注意
※オリキャラは一人もいません。戦闘もありません。方便は注意。一話完結です。
※いろいろと独自の解釈が入っています。寛大な目で見ていただければ幸いです。
※明確に時代を設定していますが説明していません。歴史上の人物が出てきます。
射命丸文は雨を見ていた。
見上げた空は厚い雲がかかり、降りしきる雨粒は大きい。地面を叩く音が耳に響くほどだ。人間は雨を涙に例えることがあるが、そう表現するには大泣きといっていいだろう。彼女はそうやってどうでもいいことを考えている。
文がいるのはとある商家の軒下である。別に知り合いでもなんでもない、単に雨が降ってきたから雨宿りをしているのだ。手には赤い和傘を折りたたんで持っているが、これだけ雨足が強いと傘が傷んでしまう。
着ているのは黒の着物。飾り気のないそれは白い帯が巻かれている。
髪はしっとりと濡れているかのように艶やかである。それでも女性には珍しく肩までしかない。白い肌は透き通るようで、ただ空を見上げているだけなのに麗しい。
射命丸がいるのは千年王城と言われる人間の都である。遠い神代の時代から続く血縁を中心に続く、時代の中心地であった。ただ、鴉天狗たる文がここに来たのは単なる気まぐれに過ぎない。
文が見回すと防火用に黒い壁をした商家の軒が連なっている。都は火事に厳しい。
彼女の前にある通りには人がまばらである。都の中心に近い商家の立ち並ぶ通りとはいえ、この強い雨では外に出ることはあまりしないだろう。道はぬかるんでいる上に今の都で目立った行動はできないからだ。このような人の出歩かない日に外にいれば「志士」として斬られるかもしれない。
「失敗しましたかね……はたてになにか変な物を買って行ってあげようと思ったのですが」
雨はやまない。これでは飛んで帰ることもできないだろう。朝は晴れていたはずなのにと文は空を恨めしく見つめている。それに自分の気まぐれも恨めしい。
そう思いながら文はただ立っている。やることがない、それはとても退屈なことなのだ。だから何かないかと彼女は通りを見回す。期待など、していない。
遠くからやってくるのは一人の武士だった。地味な色をした着物を羽織、腰には大小(刀のこと) を付けている。どことなく早足で雨にぬかるんだ地面を急いでいる。顔は笠を付けているのでわからない。
武士など珍しくもない。文は普段なら気にも留めないが今日はこの雨の通りに二人しかいない。武士は急ぎ足で文のいる方向に向かってくる。彼女は商家の壁に背を預けたまま、それを眺めている。武士は近づいてくる。
彼は文の横にきて軒下に入った。文は雨宿りにきたのだろうとくらいにしか思っていない。だが、武士はそのまま文の眼の前に立って。
彼女を抱き寄せた。
「!?」
圧迫感を感じる。文の手から和傘が落ちて、地面に落ちた。細い体を抱き寄せる力は強い、腕が太いことが分かる。文は眼を見開いて、柄にもなく混乱してしまった。全く想定していなかったが、そもそも想定している方がおかしい。
それでも文は武士の顔を見る。くりっとした彼女の瞳が動いた。人間の都で騒ぎを起こす訳にはいかないが、人を一人「殺す」程度はうまくやれる。文の小さな手に力がこもる。
武士、いや目の前の男は文を見ていなかった。文が見上げた「彼」は目線を通りに向けている。眉は太く、精悍な顔つきをした人間だった。文も思わず彼の見ている方向を見る。
歩いてくるのは数人の男達だった。青と白の「だんだら」の羽織をつけ、下に着こんでいるのは鎖帷子だろう。そして腰には全員が刀を帯びている。先頭の男は総髪、長身で鷹のような鋭い目をしている。傍には少年の様に柔和な目をした男がいる。対照的だった。
文の眼が自分を抱いている男を見る。
(ああ、この男は)
歩いてくる集団は都で壬生浪(みぶろ) と恐れられている剣客達である。そして文を抱き寄せた男は彼らの敵である「志士」なのだろう。おそらく文は一つの芝居に巻き込まれたのである。あいびきとでも間違えてほしいのだろう。
だんだらをなびかせながら男達は歩いていく。抱き合っている男女をちらりと見て「破廉恥な」と吐き捨てる者もいた。文を抱き寄せた男が、冷たい表情をしているとは気が付かない。
