ディルムッド・オディナは絶世の美男子である。
緑がかった黒髪に、琥珀の瞳、百八十センチを超える長身、そしてなにより、彼にとっては忌むべきものであるが右目の泣き黒子が実に魅力的な「魔貌」のディルムッド。
彼は忠義に生きる男である。
生前の彼は愛に走り忠義を貫けず、二度目の生は忠義を貫こうとしたが相互理解が及ばず、その望みは潰えた。
故に、今生の彼は今一度忠義を尽くせる主を求めていた。
シェスカ・ランブール。
諸々の事情があり、異界にて生を受けた彼女を主とし、その身をいかなる障害からも守り通す。その誓いを胸に出会った彼女は、その言葉を受け入れ、魔貌に惑わされることなく彼の望む限りの主従関係を築き上げた。
彼女は彼を信頼し、彼は彼女の信頼に応えた。
そこにあるのは純然で清廉な主従の信頼関係。双方がそれぞれを理解し、その忠義を捧げ、その忠義に応える主と騎士の、まことの姿。
そこには、信頼関係以外の何物もなく、まして男女の色恋などまったくといっていいほどに含有されてはいない。
しかし、彼は「魔貌」の英雄であり、その能力を抑制し制御するすべをもたなかった。
彼の魔法の黒子は「相手に見られる」ことで発動する受動的なものであり、そこに彼の意思は一ミリたりとも含まれてはいない。
「…ああ、運命の人…」
貸本屋、嫉妬を受ける
「……店長、なんか気合の入った凄いの来ましたよ」
「……何?」
朝、貸本屋「百万図書」の郵便受けを確認するのは住み込みアルバイトのムーディの仕事だ。というか、この店で一番仕事量の多いのは彼だ。だいたいのことは彼に任されている。主に雑用とか何でも係りといった感じで。
ムーディは実に気味悪そうに顔を歪め、手狭のダイニングに顔を出した。珍しく朝から起きていた店主シェスカは、朝から不景気そうなアルバイトの顔に見てため息をついた。これだから珍妙なことをするものではない。
ムーディの手には、朝刊と幾らかのDM、そしてはがきが一枚。
それを、若干ためらった後シェスカに手渡す。
キッチンで珈琲を淹れていたディルムッドも、盆を手に近寄ってくる。シェスカははがきの内容に目を向け、シニカルに口の端を歪めた。
ディルムッドが目の前に置いたマグカップを手に取ると、興味をなくしたようにはがきをテーブルに放り投げる。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
「…なんです、これは」
ディルムッドははがきを手に取ると不快そうに眉根を寄せた。
「さあ、不幸の手紙とかじゃない?幼稚だなぁ」
宛てられた本人は珈琲に口をつけ、器用に肩を竦める。本当に興味がないようだ。
「ええ~気持ち悪くないですか?なんか執念感じません、この字」
「いや別に興味ないし。というかよくこんなびっしり書くよね。時間の無駄、労力の無駄、非生産的…そんな時間あるなら本の一冊でも読むね」
「いや、それ店長だけですから」
あまりのシェスカの無関心ぶりに、ムーディは幾分か気分が落ち着いたようだ。しっかり突っ込みを入れてくる。流石に荒事にある程度慣れた彼でも、朝から気味の悪い手紙を読めば気も滅入る。
「何者でしょう、シェスカ様にこのような…」
「さあ、筆跡からして女みたいだけど?心当たりなんていくらでも考え付くから困るよね」
そういって意味ありげに従者に目配せすると、その瞬間に彼は顔を歪ませた。苛めるのはあまりよくないな、と反省する。
「…えーっと…なんと言えばいいやら…」
「君の気にすることはないよ、別に珍しくもないし」
「そうですけど…」
そう、「百万図書」ではこういった出来事が頻繁に起こる。
それはだいたいが一方通行で、一方的な好意と、勘違いの敵愾心によるものだ。
シェスカはあまり気にはしないが、彼女は大変魅力的な女性である。
地味な色彩ではあるが、癖のある茶髪はゆるく波打って肩をすべり、ふわりと広がる様は豪奢に見え、そこにリボンのひとつでも結べば華やぐ。顔の造形もどちらかといえばきつめの美形。基本的に無表情なのでミステリアスに見え、ちょっと他人の目を引く。
そしてなにより、世の男性陣が目を向けるのが、女性の象徴である二つの頂。
