百万大図書館   作:凸凹セカンド

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貸本屋、襲撃を受ける

 

 

 

 

 女は自室ですでに就寝していた。

 引っ越してきてすぐ、近くの家具屋で購入した足の短い寝台の上で、規則正しい寝息をたてている。

 部屋をくまなく覆うのは、異常と呼べるほどの本の山。壁にびちりと沿うようにして重ねられた本や、本棚に入りきらず溢れている本や、寝具の上にまで侵攻してきている本もある。その部屋の、一部のスペースを除き、本で溢れかえるそこは、書庫と呼ばれたほうがまだいささかに納得のできる有様だった。

 寝台で眠るのは、ある界隈では有名な女で、世界有数の大図書館ですら取り扱いのない書物を提供する「百万図書」という店の店主として知られている。

 世界中に存在するビブリオマニアたちから尊敬と畏怖と嫉妬を一身に受ける彼女は、しかしあまり世界の書痴達と知り合いではない。

 昔はネットワークをもとうとした時期もあったのだが、それは度重なる障害により白紙となった。

 彼女は、世界中の同じ趣味を持つものたちに命を狙われ、その財産を奪わようとすることがたびたびあったのだ。

 それを体験した彼女は、冷めた目で彼らを見、それ以降彼らとの連絡を絶った。

 唯一面倒くさそうな知人とはいまだに交流はあるが、それとて最初は非常に血なまぐさい関係だったのだ。これ以上厄介ごとは嫌だし、それに当てる時間があるのならその間本を読んでいたい。どこまでも本基準。

 

 それから、どんなにアプローチがあっても、答えてはいないのだが、一人、それに業を煮やした人物がいたらしい。

 

 それに気付いたのは、渦中の彼女ではなく、その護衛たる槍の騎士。

 

 ゆっくりと自分の愛槍を持ち立ち上がると、扉の手前で息を殺し、気配を探った。

 

 彼は、異世界にて英雄と、その名を挙げられる槍の名手、ディルムッド・オディナ。

 

 彼の主、シェスカ・ランブールを守る英霊と呼ばれる存在である。

 

 

 

 

 

 貸本屋、襲撃を受ける

 

 

 

 

 

 シルバ・ゾルディックは、その資料を手に取ると侵入経路さえ必要としない店舗の間取りや、ターゲットの顔を頭に叩き込んだ。

 店頭で客を対応しているのだろう所を隠し撮りしたものか、秀麗な顔をした青年が眉間に皺を寄せた姿の映る写真を手に取る。彼が今回の仕事で一番の障害だ。

 

 ディルムッド・オディナ。

 調べてみれば、数年前まで天空闘技場で猛威を振るっていた闘士ということがわかった。そのときの様子がネットに上がっていたが、それは蟻と巨象の戦闘だった。観客としてみる分には十分に満足のいく試合だろう。対戦相手が自分でなければ、の話だが。

 念能力の有無は確認されていない。彼の戦闘動画は百七十階でのものだ。二百階を越えるまで念能力者に遭遇しないこともままある。彼が念能力を保持しているにしろしていないにしろ、その階の闘士には念の補助など必要としなかったのだろう。彼の体さばきは、稀代の暗殺者たるシルバも納得しうるほどの勇猛さだったのだ。

 その百戦錬磨の闘士は、二百階に上がる前に惜しむ声をすべて切り捨てて、ある女とともにちいさな店舗を構えた。店の名は「百万図書」。店主の名はシェスカ・ランブール。今回のターゲットである。

 情報によれば、ディルムッドは彼女の世話を甲斐甲斐しくし、そして守護しているとのことだった。

 二百階の闘士でも、その登場を恐々として構えていた凄腕の闘士が、たかが貸本屋の店主の護衛とはどういうことなのだろうか。シルバは頭を傾げるが、それは彼の考えることではない。彼の仕事はあくまでこの店主を殺すことなのだ。

 

「面倒にならなければいいが」

 

 彼のシックスセンスがそう告げる。

 その結果は、後日彼の実体験として確認されることとなる。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

「百万図書」は小さな店だ。二十坪の店舗面積のうち、約七割が本、そして二割が通路、残りが店員のスペースになっている。店員の活動スペースの裏には直接併設されている住居に繋がっていて、細長いつくりになっている。

