ノシ棒:短編集(ポケモン追加)   作:ノシ棒

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東方Project 幻想郷の傘屋さん7

ぽつぽつという雨音。

幻想郷に響く、雨季の訪れ。

結界にぐるりと囲われた空間である幻想郷は、つまりは別世界である。外界と大結界を隔てた向こう側である幻想郷も、外界の影響を受けない空間となっているが、気候のみは繋がりがあるようだ。龍神との取り決めらしいが、詳しい事は解らない。

さて雨の気配が近くなる季節となれば、忙しくなるのは傘屋である。

妖怪の山、その麓にほど近い横穴の中、せっせと傘屋は傘を張る。

 

湿気は細工職人にとっての天敵であるはずが、不思議とこの横穴の中は適温適湿に保たれていた。

剥き出しの岩肌、その壁際に設置された大型機械、おそらくは除湿機の機能によるものだろう。

傘屋の周囲には、用途不明の機械群が散乱していた。

どれも幻想郷にはそぐわない代物である。

それは理解していようが、傘屋は意にも介したようすはなく、せっせと傘を張り続けていた。

 

 

「そんなの作らなくても、こっちのを売ればいいのに」

 

 

こっち、と掲げられたのは鉄芯で作られた傘の骨組。バネ仕掛けを応用して傘の拡がるジャンプ傘、その作成過程にある品である。

スチールシャフトのみの傘を掲げ、さも不思議そうに首を傾げているのは、大きな緑色の帽子を被った少女。くりりとした眼と丸っこい顔が、大きめのキャスケット帽によく似合っている。

水色の作業着を煤で汚しながら、きょとんと傘屋に尋ねるよう、少女は小首を傾げていた。

頭の両側で二つ結びにした深い水底のような澄んだ青の髪が、ふるりと揺れる。

 

 

「にとりさん」

 

 

観念したのか傘屋は作業を中断し、少女の名を言う。

傘屋の鬱蒼とした面持ちに、これは大事なのだな、とにとりはぴんと背筋を伸ばす。

 

 

「タイマー、と呼ばれるものが外の世界にはあります」

 

 

糊付け刷毛を茶碗に置いて、傘屋は暗い目をしながらぼそりと呟いた。

自分自身の言葉に耐えかねる、そんな様子だった。

 

 

「たいまー? タイマーっていうと、時計仕掛けのあれ? 決められた時間を教えてくれるっていう」

 

「概念はそうですが、それが商売となると、別の意味で使われることになります」

 

「ほほう、別の意味とな?」

 

「一定期間使用していると破損してしまう、という意味です。そうなると消費者は、新しい商品を買わざるを得なくなる」

 

「・・・・・・それってつまり、わざと粗悪品を売りつけてるってこと?」

 

「馬鹿な。いやしくも傘職人の端くれとして、いい加減な仕事は出来ません。丹精込めて作っていますよ」

 

 

ほら、と作りかけの番傘をにとりに手渡す。

受け取った番傘を眺め、ますます訳が解らないといった風に首を傾げるにとり。その出来栄えが見事の一言しかないのを、一目で看破したからである。わざと壊れるように、手を抜いているわけではない。むしろ、かなりの頑丈さを誇るはずだ。

 

 

「にとりさん達、河童の皆さんにはあまり理解できない感覚かもしれませんが、技術を漏らしたくないんですよ」

 

「私たちも、里の技術レベルじゃあ再現出来ないから、教えないものだってあるよ。半端な知識で触ったら危ないものもあるし。技術独占してるつもりはないけれど」

 

「まあ、商売ですからね。これを言わなきゃならないのは、恥ですよ」

 

「なんでさ」

 

 

訳が解らない。

にとりは傾げ過ぎてずり落ちそうになった帽子を、慌てて手で押さえた。

その様を見て苦笑する傘屋に気付いたにとりは、咎めるように頬を膨らませた。

むむむ、と唸るにとり。向けられる苦笑が濃くなる。自覚はあった。これでは河童ではなく蛙だ。

 

傘屋と蛍光灯の灯りが眩しい洞窟内で相対している少女、にとりは河童と呼ばれる妖怪だった。

外の世界で伝えられる河童とは大きく生態が異なっていて、見た目は他の妖怪に多いように人間のそれと変わらず、水中で生活しているというわけでもない。泳ぎは得意であるが生活の中心は陸上で、陸上での身体能力は人間とたいして変わらない。

