ノシ棒:短編集(ポケモン追加)   作:ノシ棒

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東方Project 幻想郷の傘屋さん8

 

落ち窪んだ目。

こけ切った頬。

水分が失せひび割れた唇。

がさがさとした土色の肌。

立派な作りをした神社の一室で、死体か、木乃伊が一体、手足を投げ出して転がっている。それは少女、だったものだ。少女だったものが一体、干乾び上がって倒れている。

手足の力は失われ、視線は天井の一点を見詰め、閉じられることはない。

ただ、少女の胸が時折思い出したかのように上下しているのだから、死んでいないことだけは解る。

つまり、この少女は死に瀕しているのだ。まるで生気を感じさせない、五体投地の姿勢のまま。

 

畳の上で、死体の様相を醸している少女――――――。

彼女こそが、博麗神社今代の巫女。

博麗霊夢である。

 

 

「お待たせしました。お粥、持って来ましたよ」

 

「あー・・・・・・あー・・・・・・」

 

「水ぐらい飲みましょうよ、霊夢さん・・・・・・」

 

「うー・・・・・・うー・・・・・・」

 

 

虚ろな呻き声を零す霊夢の上に射す影。

呆れ顔で霊夢を抱き起こしたのは、傘屋だった。

ここ博霊神社で最近、週一で見かけられる光景である。

 

腹が丸出しだったのは、とりあえず服をと脱ぎかけて力尽きたのであろう。

日が経って異臭のする巫女服を全て脱がし、寝巻へと換えてやる傘屋。

霊夢の膝と背に腕を回して持ち上げてから、敷いてやった布団へと寝かせる。

意識があることを確認し、部屋に来る前に作っておいた粥を口元へと運ぶ。匙を傾ける。霊夢のひび割れた唇に、ペースト状の米が流れ込み、嚥下される。

こうして霊夢の世話をしてやるのは、傘屋にとってはもう慣れたものだった。

何せ、週初めに今週も良い仕事が出来ますように、と祈願のため神社へと足を運ぶと、決まってこの巫女は干乾びているのだ。

栄養失調と脱水症状である。

 

初めて霊夢の瀕死一歩手前になった状態を目の当たりにした傘屋は、これは医者に見せねばと迷いの竹林まで飛んで運ぼうとした。しかし霊夢は頑なに首を振る。

掠れる声を聞けば、どうやら食事と水分さえ取れば霊力で回復するのだという。死にはしない、だから放っておいてくれ、と。ここから出たくない、と。

流石に祈願に来た身としては、神に仕える巫女様を放っておくわけにはいかず、霊夢自身に許可を取って社に隣接する母屋へと上がり、そのまま食事を作ることに。しかし台所に立ち、傘屋は唖然とした。

何も無い。

野菜も、肉も、米も、何も無い。

いくつかある井戸の内、「水垢離用:飲料×、触れるべからず」と書いてあるもの以外は全て干上がっていて、からっぽだった。傘屋には解らなかったが、水垢離用の井戸水は井戸ごと清められていて、常人が触れるのは許されないそうだ。巫女であってもそれを飲んではいけないらしい。

つまり飲料水すら無いということだ。

こんな状況でどうやって生活していたのか謎だったが、仕方なく傘屋は人里に飛んで帰り、食材を買って来てやる羽目になったのである。

まさか巫女に食費を請求するわけにもいかないので、実費である。

 

こうして傘屋がお布施という名の生活支援を初めてからしばらく。

一向に霊夢の生活は改善されずにいた。

 

 

「はい、お水ですよ」

 

「うー・・・・・・」

 

「ほら、ちゃんと水差しを咥えて。零さないようにゆっくり吸って」

 

「うぐ、うぐ、うぐ」

 

 

流石は歴代博霊の巫女最高峰の霊力を持っているからか、水を含んだ途端、みるみる肌に張りが戻っていく。取り込んだ養分を一瞬で活力に変換しているのだろう。

顔色の悪さは変わらずだが、これならば粥も直ぐに消化されて活力へと変わるだろうか。

水差しから可愛らしく、ぷあっ、と口が離されたと同時、頬に紅が差す。

思ったが早いか、もう健康体へと回復したようだ。

恐るべき霊力と回復力だった。

 

 

「何と言いますか、回を追う毎に回復力上がってますよね。もしかして、新しい修行か何かだったりします?

