東方覚深記   作:大豆御飯

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第十章十話 空間の支配者

 芙蓉はエリカが十分な距離を取ったことを確認した。だが、その不安そうな声に耳を傾けたりはしない。既に決まっている覚悟を、もうこれ以上揺らがせはしない。これで終わらせる。今度こそ、生きたまま死ぬ。生きた、ここに居た、その証拠を世界に叩き付けて、正義を讃えて、死ぬ。

 自分が見て、渇望した世界は正しいのだと強引に肯定して、必要悪として消える。

 そうだ。もう、この世界で生きるという願望を押し殺して。

 

 世界が震えた。

 

 地面に、虚空に、黒い空に亀裂が走り、形容のしようがない禍々しい色の光が差し込む。

 同時に芙蓉は胸を抑え、大量の血を吐き出す。地面に血が滲み込み、倒れそうになりながらも芙蓉は加奈子等を見据える。手の甲で口元を拭い、血が混ざった唾を吐き出す。

 

「白夜『常住の終焉は理想郷の光より』」

 

 その光は纏まり、光線へと変化して無尽蔵に世界の中へと放たれる。それは悲劇と安寧を齎す終極の光。

 貫かれた時の運命等、考えたくもない。

 

 それが、加奈子等の全力を出させた。

 

 人を遥かに超越した三人は、予測不能の光線の雨を寸前で躱す。時に生み出した木柱を盾に、時に地面に転がっていた木の板を盾に、ありとあらゆる手段を駆使して回避する。

 

 だが、避け続けるだけでは意味が無いこともまた事実。

 神子は宝剣を握り直すと、地面を強く踏み込んだ。目の前から放たれた光線を跳んで回避し、全神経を研ぎ澄ます。本丸さえ止めてしまえば、この光線の嵐も収まるはずなのだ。

 

 芙蓉もただ眺めているだけではない。急接近してくる神子を見て、咄嗟に地面の砂利を蹴り上げる。

 大量に蹴り上げられた訳ではない。けれど、剣で切ることもできない目暗ましは神子の動きを制限する。光線に神経を集中させていた神子は、その突然の目暗ましに対処できず、宙を舞う砂利の中に顔から突っ込んでいった。

 

(しまった……!!)

 

 既に遅い。反射的に固く閉じた瞼は言うことを聞かず、取り残された聴覚が全方位からの射出音を捉える。

 避けられない。それでも咄嗟に体を縮こませて、光線の直撃を避けようとする。

 

 そんな神子の体が誰かの手によって強引に引き寄せられる。

 

「絶対に動かないでください!!」

 

 聞こえてきたのは華扇の叫び声。神子を抱きかかえた華扇は強引に横に飛んで光線の密集する場所を抜ける。同時に右手を背中に隠し、距離を無視したその拳で芙蓉を直接狙う。

 

 捉えた。芙蓉の左頬に食い込んだ拳を全力で振り抜き、殴り飛ばす。頭を大きく揺さぶられた芙蓉は地面を転がり、暫く呻いた。

 光線が霞む。

 華扇は神子を離し、同時に加奈子へと視線を送ると、二人は頷いた。

 

「龍符『ドラゴンズグロウル』」

 

 宣言した華扇はよろめきながらも立ち上がる芙蓉へと一気に接近する。彼女とて仙人、人を遥かに超えた速度の接近は容易。完全に隙を突かれた芙蓉には、今度こそ成す術が無い。

 

 ゴッ!! と鈍い殴打の音が炸裂する。

 

 振り上げられた拳、そして打ち出された青い光弾に打たれた芙蓉の体は棒のように無抵抗なまま宙に舞う。

 

「御柱『ライジングオンバシラ』」

 

 加奈子の追撃も無慈悲だった。無数に生み出された木柱が下から突き上げる様に芙蓉の体を狙う。既に態勢の整っていない芙蓉にとって、それは正真正銘の必殺技。空中で錐揉みしている今、正確にその位置を把握することすら難しいのだから。

 

 だから、選択を躊躇わなかった。眩む頭を抑えながら、早口で呟く。

 

「極夜『天地創造は崩落の闇に通ず』」

 

 それだけで、

 無数の木柱が全て、一瞬で粉砕された。

 

