貸本屋「百万図書」の周辺五十メートルは空き地である。
近所の家屋も隣家との距離が離れており一軒家が多い。都会というには寂れているし、田舎といわれるほど廃れてもいない。
樹木に覆われた通りの道幅は、交通量が少ないわりには広い。
そんな道路を、一台の高級車が走る。
ワックスをかけられたピカピカの車体が陽光を反射する。
車内が見えないようにカーフィルムが貼られているため、運転手以外に搭乗者がいるかどうか判別はできない。運転手はハンドルを操作しながら空き地しかないエリアに車を進める。
周囲は空き地ばかりのなかに、ぽつんと建つ小さな店舗。
その店舗に駐車場は元からないが、周りの空き地が駐車場のように使われて久しい。土地自体も整備をしていないだけで店主が買い上げている。
店舗脇に停まる高級セダン。
運転手は車から降りると後部座席に回り、扉を開けた。
「ごめんください」
「あ、いらっしゃいませ」
柔らかな声音が頭上から降ってきて、ムーディは顔を上げた。逆光で見えづらいが、体格や声から男と判断する。目を細め、立ち上がると、改めて男を見る。男はムーディが立ち上がって自分と顔を合わせるそのときまでじっとその動きを追っていた。
濃い金髪の美男子といっていい容貌。
美形に慣れたムーディは「おお、爆発しろ!」としか思わないが、この店の絶世の美男子を見たことのない世の女性からは大量にアプローチがかかるであろうとすぐに想像できるくらいには整っている。
落ち着いた茶のストライプ柄のスーツに、柔和な表情は清潔感があり好感が持てる。
「何かお探しですか?」
この店は本の量は膨大だが、某大型ディスカウントストアのようにどこに何があるかきちんと決められているわけではない。
否、昔はちゃんと決めてあったのだが、ムーディにはどうやって手に入れているのかわからない位の量の本がぽんぽん入荷し、そしてそれをなおすのが鉄腕アルバイターとたまにしか手を貸せない輝くイケメンの二人しかいないものだから、そのうち手が回らなくなりとりあえずここにおいておく、あとで片付ける、結局片付かない。という負のスパイラルに陥った結果、初見で何があるかわからない体を晒すことになっている。
ちなみに常連たちは妙な嗅覚でももっているのか自分の欲しいもの、興味のあるものは猟犬のように見つけて借りていく。中にはこのごちゃごちゃしたところから発掘するのが楽しいという、まさに某大型ディスカウントストアを楽しむお客様と全く同じ答えを返す客もいたりする。ちなみに、それらは発掘ハンターであることが多い。
「本も興味深いですが…店主さんはいらっしゃいます?あ、アポイントは取れてないんですけど」
「はぁ…店主ですか」
男は手を後ろに組み、口の端を持ちあげて柔和に笑っている。
今まで店主に用件のある人間は多数来店してきた。それぞれ様々な理由があっての来店で、そのすべてが決して常識から見ても「いい」と呼ばれるものばかりではない。
この男性はどうなのだろう、とムーディは一瞬目を細める。
しかし、決定権は彼にはないし、危険なことはするなといい含められている。この店の中でも特に弱いムーディに、もし害意をもって近づく輩がいれば、彼はそれを防ぐことができない。
「少し、お待ちください…お名前をお伺いしても?」
「ああ、これは名乗らずに失礼しました。ボクは、ハンター協会副会長のパリストン・ヒルと申します」
貸本屋、厄介な客と相対する
「は?ハンター協会副会長?誰それ」
「パリストン・ヒルって名乗ってましたよ。金髪の、イケメーンでした」
「なんの用?」
「さあ…?」
貸本屋「百万図書」店主シェスカはマカロンを咀嚼しながら最近のことに意識を飛ばす。いつだったか「副会長派」と聞いた気がする。
自分に直接かかわりがあるとは思えない人物だ。どちらかといえば、最近ハンター証を手に入れた従者のほうが縁がありそうなものだが。
ムーディにちらりと視線を寄越す。
「その人、私に会いたいっていったのよね?ディルムッドじゃなくて」