 ほら、意図的に自分を痛めつけて超回復させるとか、禅の精神修行だったりとか」

 

「ブッディズムに目覚めた覚えは無いわね・・・・・・」

 

 

返事をするのがさも面倒臭そうに、肌艶を取り戻した霊夢は傘屋をねめつけた。言外に「余計な事を」とその視線は雄弁に物語っている。

美人が怒ると何とやら。未だ少女の風貌を残す霊夢であるが、今現在も、将来の美貌は約束されていると感じさせる程の可憐な容姿である。そんな彼女に睨みつけられると、それはそれは恐ろしい迫力があった。

汗と油で広がって固まった、胸のあたりまで伸ばされた黒髪。丸っこい輪郭に、引き締まった唇。抜き放った刀身のような眉は、大きな焦げ茶の瞳をより可愛らしく見せる。全てのパーツが美しく、それでいて嫌みなく整えられていた。誰もが振り返ることは無いが、しかし頬笑み掛けられたなら温かな気持ちになってしまうような、そんなかんばせであった。

だが、今は鬱陶し気に細められている大きな瞳、その下には濃い隈が縁どられている。隈縁に視線はより一層鋭く研がれ、もはや刺突の域に達する程。

傘屋が参拝しに来るまでじっと天井を睨みつけていたのだろう、寝不足で刻まれた隈は、少女の愛らしいはずであった外見と魅力を著しく損なっていた。

こんなだから里人にやさぐれ巫女なんて呼ばれるのだ、と傘屋は知られぬよう溜息を吐いた。

 

 

「はい、おはようございます霊夢さん。それだけ喋れるなら大丈夫ですね。さ、お風呂沸かしておきましたから、お湯でも浴びて来て、さっぱりしてきてくださいね。結構酷い臭いですよ」

 

「うー、仕方ないわねえ」

 

「お尻を掻かない。お風呂から出たら、今度こそ人里に降りて、買い出しをしましょう。一緒に行ってあげますから」

 

「うー、仕方ないわねえ」

 

「布団に戻らない。そんなに人前に出るのが嫌ですか。ほら、お風呂行きますよ」

 

 

寝がえりをうって身体ごと傘屋から顔を背ける霊夢。

傘屋の口元が引く付く。

務めて常の頬笑みに整形し、霊夢を向き直させる。

 

 

「こっち向いてくださいよ」

 

「・・・・・・」

 

「無視ですか。いいでしょう、なら無理矢理にでも」

 

「ぬううー、触らないでよこの鬼畜! 性犯罪者! 年若い乙女の柔肌を守る衣を脱がそうとするなんて、この変態!」

 

「ああ、もう、暴れないでくださいよ。あのね、霊夢さん、俺が何度あなたを着換えさせたと思ってるんですか。

 最初の内はともかく、今はもう介護してるのと同じで、何も感じませんよ。そんなにお風呂に入るのが嫌ですか?」

 

「だってお風呂に入ったら人里に行かなきゃ駄目なんでしょう? 絶対嫌よ! 人前に出るくらいなら、一生お風呂になんて入らないわ。このままぷーんと臭ってやるんだから!」

 

「あなたという巫女は・・・・・・!」

 

 

どこか浮世離れした雰囲気を持ってはいるが、感性は人並みの傘屋である。感性自体は人並みだが、そこに辿り着くまでに致命的にトンチンカンなのだ、とは彼の知人達の弁。

とかく、余りに馬鹿なことを面と向かって言われては、普段は温厚な傘屋であっても腹は立つ。

 

 

「ええい、覚悟しなさいな! 博霊の巫女でしょう、あなたは。人里に出ないと顔を忘れられますよ!」

 

「やー! いやー! あうああー!」

 

「駄々をこねない!」

 

 

じたばたと両手足を振り回して暴れる霊夢を抑え、鍛え上げられた体術でもって、寝巻を脱がしに掛かる傘屋。

サラシを一息に引っ張られた霊夢は、空中で独楽のようにくるくると回って、ぼすんと布団に落ちた。

あっという間に一糸纏わぬ姿に剥かれた霊夢だったが、それでも這って逃げ出そうとする。

しかし回り込まれてしまった。

必死に逃げる霊夢の、左右に揺れる小ぶりな尻たぶを見下ろしても顔色一つ変わらないのは、なるほど彼がトンチンカンと言われるのも理解出来よう。

性欲はあるが、そこに辿り着くまでにえらく遠回りしなくてはならないということだ。傘屋にとっては、これは本当に介護の一環という認識なのだろう。

ここで霊夢がかつての女鬼のように、色気を前面に押し出していたならば話は別となるのだが。

巫女に色香など求められる訳もなく。

 