 それだけに留まらない。数多に刻まれていた空間の亀裂にそって、空間そのものがずれていく。嘘でも何でもなく、目に見える景色が断層のようにずれていく。華扇は驚愕し、理解が遅れて動きが止まってしまう。

 

「おいバカ!! とっとと逃げろ!!」

 

 加奈子が叫び、華扇はハッと我に返る。だが、その時にはずれる空間が華扇の腹部を貫いた。

 体が引き裂かれたりしたわけではない。華扇の体が空間と同じ様にずれて見えた訳でもない。

 

 華扇はガクガクと体を震わせながら加奈子と目を合わせた。両目は大きく見開かれ、半開きになった口元から涎が滴る。

 

 視界の隅で、着地した芙蓉が右手を握った。

 

「先ずは一人」

 

 呟く。その瞬間、華扇が大量の血を吐き出し、膝から崩れ落ちた。僅かに上下する胸でまだ息があることは確認できるけれど、そこには人形のように生気を感じられない。最早骸と言っても、誰も疑問を浮かべないだろう。

 

「安心してよぉ。元の世界に変えれば、元に戻るからさぁ」

 

 ゆらり立ち上がった芙蓉は相変わらず頭を抑えたままそう言う。

 ただ、その状態が、加奈子にはどうにも不気味に思えてしまった。

 

 異常だ。分かり切っていた事実を真正面から叩き付けられる。

 

 芙蓉は最早華扇に興味が無く、右手を開きながら一歩近付いてくる。

 

「忘れられた様子なのは心外だな」

 

 ダンッ!! と地面を強く蹴り、加奈子と芙蓉の間に神子が割り込んだ。芙蓉は僅かに顔をしかめたが、すぐに笑みを浮かべてスッと右手を前に伸ばす。すると、新たな亀裂が周囲一帯に走り、瞬く間にそれらが全てずれる。

 

「残念だが、内容が分かってしまえば対処は随分と容易になるのだよ」

 

 だが、加奈子と神子の周りだけは何の変化も起こらなかった。ただ神子は不敵な笑みを浮かべ、芙蓉は表情を曇らせる。

 神子が作ったのは全く新しい空間。芙蓉の干渉の外にある空間を強引に生み出し、亀裂から生まれるずれを強引に打ち消したのだ。

 

「……そうは言っても、その中に居ないと結局意味ないんじゃないのぉ?」

「……まぁ、その通り。ここから弾幕を張れても、貴方にはさして効果も無いでしょうよ」

 

 芙蓉は僅かに余裕を見せた。しかし、神子の笑みは消えなかった。

 

「目に見えた障害。攻撃の内容は一人の犠牲で確認済み。人間ならまだしも、妖怪や人外ともなると、そんな攻撃にはもう特に恐れたりはしないだろう。まして、その主たる貴方が見ているのは、紛れもなく私と加奈子の二人だ」

「つまり何が言いたいのぉ?」

「言うまでもないでしょう?」

 

 神子の声に合わせるように加奈子が右手を突き出した。身構える芙蓉だったが、何かが起きた訳ではない。

 生まれたのは静寂。黒一色の世界の下、瓦礫だらけの荒れた光景だけが広がる。

 

「……え?」

 

 気付いた。

 世界から一切の亀裂が消えている。

 風景のずれも、何もかもが消えている。

 

「そうさ。貴方が戦っていたのは、何も私達三人だけではない」

 

 漸く気付いた。

 

 神子と加奈子を挟んだ向こうに眼鏡を光らせる狸の妖怪。

 そうだ。この亀裂の消失は幻覚か。

 華扇と同じ様に、あの狸の妖怪を倒すことはできる。空間の亀裂を走らせろ、ずらせ、内側から崩すのだ。

 突破口を見付けた芙蓉は縋りつくようにその手段を選ぶ。

 

 それを嘲笑う様に、視界が赤に染まった。

 

 ただでさえ揺れていた頭が、致命的に揺らぐ。平衡感覚が、感触が薄れた。

 

 辛うじて見えたのは、紅い瞳の兎の妖怪。

 

 そして、拳を握って突っ込んでくる、あの紫色の髪の黒い人影だった。

 


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