だが、先頭を行く総髪の男が文達を怪しんだ。そして横の柔和な目をした男に言う。見てこいというのだろう。
「総司」
「はいはい」
軽く返しながら「総司」と言われた男が文達に近づいてくる。それで集団も止まっている。それぞれが目くばせをしながら、刀の鯉口を切る音がする。確信的に疑っているのではないが、いつでも斬り込めるように訓練されているのだろう。
雨は降り続いている。
「ちょっとちょっと。お姉さん、お兄さん。こんな往来でいけませんよ」
「総司」は笑みを浮かべながら近づいてくる。左手は刀に添えているのは自然な動作なのだろう。文は戦慄するわけでもなく、ちらりと目の前の男を見る。怯えの色が全くない。静かな目だった。直ぐにでも死に向かえるような、不思議な表情をしている。
「あやや! これはすみません。この人はどこでも、こんな」
文は男の腹を殴る。男はいきなりのことに驚いて、文を離した。それなりに強く殴ったが歯を食いしばって耐えている。まさか女子にここまで力があるとは思っていなかっただろう。腹を抑えているがうずくまりはしない、意地だろう。
だが、明らかに文は男をかばっている。
「いきなりこんなことをするんで、本当に困ったものです」
総司はきょとんとして、それからくすくすと少年のような笑みを浮かべる。
「やだなぁ。最近の女性は強いや。ともかく早く帰らないといけませんよ」
「はい、どうも有難うございます。お侍さん」
もう一度にっこりとして総司は集団に帰っていく。だが一瞬だけ、ちらりと振り返った眼光は冷えたものだった。それに文はにこりと返したから、流石に総司も毒気を抜かれたらしい。にこりと返す。
男達は去っていく。雨の音だけを残して。
文はふうと息を吐いて、目の前でお腹を押さえている男を見た。脂汗を流しているがうめき声ひとつ洩らさなかったことには感心した。もう少し強く殴ればよかったかもしれない。
「大丈夫ですか?」
文は聞く。男は眼を瞬かせてから彼女を見た。
「助けてもらい。面目ない」
彼は背筋を伸ばして、お辞儀する。そして「いそいじょるきに。御免」と訛った言葉を捨てて、歩き去ろうとした。その彼の羽織を文は掴んだ。男は振り返る。
「ふふ。ただでどこかに行こうなんてむしが良すぎますよ?」
男に向けて文は笑みを浮かべる。美しいのだが、どことなく黒さを感じさせるものだった。
★☆★
「ぷはー」
文は盃になみなみ注いだ清酒を飲み干して、かつんと置いた。人間の酒は時代を経るごとに味がよくなっている気がする。
彼女と男は近くの料亭に来ていた。二階建てになっており、男は窓のある個室をとった。畳は二畳敷の狭い場所であるが、通りに面していて往来を眺めながら食事のできる場所である。
文は窓の外で降り続ける雨を見ながら思う。部屋の中は暗い。ガス灯が出てくるのも電気が出てくるのも、数十年は必要なのだ。
(まあ、それだけじゃないでしょうけどね)
男は往来を「見張れる」からこの場所に来たのだろう。元々文に「お返し」をする気などなかったから、目の前の男は盃を取っては嘗める様に飲んでいる。何もしゃべらない。だが、文は遠慮などしない。
彼女の周りにあるのは大量の徳利。全部空である。払いはもちろん男だった。
「よく、のむのう」
男は興味深げに文を見てくる。声が明るく響きがよい。これは天性のものだろう。
「まあ。それほどでもそれよりもお兄さん。お名前は?」
「石川誠之助と申す」
「本当は?」
「本名じゃき」
「それで? 本当はどうなんです?」
「こりゃ。てにあわんおなごじゃな。それよりおまさんの名前はなんていう?」
「……文。ま、好きに呼んでください」
人間に何と呼ばれようがあまり気にしない。射命丸と言わなかったのは苗字をつけて自己紹介すると面倒ごとがあるかもしれないからだ。それにどうせ目の前の男の名前も偽名である。軽々に本名を語る志士などいない。
石川は文と聞いて「おあや」と「お」をつけて呼んでみたが、どうにもしっくりこないようで言い直した。
「それじゃあ、おふみ、と呼ぼう」
「あや、ですよ? 読み方が違います」
「どうせ儂も本名じゃないきに」