がっしと傘屋は霊夢の両足を抱え込むと、そのまま風呂場に向って歩き出す。手を握らないのは、以前それでまんまと振り払われて逃げられたからだ。その時は、押し入れの中で霊夢は発見された。探し出すまでに3時間掛かった。また隠れられてはたまらない。

ずりずりと、足をロックされたままうつ伏せに引き摺られていく霊夢。

 

 

「いた、いたたたたっ! 胸! 胸削ってるってば! おっぱいなくなる!」

 

「はいはい。元から無いでしょう」

 

「言ってはならんことを! アンタは!」

 

「はいはい。嫌なら自分で歩いてくださいね」

 

「むうう、どうせなら仰向けに引き摺ってよね。あ、やっぱりおんぶして」

 

「そんなに動くのが嫌か」

 

 

仕方なく足を離した傘屋は逃げ出さないかと警戒しつつ、背を向けてやる。

よっこいせ、という声と共に、背に重さ。柔らかさは感じない。無いものを感じろと言われても、土台無理な話である。

栄養失調であったことはさて置き、霊夢はこれは軽すぎやしないかと心配に思うくらいの体重だった。

地に足がついていないような、雲のようにふわふわと空を飛んでいるような。有り得ない例えだが、風船を背負っているような感覚がする。

以前、そう本人に言ったことがあるが、「あんたが言うな」と返され、納得がいかなかったことを覚えている。

失敬な、自分は三食ちゃんと食べているし、働いてもいる。ちゃんと地に足付いた生活をしている。

そう言い返しても、呆れたように笑われるだけだった。

やはり、納得がいかない。

 

 

「ああ・・・・・・気もちいいわね。このまま消えてしまいたい」

 

「おーい、霊夢さん。寝ないでくださいよ」

 

「あー、楽ちん楽ちん・・・・・・ぐう」

 

 

よだれが首筋に垂れ、顔を顰める傘屋。このまま本当に寝入るつもりだ。

持ち上げている尻を抓り上げると、霊夢はぎゃっ、とうら若き乙女にありえざる悲鳴を上げて目を覚ました。

風呂嫌いという訳ではなかろうに、そうまでして嫌がるのは、やはり人里に下りたくないからか。

盛大に傘屋は溜息を吐いた。

どうせ風呂場に連れて行っても、駄々をこねて動かないに決まっている。

テコでも動かないつもりなら、それもいいだろう。

このまま丸洗いしてやる。

初めの頃はどぎまぎとしていたが、もう霊夢の裸体を見ようが触れようが、まるで動じなくなっていた傘屋だった。

 

 

「あー・・・・・・死にたい」

 

 

ふひぃ、と憂鬱の吐息を吐いて、霊夢は傘屋の首にもたれ掛かった。

汗臭い。

傘屋は湯気の蒸す風呂場へと霊夢を放りこむと、自分も手早く衣服を脱いで下着だけになってから、霊夢を追って風呂場へ入る。

細い肩に掛け湯をしてやってから、手を上げさせて、固く絞った手ぬぐいをその白い脇にあてた。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

※1.≪霊夢とお風呂≫の歴史は白沢に美味しく食べられました。

※2.ワッフル味だったそうです。

※3.決して私が書くのが面倒臭くなったわけではない。ワッフルワッフル。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

 

博霊神社が幻想郷で担う役割は、大別して二つある。

一つは大結界の管理。幻想郷を外の世界から隔離している大結界を、郷の東の先から監視すること。

一つは異変解決。幻想郷内に発生する異変、人為的妖為的に引き起こされた天変地異のようなものを、時には武力でもって静定すること。

この二つだ。

前者は幻想郷を幻想郷たらしめる要であり、後者は放置しておけば幻想郷内のパワーバランスが崩れ、内部崩壊してしまう。

どちらも欠かすことの出来ない役割を、博霊神社は担っている。

 

であるというのに、こうまで寂れている理由。

それは、人里から続く獣道は険しく暗く、見通しが悪く、安全は保障されていない。なので、こうして傘屋の様に純粋に参拝に訪れる客は数少ない。集まる者の多くは、外界に接する神社の近くに時折落ちて来る外界の品の蒐集家か、巫女の人柄に惹かれた妖怪しかいないのである。

