※オリキャラは一人もいません。戦闘があります。
※いろいろと独自の解釈が入っています。寛大な目で見ていただければ幸いです。
※明確に時代を設定していますが説明していません。歴史上の人物が出てきます。
鞍馬山には天狗が住む。古来より都で言い伝えられていることである。
事実、人々は鞍馬山の奥には足を踏み入れることはない。特に夜に入ることは古来より絶無であろう。いや、いたのかもしれないが生きて帰ってはいない。
その禁忌の地に少年がひょいひょいと入っていく。手には燃え滾る松明を持ち、涼しげな顔を照らしている。腰には何も帯びてはいない、少なくとも身をも守るための武具は持ち合わせてはいないのだった。
少年は美しかった。
流れるような黒髪を紐で結び、白い水干を帯びている。足取りは軽い。彼は奥へ奥へと入っていく。その表情は心なしか微笑んでいる。
彼がここに来たのは単に入りたかったからだった。周りの大人たちが怯えて話すこの鞍馬山の奥地を自らの眼で見てこようと思ったのであろう。子供として純粋な好奇心と言えばいいのか、それとも人並み外れた勇気といえばいいのか難しい。
少年がしばらく歩くと、森の奥に明かりが見えた。こんな奥地に火があるとは、人のものではない。天狗のものであろう。少年は「あっ」と一声叫び、頬を緩ませる。怖くないのだろうか。
たたっと飛ぶように少年は走っていた。いつの間に走り出したのかは彼にも分からない。
木々の間を抜けて、ばさっと茂みをはじいていく。浮かぶ火の近くに来るとそれが何かわかった。灯篭が並んでいる。
無数に山の奥へ向かって並ぶ赤灯篭と石畳。
それが天狗の作った物と思うと少年は妙に感心してしまった。彼はさらに近づいていく、石畳に乗ってみる。足元にしっかりした感触があった。幻ではないらしい。この先に行けば何があるのか、彼はしばし考えてから、見に行くのが早いと思った。
灯篭には火がともっている。ほのかな橙の火が石畳を照らしている。遠くまで続くそれが、少年の好奇心には堪らない。左右に木々が並び、赤々と紅葉している。そこで少年は秋であることをふと思い出した。
夜を照らす灯篭。騒めく紅葉。少年の軽い足取り。それを見る者は一枚の絵画のように感じるかもしれない。だが彼を「見ている」者はそんな風流を解するような相手ではなかった。
「そこにいくもの。まて」
声がする。少年は振り返った。
石畳の先に佇む人影、白い髪をした少女だった。手には一振りの刀を持っている。
頭には山伏風の六角形の帽子をかぶり、動きやすい為か白い狩衣を着こんでいる。ぎらぎらとした両目は真っ直ぐ少年を見ている。敵意と殺意の感じられるだけの冷たい目だった。
少年は涼しい表情を崩さない。いや、好奇心で目が輝いている。
「ああ、これが天狗かぁ。我(おれ) 初めて見た」
それだけ言った。そう、この少女は天狗である。名を犬走椛といい、白狼天狗である。彼女はこの山に不用意に入って来る侵入者を排除する役目を持っている。この場合、少年を斬らねばならない。だが、椛がわざわざ声を掛けたのには理由があった。
「人の子。幼いからといってここは軽々に入っていい場所ではない。早く立ち去れ」
厳とした口調で椛は言う。言葉に温度はない。本来であれば問答など無用である。
すでに「情け」はかけた。少年の「幼さ」が彼女のそれを引き出したのである。ただ、もうかけ終わったからには少年が抗えば斬る必要がある。
少年はなんとも不思議そうな顔で椛を見ていた。きょとんとした瞳、まさに少年である。彼はくすりとして言う。石畳の先を指さしながら。
「この先には何があるの?」
「……去れ。貴様のような者が知る必要はない」
天狗はすうと息を肺に込める。手に持った刀に力を籠める。刀身が、炎を映す。
夜の闇と灯篭の炎、そして椛の影。それは一匹の狼の影。少年は向き合ってもう一度くすりとする。
「へえ、じゃあ見に行くか」
だっと地面を蹴った椛は一直線に少年に向かう。履いた下駄が石畳を鳴らし、斬撃が飛ぶ。銀の閃光が刹那に光り、少年を襲った。一瞬のことである。椛はその紅い瞳で少年の首を落とすつもりだった。役目なのである。