くっくと石川は笑う。笑顔になると白い歯を見せて、溶けるような表情をする。それにつられて文もくすりとしてしまった。少し不覚だろう。ただ、簡単に自分は偽名だと認めた石川に文も興を覚えた。
「ほら、今日は石川さんのおごりですから」
文が徳利を両手で持って、石川に酌をする。彼は「お、おう」と言わざるをえない。自分のおごりだからと言われて、自分が飲む経験などなかった。文の可愛らしい手が徳利を傾けると、石川の盃にとくとくと酒が満ちる。
その間、数秒だけお互いに無言だった。雨の音だけが室内に響く。対面した二人の距離自体は近い。
「ほら。いっきです!」
「このおなごは……」
苦笑しつつ石川はぐいっと盃を干す。文はぱちぱちとわざとらしくは拍手をして「さあさ、もう一献」と徳利を近づける。表情に黒さがある。酔い潰そうとしているのかもしれない。だが石川は手で制した。
「今日は大事な用事があるから、酔うてはおられん」
それだけ言って石川は盃を置いて、目の前にある膳にある魚を箸でとり、頭から齧る。ばりばりと骨も気にせず食べる姿は豪快だが、文はいたずらが出来なくてつまらない。仕方なく自分の盃に酒を満たして、飲む。酔いはしない。
文が酒を飲むとき。その桃色の唇に盃をあてて、くいっと飲む。白い首筋が見える。中岡は一瞬見とれて、邪念を払う様に頭を振る。
「おふみ」
「……あ。それ、私のことでしたね。なんですか?」
「いや。肝の据わったおなごじゃとおもってな」
「そりゃあ伊達に、永い事生きてませんから」
「ほうか」
冗談だと思ったらしい石川は魚を齧りながら笑う。彼が箸を取って腕をあげると刀傷がちらりと見える。すでに古傷だった。文は酒を飲みながらからかうように言う。
「いやあ、大変ですね。そんのーじょうい、でしたっけ?」
「……からかうもんじゃなかぞ。おなごとて容赦せん輩はおる」
「へえ。それはそれは」
嘲るような文の口調に流石に石川はむっとする。それでも何も言わずに無言で飯をかきこみ始めた。文も半分わかっていて挑発したので気にしない。酒を干していく。たまに階下にいる店員に注文するくらいしか喋らない。
石川が箸をおいた。自分の膳を平らげたからだ。そして文を見る。眼の力が強い。
「おふみ。どうであれ、日ノ本は変わる。西洋の異人共に負けん国になる。おなごの生活もかわるじゃろうな」
「…………私には関係ありませんねぇ」
「ほんに……おまさんと話しておるとあやかしとでも話とる気になる」
「あら、御明察」
石川は顔をあげる。そこには彼をまっすぐ見る赤い瞳があった。文の瞳はいつの間にか暗い赤色に染まっている。彼女の顔を見るだけで背筋が凍りそうな冷たさがある。石川は眼を見開いて、驚く。
「おまさん……その眼」
「ふっ」
突風。文が息をはくと同時に石川の顔へ風がたたきつけるようにふく。再度彼は驚愕する。まさか目の前にいる少女が本当に「あやかし」とは思わなかった。藪をつついて天狗を出す、天下は広いといっても彼だけの体験だろう。
文は怪しげに笑う。足をたててだらしなく座っているから、その白い足が見える。
「わかりましたか? 私には関係ありません。いや、私たちにはあなた方人間の事情なんてそう意味はないんですよ」
「ぬしは……天狗か?」
「おお、再度明察! なかなかやりますねぇ。まあ、誰に話しても信じてはくれないだろうですけど、ね。ふふ。短い生を生きる人間は頑迷ですから」
「…………」
石川は眼をすっと閉じた。それから開く。ただそれだけの動作。
「ほうか。天狗がおるとはげにおどろいたがぜよ」
「人間の見ている物だけがすべてというわけではない、ということです」
「いや、それはおんしらも一緒じゃ」
「は?」
「天狗の料簡は狭いというとるがぜ」
部屋の温度が下がる。文から迸る妖気が紫色に立ち上る。人間ごときに天狗全体を貶められた発言を許すほど、彼女は甘くはない。だが石川は涼しい顔をしている。傍らにある刀を引き寄せもしない。
石川は口を開く。
「日ノ本は危機に瀕しちょる。既に亜細亜の殆どが洋夷の手に落ち、清国すらも死に体の中で味方もおらん」
「それが?」
「ぬしは上海をしっちょるか?」
