もしも比企谷八幡が嘘つきだったら   作:くいな9290

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ep.17 彼と彼女らは夜空の下に語り合う

ふと彼の言葉を思い出す。

 

『正直、意外だったぞ。』

 

『お前が誰かに任せるって言ったことだ。」

 

確かにそう思うのも無理はないかもしれない。

 

きっと彼は誰よりも上手く鶴見留美と接触し、扱えるだろう。

彼の人の考えを、気持ちを、嘘を捉える能力は間違いなく私より上だ。

ともすれば、それは姉さんにすら並ぶかもしれない。

 

ーーーけれど、私でもやろうと思えば可能だった。

彼に頼むまでもなく自分で動けば必要に足る情報は得られたはずだ。

 

それになにより、どうして私は彼をーーー

 

「あ!いた!」

 

突然、背後から声がした。

この声は……

 

「小町さん?」

 

「はい。探しましたよー、雪乃さん。

コテージに居づらいのは分かりますけど、こんな暗い中女の子一人だけで出歩くのは危ないですよ!」

 

周囲に明かりはなく、光源は淡い月の光だけだが、頰を膨らまして怒りを表現する小町さんの顔はよく見える。

 

あの兄とは違って表情が豊かだ。

いや、私の知らないところでの彼はもっと笑ったり怒ったりしたふりをしているのかもしれないが。

 

「ごめんなさい。ところで、あっちはどうなっているの?」

 

「今、結衣さん達が慰めてますよ。

まだもうちょっとかかりそうですけど。」

 

夕食の後、就寝用のコテージに戻ったところ、私の葉山くんへの発言が三浦さんには気に入らなかったのか、堰を切ったように食ってかかってきたのだ。

私はそれを全て正論で論破したのだが……

 

「少しやり過ぎてしまったかしら。」

 

その結果、彼女は泣き出してしまったのだ。

 

呟くように漏らした私の言葉に小町さんは困ったように笑う。

 

「あはは、ちょっとやり過ぎたかもですね。

……ねぇ、雪乃さん。少しお話ししませんか?」

 

「ええ、もちろん構わないわ。」

 

断る理由はない。

小町さんは私の隣に立ち、おもむろに空を見上げた。

私もそれに呼応するように夜空に目を向ける。

 

そこには無数の星々が瞬いていた。

都会の人工灯によって塗りつぶされてしまうような淡い光を放つ星々もここでははっきりと見える。

そして、最後の仕上げを忘れたかのようにほんの一部分のみが欠けた月も、街中で見るより幾分か大きく感じる。

明日はきっと美しい満月が見られるだろう。

 

「正直、意外でした。」

 

突然のその言葉にはっと息を呑む。

その台詞は夕刻に比企谷くんが口にしたのと全く同じだ。

 

「その言葉、比企谷くんにも言われたわ。」

 

「あ、ホントですか?

ごめんなさい、少し気になっただけなんです。」

 

彼女は照れたように笑みを浮かべる。

 

「気になった、とは何のことかしら?」

 

比企谷くんと同じ言葉を使った彼女の考えを知りたいという好奇心が湧く。

 

「いやー、本当に些細なことなんですけど。

小町の勝手なイメージで、雪乃さんなら一人で全部できるだろうし、やっちゃうのかなーって。

だから、お兄ちゃんに任せるって言った時びっくりしたんです。」

 

小町さんは私が彼女と会う前に考えていたことをズバズバと当てていく。

それを知ってか知らずか彼女は続けて言う。

 

「確かに兄が一番上手くやれそうですよね、ああいうのは。

でも、なんていうのかなーー」

 

そこで彼女は一旦言葉を区切る。

 

「雪乃さんは雪乃さんなんだなって安心、しました。」

 

そして、心底そう思っているような感情のこもった言葉を吐き出した。

話は筋立っておらず、その意味も分からない。

けれど、その時の小町さんはとても穏やかな表情で、私はその真意を問いただすことができなかった。

 

****

 

ーーー雪ノ下雪乃と比企谷小町が出会う少し前

 

修学旅行の夜かよ……、などと考えながら一番はしゃぎ、一番早くに寝た戸部のいびきを聞く。

なんだよ、好きな人の話って。お前が海老名のこと好きなんてとっくの昔に分かってたわ。

 

馬鹿馬鹿しい……。

 

だが、以前までの俺ならきっとこの手の話題をさも楽しんでいるかのように振る舞っただろう。

それを馬鹿らしく感じてしまうのは、きっと俺が奉仕部と、雪ノ下雪乃と出会ってしまったからだ。

いつの間にか俺は仮面を被らなくていい空間に慣れてしまったようだ。

 

『彼女が助けを求めるなら、あらゆる手段を持って解決に努めるわ。』

 

だがーーー

 

「眠れないのか?」

 

唐突に葉山が話し出す。

 

「うっせ、戸部が起きたらどうすんだ。

まぁ、眠れないのは事実だが。」

 

ぶっきらぼうに答えて、あいつから遠ざかるように寝返りをうつ。

 

「なら、夜風にでも当たってきたらどうだ?」

 

「お前も一緒に行くとか言い出しそうだから却下だ。」

 

こいつと二人きりとか想像しただけで虫唾が走る。

 

「そんなこと言うわけないだろ?

