圏内事件実行が近づいたある夜、俺は寝袋に入って、静かに考えていた。
(圏内で人死にまがいのことが起きたら、絶対調査の手が入る。どうやら、50層の攻略で、DBもそれなり以上の痛手を負ったようだし、入るとしたら血盟騎士団のメンバーである可能性が高い。なら、最悪クラディールを介せば)
だが、あくまでクラディールを介するのは最後の手段だ。それでクラディールがこちら側であることが露見してしまったらかなりの痛手となる。少なくとも今、クラディールを失うのは痛い。
「とにかく、そのあたりはゆっくり考えるか」
今は睡眠を優先すべきかと考えた俺は、そのままゆっくりと眠りにつ―――こうとした、その前に、俺はメールフォームを立ち上げて、ある人物にメールを送った。タイプミスがないことを確認すると、送信を押す。送信を確認した後、今度こそ眠りについた。
それから時間は経ち、圏内事件決行初日。ロータスは事前にメールを送って打ち合わせをしてあった相手との約束へと向かっていた。ラフコフ―――ラフィン・コフィンの通称だが―――には、今日は複数の人間と会うからという理由から、個人行動が認められていた。もうすでに彼はそれなり以上に古参メンバーの一人となっていたので、怪しまれるようなことはなかった。
最初の待ち合わせの相手は、俺が到着する前に、待ち合わせ場所に来ていた。ロータスに気付くと、片手を上げた。
「やあ、ロータス。元気そうで何よりだよ」
「あんたみたいな立場の人間からすれば、俺みたいな人間はとっととくたばればいいって話じゃないのか?」
相手―――ゲイザーの軽口とも取れる一言に、微かな笑みを浮かべながら返す。それに、ゲイザーも含みのある笑みを浮かべた。
「まさか。お得意様が死ねばいいなんて思うわけないじゃないか」
「ある意味人気稼業なのにか?」
「誰であろうと売れる相手には売る、それが私のスタイルだ。これはもう世の中に広まってしまっているから、ある種開き直るしかないね。それでも買い手がいるあたりがこの商売なんだが。
それに、君がそちら側についた目的も、ある程度は推測がつくしね」
最後に付け加えられた一言に、ロータスは苦笑いを浮かべた。
「察しが良過ぎる相手ってのは苦手だよ」
「褒め言葉として受け取っておくよ。
で、依頼の件なんだが」
「ああ。どうだ?」
「初動は、キリト君ともう一人。血盟騎士団の制服に栗色の長い髪、背丈はキリト君とほぼ同じか少し低いくらい、という特徴から推測すると―――」
「アスナか」
ロータスの言葉に、ゲイザーは指を鳴らした。そのあたりが様になるのがこの男である。
「君の想定していた、最良のシナリオになりそうだよ」
「果たしてどうだか。後は俺次第、ってとこかな」
目線を遠くにやって言う。キリトもアスナも絡むというのは、想定外ではあったが、ロータスにとっては悪くはない事態だ。
「とにかく、サンキュな。お代は?」
「10000」
「高くねえか?」
「7500」
「・・・ん、じゃあそこで妥協しとこうか」
一応納得してコルを実体化させ、手渡す。もとより、ロータスにとっては手元にあってもどうしようもない金だ。
「んじゃあな。刺されるなよ」
「お互いに、ね」
ひらひらと手を振ってその場を去る。そして、ロータスは次の相手との待ち合わせの場所へと向かった。その背中を、ゲイザーは静かに見送っていた。
その翌日、俺たちは物陰に隠れて事の結末を待っていた。ある種の結末を迎えたところで俺たちが出ていって、真実を知る人間を皆殺しにして口を封じる。それが、グリムロックからの依頼だからだ。
やがて、その簡素な墓の前に、一人のプレイヤーがやってきた。そのプレイヤーは、俺にも見覚えのある人物だった。
「シュミット!?」
「知り合い、か?」
「まあな」
小声でやり取りする。攻略組にいた俺にとって、現DB副リーダーでタンクの主戦力の一人であるシュミットは見覚えのある人物だった。
「そろそろ行くぞ」
俺とジョニーが麻痺ナイフを構える。ジョニーは手前で蹲っている―――というより土下座しているシュミットを、俺は残りの二人である男女を狙う手筈になっている。アイコンタクトと共に投げられた三本のナイフは、違わずそれぞれに当たって麻痺属性をいかんなく発揮した。