「店主さんいますかー?って言われましたから…副会長ですしディルムッドさんに用があるなら間違えないと思いますけど」
「そうよね…面倒だわ」
紅茶を飲み干してソーサーに戻す。
いつもの低位置で、本を読んで、お茶して、営業終了までそのスタイル。そこにちょっとした乱入者がくることがあるが、概ねいつも通りの流れだ。
しかし、それにハンター協会副会長という大物がくるとは思いもしなかった。
ちらりと、こちらに背を向けて店内を見回す騎士の頼もしい後ろ姿。
溜息をひとつつく。
正直狭い店内だ。
どの位置からでもカウンターを覗き見ることはできるだろう。居留守も使えない。
「呼んで」
仕方がないので嫌々会うことにした。
「いやー、お美しい方ですね。どうも、ハンター協会副会長のパリストンです。あ、名刺いります」
「結構」
「そうですか?残念ですねー、こんなお美しい方ならお近づきになりたいのに」
「ご用件は?」
ハンター協会副会長パリストンと名乗った男は、握手を求めようとして隣に控えるディルムッドに遮られた。
接触を解して何らかの念能力が発動することもあるのだ。よく知りもしない男に主を近づけさせるわけにはいかない。
シェスカも胡乱気にパリストンを見る。
どうにも胡散臭いと思ってしまう。ニコニコと柔和に笑っているが、雰囲気が同じく金髪のシャルナークを彷彿とさせる。シャルナークがここにいれば、同じにしないでよ、と突っ込みをいれるだろう。所謂同属嫌悪で。
すげなく断られたにも関わらず笑顔を崩さない男は、カウンターに常備されている来客用の椅子に腰掛けた。
「いやー、突然申し訳ない。本当はアポイントを取りたかったんですけど、ボクはそちらと違ってなかなか時間がとれないものでして。急遽スケジュールに穴が開いたものだから今しかないなーと思ったんですよね!」
「お忙しいでしょうね、副会長なら。それでそんな忙しい役職の方が、いつも暇そうにカウンターで本を読んでいるだけの店主になんの用ですか」
主への不敬に、ディルムッドの目に力が入る。見下ろしてくる双眸に宿る怒りを気付いていないわけでもないだろうに、パリストンは笑顔で後頭部を掻く。
「あ、嫌味に聞こえちゃいました?いやー本っ当に申し訳ない!」
「それでご用件は?」
ディルムッドの苛立ちが手に取るようにわかる。目の前に座る男は、クロロとは別の次元で癇に障る人間のようだ。
特にディルムッドのように騎士道や仁義を重んじる人間には、この軽薄さはうけつけないだろう。
「いえね、実はそちらのディルムッドさんに本当は用があるんですけど…どうやら貴女を通したほうが間違いがないようでしたから」
にこりと人好きのする笑顔を浮かべる男に、やっぱり面倒ごとだったとシェスカは頭を抱えたくなった。
この男はクロロとは性質が違うが、よく似ている。
ここにクロロがいればいい勝負がみれたかもしれない。
どうやらこの副会長は、シェスカとその周り、そして主従の関係を調べ上げているようだ。
ディルムッドはシェスカの命令なら、それが多少意に沿わぬことでも頷くだろう。
勿論、彼に無理強いを強いることはないし、それがあまりにも非道なことであれば主人を諌めるのも従者の役目であるので、絶対命令ということではない。
けれど、逆を言えば、それ以外のことであればディルムッドは主人に尽くせることなら喜んで受け入れる。
忙しいとどの口が言うか。シェスカは熱々の紅茶を顔面に注いでやろうかと、危ない思考を巡らせた。
パリストンは、シェスカの無表情をじっと観察した。人を観察する目は養われている、彼は観察眼には自信があった。
自分の言動が人を苛立たせることは計算尽くめでやっているのでよくわかっている。あちらがそれにペースを乱されて粗が出ればそこからつつく、えぐる、掻っ攫う。そういうやり方をいままでもやってきた。冷静さを欠いた人間は実に操りやすい。逆に徹頭徹尾冷静な人間は、冷静に深読みしすぎてパリストンの手の中で踊ることになったりもする。