しかし見てしまった。惹きこまれたと言っていい。
少年の瞳。只々椛を見ている。
それが彼女の斬撃を多少狂わせた。何かを切った感触。
からんからんと両断された松明が落ちる。少年の持っていたものだ。
椛は石畳に着地して、ちっと舌打ちをする。仕留めきれなかったことを悔やんでいる。腰を捻り反転する。次の手で両断する――
草履が飛んできた。
「わ」
驚いて椛が横に飛ぶ。小さな少年用の草履が地面に落ちる。彼のささやかな反抗である。少なくとも、これ以上の武器を彼は持っていないのだ。彼は残った草履も脱ぎ捨てて、はだしになる。
「ふふふ、あはあは」
椛は笑い声にはっとした。みれば腹を抱えた少年が笑っている。彼は今死にかけたというのに、楽しそうに声を上げていた。椛が草履ごときに本気で避けたのがおもしろかったのだろう。狂っているのかもしれない。
椛の心がさらに冷えていく。刀を握り直して。ざくりと草履を斬る。そして真っ直ぐ少年を睨んでもう一度飛ぶ。
少年の目の前に立つ彼女。少年は笑いながら見ている。
刀が空から落ちてくる。少年から見ればそうだろう。上段からの切り下げである。少年の影がゆらめく。刀が空を切った。少年の着物にかすらない。
椛は手首を返して、横に薙ぐ。するり、そういいたくなるようなほど少年は椛の脇を通り抜ける。いとも簡単に。
「なっ!」
たたらを踏む椛。信じられない、少なくとも手加減をしているわけではない。それをことごとく少年は躱す
少年は石畳の上で体を回す。水干の長い袖がゆらゆらと揺れる。優雅に、踊るかのように。
まるで遊んでいるかの様に。
「もっと遊ぼう。天狗」
にっこり笑い。少年はその場でくるりと回る。その長い袖が揺れる。
「調子に乗るな!」
身を沈める椛、ここから一気に――踏み込む。肩に担いだ刀を斜めに振り下ろす。袈裟切りである。手ごたえがない。椛は再度驚愕する。気が付いた時には少年は目の前にいなかった。
「どこだ!」
椛は叫んだ。焦燥の滲んだ表情であたりを見回す。ぐるると牙を出しているが、強がりもある。
「こっちだ」
少年は灯篭の上に「座っていた」。いたずらっぽく笑いながら、椛を見下ろしている。
どっちが天狗かわからない。椛は少年からばっと飛びのいた。それから気が付く。たかが人間の「少年」から、逃げた。数歩程度でも椛は後ろに下がった。それがひどく彼女の自尊心を傷つけた。
椛の眼が殺気に満ちていく。握った刀を寝かせるように構える。その刀身が紫の光が包む。
一閃。灯篭を切った。石造りのそれがさくりと両断される。人間では難しいだろう。
少年は「おお」と感心した顔で崩れ落ちる灯篭から飛び降りる。椛を見ながら綺麗な目だと思った。地面にふわりと着地する。
それを読んでいた椛が振り向きざまに怪刀を振るう――
★☆
椛の顔が恐怖に歪んでいた。彼女は刀を正眼に構えている。いや、その格好から凍り付いたように動けなくなっている。額から滲む汗。震える体。
「すごい! すごいなぁ。我死んだかと思った。清盛のじじいのとこのやつらよりすごいや!」
少年はぱちぱち柏手を打つ。
椛の刀の上で「しゃがんだまま」である。細い刀身に両足を器用に載せている。椛はそれが信じられない。今目の前にいるのは人間ではないと思った。では、なんだろう。
「よっと」
可愛い声を出して少年が降りる。椛はそれで気が抜けたのかその場にへたり込む。少なくともこのようなことができる少年に勝てる気が彼女にはもうない。相手が丸腰であることも忘れている。
へたりこんだ椛をきょとんとした顔で少年は見る。周りの灯篭の炎がぱちぱちと鳴っている。少年は椛の表情を見て素直に思った「悪い」と。しかし、なんで椛が怯えたような表情をしているのかまでは分からない。
あ、と思い当たった。無断で侵入したから椛は怒っているのだろう。ずれている。少年は「人」として抜きんでた才能があったが、この先の生涯においても「ずれて」いた。
