消えていく程度の話   作:ほりぃー

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関係ない程度の話

 

 まだ朝方だというのに城の中は騒がしかった。

 廊下を武者が、女中がと走り周り、かれらは必死の形相であくせくと何かをしている。それぞれが興奮していたり、青ざめた顔でわめいていたりと混乱しているようだった。

 いや、混乱したいのかもしれない。今立ち止まると何かにとらわれてしまいそうだとい悲壮感が彼らを動かしている。

 その中を一人の少女が歩いている。

 忙しく立ち回る人々の中をゆったりと歩いている。それどころか両手を頭の後ろに添えて、大きく欠伸をしているのだ。

 髪は短いが、黒く艶やかである。眼に涙を浮かべて、眠たそうにしている。ただ、見開いた瞳が深みのある紅色だった。人の身ではないのだろう。

 彼女の名前は封獣ぬえ。古来より人間に恐れられてきた妖怪である。しかし、彼女は少し不満げに廊下を歩いている。誰も彼女に見向きもしない。

 

「徳川が、徳川だ。なーんてつまんないなぁ。ちゃんと人間は私達を怖がってくれないと」

 

 恨み言を言うかのように吐き捨てるぬえ。少しお腹も減っている。彼女のような妖怪はちゃんと人間に「怖がってもらう」ことをされないと堪らないのだ。彼女は足を上げて歩いている。

 最近は昔ほど怖がってくれるものが少なくなっている。それに最近はめっきり「徳川だ」「豊臣だ」などと妖怪とは全く関係のないことで争っている。去年の冬ごろには戦があったが、また戦だという。

 

「人間は争い事がすきねー。そんなことをしている暇があるなら肝試しでもすればいいのに」

 

 そうしたらさんざん驚かしてやるのにとにやにやとするぬえ。

 彼女の背中から生えた青と赤の六本羽根がゆらゆら揺れている。不意にその羽根に走ってきた一人の男がぶつかった。彼は振り向いてから血走った目でぬえを睨みつける。

 

「いたーい」

 

 わざとらしく痛がるぬえ。男は叫ぶ。武人だろうドスの利いた声だった。

 

「こんなところで槍を背負って歩くな! 邪魔だ」

 

 それだけ言ってどこかに行ってしまう。彼はぬえの羽を「槍」といった。これが彼女の能力である。正体を判らなくする程度の能力、という。簡単に言えば相手が別の何かに「勘違いしてくれる」ような物である。

 この慌ただしい中で歩いている「羽根の生えた女の子」を先ほどの男は「槍を背負った何か」に間違えたのだろう。おそらくは足軽か何かに見えたのだろう。ぬえなど「いるはずがない」からだ。

ぬえは羽をさすりながら去っていった男にべーと舌を出す。

 正体不明であることが彼女なのである。

行き交う人々にはぬえが「何か」に見えているのだろう。だから誰にも気に留められずに歩いているのだ。

 

 ただ、今は正直つまらない。

 ぬえがよっと声を出して中庭に出る。見上げれば勇壮な天守がある。

 夏の朝日はまびしい。早起きな蝉の声を聞きながら煌めく五層の天守。

 黒塗りの瓦に金の飾りをあしらった古今無双で三国無双の大城郭。その最上部に去年砲撃を受けた後があるのが少し傷である。

これはかつて、一人の英雄の築いた浪速の夢の残り。

ぬえは「いつみてもおっきいなぁ」と単純に感心する。のんびりした様子で可愛らしく手を額にかざし、見上げるためにつま先立ち、小さなお尻を張って、ほえーと八重歯を光らせながら見上げる。

 

 ぬえはしばらくそうしてから、急に興味を失ったように踵を返す。

 ただ、その顔は不敵。にやりと笑い、瞳をきらきらと光らせる。いたずらを考えている子供の顔だった。

 

 

「おたからおたから」

 

 にししと笑いながらずかずかと城の中を歩くぬえ。

 正々堂々、逃げも隠れもせずに彼女はあたりを物色している。

 大きな座敷に来たら飾ってある太刀を手に取り、抜いて触って。いらないと捨てる。

 誰かの書斎の襖を開けた時には、本を指でつまんで団扇代わりに顔を扇ぐ。前髪が揺れる姿は愛らしいが、傍若無人だった。

 外ではやはり人々が騒いでいる。もちろんぬえには関係がない。彼女は書生の畳の上に寝ころんで天井を見上げた。そこには狩野派の絵師が書いたであろう天井画がある。龍に花にと絢爛なこの「時代」が描かれている。

