時は戦国、安土桃山時代。
群雄割拠にして、天下を分けたるは戦国の世。
例え親と子といえど、血を分け合おうとも、骨肉の争いに転じねばならぬ。
例え恨み積年の怨敵といえど、利のためには手を取り合わねばならぬ。
血で血を洗う、戦乱の時代である。
だが――――――。
自分は、知っている。
戦乱の世は終わるということを。
信長という一人の天才が現れ、それに続く羽柴秀吉、徳川家康によって、この国は日本として統一されていくのだということを。
果たして、ここが戦国時代であると、それに気付いたのはいつ頃であっただろうか。
産まれて間もなく……否、もっと以前であるだろう。
今生の母の胎に宿る前の――――――。
「ようやった、阿古。ようやった!」
「久政様……はい、ですが、ああ、ああ、この子は」
「いや、これでよいのかもしれぬ」
「ああ、このようなことが……坊や、わたしの可愛い坊や。お願いだから、泣いておくれ……母に声を聞かせておくれ」
さめざめと涙を流す女の腕の中で、意識がゆっくりと浮上する。
我は思うが故に我であるのだと、誰が言っただろうか。
目はへその尾を切った時、薄らと、一瞬だけ開いた目で見えたのは、火の灯りに照らされた薄暗い室内。
手を湯で洗う産婆と、自分を抱く女、その女の背を大事そうに抱える男がいた。
男の手に、この身が受け渡されるのを感じた。
母との繋がりを断たれた寂寥は、以前の自分が死んだ時に感じた、あの感覚とどちらが重いものであるだろうか。
そう―――――以前、だ。
今生の生ではなく、ここに産まれたばかりの赤子は、己は己であるなどと、分別を弁えて物事を考えている。
赤子に物事を考える頭はない。
思考は言葉だ。人間の思考は、言語によって成り立つものである。言語を持たない赤子では、思考するという高度な精神活動は望めない。快不快の原則に従うのみ。
であるならば、この思考はきっと、魂が巡らせているものなのだろう。
前生が唐突に終り、今生が始まったのだ。魂の実在は疑うはずもない。
転生、という言葉が、魂の内側に木霊する。
そう、自分は、転生を果たしたのだ。
「当家に産まれたが長子は、泣かぬ赤子か……許せ。某の子として産まれて来たばかりに」
男が、この身を、母とは違う力強い腕で、しかし同じように温かく抱きとめたのを感じた。
「泣けぬのならば、笑えばよい。どうか笑ってくれ。子が産まれると聞き、六角の者共に頭を下げてまで駆け付けずにはおられなんだ、この父を。
情けをかけられた某は、もはや逆らうことは出来ぬのだ。静かに、静かに時を過ごすしかない。
許せ、我が子よ。我が妻よ。泣かぬ鬼子が産まれたるは、某の業によるものと恨め」
今生の父よ。今生の母よ。
ああ、嘆くなかれ。
あなた達に罪はないのです。
この身はあなた達の子として産まれたけれど、この魂は。
「神も仏もおらぬ世なれば、夜叉となりて生きるしかあるまい。お前は今日から、夜叉を名乗るのだ。汝が名は――――――」
座らぬ首に気を付けられながら、高く天へと掲げられる。
今生の名が、今生の父より授けられた。
「某が、浅井久政の子。浅井家が長子――――――猿夜叉丸ぞ!」
この時、首が座っていたならば、なるほど、と頷けただろうか。
夜叉とは、前世で産まれていた時代の日本で言う所の、悪魔、という意味である。
キラキラネームかと断じるなかれ。天才丸、奇妙丸……このような幼名が溢れ返っている世である。この時代の価値観から考えるに、これが普通なのだろう。わざと奇天烈な名を幼名として授け、疫神に嫌わせて死を遠ざける呪いなのだ。
年を追う毎に、その人と生り、功績に則した名と変えていくのが習わしである。
となれば、この猿夜叉丸……某(それがし)も、いずれは父の言う、浅井の長子たるべき相応しい名を名乗ることとなるだろう。
そう――――――浅井家長子、浅井長政の名を。
戦国時代指折りの死亡フラグを持つ男の名を。