伝え聞く河童のイメージと一番大きく掛け離れているのは、彼等が持つ技術力であるだろう。

河童は非常に高い技術力を誇っていた。今や、外の世界に追い付かんばかりに。

元は泳ぎが得意で、手先の器用な妖怪であっただけの河童は、近代になって急激にその比重を増すことになった。河童の作る道具が、外の世界と並んで幻想郷内の二代近代道具として重宝されるようになりだしたからだ。

河童は種族的に人見知りの気質があるようで、人間の前には中々姿を現すことはない。しかし人間には非常に友好的で知られている。

だが、そこはやはり妖怪。

こうして妖怪の山に住まう事で、人間とは住み分けしている。

人里でもその姿を見かけることはほとんどない。

 

傘屋がにとりと出会ったのも、人里ではなかった。

染料となる木の実を採りに出かけた妖怪の山から、下山する道中のことだ。

ふと脇を流れる川に目を向けると、どんぶらこっこどんぶらこっこ、と流れるものがある。

にとりだった。

 

どうやら背負ったリュックサックに機械類を詰め過ぎて、上手く泳げなかったらしい。すきまから鉄パイプが顔を覗かせていた。

すわ手遅れか、と手を合わせてから引き上げると、ぱちくりと開いた目と真正面から見詰め会う。

 

 

「ひゅい!?」

 

 

奇声が一発。ファーストコンタクト。

 

 

「げげっ! 人間!」

 

「そういう君は、河童、かな?」

 

 

これが傘屋とにとりの出会いであった。

余談であるが、傘屋はあれが河童の鳴き声であると勘違いしたままである。

 

 

「ほら、鉄芯の傘は丈夫でしょう? それに比べて番傘は手入れしなければ、すぐ駄目になる。幻想郷の雨は激しいですからね」

 

「あ、なるほど。傘屋は自分の傘をいっぱい買ってほしいから、丈夫なビニル傘を流通させたくないんだ」

 

「お恥ずかしながら、そうです。俺はこれしか能がありませんし、生活がありますからね。それに」

 

「それに」

 

「幻想郷に、ビニル傘は似合わない」

 

 

なるほど、とにとりは頷き、ビニルを裏打ちした布を骨組に取り付けていく。補強された洋傘、これは吸血鬼姉妹に渡す品である。妖怪のお得意様には強度も考え、鉄製の傘を、というのが傘屋の方針だった。

もちろん里にビニル傘の需要は大いにある。

あの花妖怪が愛用している、ということで、「幽香が振り回しても壊れない」の口コミで爆発的に人気が高まり、傘屋の元に押し掛ける里の人々が多く居たのだが、その全てを傘屋は妖力のなせるところだと突き返していた。

事実、妖力で強化されているのだろうし、傘屋の手元にはスキマ妖怪や吸血鬼姉妹用の日傘もあったのだが、それらを里人に提供することはしないと初めから決めていたようだった。

それがタイマーという自己中心的な理由のみによるものであったなら、技術者としてにとりは軽蔑したかもしれない。

 

ビニルと骨組の精製でにとりは傘屋の事業に協力しているが、最初その話を持ち掛けられた時、眉を潜めたのを覚えている。

にとりは技術者だが、現在の文化レベルの破壊、ブレイクスルーを望んではいない。それでは外の世界と幻想郷は、同じになってしまうだろう。大結界で隔離したというのに、本末転倒だ。

河童が近年注目されだしたのも、裏を返せばそれだけ危険視されているということになる。妖怪の賢者達の公的、私的、秘密裏の査察、監視を受けたのも一度や二度ではない。

人間に必要以上の技術を与えることは、幻想郷内ではタブーとなっていた。

外の人間であった傘屋も、それは人里に住み付く前に、幾度となく説明を受けている。そのルールに則った判断なのかとにとりは思っていた。

だから、それくらいはいいのでは、と思いビニル傘の販売を提案したのである。

実際、河童もいくらかの機械製品を里に卸している。ちゃんと妖怪の賢者達の許可を貰えるくらいに、使用する技術レベルを落としたものだ。ゆか倫シールが貼ってあるのがその証拠である。

 

だが傘屋は首を振った。それは、幻想郷の景観を考えてのことだった。

なるほど、職人らしい発想だ。

にとりだって、似合わないな、と思っていたのだ。便利なのは間違いがないが、テカテカとした色合いの傘が幻想郷に並ぶのは、あまり好ましくない。一端の技術屋である河童にだって、美意識はあるのだ。技術追求のために、環境破壊を是としたくはない。妖怪なのだ。河童も。

