東方覚深記   作:大豆御飯

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第七章八話A 敵

 地面に飲み込まれたはずの萃香は、自力でその中から脱出し、泥だらけになりながらも地上に這い上がってきた。

 その瞳にあるのは憤怒。

 明確に、撫子に向けて怒りを表し、両の拳を握って強く睨み付ける。

 

「……何が嘘よ。私は嘘なんて何も言っていない。ただ生まれ、悪と化したまま悪として小さな世界の中で死ぬ。望まずして定められた運命よ」

「最初から悪でもないくせに、自分に嘘を吐くのを止めろと言っているの。アンタが悪だと誰が決めた訳でもなく、私はアンタほどの善人をそうそう知らない」

 

 妖夢と鈴仙には目もくれず、萃香は一歩一歩撫子の元に歩いて行く。

 

「まぁ、それでも敵として、だけどね。だけど、敵になるにはアンタは優しかった。闇より光を好んでいた」

「何が、言いたいのよ」

「アンタは、爪痕を残しながらも、それでも自分が倒されることを望んでいる。私には、そう見える」

 

 撫子の動きが止まった。何か言おうと口を開いても、そこから出るのは荒い息と鮮血ばかり。

 それはもう、強大過ぎる敵の姿ではなく、一人の孤独な少女だった。

 萃香が言ったことは決して難しい話ではない。あくまでも萃香が見て、撫子がどんな存在なのかを言っただけだ。

 それなのに、それは彼女の動きを封じるに足る力を持っていた。

 

「そんなこと、ないわよ……」

「そう思うのならそれで良い。でも私は嘘が大っ嫌いだ」

「私は、倒されたいんじゃないの。倒されないと……他の全てのものに、倒されるべき存在なのよ」

 

 少女はわなわなと震え始めた。

 固い殻がうっすらと剥がれ、中の柔らかく脆い本質が姿形を表し始めた。

 

「いつだって、そうだったもの……私は、いつだってそうだった。チャンバラだってそう、戦いごっこはいつも敵役。ゲームだって、私は皆の敵だった……だから、だから……」

 

 少女は肩を震わせながら叫んだ。それと同時にまた新たな鮮血が口から溢れる。服はもはや元の色が何であったかもわからなくなるほど黒い赤に染まり、その赤が広がる程に少女の軸がぶれていく。

 

「敵は、倒されないといけない。だから、正義の味方には生きてもらわないといけないのよ……」

「……では、私の首の骨を直ぐに折らなかったのも、私を絞殺さなかったのも、全て……」

 

 妖夢が震える声で聞いた。

 撫子は、首を振らなかった。それが肯定を表し、妖夢はどうしようもない悔しさを覚える。

 そしてそれは、鈴仙も同じだった。

 

 二人では、撫子には敵わない。

 彼女の肯定は、それを意味しているのだから。

 

「正義の味方は負けない。でないと正義ではない。私もまた、正義ではない」

「違うと言ったら、どうするのですか」

「違わないと言い返す。そして、倒されるべくして、貴方達の前に私は立つ。こんな惨めな姿になったとしても、それでも私は倒されるべき敵として、貴方達の前に立ち塞がる」

「……分かったわよ」

 

 鈴仙は一歩前に出た。それに妖夢も続き、萃香はそれを見てニヤリと笑った。

 

 本当の敵は目の前の少女ではない。少女をここまで追い込んだ何かだ。

 それが何かなんて知る由もないけれど、もう彼女を苦しみから解放しなければならない。

 

 撫子は、そんな三人を見て、笑った。

 この中で最も彼女と会い見えた妖夢は、それが彼女が見せる初めての心からの笑顔だと悟った。

 

「行きましょうか」

 

 妖夢は駆け出した。

 これが、撫子との最後の戦いだと、分かっていた。

 

 技の名前など要らない。そんなもので飾って良い戦いではない。

 勝敗なんて既に目に見えている。

 結末なんて、考えなくても分かっている。

 

 追い詰められ、一つのことしか考えられなくなってしまった哀れな少女を、この美しい世界から解放してあげるのが、今すべきことなのだ。

 

 数え切れない白い腕が三人を襲う。

 萃香は表情を真面目なそれに変えると、即座に巨大化した。襲い掛かる無数の腕の殆どを受け止め、へし折っていく。

 それでも萃香が漏らした腕は鈴仙が精密に狙撃していった。既に脆くなっているからだろう、一発でも当たった腕はその部分から破壊の波を広げ、腕一本丸ごと粉砕されていく。

 

「妖夢ッ!!」

「分かっています!!」

 

 ダンッ!!

 妖夢の細い足が大地を力強く蹴る。標的は言うまでもなく撫子で、白楼剣を収めた妖夢は楼観剣を両手に持ち、らしくない雄叫びを上げて突っ込んでいく。

 

 白い腕は限りがない。崩壊しては生成され、萃香と鈴仙の隙を抜けて妖夢を狙う。

 

(関係ない……!!)

 

 それはもう、何度も経験した攻撃だ。

 何度も見てきた筈だ。

 今更恐れるものではない。

 

「そこを……退けろ……ッ!!」

 

 真正面から狙ってきた白い腕を叩き割る。

 できたのは、撫子への一本道。

 

 躊躇は捨てた。迷いは飲み込んだ。

 

 何故だか優しい笑みを浮かべる撫子に向け、妖夢は楼観剣を強く握り締めて突っ込む。

 

「……貴方とはいつか、ゆっくりと話をしたい」

 

 距離が縮まる程、様々な思いが交錯する。

 

 これで、この私の戦いは終わりだ。

 

 妖夢だけではない。撫子もまた、今まで生きてきた短い人生の思い出を、一つ一つ鮮明に思い浮かべていた。

 

 まだ幼い日、棗と戯れた無機質な部屋の中のこと。

 真実を知り、初めて見た澄み渡った青空のこと。

 初めて感じた、太陽の暖かさ。

 広く、果ての無い世界。

 寂しさ。

 孤独。

 

 そして、この心地良い温もり。

 理解された、感謝を。

 

「ありがとう」

 

 撫子は言った。

 距離は零。

 

 楼観剣が、横薙ぎに振るわれた。

 


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