あえて足音を立てて近寄る。女の傍に転がっている細身の剣を手に取ると、それをしげしげと眺めた。剣先とは逆の向きに棘が生えているようなそのデザインの剣は、
「へえ、エストックかぁ。これまためっずらしいものを。お前の好みなんじゃないか?これ」
そういって投げ渡す。受け取ったザザは、その剣を鑑定するように眺めてから口元をゆがませた。
「確かに、デザインは、まあまあだな。俺の、コレクションに、加えてやろう」
しゅうしゅうと息が漏れるような声でザザが言った。
「PoH・・・」
震える声でシュミットが呟く。その声には恐怖しかなかった。
「ひっくりかえせ」
その指示で、ジョニーがシュミットを仰向けにする。その顔を見て、PoHは眉を上げた。
「Wow、これは驚いた。タンク隊のリーダー様じゃないか」
楽し気な俺たちに対して、相手は恐怖の表情を浮かべている。そのうちの一人―――女性プレイヤーを眺めて、俺は微笑を深くした。
「んー、決してスタイルがいいってわけじゃないけど、こういうタイプの美人もまた乙なもんがあるよなぁ」
「お前は、本当に、女好き、だな」
「美人さんが大好きじゃない男なんてこの世にはなかなかいないだろ。性格最悪ならともかくとして」
俺たちのそんな会話をよそに、後ろでは楽し気に物騒な会話がなされていた。細かいことはそこまで聞き耳を立てていないからよくわからないが、要するに“どうやって殺そうか”という話らしい、ということはわかった。
「それに、あのギルドはきっちりリターンをしてくれることが多いからねぇ。貸しってのは作っておくに越したことはないし」
「理解、できないな。殺したほうが、楽しいときも、多いというのに」
「価値観ってのは人それぞれだから何とも言えないけど、あんまり怯えさせて殺すよりも、生きられるかもしれないって思わせてからもっと絶望させたほうが―――」
そこで俺は言葉を切った。遠くから聞こえる蹄の音。しかも、こちらに向かってきている。一つ舌打ちをすると、俺は己の得物に手をかけた。
「どうした?」
その問いに対する答えは必要なかった。人より明らかに早い速度で小高い丘を駆け上がってきたのは馬だった。それは俺たちの傍まで来ると、甲高いいななきと共に後ろ足で立ち上がった。一番近い位置にいたジョニーが馬を警戒して後ずさる。直後、落下音と共に「痛てっ」という、ちょっと間抜けな毒づきが聞こえた。
「キリト・・・」
こいつが来ることは想定していなかった、といえば嘘だ。初動でこいつが動いている以上、この可能性は捨てていなかった。俺の目的を考えれば、ここでこいつを斬ることはあまりよろしくない。だがこうなっては仕方がない。意外と頭の回るこいつのことだ、おそらく真相をすべて見切ったうえでここに来ているのだろう。ならば、
(やむを得ん、か・・・)
もとより、知り合いだろうと斬る覚悟はできている。たとえこの身を返り血で浸そうとも、俺はもう選んだのだ。
「キリト、一応言っておく。状況わかってないお前じゃねえよな?」
低い、俺の問いかけ。それに続く形でPoHが言った。
「こいつの言う通りだ。格好良く登場したのはいいが、俺たち四人に対して勝てるとでも?」
「無理だろうな」
腰に手を当ててキリトは即答した。その上で言葉を続ける。
「だが、対毒POT飲んでるし、ロータスに至っては手札も大体読める。十分くらいは耐えてやるさ。それだけあれば、援軍が来るには充分だ。さすがに攻略組30人に対してあんたらじゃ、厳しいものがあるんじゃないか?」
その言葉に嘘は見られない。はったりを大げさにかますタイプではあるのだが、それがもし事実なら。そして、それを確かめるすべはこちらにない。
「Suck」
舌打ち交じりの罵倒と共に、PoHが指を鳴らした。その合図で俺たちがゆっくりと武装を解除する。
「黒の剣士。お前は、絶対地に臥せさせてやる。お仲間の血の海でな」
そういってPoHはくるりと背を向けた。それにジョニーが続く。
「今度は、俺が、馬で、お前を、追い回す」
「なら練習しとけよ。見た目ほど簡単じゃないぜ」
それに
「ロータス・・・」
その目に宿るのは、・・・悲しみ?