そして傘屋も、自分と同じ気持ちであった。

不思議な親近感。

にとりは何だか嬉しくなった。

 

 

「かっぱっぱー、かっぱっぱー」

 

 

自然と口ずさむ。

ちら、と傘屋と眼が合った。

 

 

「歌、うまいですね。自作ですか?」

 

「ひゅい!?」

 

 

聞かれているとは思わなかったにとりは飛び上がる。無意識に出た歌を聞かれるほど恥ずかしいものはない。しかもコメント付きである。

傘屋はひゅいひゅい――――――たぶん「はいそうです」という意味で、ひゅいと鳴きながら首を振る。恐らく盛大な勘違いをしている。ひゅい違いである。

 

 

「き、聞かないでよ、もう!」

 

「ははは、そろそろ休憩しましょうか、ね」

 

「うー、誤魔化された」

 

 

長時間作業をしていれば効率も落ちる。二人は立ち上がって背伸びをすると、背骨が小気味のよい音をたててぱきぱきと鳴った。

ついでに腹も鳴る。

時計の針は真上を差していた。

昨晩から何も食べていなかったのを思い出す。

にとりと傘屋は寝食を忘れて打ち込んだ後の、不思議な達成感に包まれていた。

 

 

「じゃあ、何か食べようか。準備してくるから、そこら辺に座って待っててよ。邪魔なもの足で除けてもいいからさ」

 

「それじゃ、失礼して」

 

「あ、それ、ネコを閉じ込めるための箱だから、危ないよ。触ると毒ガス出てくるよ」

 

「先に言ってくれませんかね、そういうのは・・・・・・」

 

「あははー、じゃあちょっと料理してくるから。ラムネでも飲んでくつろいでて」

 

「すいません。ありがとうございます」

 

 

手渡されたステンレス製のコップに、ラムネが注がれる。

透き通った緑色。

しゅわしゅわという耳に心地よい気泡の弾ける音に、爽やかな青い臭いが鼻をくすぐる。

長らく見なかった炭酸飲料水に、内心傘屋は感動していた。

 

 

「わあ、懐かしいなあ」

 

「外からスキマ送りしてもらったものだけれど、そんなに喜んでくれるんなら嬉しいよ。ほら、もっとあるから、どんどん飲んでいいよ」

 

「じゃあ、遠慮なく。幻想郷に来てからこちら、飲みものの趣向品といったら果実水かお茶か、酒くらいでしたから」

 

 

うれしいですよ、と傘屋はしゅわしゅわと水面が弾けるコップに口を付け。

 

 

「げぶぅあ! ごぶっふ! げぼぉ!」

 

 

次の瞬間、盛大に虚空に吐き出した。

むせる。

 

 

「な、な、なんじゃあこりゃあ!」

 

「ちょ、ちょっと、傘屋、何してくれるのさ!」

 

「ご、ごほっ、何して、ごぼっ! 何してくれるのは、こっちの台詞ですよ! なんですかコレ!」

 

「これって、これだけど」

 

 

これ、と差しだされたペットボトルを目にした傘屋は、がっくりと崩れ落ちた。

よりによって、それか。

確かに、それならば幻想入りしているだろう。

もっとよく考えるべきだったのだ。

薄緑色のラムネなどない。ましてやペットボトルに入ったラムネは、珍しかろうと。

だからこんなにも、ラムネであると期待して生じた大きな隙に、クリティカルだったのだ。

 

 

「え? 傘屋、これ嫌いだったの? どうして? こんなにも美味しいのに」

 

「げほっ、げほぉ! 嫌いというか、合わない、ごほふっ!」

 

「だ、大丈夫? 背中ぽんぽんする?」

 

 

傘屋の背をなでさすりながら、にとりは不思議そうにペットボトルをためつすがめつしている。

傘屋の口に合わなかったことに、どうにも納得がいかない様子だった。

あ、と何かに気付いた声。

 

 

「ごめん、傘屋。これラムネじゃなくて、コーラだった」

 

「知ってますよ、知ってますとも・・・・・・! でもね、にとりさん。人間はそいつと相容れることは出来ないんですよ。きゅうり味のコーラとは!」

 

 

静かに、諭すように、傘屋は言い切った。

えー、とにとりは不満顔。

ぐびぐびとコーラを一気飲みし、ぷはあと大きく息を継ぐ。

 

 

「美味しいよ?」

 

「首を傾げられても困ります」

 