 シルバが侵入経路すら必要としないといったのは、直線だから、というわけだ。侵入するには、住居側の勝手口か、店舗側の入り口か、各部屋の窓しかない。シルバは、住居の外で円を展開する。その反応の中に、寝入った女性を発見すると、あたりをつけた。「百万図書」には、店主であるシェスカと、その護衛兼従業員のディルムッド、あとは住み込みアルバイトのムーディしかいない。女性は、滅多なことでなければ消去法でシェスカ本人となる。

 そっと気配を消して窓に近寄る。簡単な鉄格子は防犯のためだろうが、それは残念ながらシルバにはまったく障害にならない。ナイフよりも切れる爪で、撫でるようにそれを切ると、窓のうち鍵の周辺を円を描くように切り取る。小賢しく念を纏わせ室内に落ちたそれが音をたてないようにすると、するりと室内に入り込む。これでは暗殺者ではなくこそ泥だ、と胸中眉を顰めた。

 

 …足の踏み場もない。

 

 部屋に侵入して最初の感想がそれなのは、女性の部屋としてどうなのだろう。

 本本本。

 本本。

 本。

 本だらけだった。

 店舗も本だらけなら、私室も本だらけだった。

 なんでも店舗のほうはロフトの上にも本があり、さらに柱にも本がのっているとか。

 噂にたがわない書痴ぶりだった。

 

 静かな室内に、女の息遣いだけが響く。

 依頼主は、女の財産である本をすべて手に入れたいらしく、室内をできるだけ荒らさないようにという面倒な注文を受けている。この家の中には凄腕もいることだし、そうそうに仕事を終えようとターゲットへ体を向けた。

 

 ―――――――――――刹那。

 

 轟音とともに扉が破砕され鋭い切っ先が超速でもってシルバに肉薄する。

 かつてサーヴァントセイバーが保持していた強力なスキル直感がそなわっていたのではないかと、第三者が見れば感嘆の息をつくほど、ぎりぎりではあるが、英霊の槍を避けたシルバ。その槍が彼の後方の壁をまたも轟音を立てて突き破り、隣の空き地に小さなクレーターをつくった。ぶわりと、嫌な汗が噴出した。

 

 ゆらり、砂煙の向こうの影がゆらぐ。

 ゆらり、硬いブーツの先が細かな破片をつぶして室内に姿を現す。

 ゆらり、剣呑な光をたたえた双眸がけっしてそらされることなくシルバを捕らえる。

 

「……あ?」

 

 間抜けな声は細かな破片の降り積もった寝台から聞こえた。

 もぞり、と起き上がった女は、状況がわからずきょろきょろと暗い室内を見渡し、月明かりを背にした暗殺者の巨体と、入り口を作って侵入してきた信頼する騎士を見て、呆然とした。

 

「……主」

 

「ディルムッド、扉は出入りするためにあるんだよ?」

 

「…あ、はぁ。そう、ですね。申し訳ございません」

 

 どのような状況下でもマイペースな、毒気の抜かれる主の様子にどもる騎士。誰が彼を責められようか。寧ろ褒めるだろう。天然と付き合える人間は総じて気が長く、根は穏やかだ。そうに違いない。そうでないと可哀想だ。

 

 

 気を取り直した槍騎士は、気の抜ける会話をする主従を、しかし油断なく見据え、冷や汗をかきながらこちらを伺う侵入者に怒気をはらんだ視線を向けた。

 

 

 

 

 

 ***************

 

 

 

 

 男の手の中に納まる本は、かの、と慣用句のついてもおかしくない、ところによってはとても有名な「百万図書」でもまだ取り扱いのない書物だった。

 いや、もしかしたならば、と男は考える。

 あの女店主の私物としてなら蔵書されている可能性は極めて高い。ただ、まだ店頭に置いていないという可能性も否定できない。あの店主は働かないので、アルバイトが時間に追われながら作業をしていることがままある。あの店員が、店主から預かってはいてもまだ店頭に並べていないだけ、という可能性。

 ありうるな、と手に入れた後になってそれに思い至り、笑みをこぼす。

 といっても、これは欲しかったので別にそれ自体はよかった。

 あの店には確かに目を見張るほどレアな本が所狭しと並んでいるが、所詮それは貸本で、手に入れられるものではない。

 

「まあ、盗賊だしな」

 

 欲しいものは欲しい。だから奪ってでも手に入れる。それが男の基本スタンスで、仲間たちにも言えることだった。

 

「団長、こいつ殺さないんです?」

 