賽銭箱の前で柏手を打つ者は、もはや傘屋しかいない状態だ。

妖怪が集まるのも巫女の人柄、とは言うが、それは彼女が親妖怪派という訳ではない。人間に仇さえ為さなければ妖怪の存在を容認してしまう彼女の度量に惹かれているのだ、と妖怪達は口を揃えてそう言う。

だが傘屋は思う。それは違う、と。

容認しているのではなく、働くのが面倒臭いのだ。

忌み嫌っていると言ってもいい。

何故か。

 

 

「ほら、霊夢さん、行きましょう」

 

「む、むりっ、無理っ! 無理無理無理、無理だってば!」

 

 

山の頂にある神社から伸びる長い階段の手前、傘屋の手に縋りつき、腰を落とす霊夢。

ここまでずりずりと引き摺らては来たが、これ以上は無理のようだ。

顎はガチガチと鳴らされ、膝はガクガクと揺れている。繋がれた手は痛いくらいに震えていた。

 

彼女が頑なに人里に下りるのを嫌がるのは、本人曰く「下界から離れて浄の気を保つためよ」とのことらしいが、それは嘘だと傘屋は断ずる。

そう言った時の霊夢は、すごく眼が泳いでいた。

今と同じように。

 

 

「しゃんとしてくださいよ。あなたは幻想郷を代表する博霊の巫女でしょう」

 

「や、やだっ、やだ!」

 

 

こうまでして霊夢が人里に下りたがらない理由。それは。

 

 

「ううう、人間怖いよう」

 

 

ということらしかった。

あろうことかこの巫女は、人間と妖怪の中間者に在るべき存在であるというのに、どうしようも無い程に人嫌いであったのだ。

より詳しく言うならば、視線恐怖症というやつだ。

人に見られるということを、霊夢は極端に恐れていた。

 

さて、霊夢がこれまでこなした仕事の中で、妖怪と人間との争いを“おだやかに”決着させる方法を考案した、というものがある。

妖怪と人間、あるいは力のない妖怪との力量の差を埋めるための、スペルカードルールと呼ばれる決闘法である。

大雑把に説明すると、お互い繰り出す技を宣言した後に技を撃ち合い、それを破った者の勝ちとなるルールである。

この決闘法を普及させたはいいが、そのせいでスペルカードルールにおける強者は老若男女問わず、大いに人気を集めることとなった。技の威力は元より、美しさにも重点が置かれたことが、大いにウケたのだ。

飛び交う弾幕の美しき光景。その中心を舞うのが美しい少女であるとしたら、それはもう、言わずもがなだろう。

それは正に、幻想的な光景。

 

いつしか霊夢が人里に出れば、必ず注目を集めるようになった。固定ファンが出来たのである。弾幕ごっこの強者には、大抵固定ファンがついている。

この固定ファンというものが扱いが困るもので、例えば往来のど真ん中で。

 

 

「BBAーーーー! 俺だーーーー! 結婚してくれーーーー!」

 

 

と昼夜問わず叫ぶ傍迷惑な男が頻出したり。

ちなみにこの男、叫んだ瞬間に地面に開いた穴――――――幾万の目玉がぎょろりと覗くスキマに送られ、その後行方不明である。

消える瞬間、ごほうびです、と叫んでいたが、一体何の褒美を得たというのか。

此処ではない何所か、今ではない何時か、知覚不可能な空間を永遠に彷徨うことになったのだろう。

スキマ送りにされる男が一人出る度、里の外れで罪と大きく書かれた覆面を被った裸の男が一人増えているのだが、関連性はこれも不明である。

また、別の例えとして。

 

 

「USCーーーー! 俺だーーーー! 罵りながら蔑んでくれーーーー!」

 

 

と昼夜問わず土下座する傍迷惑な男が頻出したり。

ちなみにこの男、地面に頭を擦りつけた瞬間に鞭――――――のようにしなる傘で滅多打ちにされ、その後行方不明である。

傘で打たれる最中に、ごほうびです、と叫んでいたが、一体何の褒美を得たというのか。

粉微塵に叩かれ、打ち砕かれ、向日葵畑の養分にでもされたのだろう。

傘打ちの刑を処される男が一人出る度、向日葵畑に続く丘への道すがら、うねうねと動く黄色に塗りたくられた向日葵を模した男が一人増えているのだが、関連性はこれも不明である。

 