同僚のチードルは面白い人だと思っている。彼女からすればいい迷惑だろうが。
「協専ハンターというのを、ご存知ですか?」
「あいにくとハンターに興味が無くて…名前通りのことしか知りません」
「つまり、協専ハンターの存在はご存知と」
「ええ、まあ」
「それなら話は早い――――――…ディルムッドさん、協専ハンターになられてはいかがでしょう」
シェスカは無表情に男の顔を見た。相変わらずニコニコ笑っている。
本から知識を手に入れたシェスカと違い、ディルムッドは協専ハンターがどういったものかわからず首をかしげた。どちらにしろ、彼はシェスカを護衛すること以外やるつもりはないのだが、それを提案するということは、シェスカにうま味でもあるのだろうかと男を見下ろす。
「どういった経緯で協専になるという話になるのかわかりかねるわね」
「おや?そうですか?ボクは勿体無いとおもって声をかけたんですよ?」
パリストンは手を顎に持っていくと、シェスカの隣にたつディルムッドを見上げた。目があうと「いやー、本当にかっこいいですねー。女性が放っておかないのも無理はないですね」といって笑った。
「ディルムッド・オディナさん。うちの会長が驚いたくらいの実力をお持ちと聞きます。実際見てみると本当にそうですね!びっくりしますね!え、見えない?いやだなーそんなことないですよ。緊張してますよ、本当ですよ!いや、そんな凄い人をこんなところに縛り付けるより、その実力を遺憾なく発揮できるところで振るうべきだと思ったんですよね!いや、ボクはただの親切でいってるんですよ、本当ですよ!あまりお傍を離れたくないようでしたから、協専なら依頼がこない限りは自宅待機でいいですし。お金手に入りますし。勿体無いでしょう?腐っちゃいません?執事したいわけではないでしょう?――――――
戦士、したくないんですか?
その言葉に、ディルムッドの琥珀の目が微かに見開かれる。パリストンはその動きを見逃さなかった。癖のある十二支んのなかで、六百名を越すプロハンターたちの中で、そんなことも見抜けないようでは生きてはいけない。
シェスカは、組んだ手の甲の上に顎を乗せた。
「そりゃ、したいだろうね。彼は根っからの騎士だ。間違えないで。戦うだけの蛮勇を奮う戦士じゃない、忠義を重んじる騎士なの」
「ええ、ですから…貴女の傍にいるだけでは勿体無いなと」
「安心しなさい、そんなことは随分前に気付いてるわ」
「おや、じゃあ」
「でも、答えは随分前に貰ってるの。貴方には理解できないし予想もできないでしょうけど、彼は納得してここにいるし、私を守ることで、この店で働くことで自分の価値が損なわれるとは思ってない。思わせるつもりもない。彼が望むならそうしましょう。彼が忠義に相応しくない主であると判断すれば私は彼を止めはしない。生きたいように生きる権利がある。それを奪うつもりはないの……ただそうね、私から言わせて貰うとしたら、現時点で少なくとも貴方の掌で踊らされるのは気に食わないから絶対にそんなもの受けて欲しくない、ってことくらいね」
きょとんと、子供のように目を丸くすると、パリストンは笑った。「ふふ、残念です」と唇の端をあげて楽しそうに笑う。
彼の視線の先では、主の言葉に誇らしげに胸を張る美貌の騎士の姿があった。
パリストンは腕時計の時間を確認し、紅茶を一気に煽ると席を立った。
「紅茶ご馳走さまでした。時間があまりないので【今日】は失礼します」
「何度来られても、俺はその協専ハンターというものに興味はないぞ」
「ええ、貴方のことはもういいですね。貴方のことはね」
ぱちり、と男がやっても可愛らしくもないウインクをひとつして、パリストンは店を後にした。
「……あ?」
「えーっと…」
ありがとうございましたー。と暢気なムーディの挨拶が聞こえる。入り口を振り向き、気にしながらシェスカの元までくると、主従が固まっていることに気付き首をかしげた。
「店長?どうしたんですか」
「塩をまけ、塩」
「え」