 かわいらしい容姿の、眼鏡をかけた女が、団長と男を呼ぶ。

 男はそこで、ようやく本から視線を寄越した。

 

 女の足元には、失禁で股間をぬらしている世界的にも有名なビブリオマニアの男が一人転がっている。意識はまだある、外傷も見当たらない。

 

「ああ、まだコレクションを見終わってないからな。この部屋だけじゃなく、違法に手に入れたものを置いてるところもあるんだろう?そこを案内してもらおうか」

 

 まだ、と団長は残酷に告げる。男は恐怖に震えをとめることができなかった。唇が戦慄き、目から涙がとめどなく溢れてくる。

 

「大の大人が情けねぇなあ」

 

 別の、目つきの鋭い金髪の大男がため息をつく。盗みに参加はしたものの、まったくつまらない警備体制にあくびをかみ殺している。酷く退屈そうだった。

 

「早くたって案内してよ」

 

 眼鏡の女が男をせっつく、その際「早くしないと殺しちゃうよ」となんでもないように口にされ男は慌てて起き上がり、自分の尿で滑って近くの机に崩れ落ちた。

 

「あーあー」

 

 誰ともなく呆れたような声が漏れる。

 男がうめき声を上げて起き上がると、机の上にあった書類がひらりと悪戯に舞い、団長の足元に落ちる。

 そこには、誰かのプロフィールが載っていた。

 より正確にいえば、誰かの身辺調査の報告書。

 

 団長は気まぐれにそれを見下ろし、次いで形眉を器用に跳ね上げると、その書類をかがんで手にとった。

 

「団長、どうかしました?なんか気になるものでもあったんです?」

 

 眼鏡の女が、団長の動きに首を傾げる。

 それを見た男は、何かに気付いたのか、立ち上がるように言われていたにもかかわらず、その場で正座をし、頭を深々と下げた。ジャポンで言う土下座である。

 

「た、頼む見逃してくれ!!もう少ししたら、ゾルディックがそいつを殺してくる。いや、もう殺してるかもしれない!わかるだろ!?あんたもその本の価値がわかるなら知ってるだろ!?そいつの―――――――その女の持ってる蔵書の価値を知ってるだろ!!それを譲るから!見逃してくれっっっ!!!!」

 

 数泊の沈黙の後、土下座している男は、何の反応もない団長に恐々としながらゆっくり視線を上げた。

 

 団長は笑っていた。

 それはそれは愉快そうに笑っていた。

 愉悦をこらえきれず、それは雰囲気にも感じ取れるほどだった。

 仲間だけではなく、男にもわかるほどのご機嫌さだった。

 

 男は、希望の光を見た気がした。

 

 

 

 

 

 ************

 

 

 

 

 ディルムッド・オディナの不機嫌さはとどまるところを知らないほどで、彼との付き合いの長いシェスカはその様子に人知れずため息をついた。

 

 ちらりと視線を寄越せば、ムーディがびくびくと怯えながら仕事をしている。あれでははかどらないだろう。

 

「…ねぇディルムッド」

 

「はい、シェスカ様」

 

「ちょっとそのぴりぴりするのやめないかい?客も逃げるムーディも逃げる」

 

「……あそこでムーディが起きてこなければ、あの侵入者を取り逃がすこともありませんでした」

 

 その台詞が聞こえたのか、ムーディが「ひぃ」と小さな悲鳴を上げる。シェスカは、子供のように不機嫌な面を隠しもしない従者に内心苦笑した。

 

「あの音で起きてこないほうがどうかしていると思うけどね、一般的に。いいじゃないか、あれから音沙汰ないし」

 

「まだ二日です。二日のうちに準備を整えているのかもしれません。俺が離れた隙に主に何かあってからでは遅いのです」

 

 そういわれてしまうと、シェスカは黙るしかない。彼は彼女を守るのに必死になってくれているのだ。いくら能天気というか、本以外に興味をいだかないシェスカでも、そのくらいは配慮できる。彼女とて死にたくはない。

 

 あの夜、侵入者の男と守護騎士との間でまさに戦いの火蓋が切って下ろされよとした瞬間。轟音を聞いて慌てて駆けつけたムーディに、侵入者は念を放った。それに気付いたディルムッドはムーディを庇ったが、時すでに遅く、侵入者はその隙に逃亡していた。シェスカに手を出そうとすれば、自分が逃げる時間がないと悟ったのだろう、潔い逃亡だった。自身と相手の実力を測れる、腕の立つ侵入者。