「我、帰るよ。ああでも。うーん」
裸足になった足を見ながら少年は唸った。このまま帰ったのではどろだらけになってしまうだろう。それは椛に草履を斬られたからである。少年は呆けている椛をちょっと見て、言う。
「おんぶ」
★☆★
何でこんなことをしているのだろうか。椛は自問自答を繰り返していた。
彼女の背中には少年がしがみついている。草履を斬った罪で椛は少年を山のふもとまで送ることになった。なんでそうなったかは彼女が一番聞きたい。さっきまで振り回していた刀は腰に佩いた鞘の中。
当の少年は彼女の白い髪を珍しげに見ながら、たまに触って来るので心底うっとおしい。今ひっぱった。
「い、いでで。や、やめろ!」
「へえぇ。きれい、つやつやしてる。天狗ってみんな白いのか」
「違う。私たちだけだ……、おい、触るな」
少年は好奇心の塊だった。しかも話を聞かない。天狗装束を見たいのか背中でもぞもぞしている。おんぶをするには最悪の部類である。刀の鞘に触れようとして、間違っておしりを触ってきた時には、
「きゃ! ふざけるな!」
一度下ろしてゲンコツをお見舞いした。あとで考えるとあれだけ斬り込んでもかすりもしなったのにそれは当たった。少年は怒られたことすらも楽しそうにしている。頭をさすりながら苦虫をかみつぶしたような顔をしている椛の腰にしがみついてよじ登る。
椛はもう一度少年を背負ってふかぶかとため息をついた。一緒にいると疲れる。毒気も抜かれてしまう気がする。とっと山のふもとに放りしてしまおうと思った。ただ、やられっぱなしは腹が立つ。
椛はにやりと笑う。
「おい。しがみついていろ」
「……うん!」
意味わからず元気の良い返事をする少年。椛は口角を吊り上げてだんだんと足を速めていく。灯篭の並ぶ石畳をかつかつと下駄を踏みならしながら降りていく。
まわりの景色がすこしずつ速くなっていく。
少年は顔に当たる風が強くなるのを感じる。
灯篭の立ち並ぶ景色が流れていく。少年は椛に必死に椛にしがみついている。これが天狗の脚力である。椛は飛ぶように走る。風すらも遅い。
椛はさらに速く走る。少年が悲鳴でも上げてくれれば面白い。面目も少しは立つ。しかし、そんな思惑は外れた。
「う、うわああ!」
きらきらと光る眼で楽しげに笑う。初めて見る「天狗の世界」に彼は胸躍らせた。空を見れば星々が光っている。椛はち、と舌打ちした。ならばと足に力を込めて。跳躍する。
上にあがる感覚。少年は初めて味わった。椛の首を絞めるくらい強くしがみついて、眼をぎゅっと閉じる。数秒前の前が真っ暗。それを破ったのは彼女の声。
「く、くるじいから離せ」
少年はあっと力を緩める。体は浮遊感に満ちている。
目を開けて、少年は世界を見た。
空の真ん中。木々よりも高い場所。星と月に囲まれた夜の中天に彼はいた。
見下ろせば京の灯が見える。少年は思ったことをそのまま口に出した。
「綺麗だな……」
急に大人びた声。椛は少しびくりとした。だが、背中に張り付いているのは紛れもなく子供である。それにこれからが本番である。
「おい。落ちるぞ」
椛は楽しげに言う。びびれ。思う。
落下し始める。体が冷えていき感覚が少年を襲う。
「お、おぉお!」
近づいてくる地面に歓声を上げて喜ぶ。椛は悔しそうである。
★☆★
「本当にここでいいのか」
山のふもとに近い場所で椛は言った。少年は大きな木に体を預けて胡坐をかいている。だらしないというよりも、足の裏を地面に付けたくないのだろう。
「うん、どうせ探しているから」
「親か」
「いや、おっかあはしばらく会っていない」
「そうか。だが父はいるだろう」
「戦で死んだらしい」
なんでもないように言う少年。珍しい話ではない。
「子供のころ会ったことがあるだけで父の顔は知らない。覚えていないや」
「……今も子供だろうが」
「まあ、うん。一応そう」
かくっと肩が下がる椛。やはり少年は「ずれて」いる。少年はそれでも少し寂しげに言う。
「兄ちゃんならいっぱいいる」