動くと重量を感じさせるそれが揺れる揺れる。ちなみに、ムーディはそれに視線の行かない男は紳士という名の変態か幼児趣味か不能だろう、と思っている。だってあのルシルフルさんだってたまに見てるもん。
そんな彼女だが実態は重度の書痴。その魅力も底辺である。
しかし実態を知らない者から見れば、果たしてそのように魅力的な女性が、ひとつ屋根の下、絶世の美男子と一緒に住んでいたら…。本人達にその気がなくとも、勘違いを起こすのは寧ろ仕方のないことかもしれない。
「ほっときなさい、時間の無駄よ。どうせこんなことするのは構ってちゃんなんだから」
「はぁ…まぁでも店長しばらく気をつけたほうが…」
「何に?私基本的に家からでないわよ?」
「……」
ムーディは半眼でシェスカを見た。悪びれる様子もなく、寧ろ堂々としている。そして思い直した。ああ、いつものことだ、と。
翌日。シェスカは今日はぐぅぐぅと私室で惰眠を貪っている。彼女が朝起きることは本当に稀だ。「あれ、珍しいですね」と同居人に言われるほどに。
そんな店主とは別に、この店で一番忙しいであろうムーディと、基本的に睡眠を必要としないディルムッドはいつもの時間に起きてきた。
「おはようございます、ディルムッドさん」
「ああ、おはよう」
ムーディは過去の出来事でディルムッドに苦手意識をもっているが、だからといって二人の仲が不和かというとそういうわけでもないので、彼らは普通に朝の挨拶をする。受肉したわけではなく、主の願いで実体化をしているディルムッドは、ムーディに気取られないように珈琲だけは淹れて付き合っている。受肉したいか?と過去に聞かれたことがあるが、彼はそれを断った。霊体化できたほうが、何かと便利がいいからだ。ムーディがいつものように郵便受けに足を向けている間、サイフォンで珈琲を淹れる。窓から差し込む陽の光に当たって琥珀の瞳が煌いた。ここに画家がいれば、筆をとって是非にと請うてでもキャンバスを取っただろう、まるで一枚の絵画のような風景。
「…ディ、ディルムッドさぁん」
なんとも情けない声で、その風景は瓦解した。
「これは…鳥か」
「ぐ、ぐちゃぐちゃですよぅ。グロイグロイ~」
郵便受けのある勝手口。そこになんとも怪しげな段ボール箱が置いてあった。ムーディは嫌な予感がしつつも好奇心に負け、それに手をかけた。
目に飛び込んできたのは、四肢を切断され羽をぐちゃぐちゃに混ぜっ返された、鳥の死骸。思わず小さく悲鳴を上げ、周辺を確認するとすぐにディルムッドの元へ走った。
ディルムッドは段ボール箱を持ち上げると、とりあえず勝手口の脇に寄せた。
「わぁ…俺わりと暴力沙汰には慣れてますけど、グロイってか気持ち悪いってか…こういうのって精神的に来ますよね…何回遭遇しても慣れないなぁ」
「……誰か近くにいたか?」
「ええっと、一応確認したんですけど、人影らしいのはいませんでしたね」
ムーディも伊達に危険人物がちょくちょく涌いて出る貸本屋に勤めてはいない。暴力沙汰にも慣れているので、言いようのない気味悪さを覚えながらも、一応は周囲の確認を怠らない。この辺は慣れである。
「……埋めてくる」
「……はい。………店長には?」
「俺から伝えておこう」
ディルムッドは、哀れな鳥の死骸を冷たい目で見下ろした。
スコップを片手に、隣の空き地に移動する。
百万図書の周辺五十メートルは空き地であるので、埋める場所には困らない。
改めて段ボール箱を開くと、そこにはかわらず凄惨な姿を晒す死骸が収められている。それをじっと観察し、納得したのか微かに頷くと視線をスコップへと移した。
さくり。
地面を掘る。まるで柔らかな菓子に匙を通すかのように、それは滑らかに進む。
さくり。
さくり。さくり。
さくり。さくり。さくり。
周辺の野良に掘り起こされることのないだろう深さまで掘った墓穴に、鳥の死骸をそっと埋める。
「……一般人か」
呟くと、土を盛った。
「一般人と思われます」
「じゃあ危険度は低いかなぁ」
「だからといって危険視しないのもいかがなものかと」
「わかっているよ。真に恐ろしきは生きた人、ってね」
太陽が真上にくるころ起きだした店主に、今朝の出来事と考察を報告する。店主はあいも変わらずのんびりと珈琲を啜ったが、その目はすこしだけ煩わしそうである。
