東方覚深記   作:大豆御飯

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第八章六話 猛威の終末

 口元から血が垂れる。それを妹紅は手の甲で拭った。汗で湿ってきた髪を揺らし、段々と動きが鈍くなってきた異形を見据える。

 向こうの消耗も、輝夜を含めたこちらの消耗も激しい。肩で息をする輝夜を横に見て、妹紅は薄らと笑った。

 

「……まだ、お互い、肩で息をする程度しか消耗していないみたいね」

「あら、妹紅はもうかなり怪我をしているみたいだけど。邪魔だから下がっていて構わないわよ」

「輝夜こそ、だよ。下がったら?」

「生憎、貴方に負けたくないの」

「こっちもだ」

 

 異形がギチギチと蠢く。嫌悪すら感じるその異様な挙動、輝夜は僅かに顔を顰めた。

 

「これ、どうやったら動かなくなるの?」

「あの上の冥界の主を切り離せばよいのではないかしら」

「うわめんどくさい」

「どちらにしても、やるしかないでしょう。どうせ逃げられないし」

「……囮、頼んで良い?」

「こちらの台詞よ」

 

 そんな輝夜の返答を聞かず、妹紅は我先にと異形へと突撃する。どちらが囮よ、と溜め息を吐きながらも輝夜は弾幕を展開する。妹紅と言う脅威を更に上から隠す様な圧倒的火力を、異形へと仕向ける。

 

 異形が大呂の触手を横に薙いだ。それだけで弾幕は霧散し、隠したはずの妹紅が露わになる。その筈だった。

 

 既にその姿は何処にもない。足跡を残し、その影だけが消えている。

 

「こっちだボンクラ!!」

 

 ボンッ!!!! と異形が薙いだ触手の先端が爆発した。炎の翼を携えた妹紅が更に触手を蹴り、一気に幽々子の元へと突進する。

 異形に防ぐ術はない。異形に取り込まれた幽々子が妹紅を睨むが、それがせめてもの行動だった。

 

「焼き切れろ……ッ!!」

 

 幽々子が囚われるその根元に妹紅の蹴りが炸裂した。爆炎が空気を叩き、妹紅自身までもが吹き飛ばされる。けれど、異形の被害は甚大で、悲痛な叫び声を上げてのたうち回った。

 その巨体が跳ねる度、地面が不自然に揺れる。これだけ燃やしてもまだここまで暴れるのかと妹紅は辟易しながらも炎の中を凝視する。幽々子は亡霊であるから、燃え死ぬなんてことはないと思うが、それでも若干心配になった。恐る恐る、近付いてみるがその影はぐったりとしていて動く気配がない。

 

(……流石にやり過ぎたか?)

 

 下からこちらを見上げる輝夜にその場で待つよう促し、改めて幽々子を凝視する。動かないのであれば引っこ抜けるか。そんなことを気軽に思い、また更に近付いた。その時。

 

 ぐじゅ、と幽々子がズレた。

 

「え?」

 

 幽々子を支えていた場所が熱で溶けているのか、ぐったりとした幽々子の体は地面に引っ張られる様に下へ下へと滑り落ちる。マズいと思って幽々子が完全に落下を始める前に妹紅はその下で待ち構えた。しっかり受け止められるようにと見上げ、両手を上に伸ばす。

 

 その手の間から、幽々子と目が合った。

 

「ぐ、ごぁ……!?」

 

 再び、襲ってきたのはあの心臓を握り潰される感覚。思わず両手で心臓を押さえ、浮遊くる力さえ途切れた妹紅の体は地面へと吸い込まれていく。その中途、突然伸びてきた無数の触手が彼女の全身に巻き付き、束縛して一気に締め上げた。

 

「妹紅ッ!?」

 

 輝夜の声に答える余裕もない。胸の辺りからはバキバキと異音が響き、呼吸すらもまともに行えない。手足を動かす等まず無理で、寧ろ骨に過剰な負荷がかかり激痛を生み出す。

 

(だ、だめだ……まったく、う、動け、ない……)

 

 喉の奥底から絞り出される様に血を吐き出した。痛いとか、苦しいとか、そういう感情さえも薄れる程の激痛。どの骨が折れたとか、そんな判断すらままならない。地獄のような苦しみの中、妹紅は出せる限りの大声で絶叫した。

 

「さっさと……離しなさいッ!!」

 

 黒色にも近い意識の最中、そんな叫び声が聞こえた。直後、ふと全身を締め付ける力が消えた。あぁ、触手が何かで切れたんだなと理解したのは、誰かに受け止められた暫く後のこと。

 

「何が待っていろよ。油断の塊なんだから」

 

 そんな優しい声が声の主は、血塗れの妹紅を見てふと微笑んだ。嘲笑には程遠い、子供を慰める母親の様な温かさで。

 蓬莱山輝夜は抱いた妹紅をそっと地面に寝かせる。虫の息の妹紅の手を握り、大丈夫だと諭す。頭上では奇妙な音を上げて触手が再生しているが、完全に再生しきる前に倒せば良いのだから。

 

「ねぇ、妹紅」

「な、に……?」

「ちょっと厳しい現実を叩き付けることになるかもしれないけれど、ごめんなさいね」

 

 碌に動けない妹紅は小さく疑問の声を上げた。

 

 その直後。

 

輝夜は振り返り、異形と向き合う。静かに右手を向け、妹紅にも聞き取れない小さな声で何かを呟いた。

 直後、輝夜が右手から放った光線が、幽々子を辛うじて異形に留めるその根元を容赦なく焼き切った。

 

「え?」

「……もう、貴方と対等では、居られなくなるかもしれないけれどね」

 

 妹紅の目の前で、異形の動きがピタリと止まった。

 その異形の体躯の中心を、輝夜の光線が再度貫く。

 それはあまりにも呆気なくて、同時に終わったという安堵が生まれて。何故かしら、妹紅の目元に涙が浮かんだ。

 

「……全力を出せば、この程度なの」

 

その声は、今までに聞いたどんな声よりも寂しく聞こえた。

 異形がボロボロと崩れていく。最初から、妹紅なんて要らなかったかのように。

 崩れていく。

 崩れてしまう。

 


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