※オリキャラは一人もいません。戦闘もありません。方便は注意。一話完結です。
※いろいろと独自の解釈が入っています。寛大な目で見ていただければ幸いです。
※明確に時代を設定していますが説明していません。歴史上の人物が出てきます。
深い、深い霧の立ち込める朝。霧の向こうにある山々はうっすらとかすんでみえている。冷たさと静寂に包まれたここには、ざあと滝の落ちる音がする。そんな湖のほとりのことであった。
一つの大きな岩があった。上に一人の男が座っている。
男は少し長い黒髪を後ろでまとめ、白い長衣を着ていた。手には一本の釣り竿、ともいえぬ木の枝に太い糸を垂らしたものを持っている。糸の先は岩の下、湖の中に入ってゆらゆらと波に揺られている。
彼はあぐらをかいて面白くなさそうにしている。仏頂面でじっと動かない。だが、頬はやけ精悍な顔つきをした男だった。それもそうだろう、彼は「ズボン」をはいている。そのような物を付けるのは中原の民から「野蛮人」と言われるものだけだった。
「釣れるの?」
ふと、男の後ろから声がした。可愛らしい女の子の声だ。
男が振り返るとそこ居たのは、小柄な少女。真っ赤な髪を三つ編みにしているのが特徴的であった。彼女は大きな瞳で男を見ている。着ているのは粗末な深い緑の服だった。ただ、やはり髪が美しい。
「釣れナいね」
男はつまらなげにいった。少し言葉に訛りがある。
釣竿を引いて糸を手元に手繰り寄せる。その先端を見て少女は笑った。糸の付いている「針」は真っ直ぐなもので、返しもついていない。
「こんなので釣れるはずないわ」
くすくす笑う。暇なのかと男は呆れたが、そこは真面目に返してやった。
「試しているのさ」
「試す?」
「そう。なんでもやってみないと分からないだろう」
「そうかしら」
魚をひっかけることのできない針で釣れるか、釣れないかやらなくてもわかりそうだが、男はそうは思わないらしい。そこにこの少女はちょっと興味を持った。実際暇なのである。久々に人間に会ったのだから「どうする」にしてもゆっくりやればいい。
少女は妖怪である。それもまだ幼い。危険なのは変わりない。
「嬢ちゃん。名は?」
「私? メイリン」
「そうかいい名前ダな。俺は……名前はいくつかあるんだが……ナ」
「へー? 変なの。名前なんて一つでいいじゃない」
「色々とあるもんさ。 尚(しょう) 子牙(しが)……一番気に入っているのは望(ぼう) だな」
「ふーん。じゃあ望って呼んでいいの?」
「好きにしタらいい」
ふっと釣竿を望が降り。また「真っ直ぐな針」が湖に吸い込まれていく。だが、釣れないのには変わりがない。彼はまたつまらなさそうに動かなくなる。横でメイリンがふああと欠伸をしている。
「望っていつも釣りをしているの?」
「腹が減った時にはナ。でも俺が好きなのはやっぱり羊の肉さ」
「贅沢ね」
「ま。仲間にも言われた」
「あーあ。私もなにか食べたいなぁ」
「干し肉ならあるゾ」
望は腰に付けていたから肉の一切れを出す。乾燥して色が黒くなっている。彼は器用に釣り竿を両足で挟んで両手で作業する。肉と一緒に別の袋から赤い「粉」を出して振りかける。
「何それ? 塩?」
「そんな貴重なもんをお前にやるわけないダロ。これはな、香辛料っていうんだ」
「こーしん、りょー?」
「そうサ。山を一つ二つ超えたところでとれる魔法の粉だ」
「近いところなのね」
「そうだな。俺の故郷から歩いて二季節くらいか」
メイリンは男が何を言っているのかよくわからなかったが、もらった干し肉に大きく口を開いて、ガブっと噛みついた。ぴりりと辛さが舌を焼く。
「ふ、ふぁあ」
ひっくり返るメイリン。なんだこれはとぺっぺと吐き出す。刺激的な味でびっくりした。望はそんな彼女をにやにやしながら見ている。彼女は抗議するように睨みつけたが。男は飄々としている。
「くはは。初めて食わせるとそんな反応だよナ。その辛さがいいんだロウ。それにこれを振りかけておくと肉が腐らないんだ」
「か、からい? 辛いって何?」
「もう一口食ってみればわかるだろ。癖になるゾ」
メイリンは唇がひりひりし始めたのにはびっくりした。こんな物を食べたことはない。だが、これも経験である。どうせ長い妖怪の生の中であるから、試しても損はない。彼女はちょっと泣きながら干し肉をはみはみと食べる。
少しずつ口に入れていくのが可愛らしいのか望はくっくと笑った。
