお主の目的とも合致するんじゃろうて」

「だよねぇ」

 

 マミゾウはキセルの中の火を地面に落として踏み潰した。キセルを袖に仕舞い、眼を鋭く光らせる。芙蓉もゆっくりと両手を広げ、マミゾウへと挑発的な視線を向けた。その顔にはやはり余裕が浮かぶ。マミゾウもまた何処か開き直ったような顔をしている。それも無理は無いだろう。

 そもそも勝つ見込みさえ無いのだから。

 

「さぁ、何処からでもかかって来るが良い。お前さんの好きな時、好きな手段で、好きなようにな」

 

 マミゾウがそう言った瞬間、芙蓉は上げた両手を一気に振り下ろす。

 

 直後、芙蓉を中心に地面が大きく波打った。周りの建物はその波に呑まれ、積み木で作られていた様に崩壊する。破砕の波は一瞬にして周囲の姿を変え、対峙していたマミゾウに隙を生み出させる。

 

 その隙を突く様に、波の頂点を跳んで一気に接近する。そのまま拳を握り、マミゾウの腹部を狙って一気に突き出した。

 

 けれど。

 

「ちと甘かったかの」

 

 腹を貫いた筈の拳が叩いていたのは、たった一枚の葉。一瞬の内に何が合ったのか、芙蓉の頭は混乱する。器用に並の頂点に着地したが、既にマミゾウの姿は何処にも無い。ならばとばかりに波を更に激しくし、壊れた建物の残骸をも打ち上げさせる。

 

 突然、足元が暗くなった。

 

「え?」

「頭上注意じゃ」

 

 見上げ、眼に入ったのは巨大な石の塊。人間を二十人は軽く潰せそうな塊が、そのまま落下してくる。

 回避出来るだけの余裕は無い。無論、芙蓉一人を押し潰すのにその石の塊は十分過ぎた。

 

 だが、それでも芙蓉は笑う。

 握り拳をそのまま石の塊へ向けて打ち出す。

 

 その拳が直撃する寸前。石の塊は粉々に砕け散った。

 

 その先に居たマミゾウと目が合う。全て分かっていた様に、微笑みすら浮かべるマミゾウ。

 芙蓉は容赦をしない。

 

 マミゾウの真上から、不可避の一撃を見舞った。

 叩き落された虫の様に、抵抗する素振りすらなくマミゾウは墜落する。地面に叩き付けられたマミゾウは僅かに呻くだけ。芙蓉はそれを見て笑みを浮かべると、ゆっくりとマミゾウに歩み寄る。

 

「……ぐ、おぉ」

「お疲れ様ぁ」

「……ま、まぁ、結末なぞ最初から、分かっておったわ」

「悲しいねぇ」

「……そうとしか、選べんかったもんでな」

 

 眼鏡が割れたマミゾウ。その目の光はよく分からない。

 芙蓉はもう、それ以上何かしようとは思わなかった。勝敗は着いたのだから、かかって来ない限りはもう干渉する気は無い。そうと決めているのだ。

 

 だが、それを知る者は芙蓉以外に居ないのだ。

 

「……どうして来ちゃうのかなぁ」

 

 芙蓉は寂しそうに呟いた。

 

「……来なければ、痛い目に遭わなくても済んだかもしれないのにさぁ」

 

 もう既に傷付けないと決めた誰かを守る為に、二人の少女は彼女と対峙してしまった。

 魂魄妖夢と鈴仙・優曇華院・イナバ。

 その自分の知らない、持ったこともない誰か他の繋がり。芙蓉はそれが忌々しかった。

 

「……助太刀、とでも言いましょうか。どうせ結果は見えていますが」

「引き返しなよぉ。どうせ追い掛けるけどさぁ」

「……甘い誘惑ね。はいと言えるなら元からここに立っていないけど」

 

 芙蓉は溜め息を吐いた。

 それを合図に妖夢は一歩大きく踏み出す。彼女が一撃の範囲内に接近するのに時間は無い。楼観剣の柄を握り締め、一直線に芙蓉の首を狙う。

 更にその妖夢に合わせる様に、鈴仙は芙蓉と目を合わせた。それだけで幻覚の中に取り込み、妖夢の姿を認識できなくする。

 

 回避するには運任せ。圧倒的な二人の連携は、並大抵の相手ならば仕留められる。

 

「……ざぁんねん」

 

 けれど、

 楼観剣の一閃は、首を捉えた瞬間に止まってしまった。

 

「この世界では、君達の使う力は通じないんだぁ」

 

 驚く妖夢を無視して、芙蓉は楼観剣の刃を掴む。その首筋には一筋の傷さえ無かった。

 

「もう、わざわざ戦いの演出なんてしなくて良いよねぇ」

 

 ドン、と妖夢を左手で押す。思わぬ力に三歩程後ろによろめいてしまった妖夢。彼女は、芙蓉が右手に何かを集中させているのを見た。

 

「ま、ず」

 

 咄嗟に避けようにも態勢が崩れた今避ける手段は無い。

 芙蓉はその一撃を放つ瞬間でさえ何も言わなかった。右手を妖夢の腹部へと突き出す。

 

 ドンッッ!!!!

 

 荒れた里を轟音が駆け抜け、妖夢の体を衝撃が貫く。そのまま後方に居た鈴仙までもを衝撃が蝕み、悲鳴を上げる間も無く二人共吹き飛ばされた。そのまま瓦礫に体を傷付けられ、無視できない量の血を吐き出す。

 まだ意識はあるようだが、内臓に直接攻撃された二人はもう暫くは動くことができないだろう。

 

「……悪いことしちゃったねぇ」

 

 呻き声を耳に芙蓉は呟く。

 だが、まだあと一人居るのだ。わざわざ自分から来ていない、まだ賢明な、名も知らぬ標的が。

 早く倒しに行こう。それでここは終わり。他の倒すべき標的へと向かう。

 撫子と棗が傷跡を残し、芙蓉は更にその傷跡を抉っていく。

 これが、彼女達の悪として名を遺す方法。

 

「……これしか、選べなかったからねぇ」

 

 芙蓉はもうマミゾウや妖夢と鈴仙には目もくれない。瓦礫の上を、進み始める。

 

 ビキィッッ!!!! と硝子に亀裂が走る様な音がしたのはその直後のことだった。

 あまりにも響き過ぎたその音。驚き、ハッと顔を上げて周囲を確認した芙蓉の目に入ったのは、虚空に浮かぶ亀裂。

 

 そして、その亀裂は更に強引に破られる。その向こうに見えたのは幻想郷の人里と、そして二人の少女だった。

 

「おぉ、中々やるじゃん天狗。見直したよ。今度一杯どうだい?」

「一杯では済まないでしょうに……とは言え、成功でしょうかね?」

 

 茶髪に二本の大きな角を生やした小柄な少女と、黒髪に黒い翼を持つ高身長の少女。

 

 芙蓉はまだ名も知らぬ二人。

 伊吹萃香と射命丸文がそこには立っていた。

 


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