 

「そうだわ」

 

 そんなものに興味を示さずに起き上がり、ぱんと両手を合わせてからにやっと笑うぬえ。どうせなら狸の友人でも連れてくればよかったと思っている。ぬえは鼻歌を歌いながらかららと襖を開けた。

 ぬえは廊下を歩いていく。ずだずだっと誰にも彼にも姿を現しながら。どうせこの城は数日で燃えて落ちるだろう、だったら可愛い打掛の1つや2つや10や20持って行ってもいいだろう。

 罰(バチ) など妖怪には当たらないのだ。

 そんなことを思って歩いていくぬえはとある広場に出た。ここを抜ければ天守に向かうことができるだろう。一番奥だからこそ、お宝があるはずである。いつか大泥棒が千鳥の置物を盗みに入ったことがあるらしい。

 ぬえはへんな物を盗もうとするなぁとしか思わない。ただ、打掛を求めるあたり彼女も女の子なのだろう。本人に自覚はないとしても。

 

「あ?」

 

 ぬえは立ち止まった。

 老人がいる。ぼんやりと大きな天守を眺めながら、どこから持ってきたのか床几に座った地味な老人だった。

 髪は薄く、白いものが混じっている。体は小さい。天守を見上げる横顔はくたびれているかのようだった。ただ、腰に刀を佩いている。武士なのだろう。よく見れば腰には短筒がしばりつけてある。その縛っている紐はぬえには見たことがないが、鮮やかな編み込みがされている。

 

「…………」

 

 老人は一人だった。ぬえはなぜだろうか、彼のことが気になっている。どうせ近寄ってもばれることはないのである。彼女は両手を後ろで組んで座っている老人に近寄った。着ている着物は質素だがなかなかの作りに見えた。

 そこそこ高位の武士なのかもしれないとぬえは思う。着物には六連銭が描かれている。

 

「お嬢さん、なにか御用かね?」

「え?」

 

 ぬえは眼を見開いた。老人が自分のことを「お嬢さん」と言ったのだ。まさか正体不明が売りの自分を「正確に認識」しているわけはないと胸に手をあてて、落ち着く仕草をした。

 

「妖かね?」

「……」

 

 老人は天守から眼を離さずに言う。ぬえは今度こそ狼狽した。それからすぐに思う。

 

(殺そうか?)

 

 ぬえは正体不明である。そうあらなければならない。もしかしたら、自らを見破ったかもしれないこの老人を生かしておくのは危険だし、何より気に食わない。ぬえは冷たく老人を見下ろした。

 

「菓子でも食うかね?」

 

 老人は眼も合わせずに腰から包みを解いた。中から白いまんじゅうが竹の皮に包まれて出てくる。ぬえはあっけにとられたたが、まあ殺すのは食べた後でもいいかと思ってもらうことにした。

 

 

 もちもちの饅頭をかみちぎりつつぬえは老人に聞いた。老人も黙って菓子を食べている。

 

「じじいは何でこんなところにいるの? みんな忙しそうにしているみたいだけど」

「急ぐことはないからな。どうせ奴はやってくる」

「奴って誰さ」

「狸だよ」

「へえ。私の友人にも狸がいるんだけど」

「はは、安心していい。会ったことはないがその狸じゃないよ」

 

 老人は温和な声で、ゆっくりと話す。風采はみすぼらしいが、声には力がある。ぬえはふと老人を若者みたいだなと思った。奇妙なことである。ぬえはまんじゅうの残りをぱくりと食べて指を嘗める。

 

「ところでお嬢さんはなんの妖怪かな?」

「私ぬえ、正体不明がウリの妖怪よ。正体不明は人間を怖がらせる事が出来る。というわけでおまえはここで終わりだがな! 恐怖に怯えて死ぬがいい!」

「もう一つたべるか」

「……あ、うん。怖がってくれないのね……」

 

 二人は並んで菓子を食べる。天守を見上げながらというのも中々に乙な物かもしれない。ぬえはもぐもぐ食べているが、少しひもじい。怖がってくれる人間が最近はめっきり減っていると思ったが、ここまで普通に接されると困る。

 

「儂は昔から忍びに囲まれて育ったからか、おぬしのような者もまあ、わかる」

「わかるって……こまるなぁ」

 

 のんびりと会話する。

 どこかでは誰かが怒鳴っている。銃声が聞こえることもあるが、ここだけは空気が違った。

 

「じじいは何者なの?」

「さて、儂にもよくわからない」

「おっと、正体不明は私の専売だよ」

 

