ノシ棒:短編集(ポケモン追加)   作:ノシ棒

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東方Project 幻想郷の傘屋さん4

「・・・・・・ははあ、そうか、そうかそうかそうか、そうか! お前、ぬらりひょんか! はは、そうか! 初めて見たぞ、ぬらりひょん!」

 

「お、俺は妖怪では、ない、ですよ!」

 

「そりゃあそうだ! ぬらりひょんは人間だからな。間借りの能力を持った人間、それがぬらりひょんだ! 

 そいつはどこにだって入り込む。他人の家で平気で飯を食い、気付けば妖怪たちの先頭を歩み・・・・・・面白いのはな、ぬらりひょんがそこに居ても、誰も部外者だって気づかないのさ。

 当然さね。そこに居る間、ぬらりひょんはそいつらの一員に成り切っているんだから。自分自身だって、よもや他所者であるなどと思ってもいないのだろうよ!

 家に入れば家族となり、妖怪に紛れれば妖怪となってしまう、間借りの能力者。それがぬらりひょんなのさ! そこにちょっとでもスキマがあれば、ぬるりと入り込んで本物になっちまう。

 それは物質に限った話じゃない。魂だって例外じゃあないのさ。入り込まれた人間は、限りなく人妖に近い存在となる」

 

「じゃあ、俺は」

 

「憑依物だか何だか知らんが、そういう系統の存在だよ。死人の欠けた魂の間を借りてるだけの、何処かの誰かさ! その証拠に、お前、自分の名を言えるか!」

 

「お、俺は、俺の名前は・・・・・・!」

 

「だがまあ、そう悲嘆に暮れるものでもないよ。お前は私をこうして喜ばせているんだから。お前から感じる恐れが、美味くって仕方がない。

 ぬらりひょんは究極に人間的な存在であると言えるからな。人間の持つ適応力ってえ奴を極限まで引き上げた能力なんだ。当然さ。

 嬉しいじゃないかい、人間代表様とこうして拳を交えられるなんて、鬼冥利に尽きるねえ!」

 

「う、ううっ・・・・・・」

 

 

男にはもう、先ほどまでの勢いは微塵も残ってはいなかった。

気力が根こそぎ失われている。

辛うじて女の拳を防いでいるだけのようだった。

 

 

「・・・・・・ぬらりひょんならもしやとも思ったが、やっぱり人間なんて、こんなものってことかい」

 

 

女は一撃で上半身を吹き飛ばさんと、真後ろにまで腰を捻った。

今までのように手抜きをした速いだけの拳ではない。それでも殺意を込めていた拳はどれも必殺の威力であり、それは手抜きであって手加減ではなかったのだが、これは別物であると肌で刺すように感じる。

女の腕に幾筋もの筋と血管が浮かび、みしみしと骨が軋む音がした。一回り、二回り、筋に血液が送られて女の腕が膨れ上がっていく。

その一突きは山を穿ち、地を裂く拳。

人間相手には過剰至死の、女の全力だった。

これは女なりの礼儀のつもりだった。

少しばかり期待させてくれた男への。期待が裏切られたことへの恨みも込めて。

音を置き去りに、女の拳が放たれた。

 

 

≪おっと残念。うらめしやー≫

 

「むうっ・・・・・・! またか、しつこい奴!」

 

 

ずばんと勢い開かれた傘に、女の拳は狙いを反らされた。

流石に無理な態勢から完全に弾くことは出来なかったようで、女の拳先は傘の一部を抉り取った。だが、男は必殺の一撃から難を逃れている。

大きく見開かれた目玉模様から、涙が滲んでいる――――――ように見えた。

 

 

≪あいたたたた! もう、ほらお兄さんもシャキッとする!≫

 

「お、俺は・・・・・・」

 

≪お兄さんは何さ? その体に憑依して来た、どこかの誰かさん? そんなことはどうでもいいでしょ。だって、幻想郷は全てを受け入れるんだもの。

 あそこに流れついたやつらはどうせ幻想なんだ。確かなものなんてない。だったら名乗ったもの勝ち、言い張ればいいんだよ。それが全てさ! さあ、お兄さんは何! 言ってごらんよ!≫

 

「俺は――――――ぬらりひょんなんかじゃ、ない」

 

≪そう。それでいいの。まったく、お兄さんはわちきが居ないと本当危なっかしいったら――――――≫

 

 

女には、掲げられた傘の目玉模様が、それはもう嬉しそうに細められている――――――ように見えた。

どこからともなく風に乗って少女の声が聞こえて来たように、それは幻覚だと思った。

 