二人きりが嫌なのはお互い様だ。」

 

葉山は俺の辛辣な返しにも慣れた様子で軽く受け流す。

 

……確かにここでじっとしているよりかは少し新鮮な空気でも吸ってきた方がいいか。

 

「行ってくる。」

 

言って、立ち上がって扉へ向かう。

 

「ああ、行ってらっしゃい。」

 

その言葉を背中で受けながらコテージから出る。

 

夏とは言えど、都会と違って熱がこもりにくいこの辺りでは爽やかな風が吹き、中々に心地いい。

 

ふと、夜空を見上げると大きな美しい月が目に入る。

頭の中で暦を数え、明日が満月であることを思い出す。

 

ーーー全く、俺はいつまで昔のことを思い出せば気が済むんだ?

 

「少し歩くか。」

 

そう呟き、歩みを進める。

 

道に沿って歩くとまずは右手に女子達の泊まるコテージが見え、その後、木々に囲まれた小道を抜けるとひらけた場所に出る。

そこには一つ大きな寄宿舎があり、あそこに小学生達が寝ているはずだ。

 

ふらりと視線を動かし、木々の間をざっと見渡す。

さすがに森の奥までは見通せないが、今いる広場は淡い月明かりで照らされている。

そして、そこにひっそりと紡がれた獣道を見つける。

 

「別に先生達に告げ口したりしないから出てこないか?」

 

そこで思考を停止させ、背後の寄宿舎の裏あたりからこちらに視線を向けていた何者かに声をかける。

まぁ、大方夜更かしした小学生なんだろうが。

 

俺が視線の方向に身体を向けると、建物の角から一人の少女がこちらに歩いてきた。

 

ーーーふむ、これは予想外だ。

 

「こんばんわ。」

 

渦中の少女、鶴見留美は抑揚のない声でそう言った。

彼女はなぜ自分に気づいたのかと問いかけるように訝しげな表情を俺に向ける。

 

「別に後ろに目が付いているわけじゃないよ。たまたまだ。」

 

図星だったようで鶴見留美は目を見開く。

 

「君も眠れないみたいだね。

ならせっかくだし、少し話さないか?」

 

言って、彼女に歩み寄る。

 

当然ながら周りに人はいない。

彼女の境遇を気にかけることなく話せる千載一遇の好機だ。

これを逃すわけにはいかない。

 

「あなたは……。」

 

「比企谷八幡だ。よろしくな、鶴見留美ちゃん。」

 

身をかがめて彼女と同じ目線になり、にっこりと笑顔を作る。

 

「……それ、楽しい、ですか?」

 

しかし、数多の人々を騙し続けた俺の『笑顔』の裏を彼女は易々と看破した。

 

ーーーまぁ、想定内だが。

 

「やっぱりバレてたか。

なら、むしろ都合がいい。腹を割って話せるな。」

 

これまで自力で俺の仮面に気づいた者は少ない。

今の学校では平塚先生に葉山、おそらく海老名くらいだろう。

そのことごとくが同じ反応を見せた。

驚くか憐れむかどちらか一方、もしくは両方。

まぁ、中には見抜いた上で試してくるなんて奴もいたが。

 

その反応の中で、鶴見留美は前者だった。

たぶん彼女が違和感を感じたであろう瞬間はオリエンテーションだ。

そのままカレー作りの作業を通して確信したのだろう。

 

あの人は偽物だろう、と。

 

高校生の間で話題になっている少女のその感情の機微に気づかないほど俺は鈍感ではない。

 

「取り繕ったり、しないんですね。」

 

むしろたちが悪いと言わんばかりに彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「舞台裏まで演技する必要はないだろ?」

 

そう言って笑う俺に彼女はため息をつく。

 

「はぁ……。それで何の用ですか?」

 

「最初に言っただろ?