「なんでそんな目をしてんだよ」
「こうして会いたくなかったからだ・・・!」
「あっそう」
冷めた口調で言うと、俺はポーチに入っていたものを投げつけた。それは、四角錐を底面で合わせたような形の結晶―――録音結晶だった。
「どうせ来てくれたんだ、メッセンジャーくらいの役割は果たしてくれよ」
それだけ言い残すと、俺も三人の後を追った。
追いついた瞬間、隣のザザが聞いてきた。
「黒の剣士と、何を、話していた?」
「ん?まあ、宣戦布告、ってやつかねぇ」
俺のどことなく濁した答えに、ザザは「そうか」と一言だけ言った。
すべてが終わった後、キリトはアスナに一つ相談を持ち掛けていた。
「なあ、アスナ。ロータスから、また」
その言葉と、手にある録音結晶で何があったのかを察したアスナは、一つため息をつくと、
「血盟騎士団の会議室に行きましょう」
それだけ言って先に歩きだした。
『虫は狡猾。細かい網目を上手にくぐって潜り込む。潜り込んだら引っ掻き回して、大丈夫なのに大丈夫じゃないと嘘を吐く。そうしてだまして、人の大切なものを盗んで食らう』
「・・・これまた何だこりゃ」
「私に聞かれてもわからないわよ」
二人して首を傾げる。訳が分からない暗号だが、あいつが無秩序にこんなことをするとは思えない。何か理由があるはずだ。
「何か理由が・・・」
「いったいどんな理由よ?」
ぽろっと漏れた呟きにアスナがジト目で反論する。慌ててキリトは思考のスイッチを切り替え、
「・・・ダイイングメッセージ?」
「彼は死んでないでしょ」
苦し紛れに出した意見は速攻で叩き潰された。
「とにかく、この件はいったん保留。いいわね?」
「あ、は、はい・・・」
半ば気圧されるような形で、キリトは頷いた。このままお流れになると思ったところで、アスナが思い出したように言った。
「そういえば、前にも似たようなことがあったわよね?」
「ああ。あの時も、意味不明な暗号を・・・」
そこまで言って、一つの可能性に思い至る。急いでメニューを開いてアイテムを探すと、もう一つの記録結晶を取り出して、再生した。
『それは木馬。大きな大きな木馬。木馬は大きすぎて街に入れない。だから人々は門を壊した。馬の中の虫に人は気づかず、虫たちに人々は食らいつくされた』
「共通する言葉は、人、虫、食らう、か」
その上で考える。似たようなことなのだから、関連して考えるべきかもしれない。
「それって、前にロータス君からもらってた記録結晶のメッセージよね?」
「ああ。何か関連しているかなと思ったんだけど・・・」
「違うみたいね」
一つ頷く。そのまま手を組んで考える体勢に入ったキリトに、アスナは一つため息をついて記録結晶を取り出した。
「キリト君、そのメッセージ、こっちにコピーしてもらえる?」
「え?」
少なくともキリトにとっては突拍子もない提案に、キリトは軽く動揺した。
「こっちでも考えるって言ってるの。情報源が情報源だから、言いふらすわけにもいかないけど」
「アルゴなんか論外だな」
「こういっては何だけど、その通りね。情報屋のネットワークで伝染したら、私たちも危ない。ソロの時に襲われたら、ひとたまりもないから。だけど、一人で考えるよりましだわ。それとも、私が信用できない?」
やや上目遣い気味の目線で問われた言葉をどうして否定できようか。しかも、相手はこのデスゲーム最初期からの知り合いの一人なのだ。少なくとも、背中を預ける位には信頼している。それだけ考えると、記録結晶二つを再生して、アスナの記録結晶に録音した。
「じゃあ、何か手がかりを掴んだら連絡するね」
「ああ。また」
それだけ残すと、今度こそキリトは血盟騎士団本部を後にした。
はい、というわけで、これにて圏内事件編、完結でございます。短すぎるって?いやだって書くことなんですもん。俺は悪く(ry
本当にこの辺は原作の一方その頃みたいな状態になっていますね。
暗号に関しては、今はわからなくても大丈夫です。ちゃんとあとで種明かしします。この辺のストーリー構成は迷ったのですが、自分なりに折り合い付けました。
それと、先んじて言っておきますと、この後の展開は二通り用意してあります。最初に思いついたほうのルートを先に投稿し、SAO編完結後にifルートを投稿、その後ALO編へ、という流れを想定しています。そのあたり何か意見等ございましたら、気軽にメールください。感想欄でもいいですが、それによって運営から警告通達があった場合は即座に活動報告への誘導へと変更する所存です。
ではまた次回。