「ええー。河童達のあいだじゃあ、この一本のために生きてるなあ、って評判なのに」

 

「河童って、河童って・・・・・・」

 

「しかし、きゅうり味の炭酸飲料とは。人間もたまにはいい事を考える。危うく脱帽するところだったもの」

 

 

絶句する傘屋。

さも美味しそうにペットボトルを咥えるにとり。

河童のきゅうり好きは聞き及んでいたが、ここまでとは。

きゅうり尽くしの手料理を何度も振るわれたことはあったが、流石にきゅうりの絞り汁までは無かったというのに。これからのにとり宅で振舞われる食卓はわからないぞ、と傘屋は恐ろしさに身を震わせる。

全く、人間は余計なことを考え付いてくれる。

河童を超える人間の創造性に戦慄する傘屋だった。

 

 

「今度、里に持っていく新商品のおまけとして、生産してみようかなって思ってるんだ、これ」

 

「食品サンプル付けるって発想に辿り着いたのは、さすが河童はすごいなと思いますけど、それは止めておいたほうが」

 

「にとり印の商品を買った人間達は、望外のサービスにみんなこう思うに違いない。お、値段以上! と!」

 

「聞いちゃいないよこの河童」

 

 

へいお待ち、と運ばれて来たかっぱ巻きを二人してぱくつく。

小腹が膨れれば、次は眠気だ。寝不足の瞼がゆっくりと落ちて来る。

 

 

「それでねそれでね、今度はね――――――」

 

「そうですか――――――」

 

「うんうん! でねでね――――――」

 

 

まどろむ意識。傘屋の耳に、それは届いた。

意識が浮上する。にとりの横顔。

にとりの視線を追えば、そこには山積みにされた、機械製品の箱が。

 

 

「買ってくれたら、いいなあ」

 

「にとりさん?」

 

「本当はお金もそんなに要らないけれど、ほら、妖怪の山にもいろいろあって」

 

「そう、ですか」

 

 

言って、スパナを回す。ゆっくり、ゆっくりと。

にとりは笑っていた。だが、それは、心からの笑顔ではない。

傘屋はにとりがとりかかっていた機械製品が何なのか、そこでようやっと気付いた。

確かあれは、冬場の寒波が厳しい季節に作っていた、暖房器具だったのではないか。

 

 

「にとりさん、それ・・・・・・」

 

「あ、これ? バッテリ式の全自動湯たんぽだよ」

 

「いや、そうじゃなくって。それ、確か一人暮らしのおばあさんに上げるんだって、作ってたやつだったんじゃあ」

 

「うん。まあ、そうなんだけど。いらないって、突き返されちゃったから。さっき工具の片付けしてた時に見付けて、いい機会だからメンテしようかなって」

 

「突き返されたって、そんな・・・・・・」

 

「何だか私、嫌われちゃったみたいなんだ。仕方ないよ、私、妖怪だもんね。あはは」

 

 

人里のはずれでくらしていた老婆が居た。

人見知りのにとりには珍しく、交友のある人間の一人であったらしい。

 

傘屋は思いだす。

にとりはその老婆のことが大好きで、いつも何かしてあげたいと言っていた。

それまで老婆は息子と共に暮らしていたが、息子が結婚して家を出てから、一人暮らしを始めたという。歳のせいか寒さが辛く、冬が心配だ。そう語っていたらしい。

だからにとりははりきった。

体を温める道具を作れば、きっとこの老婆は喜んでくれるだろう、と。

その年の冬、幻想郷は大寒波にみまわれることとなった。

冬が本格的にきつくなる頃、にとりはその老婆の話をしなくなっていた。

傘屋は湯たんぽを渡せたのだな、と思い、そのことについて深くは聞かずにいた。にとりが行った親切について根掘り葉掘り聞くのは、野暮だと思ったのだ。

 

傘屋は思いだす。

時を同じくして、幻想郷最速を名乗る鴉天狗から、一つの忠告を受けたことを。

あの老婆の話をにとりにするな、という。

その時の傘屋は、先の通りに思い込んでいたために、「そんな野暮はしませんよ」と答えたのだ。

だが、もっとよく考えるべきだった。そう傘屋は、今になって後悔する。

その天狗は、ぐっと、何かを堪えるような顔をしていた。

あれは怒りを堪えている顔ではなかった。

罪悪感に耐える顔だ。悔いている顔だった。今ならばそう思える。

 