スペルカードルールが普及し、比較的に平和に物事が解決されるようになったはいいが、それも考えものだ。

このように、敬意や畏怖を向ける者が多くなり妖怪は非常に有り難かったのだが、その反面、どうにも行き過ぎて困る迷惑な者が増えているのもまた事実なのである。

では霊夢はというと、彼女はそこまで実害を伴う被害を受けてはいないが、逆にそれが堪えるようだ。実害がないのだから、表立って排除することが出来ないのである。

 

何者にも囚われることのない価値観を持った霊夢であるが、他者から感情を向けられ、それに全く影響を受けないという訳でもない。

そういう無言の圧力や視線といった曖昧な形の無いものにこそ、敏感に反応してしまうのだろう。巫女である以上、目に見えない、実体の無いものに敏感でいなくてはならないのは当然のことだ。

そのまま受け流して終わり、とするには、余りにも多くの念に霊夢は晒されてしまったのである。

 

元より人嫌いの体がある霊夢だ。

昔は今より幾分かマシだったそうだが、人前に出るくらいなら餓えた方がまし、もう一歩も神社から出ない、と言い張るようになるまで、そう時間は掛からなかったそうだ。

かくして、立派なひきこもり巫女が完成したのである。

 

 

「ええい、もう諦めたらどうですか!」

 

「いーやーあー!」

 

 

全体重を掛けて傘屋の手を引く霊夢。

傘屋は盛大に溜息を吐いた。

神社に来ると溜息を吐くことが多くなる。

気を溜めるために祈祷に来たというのに。

 

 

「この前、咲夜さんと一緒に人里に下りたそうじゃないですか。どうしてまた今回はそんなに行き渋るんですか」

 

「だって、あいつ私よりも目立つじゃない。それに半分人間じゃないようなものだし」

 

 

さもあらん、と頷く。

時間操作能力を持つ咲夜は、よく時間を停止させて活動しているのだが、総停止時間は一年や二年ではきかないだろう。

自分の時間を止めることは出来ないはずだ。だというのに、咲夜は若々しい見た目を保っている。

時間を逆回しにするのは難しいらしい。そして、咲夜が忠誠を誓うのはかの吸血鬼姉妹の片割れだ。さて――――――。

 

 

「人間でも、能力を持っていたらいいんですか?」

 

「馬鹿ね。人里の人間に会うのが嫌なのよ」

 

「人里というコミュニティに属する人間と相容れないと。それはまたどうして?」

 

「私を取り込もうとするから」

 

 

傘屋は出かかった声を飲み込んだ。

何か反論を吐こうとしたが、直ぐに言葉はでなかった。

それは、と言い淀む。

 

 

「それは・・・・・・いや、彼等は博霊の巫女の中立性がどれだけ重要か解っています。そんなことをするはずが」

 

「頭で理解していても、無意識までは制御出来ないわ。サトリの妹を連れて来るまでもない。

 もっと良い暮らしがしたい、もっと自分達のために働いてくれ、同じ人間じゃないか、もっと、もっと、もっと、もっと妖怪を滅ぼせってね。重たいのよ。飛びにくいったらないわ」

 

 

強き者、弱き者の区別をしない霊夢は、時折酷く残酷であると評されることがある。差別ではなく、区別であるから。強弱変わらない対応は、時に大いに相手の自尊心を傷つけることがある。

それを言えば傘屋も同じではあるのだが、傘屋は自分を弱きに置くことで、全ての者を目上として接していた。それは霊夢とは決定的に異なる平等性だ。自分を含まぬ平等は、究極の不平等でもある。

霊夢はというと、自分自身をも区別しないのだから、徹底している。博霊の巫女には、それが魂に染みついているのかもしれない。

 

自他の評価付けを全くしない霊夢は、自分を縛りつけるものを酷く嫌う。

あらゆるものに縛りつけられないためには、空を飛ばなければならない。

束縛されないがために空を飛ぶのではない。逆だ。空を飛ぶから、あらゆる束縛も意味を為さないのだ。

束縛を嫌うのならば、飛ばねば。

飛ぶためには、身軽でいなければ。

例えそれが視線であったとしても、絡みつけば飛びにくかろう。

そこには期待や好奇、嫉妬や羨望の念が込められている。

霊夢にしてみればそんなもの、重くていけない。

だから、嫌で嫌でたまらないのだろう。傘屋はそう推察する。

 