眠れないもの同士、おしゃべりでもしないか、って。」

 

これは割と本心に近い言葉だったのだが、鶴見は胡散臭そうな視線を俺にぶつける。

 

「別に私は眠れないわけではないですよ。」

 

彼女はめんどくさそうにそう言うと、くるりと身を翻して建物に戻ろうとする。

 

眠れないわけではないが、教師に見つかる危険性もあるこんな時間に出歩いている。

そして、この建物の側から離れていなかったことを吟味するとーーー

 

「自分のベットが占領、あるいは荷物置き場にでもなってるのか?」

 

ぴたりと鶴見が足を止める。

 

「図星みたいだな。

だから他の奴らが確実に眠るまで待ってから部屋に戻って床につく、その間の時間つぶしをここでしてたってわけか。」

 

「参りました。」

 

そう言って鶴見は両手をあげる。

そして、そのまま宿舎の前に設置してあるベンチへ向かい、そこにすとんと座った。

 

「別に戦ったつもりはないけどな。」

 

俺もそれに続いて彼女の隣に腰を下ろす。

 

「……何の用ですか?」

 

彼女が同じ質問を繰り返す。

 

そんなに俺って信用できないか……?

うん、できないな。

 

「そうだな……、例えばーー」

 

そこからはとりとめのない話をした。

冗談めいた話、くだらない話、どこか不思議な話。

なんてことはない、俺が普段仮面を被って人気者を演じている時に話しているようなことだ。

 

『比企谷八幡』になるために随分と鍛えたトーク力は問題なく鶴見留美に響いた様子で、最初は警戒心を剥き出しにしていた彼女も話が進むにつれて笑うようにすらなった。

 

「そろそろ時間だな。」

 

腕時計を見ると、短い針はてっぺんをとうの昔に過ぎている。

この時間なら鶴見と同じ部屋のクラスメイトも寝ていることだろう。

 

「う、うん。」

 

どこかぎこちない敬語を使わなくなった彼女は名残惜しそうに返事をする。

 

「先生に見つからないようにしろよ?

見つかったら俺まで怒られる。」

 

「大丈夫だよ。

きっと先生達ももう寝てると思うし。」

 

俺の冗談に彼女は笑顔で答える。

それは年相応のあどけない笑顔だ。

 

俺に背を向けて宿舎に戻ろうとする彼女に声をかける。

 

「なぁ、一人は楽しいか?」

 

数刻前と同じように鶴見はぴたりと足を止める。

 

「大勢でいるよりかはずっとマシ。」

 

声のトーンは下がり、語尾は震えている。

まるで自分の配役を思い出したかのような取り繕った台詞だ。

 

「そうか。

俺は楽しくないぞ。」

 

「何の事?」

 

俺の唐突な発言に彼女が聞き返す。

 

「お前とここであった時に最初に聞かれた事だ。」

 

簡潔に答える。

 

嘘をつき、愛想を振りまいて、好かれたくもないような人々に好かれる自分を演じることが楽しい?

馬鹿言うな。それを楽しいと感じるような奴は狂人だ。

自分のことをまともだと思ったことはないが、狂った覚えもない。

 

「……なら、どうして?」

 

鶴見は震えた声で問うてくる。

こちらに振り向かないままなので、その表情は窺い知れない。

 

「さぁな。」

 

「………。」

 

鶴見はそれ以上何も言わずに宿舎の中に入っていく。

俺はその背中が見えなくなるまでずっと立っていた。

 

「舞台裏まで演技する必要はない、か。」

 

少し前の自分の言葉を繰り返す。

 

俺が葉山達と一緒にいる時を俺にとっての舞台だとするなら、きっと一人でいる時が鶴見にとっての舞台なのだろう。

さも自分が孤独を楽しんでいるかのように振る舞い、演じる。

それが彼女の役だ。

 

ーーーでは、なぜ。

なぜ彼女はそのキャラクターを演じるのか。

 

答えは簡単。楽だからだ。

 

自分が辛い環境、立場にいた時、あえて自分がその立ち位置に甘んじ、受け入れるふりをすれば精神的に楽になる。

自分の意思でこう在るのだ、と自分に暗示をかけるのだ。

 

と言っても、彼女のそれはまだ完成しきっていない。

その観察眼には目を見張るものがあるが、俺と少し会話しただけでも、舞台裏の素顔を見せた。

それは彼女が心のどこかで現状の打破を、救いを求めているからなのだろう。

 

しかし、だからと言って俺にできることはほとんどない。

自分の舞台をやりくりするだけで精一杯なのに、他人のものまで構っていられない。

そもそも、自分の舞台の幕のおろし方すら分からないのに鶴見を救う、と言うのもおかしな話だ。

 

ーーー夜空を見上げ、あの夜を思い出す。

何度忘れたいと願ったか分からないあの時を。

 

追憶の彼方に封じ込めた彼女の背中を思い起こし、ひとりでに呟きが漏れる。

 

「……俺にできることなんて、その舞台裏にそっと忍び込む程度だ。」

 

確か明日の晩は肝試しが行われるはずだ。




タイミングを見失ってまだ書けていませんが、葉山と八幡の関係性はその内書こうと思っています。

原作とはちょっと違う話展開になってきて、なんかよく分からない回想も入ったりしてますが、あんまり気にしないでください。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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