「そレナ。俺たちは東から買いに行くんだが。他にも遠い、遠い国の奴まで買いに来るらしいゼ。たしか……ばびーろんとかいうな。眼が蒼くて、背が高い。ありゃ、なんていうかへんなやつらさ」
「いたい、でもおいひい」
「泣きながら言うと説得力があるナ。けけ。それでそのばびーろんにいる奴らはこの世界の西の果てにいるらしイ」
「西のはへ?」
泣き虫メイリンは口元を抑えて聞く。男は話すのが楽しいのか、にやりとする。望はメイリンに向き直って、身振り手振りまるで見てきたかのように物語を始めた。
広い広い砂漠のこと。
長い長い川のこと。
崑崙山という高い山のこと。
彼の話はだんだん「世界」の西に行く。まだこの世界の誰も「地球」という言葉は知らない。
ぎるがめしゅなどという英雄の話。
スフィンクスという化け物の話。
でっかいお墓がその向こうにある事。
そしてばびーろんで暮らす人々のこと。
最初は興味なさげに聞いていたメイリンだったが、望の話に引っ張られて相槌をうったり。拍手したり。笑ったり、驚いたりころころと表情を変えた。聞いたことのないことばかりだったのだ。ただ「海」なる巨大な湖に関しては「うそだー」と取り合わなかった。
滝の音の中に響く笑声。望の話は深く、広く。おもしろい。彼は物語の終わりにちょっといたずらを思いついた。だから、こう切り出したのだ。
「この広い土地を西に西にいけばな数十万の人やら羊やらラクダやらが住んでいるっていうんダ。そこにはでっかい宮殿があって山のような」
にやりと望。
「黄金が!!!!」
びくっと後ろに下がるメイリン。望は少女がしっかりと「からかわれて」くれて嬉しい。彼は急に落ち着いてうる。
「あるそうダ」
「び、びっくりしたわ。ぼ、望は行った事があるの?」
「ないヨ。聞いた話さ」
「行きたいの?」
「いーや。西は砂漠がいっぱいであきた。だから俺は東の果てを見に行くのさ。東の果てを見てから、考えるヨ。少なくとも東にいくぶんには飯に困ることも少ないしナ」
後年、この男は「東の果て」に帝国を築く。だが、この時は望もそんなことは考えていなし、興味もなかった。それに後年彼がこの「中華」世界に打ち立てた兵法もまだ、片鱗しかない。
ただ、妖怪であるメイリンを惹きつけている彼の在り方は、これから大勢の人々を彼の下に呼ぶ力になる。メイリンはふと、言った。興味が出た、彼女も「東の果て」が見たい。
「ついてっていい?」
「いいヨ。次はそうだな商(しょう) ってところにいくつもりだからナ。ま、イケスカナイ国だから長居はしないけド」
あっけらかんに承諾する。ただ、望は言う。
「まあ、正体のばれないようなクフウは自分でシロヨ」
「え、ばればれだったの?」
「こんな綺麗な髪をした人間は見たことが無いからナ。山で修行している仙人様よりは話安くていいけれどナ」
「せんにん? 望は見たことがあるの!?」
「そうそう。妙なダシンベーンとかいう棒を羊10頭と交換だっていうかラ。その棒でひっぱたいて退治してやったゼ」
「せ、せんにんを退治したの?」
「う、ああ。いろいろとあっテ。故郷に入れらなくなったけどナ」
望は少し寂しそうに言う。ざあ、と滝が落ちる音がする。それはめいりんも少し彼に感情をくみ取ってあげた証。彼女はそれから励ますようににっこり笑い、白い歯を見せる。すっと立って、両手を腰のあたりで構える。数千年後には「ガッツポーズ」と言われるものだ。
「それじゃあ私は準備してくるわ。望!」
「ああ、俺はつりをしてのんびりしているヨ。早く来いヨ」
「のんびりしてるの? 早くこいってどっち?」
ふふふとメイリンは笑っていた。もう遠慮はない。彼女はそれからその場で高く飛び上がる。人間には無理な跳躍に、望は「おお」といいものをみた顔で答える。メイリンは空中でくるりくるりと回転して、しゅたと岩の下に飛び降りた。
「約束! 再見!!」
「さいちぇーん」
望の適当に返事にメイリンは手を振って霧の中に帰っていく。また、静寂が戻って来る望は晴れない白い霧の中で一人、釣りをする。
ふと、数人の足音がする。望は気にしない。
霧の向こうからやってきたのは、どこかの領主だろうか。落ち着いた印象の髪も髭も白い男だった。彼はゆったりと望のいる岩の下にやって来る。そして彼を見上げながら言った。
「釣れますか?」
望は答える。
「魚は釣れないケド。人が釣れた」