・・・・・・本当は、人付き合いが面倒だからなのかもしれないが。

普段の怠け具合を見ていたら、それが正解のように思えて困る。

というか、幻想郷の要である博霊の巫女が、まさかこんなにぐーたらだとは信じたくないから、それらしい理屈を無意識が捏ねあげているのやも。

 

 

「じゃあ、同じ人里の人間である俺はどうなんですか?」

 

「アンタは別」

 

 

むすっ、とした顔をしてそっぽを向く霊夢。

意味が解らない。

これはいよいよ霊夢のものぐさの線が濃くなってきたぞ、とじとりと睨み付けてやれば、段々と赤くなる顔。

ちらちらと視線を合わせたり背けたりしながら、毛先をいじっては髪型を整えている。

そんなことで誤魔化せると思っているのだろうか。

 

 

「こっちを見て」

 

「こ、こっち見るな」

 

 

この人という巫女は。

傘屋のこめかみに血管が浮かぶ。

にこやかな顔を崩さないのは流石だが、凄味があり過ぎて怖い。まるで向日葵畑の妖怪の頬笑みが如く。霊夢も気付いたようで、うっと半歩下がっていた。

 

 

「な、何よ」

 

「いや、別に何も」

 

「何も無いなんてことないでしょ、ってちょ、ちょっと待って、無言で手を引っ張らないで、お願い! や、や!」

 

「・・・・・・」

 

「や、や、やーっ、やー! やめてって言ってるでしょうこの夢想封印!」

 

「ボムァッ――――――!?」

 

 

広範囲殲滅霊力砲である。

いかにスルー能力に定評のある傘屋といえど、傘なし、しかも至近距離で大技を仕掛けられては厳しいものがある。

ピチューン、と霊力が弾ける音と共に、傘屋は吹き飛んだ。

所々が黒く焦げた傘屋が地面に激突するまでには、霊夢は一目散に逃げ出していた。

遠ざかる足音を耳に、ゆうらりと傘屋は復活する。

 

 

「この、ニート巫女が・・・・・・!」

 

 

撃墜されたのも何のその。傘屋は走る霊夢の背を追う。

角を曲がったところで霊夢の姿を見失う。が、大丈夫である。問題ない。

霊夢の隠れる場所など、パターンが決まっている。底が浅いのだ。考えるのが面倒なのだろう。

 

 

「そこかー!」

 

「ひぎぃ!」

 

 

御堂に上がってすぐ脇、すぱあんと襖を開けると、押入の中で霊夢が煎餅をかじっていた。

外にぼりぼりという小気味良い音が漏れていた。これで見つからないと本当に思っているのだから、駄目巫女である。

母屋ならともかく、神前で煎餅をかじるな。

 

 

「さあ、観念して買い出しに行きますよ!」

 

「ちょ、ちょっとタイム、ターイム!」

 

「ええい、もう容赦せん!」

 

「いや、だから、アンタそんなボロボロで人里下りるつもり? ほ、ほら、私も埃とか汗まみれになっちゃったし! ね、ね!」

 

「・・・・・・何が言いたいのですか?」

 

「お、お風呂とか入りたいなーとか」

 

「・・・・・・」

 

「い、一緒に入ってあげなくもないわよ?」

 

 

しなを作って見せる霊夢であるが、動じる傘屋であるはずもなく。

まったく、と傘屋は眉間を揉み解しながら、霊夢の耳を抓り上げる。

向う先は母屋の方にある風呂場だ。

御堂を出て、ざくざくと砂利を踏みながら、傘屋は頬にこびり付いた煤を手の甲で擦り落とす。

痛い痛いと喚く霊夢は当然無視である。

何だかんだで、霊夢のお願いを聞いてしまう傘屋だった。

 

 

「あ、そうだ傘屋。ちょっと待って」

 

「はいはい、何ですか」

 

「アンタ、何か忘れてない? ほら、素敵な賽銭箱はそこよ」

 

「・・・・・・」

 

「入浴料」

 

「・・・・・・」

 

「こんな美少女と裸の付き合いが出来るんだから、ちょっとくらいお布施をしないと、ばちが当たるわよ」

 

「・・・・・・」

 

 

認めたくないが、これでも実質上幻想郷を牛耳れる役職にあるというのに、この巫女は。

傘屋の帰りを待つ、趣味の悪い紫傘に描かれた口から、大口に見合った大きな溜息が漏れた――――――ように見えた。

トップがこんななのだ。

今日も幻想郷は平和である。

 

傘屋は無言で財布ごと、賽銭箱に叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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