「生きた人間が残す生霊も、死んだ人間が残す残留思念も、この世界という補正なのか更にそこに「念」とか加わるから…面倒ね」
ディルムッドに念能力は備わっていない。彼にそれは必要ないし、彼は生きた人ではないので生命エネルギーというものが基本的にない。
故に、この「世界」でごく一部の限られた人間や、彼の主であるシェスカが身につけている「念能力」を視認する「凝」と呼ばれる技法は体得していない。しかし、一流の武人としての勘と、サーヴァントとしての補正から違和感に感づくことができる。
鳥の死骸を観察した限り、悪質な「念」が仕掛けられた形跡は見つからなかった。
「しばらく俺が様子を見たほうがいいのでは?」
「君がそうしたほうがいいと思うならそうしたらいい、まかせるよ。目的が私なら下手に動かないほうがいいでしょう?」
ディルムッドはその言葉に頭を下げると、一人店に残しているムーディの手伝いをしに足を向けた。
「彼も難儀だよねぇ、あの黒子…いや、黒子なくてもイケメンだからあんまりかわらないか」
「…今度は猫か…」
ディルムッドは眉根を寄せた。
次の日、彼はムーディの変わりに郵便受けを確認に行き、またもや不審な段ボール箱を発見した。
中身は、その対象を猫に変えただけの昨日と変わらない無残な死骸。
「…シェスカ様は猫がお好きなのだが…」
ディルムッドは思案した。
シェスカは動物の中で特に猫を可愛がっていた。幼少期、両親が健在の彼女に自由に本を読む時間は少なく、変わりに飼い猫を可愛がることでその病気のような読書欲を抑えていた。今では逆に可愛がる暇がないと飼育していないが、たまにふらりと現れる野良に餌を与え、その報酬として柔らかな肉球をぷにぷにしている。
「……埋めるか」
対象が変わったことは報告しない方針で。
「今度は、犬…どんどん大きくなっているな…」
さらに翌日。
今度は犬が入っていた。
ディルムッドはいい加減に飽きてきた。大変不謹慎だがそんなに暇でもないので(もし埋葬している間にたとえばこの犯人とか盗人が主に接触したり…と考えると…)いい加減にして欲しいというのが本音である。
かわいそうな死骸を量産する気力があるなら、直接言いにくればいい。勿論きたからといってシェスカに会わせるわけもなく警察に通報する気でいるが。別に彼自身が直接手を出してもいいのだが、犯人がまだ彼女自身に手を出していない以上、彼女は店舗での殺生を許していない。例外は、シェスカかムーディという非戦闘員に対して危害を加えようとしたかどうか。この時点では、まだ直接的ではないため警察にお願いする形になる。
「……埋めるか」
やはり対象が変わったことは報告しない方針で。
「……ええとぉ…あのぉ…こちら貸本屋『百万図書』ですが……あの…聞こえていま……ぁ切れた」
「なに、悪戯?」
「はい、どうも無言電話みたいですね」
番台のようになっている店員スペースに腰掛、本から視線もあげず、シェスカは問いかける。ムーディは面倒くさそうにため息をついた。
「暇じゃないんだから、用がないならかけるなよな!」
いささか棘の含む言い方であったが、それは仕様がない。彼の手には予約名簿の青いバインダー。その分厚さはバインダーの要領を越えそうである。彼はこれからこの予約名簿の貸し出しのあわせと、入荷の連絡を一人でしなければならないからだ。もちろんシェスカは手伝う気ゼロである。
「無言という用があったんじゃない?」
「寧ろ店長に用があったんじゃないですか?」
「まだ今回のアレの犯人と決まったわけじゃないじゃない」
「それとは別件の人の用事かもしれませんよ?最高何人にモテモテでしたっけ」
「うっさいバーカ、仕事しろ」
ゴッ、といい音。「か…角は酷い」とうめくアルバイトは無視である。横暴ここに極めり。
最高何人という話は、シェスカにとってもあまり思い出したくもない記憶だった。
「だいたいなんだその最高何股?みたいな言い方は。人を尻軽みたいにいうのではない」
「もののたとえじゃないですかー!」