たぶん、きっと、これは思い違いであって欲しいが、おそらく、“その場”にこの天狗もいたのだろう。

売り言葉に買い言葉。

ちょっとしたはずみで出てしまったのかもしれないそれに、口の達者な天狗は、何をかを言ってしまったのだ。

そして、にとりと老婆の関係がこじれてしまったのだろう。

 

傘屋が妖怪の山に顔パスで入れるようになったのも、その天狗の尽力のおかげである。

にとりの下へ向かうのだ、と言った時のあの天狗のほっとしたような顔は、そういう意味だったのだ。

罪滅ぼしのために、あの天狗は傘屋を妖怪の山に自由に出入り出来るよう、大天狗にまで掛け合ったのだ。

 

 

「妖怪の」

 

 

ぼそりとにとりは呟いた。

 

 

「妖怪の作ったものは、いらないって」

 

 

スパナはもう、動いてはいなかった。

 

妖怪の賢者たちの取り決めで、人里に必要以上の技術が普及しないよう、調整がされている。

ではなぜ河童達の造った近代道具はいいのだろう。そう疑問に思ったことが、傘屋にはある。

おかしな話だ。間違いなく河童の造る道具は便利で格安で、だから傘屋も愛用しているのだが、これで売れない訳がない。

幻想郷の技術レベルが、少なくとも一般家庭に普及されている技術くらいは、外の世界のそれと同程度になっていてもおかしくはないというのに、そうはならない。なぜか。

答えは簡単だ。

妖怪が作ったから、これに尽きる。

 

幻想郷の住民達は、いかに妖怪が恐ろしい存在であるか、骨身に染みている。

人間がそうやって畏怖を抱くことが、幻想郷の前提である。妖怪は恐ろしいと、魂の髄にまで刻まれているのだ。そうでなければ、幻想郷に住まう資格は無い。傘屋や、過激派の固定ファン達のような存在の方がイレギュラーなのである。

確かに人里で普通に買い物をする妖怪もいる。

だがそれは、人が彼等を敬い、畏怖しているからこそ成り立っている関係だ。恐怖がその根底にあるのである。

 

すると、どうなるか。

恐怖は、その対象がいない瞬間は、嫌悪に変わる。

恐ろしいものは避けたいと思うのは当然のことだから。

妖怪のにおいが染み付いた品を、好んで家に置きたがる者は、なるほど居はしないだろう。

金の余った好事家か、傘屋のように妖怪と人間との区別が薄い者にしか、売れやしない。

それでも河童が作った道具が大量に店頭に並ぶのは、彼等が人間のためにとその技術をこらした結果であり――――――それが売れずに在庫として返品されていくのも、賢者達が予測した通りなのだ。

幻想郷の生活は変わらない。賢者達は初めから解っていたのだろう。

 

幻想郷は、間違いなく妖怪のための楽園である。

河童が人のために道具を作りたいと言うのなら、その通りにさせればいい。

それを買うかどうかは、人間の決めることだ。

賢者、と呼ばれるだけのことはある。

河童の望み、人間の対応、全て承知の上での取り決めだったということだ。

ゆか輪シールが、なんだというのだ。

傘屋は笑ってしまいそうになった。

だが、笑えなかった。にとりと一緒には、笑えない。今は、駄目だ。そう思った。

 

 

「おばあさんね、先週、死んじゃったんだって」

 

「にとり、さん・・・・・・」

 

「冬の寒さが体にたたったんだって、息子さんが言ってた。おばあさんが死んじゃったのは、私のせいだって。私があの時、無理矢理にでもこれを渡していればって」

 

「それは違う。違うんだよ、にとりさん。違うんだ」

 

「あはは、いやー流石にそれは私にも解るよ。母親を亡くして、悲しみをぶつける相手が欲しかったんだ。うん、だから大丈夫だよ、ね?」

 

 

老婆がにとりに良くしてくれたのは、なぜか。

妖怪が来てしまったら、へりくだり、媚を売って、どうか食べないでくださいと懇願する。それを徹底する態度こそが、人間が幻想郷で生きていくために身につけなくてはならない、必須条件なのである。

にとりはそれに気付いてしまったのだ。

いいや、ずっと前から解っていたのかもしれない。

 

老婆との間に感じていた絆は。

人間と交わした友情は。

まやかしでしかなかったのだと。

 

 

「もー、考えすぎなんだから、傘屋は。そんな顔しなくってもいいってのにさ。大丈夫だって」

 

 

にとりが大丈夫、と言う度に、傘屋はそれは自分自身に言っているのではないかと、そう聞こえてしまう。

 