「遠くの都市の名前でしたっけ……」
「そう。清国の都市……今は清国人が肩をすぼめ、エゲレス人が大手を振って歩ておるそうじゃき。高杉君……いや。とある者からまた聞きではあるが。日ノ本がそうならん保証は誰にもできん」
文は怪訝な顔をしている。それは人間の話である。だが、石川は続ける。
「日ノ本が洋夷に侵されて、天狗も無事な保証はだれにもできんぜよ」
「侮辱ですかね? 人間ごときに私たちが負けるとでも?」
「……」
石川は刀を手に取る。そして窓の外に眼をやった。雨が強さを増している。彼のその横顔がどことなく寂しそうである。彼はぽつりぽつりと話す。文に言っているのか、それとも自分に言い聞かせているのかはわからない。
「みにえーという銃がある。扱いがしよい(簡単) で火縄銃よりも連射できる。西洋ではこれを農民に持たせて兵としてつかっとるという。その銃をこの前長崎へ数万丁届くのを見た」
石川は文に向きなおる。
「わかるか天狗。そのあたりにおる民に銃を持たせれば兵になる。数万か。数十万か。数百万かは知らん。じゃが、必ず武士は消えていく。おんしらはどうじゃ? もうこれからは武士はいらん。天狗もいらん。いうなれば鬼も恐るるにたらん」
「……」
「それでも儂は洋夷が恐ろしい。世界を牛耳る大国に対する日ノ本がどうなるか、夜も寝れん」
「……ああ」
そこで文は悟った。既に人間の恐怖は現実に向いている。妖怪よりも同じ人間を恐れている。石川は人間の見方を言い。文は天狗として石川の話を聞く。共感はない。石川には彼の想念があり、文には彼女の感性がある。
石川は武士として己が現実的に消えると確信している。文は天狗として恐怖が人間から消えて、自分たちも幻想の中へ消えていくと予感する。この狭い座敷でも時は流れていく、対面する聡明な二人は己自身の先を、この雨音の中に見る。
沈黙が続く。
石川が立ち上がった。文を見る。
ニコリと石川は笑う。白い歯を見せて、彼女に屈託ない笑顔を向ける。文はほんの少しだけどきりとするが、気の迷いだろう。
「それじゃあ、世話になったのう。今から喧嘩しちょる吉之助と小五郎を仲直りさせんといかんち……なに、案ずるな儂らが天狗ごと日ノ本を守っちゃる」
「そうですか」
文はそっけない。ぷいと横を向く。ちょっと大人気ないし、そもそも日ノ本がどうなるかなど興味もない。人間に天狗が負けるとは思わないからそこは変わらない。心配なのはただ、忘れられていくことだった。
「おふみ。とりあえずひと段落ついたら、また会いに来るぜよ。おまんのことはしっかりと覚えておくきに」
「そ、そうですね。ワタシも一応覚えておきましょう」
心を読んだかのような石川の言葉に文は軽く、動揺する。石川は「よう降っちょる」と外を見ている。それが恨めしくて文は少し舌を出す。見せない。
『石川ぁ―おまん、なんばしゅちゅー』
窓から石川の姿が見えたのだろう。通りから誰かが彼を呼んでいる。石川は慌てて窓辺に駆け寄った。そして通りで無防備に手を振る大男に叫ぶ。
「さ、さかも」
チラリと文を見る。彼女はあわてて舌を隠す。
「才谷! ほたえるな(叫ぶな)!!」
石川はそう叫ぶとあわてて座敷を出ていこうとした。天狗の前ですらも冷静だった彼を慌てさせる「才谷」は妙な人物なのだろう。彼はふと思い出して、文を振り返った。腰につけた巾着を取って投げる。
「おふみ。お代じゃ。全部使え」
投げた赤色の巾着。文は胸元でキャッチする。重い。おつりがくるだろう。
「どーもどーも」
にっこり軽く返した文に石川は「げんきんじゃ」と捨て台詞。そのままどたどたと座敷を出ていった。
文は一人座敷に残された。小さなさびしさを覚えたような、別にそんなことはないような。不思議な気持ちを持て余しつつ。徳利にのこった酒を盃に注ぐ。そうしていると外から何かをわめく声がする。石川であろう、相手は「才谷」である。石川は自分で叫んでいる。
「ああーばかですね。ばかです」
文はぐいっと酒を飲む。いつしか石川の声も雨の音に消えていった。文はもう一回「ばかです」と口にする。
石川誠之助の笑顔はこの時代一。ありがとうございました。