それはまだ彼女の従者ディルムッドが天空闘技場を去ったばかりのころ、熱烈なファンは彼の所在を大枚はたいて購入し、その先に憧れの騎士が甲斐甲斐しく世話をするシェスカを見て殺意を抱いたのだ。その数は一人や二人の話ではない。流石に全貌が知れたときは顔が引きつった。ちょっとしたトラウマである。魔法の黒子半端ない。彼に目立つことをさせては駄目だ。シェスカは学習した。
ともかく、そんな荒波も超えてきた彼女にとっては今現在の嫌がらせはまだ軽口で対応できる可愛いレベルである。ただしアルバイトの気力は削られているが。
「もー…じゃあ、俺電話しますから、店長はディルムッドさんが来るまで店番してくださいね!」
「わかってるよ」
「わかってるなら本から目線あげてくださいよ、もー!」
りりりりりん。
現在ではアンティークとなりつつある店の黒電話が受信を告げる。
りりりりりん。
ムーディはすねた様な顔でシェスカを一瞥した後、受話器をとった。
「お電話ありがとうございます、貸本屋『百万図書』です」
『………』
「……もしもし?百万図書ですが」
『………』
「…」
またか、といった顔で受話器を握るムーディに、ちらりと視線をやると、こちらをやる気のない目で見返してきた。その視線に頷き返すと、彼はいい笑顔で「御用の方は出向いてきてください」と早口で告げ電話を乱暴に切った。
「あー、もう。あー、もう」
客商売の対応としてははっきりいってよろしくはないが、残念ながら百万図書の顧客は上客が多い。そして取り扱いの難しいレアな古書などを扱っていることから売り上げは高い。貸本屋というか書物媒体を扱う業界でもトップクラスなのだ。客でもない電話の対応ごときでは揺るがない。
「来てくれるといいですね、そしたら早く終わるのに」
主に、人生的な意味で。
「外の気配でも探りますか?それとも明け方に勝手口付近を見張りましょうか」
「このくらいで君が動く必要もないと思うけど?」
営業終了後、私室で相変わらず本を読みふけるシェスカの元へディルムッドが訪れた。内容は、ここ最近の不審者の対応だ。
過去にもうちょっとどぎついのを体験しているシェスカには、彼がわざわざ張り込みまでする必要はないのではないかと考える。被害はまだ小動物殺害で、実質精神的被害を受けているのはムーディだけだからだ。
「動物の死骸を悟らせずに勝手口に置くことが三回も可能で、なおかつその人物を誰も見たことがない、というのが問題です」
「なるほど、もしかしたら一般人というのは外れるかもしれないってこと?」
「フェイクか、デコイか、まだはっきりとはしませんが」
「まぁ、君のしたいようにしたらいいよ」
主人の許可がでた。
ディルムッドは軽く頭を下げて退出する。
不審物に念の気配がないからと一般人に決め付けたのは早計だったなと反省をしながら、私室として宛がわれた隣室に移動する。
三度も死骸を寄越し、その度に姿を見せない。
この手の人間は、どこかでこちらを伺っていることが多いが、その気配も薄い。もともとが「百万図書」に訪れる人間のうち半分があまり人様にいえないような背景をもっていたりと特殊な雰囲気をもつものが多いが、そういった手合いは、わかりずらいが独特の雰囲気をもつことが多い。今のところ接触はないように思える。
出会ったら出会ったで、あの手の人物はたいていその場で口頭弁論が開始される。
そのほとんどはシェスカに対するお門違いの恨み言と、一方的かつ的を得ない好意である。
自分自身の防ぎようもない体質の所為で主に迷惑をこうむっていることが、ディルムッドには耐え難い。早々に解決するべく、彼は愛槍を手にもった。
******
最初は鳥だった。次は猫にした。その次はもっと大きいものがいけるかもと思い犬にした。今度は何にしようか迷い、三番目の犬よりもっと大きい犬にした。あの女に似た茶色。ああ、鬱陶しい。ああ、煩わしい。運命の人にあんなに大事にされているなんておかしい。何もしていないじゃないか。ずっとこもっているじゃないか。ずっと本を読んでいるじゃないか。電話にも出ないじゃないか。あんな女、あんな阿婆擦れ、あんな売女!ふさわしくない。ふさわしくない!あんなに素敵な人にあんな×××はふさわしくない!はやく気付いてください、私の運命の人。気付いてくれたら私、貴方に『好きになってもらう』ことなんて簡単にできるんです!ああ、早く、早く!