 ディルムッドが警戒しないわけがない。

 

「あの人って強かったのかい?」

 

「おそらく、盗人と同等ほどでしょうか」

 

「ああ、だから警戒してるのか」

 

「主が一人では決して立ち向かってはならない相手です」

 

 立ち向かわないよ…シェスカは自分の実力を重々承知しているのでため息をつくように呟いた。

 ディルムッドは規格外で、既存の人間ではまず倒すことの不可能な相手だ。だからこそ、安心して命を預けている。

 だが、シェスカは念を覚えているというだけで一般人に毛の生えた程度の人間だ。人類としては規格外と呼んでも差し障りない男達と正面からやり合おうとは端から思ってなどいない。

 

 

「やあ、不景気そうな顔をしているね」

 

「今なら不機嫌さで貴様を殺せるぞ、失せろ」

 

 

 噂をすれば、なんとやら。

 盗人こと、全身黒ずくめの常連クロロ・ルシルフルが現れた。ムーディはこれ幸いと奥に逃げる。お茶を入れにいったのだ。

 きっと凄く茶をいれるのに時間がかかるんだろうな、とシェスカは逃げるように奥へ走っていった哀れなアルバイトの背を見送った。気分的には濃い珈琲が飲みたいのだが。

 

「眠れない夜を過ごしてるかい?」

 

 クロロは意味ありげに微笑んだ。

 ディルムッドの秀麗な眉が盛大な皺を作る。

 

「何が言いたい」

 

「単刀直入に言おうか、殺されたくないし。――――襲撃はもうないよ。誓っていい」

 

 ディルムッドの刃のような殺気を前に、おどけたようにクロロが両手を挙げてそう答えた。

 

「へぇ、根拠は?」

 

 局地的大寒波の中心にいるというのに、もう慣れたもんだという風情で、シェスカが視線を寄越す。

 クロロは微笑んだ。

 女性がいたら十人中九人くらい惚れそうな笑みだった。残念ながら十人中の一人だったシェスカには胡散臭い笑みにしか見えないけれど。

 

「君を襲ったのはゾル家だ。ゾル家は知ってるよね?あそこの人間は殺人狂じゃない、ビジネスで暗殺を請け負っている。――――――君を殺せと依頼した男は死んだ。金にならない殺しは、彼らはしないよ」

 

 頬杖をついて、シェスカはクロロを見る。深い碧眼には、稀代の暗殺一家に狙われたという恐怖や焦りは伺えない。凪いだ瞳だった。

 

「なんで知ってるのーとかは聞かないほうがいいかねぇ。君が実はハンターでした!とかいう都合のいい解釈をしとくとするよ。それでいけいけ強欲盗人ルシルフルくんには何か得でもあった?」

 

「なにその名前、頭悪そう」といってクロロが笑うと、表情筋があまり動かないとご近所で噂のシェスカも微かに頬を緩めた。ディルムッドは主の表情にほんの少し目を見開いた。ちなみに、近所といってもしょっちゅう危ない人や、轟音のする「百万図書」の周辺五十メートルは空き地である。

 

「まあ……ゾルディックに多少融通が利くようになった、かな。悪くない」

 

「素敵ねー。是非これからうちに今後一切くんな!って連絡いれて欲しいわー」

 

「それは…多分大丈夫じゃない?」

 

 そういって肩をすくめたクロロに何か言う前に、空気を読まないムーディがお茶を運んできたことでその話はそこで切れた。

 

 

 以後、襲撃はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********

 

 

 

「やあ、イルミ久しぶり」

 

『何かよう?ちょっと俺忙しくなるから用件は手早く言って』

 

「つれないな、折角いいこと教えようと思ったのに。………本屋の護衛は強いだろ?」

 

『……何知ってるの?』

 

「その様子だと君が行ってはいないな?父親のほうか…逃げた?」

 

『……』

 

「彼、まともに相手をするものじゃない。あれは俺達と次元の違うところにいるやつだよ。どうやったらあんなのが彼女に従うのか理解できないけど、ともかくまともにやりあうもんじゃない。俺も軽く彼岸を見たしね」

 

『……それで?』

 

「クライアントは死んだ。さっき襲ったのがそいつだったんだ。もう依頼は白紙だろ?」

 

『…………借りいち、ね』

 

「イルミは話が早くて助かるよ」

 

 

 

 ある盗賊と暗殺者の会話。

 

 

 

 

 

 


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