路地を走る。なるべく芙蓉に居場所が悟られないように、入り組んだ路地を奥へ奥へと進む。先回りされたら全てが瓦解するが、それを恐怖している余裕は無かった。段々と息が上がり、走る速度も遅くなってきた。
「鈴仙さん。少し、休みましょう。この調子で走っていても、いざ見付かった時には成す術無く負けてしまいますよ」
「そうだけど……そう、分かっているけど……!!」
「なら……」
「だけど、もしアイツが追い掛けてきていたら……今度こそ逃げ場は無いのよ!?」
「……そうですね」
妖夢はまだ何か言おうとしていたが、それ以上は口を開かなかった。先に比べて妙に冷静になった妖夢。対照的に鈴仙は芙蓉に怯え、冷静さを欠いている。決断を全て鈴仙に委ねるのは危ないと自覚しながらも、しかし無理に反対すれば混乱してしまうだろうと思ったのだ。鈴仙の言う通り、追い掛けてきている可能性も否めないのだから。
だが、見るからに鈴仙は限界だった。吐息の音が大きく、走りも少し乱れている。体力もそうだが、先ずは心を落ち着かせた方が良い。
そう思った矢先のことだった。
不意に、不自然な風が二人の髪を背後から揺らした。
「妖夢殿の言う通りじゃ。休む方が良いじゃて、一端止まらぬか」
その風の吹く先、風は纏まって煙となり、その煙の中から一匹の妖怪が姿を現す。
「マミゾウさん!?」
「おう、佐渡の二ツ岩じゃ」
二ツ岩マミゾウ。現れた彼女は未知を塞ぐように二人の前に立つ。
「まぁ、鈴仙とやら。彼奴には万全で挑んでも勝ち筋は薄い。それでも、体力は残しておかんと、抗うにも抗えんじゃて」
「でも……それなら」
「この世界に居る限り彼奴のテリトリーじゃ。逃げることよりも、如何に抗うことができる状態を保つか。この方がまだ望みがあるじゃろう」
「……あの、マミゾウさん。聞いても良いですか?」
何処か余裕さえ浮かべるマミゾウ。不自然とも思えるその余裕が妖夢にはどうにも分からなかった。今は落ち着いているとはいえ、妖夢には今余裕を浮かべる好きなんて無い。今この瞬間でさえ芙蓉の襲撃を受けてもおかしくないのに。
「もしかして、ですが……既に誰かしらが」
「あぁ、倒された。天人と付き添いの天女じゃよ。今は安全であろう場所に寝かせておる。何、傍には一人居るからちょっとは安心じゃて」
「そうですか。それで、マミゾウさんはこれからどうするつもりですか?」
「言わんでも分かるじゃろうて。儂とて幻想郷の一妖怪、このまま好き放題暴れさす訳にもいかんからな。過去にも無い様な一世一代の大玉砕に出向く所じゃ」
言うとマミゾウは高笑いした。
「大玉砕って……」
「勝てる見込み等ない。下手したらここで儂の生は潰えてしまうかもしれん」
「……どうすることもできない状況だけど、だけど、わざわざ負けると決めて行かなくても!!」
「その通りじゃよ。負けると分かって出向くのは馬鹿じゃ」
「なら!!」
「……正解等無い。否定すべき答えでも、肯定すべき答えでもない。分かってはくれぬか」
微笑みを浮かべたマミゾウは二人の肩を叩いた。
それが、今の彼女の全てを表している様な気がして。それだけで二人はもう何も言えなかった。
無理にでも勝つんだと思い込んだ所で窮地に立っていることに変わりはない。それは妖夢も鈴仙も分かっている。マミゾウはそれを受け入れているだけのことなのだ。
「彼奴は、芙蓉は何処に居る」
「正確な場所は分かりません。ですが、私達は先程この路地を行った向こうにて対峙しました」
「そうか。礼を言うぞい」
マミゾウはそう言うと、キセルを取り出しながら妖夢と鈴仙が来た道へと進んで行く。その背中を眺める二人。一歩も動けなかった。
やがて、その背中も見えなくなって暫くした頃、鈴仙がぽつりと呟いた。
「……なんで、教えたの?」
「……私には、硬い意志を阻むだけの勇気がありませんでした。中途半端な心意気で阻んでも、それは無礼の極みです」
「今そんなこと言える状況なの……?」
「……状況を考えたら首を横に振ったでしょう。意地でも生き残るべき時なのでしょう。私とて、マミゾウさんを戦場に送ったまま見て見ぬ振りをするつもりはありません」
妖夢は鈴仙と向き合う。その瞳に闘志を燃やし、静かに決意を固めて。
まだ動揺を隠せない鈴仙はそんな妖夢を見て口元を震わせた。その彼女の手を取り、妖夢は両手で包み込む。
それは少しだけ冷たい、優しい手だった。
「……鈴仙さん。貴方は、今晩一緒にご飯を食べようと誘ってくれましたよね」
「え、えぇ……」
「その約束は必ず守ります。ですが今は、一人の剣士の我が儘をどうか許していただけないでしょうか」
真っ直ぐ、妖夢は鈴仙を見詰める。
中途半端な答えなど要らないと言わんばかりに、ただじっと見詰める。
だからこそ、鈴仙は諦めた。
「しょうがないわね」
足が震える。包まれた手が汗ばむ。怖い。
けれど、鈴仙は笑った。
「妖夢一人じゃ心許ないでしょ。私が居たら大丈夫。絶対にね」
強がりだ。強がりなのに、妖夢は笑ってくれた。
こんなことはもう最後にしよう。無理なら無理という勇気を持とう。
そう誓って、鈴仙は妖夢と共にマミゾウの後を追う。