 老人はぬえを見る。優しい目だった。ぬえは不意に思う、この男は意外にというか、本当に若いのかもしれない。

 

「儂は何者かになりたいのかもしれぬ」

 

 老人が言う。

 

「この歳まで儂はなにも為せなかった。わずかな武功はあれども、偉大な父にも兄にも及ばない。……ぬえよ。お主には儂は何に見える?」

「くたびれたじじい」

「はははは。だまれ小童」

 

 老人は笑う。大きな笑い声だった。ぬえは耳に指を入れて「うるさいなぁ」と思う。老人は天守をまた見上げた。天に届かない、無双の城。

 

「この城を初めて見た時は心が躍った。遠い昔のようだな……殿下もおられたのが夢のことだったと思えてしまう。そうだな、この城もなくなってしまうかもしれぬ」

 

 セミが鳴いている。朝日がだんだんと強くなっていく。

 

「だが、この城は幾年も語り継がれるのだろうな。羨ましいことだ。姿が消えても消えることはないのだからな。……だが儂はどうであろうか」

「私にはじじいの言っていることがよくわからないわ。正体不明でも人間達は恐怖されることができる」

「妖にいってもせん無き事かも知れぬな」

 

 老人はくっくと笑う。彼は床几から立ち上がった。

 

「さて、行くか」

「どこへ?」

「あの世。ま、駄賃はある」

 

 老人は懐から6連銭を取り出してぬえに見せる。固く縛った6枚を縛った紐は頑丈そうだった。彼は懐に銭をしまい込む。ぬえの顔をじっと見た。

 

「なんだよ」

「意外に別嬪だなと思ってな」

「は、はあ?」

 

 ぷいと顔をそむけるぬえ。老人に褒められてもうれしくはないが、照れくさい。

 

「おてんばを直せばいい嫁になるかもしれぬな。そら、これをやろう」

 

 老人はごそごそと何かを取りだす、ぬえは何かをくれるという事に反応したのか、ちらりと横目で見た。老人の手は意外に太い。擦り傷とたこで固くなった手のひらに柔らかく置かれているのは赤い紐だった。

 

「髪でも結べ。妖にいうのもなんだが達者でな」

「まあ、くれるんならもらうけど」

 

 変な遠慮がないぬえを老人は愉快そうに笑った。

 

「なかなか愉快だったよ。ありがとう……今度こそ達者でな」

「……あー。私がこんなことを言うのもなんだけどじじいもまあ、あれだね。死んでも元気でね」

 

 ぬえの変な言葉。彼女はちょっと恥ずかし気に髪を結んでみる。意外と似合う。老人は最後に柔和に笑い。何も言わずに広場を出て行った。最後まで名前は分からない。その意味ではぬえにも彼が正体不明なのである。

 

 

「へへへ」

 

 そうれはそうと、天守に忍び込んだ。

 彼女がは追っているのは赤い打掛、美しい華が刺繍されている。髪を結んだ彼女が着ているとどことなく子供が着てみた、という感じで愛らしい。ぬえはどうせ全部なくなるのなら適当に物色してもいいだろうとそのあたりを見て回っている。

 打掛をひらひらさせながら歩く。偶にすれちがう人間に「くるしゅうない」と適当なことを言う。

 

 誰も彼女の正体はわからない。

 ぬえは天守のからふと、外を見る。大坂の街が見える。在りし日の堀の姿はない。意外とのどかな光景。それでも城の外郭には兵が詰まっている。白い白煙が昇るのは兵糧でも作っているのだろう。

 

「あ」

 

 その中でひときわ目立つ一団があった。

 遠くからでも燦々と日に煌めく、赤い具足の集団。ぬえはその先頭にいる男を見た。

 見たと言っても流石に遠すぎるから顔は見えない。しかし、頭に鹿の角を模した兜被り。赤い羽織に手に持った十文字槍がきらきら光っている。

 

「じじいもあの中にいるのかな」

 

 窓枠にもたれかかってぬえは言ってみる。どうせ人の世のことなど妖怪にはかかわりのないことである。

 遠くから見える先頭の男。鹿の兜の男が馬に跨り、城を出ていく。

 その背中に刻まれた紋章は六連銭をぬえは見る。

 

「じじいと一緒か、流行ってんのかな」

 

 正体不明な彼女が、必死に何かになろうとしている彼らを見下ろしている。

 ぬえには関係のない話なのだ、彼女は踵を返す。ただ、一歩進んでからちょっと振り返る。それからもう興味なさげにどこかに行ってしまった。

 

 

 


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