「迷惑行為を即刻やめてもらおう」
ああ、ああ、ああああああああああああああああああ。運命の人!見つけてくれた。私を見つけてくれた。もうこんなものはいらない。こんな小汚い、あの女みたいな色の犬なんていらない。ああ、いらない?そうねいらないから、彼と私が結ばれたあと、あの女にはこれと同じようになってもらいましょう。そうしましょう。それがいいわ。素敵!とっても素敵!あなたのその槍で、あの女を惨たらしく殺して!私のために殺して!
『私の愛は貴方を縛る』
私の素敵な愛は、貴方の心を決して逃がさない!!ああ、私の運命の人っ!早く私をだきしめ……
「操作系とやらか…まったく忌々しい」
ああ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああ。どうして、どうして私を抱きしめてくれないの!?どうして私の『愛/念』が伝わらないの?!おかしい、おかしい、おかしい、私達は愛し合っているのに!あの女?あの女がいるから!?それが真実の愛だというの!?そんなのおかしい。そんなのありえない。
「私が貴方にふさわしいのよぉ!」
「……あの方を貶める貴様を許してはおけん」
ああ。
*******
「殺しちゃった?」
「いいえ、殺してはいませんが、軽く『お願い』しておきました。茫然としていましたから、もう来ないでしょう。自分の念能力に妙に自信もあるようでしたし」
「どんな能力だったのかな?」
「さあ、わかりません。自分の能力を喋るものもそうはいませんし、俺には基本的に効きませんので」
「神性とかマジチートだな」
「チートってなんですか?」
シェスカはもそもそと寝床から出てくると、待ち構えていたディルムッドから早朝に出会った不審者の報告を受けた。
操作系と思われる念能力保持者で、ディルムッドに惚れ込んでいるためストーカー化した女性。どうにも死骸ではなく、別の条件を満たすことで発動する念能力を保持していたようだ。残念ながら人の姿をした人ではないものであり、神性のある攻撃でしか傷つくことのないディルムッドには、たとえ強力な能力保持者でも相手にはならなかったが。
「そうかぁ、ディルムッドの『お願い』かぁ…まあもうこないことを祈るね」
『お願い』がどんなものであるか、深くは聞かない。なんだかあまりいい予感がしないのである。
「とはいえ、当分は店にでていただきます。ムーディと一緒の方が警護も効率がいいですし」
ムーディに店番をやらせて、対応できない相手にはディルムッドが間に入るようになっている。一緒の空間にいてもらうほうが、やりやすい。
盾として考えているとか、そんなことはない。きっとない。
「わかってるよ…」
ため息をつきつつ、店舗と家を繋ぐ扉を開ける。
本本本。
本本。
本。
いっせいに視界を覆う本の山。
『百万図書』は今日も本に塗れている。
「やあ、シェスカ」
「あらルシルフル」
番台に腰を下ろそうとする彼女に、常連が声をかける。ディルムッドの目が微かに険しさを増した。
「この前のルールブル、とても良かったよ。続きはあるの?」
「今のところあれしか確認してないわ、またあったらまわしてあげるわよ」
「楽しみにしてるよ」
そういって常連客、盗人ことクロロ・ルシルフルは微笑んだ。
さらりと流れる黒髪に、甘いマスクの童顔美形。
こういう男をストーカーしてくれたら楽だったのに、とシェスカは半眼になる。
「盗人…血の匂いがするぞ」
「あら」
クロロは困ったように眉を下げた。
ムーディにはどちらかというと「盗人」として認識されているクロロは、自身が「殺人」に対して何も感慨を抱かない人間だということを伏せている。そのほうが面倒がなくていいと思っているからだ。なんせ店の対応のほとんどは彼がやっている。クロロの職業を知られて距離を置かれると、とっても面倒。
故に、あまり血臭を纏うようなことをして店に来ることはないのだが、今日はディルムッドにすぐに看破されてしまった。
「ルシルフルさん、怪我ですか?」
お茶を入れに離れようとしたムーディが思わず足を止める。
「いや、なんでもないよ」
クロロはそういって笑う。
「ムーディ、お茶」
シェスカの一言に、ムーディは眉を下げて辞した。
「いや、さっきね。そこで女が刃物もってウロウロしてなんとも物騒なことを言っててさ。気付いてこっちに振りかざしてきたから、少し『お話』をしてたんだ」
「……ふぅん」
「もう…こないと思うよ」
「そう」
シェスカとディルムッドは同時にため息をついた。