 

「じゃあ、何だって言うんだい?」

 

「俺はただの・・・・・・通りすがりの、傘屋ですよ」

 

 

数瞬の沈黙の後、男は静かな笑みを湛えて、女へと名乗る。

それは名と呼べるものではなかったが、男を表すにはこれ以外にないと思わせる不思議な響きがあった。

 

 

「・・・・・・なるほどね。役割を名とするなんて、面白い人間だ。そういう在り方が、お前さんのような人間にとっては一番良いんだろうさ。

 迷いの晴れたいい顔してるよ。でもね、それでこの私に勝てるだなんて、思うんじゃないよ」

 

「はい、解っています。だって勝つのはこれからですから」

 

「はん、言ったね! 鬼を前にして笑うなんざ、気に入った! もっと愉しませてあげるから、駄目になるまでついてきなよ!」

 

 

女も耳まで裂けるような笑みを浮かべながら、男へとぐいと顔を近づけた。

額の骨から皮を貫いて直接生え出た真紅の一本角が、男へと差し向けられる。

女は妖怪だった。

女は鬼と呼ばれる存在であった。

 

 

「そら、折ってみろ人間! 折ってみろ!」

 

「勝ちます、必ず」

 

「下手くそな喧嘩の売り方したわりにゃあ、いい答えだ。笑えるね! 殺さず手足を千切って、攫ってやろう! 

 安心おしよ、寿命が尽きるまで愛でて、飼い殺しにしてあげるからさあ!」

 

「俺が貴女に差し上げられるのは、敗北だけです」

 

「そいつはいい、私が負けたら首をやるよ!」

 

 

それは異様な光景だった。

女が撒き散らす暴虐の嵐を、男が穴の空いたオンボロ傘でいなしては受け流している。

妖怪と真正面からぶつかり合える人間は、ほんの一握りだけだ。

そして女は力を象徴する鬼であり、そんな女の拳戟を前にしてなお男が生き残っているのは、よほど技量が優れているか、何らかの能力を駆使しているかのどちらかなのだろう。女の戦いの勘を信ずるならば、それは前者である。

 

視界に入れるだけでも恐ろしい光景だ。

だが当の本人である女鬼には狂気も愉悦も無く、男にも憎悪や義憤は無かった。

その口元に笑みを浮かべ、まるでじゃれ合って遊んでいるようにも見えた。

“この”時代、人と妖怪は、お互いに共生関係の中に在った。

あくまで、この時代では、の話である。男の知る時代ではもはや鬼は消え失せ、鬼と肩を並べられる人間も存在してはいなかった。

人は妖怪と争うことで力と知恵を身に付け、妖怪は人を害することで命を長らえる。

人と妖怪は食うや喰われるやの関係で、お互いの生活を支え合って生きている。ある種の強い信頼関係で結ばれていたのだ。そんな時代だった。

 

例えば、鬼がそうだ。

鬼退治の物語を紐解けば、古今東西津々浦々、どこにだってある噂話に端を発している。鬼が悪さをするのは、掃いて捨てる程の、別段珍しくも何ともない話だということだ。それだけ、鬼という種族は人と密接な関係を持っていたということでもある。

ここで女が嗤ってしまうのは、鬼退治、までが鬼が持つ人との関わりの、一連の流れであるということだ。お話の終末の大抵が、鬼が退治されてめでたしめでたしで終るのだ。

鬼にだって家族は居る。身内を食わせてやらなければならないし、立場というものだってあるのだ。だから、退治されて犠牲になる鬼は、そういう偉い奴らからだった。

鬼がどうしようもない無敵の存在であったなら、人間はずっと警戒し、鬼の前から姿を消してしまっていただろう。

そうなれば、鬼は餓えて死ぬだけだ。

鬼に限らず妖怪は、人の肉だけではなくその感情や魂、思念を喰らうからだ。

だから鬼は無敵であってはならなかった。

 

つまり、鬼が選んだ人との在り方とは。鬼という種族とは――――――人を害し、人に敗れることで、初めて人と共に在れる種族、だった。

いつか自分を打ち倒す人間が現れることを、闘争の権化である鬼は待ち望んでいるのだ。

敗北も、闘争の持つ一側面でしかない。それが鬼の考え方だった。

しかし持って生まれた力が本当に純粋な、唯の力でしかなかった女にとって、それは不幸以外の何物でもなかった。

何せ、負けないのだ。

笑ってしまう程に、女は不敗を貫いていた。

彼女の力の前には、人間はあまりにも脆過ぎたのだ。

どれだけ手加減しても、ほんの少し撫でただけで手が飛ぶ、足が飛ぶ、首が飛ぶ。

遠くから術を撃たれようとも、腕を一振りしただけで悉く台無しにしてしまう。

普通の鬼であったなら、そこそこ名を上げた陰陽師でも出張って来たら、それで終いだっただろう。

しかし人間の用いる術など、女の持つ力の前には児戯に等しかったのだ。

女には力があった故に、力しかなかった故に、それを振るうしかなかった。

 