 

「もっと便利なものを作れたら、みんな、喜んでくれるかなあ」

 

 

傘屋はいてもたっても居られなくなって。

だからにとりの頭上に傘を差してやった。

何故か、などとそんなことを考えるのは止めた。

自分は傘屋でしかない。どうせ傘を差す事くらいしか出来ない。それでも何もしないよりは、ずっといい。

 

 

「ちょ、ちょっと傘屋。ここ室内、というか洞窟内だけど、天井あるんだから、傘なんか差さなくても」

 

「雨だからですよ」

 

「だから、雨漏りもしないんだってば。それにほら、外、晴れてきたじゃないか」

 

「雨ですよ」

 

「いや、もう晴れたってば」

 

「雨なんです。だから、ほら、もっと深く帽子をかぶって。いくら河童でも、濡れちゃったらいけない」

 

「わっぷ」

 

 

無理矢理ににとりの帽子を目深にかぶらせる傘屋。

大きめの帽子は、にとりの鼻さきまでを覆った。

そのまま頭に手を置いて、ぽんぽんと叩く。

 

 

「・・・・・・お節介な人間だなあ」

 

「傘屋ですから。婦女子が雨にうたれるのを、見ぬ振りは出来ません」

 

「うん、ありがと。じゃあ、もうちょっとこのままでいてもらおうかな」

 

 

そう言って、にとりはぎゅうっと帽子のつばを握った。

顔を隠しているようにも見えた。

 

雨が降っている。

傘屋はすっかりと晴れた外を見ながら、そう思った。

 

 

「ん、よし、と。ほら傘屋、もう雨は止んだよ」

 

「にとりさん、でも」

 

「いいから、もう雨は止んだんだから、傘屋は店じまいしなってば。押し売りは嫌われるよ。払う銭もないけれど」

 

「でも」

 

「大丈夫だってば。休憩終わり。作業に戻ろうよ」

 

「本当に、もういいんですか? もう少し休んでいてもいいのでは」

 

「だめだめ。人間達のためだもん。ようし、がんばるぞー!」

 

 

妖怪は人を襲う。

人を襲わぬ妖怪は、妖怪ではない。

それは河童も例外ではないのだ。

河童は川でおぼれた人間を、そのまま川底に沈めてしまう。他の妖怪に比べて頻度は多くはないが、それでも人を襲っているのだ。

それはもちろん、にとりだって。

 

何ヶ月かに一度、にとりは傘屋の前に姿を現さなくなる時がある。

それは糧としてスキマ送りにされてくる外来人を、川底に沈めた時であると、傘屋は知っていた。

可憐な少女にしか見えないにとりも、妖怪として恐れるに足る理由があるということだ。

ようやく顔を見せたにとりのその顔が真っ青で、今にも泣きそうなのを堪えて、無理矢理に笑っていたとしても。

妖怪なのである。

河城にとりは、妖怪なのである。

人間に恐れられることは、避けられないことなのだ。それは自然の摂理で、どうしようもないことなのだ。

にとりはそれを、ちゃんと理解している。

 

 

「どうして」

 

「んー? どしたの、傘屋?」

 

「どうして、そうまで人間に良くしてくれるんですか? 人から恐れられてると、解っているんでしょう? なのに河童は、どうして」

 

「そんなの当然じゃん」

 

 

何でもないと、当たり前のことを言うように、にとりは傘屋に振り向いて、にっこりと笑った。

心からの笑顔だった。

だというのに、それは深く傘屋の心に突き刺さる。

 

 

「人間は河童の盟友だから。私、人間のこと好きだもん」

 

 

差し伸べた手を振り払われてなお、にとりは人間を好きだと言った。

ああ、と傘屋の心は、真っ白に漂白されてしまった。虚しさではなく、哀しみが溢れてくる。零れ落ちぬよう、必死にそれを留めた。

傘屋は、にとりも解っている。

河童が人間をどれだけ想おうと、人間は河童に想いを返してはくれない。

にとりも、河童たちも、それでも人間を好きでいてくれるのか。好きで居続けてくれるのか。

 

傘屋は天を仰いだ。

洞窟の岩肌と、蛍光灯の灯りが目に染みる。

白色の輝きを理由に、傘屋は一度だけ目元を拭うと、作りかけの傘に向き合った。

 

本日の幻想郷の空模様。

雨、のち、晴れ。ところにより、にわか雨――――――。

 

 

 

 

 

 

 


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