椛はびくりと体を震わせた。こんな少年が大量にいたら堪らない。いてたまるかと思う。少年は流石に椛が何を思っているのかは分からないから、自分のことで続ける。
「都にもいるけど、仲良くない。遠くの、遠くのあずまえびすが住んでいるところにも見たことない兄ちゃんがいるらしいから会ってみたいなぁ……」
「関東か」
「なにそれ?」
椛は「あずまえびす」を解釈してやったのに肝心の少年が分からない。だが、彼の人生は「兄」との因縁を最後まで断ち切れずに、燃え尽きる。もちろんそんなことは少年は知らないし、椛も知らない。
「まあ、なんでもいい。それじゃあ私は行くぞ。……二度と来るなよ」
そうやって踵を返そうとして、ぐいと引っ張られた。少年だろう。足を汚したくなかったはずなのに椛と離れる段になってあわてて立ち上がったのだろう。
「なんだ……」
「刀を教えてくれ」
「はあ?」
椛は皮肉かと思った。剣術を教えろということなのだろうが、ばかにしているのかと思いう。散々翻弄されたのだから、少年に教えるなぞ恥ずかしいし天狗が人間に教えるなんておかしい。
「いいかげんに」
そう思いながら後ろを振り向くと。椛はどきりとした。
泣きそうな顔で少年が立っている。今まで何があっても笑っていたのに。椛はふと思った。刀を教えるなどということは単なる嘘で、本当は自分に去ってもらいたくないだけなのだろう。
両親の愛を受けていない。兄ともうまくいっていない。少年は寂しいのだろう。
「……うー」
犬の様に唸ってしまう椛。彼女は腕を組んでそわそわする。とっとと戻ればよかった。
「口述で教えてやる。座れ」
「うん!!」
さっとその場に座り込む少年。椛は苦々しげな顔をして座る。何を話そうかと迷う。
★☆★
「御曹司―! 御曹司」
遠くで野太い声がした。椛はいらっとしたが、すぐに少年を迎えに来たものだろうと思った。「御曹司」とはぴったりである。
椛の膝枕で少年が寝ている。彼女が遠くの声にいらついたのは少年が起きないか無意識に心配してしまったのだろう。だがそんなことをする義理などないと直ぐに気が付いた。椛はそれでも優しい手つきで少年を抱えると、大きな木の幹に寝かせる。
すうすうと寝息を立てる少年。それをみて苦笑する白狼天狗。
「それではな。牛若」
椛はさっき教えてもらった名を呼びながら頭を撫でると身を翻す。わざと声のする方に石を投げておいた。気が付くだろう。
★☆★
「う、ん。もみじ」
牛若は大きな背中に揺られていた。彼は男臭い匂いにはっとして飛び起きた。背負っていた男はびっくりして、落とさないように慌てる。彼が牛若を探しに来た男なのだろう。
「椛は!?」
「夢を見られておられたのですかな?」
男は日焼けした顔をほころばせる。恰好は僧形。頭は白い布で覆っている。僧であるのだが大柄で腕が恐ろしく太い。まるで鬼の様である。要するに僧兵である。
「俊にい」
男は俊章という。牛若はこのような僧兵に囲まれて戦い続けることになる。後世彼らの伝説がまとめられたのかどうか、武蔵坊 弁慶という物語が作られた。
牛若は悲しげに顔をゆがめてああ、と嘆息した。寝ている間に椛は山に帰ったのだろう。落胆した様子で彼はぽつりと言った。ともすれば泣きそうな声だった。
「我は天狗に刀を習ったよ」
「ほう! それはそれは」
俊章はたわいのない冗談だと笑った。鞍馬山に入り込んだと思って必死に探したが、見つけてみれば麓の林の中で寝ていたのだ。夢でも見たのだろう。
俊章はそんな子供のたわごとよりも大切なことを言った。もう彼にとっては天狗などどうでもいい。
「ささ、急いで帰りましょう。御曹司にお会いしたいという方が明朝にいらっしゃるそうですよ」
「我に? おれになんかあってどうするんだろう?」
「なんでも陸奥の大商人だとか、仲良くしておけば宜しいかと」
「商人……? 我そんな知り合いいないけどなぁ」
「お父上の御威光でしょうな」
「はあ……?」
牛若は首を傾げる。俊章はそれでも続ける。
「なんでも名を金売りの吉次とか」
牛若の少年としての時間は、数日後「鏡の宿」で終わる。