『怪力乱神』――――――語ることの出来ぬ程の、破滅的な金剛力。

若鬼である女自身には、抑えようとして抑えられるものではない。

人間と戦いになどなるはずがなかった。

 

 

「ほうら、どうしたどうした! 受けるだけじゃあ勝負にならないよ!」

 

 

女は生まれて初めて満たされていた。

実の所、女の存在は危機に瀕していたのだ。

妖怪は人に恐怖されるだけではなく、その在り方を満たさなくては消えてしまう。

人との闘いを楽しめない鬼は、生きながら死んでいるようなものだった。

だがこの瞬間だけは違う。

息を吹き返したように、女の表情は爛々と輝きを放っていた。

きれいだな、と男は率直にそう思った。

 

 

「ああ、でも鬼を殴り返せと言うのも酷か」

 

 

よし、と女は頷く。

男の突き出した傘を片足で絡め取り、女は盃をずいと掲げた。

戦いを楽しみたいのであって、流石に人間と対等に戦いたいとは、女も思ってはいなかった。

種族の壁はそう簡単に超えられるものではない。鬼と殴り合いをしようとは土台無理な話である。

故に、鬼は己に枷を嵌める。

人間が付け入ることの出来る隙を造ってやるのだ。

有名所を挙げるならば、かの酒呑童子である。

あの鬼は素面で人と戦うことは決してない。その名の如く、飲酒した後の酩酊状態でのみしか人と戦おうとしなかった。

女も鬼であるために、己に枷を嵌め、人の前に現れていた。

友である女鬼のように自分の密度を萃めたり薄めたりといった器用な真似は出来ないため、始めは手足に重りを付けて戦った。しかしそんなものに意味は無かった。次はまずい酒を浴びるほど呑んで戦った。それも意味は無かった。酔えないからだ。

終いには大盃になみなみと酒を注ぎ、一滴でも酒を零させたらお前の勝ちとしてやろう、などと首を掛けるには重すぎる枷を嵌めるまでに至った。

だが、それも女の力の前には無意味だった。

そして女は人間の脆さに諦めを抱くようになった。

しかし、と女は淡い期待を抱く。

この足先で顎をくいと上げられながら、必死の形相で傘を押す男ならば、あるいは。

 

 

「条件を付けてやるよ。この私の盃に注いだ酒を一滴でも零す事ができたら、お前さんの勝ちってことにしてやろう」

 

「それは有り難いことで。ついでに足を解いてくれると嬉しいんですが」

 

「観音様を拝めたんだ、むしろ手を合わせて感謝してほしいもんだね!」

 

 

蹴飛ばし、木っ端のように吹き飛んで行った男が危うげなく受け身を取った様に、確信を深くする。

流石はぬらりひょん。これまで間借りして来た人間の経験が集約しているのか、見た目の年齢に見合わぬ体術の達人である。

首を洗っておくべきだったか。

さて、余力は十分だが、そろそろ男の身体がもたないだろう。

これを最後の一撃としよう。否、三撃か。

 

 

「人間、いやさ傘屋さんよ。どうか死なないでおくれよ。お願いだから、防ぎ切ってみせておくれ」

 

 

腰溜めに構えた拳に宿る妖力は、これまでの比ではない。

そこはまだ拳の間合いではなかった。だが、膂力に合わせ妖力までも上乗せされた拳には、距離など無に等しい。

空気が震える。地が揺れる。天が悲鳴を上げ始める。

だが女の盃にそそがれた酒には、波紋一つ出来てはいなかった。

 

 

「いくよ――――――!」

 

 

三歩破軍、三歩必殺――――――。

 

裂帛の気合と共に拳が放たれる。

巻き起こる拳風は、さながら竜巻の様。

大気を殴り付けることで拳戟そのものを拡散して飛ばす、妖力を用いた間接打撃である。

 

怖気を震う大気の塊に渦巻く妖力が絡みつき、壁となって男に迫り来る。

男の穴だらけになったオンボロ傘と、女の奥義とがぶつかり合った。


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